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2010年12月

2010年12月31日 (金)

般若寺水仙:1月~2月  *咲きはじめ、ちらほらです

大晦日、今日で西暦2010年(平成22・仏暦2553)は終わりです。でも陰暦ではまだ1126日です。季節感覚から言えば晩秋に当ります。明治6年の新暦採用以前に詠まれた俳句や和歌の季節は約1ヵ月ずれていますので鑑賞するには気をつけなければなりません。本ブログで紹介する〔和歌〕は出来るだけ今の季節に合うように選択していますが、時には外れていることもありました、悪しからず。アジアの国々では今も旧暦を採用しているところが多いのでお正月はまだずっと先です。

今年4月から始めた本HPおよびブログに長々とお付き合い下さいまして有難うございました。まだまだ未熟ではございますが、来年も続けたいと思いますのでよろしくお付き合い願います。

皆様のご多幸をお祈りいたします、合掌。

「雪空に 鐘の音ひびく 水仙花」  仙花子

〔俳句〕

「地中海の 島のきりぎし 野水仙」  江頭文子

「雪が来て 水仙の揺れ 止みにけり」 大石芳三

「水仙の 花震へをり 雨の日に」   鎌倉喜久恵

〔和歌〕

「ことしはた 暮れぬとおもへば 今更に

すぎにし月日の おしくもある哉」

関白右大臣(二条良基)・風雅896

「今年もまた暮れてしまうと思うと、今更の事ではあるが、過ぎ去った月日が惜しく思われるなあ。」

〔釈教歌〕

「くらかりし 雲はさながら はれつきて

またうへもなく すめる月かな」

後京極摂政前太政大臣(後京極良基)・玉葉2679

「暗かった雲は、すべて消え去り晴れ渡ってしまって、全くこれ以上はない程に澄み切った月よ。(これこそ最高の仏乗の姿だ)」

  五乗の中に、「仏乗」を詠む。

  五乗=人を乗せて彼岸に到達させる五つの乗物。人乗・天乗・二乗・菩薩乗・仏乗の五つの教法。

  仏=仏乗。一切衆生を悉く成仏させる最高の教え。

  くらかりし=迷妄を払い尽くす仏乗を澄んだつきにたとえる。

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2010年12月30日 (木)

般若寺水仙:1月~2月  *咲きはじめ、ちらほらです

今年もあと二日となりました。迎春の準備で皆さんお忙しくされておられることでしょう。当寺でもそこらじゅうの大片付けにおわれています。

明日からは天気は荒れ模様のようで、お正月はこの辺でも雪になるかもしれません。風邪をひかないよう気をつけましょう。

水仙の花はまだちらほら咲で、観音石仏の前はやっと二、三輪咲き出した状態です。

水仙の花に出会いたい方は新年になってからお越し下さい。

「霜おいて 白銀に咲く 水仙や」  仙花子

〔俳句〕

「ひたむきに 生きし歳月 水仙花」  三浦澄江

「水仙の 気魄に圧され がちの日々」 大橋敦子

「黙読の 視野その中の 水仙花」   杉本美智江

〔和歌〕

「さびしさは やどのならひを このはしく

霜のうへとも ながめつる哉」

式子内親王・玉葉899

「淋しさは山里ずまいの常であるものを、木の葉の散りしいた上に置いた霜のせいででもあるかのように、つくづくとその冬景色をながめたことだなあ。」

〔釈教歌〕

「はるる夜の 雲井のほしの 数々に

きよき光を ならべてぞみる」

源親長朝臣・玉葉2678

「晴れた夜の、空の星の無数に輝く姿に、仏国土の清らかな光を並べて見ることよ。」

  無量寿経の、「厳浄国土を皆悉く観見す」を詠む。

  厳浄国土=法蔵比丘(阿弥陀仏)が世自在王仏に、諸仏浄土の有様を聞き見た場面を示す句。これにより四十八願を起こす。

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2010年12月29日 (水)

般若寺水仙:1月~2月  *咲きはじめ

昨日の続きで観音石像を奉納された寺嶋さんのことを少し書きます。寺嶋さんは山城の国相楽郡北稲八間(きたいないづま)の住人でした。この地は歴史上有名な「山城国一揆」終焉の舞台です。室町時代、応仁の乱のあと1485年(文明17)、山城一体の国人衆(三十六人衆)と農民衆が宇治平等院で盟約を結んで一揆を起こし、守護大名畠山氏の支配を排除し住民自治を勝ち取りました。しかし8年後国人衆に分裂が生じ、1493年(明応2)守護代古市氏の支配に抵抗した勢力は稲屋妻城に立て籠もり最後の砦を守りました。その翌年には衆寡敵せず、一揆の国人衆は敗れ、山城国一揆は終結を迎えました。現在、北稲八間の集落の後方に城山と呼ばれる稲屋妻城の址が残っています。

寺嶋さんは現在も御子孫が健在で、代々この地に住まわれているそうです。おそらく一揆の頃にもご先祖はこの地に居られたのだと思います。日本の歴史に名高い由緒ある地を記憶に残したいものですね。寺嶋家は般若寺においては永遠に名を留めておられます。いちど北稲八間(きたいないずま)を訪れてください。JR・近鉄祝園(ほうその)駅から北西1,5kmにあります。京都府相楽郡精華町大字北稲八間です。

「寒風に 心なごめる 水仙花」  仙花子

〔俳句〕

「水仙の 双手あげたる 迎へかな」  岡本眸

「水仙の この道をゆく ばかりなり」 伊藤多恵子

「水仙に 日の当たりゐて 花鋏」   片渕清子

〔和歌〕

「霜さむき あさけの山は うすぎりて

こほれる雲に もる日影哉」

祝子内親王・風雅761

「霜が降りて寒々とした早朝の山は、薄く霧がかかって、凍りついたように動かない雲から、一筋二筋、日光が洩れる。」

・うすぎりて=「薄霧」を動詞化した語。

〔釈教歌〕

「いつはりも まこともげには なかりけり

まよひし程の こころにぞわく」

僧正公朝・玉葉2677

「偽りというものも真実というものも、実は本当には存在しないのだ。迷っている間の心によって、そういう差別を立てるだけだ。」

・金剛般若経の、「如来の得る所、実も無く虚も無し」という、「空」という悟りの境地を詠む

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2010年12月28日 (火)

般若寺水仙:1月~2月  *咲きはじめ

西国観音霊場三十三番札所の石像めぐりは昨日で終了いたしました。33という数はやはり多いですね。主に近畿地方一円に広がり、最後の谷汲山だけが岐阜県にあります。これを巡拝して歩くというのは大変な修行です。今だったら大方は車で近くまで行くことが出来ますが、昔の人は一世一代の覚悟を決めて旅立たれたことでしょう。当寺の観音石像を寄進奉納された寺嶋さんも、病気平癒とともに西国巡礼に出られたのだと思われます。そして所期の目的、お礼参りを果たされ、そこで味わった宗教的感動を形に表されたのがこの立派な石像群です。この観音石像群は日本一の大きさだそうですが、やはり信仰の力は偉大ですね。いまや般若寺にはなくてはならない観音さまたちです、大切にお守りして後世に伝えます。

「春を呼ぶ 水仙の花と おさな児と」  仙花子

・仙花子=仙花紙、①伊予で作られた二枚合せの丈夫な和紙。

合羽や経本の表紙に用いられた。②くず紙をすき返して作った粗悪な洋紙。第二次大戦後の出版物に用いられた。

〔俳句〕

「表裏無き 水仙の葉の 振れよう」  三嶋八千穂

「潮風と 朝日に濡るる 野水仙」   稲畑汀子

「水仙の 花の白さを 見つめけり」  吉岡妙子

〔和歌〕

「草はみな 霜に朽ちにし 冬がれに

ひとり秋なる 庭のしら菊」

朔平門院・玉葉897

「草はみな霜のために朽ちてしまった冬枯れの景色の中で、ひとり秋の姿を残している、庭の白菊よ。」

〔釈教歌〕

「物ごとに おもひしとけば 跡もなし

夢さめはつる あけぼのの空」

権律師隆寛・玉葉2676

「物毎に一つ一つ考え合わせてみると、それらはすべて空で、跡形もない。それはまざまざと見た夢がすっかり覚めて仰ぐ、曙の空のようなものだ。」

  般若心経の心「色即是空 空即是色」を詠む。

  おもひしとけば=よく考えて理解してみると。

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2010年12月27日 (月)

