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2011年12月

2011年12月31日 (土)

般若寺 水仙花だより   12・31

◎水仙: ≪見ごろ・満開≫ 花・12月~2

              花数・2万本

*大晦日。今夜は除夜の鐘をつきます。

当寺では午後11時半より開始し、午前0時半に終了します。毎年遠方からもご参加いただき百八回の煩悩の数をこえて数百回の鐘が鳴ります。現代人にはそれだけ煩悩が多いのかもしれませんね。まずはゆく年を反省し、新たに来る年に向上を誓う除夜の鐘にしてください。今年は人手が足りないのと住職の老化と持病を抱えながらの行事となりなすので、時間厳守で午前0時半には終わります。ご協力お願いいたします。

「旅人の 行く道さきに ささやきて

かなしみをよぶ 落葉樹かな」木下利玄

〔俳句〕

「大晦日 ここに生きとし 生けるもの」高浜虚子

「水仙に さはらぬ雲の 高さかな」正岡子規

〔和歌〕

「冬がれの すさまじげなる 山郷に

月のすむこそ あはれ成りけれ」

西行法師・玉葉904

「冬枯れの、荒涼とした山里に、月が澄み切った光を放ってひとり住んでいるように見えるのが、本当に心にしみてあわれなことだ。」

・すむ=「澄む」に「住む」をかける。

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2011年12月30日 (金)

般若寺 水仙花だより   12・30

◎水仙: ≪見ごろ・満開≫ 花・12月~2

              花数・2万本

*昨日から少し寒さは緩んだようです。いよいよ今年もあと一日となりました。今日は一年をじっくり振り返る日としたいですね。激動の一年、さまざまなことがありました。それぞれの人にとってもいろいろな出来事があったと思います。来年はどんな年となるのか希望と不安がない交ぜになるこの頃です。地に足をつけ一歩一歩あゆむことが肝要です。維新だとか改革だとか威勢のいい言説にはくれぐれもご注意。

*昨日の木津大仏についての追記。この石仏をだれが造ったのか今のところ不明ですが、おそらく般若寺の十三重石塔を建てた伊行末、伊行吉などの流れをくむ伊派宋人石工集団の仕事でしょう。地蔵尊は推定3050tの巨石を用いていますので、伊派にとっても最大の工事であったと思われます。石材は笠置山系の花崗岩を使用していますので、木津川の水運を利用したとはいえ13年の歳月を要した大事業でした。

それから最初の写真は泉橋寺の境内にある重文・五輪塔です。大変均整のとれた美しい姿を持っています。基壇も丁寧な作りで挌狭間で装飾されています。一見したところ西大寺奥の院の叡尊墓塔を縮小したような相似形です。やはり般若寺系の律僧が伊派を使って建てた供養塔だと思われます。五輪塔を作るならモデルにしたい秀作です。

「わが妻は 吾子の手握り 死にてはいや

死にてはいやと 泣きくるひけり」木下利玄

〔俳句〕

「年つまる 思ひに堪へて 何もせず」相馬遷子

「倒れるも 立つも真っ直ぐ 水仙花」安田青葉

〔和歌〕

「神がきの もりの木の葉は 散りしきて

おばな残れる かすがのの原」

院兵衛督・風雅755

「春日神社境内の、森の木の葉はすっかり地面に散りしいてしまって、尾花だけが枯れて残る、春日野の原よ。」

・神がき=神社の玉垣。

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2011年12月29日 (木)

般若寺 水仙花だより   12・29

◎水仙: ≪見ごろ・満開≫ 花・12月~2

                花数・2万本

*先日の笠置山での本性房に続いて、今日は木津川市上狛の「木津大仏」をご紹介いたします。この大仏様は石造地蔵菩薩坐像で丈六仏、485メートルの堂々とした大きさです。由緒は奈良時代(天平13741)、山城恭仁京が営まれたとき、僧行基により木津川に橋が架けられました。これを泉橋と言います。そして橋のたもとに「泉橋院」が建てられました。今も「泉橋寺」が現存します。その泉橋寺の門前に木津大仏があります。お堂の基壇や礎石が残りかつての威容が偲ばれます。文献によればこの大仏は般若寺の真円上人が造られたもので、永仁3(1295)年に石材を切り始め徳治3(1308)年に堂を上棟したと記録されます。川の南岸には「橋柱寺」(現、大智寺・真言律宗)があり、両寺ともに泉橋を維持管理した橋寺であったと思われます。そして鎌倉時代には木津は般若寺の律僧たちが活動した地域であったようです。木津には鎌倉時代の4メートル近い高さの「惣墓五輪塔」(重要文化財)が残っています。これも惣墓(共同墓地)を経営した律僧の仕事です。

この木津大仏は全体に焼損が甚だしいですが、これは文明3(1471)年に「応仁の乱」で大内政弘の軍が木津、上狛を焼き払ったとき地蔵堂とともに焼けたためです。その後、元禄3(1690)年に頭部と両手を補修され現在のお姿になったようです。泉橋寺は今は浄土宗のお寺となっています。真円さんは般若寺中興第一世の慈道上人信空長老(西大寺第二世)の後を継いだ長老だろうと思われます。

「着物の下に 手をやりてみれば 亡(う)せし子の

肌にはいまだ ぬくみたもてり」木下利玄

〔俳句〕

「冬霞 古都の山なみ 低かりし」稲畑汀子

「閼伽桶や 水仙折れて 薄氷」夏目漱石

〔和歌〕

「さびしさは やどのならひを このはしく

しものうへとも ながめつる哉」

式子内親王・玉葉899

「淋しさは山里ずまいの常であるものを、木の葉の散りしいた上に置いた霜のせいででもあるかのように、つくづくとその冬景色をながめたことだなあ。」

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2011年12月28日 (水)

般若寺 水仙花だより   12・28

◎水仙: ≪見ごろ・八分咲き≫ 花・12月~2

                花数・2万本

*今年もあと四日となりました。いつの間にか本格的な冬になり毎日氷が張るほどの寒さとなっています。

庭の水仙もほぼ満開に近くなり純白の花からはいい匂いが漂っています。咲く時期が場所によって違いますのでまだ蕾のところも多いです。これから一月ごろまでが水仙の季節といえます。

