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2012年12月

2012年12月31日 (月)

般若寺 水仙花だより  12・31

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*大晦日。除夜です。当寺では午後11時半より午前1時までの間に「除夜の鐘」をつきます。本来なら人間の煩悩の数、百八遍だけなのでしょうが、参加者全員についていただくため毎年34百回鐘が鳴ります。

現代人は煩悩が深くて大きいからこれくらいは要るでしょう。

「歳月を 塗りつぶす闇 除夜の鐘」山口草堂

「除夜の鐘 むなしむなしと 繰り返す」富安風生

「除夜の鐘 幾重にも聴き 京に老ゆ」北川わさ子

みなさま今年はいろいろご支援ありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

 

〔短歌〕

「向う岸の 崖の日なたの 南天の

       赤き実よ実よ さなむづかりそ」

        木下利玄・銀

〔俳句〕

「水仙へ 光まみれの 声飛んで」坂巻純子

〔和歌〕

「はなにをく 露にやどりし 影よりも

         かれのの月は あはれなりけり」

           西行法師・玉葉903

「秋草に置く露に宿っていた光よりも、枯野にさす月の方が、もっとずっとあわれ深いものだったのだなあ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第七 「主上都落」(しゆしやうのみやこおち)の段、

「同七月十四日、肥後守貞能(さだよし)、鎮西(九州)の謀反たいらげて、菊池・原田・松浦党以下三千余騎を召し具して上洛す。鎮西はわずかに平らげども、東国北国のいくさいかにも静まらず。

 同二十二日の夜半ばかり、六波羅の辺おびただしう騒動す。馬に鞍をき腹帯(はらび)しめ、物共東西南北へはこびかくす。ただ今(今すぐにも)敵(かたき)のうち入るさま也。あけてのち聞えしは(翌朝、うわさが世間に伝わったことによれば)、美濃源氏佐渡衛門尉重貞(しげさだ)といふ者あり、一とせ保元の合戦の時、鎮西の八幡太郎が方のいくさに負けて、落ちうとになッたりしを、からめてい出したりし勧賞(けんじょう)に、もとは兵衛尉たりしが右衛門尉になりぬ。是によッて一門には仇まれて(敵視されて)平家にへつらひけるが、その夜の夜半ばかり、六波羅に馳せまいッて申しけるは、〈木曽既に北国より五万余騎でせめのぼり、比叡山東坂本にみちみちて候。郎党に楯の六郎親忠(ちかただ)、手書(てかき、書記)に大夫房覚明、六千余騎で天台山(比叡山)にきを(競)ひのぼり、三千の衆徒皆同心して只今都へ攻入る〉よし申したりける故也。

 平家の人々大きにさはひで、方々へ討手をむけられけり。大将軍には、新中納言知盛卿、本三位中将重衡卿、都合其勢三千余騎、都を立つてまづ山階(やましな、山科)に宿せらる。越前三位通盛、能登守教経、二千余騎で宇治橋をかためらる。左馬頭行盛、薩摩守忠度、一千余騎で淀路を守護せられけり。源氏の方には十郎蔵人行家、数千騎で宇治橋より入るとも聞こえけり。陸奥新判官義康(義家の孫、足利氏の祖)が子、矢田判官代義清、大江山(京都市右京区大枝の老坂)をへて上洛すとも申しあへり。摂津国河内の源氏等、雲霞の如くに同じく都へみだれ入るよし聞こえしかば、平家の人々〈此の上はただ一所でいかにもなり給へ〉とて、方々へ向けられたる討っ手ども、都へ皆呼び返されけり。」

 (つづく)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈東大寺の戒壇院にて〉

「かいだんの まひるのやみに たちつれて

         ふるきみかどの ゆめをこそまもれ」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や東大寺、春日山にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。

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2012年12月30日 (日)

般若寺 水仙花だより  12・30

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*一年の最終の日は「おおみそか」「おおとし」「おおつごもり」と言います。そしてその晩は、「年の夜」とか「除夜」と言います。

 「年の夜や めざめて仰ぐ 星ひとつ」石田波郷

 「除夜の妻 白鳥のごと 湯浴みをり」森澄雄

「観音は 近づきやすき 除夜詣」高濱虚子

この日は、ゆく年くる年に人生を想う日でもあります。

 

〔短歌〕

「納屋の屋根の 昼の雪どけ 四十雀(しじゅうがら)

         いくつも前の 木の枝になく」

          木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「水かへて 水仙影を 正しけり」日野草城

〔和歌〕

「吹く風の さそふともなき 木ずゑより

        落つるかれ葉の 音ぞさびしき」

    芬陀利花院前関白内大臣(一条内経)・風雅756

「吹く風は(弱く)、落葉を誘うというほどでもないのに、梢からはらりと落ちる枯れ葉の音の、何とさびしいことよ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第七 「篠原合戦」(しのはらかっせん)の段、

