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2012年5月 8日 (火)

般若寺 春の花だより   5・8

◎初夏のコスモス(早咲種):15種類。5万本。

5月末~7月≫

・チョコレートコスモス、ピコティ ≪咲きはじめ≫

 

〇矢車草、花菱草、シャガ、鉄線、紫雲ラン

バナナの木(唐種オガタマ)、 ≪見ごろ≫

・グラジオラス、山アジサイ、忍冬 ≪5月後半≫

・紫陽花、ヒツジ草 ≪6月≫

 

 

*新緑のすがすがしい季節となってきました。江戸前期の俳人、山口素堂の句がこの時期の句としてよく知られます。

 

「目には青葉 山ほととぎす 初がつお」

 

*きのう新緑の森の中を歩いてきました。石造美術研究家の縄田氏と写真家の八尾さんと三人で出かけました。「中の川」の「牛塚」まで行くと、当地の所有者である駒谷さんご夫妻が待ち受けておられました。駒谷さんは木津川市の梅谷地区のお方でこの山林は先祖伝来の山だそうです。牛塚のことをいろいろ教えていただき、縄田さんには十三重石塔の欠失している笠石が付近で見つかったのをご教示いただきました。

 

それから全員で「護摩石」へ向かって山道をたどりました。山林地帯へ入ってみると案外立派な道です。道幅は2メートルほどあり旧伊賀伊勢道と考えても納得のゆく道です。だらだらと下ってゆくと400メートルほどで道から左へはずれて人一人が通れるだけの尾根道へ入ります。そこからは左右は谷に挟まれ切り立った尾根の背のけもの道です。縄田さんは自分一人でこの道を見つけたそうですが、初めて来たら確実に迷いそうなところです。大きな倒木が道をふさぎ下草が覆っている場所もあります。だいたい上りです。距離はよく分かりませんが、牛塚から30分ほど歩いたようです。頂上部にたどり着くと護摩石が見えました。

 

ここはまわりから突出した山の頂で少し平地もあります。もし樹木がなければ展望のききそうな場所です。護摩石は数十坪の平地の南端にあり、中央部には「三等三角点」と彫られた標石があります。みんなで手分けして周囲を調べてみると、あちこちに大きな石が点在します。自然に露出した花崗岩です。だいたい23メートルのものが多いですが、一番大きいのは10メートルはありそうです。護摩石もここの自然石からこの地で加工されたのでしょう。山の頂にあり、周囲に大岩があることから見てもここが信仰の場であることは間違いないでしょう。だいたい大岩は古代には神の依り代として磐座(いわくら)信仰の対象でした。

 

そこで縄田さんの説を拝聴することにしました。氏によれば、

 

 雨乞いの地

 護摩石は儀式のとき運び込んだ塔(金属製の相輪棠または多宝塔)を建てるための基台

 塔の前で護摩を焚き請雨祈祷をした

との仮説を立てられました。

 

私も雨乞い説には賛成です。ただ塔を建てるとしたら周辺の石を利用できるのではないか、実際に護摩石はここで加工されているのですから。しかし石造物であれば破片なりとも何かが残存していなければならないでしょうが、周囲にはそれらしい遺物は見当たりません。

 

またお堂のような建造物もなかったようです、あたりには礎石らしきものはありませんから。きっと野外で雨乞いをしたのでしょう。そして石の位置は動かされているようです。平地の北側にあったのを東南へ移しています。基底部は自然石のままで地中に埋められ、地上部は円形に加工され、さらに上部はほぼ正方形に造られています。さらに同じく正方形のくぼみがあり、四隅の角に鍵型のくぼみもあります。ますます不思議が大きくなる形ですね。

 

駒谷さんのお話では、かつて梅谷地区ではこの山から流れてくる小川をせき止め簡易水道として飲み水に利用したそうです。すぐ近くには木津川へと流れる「赤田川」もあります。「赤」は仏様に供える「閼伽」のことですから清浄な水の源はこの山であることは、昔の人はよく知っていて日照りの時にはここで雨乞いをしたということもうなずけます。

 

おそらく近隣の中川寺、そしてその本寺である興福寺がかかわっていた可能性大です。この石の上にどんなにすばらしい塔がたっていたのでしょう、ますます想像が膨らみます。

 

