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2010年11月

2010年11月30日 (火)

般若寺水仙:12月~2月

朝は寒いです。奈良では1度まで下がりました。もうすぐ霜、氷の季節です。奈良は雪の降らない地方なので凍結だけです。しかし昼間は少し動くと暑いです。汗をかきそうなので朝の厚着をどんどん脱皮していきます。乾燥も要注意です。風邪を引きやすくなりますから。

11月は終わり、暦の上では秋が終わります。

来月、奈良では色々な行事がありますね。まず5日に奈良マラソンがあります。初めてのことでどうなる事やら。8日はお釈迦様が悟りを開かれ仏陀となられた日、各寺で成道会(じょうどうえ)があります。またこの日は太平洋戦争が始まった日でもあります。17日は春日若宮おんまつりです。

21日はしまい弘法、25日は暮れの文殊縁日、31日は大晦日、除夜の鐘です。忙しいですね。

水仙の花はいつ咲いてくれるのでしょうか。

「道端に ころぶ水仙 芽を出だす」

〔俳句〕

「水仙の 島の南に とどまる日」  野村泊月

「水仙の ふところ深く 客待てり」 小島とよ子

「水仙の 束解かれたる 畳かな」  山尾玉藻

〔和歌〕

「秋霧の たえまをみれば あさづくひ

むかひの岡は 色づきにけり」

後一条入道前関白左大臣(一条実経)・玉葉744

「秋霧の薄れて来た切れ目から見渡すと、(朝日のさす)向い側の岡の木々は、目に立って紅葉しはじめている。」

〔釈教歌〕

「あはれにぞ わすれざりける いそぢあまり

ひなにやつれし 姿なれども」

藤原親盛・玉葉2648

「感動的な事には、父はわが子を忘れなかったよ。五十年余りも他国に貧しく暮らして、やつれ果てた姿であっても。」

  法華経信解品の長者窮子の喩を詠む。ある人が若年の時父を捨てて他国で窮乏し、五十余年後本国に帰った時、父は富貴な長者になっていたが直ちに我が子である事をさとり、ついに我が子にすべての宝を与えたという譬。

  ひな=地方。田舎。

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第六番 壺坂山 南法華寺 十一面千手千眼観音↑

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2010年11月29日 (月)

般若寺水仙:12月~2月

今朝は冷え込み、初冬の気配でした。もうそろそろ山茶花が咲くころです。山茶花といえば「さざんかさざんか咲いた道、 たきびだたきびだ落ち葉焚き」の童謡が思い出されます。当寺でもいま落ち葉がすごいです。桜、クヌギ、ケヤキ、ヨノメ、菩提樹などが葉を落としています。竹箒ではいてもはいても次々と落ちてきます。昔は落ち葉を集め焚き火で芋を焼くのが楽しみだったのですが、いまは焼かずに土の中に入れてたい肥にしています。煙も出ないし土壌改良にもなるし一石二鳥です。

花作りは土作りから始まります。晴れた日は毎日耕しています。いまは日が短いので一日が早く終わります。明るい内はスコップでカルチャー、暗くなれば読書でカルチャーの日々です。毎年いまごろは、来年こそ今まで以上に美しい花を咲かせようと決意を新たにし、向上心を奮い立たせます。でもこの頃は体が動いてくれるかどうか、疑問符がつきます。まずは命あることに感謝。

「石仏に 水仙の葉が よりそって」

〔俳句〕

「浪音を 離れずつむや 野水仙」  長谷川久代

「あかときの 夢のつづきを 水仙花」諏訪一郎

「潮風に 乗って来たる香 野水仙」 稲畑汀子

〔和歌〕

「しるきかな あさぢ色づく 庭のおもに

人めかるべき 冬のちかさは」

式子内親王・風雅716

「はっきりわかることだよ。浅茅が色づいて来る庭の様子を見ると、あの宗ウの歌のように、訪れる人が絶えてしまう冬の近くなった事は。」

参考・「山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草も枯れぬと思えば」(古今315、宗ウ)

〔釈教歌〕

「おりしりて 見はやす人や まれならん

わしのみ山の 花のひと枝」

真淨上人・玉葉2647

「花咲く折を知り、折り取って賞美する人は数少ないことであろう。霊鷲山に咲く、法華経という花の一枝は。」

・「釈教」の心を呼んだ歌。

  おりしりて=機会の意の「折」と「折る」意をかける。

  わしのみ山=霊鷲山。鷲峰山とも。中インド、マガダ国の都、王舎城の東北にあり、釈尊が法華経を説いた所。

  花=法華経をたとえる。

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第五番 紫雲山 葛井寺 十一面千手千眼観音↑

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2010年11月28日 (日)

般若寺水仙:12月~2月

秋も深まってきました。先週のテレビ報道によると、今年のもみじは近年まれなほど色づきがよいとの事です。ただ紅葉の時期は10年前に比べると10日以上遅くなっていて12月まで見ごろが続くそうです。お正月がやってくるというのにちょっと変ですね。それと話題になっているのは、各地で楢枯れが進行し背景の山が紅葉と関係なく茶色くなっていることです。直接には虫害によるようですが、温暖化も影響しているようで、落葉樹が枯れ、代わって常緑樹が優勢になりつつあるそうです。この先もみじ名所の風景が変ってしまうかもしれないと心配されています。そして紅葉のおくれはやはり温暖化の表れで、温暖化を止めなければ解決できない現象だそうです。これらは自然界からの警鐘ではないでしょうか。亜熱帯気候は人にも自然にも過酷であるのは今年の夏で身にしみています。私たちも自然界の一員である事をゆめゆめ忘る勿れ、ですね。

「秋色に 水仙の葉は 青々と」

〔俳句〕

「水替えて きく水仙の 息づかひ」  小林信江

「少女期の 亡くした鏡 野水仙」   三浦二三子

「水仙や 母娘の話し 限りなく」   久保田一豊

〔和歌〕

「たちこむる 朝けのきりの そのままに

くもりて暮るる 秋の空哉」

前中納言俊光・玉葉742

「立ちこめた早朝の霧が晴れる間もなく、そのまま曇りくらして、やがて夕暮になってしまう、秋の空よ。」

〔釈教歌〕

「をぐるまの のりのをしへを たのまずは

猶世にめぐる 身とやならまし」

平宣時朝臣・玉葉2646

「火宅を出て大乗の牛車に乗るという仏法の教えを頼まなかったならば、いまだに現世に生き、六道をめぐる身となっているだろうに。」

・をぐるまの=法華経譬喩品の三車火宅の譬。火災に瀕した家から子らを救うため、長者が羊(声聞)・鹿(ビャク支仏)・牛(仏)の三車を与えると言って誘い出し、実は仏の大乗の教えを象徴する牛車のみを与えたという譬による詠。「のり」は「乗り」と「法」をかけ、「めぐる」も「車」の縁語。

