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2012年3月25日 (日)

般若寺 春の花だより   3・25

  ◎梅: 白梅、紅梅、豊後梅 ≪満開≫

・レンギョウ、沈丁花、山茱萸、黄色水仙≪見ごろ≫

◎山吹:黄色一重咲、黄色八重咲、白山吹≪花は4月中旬≫

・桜、椿、シャガ、紫雲ランは4

・鉄線、矢車草、は5

・山アジサイ、アジサイ、早咲コスモスは6月見ごろ

*つづいて「中の川」の石造文化財

③ 《実範上人塔と中川寺成身院跡》

・中の川集落を過ぎて浄瑠璃寺南口バス停へ向かい200メートルほど行くと、大きなカーブの手前で左手(道の西側)が開け、下の方に一枚の田圃が見えます。その田圃へ下るほそい道を林の中へ200メートルばかり行くと笹原の中に少し開けた場所があります。

その奥まったところに大きな木に囲まれて石塔があります。これが中川少将・実範上人の御廟塔と伝わる石造五輪塔です。五輪塔は「壇上積基壇」の上に建ちます。基壇は一辺183センチ四方、高さ50センチ、束石で区切られた二つの羽目石には格狭間(こうざま)が彫られる丁寧な作り。基壇上の塔はとてもよく均整がとれています。一辺85センチ、高6センチの蓮台に乗り、全高184センチを計る。地輪部は67センチ四方、高45センチ。基壇を含め総高240センチの立派な塔です。この辺りは後ろは落ち込んだ地形なので寺の「奥ノ院」「御廟所」的な場所にあたるようです。そして塔の前の笹原は平地が続くようです。

石塔はいろんな作例と比較して年代的には13世紀後半のものと推測されます。実範上人は1144年、平安末期に亡くなられていますから、この塔は没後百年程のちに追慕の供養塔として建てられたのか、弟子の宗観もしくは孫弟子、観験のものかもしれません。いづれの僧たちも当時のそうそうたる名僧でありました。現在では伝承に従い開山上人「実範御廟塔」とするのが適当でしょう。

さて、寺の方は現地では全くどこに伽藍があったのか見当がつきません。江戸時代の名所図絵でもあればいいんですが。おそらく御廟所前の平地になった笹原を刈り込めば、それらしいお堂跡なんかが分かるのではないでしょうか。早急な学術調査が待たれます。

今とりあえずすべきことは、バス道からの道しるべ・道標と御廟所の説明版です。奈良市も文化財課、観光課の仕事としてこれくらいはしてほしいですね。

地域行政として「中の川」の顕彰に力を入れてほしいものです。

最後に全国の真言宗の寺院、僧侶、檀信徒の皆様には「南山進流」の故里を知ってほしいです。そして無謀な開発の手から進流の聖地を守ってほしいです。

また興福寺、唐招提寺、東大寺、円成寺、浄瑠璃寺など実範上人ゆかりの寺院にも関心を持っていただきたいです。

みんなの力で史跡公園のような形で顕彰できるよう努力しましょう。

これで一応、5回にわたる「中の川」についての拙い報告を終えます、有難うございました。

〔短歌〕

「この寺に とまることにして くつろげば

大和の田舎の 夕ぐれしづか」

木下利玄・一路

〔俳句〕

「春なれや 名もなき山の 朝がすみ」松尾芭蕉

〔和歌〕

「くもりなく さやけきよりも 中々に

かすめる空の 月をこそ思へ」

権中納言定頼・玉葉122

「曇りなく明るく照っているのよりも、かえって、霞んだ空の月をこそはしみじみとなつかしく思うよ。」

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