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2012年7月

2012年7月31日 (火)

般若寺 夏の花だより   7・31

◎ 秋海棠(しゅうかいどう)≪見ごろ≫ 

◎ 百日紅(さるすべり) ≪見ごろ≫ 

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

 

 秋のコスモス:9月中旬~11月 開花予定。

35種類、15万本。

「ピコティ」も咲きます。

 

 

*今日で7月、文月が終わり、明日からは8月、葉月(はつき、はづき)です。

葉月の語源はよく分かりません。葉が落ちる月「葉落ち月」が転じて「葉月」になったとする説、雁が初めて来る「初来月」、「初月」からとする説があります。旧暦ですから今の9月上旬から10月上旬に当り、8月は秋です。そして今月8日ごろに「立秋」となります。

しかしここ数日の暑さは格別です。とても秋を感じることはできません。また雨も当分見込めそうにありません。天気予報に出てくる夕立はどこへ行ったやら、かんかん照りのカラカラ天気です。

今サルスベリの花が抜けるような青空にまっ赤に燃え立って咲いています。当寺では白花はまだ咲いていませんが、サルスベリのまっ白い花はかき氷のようで涼しげです。

「大塔宮 在(いま)せし寺や 百日紅」小牛

「いつの世も 禱(いのり)は切や 百日紅」中村汀女

 

〔短歌〕

「岩と岩の 間に潮の たゆたひて

底の砂まで 真昼日させり」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「百日紅 ごくごく水を 飲むばかり」石田波郷

〔和歌〕

「こぼれおつる 池の蓮の 白露は

うきはの玉と 又なりにけり」

院御製(伏見院)・玉葉422

「池の蓮の花びらからこぼれ落ちる白露は、水面に浮いた葉の上でもう一度、ころころと転ぶ白玉になったよ。」

・補説:原作百首詠にくらべ、初句の字余りが動的な迫真性をもたらす。入集に当っての推敲か。為兼とはまた異なる、独自の清澄な写生。

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産・春日山原始林は

世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全する観点からも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設するのは不適です。

中の川地区は柳生の里、当尾の里への入り口です。

歴史古道・伊賀伊勢道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

中川寺成身院を開かれた実範上人は910日(天養元年・1144

が御命日です。御廟所へお参りしましょう。

 

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2012年7月30日 (月)

般若寺 夏の花だより   7・30

◎ 秋海棠(しゅうかいどう)≪見ごろ≫ 

◎ 百日紅(さるすべり) ≪見ごろ≫ 

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

 

 秋のコスモス:9月中旬~11月 開花予定。

35種類、15万本。

「ディープレッドキャンパス」も咲きます。

 

*夏を代表する木の花、サルスベリが見ごろになりました。蝉も遅ればせながら大合唱です。

*昨日につづいて一針薬師のこと。解脱房貞慶が惣持寺を開基して本尊に薬師如来を造立したことは、三輪上人慶円の伝記「三輪上人行状」(みわしょうにんぎょうじょう)に記されています。それによれば本尊の造立は12世紀末から13世紀初頭、下限は1205年と推定されます。安阿弥陀仏快慶に依頼して作り開眼供養導師に三輪上人を迎えたとあります。この本尊薬師如来が現存の石仏であることを唱えたのが太田古朴氏でした。太田氏の拓影が掛け軸になって持聖院に保存されています。私たちは寺の座敷で拝見させて頂きました。石像は自然石の基礎の上に高さ200cm巾190cmの花崗岩を置き、表面を整えた上線刻で中央に薬師如来立像、左右脇侍に日光・月光の二菩薩、周囲には十二神将を配して一種の薬師曼荼羅を形成しています。本尊薬師は踏み割り蓮華座に立っておられます。そして上部には巾190cm、奥行き100cm、厚さ20cmの屋根を載せています。全体に非常に精緻な彫刻となっています。石像の背後が少し崖のようになっているのでお堂が建てられませんねと言うと、縄田氏は本堂はきっと礼堂形式でしょうと言われました。山川氏の説ではこの作者は宋人石工の可能性が高いと書いておられます。またこの一針薬師の入口にも建物の中に線刻の地蔵菩薩がまつられていました。

この日だけで4体の線刻仏像を拝見できました。おそらく宋人伊行末の石工衆が活躍したのでしょう。最後に持聖院に戻って中井住職さんからもお話を聞き、由緒ある一針薬師と惣持寺を護持し世に出してくださいと要望させて頂きました。

奈良には世に知られざる素晴らしい石造文化財がたくさんあります。古代から石には霊魂が宿っていると信じられてきました。それが仏像となっておれば信仰の対象です、大切にしたいですね。

 

〔短歌〕

「弁当を 食べをへにけり 浜山の

笹に照る日は かぎろひてをり」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「夏草や 兵共が ゆめの跡」松尾芭蕉

〔和歌〕

「夕立の 雲とびわくる しら鷺の

つばさにかけて 晴るる日の影」

院御歌(花園院)・風雅413

「夕立の雲を分けて飛ぶ白鷺の翼に、きらりきらりと反射して、晴れて行く日の光りよ。」

・かけて=作用を及ぼして。暗雲を背景に、鷺の翼を日光が白く輝かせるさま。

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産・春日山原始林は

世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全する観点からも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設するのは不適です。

中の川地区は柳生の里、当尾の里への入り口です。

歴史古道・伊賀伊勢道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

中川寺成身院を開かれた実範上人は910日(天養元年・1144

が御命日です。御廟所へお参りしましょう。

 

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2012年7月29日 (日)

般若寺 夏の花だより   7・29




・夏コスモス(早咲種)は昨日で終わりました。コスモスさん、
5月の末から2か月余り長らく花を楽しませて下って有難うございました。秋までしばらくお休みください。秋本番には美しい花で参詣者のこころを癒してあげてください。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠(しゅうかいどう)≪見ごろ≫ 

◎ 百日紅(さるすべり) ≪見ごろ≫ 

 秋のコスモス:9月中旬~11月 開花予定。

35種類、15万本。

「イエローキャンパス」も咲きます。

 

*昨日の庭作業は本当に厳しい暑さの中過酷な作業でした。枝切りをしてくださった西田木材の皆様、ボランティア活動の美咲会の皆様、ご苦労様でした。感謝いたします。「平和の塔のつどい」も被爆者の方々をはじめ、広島での「原水爆禁止世界大会」へ参加される若者たちで盛り上がりました。また奈良県知事さん、奈良市長さんからはメッセージが寄せられ披露されていました。奈良県民、奈良市民の平和式典として定着してきたように思います。

 

*先日、解脱房貞慶が開基した「惣持寺」(そうじじ)の本尊と想定される「一針薬師」(ひとはりやくし)へ行ってきました。この石仏の事を知ったきっかけは、解脱房貞慶の800年御遠忌で海住山寺のHPに貞慶に関する小論文が連載されていて、その一つに石造美術研究家の山川均氏が一針薬師の事を書かれていたことからです。氏が最近出版された『寧波と宋風石造文化』(汲古書院・東アジア海域叢書10)の「一針薬師笠石仏について」の項でも詳しく知ることができました。それとこの石仏は真言律宗の末寺である「持聖院」が所蔵されていることも判ったのでぜひ一度拝見したいと思ってからです。道案内は石造美術に詳しい縄田雄一氏にお願いし、氏の車に乗せてもらって出かけました。場所は奈良県生駒郡三郷町勢野東です。史料では信貴山の麓と書かれているのでてっきり生駒川(平群川)の西側かなと思っていたところずっと東、斑鳩町の三室山に近い所でした。生駒市から平群谷の矢田山丘陵に沿う道を南へ行き、途中「平群町椿井」という村の道端で高13メートルの笠石仏を見ました。鎌倉時代初期の線刻如来立像で繊細な彫刻がきれいに残っています。ただお顔は磨滅していて見えません。顔だけ消えているのは約800年の風化と、昔の「疱瘡」(ほうそう)病を治してほしいという土俗信仰から仏さまのお顔を撫でて拝んでいたからでしょうか。三郷町に入ってもう一か所、共同墓地の入口にも線彫り石仏がありました。さらに南下して東へ入ると目指す「惣持寺」、現在の持聖院です。惣持寺は貞慶が創建した後、真言律宗に加わり栄えていたようです。しかし何らかの原因で衰退し、現在は子院の寺聖院(じしょういん)が由緒を継いでいます。ちょうど我々が寺へお邪魔して奥様に一針薬師拝観の申し入れをしてた時、御住職の中井師が帰山され歓迎していただきました。(つづく)

 

〔短歌〕

「真下(まつした)に 潮の寄する 崖にして

萱(かや)青々し 日中の風」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「夾竹桃 くらくなる迄 語りけり」赤星水竹居

〔和歌〕

「河風に うはげふかせて ゐる鷺の

すずしくみゆる 柳はらかな」

源仲正・玉葉424

「河風に上毛を吹かせている鷺が、いかにも涼しそうに見える、柳の立ち並んだ河原の景色よ。」

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産・春日山原始林は

世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全する観点からも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設するのは不適です。

中の川地区は柳生の里、当尾の里への入り口です。

歴史古道・伊賀伊勢道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

中川寺成身院を開かれた実範上人は910日(天養元年・1144

が御命日です。御廟所へお参りしましょう。

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2012年7月28日 (土)

般若寺 夏の花だより   7・28

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中≫

・秋コスモスに植え替えていますので

夏花は徐々に減っています。28日終了予定。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠(しゅうかいどう)≪見ごろ≫ 

〇 鬼ユリ ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅(さるすべり) ≪つぼみ≫ 

 

*今日は多忙な一日になりそうです。朝8時に西田木材からクスノキの枝切りに来られます。樹齢600年の巨木を、5年前、直径15メートル高さ9メートルのところで大枝を切ってもらったのですが、その切り口から出た小枝が50本ほど出て大きく茂っています。中には直径10センチ以上のもあります。木がまだ若いので再生力が旺盛です。広い場所であれば思い切り伸ばしてやりたいのですが、すぐ近くまで家が建てられていて苦情が絶えません。いつも泣く泣く枝を切っています。切った枝は少し残してもらい、参詣の皆様にさし上げる予定です。室内に置いておくだけでさわやかな香りが楽しめます。