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第四番 槇尾山 施福寺 十一面観音↑

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2010年11月27日 (土)

花だより  11・27

これから初夏まで咲く「般若寺の花暦」をお知らせします。

近年は気候変動により開花時期は前後します。それから一般の本や雑誌、公共のホームページなどに載せられている情報は前年まで(中には5年ほど前のもある)のデータに基づいて書いておられるので花の時期が合わない事があり、また誤りもあります。その時期の正確な情報は本ブログをご覧ください。毎日更新する予定ですからリアルタイムの情報を提供できると思います。

「般若寺の花暦」(予想)

  般若寺水仙:12月~2

  梅;3月上旬

  桜・ぼたん・シャガ・椿など百花繚乱:4月~5

  山吹:4月中旬

  山あじさい:5月~6

  早咲きコスモス (初夏に咲くコスモスの花)

5月下旬~7月上旬

「唯一つ 水仙の寺 ここにあり」

〔俳句〕

「水仙や 表紙とれたる 古言海」  高浜虚子

「水仙や 芭蕉庵へと 招きゐる」  桑垣信子

「明かり消す 水仙のかたまり を消す」加藤かな文

〔和歌〕

「まどふかき 秋の木の葉を 吹きたてて

また時雨れゆく 山おろしの風」

後鳥羽院・風雅707

「山家の窓辺を深くうずめる、秋の木の葉を吹き、舞い上がらせて、又時雨を降らせながら過ぎ行く、山おろしの風よ。」

〔釈教歌〕

「世の中に いでといでます 仏をば

ただひとことの ためとしらなん」

権大納言行成・2645

「世の中に出現される仏という仏は、人の唱えるただ一言の〈南無仏〉という言葉のためにおいでになるのだと知るがよい。」

・法華経方便品の心を詠める。

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第三番 風猛山 粉河寺 千手観音↑

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2010年11月26日 (金)

花だより  11・26

この間までうす紫のかわいい花を咲かせていたサフランが花を終えました。当寺ではサフランは昔から植えっぱなしでコスモスが終わるころにひょっこりと蕾を見せます。春に咲くクロッカスとよく似ているので間違えやすいですがこの時期に咲くのはサフランです。キキョウのような形の花の真ん中から5センチほどの赤いめしべを伸ばします。これが料理に使われるハーブの一種で高級食材だそうです。一花に一本のめしべですからよっぽど大量に咲かさないと収量が得られないと思います。水仙の間に挟まって20本ほど咲いていたサフランの花も終わりました。いよいよ水仙の季節到来ですね。

「水仙に 花をゆずれる サフランや」

〔俳句〕

「筆を挿す ごとく水仙 壷に挿す」  吉屋信子

「雨に立つ 水仙襟を 引きしめて」  阿部ひろし

「天と地の 明暗分けて 野水仙」   稲畑廣太郎

〔和歌〕

「朝日さす いこまのたけは あらはれて

きりたちこむる あきしのの郷」

前参議実俊・玉葉737

「朝日がさすにつれ、生駒山はくっきりと姿をあらわし、対照的にまだ深く霧が立ちこめている、麓の秋篠の里よ。」

〔釈教歌〕

「ひとふさを おりてたむくる 花のえに

さとりひらくる 身とぞなるべき」

法印頼舜・玉葉2644

「ただ一房を折って御仏に手向ける花の枝の縁によっても、悟りの開ける身となる事ができるに違いない。」

・法華経方便品の「若し人、散乱の心にて、乃至一花を以ても、画像に供養せば、漸く無数の仏を見たてまつる」の意を詠んだ歌。

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第二番 紀三井山 金剛宝寺 十一面観音↑

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2010年11月25日 (木)

般若寺水仙:12月~2月

きのうから境内の土起こしを始めました。コスモスの生えていた花壇をスコップで掘り返します。土の上下をひっくり返すのを農家では天地返しと言うそうです。土に空気を入れて柔らかくするのと草の根、とくにドクダミとヤブカラシの根を抜き取るのが目的です。耕運機で掘り返してもいいんですが草の根が千切れて土の中に残り、翌年は数を増やしてはびこるのです。だから少しずつでも人手でやったほうがうまくいくのです。春まで時間はたっぷりありますからゆっくりじっくりやります。これをすると体は温まるし、手足の筋肉が丈夫になります。ちょっと腰に来ますけど冬場のいい運動、健康法です。寺では童謡にある「モグラのとうさん道普請」と言われています。

「水仙が 般若寺の冬 きわだたす」

〔俳句〕

「咲くままに 水仙畦に 乱れたり」  高浜年尾

「水仙は 水仙のみを 挿したしや」  大橋敦子

「野水仙 神にゆるされし ごとひらく」 長尾康子

〔和歌〕

「もずのいる まさきのすゑは 秋たけて

わら屋はげしき 峯の松風」

定家・風雅703

「鵙のとまっている、まさきの枝先は秋深い風情になって、藁屋根の貧しい家に、激しく峯の松風が吹きおろす。」

〔釈教歌〕

「人しれず 法にあうひを たのむかな

たきぎつきにし あとに残りて」

藤原忠通・玉葉2643

「人しれずひそかに、真実の仏法にめぐり遇う日が来る事を願うことだ。釈尊が入滅なさった後に残ったわたしは。」

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第一番 那智山 青岸渡寺 如意輪観音↑

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2010年11月24日 (水)

