般若寺水仙:12月~2月
今日は般若寺の先代住持であった明耀房良光和尚のご命日です。昭和48年(1973)の今日、享年64歳で遷化されました。早いもので入寂から今年で38年目です。私は今年62歳ですから親であり師匠である良光和尚の年に近づいています。和尚は福島県の田舎の小さな寺に生まれ本来ならその寺のあとを継いでいたはずですが、幼少のころ親に先立たれ寺の縁故から鎌倉極楽寺に引き取られ、さらに本山である奈良西大寺へ入門したのです。そして師である本山の佐伯悟龍長老から任され昭和13年般若寺住持となりました。それからまもなくして戦争が激しくなり、坊さんでありながら軍隊の徴用工として飛行機工場へ勤務したそうです。空襲の時には鉄板を背負いながら逃げ回ったとよく聞かされました。戦後は無からの出発だったようです。境内の裏手で大根やいもの畑を作り屋根に上って雨漏りを修理したりととても元気な体だったのに、50をこえて腎臓ガンを患い手術をして一命を取り止めたのですが、最後は肝硬変で死を迎えました。大変几帳面な性格で苦労を厭わないお坊さんらしいお坊さんでした。明治生まれの東北人らしい素朴さと粘り強さのあるお方でした。般若寺にとって昭和の中興上人です。どうぞお浄土から娑婆世界の我々を叱りお導きください。
「水仙に 般若寺の庭 いそいそと」
〔俳句〕
「水仙や 日は中空に かかりたる」 高浜虚子
「水仙の 揃ひてわれの 方を向く」 庄中健吉
「白き壁 白きカーテン 水仙花」 山田弘子
〔和歌〕
「山ぢには 人やまどはん 河霧の
たちこぬさきに いざわたりなん」
貫之・玉葉732
「山道では(この秋霧のために)人が迷うことだろう。この河も、霧が立って来ないうちに、さあ早く渡ろう。」
〔釈教歌〕
「法のため のべしみ山の 苔筵
まづ色々の 花ぞふりしく」
源雅通・玉葉2642
「仏が法華経をお説きになるため、ギシャクッ山(セン)に敷き延べた苔の筵の上には、教えを述べられるに先立って、先ず色々の花が降り敷くよ。」
・ のべし=法を「述べる」意と筵を「延べる」意をかける。
・ まづ色々の=仏が法華経を説かれた時、天から曼陀羅華、曼珠沙華等の華が降り敷いた事をいう。
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