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2012年11月

2012年11月30日 (金)

般若寺 水仙花だより    11・30

◎水仙:≪つぼみ≫

葉が30センチほどに伸びて蕾がついてきました。

・例年の開花:12月~2月 ・1万本

・今年はすこし早く咲きそうです

11月、霜月の最終日、明日からは年末の月で気ぜわしくなります。

総選挙について一言。消費税に頼ればすぐに25%まで行きます。原発は今止めても廃炉に10年や20年はかかります。20年先なら100年かかるでしょう。その間に事故の2つや3つは覚悟。核のゴミは2万年残ります。TPP参加の大国はアメリカだけ、中国もインドも参加しません。軍事増強は相手国も負けないようにやります。矛と楯の関係です。軍備競争で経済は破綻、国民生活は芋ぞうすいと竹やり訓練の時代に逆戻り。これでも御納得ならば推進勢力に投票しましょう。

*当寺に咲く水仙は「寒水仙」とか「雪中花」「日本水仙」と呼ばれています。

この花は地中海原産でシルクロードを越え、中国から海を渡り日本にやって来ました。名前のナルキッソスはギリシャ神話の美少年の名、水仙は中国の水の精霊、どちらも神秘的です。

けっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根を下し育ちます。12月からお正月にかけてが花の見ごろです

*マユミの木が鈴なりに実をつけ色づいてきました。果皮が割れると中からかわいいピンク色の実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)開講。

℡(奈良)0742226287

日曜日午後2時から2時間の予定。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「大山の 弥山に雲は たたなはり

あかつき起きの さむくすがしも」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「ひとわたり 咲く晩菊と なりにけり」八木林之助

〔和歌〕

「をのれとや 色づきそむる うす紅葉

まだ此のごろは しぐれぬ物を」

左兵衛督直義・風雅676

「自分自身の意志で、色づきはじめるのだろうか、木々の薄い紅葉は。まだこの頃は(木の芽を染めるという)時雨も降りはしないのに。」

・をのれとや=己れは己れ、というわけでか。周囲にかかわらず独自に、という気持。

・しぐれぬ物を=紅葉は時雨が染めるという常識に反して。

 

*『平家物語』を読む。

巻第五「福原院宣」の段、

文覚が頼朝を訪れて天下の情勢を説き、義朝のしゃれこうべというものまで取り出して挙兵を勧めた。頼朝は最初は打ち解けなかったが、ついに文覚が福原に行って法皇から平家討伐の院宣を賜わって来ることを承諾した。

 「富士川」(ふじかは)の段、

福原では公卿僉議の結果、大将軍に忠度(ただのり)を命じて三万余騎の討手を下した。忠度には親しい女房から小袖が贈られた。維盛(これもり)・忠度の胸中を思えばあわれ深いことであった。

 高倉上皇がこの七月にまた厳島に行幸なさった。みずからお作りになった願文には前回行幸の際の神託にあったように、この夏秋の間が最も謹慎すべき時であるようだから、再び参拝して感応を乞う旨をが書かれてあった。

 平家は七万余騎をかり集めて富士川の西岸に陣取った。そこで源氏の兵卒を捕えて聞いてみると、頼朝は二十万の大軍をもっているときき、戦う前から恐れをなした。いよいよ手合せをするという日の前夜、平家は水鳥の羽音を敵の夜襲とまちがえてあわてふためいて逃げてしまった。

 「五節之沙汰」(ごせつのさた)の段、

 頼朝は平家が退却したのを知って自分も軍をおさめて相模に帰った。あとには平家の敗走を風刺する落首がたくさん書かれた。

 清盛は逃げ帰った維盛と忠清を処罰すると大いに怒ったが、思い切った処置がとれないばかりか、却って維盛は少将から中将に昇進した。

 (つづく)

 

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を観光拠点

として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。

現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。中ノ川寺の祖師がたに報恩謝徳。

 秋艸道人・会津八一さんは歌集『鹿鳴集』に「東京にかへるとて」と題して、

 「あをによし ならやまこえて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

(青丹よしの奈良山を越えて遠ざかって行くとも、夢にも見えてくるだろうな、若草山が。)

若草山の北麓に中ノ川があります。こんなところにゴミ焼き場をつくるなんて。

*「奈良市ごみ焼却場問題」についての詳しい情報はホームページ

『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』

を御覧下さい。

 建設計画の出発点となっている「公害調停」と「建設計画策定委員会」の問題点が明らかにされています。資料は多岐にわたり大量ですが、次のものだけでもお読みください。的確に問題点が指摘されています。

 ・資料〔1-3~5〕「公害調停に関するコメント」(1~3)

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2012年11月29日 (木)

般若寺 水仙花だより  11・29

 

◎水仙:≪つぼみ≫

葉が30センチほどに伸びて蕾がついてきました。

・例年の開花:12月~2月 ・1万本

・今年はすこし早く咲きそうです

*コスモスの花は霜月が果てるのと同時に終ってしまいます。あと二日で師走の月になりますがこれからの長い冬は水仙の季節です。

*当寺に咲く水仙は「寒水仙」とか「雪中花」「日本水仙」と呼ばれています。

この花は地中海原産でシルクロードを越え、中国から海を渡り日本にやって来ました。名前のナルキッソスはギリシャ神話の美少年の名、水仙は中国の水の精霊、どちらも神秘的です。

けっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根を下し育ちます。12月からお正月にかけてが花の見ごろです

*マユミの木が鈴なりに実をつけ色づいてきました。果皮が割れると中からかわいいピンク色の実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)開講。

℡(奈良)0742226287

日曜日午後2時から2時間の予定。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「さむざむと 木原の奥に 月ひくく

お山の嵐 吹きすさぶかも」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「錦繍の 夕日のそとの ゐのこづち」百合山羽公

〔和歌〕

「秋霧の たえまをみれば あさづくひ

むかひの岡は 色づきにけり」

後一条入道前関白左大臣(一条実経)・玉葉744

「秋霧の薄れて来た切れ目から見渡すと、(朝日のさす)向かい側の岡の木々は、目立って紅葉しはじめている。」

・あさづくひ=「向かひ」「さす」にかかる枕詞。

 

*『平家物語』を読む。

巻第五「文覚被流」(もんがくながされ)の段、

御所では管弦の最中であったが、やっと文覚を捕えて獄に下した。しかし間もなく許されたが相変わらず世を呪うようなことを言うので伊豆の国へ流されてしまった。

巻第五「福原院宣」(ふくはらゐんぜん)の段、

 「(文覚が)近藤四郎國高といふものにあづ(預)けられて、伊豆国奈古屋が奥にぞ住みける。さる程に、兵衛佐(ひょうえのすけ、頼朝)殿へつねはまいッて、昔今の物語ども申してなぐさむ程に、或る時文覚申しけるは、〈平家には小松のおほいどの(大臣、重盛)こそ、心も剛に、はかり事もすぐれておはせしか、平家の運命が末になるやらん、こぞ(去年)の八月薨ぜられぬ。いまは源平の中に、わどの(あなた)程将軍の相もッたる人はなし。はやはや謀反おこして、日本国したがへ給へ。〉兵衛佐〈思ひもよらぬ事のたまふ聖御房かな。われは故池の尼御前(忠盛の後妻、頼盛の母)にかいなき命(生きていてもあまり先に望みのない命)を助けられたてまッて候へば、その後世をとぶらはんために、毎日に法華経一部転読する外は他事なし。〉とこその給ひけれ。文覚かさねて申しけるは、〈天のあたふるを取らざれば、却って其咎をうく。時いたッて行わざれば、却へッて其殃(わざはひ)をうくといふ本文(史記淮陰候列伝)あり。かう申せば、御邊(ごへん)に心ざし深い色を見給へかし(私があなた様を深く思っている有様を御覧なさい)。〉とて、懐より白い布につつむだる髑髏(どくろ)を一つ取りいだす。兵衛佐〈あれはいかに(それはなんでしょうか)〉との給へば、〈これこそわどの(あなた)の父、故左馬頭殿のかうべ(頭)よ。平治の後、獄舎の前なる苔の下に埋もれて、後世とぶらふ人もなかりしを、文覚存ずる旨あって、獄守に乞ふて、この十余年頸にかけ、山々寺でら拝みまはり、弔らひたてまつれば、いまは一劫もたすかり給ひぬらん。されば、文覚は故守殿(義朝)の御ためにも奉公のものでこそ候へ〉と申しければ、兵衛佐殿、一定(いちじょう、本物)とは覚えねども、父の頭と聞くなつかしさに、まづ涙をぞ流されける。」

 (つづく)

 

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を観光拠点

として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。

現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。中ノ川寺の祖師がたに報恩謝徳。

 秋艸道人・会津八一さんは歌集『鹿鳴集』に「東京にかへるとて」と題して、

 「あをによし ならやまこえて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

(青丹よしの奈良山を越えて遠ざかって行くとも、夢にも見えてくるだろうな若草の山が。)

若草山の北麓に中ノ川があります。こんなところにゴミ焼き場をつくるなんて。

*「奈良市ごみ焼却場問題」についての詳しい情報はホームページ

『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』

を御覧下さい。

 建設計画の出発点となっている「公害調停」と「建設計画策定委員会」の問題点が明らかにされています。資料は多岐にわたり大量ですが、次のものだけでもお読みください。的確に問題点が指摘されています。

 ・資料〔1-3~5〕「公害調停に関するコメント」(1~3)

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2012年11月28日 (水)

般若寺 コスモス花だより  11・26ー

◎秋のコスモス:≪なごりの花≫

◎水仙:≪つぼみ≫

葉が30センチほどに伸びて蕾がついてきました。

・例年の開花:12月~2月 ・1万本

・今年はすこし早く咲きそうです

*お天気が目まぐるしく変化するのと同じように、人間の政治界でも日に日に変化が起きています。来月の総選挙に向けてどうやら二極分化が見えてきました。消費税増税、原発推進、TPP参加、軍国化をめぐって、国民の利益を代弁してくれる人を国会へ送り出す機会となりました。

*当寺にこれから咲く水仙は「寒水仙」とか「雪中花」「日本水仙」と呼ばれています。

この花は地中海原産でシルクロードを越え、中国から海を渡り日本にやって来ました。名前のナルキッソスはギリシャ神話の美少年の名、水仙は中国の水の精霊、どちらも神秘的です。

けっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根を下し育ちます。12月からお正月にかけてが花の見ごろです

*マユミの木が鈴なりに実をつけ色づいてきました。果皮が割れると中からかわいいピンク色の実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)開講。

℡(奈良)0742226287

日曜日午後2時から2時間の予定。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「大山の 木原の上に 星さえて

夜さむ嵐の さわがしきかも」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「野に山に 報恩講の あかりかな」前田普羅

〔和歌〕

「そめやらぬ 木ずゑの日影 うつりさめて

ややかれわたる 山の下草」

永福門院内侍・風雅674

「(まだ十分紅葉せず)夕日に紅に映える程にも至らぬ梢に、映る日光の色も衰え弱って、そろそろ枯れ色の広がって来た、山の下草よ。」

・うつりさめて=うつろい、色あせて。

 