それから同じ時刻に「美咲会」のボランティア作業があります。暑い中本当にご苦労様です。今日は夏コスモスを全部抜きとって片付けていただく予定です。夏コスモスさんさようなら、また来年にも咲いてください。

もう一つは、午後4時からの「般若寺平和の塔の集い」です。これは23年前に出来た非核平和のモニュメント、般若寺平和の塔の行事です。この塔に灯る火は福岡県八女市星野村に灯る広島原爆の残り火、「原爆の火」を核兵器廃絶と恒久平和を願うシンボルとして国連の特別軍縮総会へ届けられた時の分火です。この時の火を灯し続ける般若寺では、毎年、原爆犠牲者の追悼式と被爆者を励ます集い、世界に拡散する原水爆兵器の廃止を実現させようとの平和の誓いの式典を行っています。昨日までに準備はほぼ出来上がり、午後4時の開式を待つばかりです。

朝夕の庭仕事、水やりも欠かせませんから、結構忙しい一日となりそうです。

 

〔短歌〕

「畑坂に 通り雨はれ 桑の葉の

濡れの照りあつし うつむきてのぼる」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「この暑き 草いきれにも 思い出湧く」殿村菟絲子

〔和歌〕

「ゆふだちの 雲吹きをくる 追風に

梢の露ぞ また雨とふる」

宣光門院新右衛門督・風雅412

「夕立の雲を彼方に吹き送る、その追風のために、(雨はすでに止んだのに)梢にたまった露が又雨のように降って来る。」

・追風=背後から追うように吹く風。

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産・春日山原始林は

世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全する観点からも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設するのは不適です。

中の川地区は柳生の里、当尾の里への入り口です。

歴史古道・伊賀伊勢道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

中川寺成身院を開かれた実範上人は910日(天養元年・1144

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2012年7月27日 (金)

般若寺 夏の花だより   7・27

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中≫

・秋コスモスに植え替えていますので

夏花は徐々に減っています。28日終了予定。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠(しゅうかいどう)≪見ごろ≫ 

〇 鬼ユリ ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅(さるすべり) ≪つぼみ≫  

 

*猛暑の中、秋コスモスの準備をしています。夏コスモスは8割方抜き取り、残すは十三重石塔の周囲と本堂基壇のあたりだけとなりました。これも明日、「美咲会」のご奉仕日となっていて片付けていただく予定です。今年は遅くまで花を残しましたが、やはり秋9月までは1か月余りなので、今がぎりぎりの植え付け時期と言えます。苗もどんどん大きくなっています。境内花壇への植え付けは毎日少しづつやっていますから、早く植えたところはしっかり根付いています。これまで6,7割ほどが植え付けを終えています。苗床への種まきは610日からほぼ毎日。約2か月ほどの時間差でまいてあります。開花時期をずらすことで9月中旬から11月下旬まで花が楽しめます。開花期間中も終わった花は新しい苗に交替していきます。しかし秋コスモス栽培では今が一番の繁忙期です。10万本から15万本の苗を植え付けます。水やりも朝晩欠かせません。体力を維持するため、作業は朝と夕方に限定して昼間は外へは出ないようにしています。夜は早く寝ることです。もちろん水分補給も欠かせません。スポーツドリンクを2リットルボトル2本あけます。ここがガンバリ時と毎朝気を引き締めています。あと一か月コスモスにお付き合いしましょう。

 

〔短歌〕

「少年等 相ひつれおよぎ はじめたり

見てゐれば寧ろ かなしきろかも」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「向日葵の 空かがやけり 波の群」水原秋桜子

〔和歌〕

「夕されば 波こす池の 蓮葉に

玉ゆりすふる 風のすずしさ」

三条入道左大臣(三条実房)・玉葉423

「夕方になると、波が立ってかかる、池の蓮の葉をゆすって、かかった池水で美しい露の玉を葉の上にいくつもこしらえる、風の涼しいこと。」

・ゆりすふる=揺り据うる。葉にかかった水をゆすぶって玉にし、安定させる。

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産・春日山原始林は

世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全する観点からも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設するのは不適です。

中の川地区は柳生の里、当尾の里への入り口です。

歴史古道・伊賀伊勢道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

中川寺成身院を開かれた実範上人は910日(天養元年・1144

が御命日です。御廟所へお参りしましょう。

 

 

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2012年7月26日 (木)

般若寺 夏の花だより   7・26

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中≫

・秋コスモスに植え替えていますので

夏花は徐々に減っています。28日終了予定。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠(しゅうかいどう)≪見ごろ≫ 

〇 鬼ユリ ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅(さるすべり) ≪つぼみ≫  

 

*夏の土用の晴天には「土用干し」が行われます。長い梅雨でたっぷりしみこんだ湿気を払うために書画骨董、書籍、衣類を室内に広げたり掛けたりして風を通して乾燥させます。紙魚(しみ)など虫がつかないようにするためです。昔からの夏の風物詩の一つです。

「虫干や 金澤文庫 経ばかり」野村喜舟

「無き人の 小袖も今や 土用干」松尾芭蕉

「虫干や 甥の僧訪ふ 東大寺」与謝蕪村

「虫干に 猫もほされて いたりけり」小林一茶

 

〔短歌〕

「およぎゆかん 入江の向うの 岸遠し

はだかとなれる 小学生徒」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「花石榴(ざくろ) 久しう咲いて 忘られし」正岡子規

〔和歌〕

「行きなやみ てる日くるしき 山みちに

ぬるともよしや 夕立の雨」

徽安門院・風雅409

「暑さに行きなやんで、照りつける日光が苦しい山道では、たとえ濡れてもそれがありがたい、夕立の雨よ。」

よしや=「濡るとも良し」と「縦(よ)しや(たとえ・・・でも)」と双方の意を含む。

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産・春日山原始林は

世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全する観点からも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設するのは不適です。

中の川地区は柳生の里、当尾の里への入り口です。

歴史古道・伊賀伊勢道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

中川寺成身院を開かれた実範上人は910日(天養元年・1144

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2012年7月25日 (水)

般若寺 夏の花だより   7・25




 
夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中≫

・秋コスモスに植え替えていますので、

夏花は徐々に減っていきます。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠(しゅうかいどう)≪見ごろ≫ 

〇 鬼ユリ ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅(さるすべり) ≪つぼみ≫  

 

*夏本番となり暑さも厳しくなってきました。土用の間が一番暑い時期です。先週には392度を記録したところもありました。今年はどんな記録が生まれるのやら。記録といえばオリンピックもまもなく始まり、忙しいながらも楽しい夏を迎えそうです。

*今日は当寺の御本尊文殊菩薩さまのご縁日です。今から745年前の文永4725日、思円上人叡尊師が導師となり、丈六文殊像が開眼供養された日です。巨大な旧本尊は戦国の兵火で失われましたが、後に文観上人造顕の秘仏文殊像を御開扉し新本尊としてまつり現在に至ります。

今日は午後一時半より法要があります。法要は『般若理趣経』を中心に、前讃、後讃の声明、観音経、般若心経、文殊の真言、諸尊の御真言、回向文を唱えます。文殊さまの御真言は

「おん・あ・ら・は・しゃ・のう」です。

和訳では「(文殊菩薩に)帰命す。ア・ラ・パ・チャ・ナ。」

このアラパチャナは、『大般若経』や『華厳経』の文字品にみえる四十二字門の始めの字母である。ア(菩提を求め)、ラ(衆生を捨てず)、パ(第一義に於いて)、チャ(諸法を修して)、ナ(自性あることなし)と解される。文殊を象徴する種字は尊名「マンジュシュリー」の頭字をとり「マン」字となります。

 

〔短歌〕

「山あひの ここまで入りこみ 海すめり

ひくく垂れたる 松のしづけさ」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「くれなゐを みどりを籠めて 花氷」日野草城

〔和歌〕

「枝にもる 朝日のかげの すくなさに

すずしさふかき 竹のおくかな」

前大納言為兼・玉葉419

「枝枝をすかしてさし入る光の少いために、かえって涼しさが深い奥行きをもって感じられる、竹林の奥よ。」

・補説:早朝の竹林の清逸。斜光と陰影の扱いに、絵画や写真以上の切れ味を示す。五句すべて勅撰集中に用例は皆無、「朝日のかげの」以外は句の性格としても全く新奇であり、しかもそれらが少しの違和感もなく的確な叙景として詠み据えられている。為兼秀歌の随一といってよい名作。(岩佐美代子評)

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産・春日山原始林は

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春日山の生物多様性を保全する観点からも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設するのは不適です。

中の川地区は柳生の里、当尾の里への入り口です。

歴史古道・伊賀伊勢道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

中川寺成身院を開かれた実範上人は910日(天養元年・1144

が御命日です。御廟所へお参りしましょう。

 

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2012年7月24日 (火)

般若寺 夏の花だより   7・24

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中≫

・秋コスモスに植え替えていますので、

夏花は徐々に減っていきます。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠(しゅうかいどう)≪咲きはじめ≫ 

〇 夾竹桃(きょうちくとう)、鬼ユリ ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅(さるすべり) ≪つぼみ≫  

 

 

*重要文化財・般若寺十三重石宝塔の建立に関する様々な問題を8日間にわたり考えてきました。謎は謎のままで何ら解決されませんでしたが、ぼんやりした全体像が浮かび上がったように思います。推測の結論ををまとめておきます。

①最初発願した人:「大善巧の人」。名前は判りませんが、東大寺を再建した重源の弟子。

②いつから建て始めたか:重源入滅直後、1207年ごろ。

③発願者の死去:1210年ごろ。基台と初重の大石を積んだところで命終。以後、工事は長らく中断される。

④観良房良恵が工事再開したのは:1230年ごろ。

⑤第五重目を積む:1240

⑥完成:1253年ごろ。この頃より西大寺叡尊が般若寺復興への支援を本格化させる。

少ない材料からの類推でした。宋人伊行末の率いる石工集団が重源亡きあと叡尊教団へ移行していったのは、般若寺大石塔がきっかけであったことを示してみたかったのです。

 