ちょっと暇なので色々本を読み返しています。先日は『太平記』を読みました。これからは『平家物語』や『保元物語』を読んでみようと思います。私の読み方は自分の興味のあるところをまず読み、それから関連するところへと広げていきます。決して全部は読みません。先の楽しみに残しておきます。よく万巻の書を読むと言いますが、読書は量より質、感動を味わう読み方が私流です。少しでもいいからじっくり読んで心に残るほうが楽しいですからね。

「父母の 涙ぬぐひし ハンケチを

顔にあてやり 棺にをさむ」木下利玄

〔俳句〕

「寒の星 昴けぶるに 眼をこらす」橋本多佳子

「夕暮れの 寺の水仙 風を呼ぶ」山元海郎

〔和歌〕

「吹き分くる 木の葉のしたも このはにて 

庭みせかぬる 山おろしの風」

伏見院御歌・風雅748

「吹き分ける木の葉の下も、まだ木の葉が深く積っていて、いくら吹いても庭の面を見せる事ができない、山おろしの風よ。(その沢山の落葉だって、みんなお前が吹き落したものなのにね)」

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2011年12月27日 (火)

般若寺 水仙花だより   12・27

◎水仙: ≪見ごろ・八分咲き≫ 花・12月~2

                花数・2万本

*昨日今日の写真は「笠塔婆」の鉄製支え金具です。これは奈良大学へ貸し出すために運び出される前に撮った写真です。奈良大学では来年、116日から519日まで大学博物館において企画展示として

「文化財はいかに守られてきたか

―保存修復、そして戦争、災害、開発、環境―」

があります。奈良大学には文化財学科があって保存や発掘など文化財に関する様々な研究が行われています。今回は保存科学研究室が担当される展示だそうで、主任の西山要一先生が中心となって準備しておられます。当寺からは明治25年に移築修復された重文・笠塔婆の支え金具2基と関連書類一式と重文・十三重石宝塔が落雷によって破損した時の破片石を出品しました。ほかの寺社は写真やパネル展示が多いそうで、般若寺の支柱金具をメインに展示されるそうです。

この金具はフランスで製作されたと伝えられ、パリのエッフェル塔(1889)用鋼材として新開発された錬鉄でできています。近代の工業遺産としても貴重なものです。

「裏山の 冬木にそそぐ さむ時雨

見てゐる程に いやさびしもよ」木下利玄

〔俳句〕

「一いろも 動く物なき 霜夜かな」 野水

「真つ直ぐと いふ水仙の 気品かな」稲畑廣太郎

〔和歌〕

「いつしかと 冬のけしきに 龍田川

紅葉とぢまぜ うすごほりせり」

皇太后宮大夫俊成・玉葉893

「立冬といえば早速、龍田川も冬の様子になって、秋の紅葉をまぜて閉じこんだ薄氷が張ったことだ。」

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2011年12月26日 (月)

般若寺 水仙花だより   12・26

◎水仙: ≪見ごろ・八分咲き≫ 花・12月~2

花数・2万本

*「凍土」(いてつち)とは土が凍って石のように固くなっている状態です。ここ二三日の朝方は土が凍ってカチンコチンになっています。これからは地上にあるものは何でも凍ります。

川面に張る薄氷は冬の景色として歌にもよく詠まれます。吐く息の白さも冬ならではの現象です。お正月に向かって世間はあわただしくなって行きますが、こんな時こそ詩心を持ちたいものですね。

「さむ空の 下をあるきて 踏み渡る

小流小橋に したしさおぼゆ」木下利玄

〔俳句〕

「木がらしや 目刺にのこる 海のいろ」芥川龍之介

「水仙は わが故郷の 香かな」林敬子

〔和歌〕

「かれつもる ならのおち葉に をとすなり

風ふきまずる 夕暮の雨」

進子内親王・風雅747

「枯れ積っている、楢の落葉に音がするのが聞える。風が吹き混ぜて来るのが、時折強く枯葉に当る、夕暮の雨よ。」

・ふきまずる=吹き混ずる。風の中に雨がまじる意を、風が意図的に雨を混ぜて吹くように言いなした、京極派独特の表現。

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2011年12月25日 (日)

◎水仙: ≪見ごろ・八分咲き≫ 花・12月~2月

*今日は当寺の御本尊文殊菩薩さまのご縁日。一年の最後のご縁日は「終い弘法」とか「納め不動」「果ての大師」と言いますが、文殊さまの場合どれが当てはまるのでしょうか。「終い文殊」「納め文殊」どちらでもいいのでしょうね。

子供たちは冬休みに入り、クリスマスからお正月へと楽しみがいっぱいです。でも最近の子は休みでも勉強が忙しそうです。遊びも部屋の中でゲームに夢中ですから外で遊んでいる子は珍しくなりました。案外、高齢の方が外を歩いておられるのではないでしょうか。だんだん世の中様変わりしてきたように思えます。寒くても戸外で暖かくなる運動をすることはいいことです、健康のためにはなんでもいいから自分に合った運動をすることです。私の場合、土と戯れています。スコップやクワで土を耕せば体は熱くなり衣服を次々と脱皮していきます。少しの時間を繰り返しますとそんなに疲れません。食事もおいしくいただけます。野外は気持ちいいですね。

本尊ご縁日の法要は月例の午後一時半からいたします。

「葉も花も すがれ果てたる 秋草の

なほ立てるあり 山の道ばた」木下利玄

〔俳句〕

「垣よりに 若き小草や 冬の雨」 太祇

「水仙の 右左より 香りくる」秋千晴

〔和歌〕

「龍田川 ながるる水も このごろは 

ちる紅葉ゆへ おしくぞ有りける」

法皇(後宇多院)御製・玉葉884

「ここ、龍田川では、平生は別に何とも思わず見ている流れる水も、初冬のこの頃は、川面に散り浮いて水と一しょに流れ去ってしまう紅葉のために、大変名残惜しく思われるよ。」

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2011年12月24日 (土)

般若寺 水仙花だより   12・24

◎水仙: ≪見ごろ・七分咲き≫ 花・12月~2

                花数・2万本

                満開・お正月前後

*当寺に「まかばら石」「かんまん石」に続いて新しい「パワースポット」が誕生しました。南北朝の戦記、『太平記』巻第三に登場する「般若寺本性房」(ほんしょうぼう)にあやかっての「力石」です。