般若寺水仙:12月~2月

今日は般若寺の先代住持であった明耀房良光和尚のご命日です。昭和48年(1973)の今日、享年64歳で遷化されました。早いもので入寂から今年で38年目です。私は今年62歳ですから親であり師匠である良光和尚の年に近づいています。和尚は福島県の田舎の小さな寺に生まれ本来ならその寺のあとを継いでいたはずですが、幼少のころ親に先立たれ寺の縁故から鎌倉極楽寺に引き取られ、さらに本山である奈良西大寺へ入門したのです。そして師である本山の佐伯悟龍長老から任され昭和13年般若寺住持となりました。それからまもなくして戦争が激しくなり、坊さんでありながら軍隊の徴用工として飛行機工場へ勤務したそうです。空襲の時には鉄板を背負いながら逃げ回ったとよく聞かされました。戦後は無からの出発だったようです。境内の裏手で大根やいもの畑を作り屋根に上って雨漏りを修理したりととても元気な体だったのに、50をこえて腎臓ガンを患い手術をして一命を取り止めたのですが、最後は肝硬変で死を迎えました。大変几帳面な性格で苦労を厭わないお坊さんらしいお坊さんでした。明治生まれの東北人らしい素朴さと粘り強さのあるお方でした。般若寺にとって昭和の中興上人です。どうぞお浄土から娑婆世界の我々を叱りお導きください。

「水仙に 般若寺の庭 いそいそと」

〔俳句〕

「水仙や 日は中空に かかりたる」  高浜虚子

「水仙の 揃ひてわれの 方を向く」  庄中健吉

「白き壁 白きカーテン 水仙花」   山田弘子

〔和歌〕

「山ぢには 人やまどはん 河霧の

たちこぬさきに いざわたりなん」

貫之・玉葉732

「山道では(この秋霧のために)人が迷うことだろう。この河も、霧が立って来ないうちに、さあ早く渡ろう。」

〔釈教歌〕

「法のため のべしみ山の 苔筵

まづ色々の 花ぞふりしく」

源雅通・玉葉2642

「仏が法華経をお説きになるため、ギシャクッ山(セン)に敷き延べた苔の筵の上には、教えを述べられるに先立って、先ず色々の花が降り敷くよ。」

  のべし=法を「述べる」意と筵を「延べる」意をかける。

  まづ色々の=仏が法華経を説かれた時、天から曼陀羅華、曼珠沙華等の華が降り敷いた事をいう。

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2010年11月23日 (火)

般若寺水仙:12月~2月

きのうは信楽へ行ってきました。奈良から木津川の上流、和束川に沿って山道を走ると道の両側はナラやクヌギなどの落葉樹が茶色に染まり、その間に黄色や紅色の葉も見えて、山全体が色とりどりのじゅうたんのようにふわふわした感じでした。真っ赤なモミジばかりよりこういういろんな色が混ざった雑木山の紅葉の方が風情があって好きです。

信楽で仏さま用の花瓶を買い、そのあと伊賀焼きの村を通って伊賀上野へ行きました。上野ではどこへ寄るでもなく街中をぶらぶらして、名物のたまり漬「伊賀越え」を買いました。昔からこの町が好きです。こじんまりした城下町なのに町が生きている感じがします。お城の巨大な石垣はいつ見てもすばらしいですね。服部川から木津川沿いに走り笠置を通って奈良へ帰りました。100キロ余のドライブでした。

「水仙や 剣のごとく 葉をたてる」

〔俳句〕

「水仙を 活けて全く ひとりかな」   野本永久

「水仙花 目立たぬ白の 目立ちをり」  保田英太郎

「水仙や 俯くことを 知っている」   星野早苗

〔和歌〕

「しもがれむ ことをこそおもえ 我が宿の

まがきに匂ふ しら菊の花」

師時・風雅701

「やがて霜枯れてしまう事をつくづく惜しいなあと思うよ。私の家の垣根に美しく咲き匂う、白菊の花を見るにつけて。」

〔釈教歌〕

「ひとりのみ たづねいるさの 山ふかみ

まことの道を こころにぞとふ」

顕頼・玉葉2641

「ただ一人で分け入って行く入佐山は非常に深く、そこで仏法の真理を自ら心に問い、修行を重ねる。」

・ひとりのみ=法華経序品中の法文を詠む

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2010年11月22日 (月)

般若寺水仙:12月~2月

今日は久しぶりの雨、月曜日休み明けとあって寺はお休み状態です。ちょっとお出かけしてきます。どこへ行くかは気分しだい風まかせです。どちらかというと人の少ないところがいいなあと思い、そうなれば山のほうですね、滋賀から三重の山道をゆっくり秋の景色に浸りながら行ってきます。

〔俳句〕

「水仙の 束とくや花 ふるへつづ」  渡辺小巴

「水仙の 高さで赤い 糸を見る」   北原武巳

「水仙の 開きてからも 茎伸ばし」  柿沼盟子

〔和歌〕

「みねの雲 ふもとの霧も 色くれて

空も心も 秋のまつかぜ」

定家・玉葉731

「峯の雲も麓の霧も、いかにも夕暮の色になって、空は秋の松風に領せられ、その風はまた私の心の中にも吹きわたっている。」

〔釈教歌〕

「世々をへて にごりにしみし わが心

           きよたき川に すすぎつるかな」

近衛兼経・玉葉2640

「何年もの間、現世の濁りに染み汚れて来た私の心を、今日ここに清滝川の清らかな流れで洗い清めたよ。」

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2010年11月21日 (日)

般若寺水仙:12月~2月

毎日境内の様子が少しずつ変わっています。石の観音さまの前がすっきりとなりました。コスモスを片付け仏様それぞれの札所の名前とご詠歌を書いた木札を設置しました。これでようやく観音霊場らしくなりました。名前がないと石仏なので皆さんお地蔵さんと間違えておられるようです。お地蔵さんは六地蔵として並んでいることが多いですからね。当寺の石仏は33体ありまして西国三十三番霊場のご本尊を一同におまつりしています。江戸の元禄15年(1702)に山城の国相楽郡北稲八間(いないずま・京都府精華町祝園近くの集落)の住人、寺嶋某氏が自分の病気平癒を観音様に感謝して当山へ寄進されたものです。第一番の那智山から第三十三番の谷汲山まで各札所のご本尊を忠実に造像されています。大変な資財を投じて作られた観音石像にその篤信なお心が偲ばれます。