現在牛塚も護摩石も大変良い環境にあります。大自然の懐にいだかれて祖先の精神活動の文化遺産が残っています。いつまでもこの環境が続くことを祈らずにはおれません。

 

 

〔短歌〕

 

「はずみある 処女(をとめ)の肌の はねかえす

物なくいたみ 汗もつ昼間」

 

木下利玄・銀

 

〔俳句〕

 

「白と見し 黄と見し花の 忍冬(すいかづら)」前内木耳

 

〔和歌〕

 

「春はすて まだ時鳥 かたらはぬ

けふのながめを とふ人もがな」

 

式子内親王・玉葉296

 

「春は捨て去り、まだ時鳥は親しげに鳴いてもくれぬ、今日の私のつれづれの物思いを、尋ねてくる人があってほしいなあ。」

 

かたらはぬ=「かたらふ」は特に声低く鳴く地鳴きをいう。「話を交わす」「親しく語る」意をかける。

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コメント

護摩石のところでどなたかノートを落とされませんでしたでしょうか。
今日夕方たまたま護摩石へ行ったのですが、傍らにノートが落ちていました。
鞄の中にあったビニール袋に入れて護摩石の上に置いておきました。

真新しい案内板と目印のヒモに導かれて無事護摩石までたどりつきました。
ひょっとしてみなさまの手によるものでしょうか?
おかげさまで思いがけず探検気分が味わうことができ、楽しい夕方となりました。

投稿: 夕方探検隊隊長 | 2012年5月 8日 (火) 21時24分

お便り有難うございます。早速に護摩石までおいでいただき有難うございます。あのノートはわたくしのもので当地で実測を記入していたのですが、帰ってみて紛失に気づきました。ご丁寧に袋に入れて置いていただいたようで本当にありがとうございます。あの立札は急きょ私が手書きで書いたので不十分なもので恐縮です。いづれもう少し整備をしてどなたでも訪れていただけるようにするつもりす。
もっと世の人に知っていただかなければと思っていますので周囲の方にも教えてあげてください。11日には中の川へ集団ハイキングがあり私も同行いたします。まずは御礼まで。

投稿: 般若寺住持良任 | 2012年5月 8日 (火) 22時08分

ご返信ありがとうございます。

昨日は案内板をみつけた中の川の方から牛塚へ向かいましたが、地図で確認したところ、そのまままっすぐ行くと、緑ヶ丘浄水場へ続くのですね。

以前梅谷から新興住宅地の脇を抜け、緑ヶ丘浄水場から(ちょうど般若寺さんのあるあたりの)奈良へ抜けたことがあります。そのとき、浄水場から山へ向かう小道のために、浄水場専用道をまたぐ形でわざわざ橋が架けられているのに気がつきました。

その道は橋を渡ってすぐ舗装されていない土の道に変わっていましたので、こんな舗装もされていない道のために橋をかけるのはなぜだろうと思っていました。

あの道が牛塚に至り、さらに伊勢まで続く古道だったとすれば、納得です。

護摩石へ向かう道が、ほぼ今の県境と一致しているのも興味深いところです。かつてはそのまま浄瑠璃寺南大門へたどりつけたのでしょう。浄瑠璃寺南口から浄瑠璃寺へ抜ける道が、どんどん荒廃しているのが残念です。

奈良から、牛塚を経て、水呑み地蔵、すぐの分岐を右に折れて唐臼の壷、笑い仏の脇を通り過ぎ、弥勒の辻を抜け笠置寺へ。

弥勒の辻では、今はお姿が消失した笠置寺の弥勒磨崖仏を予感し、旅人たちは期待に胸を膨らませたことと思います。古い信仰の確かな痕跡を感じます。

昨日はちょうど解脱上人貞慶展を見た帰りだったのですが、貞慶上人もまさにあの道を歩いたに違いありません。

本当に偶然みかけた案内板の導きで、昔の人々の思いにひととき触れることができました。心より感謝いたしますm(_ _)m。

投稿: 夕方探検隊隊長 | 2012年5月 9日 (水) 18時14分

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» 夕方探検部〜旧街道を探索して護摩石へ向かえ! [ちーチャンネル]
夕方探検部、それは気まぐれに近所の山の中をさまよい歩き古きを訪ねる部活である。ちなみに部員は一人しかいない! [続きを読む]

受信: 2013年5月 5日 (日) 02時34分

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