〔短歌〕

「心(しん)がちに 大輪向日葵 かたむけり

てりきらめてる 西日へまともに」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「風鈴の 音を点ぜし 軒端かな」高浜虚子

〔和歌〕

「松をはらふ かぜはすそのの 草におちて

夕だつ雲に 雨きをふ也」

前大納言為兼・風雅408

「松を吹き払う風は、裾野の草に荒々しく吹きつけ、夕立の気を含んで立ち満ちる雲と競って、雨が落ちて来る気配だ。」

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産・春日山原始林は

世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全する観点からも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設するのは不適です。

中の川地区は柳生の里、当尾の里への入り口です。

歴史古道・伊賀伊勢道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

中川寺成身院を開かれた実範上人は910日(天養元年・1144

が御命日です。御廟所へお参りしましょう。

 

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2012年7月23日 (月)

般若寺 夏の花だより   7・23

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中≫

・秋コスモスに植え替えていますので、

夏花は徐々に減っていきます。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠(しゅうかいどう)≪咲きはじめ≫ 

〇 夾竹桃(きょうちくとう)、鬼ユリ ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅(さるすべり) ≪つぼみ≫  

 

*今日は大石塔を完成させた観良房良恵について考察します。

十三重石宝塔建立の工事が「大善巧の人」の死去で頓挫した後、観良房良恵が工事再開したのは1230年頃と推定しましたから、1253年石塔完成までは23年かかったことになります。さらに仏像制作、諸堂の建設をなしとげ本尊の開眼供養が1267年、さらに生身文殊供養である「無遮大会」(むしゃのだいえ)を行ったのは1269年ですから石塔工事を再開してから40年近く経っています。観良房の生没年は不明ですが、西大寺叡尊の弟子にも加わり最終的に般若寺を西大寺末寺に寄進します。そして叡尊の直弟子、慈道房信空を般若寺長老に迎えます。そのとき何歳であったのかは分かりませんが、1230年頃30歳であったとしたら67歳になります。師の叡尊とほぼ同年齢か、もしくは少し年上であったかもしれません。叡尊の自伝、『感身学正記』の文永47月の条に、般若寺丈六文殊菩薩像の開眼供養を詳しく記した後に、

「そもそも当寺は、去んぬる弘長年中に尊像を安置し奉りて以来、幾年を経ずといえども、自然に両三輩の施主出来し、仏殿・僧坊・鐘楼・食堂等を造り添え、ほとほと本願の昔に復すと謂うべし。数宇の造営自ずから成る。これひとえに大聖文殊善巧の方便と、願主上人(良恵)夢想の意楽と計会の致す所なり。すなわち、西大寺の末寺として管領せしむべきの由、上人(良恵)競望の間、同法比丘信空を遣わし住まわしむ。

・無想=あらゆる想念を無くしてしまうこと。

・計会=重なり合う。ここでは、文殊の方便と良恵の意向が重なり合うことで般若寺の復興がなったとの意。

・競望=強く希望すること。」(細川涼一訳注『感身学正記 1』平凡社・東洋文庫664

と記されるように、観良房が般若寺復興の願主であり叡尊上人に率いられた西大寺教団を挙げての大事業であったと思われます。観良房良恵当初どの寺に属したかなどは詳しくは分かりませんが、東大寺の重源が率いた遁世僧教団の一員ではなかったかと思はれます。大石塔を発願した「大善巧の人」の後輩にあたるのではないでしょうか。石塔建立の途中から叡尊の下で正式の受戒をした弟子になり、叡尊と伊行末の石工集団との接点を作った人物だと思います。石工たちは重源亡き後、東大寺の大勧進職が禅宗の栄西に移り、造営の仕事も減少したため、他方で造営事業を拡大していた西大寺教団に活動の場を移していったのでしょう。観良房は伊行末石工集団の活動の場を重源から叡尊へと移行する繋ぎの役割を果たしたと言えます。

1230年ごろの石塔工事再開から1253年の石塔完成、1267年の文殊開眼、1269年の無遮大会まで約40年間を般若寺復興に献身した僧侶こそ、中興願主上人と言うに相応しいです。

 

〔短歌〕

「日盛りの 光みなぎり 松の梢(うれ)の

鶴の行ひ けさやかに見ゆ」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「おもひ出の 町のだんだら 日除かな」久保田万太郎

〔和歌〕

「夕立の 雲まの日かげ 晴れそめて

山のこなたを わたるしらさぎ」

前中納言定家・玉葉416

「夕立の雲の間から日光がさし、空は晴れはじめて、緑濃い山の手前を飛びわたり行く、くっきりと白い鷺の姿よ。

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産・春日山原始林は

世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全する観点からも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設するのは不適です。

中の川地区は柳生の里、当尾の里への入り口です。

歴史古道・伊賀伊勢道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

中川寺成身院を開かれた実範上人は910日(天養元年・1144

が御命日です。御廟所へお参りしましょう。

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2012年7月22日 (日)

般若寺 夏の花だより   7・22

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中≫

・秋コスモスに植え替えていますので、

夏花は徐々に減っていきます。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠(しゅうかいどう)≪咲きはじめ≫ 

〇 夾竹桃(きょうちくとう)、鬼ユリ ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅(さるすべり) ≪つぼみ≫  

 

 

*もう一度笠卒塔婆の銘文にもどって大石塔のことを考えてみたいと思います。銘文は南塔には断裂があり文字が欠けているのと、北塔には摩耗が激しい所があって重要な所が読めません。ですから飛び飛びの文章となります。

北塔の原文は、

  「二基以一本廻過去慈考以一本宛

   現在悲母就中般若寺大石塔婆為

   果大工本諏□為□彼影像所写也

   此□□建立也然与今以□□□

   □上同合与力並阿□上人修石

   壇大功聊結縁畢願以此功徳

   救□亡□□苦偏□□□□・・

   常忉利天今一人行吉造石率都婆

   詣極楽界都一切衆生□□・・

弘長元年辛酉七月十一日伊□□・・」

なかなか読みづらい文です。3行目の「彼の影像を写す所を□せんが為也」、

5行目の「並に阿□上人石壇を修する大功に聊か結縁し畢」に関心を引かれます。「彼の影像」とはだれか著名な人が描いた画像で、それを写して彫ったというのですから初重の四方仏のことでしょう。それは出来上がった掛け幅の画像か、新たに誰かが素描したのかは分かりません。私が知っている奈良の仏師で在野の石造美術研究家であった故太田古朴師は四方仏の下絵は運慶かもしれないとおっしゃっていたのを思い出します。古朴さんはこれ程の雄大な像容は運慶以外に考えられないと言っておられました。ひょっとすると私が考えたように発願者は重源あるいは有力な弟子であり、伊行末、運慶と東大寺復興の立役者がこの大石塔に結集していると推定しておられたのかも。それから「阿□上人」が石壇を修築したという記事は、大石塔を取り巻いて五段の石階を持つ一辺13メートルの石壇の事でしょうが、上人号の「阿□」は重源さんが弟子や信者たちに「阿弥陀」の「阿」字を与えていたことと符号します。これだけの規模の石段は当石塔以外にはありません。ある仏教学者の説では、これは釈迦の戒を授ける場、「受戒壇」の役割を持たせたのではないかと言う事です。大石塔の発願者は一人であったでしょうが、実際の工事は大勢の上人たちが関わっていたのでしょう。

 

 

〔短歌〕

「松の間の 茶屋の筵に 大き蟻

這ひまはり居る 山の日ざかり」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「滝の上に 水あらはれて 落ちにけり」後藤夜半

〔和歌〕

「外山には ゆふだちすらし たちのぼる

雲よりあまる いなづまのかげ」

前大納言経顕・風雅407

「近い山には夕立が降るらしい。その方向では、立ちのぼる雲からこぼれ落ちるように、時々稲妻の光りが走る。」

 

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2012年7月21日 (土)

般若寺 夏の花だより   7・21

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中≫

・秋コスモスに植え替えていますので、

夏花は徐々に減っていきます。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠(しゅうかいどう)≪咲きはじめ≫ 

〇 夾竹桃(きょうちくとう)、鬼ユリ ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅(さるすべり) ≪つぼみ≫  

 

*先日「奈良きたまち案内所」がオープンしました。場所は近鉄奈良駅の北300メートル、「奈良女子大学」前、大学学生寮の南角です。もとの「鍋屋町交番」の古い建物をリフォームして案内所にしています。昭和初期のちょっとモダンでかわいい建物です。運営は民間ボランティアでされていていつも誰かがいてお客様に応対されています。駅から北側の古い町の中にある名所旧跡を案内するビデオも見られます。一度お訪ね下さい。

*般若寺十三重石宝塔をめぐるいまだ解明されていないいくつかの謎に挑戦してきました。発願者のこと、石工の伊行末のことに大胆な推測を加えました。

今日は大石塔はいつごろ着工されたかについて考えます。般若寺に残る『文殊縁起』(これは叡尊作の願文の写しで、昭和38年頃京都市の書房文華堂店主中山善次氏より寄贈された)には、礎石が草むらに散在する廃墟の中から復興をこころざした「大善巧の人」(だいぜんぎょうのひと)が基台と初重の大石を積んで命絶えた。しかる後一禅侶(=観良房良恵)が建設現場に居住し「大善巧の人」の遺志を継いで完成させた、とあります。施工者は伊行末の石工集団であり、発願者は重源上人、もしくはその弟子であったと推定されますから、東大寺の復興造営との関係からすれば、重源上人最晩年、あるいは没後まもない頃と想定すればどうでしょうか。延応2年(1240)には第5重目を積んでいて第13重目まで13年かかっていますから、観良房の工事再開から第5重目の1240年までに10年近い歳月を要したと思われます。中断の期間がどれほどであったのかは分かりませんが、「大善巧の人」の名前が忘れられるほどの長い時間が経過していたのでしょう。工事再開を1230年頃と仮定すれば、1206年の重源入滅の頃から着工して、初重を積むのに数年の時間がかかるとして「大善巧の人」が亡くなったのは、1210年頃ではないかと思われます。工事中断のブランクは20年ほどになります。基台と初重の軸部はそれぞれ15トンの大石です。石の切り出し、運搬、彫刻、積み上げと大変な労力を要し、費用も莫大なものだったと推測されます。重源さんのお弟子さんであれば、大仏復興で培った勧進という方法、少額で大勢の人々から浄財を募ることはお得意であったと思います。おそらく奉加帳のようなものがつけられていたのでしょうが、記録が残らなかったことは惜しまれます。