*『平家物語』を読む。

巻第五「朝敵揃」(ちょうてきぞろへ)の段、 

またかつては醍醐天皇の命令だとて神泉苑の鷺がじっと動かないで捕えられたことさえあった。五位サギの名の起こりという。

 「咸陽宮」(かんやうきう)の段、

中国では燕の太子丹が秦に恨みを持ち荊軻と秦舞陽という者に燕の国の地図と始皇帝が欲しがっていた樊於期の首とを持たせて咸陽宮に向かわせた。始皇帝は地図を受取る時に危うく荊軻の凶刃に斃れるところだったが九死に一生をえた。頼朝の行動はそんなことになるだろうという者もあったけれども。

 「文覚荒行」(もんがくのあらぎやう)の段、

そのころ京の高尾に文覚上人という荒法師があった。修行の初めに厳寒に熊野へ行き那智の滝壺につかって、苦行をしたが、不動明王に助けられて三七日の大願を果たした。以後日本全国の霊場を経めぐって修行し、評判の修験者になることができた。

 「勧進帳」(くわんじんちやう)の段、

その後文覚は高雄の神護寺の修復をはかり諸所を廻り歩いた。ある時後白河法皇の御所に現れ、垣を破って中庭に入り、声高らかに勧進帳を読み上げた。

 

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を観光拠点

として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。

現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。中ノ川寺の祖師がたに報恩謝徳。

 秋艸道人・会津八一さんは歌集『鹿鳴集』に「東京にかへるとて」と題して、

 「あをによし ならやまこえて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

(青丹よしの奈良山を越えて遠ざかって行くとも、夢にも見えてくるだろうな若草の山が。)

若草山の北麓に中ノ川があります。こんなところにゴミ焼き場をつくるなんて。

*「奈良市ごみ焼却場問題」についての詳しい情報はホームページ

『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』

を御覧下さい。

 建設計画の出発点となっている「公害調停」と「建設計画策定委員会」の問題点が明らかにされています。資料は多岐にわたり大量ですが、次のものだけでもお読みください。的確に問題点が指摘されています。

 ・資料〔1-3~5〕「公害調停に関するコメント」(1~3)

Img_9761

 

 

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般若寺 コスモス花だより  11・28

◎秋のコスモス:≪なごりの花≫

◎水仙:≪つぼみ≫

葉が30センチほどに伸びて蕾がついてきました。

・例年の開花:12月~2月 ・1万本

・今年はすこし早く咲きそうです

*お天気が目まぐるしく変化するのと同じように、人間の政治界でも日に日に変化が起きています。来月の総選挙に向けてどうやら二極分化が見えてきました。消費税増税、原発推進、TPP参加、軍国化をめぐって、国民の利益を代弁してくれる人を国会へ送り出す機会となりました。

*当寺にこれから咲く水仙は「寒水仙」とか「雪中花」「日本水仙」と呼ばれています。

この花は地中海原産でシルクロードを越え、中国から海を渡り日本にやって来ました。名前のナルキッソスはギリシャ神話の美少年の名、水仙は中国の水の精霊、どちらも神秘的です。

けっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根を下し育ちます。12月からお正月にかけてが花の見ごろです

*マユミの木が鈴なりに実をつけ色づいてきました。果皮が割れると中からかわいいピンク色の実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)開講。

℡(奈良)0742226287

日曜日午後2時から2時間の予定。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「大山の 木原の上に 星さえて

夜さむ嵐の さわがしきかも」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「野に山に 報恩講の あかりかな」前田普羅

〔和歌〕

「そめやらぬ 木ずゑの日影 うつりさめて

ややかれわたる 山の下草」

永福門院内侍・風雅674

「(まだ十分紅葉せず)夕日に紅に映える程にも至らぬ梢に、映る日光の色も衰え弱って、そろそろ枯れ色の広がって来た、山の下草よ。」

・うつりさめて=うつろい、色あせて。

 

*『平家物語』を読む。

巻第五「朝敵揃」(ちょうてきぞろへ)の段、 

またかつては醍醐天皇の命令だとて神泉苑の鷺がじっと動かないで捕えられたことさえあった。五位サギの名の起こりという。

 「咸陽宮」(かんやうきう)の段、

中国では燕の太子丹が秦に恨みを持ち荊軻と秦舞陽という者に燕の国の地図と始皇帝が欲しがっていた樊於期の首とを持たせて咸陽宮に向かわせた。始皇帝は地図を受取る時に危うく荊軻の凶刃に斃れるところだったが九死に一生をえた。頼朝の行動はそんなことになるだろうという者もあったけれども。

 「文覚荒行」(もんがくのあらぎやう)の段、

そのころ京の高尾に文覚上人という荒法師があった。修行の初めに厳寒に熊野へ行き那智の滝壺につかって、苦行をしたが、不動明王に助けられて三七日の大願を果たした。以後日本全国の霊場を経めぐって修行し、評判の修験者になることができた。

 「勧進帳」(くわんじんちやう)の段、

その後文覚は高雄の神護寺の修復をはかり諸所を廻り歩いた。ある時後白河法皇の御所に現れ、垣を破って中庭に入り、声高らかに勧進帳を読み上げた。

 

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を観光拠点

として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。

現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。中ノ川寺の祖師がたに報恩謝徳。

 秋艸道人・会津八一さんは歌集『鹿鳴集』に「東京にかへるとて」と題して、

 「あをによし ならやまこえて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

(青丹よしの奈良山を越えて遠ざかって行くとも、夢にも見えてくるだろうな若草の山が。)

若草山の北麓に中ノ川があります。こんなところにゴミ焼き場をつくるなんて。

*「奈良市ごみ焼却場問題」についての詳しい情報はホームページ

『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』

を御覧下さい。

 建設計画の出発点となっている「公害調停」と「建設計画策定委員会」の問題点が明らかにされています。資料は多岐にわたり大量ですが、次のものだけでもお読みください。的確に問題点が指摘されています。

 ・資料〔1-3~5〕「公害調停に関するコメント」(1~3)

 

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2012年11月27日 (火)

般若寺 コスモス花だより  11・27

 

◎秋のコスモス:≪なごりの花≫

◎水仙:≪つぼみ≫

葉が30センチほどに伸びて蕾がついてきました。

・例年の開花:12月~2月 ・1万本

・今年はすこし早く咲きそうです

*今日は晴れ、お天気の変化が速いです。これが晩秋の常なのでしょうね。

*当寺にこれから咲く水仙は「寒水仙」とか「雪中花」「日本水仙」と呼ばれています。

この花は地中海原産でシルクロードを越え、中国から海を渡り日本にやって来ました。名前のナルキッソスはギリシャ神話の美少年の名、水仙は中国の水の精霊、どちらも神秘的です。

けっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根を下し育ちます。12月からお正月にかけてが花の見ごろです

*マユミの木が鈴なりに実をつけ色づいてきました。果皮が割れると中からかわいいピンク色の実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)開講。

℡(奈良)0742226287

日曜日午後2時から2時間の予定。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「大山の 峰の木原を 遠入日

あかくそめゐて きざす夕冷え」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「雑草の 実の吹飛ぶに 目を細め」川端茅舎

〔和歌〕

「そともなる ならの葉しほれ 露おちて

霧はれのぼる 秋の山本」

前参議雅有・玉葉736

「家の裏手の楢ノ木の葉がしっとりと濡れて、そこから露の雫が落ち、霧が次第に晴れあがって行く、秋の山の麓の風情よ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第五「都遷」(みやこうつり)の段、

 かねて噂のあった福原遷都が決行された。62日の朝6時ごろ天皇・中宮・法皇・上皇をはじめ摂政以下の公卿殿上人がお供をした。皇居には頼盛の家があてられ、また例の論功行賞があった。遷都は前例のないことではないが、桓武天皇以来380年の平安京を人臣の清盛が替えたとは、その横暴も極まったというべきである。

 「月見」(つきみ)の段、

秋になると人々は福原付近の月の名所をたずね廻ったが、徳大寺実定は京都まで上り、近衛河原の大宮に蓬生の門をたたいて旧都の月をめでた。風流な今様が謡われ、和歌の贈答も行われた。

「物怪之沙汰」(もつけのさた)の段、

遷都の後は平家の人の夢見が悪く、変化の類がいろいろ現れる。例えば一間に入りきらないような大きな顔が清盛の寝室をのぞきこんだり、天狗らしい大きな笑い声が聞えたりするような。

そのころ源雅頼の侍が今平家が預かっている大将軍の節刀が平氏から源氏へ、源氏から藤原氏に渡されるという夢を見た。清盛はその侍を捕えさせようとしたが、侍は逃げてしまった。高野におられた成頼はこれを聞いて平家の運命もいよいよ末になったと批評せられた。

「早馬」(はやむま)の段、

相模の大庭景親から頼朝が謀叛を起したという急使が来た。それによると頼朝は石橋山で景親の軍に破られ、源氏についた三浦義明は戦死して、三浦一族は安房・上総に逃れた。

平家の人はちょうど遷都に飽きが来ていた時なので、追手に向かおうかなどとも言うが、事件の真相が分からない。ただ清盛の怒りだけは一通りではなかった。

 

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を観光拠点

として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。

現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。中ノ川寺の祖師がたに報恩謝徳。

 秋艸道人・会津八一さんは歌集『鹿鳴集』に「東京にかへるとて」と題して、

 「あをによし ならやまこえて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

(青丹よしの奈良山を越えて遠ざかって行くとも、夢にも見えてくるだろうな若草の山が。)

若草山の北麓に中ノ川があります。こんなところにゴミ焼き場をつくるなんて。

*「奈良市ごみ焼却場問題」についての詳しい情報はホームページ

『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』

を御覧下さい。

 建設計画の出発点となっている「公害調停」と「建設計画策定委員会」の問題点が明らかにされています。資料は多岐にわたり大量ですが、次のものだけでもお読みください。的確に問題点が指摘されています。

 ・資料〔1-3~5〕「公害調停に関するコメント」(1~3)

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2012年11月26日 (月)

般若寺 コスモス花だより  11・26

 

◎秋のコスモス:≪なごりの花≫

◎水仙:≪つぼみ≫

葉が30センチほどに伸びて蕾がついてきました。

・例年の開花:12月~2月 ・1万本

・今年はすこし早く咲きそうです

*時雨の雨いたくな降りそ金堂の・・・、雨です。

*当寺にこれから咲く水仙は「寒水仙」とか「雪中花」「日本水仙」と呼ばれています。

この花は地中海原産でシルクロードを越え、中国から海を渡り日本にやって来ました。ナルキッソスはギリシャ神話の水の精、水仙は中国の水の精霊どちらも神秘的な名前です。けっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根を下し育ちます。

12月からお正月にかけてが花の見ごろです

*真弓の木が鈴なりに実をつけ色づいてきました。果皮が割れると中からピンク色の小さな実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)開講。

℡(奈良)0742226287

日曜日午後2時から2時間の予定。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「ちぎれ雲 走りつくして 夕空に

とよはた雲の しづかにたかし」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「銀杏散る 遠くに風の 音すれば」富安風生

〔和歌〕

「いまははや あけぬと思ふ 鐘のをとの

後しもながき 秋の夜は哉」

九条左大臣女(二条道良女)・風雅673

「今はもう夜が明けたのだ、と思う、暁の鐘の音の、その後がまたひどく長い、秋の夜だこと。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第四「三井寺炎上」の段、