般若寺水仙:1月~2月  *咲きはじめ

花の時期を訂正します。花は咲き始めているのですが、まだ観音石仏の前が咲いていません。あと五日で年が変わり新年を迎えるというのに、咲きそろうまで今しばらく日数が要るようです。お正月から見ごろになればいいのになあ、という感じです。

それから当寺は初詣の大喧騒とは余り縁がなくて、正月三が日でも静かな環境が守られています。大寺社のような雑踏を逃れて静かに仏様と対座し、新年の安穏を願い、新たな夢を確かめたいと思う方には最適の寺です。水仙の香りに包まれて心身ともにリフレッシュしてください。

「般若寺の 冬庭に咲く 水仙花」  仙花子

〔俳句〕

「活けられし 水仙の香に 客迎へ」  稲畑広太郎

「都恋ふる さまに打ち伏し 野水仙」 鷹羽狩行

「ほどく荷の 水仙の香と 分かる迄」 稲畑汀子

〔和歌〕

「入あひの ひびきををくる 山風に

もろき木の葉の をとぞまじれる」

権大納言公宗・風雅757

「入逢の鐘の響をのせて吹いて来る山風の中に、力弱く散り落ちて舞う、木の葉の音がまじって聞える。」

〔釈教歌〕

「夕暮の 空にたなびく うき雲は

あはれわが身の はてにぞ有ける」

小弁・玉葉2675

「夕暮の空にたなびいている浮雲は、ああ、私の亡くなった後の姿そのものなのだよ。」

  維摩経の心を詠む。維摩詰所説経は在俗の維摩居士と仏弟子らの問答の形で、大乗仏教の究極の真理、不二法門を説く。

  夕暮の=維摩経の十喩の一、「是身如浮雲須ユ変滅」(方便品第二)の意を詠む。

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第三十三番 谷汲山 華厳寺 十一面観音

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2010年12月26日 (日)

般若寺水仙:12月下旬~2月  *咲きはじめ

今朝も冷え込み、お堂の屋根が雪が積もったように白くなっていました。雪ではなく霜でした。こんなに真っ白になったのはこの冬では初めてです。

 水仙の花は日に日に増えています。でも一気には咲きません、冬の花らしくゆっくり、おしとやかに咲いて行きます。

葉の落ちた木々の間に赤い実が目立つようになって来ました。南天、カナメ、万両、カラスウリ、そして山吹の緑の軸にからんだへくそかずらも茶色い実が鈴なりです。

これぞ冬景色ですね。

「水仙花 心の中に ぬくもりを」

〔俳句〕

「真摯なる 心にうたれ 水仙花」  矢嶋みつ江

「はるかなる 雲は天才 水仙花」  神蔵器

「水仙や 向き合う暮し 取り戻す」 井内佳代子

〔和歌〕

「山川の 岩まにつもる 紅葉葉は

さそふ水なき ほどぞ見えける」

一条実経・玉葉887

「山川の岩の間に散り積った紅葉を見ると、小町の歌ではないが、誘って行く水のない有様が知られるよ。」

  参考歌

「わびぬれば 身をうき草の 根をたえて

さそふ水あらば いなんとぞ思ふ」小野小町(古今938

〔釈教歌〕

「よそぢあまり なをしのびける ことのはを

いまはとちらす わしの山風」

法印猷(ゆう)円・玉葉2674

「釈尊が成道以来四十年余り、多くの説法の中でもなお説く事を控えておられた法華経の言葉を、今はその時が来たとばかり、山風が木の葉を散らすように、広く世に示された、霊鷲山の説法の尊さよ。」

・無量義経の「四十余年未顕真実」の心を詠む。大乗無量義経。法華三部経の一、開経(序説)。

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第三十二番 山 観音正寺 千手千眼観世音菩薩

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2010年12月25日 (土)

般若寺水仙:12月下旬~2月  *咲きはじめ

寒い日です。小雪が冷たい風に舞い、睡蓮の水鉢にはった氷が一日とけませんでした。

今日は当寺の御本尊文殊菩薩の今年最後のご縁日、いつも通り午後一時半よりお勤めをしました。さすがに寒かったです。こういう日は読経の声も引き締まります。これで後は大晦日とお正月を迎えるだけです。おっと、仏様にお供物と花を供えることを忘れてはいけませんね。私の歳のせいか、世間の不況のせいか、段々お正月の気分が希薄になってきました。

有名な一休さんの歌の境地が分かるような気がします。

「門松は 冥土のたびの 一里塚

めでたくもあり めでたくもなし」

「水仙の 花咲きおりて 春をまつ」

〔俳句〕

「水仙を たっぷりさして 母とをり」  松岡映子

「店先に 水仙を置く 八百屋かな」   鎌倉喜久恵

「水仙の 香を囲む距離 ありにけり」  稲畑汀子

〔和歌〕

「神がきの もりの木の葉は 散りしきて

おばな残れる かすがのの原」

院兵衛督・風雅755

「春日神社境内の、森の木の葉はすっかり地面に散りしいてしまって、尾花だけが枯れて残る、春日野の原よ。」

〔釈教歌〕

「春の雨 秋のしぐれと 世にふるは

花やもみぢの ためにぞありける」

光俊朝臣・玉葉2673

「春の雨、秋の時雨が季節のものとして世間に認識されるのは、花を咲かせ紅葉を染めるためである。(本来は一つの雨であり、何の変りもないのだ)」

  詞書「諸仏が世に出現されるのは、衆生を生死の悩みから救って涅槃に入らしめる為ではない。生と死が対立する二元的なものであるとする迷いから救って、生死と涅槃とはいかなる差別もなく、生死即涅槃、本有常住であると悟らせるためである」 出典未詳。

  世にふる=「世に経る(世間に存在する)」意と、世間に雨が「降る」意をかける。

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第三十一番 姨騎耶山 長命寺 千手十一面聖観音↑

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サザンカ↑

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2010年12月24日 (金)

般若寺水仙:12月下旬~2月  *咲きはじめ

きのう載せました仏さまは地蔵菩薩です。昭和39年に重要文化財十三重石宝塔が解体修理を施された時、下から四重目の笠石(五重目の軸石と同石)の納入穴に発見された白鳳の阿弥陀如来の台座部分に和紙で包んで納入されていた胎内仏三体の内の一尊です。大きさは9cmです。木造の岩座の上に置かれた蓮華座に立ち、右手に金銅製の錫杖を執り、左手には宝珠を載せておられ、頭の後ろには円光光背を取り付けています。一木造りの材は紫檀のようで少し黒味がかっています。お顔は目と口が絵の具で描かれています。そして衣は前も後ろもキリ金細工により文様を作り出しています。その精緻な細工と色の鮮やかさには驚かされますが、これが平安時代の作とあれば奇跡に近い保存状態です。

石塔建立から約800年間ほぼ密封状態で守られたからこそ今に伝わった秘仏です。しかし昭和の大修理からもう46年たちました。その場に立ち会った人はもう多くはおられません。体内仏が白鳳仏から取り出されたとき、実は今よりもっと鮮明な色彩を持っていたように記憶しています。岩座は緑青、頭は群青、お顔はもっと明るい肌色であったこと、全体に新鮮な色合いであった様子が今でも目に焼きついています。岩絵の具は光と空気によって風化が進むのでしょう。古いものは人の目に触れたときから消滅の道を歩むのかもしれませんね。これからも大切にお守りしていきます。

猶、お地蔵様が石塔に納められた由来について何か手がかりがあればいいんですが今のところ不明です。

「水仙が 仏の庭に 咲きたるや」

〔俳句〕

「シャク立つる 葉に水仙の すくと立つ」  大橋敦子

「水仙の 琴線を張り つむるかな」  安達風越

「香をほどき 初むは夜明の 野水仙」 稲畑汀子

〔和歌〕

「おちつもる この葉ばかりの よどみにて

せかれぬ水ぞ したにながるる」

平宗泰・玉葉886

「落ち積る木の葉だけが流れずに淀んでいて、せき止められぬ水は、木の葉の下を人目に立たず流れて行くよ。」

〔釈教歌〕

「こをおもふ 心のやみを てらすとて

けふかかげつる 法のともし火」

一条実経女・玉葉2672

「亡き母が子を思って成仏しかねているであろう、その親心の闇を照らすために、今日こうして法燈をかかげ、写経供養いたしました。(どうかこの供養の力で、成仏して下さい)」