 

〔短歌〕

「湖尻の 江の水せばみ 舟べりに

触れて真菰(まこも)の ずれゆく音す」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「夏山に 向かいて歩く 庭の内」高野素十

〔和歌〕

「日をさふる ならのひろばに なくせみの

声よりはるる 夕立の空」

入道二品親王道助・玉葉411

「日光をさえぎる、楢の広い葉の茂った中で鳴き出す蝉の声を先立ちとして、見る見る晴れて行く夕立の空よ。」

 

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中の川地区は柳生の里、当尾の里への入り口です。

歴史古道・伊賀伊勢道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

中川寺成身院を開かれた実範上人は910日(天養元年・1144

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2012年7月20日 (金)

般若寺 夏の花だより   7・20

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中≫

・秋コスモスに植え替えていますので、

夏花は徐々に減っていきます。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠(しゅうかいどう)≪咲きはじめ≫ 

〇 夾竹桃(きょうちくとう)、鬼ユリ ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅(さるすべり) ≪つぼみ≫   

 

*昨日の年表史料で伊行末(いのゆきすえ)の重要な事項が欠落いたしました。それは建長6年(1254)の項です。昨日の写真は東大寺三月堂前の石灯籠ですがそこに銘文が記されています。原文を読み下すと「敬って白す。石燈爐一基を施入したてまつる。右の志は宿願を果たさんが為、施入し奉る状件の如し。建長6年甲寅1012日。伊権守行末」

これは「宿願」すなわち般若寺の大石塔を完成を祈念するために、長年の東大寺復興造営に携わったことから、三月堂の観音様に石灯籠を奉納したのでしょう。何の役職かは不明ですが「権守」(ごんのかみ=次官)と言う位を持っていたようです。

長々史料を並べて結論は今日になってしまいました。宋人石工伊行末(いのゆきすえ)が重源上人の招きで日本にやって来たのはいつで何歳であったのか、これは記録がありません。伊行末が史料に初めて登場するのが東大寺大仏、大仏殿が完成した1195年の翌年です。建久7年(1196)の宋人石工、字六郎等として東大寺の中大門、大仏殿にまつる石獅子、脇士、四天王の諸像を造っていることです。この時伊行末が石工の棟梁として仕事をしたとすれば、少なくとも30歳頃のことではないかと思われます。没年が1260年ですから、1197年から没年までは63年たっていますから享年93歳くらいになります。もう少し若いと見れば80歳代の後半の年齢ではないかと推定されます。しかし笠卒塔婆の銘では伊行末は「大仏殿石壇四面廻廊諸堂垣」を造っていますから、1195年の大仏殿完成以前に来日していることになります。

最も早い時期を想定すれば、1186年の大仏開眼の後の大仏殿建設の頃か、もしくは1182年の大仏鋳造に加わった珍和卿(ちんなけい)とともにやって来たと考えることも可能です。1186年で20歳、1182年だとすれば16歳ぐらいになります。先輩の石工に従ってやって来たとすれば職人の見習工としての年齢としては普通でしょう。1196年の諸仏制作の記事に「字六郎」と記されているのは、先輩の石工たちはおそらく年齢、地位の順番に通り名として「一郎」「二郎」「三郎」と命名されていたことから「六郎」と呼ばれるほどの若い石工であったのでしょう。ですから来日の年次は1982年から1986年の間と考えるのが最も可能性が高いです。若くして来日し、先輩石工たちと東大寺という日本一の大寺の仕事をしたことで、技能も熟達しめきめき頭角を現したに違いありません。それゆえ30歳ごろには棟梁、石大工となっていたのでしょう。

さらに若くして来日した伊行末は日本人妻をめとり子息伊行吉(いのゆきすえ)をもうけたのでしょう。子供は何人いたのかわかりませんが、伊姓の子孫が代々石大工を受け継いでいます。以上、没年から遡って東大寺の復興造営工事から伊行末の来日と年齢を推定してみました。全く粗雑な推論で申し訳ありません。明日はいよいよ大石塔の着工年次について考えてみます。

「唐びとが 月おろがみし 笠塔婆」秋桜子

 

〔短歌〕

「近づける 雨雲ひくみ 沖くらし

遠波がしら いちじるく見ゆ」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「虹見るや こころの虹は いつ消えし」林翔

〔和歌〕

「山もとの をちの日影は さだかにて

かたへすずしき ゆふだちの雲」

前大納言為家・風雅406

「山の麓を照らす、はるか遠方の日光ははっきりと見えるのに、一方から涼しくかげって来る、夕立ちの雲よ。」

 

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2012年7月19日 (木)

般若寺 夏の花だより   7・19

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中≫

・秋コスモスに植え替えていますので、

夏花は徐々に減っていきます。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠(しゅうかいどう)≪咲きはじめ≫ 

〇 夾竹桃(きょうちくとう)、鬼ユリ ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅(さるすべり) ≪つぼみ≫   

 

*今朝は少し涼しいでした。昼間の暑さは仕様がないですが、夜だけでも涼しければ過ごしやすいのでしょうが。しばらくは我慢の日々ですね。

*般若寺の大石塔建立が何時から始まったかも謎のひとつです。

この謎を解くヒントは伊行末(いのゆきすえ)にあります。しかし伊行末についての情報はあまり多くはありません。没年月日は笠卒塔婆の銘文で、正元2年(1260711日であることははっきりしています。しかし何歳であったかは記されていません。同じく笠卒塔婆から中国の長江河口の港町、名州(寧波)の出身であることは記録されますが、何時、何歳で来日したかは不明です。

般若寺大石塔を何時立てはじめたかを知るために、来日してからの事績をまとめておきたいと思います。東大寺再建と般若寺大石塔建立に始まる復興造営について年表風に列挙します。

1、 治承4年(128012月 平重衡の南都焼討により般若寺、東大寺、興福寺など南都が焼亡する。

2、 養和元年(11818月  重源が東大寺造営勧進の宣旨を受け諸国勧進に乗り出す。10月、大仏の鋳造を始める。

3、 寿永元年(1182)宋の鋳物師珍和卿が大仏鋳造に加わる。

4、 文治元年(11868月 東大寺大仏開眼供養

5、 建久6年(11956月 東大寺大仏殿が完成し供養会、後鳥羽院、将軍源頼朝らが臨席す

6、 建久7年(11962月 宋人、字六郎(=伊行末)等4人が東大寺中門石獅子・堂内石脇士・同四天王像を造る。

7、 建仁3年(120311月 東大寺総供養

8、 建永元年(12066月 重源入滅

9、 承元3年(1209) 室生大野の弥勒磨崖仏を彫刻す(推定)

10、寛喜4年(1232) 春日若宮社の石壇築造(推定)

11、延応2年(1240) 宇陀大蔵寺十三重石塔を建てる

12、同年(12406月 般若寺十三重石塔の第5重目を積んでいた

13、建長5年(12534月 大石塔はほぼ完成に近づく

14、建長7年(1255)春  西大寺において叡尊発願の丈六文殊の頭部を仏師善慶が作る

15、康元元年(1257)夏  文殊の御身と身光花実等を造る

16、正嘉元年(1257)   丈六文殊菩薩像の造功終わる

17、同年  (1257)冬  文殊菩薩が騎乗する獅子の下地木を造る

18、正元2年(1260711日 伊行末卒去す

19、弘長元年(12612月 丈六文殊菩薩像を般若寺へ渡し奉る、御堂は半ば作りの状態であった

20、同年  (1261711日 伊行吉(いのゆきよし)が父、伊行末の一周忌に笠卒塔婆を建てる

21、弘長2年(126210月 北条時頼より文殊獅子の料として、紺青緑青各500両を奉加寄進される

22、文永4年(1267725日 本尊丈六文殊菩薩像の開眼供養

長くなりましたので続きは明日へ。

 

〔短歌〕

「陸(くが)めがけ 風吹きあげて 磯山萱(いそやまかや)

なびきつづけに ひたなびきせり」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「夕立の あとの大気や 石拾ふ」渡辺水巴

〔和歌〕

「をちの空に 雲たちのぼり けふしこそ

夕立すべき けしき成りけれ」

前参議家親・玉葉408

「遠くの空に雲が立ちのぼって、今日こそは夕立が降るに違いない空模様だったのに。(待望の雨は降らず、まだまだ暑い日が続きそうだ)」

 

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2012年7月18日 (水)

般若寺 夏の花だより   7・18




 
夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中≫

・秋コスモスに植え替えていますので、

夏花は徐々に減っていきます。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠(しゅうかいどう)≪咲きはじめ≫ 

〇 夾竹桃(きょうちくとう)、鬼ユリ ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅(さるすべり) ≪つぼみ≫   

 

*昨日梅雨明け宣言がありました。実際には3日ほど前から明けていたようです。これからはかんかん照りの晴天が続きます。

*般若寺十三重石宝塔の完成年次は建長5年頃(1253)とほぼ確定していて、完成させた人物は観良房良恵である事も判っています。

当寺に『文殊縁起』という古文書が残されています。これは文永4年(1267723日、叡尊発願の丈六文殊像が完成し開眼供養が行われた際の記録です。

これによれば、

「件の寺は聖武天皇の草創、観賢(かんげん)僧正の遺跡なり。星霜頻りに移って、梵宇(堂舎)空しく礎石を遺し、春秋しばしば改まって、仏像早く灰燼に変ず。野干(キツネ)居を卜して、古墓列をなす。厳重の伽藍名のみ有って実無し。ここに大善巧の人有って、よりより(時々)懐旧の悲しみを含んで、終に興隆の願を起し、時まさに十三重の塔婆を立てんとす。かつかつ(且且)基址(原文は石+止、基台か) 初重の大石を重ねて、その願未だ成就せざるに、その身すでに命過ぐせり。尓(しか)して後、一人の禅侶、彼の砌に居を卜して、亦彼の遺跡を勧めて、すでに彼の大功を果たす。然れども唯石塔のみ成って未だ仏殿有らず。ここにおいて彼の上人、よりより(時)愁を為す。仍て願いす、古像を感じて仏殿を造らんと。但し流記すでに失われて本尊を知らざる者かな。然るにすでに般若寺と号す、・・・」