「夜いくさになッて、暗さはくらし、官軍(平家軍)寺に攻め入りて、火を放つ。焼くるところ、本覚院、常喜院・真如院・花園院、普賢堂・大宝院・清瀧院、教待和尚本坊ならびに本尊等、八間四面の大講堂、鐘楼・経蔵・灌頂堂、護法善神の社壇、今熊野の御宝殿、すべて堂舎塔廟六百三十七宇、大津の在家一千八百五十三宇、智証の渡し給へる一切経七千余巻、仏像二千余躰、忽ちに煙となるこそかなしけれ。諸天五妙のたのしみ(天の諸神が奏でる美しい音楽、五妙は宮商角徴羽の五つの調子)も此の時ながく尽き、竜神三熱の苦しみ(竜神が受ける三種の苦しみ)もいよいよ盛んなるらんとぞみえし。」

「〈かかる天下の乱れ、国土の騒ぎ、ただ事ともおぼえず。平家の世の末になりぬる先表(前兆、前触れ)〉とぞ、人(心ある人)申しける。」

巻第五の目録

「都遷」(みやこうつり)、「月見」(つきみ)、「物怪之沙汰」(もつけのさた)、「早馬」(はやむま)、「朝敵揃」(てうてきぞろへ)、「咸陽宮」(かんやうきう)、「文覚荒行」(もんがくのあらぎやう)、「勧進帳」(くわんじんちやう)、「文覚被流」(もんがくながされ)、「福原院宣」(ふくはらゐんぜん)、「富士川」(ふじがは)、「五節之沙汰」(ごせつのさた)、「都帰」(みやこがへり)、「奈良炎上」(ならえんしょう)

巻第五の終わりの段に、平重衡(たいらのしげひら)を大将軍とする四万余騎の大軍による南都攻めがあり、「奈良炎上」事件となります。

 

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を観光拠点

として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。

現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。

中ノ川寺の祖師がたに報恩謝徳。

 奈良をこよなく愛した文人、秋艸道人・会津八一さんは歌集『鹿鳴集』に「東京にかへるとて」と題して、東京へ帰る途上奈良への哀惜の歌を詠まれています。

 「あをによし ならやまこえて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

(青丹よしの奈良山を越えて遠ざかって行っても、夢にも見えてくるだろうな若草山が。)

この若草山の北麓に中ノ川があります。こんなところにゴミ焼き場が出現したら、八一先生は草葉の陰でさぞかし嘆かれることでしょうね。

 

*「奈良市ごみ焼却場問題」についての詳しい情報はホームページ

『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』

を御覧下さい。

 建設計画の出発点となっている「公害調停」と「建設計画策定委員会」の問題点が明らかにされています。資料は多岐にわたり大量ですが、次のものだけでもお読みください。的確に問題点を指摘されています。

 ・資料〔1-3~5〕「公害調停に関するコメント」(1~3)

われわれ一般市民のよく知らない間に、奈良の未来を台無しにする重大問題が決定されようとしています。御用心あれ。

 

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2013

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2012年11月25日 (日)

般若寺 コスモス花だより  11・25

 

◎秋のコスモス:≪なごりの花≫

◎水仙:≪つぼみ≫

葉が30センチほどに伸びて蕾がついてきました。

・例年の開花:12月~2月 ・1万本

・今年はすこし早く咲きそうです

*今日はおだやかな秋晴れとなりそうです。第二回目の「般若寺智恵光座」があります。飛び入りも歓迎です、ご参加くださいませ。

前回参加された御婦人の俳句をご紹介します。

「小春日の 塔をながめて 法まなぶ」 まりこ

*これから咲く水仙は「寒水仙」とか「雪中花」「日本水仙」と呼ばれています。

この花は地中海原産でシルクロードを越え、中国から海を渡り日本にやって来た花です。ナルキッソスはギリシャ神話の水の精、水仙は中国の水の精霊どちらも神秘的な名前です。けっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根を下し育ちます。

12月からお正月にかけてが花の見ごろです

*真弓の木が鈴なりに実をつけ色づいてきました。果皮が割れると中からピンク色の小さな実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)開講。

℡(奈良)0742226287

1118日(日)から3週連続、日曜日午後2時から2時間の予定。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第一回目 1118日(日)

「般若寺創建諸説と寺伝」

 寺所蔵の『般若寺歴代記』『文殊縁起』について

 様々な創建伝承(聖徳太子、蘇我日向臣、行基、聖武天皇、観賢、大伴氏の氏寺など)

 仏教教学:当寺開創の僧、慧潅と三論宗

第二回目 1125日(日)

「伽藍絵図に見る般若寺の特異性」

 『四至境内図』

 『伽藍絵図』

 『江戸時代の伽藍図』

 『御朱印寺領図』

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「山の宿 夕冷えきびし 湯にいれば

手足にしみて あたたまりくる」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「紅葉せり 松その上に 枝を垂れ」水原秋桜子

〔和歌〕

「みねの雲 ふもとの霧も 色くれて

空も心も 秋のまつかぜ」

前中納言定家・玉葉731

「峰の雲も麓の霧も、いかにも夕暮の色になって、空は秋の松風に領せられ、その風はまた私の心の中にも吹きわたっている。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第四「通乗之沙汰」(とうぜうのさた)の段、

通乗(とうじょう)は相人、占いをする人である。 

高倉宮には若君がもう一人あったが、この方も後には木曾義仲に利用されてさびしい生涯を送られた。大体この宮の人相を見て帝王になるだろうと言った人も悪いが、昔から賢い皇子が位につかなかった例はいくらでもある。平家はこの事件でまた得手勝手な論功行賞を行った。

巻第四「鵼」(ぬえ)の段、

 鵼はトラツグミの異称。頼政が主上を悩ます怪物を打ち取った話。「かしらは猿、むくろ(胴体)は狸、尾はくちなは(蛇)、手足は虎の姿なり。鳴く声鵼にぞ似たりける。おそろしなンどもをろか也。」

頼政は源氏の名門として保元・平治の乱でも大功を立てたがなぜか恩賞が薄かった。主上を悩ます怪物を二度まで退治したことが生涯を通じての面目であったが、それにしてもつまらない謀叛を起したのはなさけないことである。

巻第四「三井寺炎上」(みゐでらえんしょう)の段、

「日ごろは山門の大衆こそ、みだ(猥)りがはしきうッた(訴)へつかまつるに、今度は穏便を存じて音もせず。〈南都・三井寺、或いは宮うけとり奉り、或いは宮の御おむかへにまいる、これもッて朝敵なり。されば三井寺をも南都をも攻めらるべし〉とて、同五月二十七日、大将軍には入道(清盛)の四男頭中将重衡(とうのちゅうじょうしげひら)、副将軍には薩摩守忠度(ただのり、清盛の弟)、都合其勢一万余騎で、園城寺(三井寺)へ発向す。寺にも堀ほり、かいだて(掻楯、楯を並べて垣根のようにしたもの)かき、さかもぎ(逆茂木)ひいて(とげのある枝を立てたもの。「引く」は立てること)待ちかけたり。卯の刻に(午前六時)矢合せして(開戦の合図に両方から鏑矢を射ること)、一日たたかひ暮す。防ぐところの大衆以下の法師原、三百余人まで討たれにけり。」

(つづく)

 

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を観光拠点

として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。

現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。

中ノ川寺の祖師がたに報恩謝徳。

 奈良をこよなく愛した文人、秋艸道人・会津八一さんは歌集『鹿鳴集』に「東京にかへるとて」と題して、東京へ帰る途上奈良への哀惜の歌を詠まれています。

 「あをによし ならやまこえて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

(青丹よしの奈良山を越えて遠ざかって行っても、夢にも見えてくるだろうな若草山が。)

この若草山の北麓に中ノ川があります。こんなところにゴミ焼き場が出現したら、八一先生は草葉の陰でさぞかし嘆かれることでしょうね。

 

*「奈良市ごみ焼却場問題」についての詳しい情報はホームページ

『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』

を御覧下さい。

 建設計画の出発点となっている「公害調停」と「建設計画策定委員会」の問題点が明らかにされています。資料は多岐にわたり大量ですが、次のものだけでもお読みください。的確に問題点を指摘されています。

 ・資料〔1-3~5〕「公害調停に関するコメント」(1~3)

われわれ一般市民のよく知らない間に、奈良の未来を台無しにする重大問題が決定されようとしています。御用心あれ。

 

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2012年11月24日 (土)

般若寺 コスモス花だより  11・24

 

◎秋のコスモス:≪なごりの花≫

◎水仙:≪つぼみ≫

葉が30センチほどに伸びて蕾がついてきました。

・例年の開花:12月~2月 ・1万本

・今年はすこし早く咲きそうです

*今日は晴れ。秋の終わりは天気の移り変わりが早くて雨がよく降ります。紅葉も最盛期ですからみなさんいつどこへ行こうかとお悩みのことでしょう。今日明日はお天気は大丈夫。しかし都会に近い人気の名所は人であふれています。奈良からの近場では、浄瑠璃寺、岩船寺、笠置寺、海住山寺なんかはいかがでしょうか。

*水仙は「寒水仙」とか「日本水仙」と呼ばれていますが、

この花は地中海原産でシルクロードを越え、中国から海を渡り日本にやって来た花です。ナルキッソスはギリシャ神話の水の精、水仙は中国の水の精霊どちらも神秘的な名前です。けっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根を下し育ちます。

12月からお正月にかけてが花の見ごろです

*真弓の木が鈴なりに実をつけ色づいてきました。果皮が割れると中からピンク色の小さな実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)開講。

℡(奈良)0742226287

1118日(日)から3週連続、日曜日午後2時から2時間の予定。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第一回目 1118日(日)

「般若寺創建諸説と寺伝」

 寺所蔵の『般若寺歴代記』『文殊縁起』について

 様々な創建伝承(聖徳太子、蘇我日向臣、行基、聖武天皇、観賢、大伴氏の氏寺など)

 仏教教学:当寺開創の僧、慧潅と三論宗

第二回目 1125日(日)

「伽藍絵図に見る般若寺の特異性」

 『四至境内図』

 『伽藍絵図』

 『江戸時代の伽藍図』

 『御朱印寺領図』

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「山の宿 夕冷えきびし 湯に入れば

手足にしみて あたたまりくる」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「黄葉を 見よと硝子を 拭きくるる」石田波郷

〔和歌〕

「さえのぼる ひびきや空に ふけぬらん

月のみやこも 衣うつなり」

従二位家隆・風雅670

「澄み切って昇って行く砧をうつ響きが、空高くまで夜更けの情趣を伝えるのだろうか。まるであの美しい月の都でも、衣を打っているように聞こえる。」

・月のみやこ=月の中にあると想像される都。

・衣うつ=布地を砧(きぬた)で打ちやわらげ、つやを出す作業。晩秋に行う。

 

*『平家物語』を読む。

巻第四「若宮出家」(わかみやしゅっけ)の段、

 平家の者は高倉宮や源頼政一族の首級をもって六波羅に帰ったが宮の首を見知るものがない。そこで宮に愛されていた一人の女房に確かめさせると、その女房がすぐに泣き崩れたので宮の首と確認された。また七歳になる宮の若君が探し出されたが、頼盛や宗盛の歎願によって出家させることで落着した。

