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2012年4月17日 (火)

般若寺 春の花だより   4・17

◎桜: ≪満開・散りはじめ≫

◎椿: ≪満開≫

・レンギョウ、桃、利休梅、グミ ≪満開≫

・シャガ、ツルニチニチ草 ≪見ごろ≫

◎山吹: 黄色一重咲 ≪見ごろ≫

黄色八重咲 ≪五分咲き≫

白山吹 ≪咲きはじめ≫

・矢車草、紫雲ラン、牡丹、などは4

・鉄線、空木、黄菖蒲、などは5

・山アジサイ、早咲コスモス、アジサイ、などは6

*春のお天気は変わりやすいです。晴れ、曇り、雨を繰り返しています。きのうなんかは、天気予報では曇りで雨はふらない予報だったのに、夕方からザアーッときつい降りでした。今日はどうなることやら。

きのうは以前から予定していた石塔巡りに行きました。行先は京都府八幡市の石清水八幡宮のある男山ふもと、八幡宮寺五輪塔です。ここへ行ったのは何十年も前のことで、すぐには見つけられませんでした。古い参詣道の和菓子屋で聞くと八幡宮の下社の西横、神応寺の門の近くにありました。神社に五輪塔とは、不思議に思われるかもしれませんが、実はこの石清水八幡宮はほとんど寺だったのです。八幡宮寺と呼ばれました。

これは巨大な五輪塔です。高さ6メートル、地輪部が一辺24メートルと圧倒される大きさです。重量はどれほどあるのでしょうか。般若寺の石塔との比較では、地輪部は20トン近く、全体では780トンはあるでしょう。鎌倉時代の作ですが、誰が何時、何のために造ったのかは不明です。こんな大きな石なのに銘文を全く刻んでいないし、文献にも出てこないのです。ただ伝承では大阪の方の海運商人が航海安全を祈って建てたといい、「航海記念塔」と言い伝えています。

しかし、形状や石材から見ると奈良近辺の五輪塔とよく似ています。おそらく宋人・伊行末(いのゆきすえ)派の作品ではないかと思われます。この石清水八幡宮寺はかつて真言律宗、西大寺とも深いつながりがありました。山内に末寺がありましたし、叡尊の弟子には八幡宮寺の検校法印の弟、慈済(じさい)がいました。

塔の近くには墓はありませんから惣墓の供養塔でもなさそうですが、いずれにしても誰か(複数)の追福を祈る供養塔には違いありません。石清水八幡宮に関係する人々の総供養塔として、西大寺流律僧たちが勧進して資財を集め、宋人石工集団を使って造立したのでしょう。鎌倉時代の日本最大の五輪塔に八幡宮寺の経済力の大きさがうかがえます。

*明治の廃仏以後「石清水八幡宮」となっていますが、かつては神社と寺が一体であり、山内に多くの寺院が立ち並んでいました。そのころは全体を「石清水八幡宮寺」と呼んでいました。

〔短歌〕

「この見ゆる 麦生(むぎふ)の春日 おもくるし

稍(やや)ひさしくて 風醸(かも)されぬ」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「山吹の いと濃きありて 遠くにあり」相馬黄枝

〔和歌〕

「我がやどの やへ山ぶきは ちりぬべし

花のさかりを 人のみにこぬ」

藤原元真・風雅278

「私の家の八重の山吹は(誰も見ないで)散ってしまうでしょうよ。こんなに見事な花の盛りを、あの方は見に来ないなんて。(ほんとにひどいわ)」

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