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第三十番 厳金山 宝厳寺 千手千眼観音↑

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カラス瓜↑

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2010年12月23日 (木)

般若寺水仙:12月下旬~2月  *咲きはじめ

いよいよ咲き出しました。きのうの雨でいっぺんに咲いたのでしょうか。まだ10本余ですが、ずい分待たされたので貴重な花です。一面に咲きそろうのは1月になってからだろうと思います。

まずは一安心です。今年の開花はやっぱり少し遅いのでしょうね、年によっては今頃満開のときもありますから。

きのう写真家の桑原英文さんが先日撮影された秘仏胎内仏のフィルムやデジタル画像を持ってこられました。寺ではまだ使用用途を決めていませんがとてもきれいな画像なのでここに一枚だけご披露いたします。あまりにも小さいからか肉眼では見づらいので少し拡大して写真を展示するつもりです。最近は仏像写真を気軽に印刷物に載せられる事が多いです。しかしあくまで信仰の対象ですから粗末にならないように気を使わなくてはなりません。じっくり考えて活用したいと思います。来年の秘仏公開には何かが出来上がっているでしょう、お楽しみに。

「朝霜に 水仙の葉が 銀細工」

〔俳句〕

「ちひろ画の 少女のいたり 野水仙」  芦川まり

「身の軽き 日や水仙を 束活けに」  稲田節子

「潮の香を 海に返しぬ 野水仙」   稲畑汀子

〔和歌〕

「こころして 風ののこせる もみぢ葉を

たづぬる山の かひにみるかな」

四条太皇太后宮下野・風雅750

「ちゃんと心づかいをして、風の残しておいてくれた紅葉葉を、わざわざ山の中まで尋ねて行った甲斐があって、山峡で観賞する事ができたなあ。」

・かひに=「山峡に」の意に「甲斐があって」の意をかける。

〔釈教歌〕

「春にあふ 花もいまこそ にほひけれ

よそぢあまりの わしの山風」

前大僧正公什・玉葉2671

「年々の春にめぐり逢って咲く花も、今こそ真にすぐれた香に匂うことだよ。四十年あまり説法を続けて来られた釈尊が、最後に最深の法華経をお説きになる、霊鷲山から吹きおろす山風につれて。」

  花=法華経を暗示する。

  よそぢあまり=無量義経に、釈尊が三十五歳で成道ののち四十余年にわたり、華厳経・阿含経・方等経・般若経を説き、最後に法華経を説きあらわした事をいう。

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第二十九番 青葉山 松尾寺 馬頭観音↑

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2010年12月22日 (水)

般若寺水仙:12月下旬~2月  *つぼみ

行って来ました、弘法さんへ。案の定すごい人出、いっぱいの出店、どこをどう歩いているのか分かりません。でもやっと大師堂へたどり着きました。大師堂は背の低い建物ですが、結構大きなお堂で国宝建造物です。お大師様は北面に、南面にはお不動様がまつられ、ご命日なので護摩を修法されていました。どの場所でも大勢の人で、お百度を踏む人や堂内で一心にお経を唱える人、石の亀をなで回す人など大師信仰の本場らしく、その場にいるだけで霊験あらたかな心地に浸ることができました。

お店回りをしていると空模様が怪しくなったのか、早々と仕舞をしているところが増え、もう終わりかなとあきらめてある店を覗くと、隣の人が値踏みをしてとりやめた品があり、店主に確かめると千円でいいというので馨子(おりん)を買いました。馨は割れたのを修理してあるので音が鳴るか心配でしたが柔らかないい音です。台と座布団も付いていて撞木だけが足りません。これで千円とは安いです。古めかしいので寺で使うには持って来いです。

他にも欲しい物が沢山あったのですが高かったのでやめました。つかれました。

「底冷えの あしたに咲くや 水仙花」

〔俳句〕

「水仙の 揺れはおのづと 風まかせ」  石川元子

「花終わり 水仙の葉を 一束に」   亀井香草

「みんなみの 絵手紙水仙 香り立つ」 芦川まり

〔和歌〕

「龍田川 ながるる水も このごろは

ちる紅葉ゆえ おしくぞ有りける」

後宇多院御製・玉葉884

「ここ、龍田川では、平生は別に何とも思わず見ている流れる水も、初冬のこの頃は、川面に散り浮いて水と一しょに流れ去ってしまう紅葉のために、大変名残惜しく思われるよ。」

〔釈教歌〕

「のりの花 ちらぬやどこそ なかりけれ

わしのたかねの 山おろしの風」

前大僧正慈鎮・玉葉2670

「法華経という美しい花の花びらが散って来ない家はないのだよ。霊鷲山から吹きおろす、教えの風に乗って。」

  仏が宿王華菩薩に法華経薬王品を与え、仏の滅度後にこれを宣べ伝え、広く流布せしめる事を命じた[広宣流布]を詠む。

  のりの花=妙法蓮華経を和らげていう。

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第二十八番 成相山 成相寺 聖観音↑

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2010年12月21日 (火)

般若寺水仙:12月下旬~2月  *つぼみ

朝方は霧が出ました。今日は晴れから雨になるようです。しまい弘法は何とか晴れそうで東寺には大勢の人出が予想されます。

それに比べこちらの当寺は今、景色も人も冬枯れ状態です。きのうの参詣者は7人、これからしばらく一ケタ台が続くと思われます。

早く水仙が咲いてくれたらなあ、とため息をつくばかり。

「やわらかき 光とともに 水仙花」

〔俳句〕

「水仙の 蕾ふくらむ 月あかり」  戸栗末広

「水仙の 束抱いて身の 透けてきし」 柴田佐知子

「水仙が 待合室の 人気者」  松田克行

〔和歌〕

「むらむらに 小松まじれる 冬枯の

野べすさまじき 夕暮の雨」

永福門院・風雅746

「あちこちに、小松のまじっているのが目立つだけの冬枯れの野を、一層淋しく味気ないものにして降る、夕暮の雨よ。」

〔釈教歌〕

「いくかへり くるしき道を すぐしきて

むかしの杖に 猶かかりけん」

寂蓮法師・玉葉2669

「常不軽菩薩は、一体何回、苦しい礼拝の行をして歩いて、昔から同じように杖で打たれながら、[汝は当に仏と作るべし]と説き続けて来たのだろう。」

  いくかえり=常不軽菩薩が、多年、比丘比丘尼らを見るとそこに行って讃嘆礼拝し、かえって悪口され杖で打たれても止めなかったという法華経不軽品の大意を詠む。

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第二十七番 書写山 圓教寺 如意輪観音↑

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2010年12月20日 (月)

般若寺水仙:12月下旬~2月  *つぼみ

あしたは「しまい弘法」、空海弘法大師が御入定(にゅうじょう・真言宗では入滅とは言わず、永遠の禅定に入られたと言います)されたご命日の一年の最後の月にあたり、真言宗では各寺院で法要があります。中でも京都の東寺では所狭しと、千軒以上の露天が出て大変にぎわいます。昔は正月用品の店が多かったのですが、今ではアンティークブームのせいか、骨董品を初め古いものなら何でも売られています。掘り出し物を求めてマニアの人が大集合されます。皆さん何を買っておられるのか、そして値段の交渉を見るだけでもけっこう楽しいですね。

「枯葉舞い 水仙の花 ゆらゆらと」

〔俳句〕

「水仙の 香りが留守の 家守る」  柴田正子

「水仙を 挿してそっぽを 向かれゐて」窪田佳津子

「生花の 留めの水仙 灯に匂う」  鵜飼紫生

〔和歌〕

「霜のしたの おち葉をかへす こがらしに

ふたたび秋の 色とみるかな」

平貞房・玉葉882

「霜の下になっていた落葉を吹きかえす木枯によって、積った下にかくれてまだ朽ちていなかった紅葉が表面にあらわれ、再び秋の色を見ることよ。」

〔釈教歌〕

「いでいると 人はみれども よとともに

わしのみねなる 月はのどけし」

前大納言公任・玉葉2668

「月の出て入るように、釈尊は世に出たのち滅度されたと人は思うけれど、実は常に変わりなく、満月が静かに世を照らすように、御仏は霊鷲山において法を説いておられるのだ。」 