この観音さまの前に水仙の花が咲きます。

「水仙に 観音さまが ほほえんで」  

「水仙が 観音さまを かざらんと」

〔俳句〕

「水仙花 睡りの末の 息くるし」    石田波郷

「水仙の あちらこちらに 吹かれおり」 内野聖子

「水仙の 香についてくる 波の音」   稲畑汀子

〔和歌〕

「ゆく秋の なごりをけふに かぎるとも

ゆふべはあすの 空もかはらじ」

西園寺実氏・風雅723

「行く秋の名残を惜しむのも今日限り、とはいうものの、この夕の風情は、(冬立つとはいえ)明日の空だってかわりはしまいになあ。」

〔釈教歌〕

「跡もなき 心に道を ふみかえて

まよはぬもとの 都をぞおもふ」

権僧正憲淳・玉葉2639

「今まで経て来た、足跡もたどれぬ妄念の遍歴の道を踏み直して、迷いのない本来清浄なもとの心に帰りたいと、旅人が生れ故郷の都を思うように思うよ。」

・もとの都=妄念の起こる以前の本来清浄な心を、出発して来た都に喩える。

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2010年11月20日 (土)

般若寺水仙:12月~2月

晴天が続き暖かいですね。秋の終わりが近づいて一日一日が貴重になって来ました。もみじの名所はさぞや賑わっていることでしょう。

奈良では古来もっとも有名なもみじの名所は龍田の山川です。春は佐保姫、秋は龍田姫と言われるほどに万葉人から愛され、多くの古典文学、特に和歌に詠われてきました。般若寺のマー様が龍田の近くの出身なのでよく龍田の事を聞きます。車で国道25号線を法隆寺から大阪に向かって走ると龍田川の西に高さ50メートルほどの小山があり、聞いてみるとあれが三室山だそうです。歌枕で大変有名なもみじの名所です。

百人一首の業平の歌(17)

「ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 

からくれないに 水くくるとは」

ならどなたもご存知でしょうが、平安朝の王朝貴族にとってあこがれの地だったのです、龍田は。

でも今は残念ながら少し興ざめな景色が目立ちます。どうして京都の嵐山のように景観保全が出来ないのでしょうか、龍田のほうが古いもみじの名所なのに。みなさん一度お出かけくださいませ。

近くの吉田寺さんもお忘れなく、重要文化財の多宝塔と桜もみじがきれいですよ。

〔俳句〕

「水仙や 古鏡の如く 花をかかぐ」  松本たかし

「みなねむり 水仙だけが 知っている」 窪田丈耳

「水仙花 身辺つねに 清潔に」    角直指

〔和歌〕

「あわれしる 人にみせばや 山ざとの

秋の夜ふかき ありあけの月」

菅原孝標女・玉葉697

「情趣のわかる人にこそみせたいものだ。山里の秋の夜が更けて、空にかかる有明の月を」

〔釈教歌〕

「世にこゆる ちかひの舟を たのむ哉

くるしき海に 身はしづめども」

丹羽経長・玉葉2638

「他の諸仏の願にもはるかに勝る、阿弥陀仏の誓願による、彼岸への渡し舟の力をひたすら頼むよ。生死輪廻の苦しみに満ちたこの世の海に、我が身は沈んでいるけれども。」

  世にこゆるちかひ=超世の悲願。他の諸仏の願にくらべても超絶した、阿弥陀四十八願。またその中心である、第十八願、念仏往生の願。

  ちかひの舟=弘誓の船。仏の衆生済度の誓願を、船が人を載せて向こう岸にわたすのにたとえる。

  くるしき海=苦海。生死輪廻の苦悩が果てしなく広がっている世界を海にたとえる。

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2010年11月19日 (金)

般若寺水仙:12月~2月

今日は朝からボランティアで庭の掃除をしていただきました。中高年の男女20人ほどでコスモスの後片付けや草取り作業です。皆さんはボランティア活動で定期的にあちこちの寺を掃除しておられるようで、手馴れた作業らしく1時間ほどで手早くきれいに仕上げられたのには感心しました。

実は今週は火曜日にもボランティアがありまして、こちらは若者3人で土運びや溝掃除と言った力仕事をしていただき本当に大助かりでした。これから1ヶ月かけて寺のスタッフ3人だけで大片付けをやらなければと構えていたところでしたからどちらも有難かったです。ボランティアの皆様ありがとうございました。

〔俳句〕

「水仙の 葉先までわが 意思通す」 朝倉和江

「掛筒の 水仙にほふ 目覚かな」  梅原悠紀子

「水仙の 香の強さ増す 真夜ひとり」 丹羽杏華

〔和歌〕

「ゆふ日うつる そとものもりの うす紅葉

さびしき色に 秋ぞ暮れ行く」

光明院・風雅689

「夕日の映える、家の裏手の森の薄い紅葉の、そのさびしい色の中に、秋は暮れて行くよ。」

〔釈教歌〕

「六つの道 よつのちまたの くるしみを

いつかかはりて たすけはつべき」

行円上人・玉葉2637

「六道四相のという、衆生の苦しみを、いつになったら私は彼らに代わって救済し、衆生すべての仏法悟入に導くことができるだろうか。」

  よつのちまた=四相。万物の変化を示す四種の相。

生・往・異・滅。また衆生が妄りに実在を信ずる四種の相。我・人・衆・寿者

・行円=身に鹿革をまとい、庶民の中に立ち交ってその救済を事としたので革聖と呼ばれた。

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2010年11月18日 (木)

般若寺水仙

花の咲く時期:12月~2月。

正確な時期はまだ予測出来ません。

〔俳句〕

「水仙へ 光まみれの 声飛んで」  坂巻純子

「水仙の 回りを刈りて より日暮」 石井則明  

「夕茜 ただよふ波に 水仙に」   大橋敦子

〔和歌〕

「秋風は 夜さむなりとも 月かげに

雲の衣は きせじとぞ思ふ」

公通・玉葉676

「秋風は夜になって寒く吹くとしても、この美しい月の姿に雲の着物は着せまいと思うよ。」

〔釈教歌〕

「こしかたは しのばるれども むつの道

めぐりし跡に かへらずもがな」

鷹司基忠・玉葉2636

「今まで生きて来た過去はなつかしく思われるけれども、さればといって、六道転生をくりかえして来たその昔に帰って再びその苦を受けることなく、今度こそ極楽世界に往生したいものだなあ。」

・むつの道=六道、死後、生前の業によって輪廻せねばならぬ六つの世界。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上。人間界に生まれた時、仏法により解脱すれば、輪廻を絶って往生できる。