このように何時のことかは定かではないが、「大善巧の人」が般若寺の興隆のため十三重石塔婆を発願して建設に取り掛かった。着工から何年目かは分からないが、基台と初重の大石を積んで亡くなった。それから工事は中断され、何年、あるいは何十年か経過して「一人の禅侶」すなはち観良房良恵上人が大功を果たした、というのです。「大善巧」は「善巧」(ぜんぎょう)、「善巧方便」(ぜんぎょうほうべん)という言葉からの使用です。「人々の機根に応じて巧みに善に導き、仏の利益を与えること」「さまざまな方法を用いて衆生をたくみに導き救うこと」という意味です。大石塔婆を発願したのは善巧の実績を持ち人々の尊敬を受けてきた僧侶だと思います。もちろん施工者は伊行末の石工集団です。このことからみて伊行末集団を使えるのは、東大寺を再建した重源上人です。だから、「大善巧の人」は重源その人であったか、配下の有力な弟子であった可能性が高いです。重源教団は遁世僧の上人と呼ばれるお坊さん方でした。それゆえ官の制約を受けない自由な活動が出来ました。般若寺は「仏物」という性格の寺で、世の中全体の共有物と認められ、官の援助を受けないで復興造営を成し遂げなければなりません。それゆえ重源上人の独創とも言える「勧進」という自由な募金活動で再建しようとしたのでしょう。重源さんは1203年の東大寺総供養の3年後、建永元年(120665日に遷化されました。

 

〔短歌〕

「礒岩に ほされし帆布へ 真上より

日は照りたけて 十二時近し」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「涼しさや 鐘をはなるる 鐘の声」与謝蕪村

〔和歌〕

「衣手に すずしき風を さきだてて

くもりはじむる 夕立の空」

後鳥羽院宮内卿・風雅405

「袖の所に、涼しい風を先立って運んで来て、忽ち曇りはじめる、夕立ちを催す空よ。」

 

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2012年7月17日 (火)

般若寺 夏の花だより   7・17

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中≫

・秋コスモスに植え替えていますので、

夏花は徐々に減っています。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠(しゅうかいどう)≪咲きはじめ≫ 

〇 夾竹桃(きょうちくとう)、鬼ユリ ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅(さるすべり) ≪つぼみ≫   

 

*連日の猛暑、熱帯夜がつづきます。今日はもう京都の祇園祭ですから暑いのが当たり前ですね。体調を崩さないようご用心。

*昨日につづいて伊行末(いぎょうまつ/いのゆきすえ)と般若寺十三重石宝塔について。

いまだに謎とされているのはこの塔は誰が、いつ、何のために建てたのかが、実はまだ解明されていないのです。どの本を見ても、

・宋人伊行末が建てた、

・建長5年頃(1253)僧良恵によって完成を見た、

・伽藍の主要な建造物である卒塔婆(スツーパ、仏舎利を安置する建物)として建てられた、と書かれています。

塔本体には一切刻銘はありません。伊行末の初期の作品である宇陀の大蔵寺十三重石塔や般若寺より30年ほど新しい宇治塔の島の十三重塔には長短はあるとはいえ記銘があります。般若寺のものは初めからなかったのか、あるいはのちの戦火で表面が焼損したので削ってしまったのかは判りませんが(荒っぽく削ったノミ跡が見られる)、今は何も残っていません。それではどうして伊行末の作品だと判るのかといえば、当寺の笠卒塔婆に刻まれた銘文からです。笠卒塔婆は二基あって南塔は文面の中央部が折損し判読できない部分もありますが、銘文の大要は判っています。それによると北側塔の銘文に、「・・・就中般若寺大石塔婆為果大工本諏・・・」とあって伊行末の作品であることが確認できます。そして完成年代は昭和39年の解体修理の際第四重目発見された宋版法華経の外箱の蓋表に「般若寺石塔籠法花経一部」、側面に「建長五年(1253)卯月八日奉籠之」と記録されていて、この箱は建立当初は第十二重に収められていたと推定されるので建長五年ごろには完成に近づいていたのです。誰が建てたのか(発願者=発起人)については明日に推察します。

 

〔短歌〕

「磐床(いわどこ)に 帆布ほされて すでに午(ひる)

 四面の潮の 紺青(こんじょう)の揺れ」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「野の雨は 音なく至る 夏薊」稲畑汀子

〔和歌〕

「ゆきなやむ うしのあゆみに たつちりの

かぜさへあつき 夏のをぐるま」

前中納言定家・玉葉407

「あまりの暑さに行き悩む牛の、のろのろとした足の運びに、塵を舞い上げて立つ風さえも暑苦しくてやりきれぬ、夏の牛車よ。」

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産・春日山原始林は

世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全する観点からも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設するのは不適です。

中の川地区は柳生の里、当尾の里への入り口です。

歴史古道・伊賀伊勢道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

中川寺成身院を開かれた実範上人は910日(天養元年・1144

が御命日です。御廟所へお参りしましょう。

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2012年7月16日 (月)

般若寺 夏の花だより   7・16

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中≫

・秋コスモスに植え替えていますので、

夏花は徐々に減ります。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠(しゅうかいどう)≪咲きはじめ≫ 

〇 夾竹桃(きょうちくとう)、鬼ユリ ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅(さるすべり) ≪つぼみ≫   

 

*とうとう猛暑がやって来ました。野外では長くおれません。でも当寺ではけっこう木陰があるので助かります。もう梅雨が明けたような晴間です。

*般若寺十三重石宝塔を建てた伊行末のことを調べていると、石造美術研究の大家であった、川勝政太郎氏が昭和141939)年825日(旧暦では7月11日)に「伊行末忌」を営んでおられることが判りました。これは般若寺の笠卒塔婆の銘文から正元2年(1260)に没したことを発見されたからだそうです。川勝先生は伊行末の業績を研究し世に知らしめられた功労者です。昭和14年といえば「日中戦争」のさ中であり、宋人(中国人)の功績を評価するのは勇気の要る時代であったと思われます。

先生は1905年京都に生まれ、1930年に「史迹美術同攷会」を創立し『史迹と美術』を発刊され石造美術研究に道を拓かれたのです。「伊行末忌」も誌上(105号、106号)で報告されています。日本の石造美術では伊行末と川勝政太郎博士の名は忘れられない名前です。

 

〔短歌〕

「蒼海原 ふりさけみれば 張りきれる

一本の線に 天とはなれたり」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「色淡く 夏木描ける 吾子いとし」中村汀女

〔和歌〕

「山ふかみ 雪きえなばと おもひしに

また道たゆる やどの夏草」

如願法師・風雅403

「山深い所の住まいだから、せめて雪が消えたら人が訪れてくれるかと期待していたのに(一向誰も来ず)、再び人の通れる道さえも絶えはてる程に一面に茂ってしまった、私の家の夏草よ。」

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産・春日山原始林は

世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全する観点からも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設するのは不適です。

中の川地区は柳生の里、当尾の里への入り口です。

歴史古道・伊賀伊勢道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

中川寺成身院を開かれた実範上人は910日(天養元年・1144

が御命日です。御廟所へお参りしましょう。

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2012年7月15日 (日)

般若寺 夏の花だより   7・15

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中旬まで≫

・秋コスモスに植え替えていますので、

7月末には夏花は終わります。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠  ≪咲きはじめ≫ 

〇 夾竹桃、 鬼ユリ ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅 ≪つぼみ≫   

 

*梅雨末期の大雨で各地で被害が出ています。また蒸し暑さがきびしいです。汗をかいたらしっかり水分補給をしましょう。

*今月は「北山十八間戸」を創設された忍性菩薩の誕生と寂滅の日が続いています。忍性(にんしょう)さんは良観上人と言い、建保5年(1217716日、奈良県磯城郡三宅町の屏風の里で伴貞行(とものさだゆき)の子として生まれられました。少年期より母に導かれて文殊菩薩を信仰し、額安寺で出家されました。西大寺の叡尊上人の弟子となられた忍性さんは修行の傍ら文殊信仰により病人や貧困者を救済する事業を興し、26歳ごろ般若寺の近く、北山の地に病舎を営まれました。35歳には関東へ赴き常陸国三村寺を拠点に真言律宗の布教に専念されました。43歳で北条重時の招きを受け鎌倉の極楽寺を開き大規模な福祉事業を寺の活動の中心に据えられたのです。般若寺の復興にも尽力され、晩年には東大寺大勧進、四天王寺別当を務めるなど東奔西走の活動を繰り広げられました。数々の文化財を残されましたが、現存するものでは唐招提寺鑑真和上の『東征伝絵縁起』や四天王寺の『西門石鳥居』が有名です。乾元2年(1303712日極楽寺において87歳にて遷化されました。没後後醍醐天皇より菩薩号を贈られ以後忍性菩薩と尊称します。

生誕地の屏風の里には10年前に顕彰碑が建てられ、在所の浄土寺住職藤田能宏師の手で絵本が作られ、現在忍性さんの肖像を制作中です。動画のアニメもネット上に公開されています。

南無忍性菩薩(なむにんしょうぼーさー)

 

〔短歌〕

「今まさに たふれんとする 潮波

ますぐに立てり たふれてしまへよ」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「一途なる 蝶に身かはす 木下闇」佐野まもる

〔和歌〕

「山かげや くらきいはまの わすれ水

たえだえみえて とぶほたるかな」

藤原為理朝臣・玉葉405

「山陰の暗い岩の間に、人知れず絶間がちに流れている水に、これもまた絶え絶えにわずかな光を映して飛ぶ蛍よ。」

・わすれ水=人に知られず淀み、または流れている水。「絶え」の序として用いる事が多いが、これを実景として、蛍のかすかな光と関連させる。

 

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ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設するのは不適です。