  法華経寿量品を詠む。

  わしのみねなる月=霊鷲山に常にある仏をたとえる。

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二十六番 法華山 一乗寺 聖観音↑

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2010年12月19日 (日)

般若寺水仙:12月下旬~2月  *つぼみ

水仙の開花時期を訂正します。当初は12月中旬から咲くと予想していましたが、蕾がふくらんでもなかなか開花してくれません。冬の花はゆっくり咲くのでしょうか、蕾の状態で10日余もじっとしています。あちこちからのお問い合わせに、「まだ蕾です、いつ咲くかは判りません」といつもつれない返事しか出来ないので申し訳なく思っています。

今日は冬のわりに穏やかな日和でした。

「水仙に 心おだやか 花めづる」

〔俳句〕

「まっすぐな 葉の囲み咲く 水仙花」  宮本道子

「水仙の 萎ゆるも散れぬ さだめかな」 中村華好

「背を向けて 互ひにそっぽ 野水仙」  浜野愛子

〔和歌〕

「しぐれゆく ただ一むらは はやくして

なべての空は 雲ぞのどけき」

従二位為子・風雅745

「時雨を落して行く、ただ一群の雲は風に乗って過ぎ去るが、全般の空では、雲は静かに動かない」

〔釈教歌〕

「月かげの いるさへひとの ためなれば

ひかりみねども たのまざらめや」

崇徳院御製・玉葉2667

「月が山の端に入るように、釈尊が入滅なさるのは、その事すらも衆生済度のためなのだから、光を見なくとも月の存在を頼りにするのと同様、釈尊のお姿を見なくとも常に霊鷲山においでになる事を頼みにしない事があろうか。」

  法華経寿量品の心を詠む。

  月かげの=釈尊が苦海に迷う衆生を救うための方便として滅度される事を、月の入るにたとえる。

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二十五番 御嶽山 清水寺 十一面千手観音↑

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2010年12月18日 (土)

般若寺水仙:12月~2月  *つぼみふくらむ

きのうの工事中のような写真は境内の大きなケヤキの近くで根を切る作業をしていたところです。ここは寺の入口であり観音石仏の前ですから当寺にとってはだいじな玄関です。参詣者がよく写真を撮られるところです。今年ここに植えたコスモスの育ちが悪く、三回も植え替えました。初めは暑さのせいかなと思っていたのですが、何度植えてもなかなか育ちません。前にもこういうことがあって土を掘り返してみると直径10センチほどの木の根が見つかり、そこから細い根が出てびっしりと網の目状になって辺りを占領していたのです。木の根が土の養分と水を吸い上げてしまい花が育たなかったのです。その時は完全に根を除いたのに、5,6年たってまた新しい根が伸びたのです。今回は3センチほどの太さでさほど難敵ではありませんでした。根を取り除き新しく土を入れてやりました。植物は生きものですから常に生長しています。樹木と草花が共存できるようにするには人の世話が欠かせません。これで来年のコスモスは元どおり立派に咲くでしょう。

「冬枯れに ひとり春よぶ 水仙花」

〔俳句〕

「水仙花 主のをらぬ 館かな」  三崎由紀子

「針月の 匂ひこぼせり 水仙花」 柿沼盟子

「水仙の 芯の強さの 匂ひけり」 白井墨絵

〔和歌〕

「この葉ちる み山のおくの かよひぢは

雪よりさきに うづもれにけり」

惟明親王・玉葉879

「木の葉の散る、深山の奥のわずかな細道は、雪が積もるより先に、落葉でうずまってしまったよ。」

〔釈教歌〕 

「かりそめの うき世ばかりの こひにだに 

あふにいのちを おしみやはする」 

勝命法師・玉葉2666

「かりそめのこの現世だけの恋であっても、逢うという一事に命を惜しんだりするであろうか(ましてや仏に逢い奉ろうと思えば、身命を惜しむはずがない)。」

・法華経寿量品の「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず」を詠む。

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第二十四番 紫雲山 中山寺 十一面観音↑

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2010年12月17日 (金)

般若寺水仙:12月~2月  *つぼみふくらむ

きょうは一日中寒いです。気象情報では北極海の寒気団が北東アジアへ張り出し居座っているそうです。今月半ばまでは暖冬傾向にあり安心していたら、これからは寒い日が続くようです。今年は何年ぶりかの厳冬になる気配です。体調を崩さないように用心しましょう。

水仙にとっては少し寒いほうがいい環境です。花もちが良くなります。水仙は野生的な花で、厳しい自然の中で育つほうが花の白さや香りを研ぎすまされるように思います。淡路島や伊豆のような暖かい南の花より北の越前海岸の方が花は小さくとも色も香りもすてきですね。

「水仙の 花を飾れる 年の暮れ」

〔俳句〕

「水仙の 凍れる花に 夜明けたり」  伊丹さち子

「水仙の 匂ひも描く つもりなり」  泉田秋硯

「水仙の ひとかたまりの 匂ひかな」 黒川悦子

〔和歌〕

「月のすがた 猶有明の むら雲に

ひとそそきする しぐれをぞみる」

永福門院・風雅739

「月の姿が、今なお白い光を保っている有明方の村雲の下に、さっと一しきりそそぐ時雨を見ることだ。」

〔釈教歌〕

「世々をへて 名をだにきかで すぐしこし

法にうれしく あひみつる哉」

大蔵卿行宗・玉葉2665

「何代もの間、その名をさえも聞かないで過ごして来た、法華経の教えに、まことに嬉しくもめぐり会ったことよ。」

・世々をへて=法華経は転輪王が髻の中に秘めた珠のように妄りに人に与えないものであったが、今これを説くという安楽行品の大意によって詠む。

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第二十三番 應頂山 勝尾寺 十一面千手観音↑

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2010年12月16日 (木)

般若寺水仙:12月~2月 ※つぼみふくらむ

野も山も冬景色となりました。北の地方では雪が降っています。奈良でも氷点下となった所もありこの冬になって一番の寒さです。

もうあしたは春日若宮のおん祭りですものね、昔はこの日にはよく初雪が舞いました。奈良の最大のまつりです。子供たちはこの日を楽しみにしていたのです。最近はちょっと寂れてきたようです、時代行列のお渡りは続いているようです。どうぞ見学してください。

「霜枯れに すくすく伸びる 水仙や」

〔俳句〕

「水仙も 水仙の香も 立ちてをり」  斉藤和子

「星磨く ものの一つに 白水仙」   野口香葉

「水仙を ちひさく束ね 妹見舞う」  深川知子

〔和歌〕

「さそふべき この葉も今は のこらねば

はげしくとても 山おろしのかぜ」

平宣時朝臣・玉葉874

「誘い散らすはずの木の葉も、今はもう一枚も残っていないから、激しく吹くといってももはや心を痛めることもない、山おろしの風よ。」

〔釈教歌〕

「大空に わかぬひかりを あま雲の

しばしへだつと 思ひけるかな」

崇徳院御製・玉葉2664

「仏の教は、大空の光のように分け隔てないものであるのに、日光を雨雲が暫く隔てるように、女性には差別して授記をなさらないのかと思ったことだ。」

  大空に=法華経勧持品の「喬曇弥(マカパジャパダイ比丘尼。釈尊の養母)ら諸比丘尼が授記できない事を憂えたのに対し、仏が記捌を与えた」という大意を詠む。

  あま雲=「雨雲」に「尼」をかける。

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第二十二番 補陀洛山 総持寺 千手観音↑

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2010年12月15日 (水)

般若寺水仙:12月~2月 *つぼみふくらむ

昨日タキイへ発注したコスモスの種は10種類、その内訳は

「センセーション混合  シーシェル混合

ピコティ               ソナタ混合         ダブルクリック

ローズボンボン            スノーパフ          サニー混合

イエローキャンパス    オレンジキャンパス」

でした。タキイの資料によるとあと6種類あります。

当寺では毎年20種類ほど植えていますので足らない分は後日また取り寄せることにします。でもあまり種類を増やしても花の違いがよく判らないのと、コスモスらしさが失われているのもあるので、これくらいでいいのではないかと思ったりもします。