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2010年11月17日 (水)

花だより  11・17

奈良は遷都祭も正倉院展も終わり静かになりました。宴のあと、夢のあとのようでなんだか気が抜けたような虚脱感が漂っています。大イベントをやった奈良は来年からどうなるのか少し不安です。ある人のいわく、来年は1301年をやったらええねんがな。おっしゃるとおり。

季節はうつろいちょうど今秋から冬への境目になっています。境内を歩くと、コスモスの名残り花の下で水仙が緑の葉を伸ばし、そのむこうにすこし黄ばんだ山吹の葉が見え、その上には梅、桜、イチョウ、南京はぜ、もみじ、ケヤキなど落葉樹が黄緑から黄、赤へと毎日変身しています。

木にからまったカラスウリは真っ赤に熟しています。今年は柿の実が見えません。いつもなら野鳥が実を食べに来るころなのに。気候異変のせいでしょうか。

色づいた木や草の葉が落ちれば冬です。それまでしばしの秋を楽しみたいですね。

〔俳句〕

「水仙の 花のうしろの 蕾かな」  星野立子

〔和歌〕

「あさぎりの はれゆくをちの 山本に

紅葉まじれる 竹の一むら」

実明女・風雅680

「朝霧の晴れて行く、遠くの山の麓に、紅葉のまじった竹の一群が見えて来る。」

〔釈教歌〕

「しばの戸に あけくれかかる 白雲を

いつむらさきの 色にみなさむ」

源空上人・玉葉2635

「山中の、この庵室の粗末な柴の戸に、朝に夕にかかる白雲を、いつの日、阿弥陀仏のお迎えの紫色の雲と見なして、極楽往生できることであろう。(どうか早くそうなりたいものだ)」

・むらさきの色=紫雲の色。念仏行者の臨終に、阿弥陀仏が、二十五菩薩を従えて来迎する時、それに乗って現れるとされた、めでたい雲の色。

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2010年11月16日 (火)

花だより  11・16

11月は半分過ぎてゆきました。そして季節の移ろいを感じさせるように冬の寒さがやってきました。各地で氷点下を記録したようです。

いよいよ冬、水仙の季節到来です。と言っても花はまだまだ先です。水仙は新品種が続々と作られ今何百種とあるようですが咲く時期によって2種類に分けられます。寒咲と春咲です。12月から2月ごろ咲く寒水仙は日本水仙のように小ぶりでにおいの強いものが多いです。春水仙は4月から5月と暖かくなってから咲き、花は色とりどりで形も変化が多彩で大きく豪華です。大方がらっぱ水仙と呼ばれる種類でチューリップと一緒に公園の花壇に植えられている花です。

般若寺ではらっぱ水仙は少なく、ほとんどが日本水仙ですから冬の花です。水仙が増えたきっかけはいろんな人が持ってこられたのです。家の庭ではいくら世話をしても葉ばかり茂って花が咲かないとのことです。水仙は日当たりさえ良ければ余り手がかかりませんのにね。きっと窒素肥料(油粕)をやりすぎなのかも。彼岸花と同じで野生的な花ですから。

〔俳句〕

「水仙畑 風の穂先の 花伝ひ」 鳥越すみこ

〔和歌〕

「おもひいれぬ 人の過ぎ行く 野山にも

秋はあきなる 月やすむらん」

定家・玉葉646

「深く物を思わぬ人が、何の気もなく過ぎて行く野山にも、秋は秋らしく、人生の感慨を誘う月が澄んでいることだろうなあ。(自分ならそういう風景を、何も思わず眺めることはできないだろうが)」

〔釈教歌〕

「こぎゆかん 波ぢの末を おもひやれば

うき世の外の 岸にぞ有りける」

明恵上人・玉葉2634

「(法の端舟に乗って)漕いでいくであろう、波また波の末をどこかと思いやってみたら、それは悩み多い現世を離れた彼岸の、仏の国であったよ。」

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2010年11月15日 (月)

花だより  11・15

コスモスの花はもう終わったことになっているのに、まだけっこう花が残っています。殊に後植えの苗がいま花盛りです。植えてある場所は3ヶ所だけですが、周りが枯れ枝ばかりになっていく中でよく目立つようになりました。貴重な花です。やっぱり霜が降りるまで咲き続けるんですね、コスモスさん。きれいな花を長く見せてくれてありがとう。そのほかサフラン、野紺菊、ほととぎすも花が少なくなった庭に色どりを添えています。

〔俳句〕

「水仙に 鏡のごとき 塗机」 勝本昌子

〔和歌〕

「月をまつ くらきまがきの 花のうえに

露をあらわす 夜ゐの稲妻」

徽安門院・風雅577

「月の出を待っている、暗い垣根の秋の草花の上に置く露を、瞬間、きらりとあらわす、宵の稲妻よ」

〔釈教歌〕

「あきらけき 法のともし火 なかりせば 

心のやみの いかではれまし」

選子内親王・玉葉2632

「明るい燈のようにはっきり人を導いて下さる、仏法という光がもしなかったなら、迷い深い人間の心の闇は、どうして晴れる事があるだろうか。(思えば仏法のありがたさよ)」

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2010年11月14日 (日)

水仙のこと

グーグルで「水仙の寺」を検索すると昔から名が知られているのは鎌倉の瑞泉寺と般若寺ぐらいです。意外と無いんですね。水仙名所は全国に多数あり、各地が何百万本と数を競っています。水仙名所はだいたい町から遠いところが多く、観光としては他に見るべきものも無く、つまり水仙による村おこしなんですね。でもそれだけの水仙があれば壮観で匂いにむせ返りそうです。寺の水仙はどことも少ないです。多くて数万本ていどです。もともと仏様にお供えする花として植えられているのだと思います。しかし寺に咲く花は絵になります。鎌倉の瑞泉寺へは一度だけ行ったことがあります。そのころ夢窓疎石が作庭した庭園の発掘調査がなされていました。自然の岩場を利用した豪快な庭であったと記憶しています。花の時期は外れていましたが、その庭に水仙が咲くと教えられました。寺の庭ですからそんなに大量ではありません。でも鎌倉特有の濃い緑の中で白い花が映え絵になるのでしょうね。