中の川地区は柳生の里、当尾の里への入り口です。

歴史古道・伊賀伊勢道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

中川寺成身院を開かれた実範上人は910日(天養元年・1144

が御命日です。御廟所へお参りしましょう。

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2012年7月14日 (土)

般若寺 夏の花だより   7・14

 

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中旬まで≫

・秋コスモスを徐々に植え付けていますので、

7月末には夏花は終わると思います。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠  ≪咲きはじめ≫ 

〇 夾竹桃、 鬼ユリ ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅 ≪つぼみ≫   

 

*今境内のあちこちで野生の鬼百合が咲いています。大きな花弁は橙色というかオレンジ色です。そして黒紫色の斑点が一面についています。長い雄しべは濃い錆朱色です。花粉が体や衣服につくとなかなか取れません。背丈は2メートル近くなり青空にすっくと立つ姿は夏の花の代表と言ってもよいでしょう。

そしてユリ根は食用に供されおいしいです。花には実がならないですが、葉っぱの付け根に小さなユリ根の形をしたムカゴが多数なります。くどいですがくれぐれも花粉を衣服に付けないようにお気を付け下さい。

「ランチタイム 鬼百合の蕊(しべ) 落ちんとす」石田波郷

「百合の蕊 みなりんりんと ふるへけり」川端茅舎

 

〔短歌〕

「波の秀(ほ)は すでにいささか 覆(か)へりたれ

どうねり盛り返し 猶し寄り来も」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「葉広きは 朴にぞあらん 夏木立」高浜虚子

〔和歌〕

「すずしやと 風の便りを たづぬれば

しげみになびく 野べのさゆりば」

式子内親王・風雅402

「涼しいのはどこかしらと、風の生まれそうな所を尋ねて行ってみたらば、茂みの中でひっそりとなびく、野の百合の葉に行き当ったよ。」

・風の便り=風のよりどころ。

・さゆりば=百合の葉。また小百合花の約。

・参考歌:「うちなびく 茂みが下の さゆりばの

            知られぬ程に 通ふ秋風」

藤原定家・御室五十首516

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産・春日山原始林は

世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全する観点からも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設するのは不適です。

中の川地区は柳生の里、当尾の里への入り口です。

歴史古道・伊賀伊勢道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

 

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2012年7月13日 (金)

般若寺 夏の花だより   7・13

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中旬まで≫

・秋コスモスを徐々に植え付けていますので、

7月末には夏花は終わると思います。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠 、鬼ユリ ≪咲きはじめ≫ 

〇 夾竹桃  ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅 ≪つぼみ≫   

 

*昨日は雨の予報でしたから庭仕事をあきらめていたのですが、結局雨は降らずじまい、晴れ間も見えました。それでコスモスの植え付けを予定どおり仕上げることができました。

他方、副住職の顕任君は駐車場入口の花壇のブロック積に挑戦しています。以前は化粧ブロックを置いただけでしたのでだんだん雨で崩れていました。今度は基礎からモルタルで固定しているようでかっちりと出来上がりました。二日前には近くの友達が二人、手伝いに来てくれたようで仕事ははかどっていました。あとはセメントが固まれば、土を入れ、苗を植え付けて完成です。顕任君はだんだん職人仕事が楽しくなって来たようで、木工、左官、土木などいろんな仕事にチャレンジしています。初めのころに比べ腕を上げました。

今の調子でこんどは花づくりの知識を身に着けてほしいですね。園芸は奥が深いです。私など50年近くやっていても試行錯誤、失敗の連続です。植物は生き物ですから、その年の天候に合わせた臨機応変が大事です。

夕方の毎日放送「チチンプイプイ」では「国宝巡り」で般若寺が紹介され反響を呼んでいます。顕任君が案内役で出演したのですが、放送後私は外出で留守の間に、私の龍谷大在学時の古い友人からもお電話を頂戴したようで、大変うれしくこの場を借りてお礼申し上げます。この番組は人気があるのか、意外な方から「見たよ」とのお声が届きます。皆様有難うございます。

 

〔短歌〕

「たふれん たふれんとする 波の丈を

ひた押しにおして 来る力はも」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「滴りの 思ひこらせし とき光る」中村汀女

〔和歌〕

「夕まぐれ 風につれなき 白露は

しのぶにすがる ほたるなりけり」

惟明親王・玉葉402

「薄暗い夕暮、風が吹いていてもこぼれずに平気でいる白露を何かと見れば、それは軒の忍草に取りすがっている蛍だったよ。」

・しのぶ=忍草。軒忍。シダの一種で、古い軒端などに生える。

     「つれなき」とともに、恋に関する語を純叙景に用いた技巧。

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

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ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設するのは不適です。

中の川地区は柳生の里、当尾の里への入り口です。

歴史古道・伊賀伊勢道の観光スポットとして活かすべきです。

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2012年7月12日 (木)

般若寺 夏の花だより   7・12

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中旬まで≫

 

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠 、鬼ユリ ≪咲きはじめ≫ 

〇 夾竹桃  ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅 ≪つぼみ≫   

 

*このごろ毎晩ほど「ホーッ、ホーッ」という鳥の鳴き声がします。電灯を持って外へ出てみると、一番高い避雷針の上に止まっています。しばらくすると静かに飛び立ち十三重石塔の相輪に止まります。よく見るともう一羽が待っていたようです。鳴き声が寂しく暗い感じがするので不気味です。体も背面が黒く腹部に灰褐色の縦じまがあり羽を広げると30センチ以上あります。初めは、暗闇を飛び回るので大型のコウモリかと思いました。しかし形姿や声からすると、「青葉木菟」(あおばづく)のようです。夏の間、山麓や平地の森に棲む夏鳥で秋には南方へ去って行くようです。最近珍しくなっているフクロウの一種です。

「青葉木菟 降りやみし夜の 刻ながき」水原秋桜子

「青葉木菟 月のくらさに 啼きにけり」成瀬桜桃子

 

〔短歌〕

「大き波 たふれんとして かたむける

躊躇(ためらひ)の間も ひた寄りによる」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「茗荷の子 くきと音して 摘まれけり」藤木倶子

〔和歌〕

「秋風と かりにやつぐる 夕ぐれの

雲ちかきまで 行くほたるかな」

式子内親王・風雅401

「あの古歌のように〈秋風が吹くよ〉と、雁に告げに行くのだろうか。夕暮の雲近くまで、高く飛んで行く蛍よ。」

・参考歌:「ゆく蛍 雲の上まで いぬべくは

          秋風吹くと 雁に告げこせ」伊勢物語84(業平)

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

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2012年7月11日 (水)

般若寺 夏の花だより   7・11




 
夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中旬まで≫

 

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠 、鬼ユリ ≪咲きはじめ≫ 

〇 夾竹桃  ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅 ≪つぼみ≫   

 

*昨日はお天気も良く庭仕事がはかどりました。朝からコスモスの種をまき、大きくなった苗を花壇に植え付けました。そして次の花壇を耕す準備をしているうちに、いつも火曜日に来ていただく作業奉仕の若者たちが来られました。人数は二人です。そこで雑草が茂る国宝楼門の門前を草取りしていただきました。

さらに11時ごろ毎年恒例の「日本山妙法寺」の御上人方と信者の皆様による「平和行進団」を迎えました。東京から広島、長崎へと団扇太鼓を打ち鳴らし、「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えながらの行進を続けられます。数年前から当寺の境内で休息を取られるようになったので、歓迎の出迎えをしています。宗派は違いますが、同じお釈迦様の生命尊重の教えを信じるものとして、核兵器と原発の危険に恐れることのない世界実現のため力を合わせましょう、と歓迎のあいさつを申し上げました。暑いなか、またある日は大雨の中を歩いて行かれる尊い姿には敬服いたします。

そして午後2時からは、728日当寺で行われる「平和の塔の集い」実行委員会がありました。最後の会合なので当日の行事の確認、案内チラシの配布、新聞の記者クラブへの発表の準備、協賛金集めの段取りなど細々したことを決めました。実行委員の皆様、本当にご苦労様です。これもボランティア活動ですね。今年も県内在住の被爆者をご招待して懇親を計り支援活動を充実することを確認しました。

そのあと私は歯の治療に出かけました。きのうは充実したというか忙しい一日でした。

今日から天気は下り坂。梅雨が戻って来ます。

 

〔短歌〕

「のびあがり 倒れんとする 潮波

蒼々たてる 立ちのゆゆしも」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「枇杷買いて 夜の深さに 枇杷匂ふ」中村汀女

〔和歌〕

「やみよりも すくなき夜はの 蛍哉

をのが光りを 月にけたれて」

藤原為守女・玉葉397

「闇夜よりも数の少ない、月の夜半の蛍だなあ。自分の光りを月光に打ち消されてしまって。」

 

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2012年7月10日 (火)

般若寺 夏の花だより   7・10

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中旬まで≫

 

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠 、鬼ユリ ≪咲きはじめ≫ 

〇 夾竹桃  ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅 ≪つぼみ≫   

 

*去年の手帳を開いてみると、7月8日に梅雨が明けています。平年より9日早いと書いてあります。そして今日の日付を見ると、晴れ、そして35度でした。去年の今頃は猛暑となっていたのですね。

あとの記事は、句碑を3基立てる、と書いています。去年は春から歌碑、句碑を立てていました。一年がかりで都合18基もの歌碑、句碑を立てました。当寺は歴史だけではなく文学的にも由緒をもちます。

それから休憩所の「八不亭」も建てていました。今年は何を残せるのでしょうか、まだこれからですね。

 

〔短歌〕

「海めがけ 思ひきり投(ほ)ふる 石一個

たゆたふ波を ぽつつりうがてり」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「あんず あまそうな ひとはねむそうな」室生犀星

〔和歌〕

「ほたるとぶ かた山かげの 夕やみは

秋よりさきに かねて涼しも」

後一条入道前関白左大臣(一条実経)・風雅399

「蛍の飛び交う、ちょっとした山陰の夕闇深いあたりは、秋より先に、今からもう涼しいなあ。」

・かねて=前もって。

 

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2012年7月 9日 (月)

般若寺 夏の花だより   7・9

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろは7月中旬まで≫

 

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠  ≪咲きはじめ≫ 

〇 夾竹桃  ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅、鬼百合、 ≪つぼみ≫   

 