本性房は大力のお坊さんと記録されます。

元弘元年(1331)八月、後醍醐天皇が京都府の笠置山に陣取り幕府を倒そうと乱を起こしました。諸国に令旨を発して味方を募ったのですが、六波羅勢(鎌倉幕府)の大軍に包囲されてしまったのです。これが「元弘の乱(変)」です。このとき般若寺では後醍醐方の戦勝祈願を行ったらしく、九月に入って本性房が祈祷の巻数(かんじゅ・祈祷に用いた経名と回数の記録、祈祷札)を持参して笠置山に入りました。ところが山の周囲は幕府軍に包囲され今にも落城かというところでした。そこで本性房は怪力を発揮して、普通の人が百人かかっても動かないような大岩を一人で山上から投げつけました。二十個,三十個と投げつけると敵方は雪崩を打って山から転げ落ち、負傷した兵の血で木津川の水が赤く染まったと言います。本性房の奮戦で窮地を脱した後醍醐方は、しばらくは持ちこたえますが、最後は多勢に無勢、全山に火が放たれ笠置寺の伽藍とともに行在所と砦の建物も焼け落城します。後醍醐帝は危地を脱して逃れ、しばらく山中をさまよい「有王山」というところで捕えられ隠岐へ流される、というのが「乱」の顛末です。本性房はその後どうなったのでしょう。笠置で戦死したか逃げ延びることができたのか判りません。おそらく「文観上人」の配下の坊さんだったのでしょうから、倒幕が成ったとき文観の軍列に加わっていたのかもしれません。

歴史に名を遺した怪力の本性房にあやかり、いま境内に「本性房力だめしの石」を3個置いてあります。小中大とあって「もてる女石・もてる男石・もてない石」と書いてあります。当寺へ来られたら一度挑戦してください。また笠置の駅前にある本性房の勇姿もご覧ください。

「冬空の 下に相寄り こんもりと

此の杜の樹は 枝交(まじ)へたる」木下利玄

〔俳句〕

「霧霜や 落葉はわきて 瑞々し」尾崎光尋

「世に悟る 満足もあり 水仙花」河東碧梧桐

〔和歌〕

「むらむらに 小松まじれる 冬枯の

野べすさまじき 夕暮の雨」

永福門院・風雅746

「あちこちに、小松のまじっているのが目立つだけの冬枯れの野を、一層淋しく味気ないものにして降る、夕暮の雨よ。」

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2011年12月23日 (金)

般若寺 水仙花だより   12・23

◎水仙: ≪見ごろ・八分咲き≫ 花・12月~2

                花数・2万本

満開・お正月前後

*昨日は冬至でした。冬至に小豆粥を食べると疫鬼を払うと言います。太陽の高度が最も低く、昼間が一番短い日です。これから寒さも厳しくなり、北国では雪が降り積もる季節です。何とかこの冬場を乗り切って春を迎えたいものです。自然界だけではなく人間社会も、世界の大不況の中に入って冬の時代を迎えています。すべての人が節電、節約をして持続可能な生活に切り替えるときですね。

「落葉ふむ 足をとどめて たたずめば

沈黙(しじま)ひろがる また歩み行く」 

木下利玄

〔俳句〕

「燃えてゐし 冬至の夕日 すぐ消えし」富田巨鹿

「仏壇に 水仙活けし 冬至かな」正岡子規

〔和歌〕

「霜のしたの おち葉をかへす こがらしに

ふたたび秋の 色をみる哉」

平貞房・玉葉882

「霜の下になっていた落葉を吹きかえす木枯らしによって、積った下にかくれてまだ朽ちていなかった紅葉が表面に現れ、再び秋の色を見ることよ。」

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2011年12月22日 (木)

般若寺 水仙花だより   12・22

◎水仙: ≪見ごろ・七分咲き≫ 花・12月~2

                花数・2万本

                満開・お正月前後

*耕して整地されたあとは土の庭です。薄黒い土の色は目にやさしく心を落ち着かせます。今は何もないけれど春になれば、ここから生命が芽生え緑一色になり花が咲き蝶や蜂が飛びかいます。土は生命の根源ですから大切にしていかなければなりません。

いま東北では土を削り取る除染作業が行われています。農に生きる人たちにとっては身を削られる思いでしょう。二度とこのような放射能汚染は繰り返してはなりません。そのため即座に原発は止めるべきです。そして原発を推進した人はそれぞれ責任を取っていただかなければなりません。

日本発の放射能は地球全体にまきちらされたのです、未来への負の遺産として

「熊笹の うす黄が纏(まと)ふ 山の上の

濃き藍色の 空のするどさ」 木下利玄

〔俳句〕

「短日や いつまで澄みて 暮るる空」原石鼎

「水仙や 古鏡の如く 花をかかぐ」松本たかし

〔和歌〕

「しぐれゆく ただ一むらは はやくして

なべての空は 雲ぞのどけき」

従二位為子・風雅745

「時雨を落として行く、ただ一群の雲は風に乗って早く過ぎ去るが、全般の空では、雲は静かに動かない。」

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2011年12月21日 (水)

般若寺 水仙花だより   12・21

◎水仙: ≪見ごろ・七分咲き≫ 花 12月~2

                花数・2万本

                満開・お正月前後

*晴れ。穏やかな冬日です。今日は終い弘法で各地の弘法さんはにぎわうでしょう。

昨日、当寺では今年最後の作業奉仕がありました。二人お出ででしたので以前からのつづきの作業、花壇を耕し、石灰を土に入れ整地していただきました。さらに大量に積もった落葉の片づけと散らばっていた植木鉢の移動整理もやっていただき庭はすっきりしました。今年はいろんな方面からのボランティア活動で庭の手入れをしていただき助けられました。夏の暑い日の草取りは大変でした。蚊に悩まされ汗だくになってのご奉仕でした。皆さんのお心のおかげでコスモスなど草花は美しく咲くことができました。本当にありがとうございました。

「山の木々 黒き黄色き かさなりて

われ一人を 見下ろすきびしさ」 木下利玄

〔俳句〕

「焚火

せし あとの寒さの 悲しけれ」星野立子

「水仙の 香に風筋の ありにけり」稲畑汀子

〔和歌〕

「ききなれし 梢の風は 吹きかえて

庭に木の葉の をとさはぐ也」

前右近大将家教・玉葉881

「聞き馴れていた、梢の葉を鳴らしていた風は、すっかり葉の落ちた今では様子を変えて、庭面に積った木の葉を吹き立て、その音がざわざわと聞こえる。」

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2011年12月20日 (火)