今のところ京都奈良の寺には水仙の寺は般若寺が唯一つのようですから、もっとがんばって世に出して行きたいと思っています。東の瑞泉寺、西の般若寺と言われるほどになればいいなあと夢を膨らませています。みなさまのご声援をお願いします。

〔俳句〕

「水仙に 光微塵の 渚あり」 水原秋桜子

〔和歌〕

「初瀬山 ひばらがあらし かねのこゑ

夜ふかき月に すましてぞ聞く」

為子・玉葉644

「初瀬山の、檜原を渡る嵐、古寺の鐘の声を、夜更けの月に照らされた、澄み切った雰囲気の中で聞くよ。」

〔釈教歌〕

「なにしほはば わが世はここに つくしてん

仏のみくに ちかきわたりに」

花山院・玉葉2631

「その名にふさわしい場所であるなら、私の一生はここにとどまって終わろうよ。仏の御国が近いあたりだという名の、三国の渡りに。」

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↑サフラン

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2010年11月13日 (土)

予告: 来年の「初夏に咲くコスモスの花」は

 ・花の時期: 5月下旬~7月上旬

 ・花の本数: 3万本

  満開は6月中旬から  の予定です。

 

初夏のコスモスは秋とはまた違った趣があります。葉っぱが青々として瑞々しいです。お楽しみに。

〔俳句〕

「其のにほひ 桃より白し 水仙花」 松尾芭蕉

〔和歌〕

「うちそよぎ 竹の葉のぼる 露ならで

月深(ふ)くるよの またをともなし」

実明女・風雅601

「さやさやとかすかな音を立てて、竹の葉の縁を伝って葉先にのぼる露以外に、月の光の中に更けて行く夜半、他に全く音もない。」

〔釈教歌〕

「かくばかり うけがたき身に つもる年の

くれやすき日の 影ぞかなしき」

詠者不明・玉葉2630

「こんなにも、又遇いがたい人間界に生をうけた身に、何年も年が積るのに、仏法を学ばず空しくすごして、早くも一生が終わろうとする夕日の光の悲しさよ。」

↑アメリカキミガヨラン

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↑サフラン

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2010年11月12日 (金)

「水仙のこと」

日本国内には古来の水仙群生地があります。房総半島、伊豆半島、越前海岸、淡路島などは古くからの自生地です。外来でありながらどうして自生しているのか疑問ですが、その地が海沿いばかりであるところから、一説には海流に乗って漂着しその地に定着したのだろうと推測されています。

地中海からシルクロードを運ばれさらに海流に乗って日本列島までたどり着くとは、壮大なドラマ、歴史をもっているんですね。

水仙はヒガンバナと同じように毒があります。特に球根に強い毒があるそうです。その毒素はリコリンとシュウ酸カルシウムです。食べると強い腹痛を起こし、量が過ぎると死ぬそうです。でも昔は飢饉のとき非常食で食べたようで、数日水に晒しておくと毒が消えるようです。おいしいんでしょうか。

〔俳句〕

「水仙の 花の高さの 日影かな」 河合智月

〔和歌〕

「空きよく 月さしのぼる 山のはに

とまりてきゆる 雲の一村」

永福門院・玉葉643

「空は清く澄んで、今しも月の昇って来る山ぎわに、ちょっと止まってたゆたい、やがて消えて行く雲の一むらよ。」

〔釈教歌〕

「かくてしも あるはあるにも あらぬ世も

すてんとすれば またぞかなしき」

慶政上人・玉葉2629

「こうして生きていても、何の生き甲斐があるというわけでもないこの世でも、いざ捨ててしまおうと思えばまた悲しくて捨てかねることよ。」

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↑ノコンギク

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↑ホトトギス

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↑コゲラ

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2010年11月11日 (木)

「水仙のこと」

水仙の英語名はnarucissusナルキッサス、ナルキッソス、ナルシサスでギリシャ神話に由来する。美少年ナルシサスは泉の水面にうつる美しい自分の姿に恋をしてそこから離れられなくなりやせ細って死んでしまった。そのあと泉のほとりに水仙の花が咲いていた。またはナルシサスはそのまま水仙の花になってしまったとも言う。それで水仙の花は美少年のように、自分の姿に見入っているように下を向いて咲いているのだという。ナルシスト、ナルシシズムの語源である。

〔俳句〕

「水仙や 白き障子の とも映り」 松尾芭蕉

〔和歌〕

「ほに出でて まねくとならば 花すすき

過ぎ行く秋を えやはとどめぬ」

教長・風雅706

「目に立つ程はっきりと穂を出して、招くように風になびくのならば、花薄よ、過ぎて行く秋をどうして招き止める事ができないのか。(止めてくれたらいいじゃないか)」

  まねく=花薄のなびくさまを人が手招きするさまに見立てる。

〔釈教歌〕

「有為の世は いづらつねなる 草の葉に

むすべる露の 風まつがごと」

僧正善珠・玉葉2628

「因縁によって生じた仮の世は、どこに常住不変のものがあろうか。草の葉に凝った露が、吹き散らす風を待っているような、そんな僅かの間の存在にすぎないのだ。」

・有為=因と縁の和合によって生じた、現象としての存在。無為(生滅変化する事のない真理)の対。

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2010年11月10日 (水)

コスモス寺花だより  11・10

今朝はすこし寒い。秋は深まり草木は装いを変えてゆきます。

今日からしばらく水仙のことを書きます。

水仙は地中海沿岸が原産。シルクロードを運ばれ中国に至り、日本へは平安時代末期に中国からもたらされたそうです。

漢名の「水仙」は「仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」という古典に由来する。美しい花の姿とかぐわしい香りが「仙人」のようであるところから命名された。別名「雪中花」ともいう。

〔俳句〕

「水仙や 寒き都の ここかしこ」与謝蕪村

〔和歌〕

「雲たかき ゆふべの空の 秋風に

つらものどかに わたる雁がね」

伏見院・玉葉586

「雲が高く浮ぶ、夕暮の空を吹く秋風の中を、列をなして行く様子もいかにも悠々と、渡って行く雁の群れよ。」

〔釈教歌〕

「山鳥の ほろほろとなく こゑきけば

ちちかとぞおもふ 母かとぞおもふ」

行基菩薩・玉葉2627

「山鳥のほろほろと鳴く声を聞くと、あれは父の声だろうかと思い、また母の声だろうかと思うよ。」

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2010年11月 9日 (火)