コスモスは種類が多くなっても、やはり昔ながらの赤・白・ピンクの色で素朴に咲くものが風情がありますね。

奇を衒わずにコスモスらしいコスモスを基本に植えていくつもりです。       

                           

「水仙や 慈しみもて みまもる眼」 

(観音経の「慈眼視衆生」を詠む)

〔俳句〕

「雨音に 聞き耳立てる 水仙か」  松山律子

「ひもとけば 水仙の香で ありにけり」 稲畑廣太郎

「水仙や 筧の水の 一筋に」  平田紀美子

〔和歌〕

「夕日さす おち葉がうへに 時雨すぎて

庭にみだるる 浮雲のかげ」

光厳院・風雅730

「夕日のさす、落ち葉の上にはらはらと音して時雨が降り過ぎ、見れば庭には乱れて空を渡る浮雲の影が落ちる。」

〔釈教歌〕

「いつはりの なきことのはの すゑの露

後の世かけて ちぎりをく哉」

前権大僧正実聡・玉葉2663

「偽りのない釈尊の御言葉は、法華経のたとえ一ゲ一句でも喜び信ずる人に、後世のために成仏を約束しておいて下さるのだ。」

  法華経法師品の「又如来滅度の後に、若し人有りて妙法華経の乃至一ゲ一句を聞きて、一念も随喜する者には、我は亦た阿ノク多羅三ミャク三菩提を与え授く」の心を詠む。

  ことのは=「言葉」に「葉」をかけ、「末」「露」「かけて」「おく」と縁語を連ねる。

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第二十一番 菩提山 穴太寺 聖観音↑

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2010年12月14日 (火)

般若寺水仙:12月~2月 *つぼみふくらむ

きのうの雨は朝がたまで続いたので少しまとまった雨量でした。冬の季語に「しぐれ」という言葉があります。朝時雨、夕時雨、村時雨、時雨寒などなど、何れも冷、寒を感じさせます。いつのまにか時雨の季節となったのですね。

この時雨で水仙は生き生きと葉を伸ばし蕾をふくらませています。もうすぐ開花。

今日コスモスの種を発注しました。昔は境内で秋に種を取って翌年播いていたのですが、近年は種類が多くなってきたので種苗メーカーの「タキイ」と「サカタ」で買っています。今回はタキイへ注文しました。新品種が次々と作出され花は豪華で多彩になってきました。でも新種はけっこう値段が高いのが難点です。

「み仏が 見守る水仙 背をのばす」

〔俳句〕

「水仙の 一輪づつや 六地蔵」  兼藤教子

「白きもの 干す水仙を 足もとに」 鹿野佳子

「水仙の 低く匂へる 夕日かな」  金田和子

〔和歌〕

「しぐるるも をとはかはらぬ いたまより

このはは月の もるにぞ有りける」

前中納言定家・玉葉839

「時雨がするのとも音は変わらないで、板屋の軒に木の葉が降る。そして雨がもるのではなしに、荒れた板間からは月光がもれてさすのだったよ。」

〔釈教歌〕

「薪こり みねのこのみを もとめてぞ

えがたきのりは ききはじめつる」

皇太后宮太夫俊成・玉葉2662

「薪を伐り集め、山の中の木の実を探し求める苦行をして釈尊は前世において、得難い仏法を聞きはじめられたのである。」

・法華経提婆品。釈尊が前世に王であった時、阿私仙に給仕して法華経を得たさまを述べた句を詠める。

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第二十番 西山 善峯寺 十一面千手観音↑

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2010年12月13日 (月)

般若寺水仙:12月~2月 *つぼみふくらむ

今日は雨。冬の冷たい雨です。

朝のラヂオを聞いていたら、紅葉が終わっても京都は賑わっているようです。特に嵐山の花灯篭が大盛況のようで立錐の余地ないほどの人出だそうです。それに引きかえ奈良は静かです。静かな奈良がいいです。

今このブログで連載している西国観音霊場の各札所を調べていたら、とても小さなご本尊さまがおられました。それは第12番の岩間寺と第18番の六角堂の観音さまです。岩間寺の千手観音は元正天皇の念持仏と伝えられるエンブダゴンの金銅仏、御丈は四寸八分(15cm)で三重の厨子に入った秘仏だそうです。また六角堂の本尊はもっと小さく、聖徳太子の護持仏だそうで、御丈一寸八分(5,5cm)の秘仏如意輪観音です。どちらも小さいながらも堂々たる西国札所の御本尊です。

先日写真撮影をして頂いた当寺の胎内仏三尊もよく似た大きさです。なかでも十一面観音さまはエンブダゴンの金銅仏で、御丈11cmですから札所御本尊とくらべても遜色ない立派な仏さまです。当寺の胎内仏三尊もご本尊としてこれからもしっかりとお守りして行きたいと思います。

「石地蔵 背くらべする 水仙と」

〔俳句〕

「物置の 忘れ水仙 芽を出せり」  北島上巳

「夜の闇に 水仙匂ふ 別れかな」  石川元子

「鶴首に すとんと落し 水仙花」  稲垣いつを

〔和歌〕

「草枯れて さびしかるべき 庭の面に

もみぢちりしき 菊もさきけり」

伏見院新宰相・風雅728

「草が枯れて、さびしいはずの庭の面に、(まあ嬉しいこと)紅葉が美しく散り敷き、白い菊も咲いたよ。」

〔釈教歌〕

「かきつめし こと葉の露の 数ごとに

のりの海には けふやいるらん」

権中納言長方・玉葉2661

「(葉に置く露が集まり流れて海に入るように)書き集めた人々の和歌の言葉の一つ一つが、今日のこの供養によって、仏法の大海に流れ入ることでしょう。」

  殷冨門院大輔が人麿の墓を尋ねて仏事を営み、人々に釈教歌を詠ませた時の歌。

  かきつめし=書き集めた。「書き」と「掻き」をかける。

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第十九番 霊鹿山 行願寺(革堂) 千手観音↑

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2010年12月12日 (日)

般若寺水仙:12月~2月 *つぼみふくらむ

水仙は葉が伸びてつぼみも増え、開花直前のものが見つかりました。あと少しで開花します。

きのうから来年の春咲きコスモスの苗床を準備しています。種を蒔くのは2月になってからで、今はまだ土作りの段階です。花は5月末から7月上旬まで咲きます。春咲きというより初夏に咲くコスモスといったほうが正確です。苗は3万本ていど植える予定です。

「水仙の 花を待てる日 育てる日」

〔俳句〕

「水仙を キ(前+刀)りかの友に この友に」久保晴子

「水仙の 花野となりて 道果てし」  川口利夫

「水仙に 補陀落の海 展けたり」   三村純也

〔和歌〕

「をのづから をとする人も なかりけり

山めぐりする 時雨ならでは」

西行法師・玉葉838

「たまたまにでも、訪れる人すらないことだよ。山々をめぐり行く時雨の音の外には。」

〔釈教歌〕

「かたがたに わかぬひかりも あらはれて

ゆく末とをく てらす月かげ」

前参議康能・玉葉2660

「方角を分たぬ明らかな光も現われて、行く末までも遠く照らす月影よ。(それは御仏の白ゴウから放たれる光である)」

・かたがたに=多宝仏の仏身を見たいという諸菩薩の願いにより、釈尊が白ゴウから光を放って十方世界の浄土に変じたさまを見せ、また宝塔の中に多宝仏と並び座して、仏の滅度の後の衆生救済について示す有様を詠む。法華経宝塔品

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第十八番 紫雲山 頂法寺(六角堂) 如意輪観音↑

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2010年12月11日 (土)