般若寺 水仙花だより   12・20

◎水仙: ≪見ごろ・七分咲き≫ 花・12月~2

花数・2万本

満開・お正月前後

   木々の葉が落ちて冬景色となりました。これから連休にかけて寒波襲来で本格的な寒さがやって来ます。

「冬ざれ」という言葉が似つかわしい季節です。蕪村の句に「冬ざれや 小鳥のあさる 韮畠」というのがあります。冬にも冬の明るさを楽しみたいものです。

「落葉樹 葉落つる前の 黄色なる

森のあかるみ われらよこぎる」 木下利玄

〔俳句〕

「柊の 葉の間より 花こぼれ」 高浜虚子

「水仙や 神話の中に 花言葉」 我妻一男

〔和歌〕

「外山より しぐれてわたる 浮雲に

木の葉吹きまぜ ゆくあらし哉」

藤原為仲朝臣・風雅742

「外山の方から、時雨を伴って渡る浮雲の中に、散る木の葉をも吹きまぜて行く、強い風よ。」

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2011年12月19日 (月)

般若寺 水仙花だより   12・19

◎水仙: ≪見ごろ・七分咲き≫ 花・12月~2

花数・2万本

満開・お正月前後

*今年の水仙はずいぶん早く咲いています。去年は1月中ごろから五分咲きになったのに、今もう七分咲きになっています。そして背も高いです。伸びすぎると雪に弱く花が折れてしまいます。いまのところ雪の心配はありませんが、年が変わるとどうなるかわかりません。もうそろそろ見頃なので来られる方は年内にお出でいただいた方がよいかと思います。

「冬庭に におい芳し 水仙の」倶咲

「枝はなれ 枯葉ただよひ 木のもとの

大地につきぬ なつかしいかな」 木下利玄

〔俳句〕

「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」松尾芭蕉

「水仙へ 地に入る前の 夕日ざし」真保喜代子

〔和歌〕

「かれつもる もとのおち葉の うへに又

さらに色にて 散る紅葉哉」

従二位為子・玉葉880

「枯れ色になって積っている、もとからのおち葉の上にまた、更に紅の色を添えて散る紅葉よ」

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2011年12月18日 (日)

般若寺 水仙花だより   12・18

◎水仙: ≪見ごろ・五分咲き≫ 花・12月~2

花数・2万本

満開・お正月前後

*ブログの更新が一日滞りました。お詫びいたします。実は写真と更新の操作を担当しているK君が東京出張したためです。奈良県が開設した観光情報発信の案内所、「まほろば会館」で定期的に開かれている奈良の若手僧侶による法話・講演会に講師を依頼され、本人も勉強のためと蛮勇をふるって初体験の講演をさせていただくことになったのです。会館は日本橋ですから東京の一等地にあります。17日午後から1時間半の講演なので本人も2か月前から準備し、原稿を作成し何度もリハーサルをして出かけました。内容は般若寺の案内、自身のボクシング経験、真言密教の加行体験、現代と仏教といった多種多彩なお話を用意したようです。根がひょうきんなところがあるので、結構面白い話になったようです。百人ほどの聴衆からは笑いが絶えなかったそうです。また自身のブログで東京の話が聞けると思います。そちらをお楽しみなさってください。

「燈籠の いくつのあかり ほのぼのと

丹ぬり柱の 円みあかるむ」 木下利玄

・春日社の万燈籠を詠める。

〔俳句〕

「枇杷咲くを 人には告げず 日を経たり」植山露子

「人前に 立ちてふるへて 水仙花」平野貴

〔和歌〕

「やまあらしに うきゆく雲の 一とをり

日影さながら 時雨降るなり」

儀子内親王・風雅731

「山嵐に吹かれて、浮きつつ流れ行く雲の、一しきり通り過ぎる下だけ、日ざしはそのままでありながら、時雨の降る音が聞える。」

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2011年12月17日 (土)

般若寺 水仙花だより   12・17

◎水仙: ≪≫ 花 12月~2

「春日山 宵のともし火 燈籠の

障子にとろり またたけり見ゆ」 木下利玄

・この歌は春日社の節分万燈籠を詠まれたものです。

利玄さん最後の歌集『一路』の「宵宮燈籠・奈良春日神社節分」に収められていて、代表作とも評価される秀作十五首の一つ。

〔俳句〕

「冬山を 叩くが如く 魚板打つ」杉浦冷石

「水仙の この道をゆく ばかりなり」伊藤多恵子

〔和歌〕

「この葉ちる み山のおくの かよひぢは

雪よりさきに うづもれにけり」

惟明親王・玉葉879

「木の葉の散る、深山の奥のわずかな細道は、雪が積るより先に、落葉でうずまってしまったよ。」

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2011年12月16日 (金)

般若寺 水仙花だより   12・16

◎水仙: ≪見ごろ・五分咲き≫ 花 12月~2

*来年のNHKの大河ドラマは「平清盛」です。おそらく「平家物語」にそって話は進んでいくのでしょう。般若寺は「奈良炎上」の舞台になります。治承41228日、平重衡に率いられた平家の軍勢は般若寺で南都の僧兵(大衆)と合戦し、放たれた火は奈良の天平大伽藍を灰燼に帰した。般若寺も全焼し廃墟となったという。後日、重衡は一の谷の合戦で囚われの身となり、最後は木津川で処刑されその首を般若寺の門前に晒されたそうです。般若寺は歴史上たびたびの合戦場となり何度も戦火に伽藍を失っています。いまに残る文化財は平家の焼き討ち以後に建てられた鎌倉伽藍の名残りです。テレビではどこまで「奈良炎上」が取り上げられるのかはわかりませんが、楽しみですね。いま般若寺にはいくさに命を落とした亡者を慰めるかのように可憐な水仙が咲いています。