コスモス寺花だより 11・9

コスモスの花はほぼ終わり、枯れ枝のしたから水仙が芽を出し葉を伸ばしています。水仙は冬の間活発に成長し、花を咲かせ球根を大きくします。そして球根を増やし増殖します。花が終われば5月ごろ葉を枯らし夏の休眠に入ります。どんなに暑くても影響ありません。地表に転がっていてもいいのです。土さえあれば根を下ろしそこに定着します。放置しておいてもどんどん増えます。繁殖の原因として球根に毒があり動物は食べないことがあると思います。

〔和歌〕

「吹き分くる 竹のあなたに 月みえて

まがきはくらき 秋風の音」

祝子内親王・風雅582

「(秋風が)高く茂った竹を吹き分ける、その向こうに、昇って来る月が折々見えて、下の垣根のあたりはまだ暗く、秋風の音だけが聞える。」

〔釈教歌〕

「なにもみな いとはぬ山の 草木には

阿ノク菩提の 花ぞさくべき」

天人が性空上人に授けし歌・玉葉2626

「何物も皆受け入れ、厭わず繁茂させる山の草木には、この上なく美しい花が咲くように、住する者すべてを受入れて教化する書写山では、無上平等円満の悟りという、すばらしい成果が得られるでしょう。」

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2010年11月 8日 (月)

コスモス寺花だより  11・8

今日でコスモスの花は終了いたします。

花はまだ2・3分残っていますが、これから後片付けに取り掛からなければなりませんので終わりを宣言いたします。

そして次の花は冬の水仙です。水仙は1月から3月初めまでの花で年によっては12月から咲くこともあります。花は地味ですが匂いは抜群で境内へ入った瞬間、ぷーんと芳香が漂います。般若寺に咲く水仙はほとんどが昔からの「日本水仙」、近年増えているのがチャフルネスという「匂い水仙」で花は複弁です。地植えが1万本、鉢植えが5千本ほどあり、観音石仏の近くに植えられています。正月、新春を飾る花です。「初春に においかぐわし 水仙の花」

花のない季節の貴重な花です。

〔和歌〕

「さをしかの 声きく時の 秋山に

またすみのぼる 夜はの月かげ」

藻壁門院少将・玉葉570

「牡鹿の声を聞く時節の秋山に、更に風情を添えて、澄み切った光を放ちつつ中天に昇る、夜半の月影よ」

〔釈教歌〕

「さきにたつ 人のうえをば ききみずや

むなしき空の けぶりとぞなる」

地蔵菩薩が夢に詠む歌・玉葉2625

「先立って逝った人の事を、聞き、見た事はないのか。誰も皆、空しい空の煙となってしまうのだ。」

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2010年11月 7日 (日)

開花情報  終わり近し・三分ていど咲き残る

いよいよ花の終わりが近づいてきました。

8月から始めたこの「開花情報」は花とともに終了したいと思います。2ヶ月あまりの連載が途絶えることなく続けられたのはひとえに読者の皆様のおかげです。当初少なかったアクセスは徐々に増えてゆき、多いときは400人をこえた日もあり大変励みになりました。花情報の他、むつかしい和歌や俳句にもお付き合いいただき本当に有難うございました。私にとってもいい勉強になりました。

コスモスの「開花情報」は本日にて終了したしますが、引き続き「般若寺よもやま」という題で般若寺の花だより、できごと、法語、和歌、釈教歌などを載せていきたいと思います。これから来年にかけて《水仙》《山吹》《初夏咲コスモス》など色々な花が咲きます。そのつど花情報を出したいと思います、よろしく。

〔和歌〕

「なにとなく 物がなしくぞ みえわたる

鳥羽田のおもの 秋の夕暮」

西行法師・風雅566

「何が特に、ということなしに、すべての景色が皆物悲しく見えてしまうよ、鳥羽の田園地帯一帯の、秋の夕暮よ。」

・鳥羽田=山城の歌枕。鳥羽のあたりの広大な水田地帯。

〔釈教歌〕

「花ごろも かざらき山に 色かえて

もみぢのほらの 月をながめよ」

素意法師に粉河観音が示す歌・玉葉2623

「花のように飾った俗世の衣を、かざらき山(粉河寺)で出家して墨染めの色に変え、紅葉の洞(多武峯)で解脱して真如の月を眺めるがよい。」

  かざらき山=風猛山。粉河寺の後山。山号。「飾ら」をかける。

  もみぢのほら=多武峯(倉橋山とも)の異称。

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2010年11月 6日 (土)

開花情報  散り始め・花は満開時の3・4分ていど咲く

コスモスの花は日に日に終わりに近づいています。いつ終了を告げようかと待っている状態です。今年はいつもに比べ変化の大きい年でした。9月の高温のため開花は遅れ、満開は10月半ばでした。しかし台風は一度もなかったので花が痛められることもなく、11月まで咲き続けました。10月には恒例の「コスモス花あかり」「秘仏公開」も順調に終えることができ、安堵しています。この秋の経験を生かし、来年もいっそう美しい花を咲かせてゆきたいと気を引き締めています。「歴史ある花と仏の淨刹」の名に恥じない寺をめざします。

〔和歌〕

「あき風に もとあらの小萩 露おちて

山かげさむみ 鹿ぞなくなる」

家隆・玉葉553

「秋風が吹くと、根元のすいた小萩の枝から露が落ちて、山陰の寒さに、鹿が鳴いているようだよ。」

〔釈教歌〕

「いかにせん 日はくれがたに なりぬれど

西へゆくべき 人のなき世を」

清水寺夢告・玉葉2622

「ああ、どうしたらよかろう。日が暮れ方になるように、世は末世になってしまったのに、西方浄土へ行こうと志す人のない、この情けない世の中を。」

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2010年11月 5日 (金)

開花情報  散り始め・花は満開時の半分ていど咲く

朝はけっこう寒いです。晴れたときほど冷え込みます。花や葉っぱに露が降りてきらきらと輝いていました。ようやく天気も安定して深まりゆく秋の空気が充満しているようです。

コスモスは最後の秋を楽しむように大きな花を咲かせています。10月に植えた最後の苗は背丈は50センチから1メートルぐらいで花をつけ、葉が青々としています。霜が降りるまでの花爛漫です。