*長かった雨も一休み、そろそろ梅雨明けが近くなってきたようです。

当寺では今日から秋コスモスの植え付けにかかります。夏コスモスはまだ見ごろが続いていて刈り取るのは惜しいのですが、秋の苗が大きくなって植え替えを待っています。時期を逃すと後が大変なので思い切って始めます。いよいよこれから8月までがコスモス寺の繁忙期です。草取り、植え付け、水やり、と秋に向け一直線、がんばります。

 

〔短歌〕

「たふれたる 波のひびきの 底力

ゆたに夕べの なぎさとよもす」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「うれしきは 葉がくれ梅の 一つかな」杜国

〔和歌〕

「月かげの かすむもつらし よそまでは

煙なたてそ 夜はの蚊遣火」

前関白太政大臣(鷹司基忠)・玉葉395

「あまりに煙らせて、月光が霞んでしまうのは恨めしい。よその所までは煙を立ててくれるなよ、夜半にたく蚊遣火よ。」

 

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2012年7月 8日 (日)

般若寺 夏の花だより   7・8

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろ・7月中旬まで≫

・雨が続くと花数は減ります、17種類。5万本。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠  ≪咲きはじめ≫ 200

〇 夾竹桃  ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪見ごろ≫

〇 百日紅、鬼百合、 ≪つぼみ≫   

 

*長かった雨も今日は一休み。雨のさ中に秋海棠が咲きはじめ、藪萱草が一気に見ごろとなりました。萱草(カンゾウ)には一重咲の野カンゾウと八重咲の藪カンゾウの二種類がありますが、当寺で咲いているのは藪萱草の方です。この草ははるか昔に大陸から渡来したようで葉を食用に、根は薬用に使いました。ユリ科に属し、学名のHemerocallis」(ヘメロカリス)はギリシャ語の「herema(一日)+callos(美)」が語源で、美しい花が一日でしぼむところから来ています。別名を「忘れ草」「忘憂草」とも言います。

「忘れ草 わが紐に付く 香具山の

        古りにし里を 忘れむがため」

大伴旅人・『万葉集』

「萱草(くわんざう)よげに忘れ草うつくしき

一日花のこの後なさよ」

窪田空穂・『丘陵地』

「それとなく紅き花みな友にゆずり

そむきて泣きて 忘れ草つむ」

山川登美子・『恋衣』

 

〔短歌〕

「大いなる 青草山に 対(むか)ひつつ

おのづからなる つつしみおぼゆ」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「うき草の 茎の長さや 山の池」高浜虚子

〔和歌〕

「池水は 風もをとせで はちすばの

うへこす玉は ほたるなりけり」

順徳院御歌・風雅398

「池水を見ていると、(「風吹けば蓮の浮葉に玉越えて」というけれど)風も音一つしないのに蓮の葉の上を越す玉が見えるのは、あれは露の玉ではなくて、蛍だったよ。」

・風もおとせで=[参考]俊頼詠を強く意識し、蛍を露の玉に見立てて興ずる。

[参考]「風吹けば蓮の浮葉に玉越えて涼しくなりぬひぐらしの声」

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

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2012年7月 7日 (土)

般若寺 夏の花だより   7・7

 夏コスモス(早咲種):≪見ごろ・7月中旬まで≫

・雨が続くと花数は減ります、17種類。5万本。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 秋海棠  ≪咲きはじめ≫ 200

◎ 紫陽花  ≪終わりました≫

〇 夾竹桃  ≪見ごろ≫

〇 藪萱草(やぶかんぞう)≪咲きはじめ≫

〇 百日紅、鬼百合、 ≪つぼみ≫   

 

*今日は七夕、しかしこのお天気では天の川は見えないでしょう。当寺の「弁天供」は午後5時からなので、終わるころにはあたりは薄暗くなり、晴れておれば天の川をはさんだ牽牛星と織女星の出会いが見られるのに、残念。旧の七夕を待ちます。

*興正菩薩作の『弁財天講式』はまず序の段があって、「人は、受けがたき人身を受くるも富貴の家に生まれず、値いがたき仏法に値いても智弁の徳を備えず」と。

しかし、ここに久成の如来としての弁才天女がおられる。その誓いによって悉地成満できる、と説きます。

次に三門に分けて「現世利益」「後生の引導」「所修の功徳を法界に廻向」を説きます。第一門に天女の八臂の働きを。「如意の手」で無量の珍宝を雨ふらし、「宝剣の手」で魍魎鬼神を降伏し、「戟槍(げきそう)の手」で他方の逆賊を除き、「印鑰(いんやく)の手」で一切の宝蔵を開き、「輪宝の手」は菩提不退の相を現し、「長杵の手」で怨家讐敵を砕伏し、「宝弓の手」で栄官益職を為し、「宝策の手」は早く諸善の朋友に逢わしむ。そして智弁を求めるものには智弁を、さらに財福、名誉、解脱、も得ることがかなう、と。現世利益を説いた後、第二では天女は焼熱の炎、紅蓮の氷の中にあっても大悲代受苦の誓いを起こして無縁無摂の衆生を救わんとす。第三には所修の善根をもって衆生に廻向し、共に福智を成し菩提を証せん、と。そして福を与え、智を与えるのは弁才天女の悲願であると説く。各門の終わりには伽陀(かだ)を唱え礼拝したてまつるべし、とあります。

「南無恭敬供養大慈大悲大弁財天女自他法界平等利益  三反」

 

 

〔短歌〕

「雨が樹に 降りてゐるかも いつまでも

後(あと)よりあとより 降りてゐるかも」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「白う咲きて 昨日けふなき 蓮かな」渡辺水巴

〔和歌〕

「夏の夜は しづまる宿の まれにして

ささぬ戸口に 月ぞくまなき」

従三位親子・玉葉392

「夏の夜は、早く寝静まってしまう家はほとんどなくて、とざさず開け放ったままの戸口ごとに、月が明るくさし入っている。」

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産・春日山原始林は

世界に誇る日本の宝です。

春日山の生物多様性を保全する観点からも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設するのは不適です。

中の川地区は歴史古道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

 

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2012年7月 6日 (金)

般若寺 夏の花だより   7・6

◎夏コスモス(早咲種):≪見ごろ・7月中旬まで≫

17種類。5万本。

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 紫陽花: ≪盛りをこえる・7月上旬まで≫

 10種類。150本。

〇 夾竹桃 ≪見ごろ≫

〇 百日紅、鬼百合、野甘草、秋海棠≪つぼみ≫   

 

*明日は新暦の七夕(たなばた)、どの家でも子供さんが作った笹飾りがきれいです。当寺では「弁財天供」を勤めます。江戸時代の頃は「弁天講」もあって賑わったようですが、現在はほとんど参詣者もなく住職が一人で「弁財天講式」をお唱えしています。元来講式は声明の高度な節回しがあって鎌倉時代には流行したようです。お経は漢文ですが、講式は漢文読み下し文となっており、仏さまの功徳や御利益が平易に説かれています。しかし今では言葉使いも難しく一般にはなじみにくいようです。弁天様は、「弁財天」と書く場合と「弁才天」と書く場合がありますが、元来インドの川神「サラスヴァティー」が仏教にとりいれられました。『金光明最勝王経』の「大弁才天女品」の所説による八臂像が本来の像容です。弁才・知恵の神としての性格が強く、日本では福徳・財宝神としての働きが強調されています。吉野の天河弁天、琵琶湖の竹生島弁天、鎌倉江の島弁天がとくに有名です。七福神の中では唯一の女神です。

当寺に伝わる『弁財天講式』は興正菩薩の御作で江戸の写本です。読み下しが本ホームページの「般若寺史料の館・聖教類の部屋」に収録されています。

明日の弁財天供は午後五時から本堂にて執り行います。その時新規収蔵の画像「最勝王経弁才天」もおまつりします。

 

〔短歌〕

「雨そそぐ 青葉の内部(なか)の 樹の枝に

かかりて咲ける 蔓(かづら)の白花」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「起ち上がる 風の百合あり 草の中」松本たかし

〔和歌〕

「いにしえの 野守のかがみ 跡たえて

とぶひは夜半の ほたるなりけり」

寂蓮法師・風雅395

「その昔の、〈野守の鏡〉は跡もなくなってしまって、春日野の〈とぶ火〉と見えたのは夜中に飛ぶ蛍だったよ。」

・野守のかがみ=天智天皇(雄略天皇とも)が鷹狩の時見失った鷹を、野守が野のたまり水に映った影を見て発見したという故事(俊頼髄脳・綺語抄等)から、野中の水を鏡にたとえたもの。

・とぶひ=飛ぶ火。奈良時代、外敵侵入などの変事に備えたのろし。春日野にその台があり、これを守る野守がいたとされる。野守がいたとされる。野守の鏡とともに春日野の名物。

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は

世界に誇る日本の宝です。

ここを「奈良市営ゴミ焼却場移設」候補地にするのは不適切です。

中の川は歴史古道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

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2012年7月 5日 (木)

般若寺 夏の花だより   7・5

 

◎夏コスモス(早咲種):≪見ごろ・7月中旬まで≫

17種類。5万本。

 

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 紫陽花: ≪見ごろ・7月上旬まで≫   10種類。150本。

〇 夾竹桃 ≪見ごろ≫

〇 百日紅、鬼百合、野甘草、秋海棠≪つぼみ≫   

 

*夏の草花としては、最近はヒマワリがよく知られますが、昔から静かに愛されているのが秋海棠(しゅうかいどう)です。お茶室の庭なんかに似合います。秋海棠の花を見ると真夏でも涼しく感じられます。この花は江戸初期、1640年ごろ中国から長崎へ園芸用としてもたらされ、瞬く間に全国へと広がりました。今では山野に自生しているところもあります。秋に咲く海棠桜という意味でこの名がついているようです。ベコニアと同じ種類で不定形のハート形の大きな葉が節ごとに互生し、頂上から淡い紅色の花を俯いた形で咲かせます。別名を瓔珞草(ようらくそう)とも言い、菩薩さまの身を飾る装飾具、瓔珞を想起させます。日陰を好み水持ちの良い土に育ちます。花は7月から9月まで夏中を咲き続けます。