「(八条)女院〈なにの様もあるべからず。只とうとう(何の異存もありません。すぐに出家させて下さい)〉とて、法師になし奉り、釈氏にさだ(定)まらせ給ひて、仁和寺の御室(にんわじのおむろ、寺の長者を御室といった。覚性法親王)の御弟子(おんでし)になしまいらせ給ひけり。後には東寺の一の長者、安井の宮の僧正道尊(どうそん)と申ししは、此の宮の御事也。」

 

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を観光拠点

として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。

現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。

中ノ川寺の祖師がたに報恩謝徳。

 奈良をこよなく愛した文人、秋艸道人・会津八一さんは歌集『鹿鳴集』に「東京にかへるとて」と題して、東京へ帰る途上奈良への哀惜の歌を詠まれています。

 「あをによし ならやまこえて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

(青丹よしの奈良山を越えて遠ざかって行っても、夢にも見えてくるだろうな若草山が。)

この若草山の北麓に中ノ川があります。こんなところにゴミ焼き場が出現したら、八一先生は草葉の陰でさぞかし嘆かれることでしょうね。

 

*「奈良市ごみ焼却場問題」についての詳しい情報はホームページ

『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』

を御覧下さい。

 建設計画の出発点となっている「公害調停」と「建設計画策定委員会」の問題点が明らかにされています。資料は多岐にわたり大量ですが、次のものだけでもお読みください。的確に問題点を指摘されています。

 ・資料〔1-3~5〕「公害調停に関するコメント」(1~3)

われわれ一般市民のよく知らない間に、子々孫々に関わる重大問題が決定されようとしています。御用心御用心。

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2012年11月23日 (金)

般若寺 コスモス花だより  11・23

 

◎秋のコスモス:≪なごりの花≫

◎水仙:≪つぼみ≫

葉が30センチほどに伸びて蕾がついてきました。

・例年の開花:12月~2月 ・1万本

・今年はすこし早く咲きそうです

*今朝は雨。今日からこの秋最後の連休となります。当寺ではコスモスがなごりの花となりました。参詣者も少なくなり、庭の桜やケヤキなど色づいた落葉が赤や茶色のじゅうたんとなって冬支度をはじめました。

*水仙は「寒水仙」とか「日本水仙」と呼ばれていますが、

この花は地中海原産でシルクロードを越え、中国から海を渡り日本にやって来た花です。ナルキッソスはギリシャ神話の水の精、水仙は中国の水の精霊どちらも神秘的な名前です。けっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根を下し育ちます。

冬枯れで何もなくなった庭を純白の花でかざり、芳しい香りで石ぼとけさまをつつみます。12月からお正月にかけてが見ごろです

*紫紺の野紺菊など野菊の花が庭の片隅でひっそりと咲いています。

そして真弓の木が鈴なりの実をつけ色づいてきました。果皮が割れると中からピンク色の小さな実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*般若寺を解説する連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)開講しました。

次回からの飛び入り参加でも歓迎いたします。

℡(奈良)0742226287

1118日(日)から3週連続、日曜日午後2時から2時間の予定。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第一回目 1118日(日)

「般若寺創建諸説と寺伝」

 寺所蔵の『般若寺歴代記』『文殊縁起』について

 様々な創建伝承(聖徳太子、蘇我日向臣、行基、聖武天皇、観賢、大伴氏の氏寺など)

 仏教教学:当寺開創の僧、慧潅と三論宗

第二回目 1125日(日)

「伽藍絵図に見る般若寺の特異性」

 『四至境内図』

 『伽藍絵図』

 『江戸時代の伽藍図』

 『御朱印寺領図』

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「人間の 稚児の泣く声 いたいたし

夕さりお山の 冷えきびしきに」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「椎となく 団栗となく 拾ひけり」相生垣瓜人

〔和歌〕

「夕暮の 庭すさまじき 秋風に

きりの葉おちて 村雨ぞふる」

永福門院・玉葉725

「夕暮の庭を荒涼と吹きわたる秋風に、桐の葉が落ち、その上に音立てて気まぐれな村雨が降るよ。」  

 

*『平家物語』を読む。

巻第四「宮御最後」の段、

「円満院大輔源覚、今は宮もはるかにのびさせ給ひぬらん(遠くまで落ち延びなさったろう)とやおもひけん、大太刀大長刀(なぎなた)左右にもッて、敵(かたき)のなかうちやぶり、宇治河へ飛んで入り、物の具(武器)一つもすてず、水の底をくぐッて、むかへの岸に渡りつき、高きところに登り上がり、大音声をあげて、〈いかに平家の君達(きんだち)、これまでは御大事かよう(ここまで登るのは御大儀か)〉とて、三井寺へこそ帰りけれ。

 飛騨守景家(かげいえ)は古兵物(ふるつはもの)にてありければ、このまぎれに、宮は南都へや先立たせ給ふらんとて、いくさをばせず、其勢五百余騎、鞭あぶみをあはせて追ッかけたてまつる。案のごとく、宮は三十騎ばかりで落ちさせ給ひけるを、光明山(光明山寺、現木津川市棚倉にあった真言宗の寺)の鳥居の前にて追ッつきたてまつり、雨の降るように射まいらせければ、いづれが矢(誰が射た矢)とは覚えねど、宮の左の御そば腹(脇腹)に矢一筋立ちければ、御馬より落ちさせ給ひて、御頸(おんくび)とらさせ給ひけり。これを見て御共(おんとも)に候ひける鬼佐渡・荒土左・荒大夫、理智城房の伊賀公、行部俊秀・金光院の六天狗、いつのために命をばおしむべきとて(宮が亡くなられた以上いつのために惜しい命だろうか)、おめき叫んで打ち死にす。」

「さる程に、南都の大衆ひた甲(かぶと、一同が甲冑をつけていること)七千余人、宮の御(おん)むかへにまいる。先陣は粉津(こづ、木津)に進み、後陣はいまだ興福寺の南大門にゆらへたり(滞っている、溜っている)。宮ははや光明山の鳥居の前にて討たれさせ給ひぬときこえしかば、大衆皆力及ばず、涙ををさへて止まりぬ。いま五十町ばかり待ちつけ給はで、討たれさせ給ひけん宮の御運のほどこそうたてけれ(本当に御心のいたむことであった)。」

 

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を観光拠点

として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。

現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。

中ノ川寺の祖師がたに報恩謝徳。

 奈良をこよなく愛した文人、秋艸道人・会津八一さんは歌集『鹿鳴集』に「東京にかへるとて」と題して、東京へ帰る途上奈良への哀惜の歌を詠まれています。

 「あをによし ならやまこえて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

(青丹よしの奈良山を越えて遠ざかって行っても、夢にも見えてくるだろうな若草山が。)

この若草山の北麓に中ノ川があります。こんなところにゴミ焼き場が出現したら、八一先生は草葉の陰でさぞかし嘆かれることでしょうね。

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2012年11月22日 (木)

般若寺 コスモス花だより  11・22

 

◎秋のコスモス:≪なごりの花≫

◎水仙:≪つぼみ≫

葉が30センチほどに伸びて蕾がついてきました。

・例年の開花:12月~2月 ・1万本

・今年はすこし早く咲きそうです

*水仙は「寒水仙」とか「日本水仙」と呼ばれていますが、

この花は地中海原産でシルクロードを越え、中国から海を渡り日本にやって来た花です。ナルキッソスはギリシャ神話の水の精、水仙は中国の水の精霊どちらも神秘的な名前です。けっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根を下し育ちます。

冬枯れで何もなくなった庭を純白の花でかざり、芳しい香りで石ぼとけさまをつつみます。12月からお正月にかけてが見ごろです

*紫紺の野紺菊など野菊の花が庭の片隅でひっそりと咲いています。

そして真弓の木が鈴なりの実をつけ色づいてきました。果皮が割れると中からピンク色の小さな実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*般若寺を解説する連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)開講しました。

次回からの飛び入り参加でも歓迎いたします。

℡(奈良)0742226287

1118日(日)から3週連続、日曜日午後2時から2時間の予定。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第一回目 1118日(日)

「般若寺創建諸説と寺伝」

 寺所蔵の『般若寺歴代記』『文殊縁起』について

 様々な創建伝承(聖徳太子、蘇我日向臣、行基、聖武天皇、観賢、大伴氏の氏寺など)

 仏教教学:当寺開創の僧、慧潅と三論宗

第二回目 1125日(日)

「伽藍絵図に見る般若寺の特異性」

 『四至境内図』

 『伽藍絵図』

 『江戸時代の伽藍図』

 『御朱印寺領図』

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「のぼり来て 旅籠につけば とみに寒し

障子にあかき お山の夕陽」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「野ざらしを 心に風の しむ身かな」松尾芭蕉

〔和歌〕

「あさあらしの 峯よりおろす 大井河

うきたる霧も 流れてぞ行く」

前大納言為兼・風雅666

「朝嵐が、峯から吹きおろす大堰川よ、川面に浮いた霧も、風のために(川水と同様に)流れて行くよ。」

・あさあらしの=実景に加えて、「あらしの峯」に「嵐山」の地名を暗示する。

 

*『平家物語』を読む。

巻第四「橋合戦」の段、

 宇治橋の上では激しい戦いが続いている。平家の首脳者は渡河をためらったが、下野の住人足利忠綱が三百騎の手勢を率いて渡河を敢行してしまった。

巻第四「宮御最後」(みやのごさいご)の段、

 忠綱が大音声を上げて平等院内に攻め入ったので大将軍平知盛は全軍に渡河を命じ、二万八千騎が残らず宇治川を渡った。

「大勢みな渡して、平等院の門の内へ入れ換え入れ換え戦いけり。此のまぎれに、宮(以仁王)をば南都へ先立てまいらせ。源三位入道(頼政)の一類残って、防ぎ矢ゐ給ふ。」

 後に頼政一党がふみとどまって戦った。しかし彼らはあそこで討たれここで自害し、最後には「三位入道は、渡辺長七唱(となふ)をめして、〈わが頸うて〉との給ひければ、主の生け首うたん事のかなしさに、涙をはらはらとながいて(流して)、〈仕(つかまつ)ともおぼえ候はず。御自害候はば、其後こそ給はり候はめ〉と申しければ、〈まことにも(なるほど)〉とて、西に向かひ、高声に十念となへ、最後の詞ぞあはれなる。

 〈埋もれ木の花咲く事もなかりしに 身のなる果てぞかなしかりける〉

 (自分の生涯は埋もれ木のように出世することがなかったのに加えて、その最後はまことに悲しい)

これを最後の詞にて、太刀の先を腹に突き立て、うつ俯さまに貫ぬかッてぞうせられける。」自害した頼政の首は長七唱が石をつけて宇治川に沈めてしまった。(つづく)

 

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を観光拠点

として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。

現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。

中ノ川寺の祖師がたに報恩謝徳。

 奈良をこよなく愛した文人、秋艸道人・会津八一さんは歌集『鹿鳴集』に「東京にかへるとて」と題して、東京へ帰る途上奈良への哀惜の歌を詠まれています。

 「あをによし ならやまこえて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

(青丹よしの奈良山を越えて遠ざかって行っても、夢にも見えてくるだろうな若草山が。)