「窓により 仰げば見ゆる 裏山の

尖(さき)ほそ冬木は さびしきかもよ」 

木下利玄

〔俳句〕

「茶が咲いて 夕月の香の 金の蘂」千代田葛彦

「水仙も 水仙の香も 立ちてをり」斉藤和子

〔和歌〕

「もみぢ葉の 深山にふかく ちりしくは

秋のかへりし 道にやあるらん」

後二条院御歌・風雅727

「紅葉葉が、山奥に深く散りしいているのは、これが秋の帰って行った道なのだろうか。」

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2011年12月15日 (木)

般若寺 水仙花だより   12・15

◎水仙: ≪見ごろ・五分咲き≫ 花 12月~2

*師走も半ばとなりました。今日はまだ暖かい朝でした。明日から寒気が入り寒くなるそうです、風邪をひかないように気を付けたいですね。

いま落葉樹の木の葉が風もないのに舞っています。栗とクヌギとイチョウの下はじゅうたんを敷き詰めたようです。カサコソと落葉を踏む音が心地よいです。掃除は落ちつくすまで待ちましょう。落葉は秋の名残ですからそっと残しておきたいです。

水仙の花は寒さを待っていたように凛と誇らしげに咲き、芳香をあたりに漂わせています。そして石の観音さまと仲良しになっています。冬もいい季節です。

「ひえびえと 今日は雨降り 青木の葉

なめらにぬれて 今日は雨ふり」 木下利玄

〔俳句〕

「風音の 枯山吹の 音となる」 稲畑汀子

「雨音に 聞き耳立てる 水仙か」松山律子

〔和歌〕

「夕日さす 峯のしぐれの 一むらに

みぎりを過ぐる 雲のかげかな」

入道前太政大臣(西園寺実兼)・玉葉864

「夕日のさす峰に時雨を降らす、その一むらの雲はあれかと見えて、庭先の石だたみの上を過ぎて行く、雲の影よ。」

みぎり=砌。軒下や階下の雨落ちの石だたみ。転じて庭そのものをもさす。

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2011年12月14日 (水)

般若寺 水仙花だより   12・14

◎水仙: ≪見ごろ・五分咲き≫ 花 12月~2

*いま夜空がきれいです。皆既月食はおわりましたが、冬の夜空は月と星の天体ショーです。寒さで空気が澄んでいるから月の光があっても星はよく見えます。オリオン、カシオペアをはじめ名だたる星座がきらめいています。

先日ご紹介した俳句に、水仙の花を「九曜」にたとえて表現したものがありました。九曜は古代の天文学では日・月・火・水・木・金・土の七曜星に羅睺(らご)と計都(けいと)の二星を加えたもので、天界が人間界の運命、吉凶を左右するといいます。要するに地球も人間も宇宙の一員だということですね。人間はもっと自然宇宙に謙虚でなければなりません。

「雑木山 落葉しつくし この頃の

冬日に光は 椿と青木」 木下利玄

〔俳句〕

「山茶花の 濃しと見たれど なほ淡し」篠田悌二郎

「水仙の 一輪づつや 六地蔵」兼藤教子

〔和歌〕

「秋の雨の 窓うつをとに ききわびて

ねざむるかべに ともし火のかげ」

権大納言公宗女・風雅708

「秋の雨が窓をたたく音を聞くのもほとほとわびしい思いで、寝覚めれば壁に映る、ほのかな燈の光よ」

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般若寺 水仙花だより   12・14

◎水仙: ≪見ごろ・五分咲き≫ 花 12月~2

*いま夜空がきれいです。皆既月食はおわりましたが、冬の夜空は月と星の天体ショーです。寒さで空気が澄んでいるから月の光があっても星はよく見えます。オリオン、カシオペアをはじめ名だたる星座がきらめいています。

先日ご紹介した俳句に、水仙の花を「九曜」にたとえて表現したものがありました。九曜は古代の天文学では日・月・火・水・木・金・土の七曜星に羅睺(らご)と計都(けいと)の二星を加えたもので、天界が人間界の運命、吉凶を左右するといいます。要するに地球も人間も宇宙の一員だということですね。人間はもっと自然宇宙に謙虚でなければなりません。

「雑木山 落葉しつくし この頃の

冬日に光は 椿と青木」 木下利玄

〔俳句〕

「山茶花の 濃しと見たれど なほ淡し」篠田悌二郎

「水仙の 一輪づつや 六地蔵」兼藤教子

〔和歌〕

「秋の雨の 窓うつをとに ききわびて

ねざむるかべに ともし火のかげ」

権大納言公宗女・風雅708

「秋の雨が窓をたたく音を聞くのもほとほとわびしい思いで、寝覚めれば壁に映る、ほのかな燈の光よ」

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2011年12月13日 (火)

般若寺 水仙花だより   12・13

◎水仙: ≪五分咲き≫ 花 12月~2

◎コスモス: ≪冬のコスモスは終わりました≫

9月から咲いていたコスモスもいよいよ終りを迎えました。もちろん9月から咲き出した花が同じ苗で今まであったわけではなく、「冬のコスモス」は9月半ばに種をまいた分です。花が見られるかどうか実験的に育ててみたのですが、よくぞここまで咲いたとほめてやりたいほど見事に咲きました。これも秋の高温のなせるワザかも知れません。

これからは水仙がバトンタッチをして表舞台に登場です。いま咲く水仙は寒水仙、日本水仙、におい水仙とさまざまに呼ばれ冬の庭を飾る唯一の花と言ってもよいでしょう。

*そろそろ来年のコスモス栽培の計画を立てています。

「初夏コスモス」は 5月下旬~7月上旬

「秋コスモス」は 9月下旬~11月下旬 

に咲かせる予定でいます。来年もよろしくご愛顧ご鑑賞くださいませ。

「街をゆき 子供の傍を 通る時

蜜柑の香せり 冬がまた来る」 木下利玄

〔俳句〕

「魚山の名 ここに千年 冬木立」 小塙徳女

「水仙花 九曜の星 つらねけり」 三橋鷹女

〔和歌〕

「ちりしける ははその紅葉 それをさへ

とめじとはらふ 森の下風」

従二位隆博・玉葉862

「散り敷いているハハソの紅葉よ。秋の形見のそれをさえも、とどめて置くまいとするかのように、吹き払ってしまう森の下風であるよ。」

・ははそ=ナラやクヌギなどの落葉喬木の総称。

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2011年12月12日 (月)