 

「うなだれて 花恋ふ花よ 秋海棠」渡辺水巴

「雨ながら 朝日まばゆし 秋海棠」水原秋桜子

「書を愛し 秋海棠を 愛すかな」山口青邨

 

〔短歌〕

「雨の中に 立てる大木 枝葉より

雫つたひて 幹くろみ見ゆ」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「葉の下に 茄子の花の 鋭さよ」高浜虚子

〔和歌〕

「風にもる このまの月も 涼しきは

松ばらたかき 山かげのやど」

関白前太政大臣(鷹司冬平)・玉葉390

「風に揺れる枝の間からもれてくる月の光も一人涼しいのは、高く茂る松原の中の、山陰の私の家であるよ。」

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は

世界に誇る日本の宝です。

ここを「奈良市営ゴミ焼却場移設」候補地にするのは不適切です。

中の川は歴史古道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

 

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2012年7月 4日 (水)

般若寺 夏の花だより   7・4

◎夏コスモス(早咲種):≪見ごろ・7月中旬まで≫

17種類。5万本。

 

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 紫陽花: ≪盛りこえる・7月上旬まで≫   10種類。150本。

〇 夾竹桃 ≪見ごろ≫

〇 百日紅、鬼百合、野甘草、秋海棠≪つぼみ≫   

 

*夏を代表する花木と言えば百日紅(さるすべり)です。木の肌がつるつるしていて木登り上手のサルでも滑るんではないかという想像からついた名前でしょうか。実際は枝がよく茂り人間でも登りやすい木です。また花が7月から9月終わりまで長く咲くところから「百日の紅」ということで百日紅(ひゃくじつこう)とも呼ばれます。色は紅白二色が元からの色で、近年紫色もよく見かけます。梅雨が明けるころから咲きだします。

 

「散れば咲き 散れば咲きして 百日紅」加賀千代女

「奈良坂の 家うち暗き さるすべり」桂信子

「寺もまた いくさにほろぶ 百日紅」石田勝彦

 

〔短歌〕

「雨くらき 向ひの繁山 高処(たかど)にて

木ぬれに白きは 朴(ほほ)の花かも」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「畑の紫蘇 ちかづくわれに 気色立つ」篠田悌二郎

〔和歌〕

「夏の夜の わびしきことは 夢をだに

みるほどもなく あくるなりけ」

小野小町・風雅394

「夏の夜の切なくやりきれないのは、(せめては見たいと思う)夢をさえも見るひまがない位に、早々と明けてしまう事だよ。」

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は

世界に誇る日本の宝です。

ここを「奈良市営ゴミ焼却場移設」候補地にするのは不適当です。

中の川は歴史古道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

 

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2012年7月 3日 (火)

般若寺 夏の花だより   7・3

◎夏コスモス(早咲種):≪見ごろ・7月中旬まで≫

17種類。5万本。

 

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 紫陽花: ≪見ごろ・7月上旬まで≫   10種類。150本。

〇 夾竹桃 ≪見ごろ≫

〇 百日紅、鬼百合、野甘草、秋海棠≪つぼみ≫   

 

*昨日は午後から晴れ間が見えてさわやかな風も吹いていましたが、今朝は雨。

6月から始めた秋咲コスモスの種まきもちょうど半ばになってきました。これまで播たのはセンセーション、ベルサイユ中心の新品種20種ほどでした。きょうからは「秋咲」という本来の性質を残すコスモスを播きます。秋咲には「美色混合」「秋咲巨大輪混合」とキャンパス・シリーズの「イエロー・キャンパス」「オレンジ・キャンパス」「ディープレッド・キャンパス」「クリムソン・キャンパス」というような種類があります。このうち「美色混合」という種類は昔のコスモスです。「サカタのタネ」で購入しました。その特徴は背が高くなり、日照時間が短くなると花が咲く「短日性開花」の性質を残していて、花は少し小さめで一気に咲き、散り際がいさぎよい、という性質を持っているいわゆる「秋桜」と呼ばれる種類です。ほかの新種は花が大きく長く咲く代わり、散り際がすこしダラケます。

キャンパスシリーズは普通のコスモスなのに黄色系の色になる珍しい種類です。今年は最終的には35種類の花を咲かせたいと思います。

 

〔短歌〕

「見上ぐれば 端山繁山の 上の空

ただにをぐらみ 雨は降るなり」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「捨てし湯の 蕗ゆでし湯の 匂ふなる」相馬黄枝

〔和歌〕

「庭のうへの 水をとちかき うたたねに

枕すずしき 月をみるかな」

藤原信実朝臣・玉葉388

「庭面を流れる鑓水の音も近く聞える、簀子の近くでうたたねをしていて、枕近くさし入る涼しげな月を見るよ。」

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は

世界に誇る日本の宝です。

ここを「奈良市営ゴミ焼却場移設」候補地にするのは不適当です。

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奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

 

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2012年7月 2日 (月)

般若寺 夏の花だより   7・2

◎夏コスモス(早咲種):≪見ごろ・7月中旬まで≫

17種類。5万本。

 

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 紫陽花: ≪見ごろ・7月上旬まで≫   10種類。150本。

〇 夾竹桃、≪みごろ≫

〇百日紅、鬼百合、野甘草、秋海棠≪つぼみ≫   

 

*昨日はよく降りました。先週はわりあい雨が少なかったのに、7月に入って梅雨の末期となり雨量が多くなりそうです。

般若寺は「石の寺」です。今名のある「石」をまとめてみました。指定文化財以外にも多くの貴重な石造物があります。一つ一つの石に歴史があります。

般若寺『石』めぐり

《霊験石・歴史名石》

 本性房の力石:『太平記』に名高い怪力の僧、般若寺本性房(ほんしょうぼ           う)が日夜鍛錬した力石

 笠置(かさぎ)石:本性房が後醍醐天皇の下で奮戦した笠置山城の石

 観良上人供養塔:鎌倉時代、般若寺を復興した律僧、観良房良慧大徳(かんりょうぼうりょうけいだいとく)の供養塔

 大塔宮供養塔:『太平記』で知られる武勇の親王、大塔宮(だいとうのみや)護良親王(もりなが/もりよししんのう)の供養塔

 重衡公供養塔:『平家物語』に名高い平家の公達、平重衡(たいらのしげひら)の供養塔

 マカバラ石:「運気上昇」の霊石、『光明真言』の霊験を持つ

 カンマン石:「健康増進」の霊石、『不動明王』の御真言種字に由来

 武蔵三界万霊碑:宮本武蔵(みやもとむさし)「般若坂の決闘」の供養碑

 頼長卿供養塔:『保元物語』に語られる悲劇の主人公左大臣藤原頼長卿の供養塔

《石造文化財》

 十三重石宝塔(鎌倉時代・重要文化財)

 笠卒塔婆(鎌倉時代・重要文化財)

 相輪石(鎌倉時代)

 般若寺型灯籠(鎌倉時代)

 手水鉢(江戸時代)

 西国三十三番観音石像(江戸時代)

 丈六文殊獅子踏み蓮華石(鎌倉時代)

 

 

〔短歌〕

「山の下 湖(うみ)のすぐそばに 灯をとぼし

この村の家は よりそへるかも」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「うたたねを わが許されて 蜜柑咲く」中村汀女

〔和歌〕

「すずみつる あまたのやども しづまりて

夜深けてしろき 道のべの月」

伏見院御歌・風雅392

「夕涼みをしていた、沢山の家々もすっかり寝静まって、夜更けて白々と道のほとりを照らす、ひっそりと静かな月よ。」

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は

世界に誇る日本の宝です。

ここを「奈良市営ゴミ焼却場移設」候補地にするのは不適当です。

中の川は歴史古道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

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2012年7月 1日 (日)

般若寺 夏の花だより   7・1

◎夏コスモス(早咲種):≪見ごろ・7月中旬まで≫

17種類。5万本。

センセーション、ピコティ、ベルサイユホワイト、

ピンクポップソックス、シーシェル、スカーレット、

サイケ 、ベルサイユピンク、ベルサイユレッド、あかつき、

ソナタ、イエローロード 、スノーパフ、ローズボンボン、

クランベリー、レッドイリュージョン、アンティキティ

◎ ヒツジ草、姫スイレン: ≪見ごろ≫

◎ 紫陽花: ≪見ごろ・7月上旬まで≫   10種類。150本。

◎ 夾竹桃、百日紅、鬼百合、野甘草、秋海棠≪つぼみ≫   

 

 

7月、真夏となりました。この月は各地で夏祭りがあります。京都の祇園祭を筆頭に、大阪の天神祭もにぎやかです。当寺でも、7日は「弁財天供」23日は「地蔵まつり」、28日は「平和の塔のつどい」があります。

そしてコスモスの栽培が繁忙期となります。まだ夏コスモスは咲いていますが、今月半ばから秋咲きのコスモスを庭に植え付けます。苗は先月10日からほぼ毎日種まきして来て、苗の準備は万端です。しかし植え付け作業は、今咲いている夏コスモスを抜き取り片付けながらとなりますのでちょっと大変です。これから8月末まで2か月間、酷暑の中での作業となります。まあ2か月もありますから、楽しみながらボチボチやります。

今日は「美咲会」のご奉仕予定日です。お天気は雨なので何をしていただきましょうか、皆さんと相談の上決めます。

 

〔短歌〕

「足たゆく 床几(しょうぎ)におれば 水茶屋の

葵(あふひ)の花に 日照雨(そばへ)かかるも」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「七月や 既にたのしき 草の丈」日野草城

〔和歌〕

「いでてのち まだ程もへぬ 半空(なかぞら)に

かげしらみぬる みじか夜の月」

入道前太政大臣(洞院公守)・玉葉385

「出てからまだいくらも時がたっていないのに、空の半ばにあって早くも明け方近く、光が衰えて白々となってしまう、夏の短夜の月よ。」

 

☆日本古典音楽の源、南山進流声明の聖地・中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は

世界に誇る日本の宝です。

ここを「奈良市営ゴミ焼却場移設」候補地にするのは不適当です。

中の川は歴史古道の観光スポットとして活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

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