般若寺水仙:12月~2月 *つぼみふくらむ

12月は早くもあと20日となりました。清水寺で書かれた今年の漢字は「暑」でした。一方、東京の石原都知事は「衰」の字を選びました。この二文字は今年を象徴する字で、地球規模の猛暑と日本の国運の衰えが目立った一年だったということでしょうか。来年は、たとえ人口が減り続け、経済は相変わらず停滞しようとも希望を失わずにいきましょう。人も国も過去の栄光に捉われることなく、現在の身の丈に合った生き方を考えること。いつまでも拡大成長の夢を追い求めるんではなく、今立っている足元をしっかり固め一歩づつ前進することです。そのうちにきっといいことがあると思います。来年は「幸」と「福」の年でありますように。

「氷雨ふり 喜べるよう 雪中花」

〔俳句〕

「水仙の 真っ只中に 溺れをり」  柿沼盟子

「地を低く 吹く風のあり 水仙花」 宮本道子

「水仙の 花の揃ひし 日向かな」  黒田敏子

〔和歌〕

「もみぢ葉の 深山にふかく ちりしくは

秋のかへりし 道にやあるらん」

後二条院・風雅727

「紅葉葉が、山奥に深く散りしいているのは、これが秋の帰って行った道なのだろうか。」

〔釈教歌〕

「おほ空を てにとることは やすくとも

法にあふべき おりやなからむ」

前権少僧都源信・玉葉2659

「たとえ大空を手に取る事はたやすいと仮定しても、これに比して仏法に遇う事はたやすいどころか、その機会はほとんど無いと言ってよい位困難な事だろうよ。」

・法華経宝塔品を詠む

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十七番 補陀洛山 六派羅蜜寺 十一面観音↑

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蝋梅↑

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2010年12月10日 (金)

般若寺水仙:12月~2月 *つぼみふくらむ

鉢植えの水仙を境内へ移しました。コスモスの終わった後はまだ荒地のようです。水仙の花で徐々に景観を整えお正月を迎えたいと思います。この鉢植え水仙は多い時は800鉢ありましたが、今は300余りに減っています。数から言えば自然生えのほうが多くなり、1万本ほどあります。鉢のほうは5千本ぐらいでしょうか、以前に比べ減っていますがこれ以上は無理です。というのは球根を植えつける時期が9月から10月で、コスモスの最盛期と重なります。大変忙しい中一人の作業で、まあ300も植えられたら上等、花が咲いたらけっこう見られます。なお石仏の前には鉢は設置しておりませんのでご安心を(写真の方には不評を買っていたようです)。でも豪勢な花は見られません、あしからず。水仙はもともと仏様の供花、生け花用に植えられたものですから少し長けた花は切ってお供えします。途中で折れた花は参拝者に差し上げたりも出来ると思います。一番寒い頃にお出かけくださいませ。

「水仙の 花の白さに 黄の温み」

〔俳句〕

「水仙や 日差し明るき 母の部屋」  谷野由紀子

「水仙の 香に馥郁と ゐる机辺」   大橋敦子

「水仙の 群れてゐてよし 一花よし」 竹川美佐子

〔和歌〕

「夕暮の あはれは秋に つきにしを

また時雨して この葉ちる比」

従一位教良女・玉葉836

「夕暮のあわれは、秋でもう極限に達したと思ったのに、時雨が降り木の葉が散るこの初冬の頃は、また格別のあわれを感ずることよ。」

〔釈教歌〕

「しづかにて のりとく人ぞ たのもしき

われらみちびく つかひと思へば」

前権少都源信・玉葉2658

「静かな所に座して、仏法を説く人はまことに頼もしい。我々を悟りに導く使いであると思えば。」

・しづかにて=仏の滅後、ひそかに一人のためにでも、法華経の一句をでも説く者は如来の使であるという、法師品の大意を詠む。

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十六番 音羽山 清水山 十一面千手千眼観音↑

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2010年12月 9日 (木)

般若寺水仙:12月~2月 *つぼみふくらむ

朝、雹のような雨でした。ようやく冬らしい天気となってきました。

今日は写真家の桑原英史さんに依頼して仏像写真を撮っていただきました。この秋「白鳳秘仏公開」で大きな人気を集めた胎内仏の御影をとっていただきました。白鳳の阿弥陀仏については以前に桑原さんの東京個展用に撮られたものがあったのですが、胎内仏は今回が初めてです。来年の秘仏公開ではポスターや葉書でお目にかけられると思います。胎内仏は三尊おられるのですが、何れも10センチ未満のミニ仏像です。仏像撮影は小さいほうがかえって難しいようで、特にライトの仕方に苦労するそうです。出来上がりが楽しみですね。

「水仙が 師走に咲いて 立ち止まる」

〔俳句〕

「雪降りて 水仙命を 新たにす」  島崎晃

「咲き初めを 仏に摘めり 水仙花」 川原典子

「水仙の ただよえる香の いたみかな」岡田千代子

〔和歌〕

「こむらさき のこれる菊は しら露の

秋のかたみに をけるなりけり」

藤原道信朝臣・風雅776

「濃い紫に染まって咲き残った菊は、白露が、過ぎ去った秋の形見として置いていったのだったよ。」

・こむらさき=濃紫。霜に打たれて強く染まった紫。

〔釈教歌〕

「さきの人 なにかへだてん おなじ時

みな仏にし ならむとすれば」

前権小僧都源信・玉葉2657

「先に記捌を得た人を、何で分け隔てし、羨むことがあろうか。来世において、同じ時に皆仏になるであろうと約束していただいたのだから。」

  さきの人=授記品ですでに記捌を得た四大弟子(大迦葉・須菩提・大迦セン延・大目ケン蓮)ら。

  法華経人記品の心を詠む。

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十五番 新那智山 観音寺(今熊野 観音寺)十一面観音↑

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2010年12月 8日 (水)

般若寺水仙:12月~2月 *つぼみが増えてふくらんできました。

今日はお釈迦様が悟りを開かれた日、成道会(じょうどうえ)です。また太平洋戦争開戦の日、アメリカから言えばリメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)の記念日です。15年戦争の末期、1941年にそれまで対中国戦争であったものが、ABCD(アメリカ・イギリス・中国・オランダ)相手の世界戦争に拡大したのです。日本の宣戦布告が遅れたため奇襲攻撃になってしまったとか、アメリカは日本軍の攻撃を事前に知っていて主要な艦船を避難していたとか、前日にはマレー半島のコタバル上陸によりイギリスと交戦状態に入っていたとか、歴史を訂正する事実が次々と明らかになっています。いずれにしても戦争をするほど馬鹿な選択はありません。人々の平安と幸福を象徴する成道会と開戦が重なっているというのも皮肉なことです。当時の日本軍部や政治指導者は仏教の聖日をわざわざ選んだのでしょうか。きっと日本は神の国だから負けることはないと妄信していたのでしょう。昔の事だけではなく、実は今も妄信はあります。今度はアメリカと手を組んでおれば負けることはないという妄信です。しかしアメリカは利己的で地理的にも遠い国、日本は紛争が起これば至近距離です。直接弾を受ける盾か防壁に使われます。日本の原発50数基はほとんどが日本海側にあることを考えただけでも戦争は不可能です。経済、観光立国、人的交流どれをとってもアジアの中で生きていかざるを得ません、たとえ感情的に嫌いな国であっても友好平和の道を探る事が日本の生きる道です。日本はアジアの一員であることを忘れてはなりません。そして大陸は日本文化の生みの親です。親の恩を忘るるなかれです。

「みほとけの 足もとかざる 水仙花」

〔俳句〕

「水仙の なだるる崖も 野の一部」  稲畑汀子

「水仙や 海の深さに 星集ひ」    平田紀美子

「匂ひたつ 直刃のごとき 水仙花」  神蔵器

〔和歌〕

「山がつの よもぎがかきも 霜がれて

風もたまらぬ 冬はきにけり」

藤原清輔朝臣・玉葉834

「山人の、わずかに垣根代りにする蓬もすっかり霜で枯れて、寒風もさえぎるものなく吹き込む冬がやって来たことよ。」

〔釈教歌〕

「むかしいま かがみをかけて しるのみか

行末とても くもりやはする」

読人しらす・玉葉2658

「昔から今まで、諸仏の説かれた法を、鏡に照らすように明らかに知るばかりでなく、行く末までも疑念に心が曇るような事は絶対にないのだ。(今こうして、成仏の記捌をいただいたのだから)」

・法華経人記品の心を詠む

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第十四番 園城寺(三井寺) 如意輪観音↑

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2010年12月 7日 (火)