般若寺 水仙花だより   12・12

◎水仙: ≪五分咲き≫ 花 12月~2

◎コスモス; ≪冬のコスモス・名残り花≫

*水仙は英語ではナルキッソス(narcissus)と言いますがこれはギリシャ神話に由来します。美少年ナルキッソスが泉に写る自分の影に恋をして命果てるという話です。花がうつむいて咲くのは少年の姿だと言います。ナルシストという言葉も神話が起源です。

水仙の原産地は地中海沿岸で、シルクロードを通じて中国へやってきました。中国でも水にすむ仙人と考えられ水仙と名付けられました。日本へは遣唐使が持ち帰ったとか、海流に乗って沿岸に漂着し自生したと言われます。根や葉には毒があるので動物にも食べられることなく野生でも繁殖したのだと思われます。壮大な歴史とドラマを持つ花ですね。

「しずかにて さむくなりきつ 顔つめたく

寺庭歩くに 山茶花の白き」 木下利玄

〔俳句〕

「かかる入日 いつまた見んと 落葉踏む」水原秋桜子

「水仙の 気魄に圧され がちの日々」大橋敦子

〔和歌〕

「まどふかき 秋の木の葉を 吹きたてて

また時雨れゆく 山おろしの風」

後鳥羽院御歌・風雅707

「山家の窓辺を深くうずめる、秋の木の葉を吹き、舞い上がらせて、又時雨を降らせながら過ぎ行く、山おろしの風よ。」

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2011年12月11日 (日)

般若寺 水仙花だより   12・11

◎水仙: ≪五分咲き≫ 花 12月~2

◎コスモス: ≪冬のコスモス・名残り花≫

*イチョウの葉が色づくと同時に散り始めています。木の真下に阿波野青畝さんの句碑があり、その周りは今金色のじゅうたんを敷き詰めたように輝いています。

「般若櫃(びつ) うつろの秋の ふかさかな」青畝

○『太平記』で名高い大塔宮護良親王(現在の呼び名・おおとうのみやもりよししんのう)が追手をのがれるため当寺の「大般若経の唐櫃」に潜んだ歴史(春秋)をふまえて詠まれた句です。宮様は堂内に三合あった経櫃でふたが空いているところに入り、上から大般若の経をかぶり隠形の印を結び息を凝らして潜んでおられまれた。すると追手はふたの閉まっている櫃二つだけを調べ帰って行きました。ところが一つ見落としたということで引返し調べてみるとその櫃にも宮はいなかった、「空ろ」であったのです。実は宮様は前に調べられふたの閉まった櫃に移り変わっていたのです。追手は「大塔宮はおらず大唐の三蔵がおられたわい」と高笑いをして引き上げました。大般若経は唐の三蔵法師玄奘が翻訳したことをひっかけています。そのあと宮様は熊野へ落ち延びられました。

昭和初期の唱歌に「大塔宮」の歌があり一番が般若寺です。

「氷の刃(やいば)み腹にあてて、経巻かずき固唾(かたず)を飲みて、こもりいませし般若寺あはれ」です。年配の方が時々唐櫃の前で歌っておられます。

「目路さむき 冬田向うの 山もとに

夕陽を浴びたる 大仏殿の屋根」 木下利玄

〔俳句〕

「冬日さす この道がまた 楽しくて」中村吉右衛門

「水仙の 花のうしろの 蕾かな」星野立子

〔和歌〕

「をのづから そめぬこのはを ふきまぜて

色色に行く 木がらしのかぜ」

前大納言為家・玉葉861

「たまたまには、まだ色づかぬ木の葉をも紅葉の中に吹きまぜて、紅黄緑、色とりどりに吹きすぎて行く、木枯らしの風よ。」

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2011年12月10日 (土)

般若寺 水仙花だより   12・10

◎水仙: ≪五分咲き≫ 花 12月~2

◎コスモス: ≪名残りの花≫

*今朝は夜間の晴天による放射冷却現象で今年一番の冷え込みでした。奈良では最低気温が-1度になり初霜、初氷でした。寒いです。でもまだこれからです。この先もっと厳しい寒さがやって来るでしょう。奈良は盆地特有の底冷えというのがあって過去に-7度までなったこともあります。昨日北海道から来た人が奈良は「性悪の寒さ」と感想を洩らしておられました。きっと北海道に比べ南にあるから暖かい所と思って来られたのでしょう。

冬のコスモスは霜で枯れたかなと心配したのですが、まだ大丈夫でした。霜にもめげず健気に咲き続ける花に拍手を送りたいです。コスモスが霜枯れればうしろの水仙が登場です。そろそろ見頃を迎えています。水仙の似あう般若寺の始まりです。

「大和路の 冬の村にきて とまる夜の

このしづかさの しづかすぎたる」 木下利玄

〔俳句〕

「木の葉ふり やまずいそぐな いそぐなよ」加藤楸邨

「水仙に 来る客ありて 茶のけむり」水原秋桜子

〔和歌〕

「もずのゐる まさきのすゑは 秋たけて

わら屋はげしき 峯の松風」

前中納言定家・風雅703

「鵙のとまっている、まさきの枝先は秋深い風情になって、藁屋根の貧しい家に、激しく峯の松風が吹きおろす。」

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2011年12月 9日 (金)

般若寺 水仙花だより   12・9

◎水仙: ≪五分咲き≫ 花 12月~2

◎コスモス: ≪名残りの花≫

*今日も曇天。奈良ではまだ霜が降りたり氷が張ったりはありません。明日あさっては少し冷え込みそうです。霜が降りるようになれば、いよいよ水仙の出番です。花はいつの間にか五分咲きになっています。秋からずっと温度が高いので花は遅れるかなと思っていたのに、その逆で2週間は早く咲いています。この分だとお正月前に満開になりそうです。

いま奈良はオフシーズンに入ったように静かです。でもこの時期こそ奈良の良さが堪能できます。落葉を踏みしめ土の上を歩くなんて都会では味わえない風趣ですものね。皆さん奈良へお越しください、そして歴史と自然をたっぷりご賞味ください。きっと心の栄養になりますよ。