この若草山の北麓に中ノ川があります。こんなところにゴミ焼き場が出現したら、八一先生は草葉の陰でさぞかし嘆かれることでしょうね。

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2012年11月21日 (水)

般若寺 コスモス花だより  11・21

 

◎秋のコスモス:≪なごりの花≫

◎水仙:≪つぼみ≫

葉が30センチほどに伸びて蕾がついてきました。

・例年の開花:12月~2月 ・1万本

・今年はすこし早く咲きそうです

*水仙は日に日に大きくなって蕾が見えてきました。

この花は地中海原産でシルクロードを越え、中国から海を渡り日本にやって来た花です。ナルキッソスはギリシャ神話の水の精、水仙は中国の水の精霊どちらも神秘的な名前です。けっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根を下し育ちます。

冬枯れで何もなくなった庭を純白の花でかざり、芳しい香りで石ぼとけさまをつつみます。12月からお正月にかけてが見ごろです

*紫紺の野紺菊など野菊の花が庭の片隅でひっそりと咲いています。

そして真弓の木が鈴なりの実をつけ色づいてきました。果皮が割れると中からピンク色の小さな実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*きのう奈良市庁を訪問し「奈良市クリーンセンター」(ゴミ焼却場)を中ノ川地区へ移転する計画に反対と再考を申し入れました。主体は「奈良市のゴミ問題を考える会」の会員さんたちで、私は宗教界の立場でご一緒し、寺の住職として意見を述べました。応対していただいたのは市長の代理として副市長さんと担当の部長と課長さん達で、お忙しい中を真摯に質問にも答えて対応していただきました。会談の結論としては、市当局は「クリーンセンター策定委員会」が求める建設強行は地元の合意なしにはやらないという答えで、この場所が適切なのかどうかは慎重に考える、ということでした。「考える会」会員からは、移転強行を主張する策定委員会の客観的公平性、その基盤となっている(現整美工場周辺の)住民と市との「公害調停」そのものの正当性にも疑問があることを主張されました。私は候補地選定にも不備があることを指摘しました。それは奈良市は世界的な文化遺産を残す歴史都市であり、日本有数の文化観光都市であることが全く配慮されていない点です。東大寺や正倉院など世界文化遺産のすぐ近くにゴミ焼き場を作るなんてことは非常識そのものであり、最悪の選定であること。奈良は普通の地方都市ではないことを強調しました。市当局も市民も「世界遺産を有する古都」保存という人類史的課題を担っていることを忘れてはならないのです。市当局は移転建設及びその準備作業もけっして強行しないということで少し安心しましたが、結論がどう転ぶか分かりません。奈良を愛する市民、国民の大きな声を奈良市へ届けてください。

 奈良をこよなく愛した文人として著名な秋艸道人・会津八一さんは歌集『鹿鳴集』に「東京にかへるとて」と題して、東京へ帰る途上奈良への哀惜の歌を詠まれています。

 「あをによし ならやまこえて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

(青丹よしの奈良山を越えて遠ざかって行っても、夢にも見えてくるだろうな若草山が。)

この若草山の北麓に中ノ川があります。こんなところにゴミ焼き場が出来たら八一先生は草葉の陰でさぞかし嘆かれることでしょうね。

 

*般若寺を解説する連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)開講しました。

次回からの飛び入り参加でも歓迎いたします。

℡(奈良)0742226287

1118日(日)から3週連続、日曜日午後2時から2時間の予定。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第一回目 1118日(日)

「般若寺創建諸説と寺伝」

 寺所蔵の『般若寺歴代記』『文殊縁起』について

 様々な創建伝承(聖徳太子、蘇我日向臣、行基、聖武天皇、観賢、大伴氏の氏寺など)

 仏教教学:当寺開創の僧、慧潅と三論宗

第二回目 1125日(日)

「伽藍絵図に見る般若寺の特異性」

 『四至境内図』

 『伽藍絵図』

 『江戸時代の伽藍図』

 『御朱印寺領図』

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「土にまで 矮樹のしげみ 突き穿ち

硬き木の実の 真直に落ち来」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「雁の空 大空ひびき わたりけり」 水原秋桜子

〔和歌〕

「風にふす おぎのうは葉の 露ながら

月しく庭の 秋ぞさびしき」

従三位親子・玉葉649

「風に伏しなびく、荻の上葉に置く霜もそのまま月を宿し、一面に月光に領せられた庭の秋の景色のさびしさよ。」

 

*『平家物語』きょうはお休みします。

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を観光拠点

として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。

現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。

中ノ川寺の祖師がたに報恩謝徳。

 

 

 

 

 

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2012年11月20日 (火)

般若寺 コスモス花だより  11・20

 

◎秋のコスモス:≪ほぼ終わりです≫

◎水仙:≪つぼみ≫

葉が30センチほどに伸びて蕾がついてきました。

・例年の開花:12月~2月 ・1万本

・今年はすこし早く咲きそうです

*昨日は近くの鼓坂北小学校の6年生が50人やって来られました。地域のことを現地で学習しようという授業の一環です。子供さんを相手のお話は難しいです。この小学校は奈良では新しい「青山」という住宅地にあり、その名は『古事記』にある日本武尊(やまとたけるのみこと)の望郷の歌、「大和は国のまほろば たたなづく 青垣山こもれる やまとしうるはし」の青垣山から垣を省いて青山と名付けられていて、「奈良山」に開かれた町であること。それから「なら」や「やまと」という名前の起こりを説明し、奈良から京都、滋賀、福井、アジア大陸へとつながる道の歴史は太古から現代まで続いていて、どこをとっても豊かで深い内容を秘めていることを伝えました。ことに「北山十八間戸」の病院活動、忍性さんの業績を話しすると、みんな真剣に耳を傾けてくれました。私たち年配者は孫の世代に歴史の中の人間の営みを伝えて行くことが大事です。そのためには大人が学習しなければなりません。いま各地でボランティアガイドの活動が盛んになってきたのは頼もしいかぎりです。

*水仙は日に日に大きくなって蕾が見えてきました。

この花は地中海原産でシルクロードを越え、中国から海を渡り日本にやって来た花です。ナルキッソスはギリシャ神話の水の精、水仙は中国の水の精霊どちらも神秘的な名前です。けっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根を下し育ちます。

冬枯れで何もなくなった庭を純白の花でかざり、芳しい香りで石ぼとけさまをつつみます。12月からお正月にかけてが見ごろです

*紫紺の野紺菊など野菊の花が庭の片隅でひっそりと咲いています。

そして真弓の木が鈴なりの実をつけ色づいてきました。果皮が割れると中からピンク色の小さな実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*般若寺を解説する連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)開講しました。

次回からの飛び入り参加でも歓迎いたします。

℡(奈良)0742226287

1118日(日)から3週連続、日曜日午後2時から2時間の予定。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第一回目 1118日(日)

「般若寺創建諸説と寺伝」

 寺所蔵の『般若寺歴代記』『文殊縁起』について

 様々な創建伝承(聖徳太子、蘇我日向臣、行基、聖武天皇、観賢、大伴氏の氏寺など)

 仏教教学:当寺開創の僧、慧潅と三論宗

第二回目 1125日(日)

「伽藍絵図に見る般若寺の特異性」

 『四至境内図』

 『伽藍絵図』

 『江戸時代の伽藍図』

 『御朱印寺領図』

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「森ふかみ 地に落ちきたる 硬き実の

枝葉にあたる 音はやきかも」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「一枚の 木の葉拾へば 山の音」稲畑汀子

〔和歌〕

「いりあひは 檜原のおくに ひびき初めて

霧にこもれる 山ぞ暮れ行く」

前大納言尊氏・風雅664

「入相の鐘の音は、檜の原の奥に響きはじめて、霧の中にかくれた山は次第に暮れて行く」

・檜原=檜の生えそろった原、また山。「三輪の檜原」「初瀬の檜原」が著名。ここでは「入相」と相俟って、初瀬山の景を想定していると思われる。

 

*『平家物語』を読む。

巻第四「大衆揃」(だいしゅぞろへ)の段、

「搦手に向かふ老僧ども、大将軍には、源三位入道頼政、乗円房阿闍梨慶秀、律成房阿闍梨日胤、禅智が弟子義宝・禅永をはじめとして、都合其勢一千人、手々にたい松もッて如意が峯へぞむかひける。大手の大将軍には嫡子伊豆守仲綱、・・・都合その勢一千五百余人、三井寺をこそ打立ちけれ。」

 三井寺からは二手に分かれて進んだが、出発前のもめごとがたたって時期を失してしまった。宮はやむを得ず南都に向かわれることになった。御秘蔵の笛を寺に留め、若い者千人を供とした。

巻第四「橋合戦」(はしがつせん)の段、

「宮は宇治と寺とのあひだにて、六度まで御落馬ありけり。これはさんぬる夜、御寝(ぎょしん)のならざりしゆへなりとて(昨夜お眠りになれなかったからだといって)、宇治橋三間引き外し(橋板を柱三つ分はずして)平等院に入れたてまッて、しばらく御休息ありけり。六波羅には〈すはや、宮こそ南都へ落ちさせ給ふなれ。追ッかけて討ちたてまつれ〉とて、大将軍には、左兵衛督知盛、頭中将重衡、・・・」

 宮が宇治の平等院で休んでおられると平氏の大軍が押し寄せてきたが、橋板が三間ほど外してあったので先頭の二百余騎は後ろから押され川に落ちて溺れ死んだ。宮の部下は勇敢に戦いながら徐々に奈良の方に落ちて行った。

 

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を観光拠点

として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。

現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。

中ノ川寺の祖師がたに報恩謝徳。

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2012年11月19日 (月)

般若寺 コスモス花だより  11・19

 

◎秋のコスモス:≪ほぼ終わりです≫

◎水仙:≪つぼみ≫

葉が30センチほどに伸びて蕾がついてきました。

・例年の開花:12月~2月 ・1万本

・今年はすこし早く咲きそうです

*昨日の午前中には「美咲会」のボランティア作業がありました。今回は少人数でしたが、じっくりとコスモスの片づけをやっていただきました。お天気が回復したおかげで作業もはかどったようです。会の皆様有難うございました。        

午後からは「般若寺智慧光座」を開きました。初めての試みで試行錯誤でした。それぞれの講座が時間的に短かったので各講師ともに不完全燃焼気味。受講された方もちょっと物足らなかったかもしれません。次回からは今回の反省を込めてさらに充実したものにいたします。

*水仙は日に日に大きくなって蕾が見えてきました。

この花は地中海原産でシルクロードを越え、中国から海を渡り日本にやって来た花です。ナルキッソスはギリシャ神話の水の精、水仙は中国の水の精霊どちらも神秘的な名前です。けっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根を下し育ちます。

冬枯れで何もなくなった庭を純白の花でかざり、芳しい香りで石ぼとけさまをつつみます。12月からお正月にかけてが見ごろです

*紫紺の野紺菊など野菊の花が庭の片隅でひっそりと咲いています。

そして真弓の木が鈴なりの実をつけ色づいてきました。果皮が割れると中からピンク色の小さな実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*般若寺を解説する連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)開講しました。