〔和歌〕

「声たつる 軒の松風 庭のむし

ゆふぐれかけて 月やもよをす」

伏見院・風雅578

「声を立てる、軒の松風よ、庭の虫よ。もう夕暮れになったよ、と告げて、月の出を誘いうながすのだろうか。」

  かけて=口に出して言って。(夕暮れだよと)告げて。

  もよほす=催促する

〔釈教歌〕

「極楽へ む(う)まれむとおもふ 心にて

南無阿弥陀仏 といふぞ三心」

岩清水社夢告・玉葉2621

「極楽に生まれたいと思う、その一念でひたすら〔南無阿弥陀仏〕と唱える、それこそ御仏の教えの三心にかなった事なのだよ。」

  三心=浄土に生まれるために具えねばならない心、

至誠心・深心・回向発願心(観無量寿経)、または

至心・信楽・欲生の三心(大無量寿経)。

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2010年11月 4日 (木)

開花情報  散り始め・花は満開の半分ていど

何度も来られている人は「だいぶ減りましたなあ」と残念そうに言い、初めての人は「わあきれいやなあ」と歓声を上げられます。もう終わっていると思ってこられた方は意外に花が残っているのに感心しておられます。今年の花はいつも通りではないのですね。でもあと一週間でしょうか、花が見られるのは。そろそろ枯れ枝をかたづけていかないと冬の水仙の準備ができません。枯れ草の中から水仙の葉が伸びています。早ければ12月から咲き出します。

「白鳥が 生みたるものの ここちして

朝夕めづる 水仙の花」

与謝野晶子

〔和歌〕

「八重葎 秋のわけいる 風の色を

われさきにとぞ しかはなくなる」

定家・玉葉551

「八重にも茂った雑草を、人間ではなく秋が分け入るかのように吹き分ける風の様子を見て、自分こそ先に分け入って妻を求めようとばかり、鹿は鳴いているようだよ。」

〔釈教歌〕

「弥陀たのむ 人はあま夜の 月なれや

雲はれねども 西にこそゆけ」

真如堂夢告・玉葉2620

「阿弥陀仏を信仰する人は、雨夜の月と同じだなあ。雲が晴れず、光は見えないが、ちゃんと西に行くのだ。(業障にさまたげられているようでも、必ず極楽往生できる)」

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2010年11月 3日 (水)

開花情報  散り始め・半分ていど残っている

今日は文化の日。文化=culture・耕されたところ。当寺ではこれからの毎日が文化の日(cult)となります。

今日の奈良は芸術の秋で美術館、博物館、拝観寺院、何れも大盛況となるでしょう。

般若寺でも先月24日に終了した秘仏公開を臨時に開催します。本日は花と仏さまの競演です。

コスモスは全体には少しうらぶれた感じもしますが、個々の花を見ると満開時と変わりなく充分きれいです。写真はアップで撮るのがおすすめです。

〔和歌〕

「いなづまの しばしもとめぬ ひかりにも

草葉の露の 数はみえけり」

為秀・風雅573

「稲妻の、ほんの少しの間もあとをとどめない、瞬間的な光にも鋭敏に反射して、草葉に置いた沢山の露の、その数の程は、よみとれることだなあ。」

〔釈教歌〕

「谷川の このはがくれの む(う)もれ水

ながるるもゆく したたるもゆく」

岩清水社夢告・玉葉2619

「谷川の、落ち葉の下にかくれた目につかない水は、流れるのも、雫になって垂れるのも、同じ所へ行くのだ。(念仏は数多く繰返しとなえるのも、ゆっくり一回づつとなえるのも、別に変りはない)」

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2010年11月 2日 (火)

開花情報  散り始め・花は半分ていど咲く

今日はやっと晴れ間が戻りましたがすこし寒いです。

きのうは雨の合間に、NHKの番組制作で長い撮影がありました。一つは「やまとの国宝」シリーズで般若寺の楼門を取り上げていただきます。そしてもう一つは「歴史秘話ヒストリア 藤原頼長」です。頼長終焉の地として紹介されるようです。放送はだいぶ先のことだろうと思います。それから「美の壷」からもお話があります。今年の秋はテレビづく秋です。

コスモスはだんだん忘れられていきますが花はまだ咲いています。

〔和歌〕

「露けさの 袖にかはらぬ 草葉まで 

とはばや秋は 物やおもふと」

鷹司基忠・玉葉547

「露にしっとりとぬれた点では私の袖と変らぬ草葉にまでも、聞いてみたいものだ、秋になるとお前も物思いをするのかと。」

〔釈教歌〕

「しほ(を)りせで み山のおくの 花を見よ

たづねいりては おなじ匂ひぞ」

岩清水八幡社夢告・玉葉2618

「他人の案内を頼らないで、自分で分け入って深山の花を見るがよい。尋ね当ててみれば、どの方向から入って行っても花は同じ匂いだとわかるだろう。(信仰の形態や学識は異なっても、到達する悟りは同じだ)」

* 岩清水八幡社の本地は阿弥陀仏

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2010年11月 1日 (月)

開花情報  散り始め・花は半分ていど咲く

昨夜は大雨でこの秋一番の雨量だったそうです。今日もまだどんよりした曇り空、いまにも降りそうな気配です。

月が替わって11月、霜月です。旧暦に直せばまだ9月25日です。新と旧では一ヶ月以上もずれているんですね。まだまだ霜の季節には早いですし、そして紅葉もまだ見られません。秋まっさかりです。

コスモスの花はずい分数を減らし、満開に比べ半分ほどです。でも今年は遅く咲きだしたので、まだがんばってきれいな花を見せています。

〔和歌〕

「むしのねは ならのおち葉に うづもれて

霧のまがきに 村雨のふる」

後京極良経・風雅562

「虫の声は、深い楢の落ち葉の下に埋もれてかすかに聞え、霧の立ちこめる垣根には村雨が降っている。」

〔釈教歌〕 釈教は釈迦の教え、仏教のことです。その教えの歌。

「伊せの海の きよきなぎさは さもあらばあれ

われはにごれる 水にやどらん」

善光寺阿弥陀如来御歌・玉葉2617

「伊勢の海の清らかな渚(に宿る月)はそれはそれでよかろうが、私はむしろ濁った水に宿ろうよ。(妄執に濁った衆生の中に入って、彼らを救おうと思うのだ)」

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