 先年、石橋山で頼朝に弓を引いてから平家の味方になった東国の者どもは、今度の北国の戦ですべて死んだ。また、畠山・小山田らも加賀の篠原で平家のために戦った。篠原では高橋長綱らも花々しく戦死した。

 「実盛」(さねもり)の段、

 斎藤実盛は味方が落ちた後まで一人止まっていたが、ついに討たれた。今度を最後の戦と覚悟して、錦の直垂を着、白髪を黒く染めていたのには、かつての同僚であった源氏の武士も涙をこぼした。

 「還亡」(げんぼう)の段、

 伊勢神宮に、戦乱が始まれば天皇が参詣しようといって祈願するのを始め、諸社への祈祷が盛んに行われる。伊勢行幸の先例は藤原広嗣の乱の際にある。広嗣の亡霊はかれを祈った玄昉僧正を殺してしまった。

 「木曽山門牒状」(きそさんもんてうじやう)の段、

 義仲が上洛するには近江国を通らなければならないので、比叡山に牒状を送ってその協力を求めた。

 「返牒」(へんでう)の段、

 義仲の申し入れに接した叡山では、協議の末に源氏に協力するむねの返事を送った。

 「平家山門連署」(へいけさんもんへのれんじょ)の段、

 源氏に協力の議が定まった後の叡山に、今度は平家から同様の申し入れがあったが、山では源氏に返事をした後なので、今さら態度を改めるわけにも行かなかった。

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈奈良のやどりにて〉

「かすがのの よをさむみかも さをしかの

         まちのちまたを なきわたりゆく」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や東大寺、春日山にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

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2012年12月29日 (土)

般若寺 水仙花だより  12・29

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*昨夜の雨が上がって今日は晴れです。この先の天気予報は、明日は雨、大みそかからお正月は晴れとなっています。

 当寺ではお正月の準備といっても特別なことはしないのですが、31日の「除夜の鐘」に備えて駐車場の中を片づけたり、通路部分を暗闇の中でも歩けるように植木鉢などを並べ替えたりしています。

 水仙の花はおくれ気味です。蕾はたくさんついているのになかなか動こうとしません。今年は、冬の初めからの寒さが影響しているのかもしれません。

ちかごろは毎年咲く時期が変動しています。開花予報はむつかしいです。

 

〔短歌〕

「去りがてに 蜜柑畑を さまよひぬ

        ひくくしげれる 緑したしみ」

         木下利玄・銀

〔俳句〕

「水仙畑 風の穂先の 花伝ひ」鳥越すみこ

〔和歌〕

「草はみな 霜に朽ちにし 冬がれに

        ひとり秋なる 庭のしら菊」

          朔平門院・玉葉897

「草はみな霜のために朽ちてしまった冬枯れの景色の中で、ひとり秋の姿を残している、庭の白菊よ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第七 「倶利伽羅落」の段、

「 明くる十二日、奥の秀衡(ひでひら、陸奥平泉の藤原氏)がもとより木曽殿へ龍蹄(れうてい、駿馬)二疋奉る。やがて是に鏡鞍(かがみくら、前輪と後輪に金銀等の板を張り、さらに山形の部分に金銀の覆輪をかけた鞍)をいて、白山の社へ神馬にたてられけり。木曽殿お給ひけるは、〈今は思ふことなし。ただし十郎蔵人殿の志保の戦こそおぼつかなけれ。いざゆ(行)ひてみん〉とて、四万余騎が中より馬や人をすぐッて、二万余騎で馳向かふ。日比の湊(富山県氷見市)をわたさんとするに、折節潮満ち、ふかさあささを知らざりければ、鞍をき馬十疋ばかりおひ入れたり。鞍爪浸る程に、相違なくむかひの岸へ着きにけり。〈浅かりけるぞや、わたせや〉とて、二万余騎の大勢皆打入てわたしけり。案のごとく十郎蔵人行家、さんざんにかけなされ(手ひどく蹴散らされて)ひき退いて馬の息休むるところに、木曽殿〈さればこそ(だから言わないことではない)〉とて、新手二万余騎入れかへて、平家三万余騎が中へおめいてかけ入り、もみにもうで火出る程にぞ攻めたりける。平家の兵(つはもの)共しばしささへて防ぎけれ共、こらへずしてそこをも遂に攻めおとさる。平家の方には、大将軍三河守知度(とものり)うたれ給ひぬ。是は入道相国の末子也。侍共おほくほろびにけり。木曽殿は志保の山打こえて、能登の小田中、親王の塚の前に陣をとる。」