次回からの飛び入り参加でも歓迎いたします。

℡(奈良)0742226287

1118日(日)から3週連続、日曜日午後2時から2時間の予定。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第一回目 1118日(日)

「般若寺創建諸説と寺伝」

 寺所蔵の『般若寺歴代記』『文殊縁起』について

 様々な創建伝承(聖徳太子、蘇我日向臣、行基、聖武天皇、観賢、大伴氏の氏寺など)

 仏教教学:当寺開創の僧、慧潅と三論宗

第二回目 1125日(日)

「伽藍絵図に見る般若寺の特異性」

 『四至境内図』

 『伽藍絵図』

 『江戸時代の伽藍図』

 『御朱印寺領図』

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「いこひゐて 目はすぐ前を みつめたり

秋の陽あつき 草むらなるかも」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「一茶忌の 句会すませて 楽屋入」中村吉右衛門

〔和歌〕

「初瀬山 ひばらがあらし かねのこゑ

夜ふかき月に すましてぞ聞く」

従三位為子・玉葉644

「初瀬山の、檜原を渡る嵐、古寺の鐘の声を、夜更けの月に照らされた、澄み切った雰囲気の中で聞くよ。」

・題=「古寺月を」

 

*『平家物語』を読む。

巻第四「南都牒状」の段、

 興福寺からの三井寺への返事はこうであった、平家の横暴は恐るべきものである。この度の高倉宮の事件には当寺も深い関心を持っていたが、早速諸寺末寺に連絡をし、兵を集めて出発させるから期待していただきたい、と。

 巻第四「永僉議」(ながのせんぎ)の段

「三井寺には又大衆おこッて僉議す。〈山門は心がはりしつ。南都はいまだまいらず。此事延びてはあしかりなん。いざや六波羅におしよせて、夜打ちにせん。

其儀ならば、老少二手にわかッて、老僧どもは如意が峯より搦手(からめて、城郭の背面)にむかふべし。足軽(歩卒)共四五百人先立て、白河の在家に火をかけて焼きあげば、在京人六波羅の武士、「あはや事いできたり」とて、馳せ向はんずらん。其時岩坂・桜本にひッかけひッかけ、しンばし支へてたたか(戦)はんまに大手は伊豆守を大将軍にて、悪僧共六波羅に押寄せ、風上に火かけ、一揉みもうで攻めんに、などか太政入道焼き出いて討たざるべき〉とぞ僉議しける。」

 しかし平家に内通する者のために貴重な時間を引き延ばされ夜更けにやっと出発した。

 

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を観光拠点

として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。

現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。

中ノ川寺の祖師がたに報恩謝徳。

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2012年11月18日 (日)

般若寺 コスモス花だより  11・18

◎秋のコスモス:≪ほぼ終わりです≫

◎水仙:≪つぼみ≫

葉が30センチほどに伸びて蕾がついてきました。

・例年の開花:12月~2月 ・1万本

・今年はすこし早く咲きそうです

*今日は曇り空、雨はなさそうです。当寺では秋の静けさが戻りました。

*水仙は日に日に大きくなって蕾が見えてきました。

この花は地中海原産でシルクロードを越え、中国から海を渡り日本にやって来た花です。ナルキッソスはギリシャ神話の水の精、水仙は中国の水の精霊どちらも神秘的な名前です。けっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根を下し育ちます。

冬枯れで何もなくなった庭を純白の花でかざり、芳しい香りで石ぼとけさまをつつみます。12月からお正月にかけてが見ごろです

*紫紺の野紺菊など野菊の花が庭の片隅でひっそりと咲いています。

そして真弓の木が鈴なりの実をつけ色づいてきました。果皮が割れると中からピンク色の小さな実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*般若寺を解説する連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)、本日より始めます。飛び入り参加も歓迎です。

℡(奈良)0742226287

1118日(日)から3週連続、日曜日午後2時から2時間の予定。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第一回目 1118日(日)

「般若寺創建諸説と寺伝」

 寺所蔵の『般若寺歴代記』『文殊縁起』について

 様々な創建伝承(聖徳太子、蘇我日向臣、行基、聖武天皇、観賢、大伴氏の氏寺など)

 仏教教学:当寺開創の僧、慧潅と三論宗

第二回目 1125日(日)

「伽藍絵図に見る般若寺の特異性」

 『四至境内図』

 『伽藍絵図』

 『江戸時代の伽藍図』

 『御朱印寺領図』

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「晩秋(おそあき)の 日の入りあとの 夕あかり

松の色今 冴え冴え青し」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「月ヶ瀬の 石垣高き 冬構」菊山九園

〔和歌〕

「いりかかる をちの夕日は かげ消えて

すそよりくるる うす霧の山」

後西園寺入道前太政大臣(実兼)・風雅662

「入ろうとしている遠方の夕日は、光が薄れて、山裾の方から暮れて行く、薄霧のかかった山よ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第四「南都牒状」(なんとてうじやう)の段、

比叡山にはすでに清盛の手が廻っていたので、三井寺からの援助申し入れには動かなかった。

「又南都への状に云はく、

園城寺牒す、興福寺の衙

殊に合力をいたして、当寺の破滅を助けられんと乞う状

右仏法の殊勝なる事は、王法をまぼ(護)らんがため、王法又長久なる事は、すなはち仏法による。爰に入道前太政大臣平朝臣清盛公、法名浄海、ほしいままに国威をひそかにし(わたくしし、朝政をみだり内につけ外につけ、恨みをなし歎きをなす間(朝廷の内外で人を恨ませ歎かせていましたところ)、今月十五日夜、一院第二の王子(以仁王)不慮の難のがれんがために、にはかに入寺せしめ給ふ。ここに院宣と号して出したてまつるべきむね(高倉上皇の院宣だというふれこみで、高倉宮を差し出し申し上げよという平家からの強い要求があるといっても)、せめありといへども、衆徒一向これををしみ奉る。仍て彼の禅門(清盛)、武士を当寺に入れんとす。仏法と云ひ王法と云ひ、一時にまさに破滅せんとす。昔唐の会昌天子(えしょうてんし、武宗は仏教を弾圧した)、軍兵をもッて仏法をほろぼさしめし時、清涼山(せいりょうざん、五台山)の衆、合戦をいたしてこれを防ぐ。王権猶かくの如し(帝王の権力で仏教に立ち向かってさえもこの通りである)。何ぞ況や謀叛八逆の輩においてをや。就中に南京は(なんきょう、奈良)は例なくて罪なき長者(氏の長者、藤原基房)を配流せらる。今度にあらずは、何日(いづれのひ)か会稽(かいけい)をとげん。ねがはくは、衆徒、内には仏法の破滅を助け、外には悪逆の伴類を退けば、同心のいたり本懐に足んぬべし。衆徒の僉議かくの如し。仍て牒奏件の如し。

 治承四年五月十八日 大衆等

とぞ書いたりける。」

(つづく)

 

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を観光拠点

として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。

現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。

中ノ川寺の祖師がたに報恩謝徳。

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2012年11月17日 (土)

般若寺 コスモス花だより  11・17

 

◎秋のコスモス:≪ほぼ終わりです≫

◎水仙:≪つぼみ≫

葉が30センチほどに伸びて蕾がついてきました。

・例年の開花:12月~2月 ・1万本

・今年はすこし早く咲きそうです

129日午後8時からのNHK大河ドラマ『清盛』の「清盛紀行」において般若寺が紹介されます。番組の終わり方です。『平家物語』では第五巻「奈良炎上」の段に当ります。

*今枯れたコスモスをかたづけています。昨日はボランティア「まほろば会」の皆さまが25人ほどおいでいただき、境内の落葉清掃とコスモス苗床プランター鉢の運搬をやっていただきました。土が重いので重労働でした。みなさん慣れない作業なのに本当に頑張っていただきありがとうございました。おかげできれいになりました。

午前中は同時にテレビドラマ「浅見光彦シリーズ:平城山を越えた女」の撮影もあったので境内も駐車場もごった返しました。放送はフジテレビで来年になるようです。俳優さんは仲村俊介さんと遊井亮子さんが来られました。楽しみです。

*水仙は日に日に大きくなって蕾が見えてきました。

この花は地中海原産でシルクロードを越え、中国から海を渡り日本にやって来た花です。ナルキッソスはギリシャ神話の水の精、水仙は中国の水の精霊どちらも神秘的な名前です。けっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根を下し育ちます。

冬枯れで何もなくなった庭を純白の花でかざり、芳しい香りで石ぼとけさまをつつみます。12月からお正月にかけてが見ごろです

*紫紺の野紺菊など野菊の花が庭の片隅でひっそりと咲いています。

そして真弓の木が鈴なりの実をつけ色づいてきました。果皮が割れると中からピンク色の小さな実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*般若寺を解説する連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)の受講申し込み受付中。

℡(奈良)0742226287

1118日(日)から3週連続、日曜日午後2時から2時間の予定で行います。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第一回目 1118日(日)

「般若寺創建諸説と寺伝」

 寺所蔵の『般若寺歴代記』『文殊縁起』について

 様々な創建伝承(聖徳太子、蘇我日向臣、行基、聖武天皇、観賢、大伴氏の氏寺など)

 仏教教学:当寺開創の僧、慧潅と三論宗

第二回目 1125日(日)

「伽藍絵図に見る般若寺の特異性」

 『四至境内図』

 『伽藍絵図』

 『江戸時代の伽藍図』

 『御朱印寺領図』

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「やすらけく 夕陽あまねき 大空に

青松山の 今日をくれをり」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「寺々の 時雨たづねて 京にあり」新村寒花

〔和歌〕

「空きよく 月さしのぼる 山のはに

とまりてきゆる 雲の一村」

永福門院・玉葉643

「空は清く澄んで、今しもつ木の昇って来る山ぎわに、ちょっと止まってたゆたい、やがて消えて行く雲の一むらよ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第四「山門牒状」(さんもんへのてうじやう)の段、

「山門への状に云はく、

園城寺(おんじやうじ)牒す、延暦寺の衙(が、役所)

殊に合力(こうりょく)をいたして、当寺の破滅を助けられんと思ふ状

 右入道浄海(清盛)、ほしいままに王法をうしなひ、仏法をほろぼさんとす。愁歎極まり無きところに、去る十五日の夜、一院(後白河法皇)第二の王子、ひそかに入寺せしめ給ふ(入寺していただきました)。爰(ここに)院宣と号してい(出)だしたてまつるべきよし(由)、責めありといへ共、いだしたてまつるにあたはず(法皇の命令と称して高倉宮を引渡せと要求があるのだが、お渡申上げることはできない。)。仍て官軍をはな(放)ちつかはすべきむね聞へあり。当寺の破滅、まさに此時にあたれり。諸衆(世の人々)何ぞ愁歎せざらんや。就中に延暦・園城両寺は、門跡(もんぜき、門流の跡。系統。)二つに相分かるといへども、学するところは是円頓一味の教門(天台宗の法門。円頓は円満でただちに悟りに入る意)におなじ。たとへば鳥の左右の翅(つばさ)の如し。又車の二つの輪に似たり。一方闕(か)けんにおいては、いかでかその歎きなからんや。てへれば(といへれば、然れば)ことに合力いたして(特に協力下さって)、当寺の破滅を助けられば、早く年来の遺恨を忘れて、住山の昔に復せん(同じ山に住んでいた昔の状態)衆徒の僉議かくの如し。仍て牒奏件の如し。