般若寺水仙:12月中旬~2月 *つぼみが多くなってきました。

きのうまでは季節が後戻りしたような暖かさが続きましたが、今日は朝からどんより曇り空、ようやく冬らしい天気になってきました。

境内の水仙はここ数日の間に蕾が増えまして、もう100本近くが数えられます。葉も青々と伸びています。周りの草を片付けたり、石ころなど邪魔物を除けてやっています。いつかは判りませんが咲くのが楽しみです。

朝から作業奉仕があり、4人の若者が国宝楼門の前を清掃してくれました。いつもながらツルッと美しくしていただきお正月はいつ来てもいいような状態になりました。奉仕の皆様ほんとうに有難うございました。

「水仙と 陽だまりにいて うとうとと」

〔俳句〕

「水仙を 活けて背筋を 伸ばしけり」 佐野幸子

「水仙の 花咲く前の 丈くらべ」   庄中健吉

「水仙の 花弁の凍みて ゐたりけり」 大橋敦子

〔和歌〕

「おちつもる もみぢ葉見れば 大井川

ゐせきにとまる 秋に有りける」

前大納言公任・風雅725

「見事に落ち積る紅葉葉を見ると、ここ、大堰河では、ああこれこそ(流れ去ってしまわずに)堰にとどまっている秋だったのだよ、と思われるなあ。」

〔釈教歌〕

「わがねがひ 人ののぞみも みつしほに

ひかれてうかぶ 波の下草」

法眼源承・玉葉2655

「〈私の願い、諸人の望みをかなえて下さい〉という阿難・羅喉羅の請いの満たされるにつれて、あたかも満潮によって浮き出る波の下の海藻のように、成仏の記捌を得て浮かび上がり喜ぶ、二千人の声聞らよ。」

・法華経人記品の大意を詠む

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十三番 石光山 石山寺 如意輪観音↑

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2010年12月 6日 (月)

般若寺水仙:12月中旬~2月

きのうは奈良マラソンで交通規制がありほぼ通行止め。私は奈良を離れ、浄瑠璃寺の先住夫人の五十回忌法要に行って来ました。先住の快龍師は般若寺の先住良光師の兄弟子で、私は現住の快勝師とは法類という仏縁で結ばれています。そんな関係で私が法要の導師をお勤めさせていただきました。私にとっては子供のころからよくお邪魔をしていたので大変懐かしいお寺です。浄瑠璃寺は京都府にありながらも奈良の文化圏にあり、元は興福寺一乗院の末寺であったのが明治の廃仏毀釈で本寺が廃絶し、それ以来西大寺の真言律宗に所属するようになったそうです。そして現住職快勝師は我が宗の宗務長さんです。浄瑠璃寺には国宝の阿弥陀堂、三重塔があり、堂内の九体阿弥陀仏、四天王も国宝、有名な秘仏吉祥天女、塔内薬師仏、地蔵菩薩、馬頭観音、大日如来、不動明王など数々の重要文化財があり、そして大きな池を配した浄土式庭園も史跡名勝です。つまり寺全体が平安時代の浄土教寺院の伽藍で、そっくりそのままが残っている稀有な例です。まさしく国宝中の国宝、この寺こそ世界遺産にふさわしい存在です。奈良や京都の寺々は複数で世界遺産になりましたが、浄瑠璃寺は単独でもその価値は充分あります。昔から堀辰雄の随筆「浄瑠璃寺の春」を読んでたずねる人が多いのですが、小さな寺門をくぐったとたん平安の世にタイムスリップした感じが味わえます。静寂の聖空間と言ってもいいくらいの雰囲気が漂っています。紅葉が終わったこれからが浄瑠璃寺の良さを満喫できる季節です。この時期に一度お出かけください。

「寒風に 凛と立ちたる 水仙は」

〔俳句〕

「風に乗り 雨に消ゆる香 野水仙」  稲畑汀子

「水仙の 百万本と ゐて孤独」   塩路隆子

「朝市に 水仙を売る 少女かな」  青池亘

〔和歌〕

「心とめて 草木の色も ながめをかん

面かげにだに 秋や残ると」

前大納言為兼・玉葉832

「心をとどめて、草木の色をよくよく見ておこうよ。明日から冬になっても、せめて記憶の中のそれらの姿にだけでも秋が残ってくれるかもしれないと思って。」

〔釈教歌〕

「かきながす 山のいはねの わすれ水

いつまで苔の したにすみけん」

常磐井入道前太政大臣(西園寺実氏)・玉葉2654

「掻き寄せて流しやる、山の岩の根方に忘れられたように淀んでいた水よ、いつまで苔の下に滞っていたことだろう。(今こそ快く流れ出るその水のように、声聞らも皆未来に仏になるという約束を得、歓喜することよ)」

・かきながす=俊成卿十三年仏事に、二千人の声聞が成仏の記捌を得て喜んだという法華経人記品の大意を詠む。

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第十二番 岩間山 正法寺 千手観音↑

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2010年12月 5日 (日)

般若寺水仙:12月中旬~2月

今日は晴天、朝は少し寒く草木が露に濡れていました。先日の雨風でほとんどの木は葉を落し冬の様子にかわりました。その中でイチョウだけが健在です。葉っぱの色はようやく黄緑色になって来ました。まだ完全な黄色ではありません。よそではもう散ってしまった木が多いのに、ここのイチョウはなぜか遅くまで葉が残っています。木は一本しかないのですが年々大きくなり、そのうち寺のシンボルツリーになるかもしれません。イチョウは雌雄別株だそうで両方ないと銀杏の実は出来ません。銀杏は食べればおいしいですが、木から落ちた時の状態はちょっと悲惨です。まずくさいです。腐ったように柔らかくなった外皮を水で洗うとき素手で扱うとかぶれます。子どものころの経験から銀杏拾いが苦手になる人が多いようです。当寺の木は実がならないので助かっています。イチョウの黄色い葉っぱは目が覚めるようにきれいです。

そして葉が落ちたあたりが黄色いじゅうたんを敷き詰めたように明るくなり、その上を歩く人の心を浮き浮きさせます。

「水仙に ならいたきかな 立ち姿」

〔俳句〕

「水仙に 夜明けの雨滴 のこりけり」  小山漂葉

「水仙の 芽に朝からの 曇かな」    宮津昭彦

「僕んちの 白い水仙 咲きました」わたなべじゅんこ

〔和歌〕

「月もみず 風もおとせぬ 窓のうちに

秋を送りて むかふともし火」

後伏見院・風雅724

「月も見ることなく、風の音もしない、静かな窓の中に、(外の景色に心動かすのではなく)行く秋を送って一人対座する燈の光よ。」

〔釈教歌〕

「ゑひのうちに つけし衣の 玉ぞとも

むかしのともに あひてこそきけ」

赤染衛門・玉葉2653

「酔い臥しているうちに身につけていた、衣の裏の珠であるという事も、昔の親友に逢ってはじめて聞くことよ。」

・法華経五百弟子品の心を詠んだ歌

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第十一番 深雪山 上醍醐 准デイ観音↑

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2010年12月 4日 (土)

般若寺水仙:12月中旬~2月

きのうは雨のあと風がきつかったですね。あちこちで被害が出ているようです。奈良はそれほどの強風でもなかったようで幸いでした。この風のおかげで木の葉は大半が落ちました。一番背の高いケヤキは丸裸です、一気に落ちてくれたほうが掃除がしやすいので助かります。でもこのごろは暑かったり寒かったりで体がついていきません。こういう時は風邪をひき易いので気をつけたほうがいいですね。

それから水仙の蕾が見つかりました。三つありました。私は気がつかなかったんですが、寺のマー様が庭掃除をしていて以前から手入れをして大事に育てていた場所で見つけたんです。やっぱり見守っているところの花は愛情に応えてくれるんですね。あと3,4日で咲くと思います。