 (この段おわり)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈春日野にて〉

「かすがのの しかふすくさの かたよりに

         わがこふらくは とおつよのひと」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や東大寺、春日山にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。

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2012年12月28日 (金)

般若寺 水仙花だより  12・28

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*今朝はどんよりとした曇り空、いつ降り出すかもわかりません。

28日はお不動様の御縁日です。不動明王は梵語でアチャラナータ(動かざる尊者)といい、大日如来が度(教化)し難い衆生を救うために忿怒(ふんぬ)の姿を仮に現されたとされます。右手に降魔の剣を、左手には索縄を持つ。そして火炎の光背を背にしておられます。

 日本で広く信仰をあつめる仏様のお一人で、阿弥陀、薬師、観音、地蔵とともに五指に入るでしょう。

 

〔短歌〕

「磯町の 床屋によりて 髭剃れば

      鏡にうつり 霰ふるなり」

       木下利玄・銀

〔俳句〕

「浪音を 離れずつむや 野水仙」長谷川久代

〔和歌〕

「みなかみに しぐれふるらし 山河の

         瀬にももみぢの 色ふかくみゆ」

           順・風雅752

「川上の方で、(紅葉を濃く染める)時雨が降るらしい。この山河の川瀬でも、(浅瀬であるにもかかわらず)流れる紅葉の色が、一段と紅深く見えるよ。」

・瀬にもみみじの=川の瀬は浅いものであるはずなのに、紅葉の色は深いとする趣向。

 

*『平家物語』を読む。

 巻第七 「倶利伽羅落」の段、

「平家の方にはむねと頼まれたりける上総大夫判官忠綱(かづさのたいふはんぐわんただつな)・飛騨大夫判官景高(かげたか)・河内判官秀国(ひでくに)も此の谷にうづもれてうせにけり。備中国住人瀬尾太郎兼康(かねやす)といふ聞こゆる大力も、そこにて加賀国住人蔵光次郎成澄(くらみつじろうなりずみ)が手にかかって、生け捕りにせらる。越前国火打が城にてかへり忠したりける平泉寺の長吏(ちょうり、寺の首長)斎明(さいめい)威儀師(いぎし、法会で衆僧を指導し威儀を整える役をする僧)も捕はれぬ。木曽殿、〈あまりにくきに(いかにも憎いから)其法師をばまづきれ〉とて斬られにけり。平氏大将維盛(これもり)・通盛(みちもり)、稀有の命(あぶない命)生きて加賀国へ引き退く。七万余騎がなかよりわづかに二千余騎ぞ遁れたりける。

 (つづく)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈東大寺懐古〉

「おほてらの にはのはたほこ さよふけて

         ぬひのほとけに つゆぞおきける」

・はたほこ=幡鉾

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や東大寺、春日山にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。

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2012年12月27日 (木)

般若寺 水仙花だより  12・27

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*昨日から晴天が続き、夜にはオリオンなど冬の星座があざやかにまたたいていました。そのため今朝はぐんと冷え込み顔がしびれそうでした。今年もあとわずか、無事に新年を迎えたいですね。

 澄みきった空気の中、サザンカの花がきれいに咲いています。

 

〔短歌〕

「み寺の 甍(いらか)のうしろに 立てる峰

仰ぐにさやけき 茅萱の光」

       木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「筆を挿す ごとく水仙 壺に挿す」吉屋信子

〔和歌〕

「いつしかと 冬のけしきに 龍田川

         紅葉とぢまぜ うすごほりせり」

           皇太后宮大夫俊成・玉葉893

「立冬といえば早速、龍田川も冬の様子になって、秋の紅葉をまぜて閉じこんだ薄氷が張ったことだ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第七 「倶利伽羅落」(くりからをとし)の段、

「 さる程に、源平両軍陣をあはす。陣のあはひわづかに三町ばかりに寄せあはせたり。源氏もすすまず、平家もすすまず。勢兵(せいひょう、精兵、強い弓を引く者)十五騎がうは(上)矢の鏑を平家の陣へぞ射入れたる。平家又はか(謀)り事とも知らず、十五騎を出(いだ)いて、十五の鏑を射かへす。源氏三十騎を出いて射さすれば、平家三十騎を出いて三十の鏑を射かへす。五十騎を出せば五十騎を出しあはせ、百騎を出せば百騎を出しあはせ、両方百騎づつ陣の面に進んだり。互ひに勝負をせんとはやりけれども、源氏の方より制して勝負をせさせず。源氏はか様にして日をくらし、平家の大勢をくりからが谷へ追ひ落さうどたばかりけるを、すこしもさとらずして、ともにあひしらひ日をくらすこそはかなけれ(破滅にひんするのを知らずにのんきに構えるのは哀れなものだった)。

