般若寺 水仙花だより 11・30
◎水仙:≪つぼみ≫
葉が30センチほどに伸びて蕾がついてきました。
・例年の開花:12月~2月 ・1万本
・今年はすこし早く咲きそうです
*11月、霜月の最終日、明日からは年末の月で気ぜわしくなります。
総選挙について一言。消費税に頼ればすぐに25%まで行きます。原発は今止めても廃炉に10年や20年はかかります。20年先なら100年かかるでしょう。その間に事故の2つや3つは覚悟。核のゴミは2万年残ります。TPP参加の大国はアメリカだけ、中国もインドも参加しません。軍事増強は相手国も負けないようにやります。矛と楯の関係です。軍備競争で経済は破綻、国民生活は芋ぞうすいと竹やり訓練の時代に逆戻り。これでも御納得ならば推進勢力に投票しましょう。
*当寺に咲く水仙は「寒水仙」とか「雪中花」「日本水仙」と呼ばれています。
この花は地中海原産でシルクロードを越え、中国から海を渡り日本にやって来ました。名前のナルキッソスはギリシャ神話の美少年の名、水仙は中国の水の精霊、どちらも神秘的です。
けっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根を下し育ちます。12月からお正月にかけてが花の見ごろです
*マユミの木が鈴なりに実をつけ色づいてきました。果皮が割れると中からかわいいピンク色の実が垂れ下がります。晩秋の風情です。
*連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)開講。
℡(奈良)0742-22-6287。
日曜日午後2時から2時間の予定。
『般若寺知恵光座』講義テーマと内容
〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。
〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」
第三回目 12月2日(日)
「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」
① 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」
② 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景
③ 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興
〔短歌〕
「大山の 弥山に雲は たたなはり
あかつき起きの さむくすがしも」
木下利玄・紅玉
〔俳句〕
「ひとわたり 咲く晩菊と なりにけり」八木林之助
〔和歌〕
「をのれとや 色づきそむる うす紅葉
まだ此のごろは しぐれぬ物を」
左兵衛督直義・風雅676
「自分自身の意志で、色づきはじめるのだろうか、木々の薄い紅葉は。まだこの頃は(木の芽を染めるという)時雨も降りはしないのに。」
・をのれとや=己れは己れ、というわけでか。周囲にかかわらず独自に、という気持。
・しぐれぬ物を=紅葉は時雨が染めるという常識に反して。
*『平家物語』を読む。
巻第五「福原院宣」の段、
文覚が頼朝を訪れて天下の情勢を説き、義朝のしゃれこうべというものまで取り出して挙兵を勧めた。頼朝は最初は打ち解けなかったが、ついに文覚が福原に行って法皇から平家討伐の院宣を賜わって来ることを承諾した。
「富士川」(ふじかは)の段、
福原では公卿僉議の結果、大将軍に忠度(ただのり)を命じて三万余騎の討手を下した。忠度には親しい女房から小袖が贈られた。維盛(これもり)・忠度の胸中を思えばあわれ深いことであった。
高倉上皇がこの七月にまた厳島に行幸なさった。みずからお作りになった願文には前回行幸の際の神託にあったように、この夏秋の間が最も謹慎すべき時であるようだから、再び参拝して感応を乞う旨をが書かれてあった。
平家は七万余騎をかり集めて富士川の西岸に陣取った。そこで源氏の兵卒を捕えて聞いてみると、頼朝は二十万の大軍をもっているときき、戦う前から恐れをなした。いよいよ手合せをするという日の前夜、平家は水鳥の羽音を敵の夜襲とまちがえてあわてふためいて逃げてしまった。
「五節之沙汰」(ごせつのさた)の段、
頼朝は平家が退却したのを知って自分も軍をおさめて相模に帰った。あとには平家の敗走を風刺する落首がたくさん書かれた。
清盛は逃げ帰った維盛と忠清を処罰すると大いに怒ったが、思い切った処置がとれないばかりか、却って維盛は少将から中将に昇進した。
(つづく)
☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と
神の山である世界遺産春日山原始林は世界に誇る日本の宝。
春日山の生物多様性を保全するためにも
ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。
また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口。
ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を観光拠点
として活かすべきです。
奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない
良識ある判断をしてください。
真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。
現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。中ノ川寺の祖師がたに報恩謝徳。
秋艸道人・会津八一さんは歌集『鹿鳴集』に「東京にかへるとて」と題して、
「あをによし ならやまこえて さかるとも
ゆめにしみえこ わかくさのやま」
(青丹よしの奈良山を越えて遠ざかって行くとも、夢にも見えてくるだろうな、若草山が。)
若草山の北麓に中ノ川があります。こんなところにゴミ焼き場をつくるなんて。
*「奈良市ごみ焼却場問題」についての詳しい情報はホームページ
『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』
を御覧下さい。
建設計画の出発点となっている「公害調停」と「建設計画策定委員会」の問題点が明らかにされています。資料は多岐にわたり大量ですが、次のものだけでもお読みください。的確に問題点が指摘されています。
・資料〔1-3~5〕「公害調停に関するコメント」(1~3)
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