「寺庭の 夕静(ゆふしづ)あゆみ さむけきに

目にとめて見つ 白き山茶花」 木下利玄

〔俳句〕

「オリオンの かたむき消えぬ 冬の朝」 稲畑汀子

「水仙に 風見えそめて 佇めり」 高野素十

〔和歌〕

「をのづから をとする人も なかりけり

山めぐりする 時雨ならでは」

西行法師・玉葉838

「たまたまにでも、訪れる人すらないことだよ。山々をめぐり行く時雨の音の外には。」

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2011年12月 8日 (木)

般若寺 水仙花だより   12・8

◎水仙: ≪三・四分咲き≫ 花 12月~2

◎コスモス: ≪名残りの花≫

*今日は「成道会(じょうどうえ)」、お釈迦様がさとりを開かれた日です。

またこの日はアジア太平洋戦争の始められた日でもあります。従来ハワイの真珠湾奇襲攻撃が開戦とされてきましたが、どうも英領マレー半島コタバルへの日本陸軍上陸を支援するため、米軍太平洋艦隊を攻撃したというのが歴史の真実であったようです。コタバル上陸は宣戦布告なき開戦でありました。中国への侵略が成功せず、資源求めて東南アジア全体へと戦線を拡大し、世界を相手に無謀な戦争をしたのがあの敗戦へとつながった原因です。

お釈迦様は非暴力不殺生のおしえを説かれました。これは永遠の真理です。暴力武力で物事は解決はできません。今、大不況の中で人心はぎすぎすし、戦争を賛美する声が大きくなっています。しかし、しょせん戦争、軍隊の本質は殺人です。

今日は仏の教えのこと、戦争のことを考える日です、過ちを繰り返さないために。

「奈良山の 夕陽見てをり 目路(めぢ)ひろき

冬田にのぞみて この丘のさむさ」 木下利玄

・後の句は「字余り・四四語」になっている

「利玄調」である。

・目路は目で見通せる範囲、眼界。

〔俳句〕

「微光あり 錦繍つくす 冬紅葉」水原秋桜子

「水仙の 莟に星の 露を孕む」正岡子規

〔和歌〕

「をく霜の 染めまがはせる 菊のはな

いづれかもとの 色にはあるらん」

紀貫之・風雅702

「置く霜がもとの白を所々紫に染めて、色をわかりにくくしてしまった菊の花よ。(霜の白と菊の白と)どれが本来の白菊の色なのだろうか。」

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2011年12月 7日 (水)

般若寺 水仙花だより   12・7

◎水仙: ≪三分~四分咲き≫ 花 12月~2

◎コスモス: ≪名残り花≫

*コスモスはまだ咲いています。「冬のコスモス」とでも言えばいいのでしょうか。花を見ているといまだ秋のようです。きっと霜が降りるまでいつまでも咲き続けるでしょう。

水仙は三分咲きをこえて四分から五分になってきました。一重咲きの日本水仙のほかに八重咲きのチャフルネスも咲いています。八重咲きは特に香りが高く「匂い水仙」とも呼ばれます。水仙の花はしおらしい花で目立ちませんが、その匂いは自己主張していて存在感があります。

「二三里の 冬田越しに見ゆ 枯芝に

夕陽のあたる わかくさ山が」 木下利玄

〔俳句〕

「ふはふはと 朴の落葉や 山日和」松本たかし

「水仙の 花の白さを 見つめけり」吉岡妙子

〔和歌〕

「夕暮の あはれは秋に つきにしを

また時雨して この葉ちる比」

従一位教良女・玉葉836

「夕暮のあわれは、秋でもう極限に達したと思ったのに、時雨が降り木の葉が散るこの初冬の頃は、また格別のあわれを感ずることよ。」

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2011年12月 6日 (火)

般若寺 水仙花だより   12・6

◎水仙: ≪三分咲き≫ 花 12月~2

◎コスモス: ≪名残りの花≫

*師走は日がたつのが早いです。日の出は遅く日没は早いので、昼間が短く感じるからかもしれません。今年もあと25日となりました。今年も花との長いお付き合いで一年を過ごしました。夏から秋にかけての暑さには本当に悩まされました。でも何とか秋の花を咲かせることができたことは自然の恵み、仏様のご加護と感謝しなければなりません。しかし秋が終わった今も休んでいるわけではありません。来年に向けて花壇の土づくりに専念しています。耕して草の根を取り除き石灰を入れ土壌を中和再生しています。コスモスは酸性土壌をそれほど嫌わないのでそのままでもいいんですが、毎年花を咲かせているので土地がやせて行きます。それでカキ殻有機石灰を入れています。カキは海の栄養素を貝殻に蓄えているので植物に必要な微量元素を補給できます。きょうはいつもの作業奉仕に3人の若者が来られたので花壇の土づくりを手伝っていただきました。若い人の力は頼りになります。有難うございました。

「コスモスの 花群がりて はつきりと

光をはじく つめたき日ぐれ」 木下利玄

〔俳句〕

「仏名会 燭三千は ありぬべし」阿波野青畝

「香をほどき 初むは夜明けの 野水仙」稲畑汀子

〔和歌〕

「ゆふ日うつる そとものもりの うす紅葉

さびしき色に 秋ぞ暮れ行く」

今上(光明院)御歌・風雅689

「夕日の映える、家の裏手の森の薄い紅葉の、そのさびしい色の中に、秋は暮れて行くよ。」

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2011年12月 5日 (月)

般若寺 水仙花だより   12・5

◎水仙: ≪三分咲≫ 花 12月~2

◎コスモス: ≪名残りの花≫

*いま冬の花、山茶花(さざんか)が咲いています。いつごろから咲き出したのか分からないくらいひかえめな花です。それでも赤、白、桃色とけっこう色とりどりのきれいな花です。童謡に「さざんかさざんか咲いた道・・・」と歌われるように庭の垣根なんかに植えられることが多いです。

それから同じ種類の木、茶の花も咲いています。真っ白な小さく丸い花です。般若寺はお茶の名産地として鎌倉時代から有名だったそうですから、最近木の数は少なくなりましたが境内に残っている木はその頃からの生き残りかもしれません。