 治承四年五月十八日 大衆等(だいしゅら)

とぞ書いたりける。」

 

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を観光拠点

として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。

現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。

中ノ川寺の祖師がたに報恩謝徳。

 

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2012年11月16日 (金)

般若寺 コスモス花だより  11・16

 

◎秋のコスモス:≪ほぼ終わりです≫

・開花期間: 9月~11月 ・15万本。

〇水仙:≪つぼみ≫

葉が30センチほどに伸びて蕾がついてきました。

・例年の開花:12月~2月 ・1万本

・今年はすこし早く咲きそうです

129日午後8時からのNHK大河ドラマ『清盛』の終わり方にある「清盛紀行」において般若寺が紹介されます。

*今は枯れたコスモスをかたづけ水仙の生育地を整えています。

水仙は地中海原産でシルクロードを越えて海を渡り日本にやって来ました。

けっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根を下し育ちます。

水仙は冬枯れの庭を純白の花がかざり、芳しい匂いで石ぼとけさまをつつみます。12月からお正月にかけて見ごろを迎えます

*紫紺の野紺菊など野菊の花が庭の片隅でひっそりと咲いています。

そして真弓の木が鈴なりの実をつけ色づいてきました。果皮が割れると中からピンク色の小さな実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*般若寺を解説する連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)の受講申し込み受付中。

℡(奈良)0742226287

1118日(日)から3週連続、日曜日午後2時から2時間の予定で行います。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第一回目 1118日(日)

「般若寺創建諸説と寺伝」

 寺所蔵の『般若寺歴代記』『文殊縁起』について

 様々な創建伝承(聖徳太子、蘇我日向臣、行基、聖武天皇、観賢、大伴氏の氏寺など)

 仏教教学:当寺開創の僧、慧潅と三論宗

第二回目 1125日(日)

「伽藍絵図に見る般若寺の特異性」

 『四至境内図』

 『伽藍絵図』

 『江戸時代の伽藍図』

 『御朱印寺領図』

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「筧(かけひ)より おちゐる水は かなりふとみ

池の深みに 徹(とほ)りつつ鳴る」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「いちまいの 柿の落葉に あまねき日」長谷川素逝

〔和歌〕

「朝日影 うつる木ずゑは 霧おちて

外面の竹に 残るうす霧」

前太宰大弐俊兼・風雅659

「朝日の光が映る木々の梢からは露がしたたり落ちて、裏手の竹林にはまだ夜の薄霧が残っている。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第四「山門牒状」(さんもんへのてうじやう)の段、

 大衆僉議す。

「〈近日世上の躰を案ずるに、仏法の衰微、王法の牢籠(ろうろう、閉じ込め押し籠めること)、まさにこの時にあたれり。今度清盛入道が暴悪をいましめずンば、何れの日をか期すべき。宮ここに入御(じゅぎょ)の御事、正八幡宮の衛護、新羅大明神(三井寺の鎮守素戔嗚尊)の冥助(みやうじょ、神の助け)にあらずや。天衆地類も影向をたれ、仏力神力も降伏をくはえまします事(天地の神の眷属も姿を現し、仏力神力も怨敵降伏に力を貸して下さること)などかな(無)かるべき。抑々北嶺(比叡山)は円宗(天台宗)一味の学地(学問する所)、南都は夏﨟得度の戒場也(奈良は一夏九十日間修行して戒を受ける戒壇のある所)。牒奏(ちょうそう)のところに、などかくみせざるべき(当寺から牒状を送ればどうして味方をしないであろうか)〉と、一味同心に僉議して山へも奈良へも牒状をこそ送りけれ。」

(つづく)

 

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を観光拠点

として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。

現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。

中ノ川寺の祖師がたに報恩謝徳。

 

 

 

 

 

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2012年11月15日 (木)

般若寺 コスモス花だより  11・15

 

◎秋のコスモス:≪ほぼ終わりです≫

・開花期間: 9月~11月 ・15万本。

〇水仙:≪つぼみ≫葉が30センチほどに伸びて蕾が膨らんできました。

・例年の開花:12月~2月 ・1万本

・今年はすこし早く咲きそうです

*曇り空、昨日よりちょっと寒いです。

枯れたコスモスをかたづけ水仙の生育地を整えています。

水仙は地中海原産でシルクロードを越えて海を渡り日本にやって来ました。

けっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根を下し育ちます。

当寺では20年前から増えだしました。水仙は冬枯れの庭を純白の花がかざり、芳しい匂いで石ぼとけさまをつつみます。

12月からお正月にかけて見ごろを迎えます

*紫紺の野紺菊など野菊の花が庭の片隅でひっそりと咲いています。

そして真弓の木が鈴なりの実をつけ色づいてきました。果皮が割れると中からピンク色の小さな実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*般若寺の歴史と文化財を本格解説する連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)の受講申し込み受付中。

℡(奈良)0742226287

1118日(日)から3週連続、日曜日午後2時から2時間の予定で行います。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第一回目 1118日(日)

「般若寺創建諸説と寺伝」

 寺所蔵の『般若寺歴代記』について

 様々な創建伝承(聖徳太子、蘇我日向臣、行基、聖武天皇、観賢、大伴氏の氏寺など)

 仏教教学:当寺開創の僧、慧潅と三論宗

第二回目 1125日(日)

「伽藍絵図に見る般若寺の特異性」

 『四至境内図』

 『伽藍絵図』

 『江戸時代の伽藍図』

 『御朱印寺領図』

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「曲玉の つくりかけ見れば 遠き世の

人の心の 可愛くおもほゆ」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「山茶花や かなしくまでに 好きになりぬ」星野立子

〔和歌〕

「くるるまの まがきの竹を 吹く風の

なびくにいづる 秋の夜の月」

常磐井入道前太政大臣(西園寺実氏)・玉葉633

「日が暮れ切るまでのやや暫くの時間、垣根の竹を吹く風によって、枝がなびくにつれ、その間から姿を見せる、秋の月よ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第四「競」(きをほ)の段、

 源三位入道頼政たちが自分の「館に火かけ焼きあげて、三井寺へこそまいられけれ。」後に家来の競(きおお)だけが都に残っていたが、宗盛(むねもり)の愛馬、「煖廷」(なんりょう)にのって三井寺に馳せ参じた。寺では源仲綱が馬に焼印をして六波羅に追い返し、「木の下」(このした)の恨みを晴らした。

 巻第四「山門牒状」(さんもんへのてうじやう)の段、

「三井寺には貝鐘鳴らいて(大衆を集めるためほら貝や梵鐘を鳴らして)、大衆僉議(せんぎ、会議)す。」

 

                ☆日本古典音楽の源流、

           「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は

世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口です。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を

観光拠点として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。祖師がたに報恩謝徳。

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2012年11月14日 (水)

般若寺 コスモス花だより  11・14

 

◎秋のコスモス:≪ほぼ終わりです≫

・開花期間: 9月~11月 ・15万本。

〇水仙:葉が30センチほどに伸びています。

・開花時期:12月~2月 ・1万本

*今朝は曇りがち時々雨の予報です。今枯れたコスモスをかたづけ水仙の育っている場所を整えています。水仙はけっこう丈夫な花で、球根が掘り出され地面に転がっていても根をおろします。暑い夏は休眠状態で過ごし寒くなって来ると成長します。水仙は当寺では20年前から増えだし、冬枯れの庭で石ぼとけさまを花で飾ります。12月からお正月にかけて見ごろを迎えます

*紫紺の野紺菊など野菊の花が庭の片隅でひっそりと咲いています。

そして高さ3メートルの真弓の木が鈴なりに実をつけ色づいてきました。果皮が割れるとピンクの花のような実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*般若寺の歴史と文化財を本格解説する連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)の受講申し込み受付中。

℡(奈良)0742226287

1118日(日)から3週連続、日曜日午後2時から2時間の予定で行います。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第一回目 1118日(日)

「般若寺創建諸説と寺伝」

 寺所蔵の『般若寺歴代記』について

 様々な創建伝承(聖徳太子、蘇我日向臣、行基、聖武天皇、観賢、大伴氏の氏寺など)

 仏教教学:当寺開創の僧、慧潅と三論宗

第二回目 1125日(日)

「伽藍絵図に見る般若寺の特異性」

 『四至境内図』

 『伽藍絵図』

 『江戸時代の伽藍図』

 『御朱印寺領図』

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「遠世人 埋めて置きたる 石の棺

見つけ出されて 日の下に在り」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「茶の花や 是から寺の 畑ざかひ」横井也有

〔和歌〕

「山風も しぐれになれる 秋の日に

ころもやうすき をちの旅人」

伏見院御歌・風雅641

「山を吹きおろす風も時雨をもたらして来た、この天候の定まらぬ秋の日に、着物が薄くて心細いのではないかね、遠方を行く旅人よ。」

 

*『平家物語』を読む。

 巻第四「競」(きをほ)の段、

「宮(以仁王)は高倉を北へ、近衛を東へ、賀茂川をわたらせ給ひて、如意山へ入らせおはします。(宮の御所の在った三条高倉から高倉小路を北に行き、近衛大路と交わる所で東に曲がり、そのまま郊外に出て賀茂川を渡り、鹿ケ谷から如意宝山を越えて三井寺に行かれた)昔浄御原の天皇(天武)のいまだ東宮(大海人皇子)の御時、賊徒に襲われさせ給ひて、吉野山へいらせ給ひけるにこそ、をとめ(少女)のすがたをばか(仮)らせ給ひけるなれ。いま此の君の御ありさまも、それにはたが(違)わせ給はず。知らぬ山路を夜もすがら分け入らせ給ふに、いつ習はしの御事なれば(今までに経験のないことなので)、御足より出づる血は、いさご(砂)を染めて紅の如し。夏草の茂みが中の露けさも、さこそは所せ(狭)う思し召されけれ(露けさをお踏みになる事もさぞおつらいことことだったでしょう)。かくして暁方に三井寺へ入らせおはします。〈かひなき命の惜しさよ、衆徒を恃んで入御あり〉と仰せければ、大衆畏まり悦びて、法輪院(三井寺南峰にあった寺)に御所をしつらい、それに入れたてまッて、供御(くご)したててまいらせけり(お食事を用意しさし上げた)。

 あくれば十六日、高倉の宮の御謀反おこさせ給ひて、う(失)せさせ給ひぬと申すほどこそありけれ、京中の騒動なのめならず(尋常ではない)。法皇これをきこしめして、〈鳥羽殿を御いで(出)あるは御悦びなり。ならびに御歎(おんなげき)と泰親が勘状(かんじょう、占いの結果を書いた文書)をまいらせたるは、これを申しけり〉とぞ仰せける。

 抑々源三位入道(頼政)、年ごろ日比もあればこそありけめ、今年いかなる心にて謀反をば起しけるぞといふに、平家の次男前右大将宗盛卿、すまじき事をし給へり。されば、人の世にあればとて、すぞろに(理由もなく)すまじきことをもし、いふまじき事をもいふは、よくよく思慮あるべき物也。」