「さむ空に 身を寄せ合へる 水仙や」

〔俳句〕

「白と黄の 素心尚(とおと)び 水仙花」大橋敦子

「六本の 水仙に足る 六地蔵」    大堀鶴侶

「野水仙 咲き盛りつつ 松の過ぐ」  小黒加支

〔和歌〕

「草木みな あすみざるべき 色もなし

我が心にぞ 秋はくれける」

入道前太政大臣(西園寺実兼)・玉葉831

「草木の秋の色は皆、明日はもう今日と同じに見る事はできない、というものではない。それなのに、ああ秋も終わりだと思うのは、私の心の中で秋が暮れてしまうからなのだろう。」

・あすみざるべき=「明日見ないはずの色はない」というのは「明日見ても同じ草木の色のはずだ」という意。

〔釈教歌〕

「衣でに ありとしりぬる うれしさに

涙の玉を かけぞそえつる」

平経正朝臣・玉葉2652

「衣の袖の裏に、量り知れないほど高価な珠があると知った嬉しさに、更に涙の玉を袖にかけ添えてしまったよ。」

  衣でに=法華経五百弟子品の衣裏繋珠の喩を詠む。酒に酔い臥し、親友が無価の宝珠を衣の裏に繋けて去った事に気づかず、困窮していた人が、その事を教えられて歓喜したという譬。

  かけ=涙を袖に「かけた」事に、宝珠を衣の裏に「繋けた」事によそえる。

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第十番 明星山 三室戸寺 十一面千手千眼観音↑

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2010年12月 3日 (金)

般若寺水仙:12月中旬~2月

  水仙は今月中旬からと書きましたが、まだどうなるか判りません。蕾が見えてきたらはっきりすると思います。

ゆうべはこの時期にはめずらしい大雨でした。どことも一か月分以上の雨量だったようです。温かい雨でした。雨のおかげでお堂の横の栗とクヌギと桜の葉がどんどん散っています。木に残っているのは半分ほどです。きのうまでカサカサと落ち葉を踏んで歩く音が心地よかったのが今日はぬれ落ち葉です。雨が上がったら落ち葉かきが待っています。きのうまで晴天続きのおかげで庭の土起こし作業はあらかたできました。初めはスコップでちまちまやっていたのですが、なかなかはかどりません。そこで伝家の宝刀にお出まし願うこととなりました。油圧ショベルの機械(通称ユンボ)の登場です。これは早いです。どんどん掘り返します。でも運転者にはきついです、なぜなら草の根っこが見えたらその都度、運転席から降りてクワで拾い出さねばならず一時間もやれば足ががくがくします。なんだか機械に酷使されているようです。いま境内はまさしく工事中。これから地ならしをして地形を整え肥料入れに取り掛かります。来年の花たちの寝床づくりです。

「水仙に 降りかかりたる 落ち葉かな」

〔俳句〕

「水仙を 遠ざかるとき 近づく香」  稲畑汀子

「水仙の 保つ日の数 花の数」    若江千萱

「水仙の 香にふんぎりの つきしこと」山田弘子

〔和歌〕

「風わたる まくずが原に 秋暮れて

かへらぬものは 日かずなりけり」

前大納言長雅・風雅720

「風の吹き渡る、真葛の一面に生えた原に秋は終わりとなり、(風によって葛の葉は裏返るけれど)返って来ないものは過ぎ去った日数だなあ。」

  まくずが原=葛の生い茂った原。葛は野山に自生するマメ科の蔓草。秋の七草の一つ。葉が風に白く裏返るのが特徴。

  かへらぬものは=「かへる」は「葛」の縁語。「取り返しのつかぬ物は」の意をかける。

〔釈教歌〕

「行末を きくうれしさに こしかたの

うかりしよりも ぬるる袖かな」

読人しらず・玉葉2651

「行く末の成仏の約束を聞く嬉しさに、小乗の教を奉じていた過去を悔やんで涙を流した時よりも一層、嬉し涙でぬれる袖であるよ。」

・法華経授記品の心を詠む

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第九番 興福寺 南圓堂 不空ケン索観音↑

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2010年12月 2日 (木)

般若寺水仙:12月~2月

12月になりましたが、水仙の花はまだ蕾も見せません。

それも無理ありません、秋のコスモスは最後の花を残していますし、もみじなど紅葉もまだまだ続きそうです。冬花である水仙の出番は中旬以降になると思われます。世間があわただしくなってきたころに悠然と咲き出すのでしょう。そして年が変わってお正月ぐらいから一番寒いころに見ごろを迎えると思います。前にも書きましたが、水仙の咲く寺は珍しいようで、関西ではここ般若寺が唯一だそうです。当方ではあまり意識していなかったのに年々知れ渡ってきて訪ねられる方も増えてきました。心して花を育てなければなりませんね。でも水仙は球根ですから今は何もする事はありませんしできません。ただひたすら花を待つばかりです。

「初春に 匂ひかぐわし 水仙花」

「水仙を 冬の宝と おみな守る」

〔俳句〕

「潔癖の 過ぎてさぶしや 水仙花」  大橋敦子

「夜のいろ となりゆく影や 水仙花」 岡本眸

「水仙の 香へと診察 椅子回す」   大槻右城

〔和歌〕

「うつろはで 庭のしら菊 のこらなん

秋のかたみと あすよりはみん」

花園院・玉葉830

「色が変らないで、庭の白菊よ、残っていておくれ。せめて秋の形見と、冬立つ明日からは見ようよ。」

〔釈教歌〕

「たねくちて 仏の道に きらはれし

人をもすてぬ のりとこそしれ」

法成寺入道前摂政太政大臣(藤原道長)・玉葉2650

「種が土中で朽ちて芽を出す事のできない植物のように、仏道に嫌われて成仏できないとされた人々をも、捨てずに救って下さるのが法華経であると聞いています。」

・法華経授記品の「仏が、小乗の教をまなんだ声聞は成仏できないと信じていた人々に対し、声聞も成仏できるという記捌(予言)を与えた」という大意を詠む。

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第八番 豊山 長谷寺 十一面観音↑

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2010年12月 1日 (水)

般若寺水仙:12月~2月

今日から12月、師走(といっても今日はまだ旧暦1026日)。名残の紅葉狩りに走る人、ジャンボ宝くじに夢を託し券売所へ走る人、福袋に幸福を見つけようとデパートへと走る人。人さまざま、年末は世の中全体が走っているようです。しかし私は走りません、じっとしています。元来、何かを当て込んだり、人の褌で相撲とるとか、みんなで渡ろう式の生き方は性に合いません。照顧脚下、ただひたすら自分を見つめ、心の仏と対話します。沈思黙考すれば物ごとや人間の本質、世界の真実が見えてきます。背伸びせず、むやみに走らず、大きなことを言わず、立ち止まって考えることです。いま私にできることは何か、仏菩薩にならうとはどういうことか、じっと考えます。いまの世の中、金もうけ、暴力、殺人、詐欺、労働搾取、死刑、戦争、などなどが蔓延しています。人間界はあたかも地獄界のようです。昔の人なら五濁悪世、末法の世と言ったことでしょう。なんとか地獄から解脱する道を考えましょう、(オウムではありませんが)。一人ひとりの力が合わさって動きとなります。まずは考えることです、聡明な頭脳で(?)。

「もみじ葉を 突きあげんとす 水仙は」

〔俳句〕

「水仙や 濤かけのぼる 巌の神」  佐藤瑠璃

「軽く嘘 ついて重たき 水仙花」  北原武巳

「水仙を 束ねその香を 配りけり」 稲畑汀子

〔和歌〕

「ゆふしもの ふるえの萩の 下葉より

かれゆく秋の 色はみえけり」

後伏見院・風雅718

「夕霜の降る、古い枝の残る萩の下葉の黄ばんだ色、そこから、万物枯れて行く秋の気配ははっきり見えるよ。」

・ふるえ=「夕霜の降る」と「古枝」をかける。

〔釈教歌〕

「さまざまに ちぢの草木の たねはあれど

ひとつ雨にぞ めぐみそめぬる」

崇徳院・玉葉2649

「さまざまに異なったものとして、あらゆる草木の種は存在するのだけれど、それらは同じ一つの雨にうるおって、皆芽を出しはじめるのだ。(そのようにあらゆる衆生の性格はそれぞれ異なるが、しかしただ一つの仏の説法によって仏道に入るのである)」

・法華経薬草喩品の心、一味の雨の喩を詠める。

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第七番 東光山 龍蓋寺(岡寺) 如意輪観音↑

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