冬の花はどれも上品、清楚という言葉がよく似合います。

「茶が咲いて 夕月の香の 金の蘂(しべ)」千代田葛彦

「霜しのぐ 水仙の葉の 萌え立ちは

或はよぢれて 莟芽抱けり」 木下利玄

〔俳句〕

「玉の如き 小春日和を 授かりし」松本たかし

「水仙の こち向く花の 香をもらふ」中村汀女

〔和歌〕

「山がつの よもぎがかきも 霜がれて

風もたまらぬ 冬はきにけり」

藤原清輔朝臣・玉葉834

「山人の、わずかに垣根代りにする蓬もすっかり霜で枯れて、寒風もさえぎるものなく吹きこむ冬がやって来たことよ。」

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2011年12月 4日 (日)

般若寺 水仙花だより   12・4

◎水仙: ≪三分咲≫ 花 12月~2

◎コスモス: ≪名残りの花≫

*きのうは晴れたり降ったりややこしいお天気でした。それでも雨のおかげでコスモスも水仙も生き返ったようです。植物には水が必要です。何日も続くのはいやですが時々雨があればいいですね。

今、イチョウの葉が少し色づいてきました。今年はだいぶ遅れているようです。木が大きいので黄葉すればあたり一帯が明るくなり、落葉が降ってきたら金色の雨になります。当寺の木はギンナンが成らないのでオス木だと思われます。樹齢はまだ30年ほど、若くて勢いがあります。境内のほぼ真ん中にあり、邪魔にならないので枝を切らないでおいてあります。だからどんどん大きくなると思います。

「雑木林の 黄朽葉ぬらす しぐれの雨

しづかに降りて 音の冷たさ」 木下利玄

〔俳句〕

「拾ひもつ 落穂のいつか 夕冷えて」富安風生

「背を向けて 互ひにそっぽ 野水仙」浜野愛子

〔和歌〕

「しぐれつる 外山の雲は 晴れにけり

夕日にそむる 峯の紅葉葉」

後京極摂政太政大臣(後京極良経)・風雅684

「時雨れていた、外山の上の雲は晴れてしまった。(時雨よりも)さして来た夕日に赤く染まって見える、峯の紅葉葉の美しさよ。」

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2011年12月 3日 (土)

般若寺 水仙花だより   12・3

◎水仙: ≪二~三分咲≫ 花 12月~2

◎コスモス: ≪名残りの花≫

*天気予報に反して晴れ間が見えてきました。夜の雨も大したこともなく「しぐれ」と言ってもいいようなお湿りでした。少し暑くなりそうです。おかしな天気ですね。

*ここで木下利玄の短歌を紹介して3日目になります。利玄(りげん・としはる)は明治19年(1886)岡山県足守藩のお殿様の甥に生まれ、5才で養嗣子となり13代当主を継ぎ子爵に列せられる。東京で学習院に学び文学に志し13才で佐々木信綱の門下生となり逸材とたたえられた。東大国文科卒業後「白樺派」に加わり短歌を専門とした。歌集に『銀』『紅玉』『一路』『みかんの木』がある。大正の和歌革新運動、近代短歌の草創期に活躍したが、惜しくも大正14年(192539歳で病没した。

「冬庭は 落葉の後を おちつきて

すがしく目に立つ 水仙の青」 木下利玄

〔俳句〕

「一枚の 木の葉拾へば 山の音」稲畑汀子

「まつすぐな 葉の囲み咲く 水仙花」宮本道子

〔和歌〕

「心とめて 草木の色も ながめをかん

面かげにだに 秋や残ると」

前大納言為兼・玉葉832

「心をととめて、草木の色をよくよく見ておこうよ。明日から冬になっても、せめて記憶の中のそれらの姿にだけでも秋が残ってくれるかもしれないと思って。」

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2011年12月 2日 (金)

般若寺 水仙花だより   12・2

◎水仙: ≪二~三分咲≫ 花 12月~2

◎コスモス: ≪名残りの花≫

*昨日、水仙の開花状態を一分咲きとしましたが、よく見るともう三分咲き程になっています。水仙の前にコスモスが咲き残っているのでつい見過ごしてしまいました。それにしても早いですね。

今日から二日間は雨になりそうです。各地名所の紅葉が散ってしまわなければいいんですが。

当寺の落葉樹も今が最後の色づきを見せています。ヨノメ、クヌギ、クリ、モミジ、ヤマザクラ、イチョウ、ヤマブキなどが紅色、黄色、茶褐色と色とりどりに花やいでいます。しかしこの雨で散り行くことでしょう。諸行無常ですね。

「冬庭の 荒びし土に 水仙は

  葉に反りうちて 萌え立ちてをり」木下利玄

〔俳句〕

「初冬や 竹伐る山の 鉈の音」夏目漱石

「水仙の ひとかたまりの 匂ひかな」黒川悦子

〔和歌〕

「みるままに もみぢ色づく 足引の

山の秋風 さむくふくらし」

侍従具定・風雅776

「見ているうちに、紅葉は赤くなって行く。山の秋風が、寒く吹いて(木の葉を染めて)いるらしいなあ。」

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2011年12月 1日 (木)

般若寺 水仙花だより   12・1

◎水仙: ≪咲きはじめ・1分咲≫ 花12月~2

◎コスモス: ≪名残りの花≫

*去年の水仙は咲くのがおそかったです。今頃はまだ蕾もちらほらでした。咲き出したのは1月も下旬ごろでした。それに比べ今年はずいぶん早いです。もう一分から二分ていど咲いています。この分ですと今月下旬からお正月ごろに満開になるのではないかと予想されます。今はまだ名残りのコスモスが咲き残っているのでひかえめな水仙は目立ちません。もう少しすると水仙の香りが冬の般若寺を引き立ててくれると思います。お楽しみに。

「真中の 小さき黄色の さかづきに

       甘き香もれる 水仙の花」木下利玄

・木下利玄(18861925)は白樺派の同人として短歌に専念した。口語調の清麗詠風。「利玄調」と呼ばれた。

〔俳句〕

「路地抜けて 行く忙しさも 十二月」高浜年尾

「水仙の 低く匂へる 夕日かな」金田和子

〔和歌〕

「草木みな あすみざるべき 色もなし

我が心にぞ 秋はくれける」

入道前太政大臣(西園寺実兼)・玉葉831

「草木の秋の色は皆、明日はもう今日と同じに見ることはできない、というものではない。それなのに、ああ秋も終わりだと思うのは、私の心の中で秋が暮れてしまうからなのだろう。」

・あすみざるべき=「明日見ないはずの色はない」というのは、「明日見ても同じ草木の色のはずだ」という意。

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