 頼政の嫡子仲綱(なかつな)が名馬(名を「木の下」(このした)と言う)を秘蔵していたが、宗盛がそれを取り上げた上に、仲綱という名前を付け、焼き印して仲綱に恥をかかせた。仲綱は馬のことで重盛から恩顧を受けたことまで思い出して宗盛をうらむようになった。こんなことが頼政謀反の原因なのだから、宗盛という人も本当に情けない人である。

 

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は

世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口です。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を

観光拠点として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。祖師がたに報恩謝徳。

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2012年11月13日 (火)

般若寺 コスモス花だより  11・13

 

◎秋のコスモス:≪ほぼ終わりです≫

・開花期間: 9月~11月 ・15万本。

〇水仙:葉が30センチほどに伸びています。

・開花時期:12月~2月 ・1万本

*正倉院展が終わりました。これからは紅葉の季節です。しかし近年どこともおくれ気味です。今月後半に入らないと色づきません。とくに都会に近いところほど遅いようです。

9月下旬から咲き続けてきたコスモスは終わりに近づきました。花はまだ咲き残っていますが大半が枯れ枝となってきました。11月後半まではちょっと無理なようです。これから片づけに入ります。

代わって水仙がコスモスの足元から濃い緑色の葉を伸ばしています。コスモスに気を取られ分からなかったのか、気がつけばもう30センチ以上の葉っぱもあります。寒くなれば蕾をつけて来るでしょう。 

紫紺の野紺菊など野菊の花が庭の片隅でひっそりと咲いています。

そして高さ3メートルの真弓の木が鈴なりに実をつけ色づいてきました。果皮が割れるとピンクの花のような実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*般若寺の歴史と文化財を本格解説する連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)の受講申し込み受付中。

℡(奈良)0742226287

1118日(日)から3週連続、日曜日午後2時から2時間の予定で行います。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第一回目 1118日(日)

「般若寺創建諸説と寺伝」

 寺所蔵の『般若寺歴代記』について

 様々な創建伝承(聖徳太子、蘇我日向臣、行基、聖武天皇、観賢、大伴氏の氏寺など)

 仏教教学:当寺開創の僧、慧潅と三論宗

第二回目 1125日(日)

「伽藍絵図に見る般若寺の特異性」

 『四至境内図』

 『伽藍絵図』

 『江戸時代の伽藍図』

 『御朱印寺領図』

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「日のささぬ 花屋の土間の つめたさに

小菊の束の おびただしもよ」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「茶の花の わづかに黄なる 夕べかな」与謝蕪村

〔和歌〕

「よひのまの むら雲づたひ かげ見えて

山のはめぐる 秋の稲妻」

院御製(伏見院)・玉葉628

「月の出を待つ宵のひと時の、村雲のへりを伝って光の走るのが見えて、山の尾根から尾根を一瞬にめぐり照らす、秋の稲妻よ。」

・評価:明確な言葉づかいで、光と影の力強い交錯を、実に劇的に鮮やかに描破する。颯爽とした秀吟。稲妻の歌としてこの歌の右に出るものはまずあるまい。巻四の巻軸をきりりと締めくくり、巻五巻頭629の万葉集随一の名作と、堂々と相対している。(岩佐美代子)

 

*『平家物語』を読む。

巻第四「鼬之沙汰」の段、

「さるほどに、前右大将宗盛卿、法皇の御事をたりふし(頭を垂れ伏して)もうされければ、入道相国(清盛)やうやう思いなお(直)ッて、同十三日(後白河法皇を)鳥羽殿をいだしたてまつり、八条烏丸の美福門院御所へ御幸なしたてまつる。いま三日がうちの御悦びとは、泰親これをぞ申しける。

 かかりけるところに、熊野別当湛増飛脚をもッて、高倉宮の御謀反のよし宮こへ申したりければ、前右大将宗盛卿大にさはいで(落着きを失って)、入道相国おりふし福原におはしけるに、此のよし申されたりければ、ききもあへず、やがて宮こへ馳せのぼり、〈是非に及ぶべからず。高倉宮からめとッて、土佐の畑(土佐国の郡名、幡多とも)へながせ。〉とこその給ひけれ。」

 巻第四「信連」(のぶつら)の段、

高倉宮以仁王は源頼政からの急報で、女装をしてかろうじて三井寺に逃れた。あとには信連(のぶつら)という勇者が一人残って奮戦したが、ついに捕えられた。信連は取り調べられた後に、どういうわけか命を助けられて伯耆の日野に流され、後に源氏の世になって再び姿を現した。

 

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は

世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口です。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を

観光拠点として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。祖師がたに報恩謝徳。

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般若寺 コスモス花だより  11・13

 

◎秋のコスモス:≪ほぼ終わりです≫

・開花期間: 9月~11月 ・15万本。

〇水仙:葉が30センチほどに伸びています。

・開花時期:12月~2月 ・1万本

*正倉院展が終わりました。これからは紅葉の季節です。しかし近年どこともおくれ気味です。今月後半に入らないと色づきません。とくに都会に近いところほど遅いようです。

9月下旬から咲き続けてきたコスモスは終わりに近づきました。花はまだ咲き残っていますが大半が枯れ枝となってきました。11月後半まではちょっと無理なようです。これから片づけに入ります。

代わって水仙がコスモスの足元から濃い緑色の葉を伸ばしています。コスモスに気を取られ分からなかったのか、気がつけばもう30センチ以上の葉っぱもあります。寒くなれば蕾をつけて来るでしょう。 

紫紺の野紺菊など野菊の花が庭の片隅でひっそりと咲いています。

そして高さ3メートルの真弓の木が鈴なりに実をつけ色づいてきました。果皮が割れるとピンクの花のような実が垂れ下がります。晩秋の風情です。

 

*般若寺の歴史と文化財を本格解説する連続講座、「般若寺智恵光座」(ちえこうざ)の受講申し込み受付中。

℡(奈良)0742226287

1118日(日)から3週連続、日曜日午後2時から2時間の予定で行います。

『般若寺知恵光座』講義テーマと内容

〇石造美術研究家・菜畑維氏の講座概要:石造卒塔婆の起源と変遷、基礎的なことからお話いただきます。

〇住職担当の分、全体として「般若寺の歴史と信仰」  

第一回目 1118日(日)

「般若寺創建諸説と寺伝」

 寺所蔵の『般若寺歴代記』について

 様々な創建伝承(聖徳太子、蘇我日向臣、行基、聖武天皇、観賢、大伴氏の氏寺など)

 仏教教学:当寺開創の僧、慧潅と三論宗

第二回目 1125日(日)

「伽藍絵図に見る般若寺の特異性」

 『四至境内図』

 『伽藍絵図』

 『江戸時代の伽藍図』

 『御朱印寺領図』

第三回目 122日(日)

「平重衡の南都焼き打ち」と「鎌倉初期の寺の風景」

 『平家物語』の「奈良炎上の段」と「重衡被斬の段」

 寺蔵の『文殊縁起』に描かれた風景

 『般若寺笠塔婆銘文』にみる東大寺・般若寺の復興

 

〔短歌〕

「日のささぬ 花屋の土間の つめたさに

小菊の束の おびただしもよ」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「茶の花の わづかに黄なる 夕べかな」与謝蕪村

〔和歌〕

「よひのまの むら雲づたひ かげ見えて

山のはめぐる 秋の稲妻」

院御製(伏見院)・玉葉628

「月の出を待つ宵のひと時の、村雲のへりを伝って光の走るのが見えて、山の尾根から尾根を一瞬にめぐり照らす、秋の稲妻よ。」

・評価:明確な言葉づかいで、光と影の力強い交錯を、実に劇的に鮮やかに描破する。颯爽とした秀吟。稲妻の歌としてこの歌の右に出るものはまずあるまい。巻四の巻軸をきりりと締めくくり、巻五巻頭629の万葉集随一の名作と、堂々と相対している。(岩佐美代子)

 

*『平家物語』を読む。

巻第四「鼬之沙汰」の段、

「さるほどに、前右大将宗盛卿、法皇の御事をたりふし(頭を垂れ伏して)もうされければ、入道相国(清盛)やうやう思いなお(直)ッて、同十三日(後白河法皇を)鳥羽殿をいだしたてまつり、八条烏丸の美福門院御所へ御幸なしたてまつる。いま三日がうちの御悦びとは、泰親これをぞ申しける。

 かかりけるところに、熊野別当湛増飛脚をもッて、高倉宮の御謀反のよし宮こへ申したりければ、前右大将宗盛卿大にさはいで(落着きを失って)、入道相国おりふし福原におはしけるに、此のよし申されたりければ、ききもあへず、やがて宮こへ馳せのぼり、〈是非に及ぶべからず。高倉宮からめとッて、土佐の畑(土佐国の郡名、幡多とも)へながせ。〉とこその給ひけれ。」

 巻第四「信連」(のぶつら)の段、

高倉宮以仁王は源頼政からの急報で、女装をしてかろうじて三井寺に逃れた。あとには信連(のぶつら)という勇者が一人残って奮戦したが、ついに捕えられた。信連は取り調べられた後に、どういうわけか命を助けられて伯耆の日野に流され、後に源氏の世になって再び姿を現した。

 

☆日本古典音楽の源流、「南山進流」声明の聖地中の川と

神の山である世界遺産春日山原始林は

世界に誇る日本の宝。

春日山の生物多様性を保全するためにも

ここに「奈良市営ゴミ焼却場」を移設することは無謀です。

また中の川は柳生の里、当尾の里への入り口です。

ゴミ施設ではなく歴史古道の伊賀伊勢道を

観光拠点として活かすべきです。

奈良市は「古都」「国際文化観光都市」の名に恥じない

良識ある判断をしてください。

真言宗の皆さん、実範(じっぱん)上人の御廟へお参りください。実範師のお弟子さん、大進(だいしん)上人宗観(しゅうかん)さんは進流声明の元祖です。上人たちのおられた中ノ川寺成身院跡が今も山間に残っています。現在、ほとんどの真言宗で学修される「南山進流」は中ノ川寺宗観―観験―慈業―高野山三宝院正等房勝心へと受け継がれたものです。祖師がたに報恩謝徳。

 

 

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2012年11月12日 (月)

般若寺 コスモス花だより  11・12

 

◎秋のコスモス:≪ほぼ終わりです≫

・開花期間: 9月~11月 ・15万本。

〇水仙:葉が30センチほどに伸びています。

・開花時期:12月~2月 ・1万本

*お天気回復で晴れそうです。当寺の秘仏公開は昨日で終了いたしました。今年は大勢の参拝者をお迎え出来、仏様も喜んでおられることでしょう。お参りの皆さま有難うございました。

9月下旬から咲き続けてきたコスモスは終わりに近づきました。花はまだ咲き残っていますが大半が枯れ枝となってきました。11月後半まではちょっと無理なようです。これから片づけに入ります。

代わって水仙がコスモスの足元から濃い緑色の葉を伸ばしています。コスモスに気を取られ分からなかったのか、気がつけばもう30センチ以上の葉っぱもあります。寒くなれば蕾をつけて来るでしょう。