次第にくら(暗)うなりければ、北南よりまはッつる搦手(からめで、背面側面)の勢一万余騎、くりからの堂(倶利伽羅不動明王をまつった堂)の辺にまはりあひ、えびらのほうだて(箙の方立、箙は矢をつけて背負うもの、方立は箙の下の箱)打ち叩き、時をどッとぞつくりける。平家うしろをかヘり見ければ、白旗(しらはた、源氏の旗)雲のごとくさし上げたり。〈此の山は四方巌石であんなれば、搦手よもまはらじと思ひつるに、こはいかに〉とて騒ぎあへり。さる程に、木曽殿大手(敵の正面)より時の声をぞ合せ給ふ。(ときの声をからめてのに合わせた)松長の柳原、ぐみの木林に一万余騎ひかへたりける勢も、今井四郎が六千余〔騎〕でひの宮林にありけるも、同じくときをぞつくりける。前後四万騎がおめく声、山も川もただ一度に崩るるとこそ聞こえけれ。

案のごとく、平家、次第に暗らうはなる、前後より敵は攻め来る、〈きたなしや、かへせかへせ(逃げるとは卑怯だ、引き返せ)〉といふやから多かりけれども大勢の傾きたちぬるは(大部隊がくずれはじめた以上は)、左右なうとッてかへす事難ければ、倶利伽羅が谷へわれ先にとぞおとしける。(「おとす」は馬に乗って下ること)まッ先に進んだる者が見えねば、〈この谷の底に道のあるにこそ〉とて、親おとせば子も落とし、兄おとせば弟もつづく。主おとせば家子郎等(いへのこらうどう)おとしけり。馬には人、人には馬、落ち重なり落ちかさなり、さばかり深き谷一つ(あんなに深かった谷じゅう)を平家の勢七万余騎でぞうめたりける。巌泉血を流し(人の血は岩から流れる泉のようで)、死骸岳(をか)なせり。さればその谷ほとりには、矢の穴刀の疵残りて今にありとぞ承はる。 」

(つづく)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈東大寺戒壇院にて〉

「うつろひし みだうにたちて ぬばたまの

         いしのひとみの なにをかもみる」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や東大寺、春日山にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

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2012年12月26日 (水)

般若寺 水仙花だより  12・26

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*テレビドラマ『清盛』が終わりました。ほぼ毎回見ていたのに最後の二回を見逃したのが残念です。このドラマは大河ドラマとして視聴率最低を記録したことが話題にもなりました。しかし私はよくできたドラマだと思います。時代考証が正確で、今までのテレビドラマにない緻密さでした。不評の原因はいろいろあるようですが、まず扱われている時代背景の複雑さから高級な内容とならざるを得ず、予備知識がなければ話の展開についていけないところがありました。時代劇を期待した人はたいてい二三回でリタイアしたようです。

登場人物の相関図、特に宮廷内の人間関係、それと平安時代の地図が必備でした。平安後期の院政時代は日本の歴史でも最も複雑な時代です。天皇の上に上皇がいて、上皇の上に法皇がいるわけです。それと摂関政治が行われる朝廷の役職も複雑です。比叡山、三井寺、南都の武力を持った寺社勢力もあります。

そこに武家の台頭が起こります。同じ武家でも平氏は公家社会へ融合し席巻しますが、源氏は東国で武家のみの政治をめざしますからややこしいです。さらに多数の女性が絡みますから現代人には理解できないところが多々あります。一夫多妻的な家族関係、女性の自由な恋愛もあります。女性の実力者もいます。たとえば鳥羽法皇の娘、八条女院は表舞台には出ませんが法皇の全財産を受け継ぎ平氏打倒の援助をします。女性が家督を継いだ代表人物です。

 平家物語を下敷きに創作も加えられ人間ドラマに仕立てられていました。しかしちょっと高度な、現代日本人の教養を試されるドラマであったと思います。

それからセリフが聞き取れないことが多かったです。音楽が大きすぎて邪魔になった印象がありました。

 

〔短歌〕

「戦場に 命死にけむ その際に

      この村里を こひにけむかも」

       木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「水仙や 表紙とれたる 古言海」高濱虚子

〔和歌〕

「しぐるとも しられぬ庭は 木の葉ぬれて

         さむき夕日は 影おちにけり」

           後伏見院御歌・風雅749

「時雨れているとも気づかない庭は、木の葉がぬれて来るのではじめてそれと知られて、寒々とした夕日は、光がその濡れ色の上に映っている。」

 

*『平家物語』を読む。

 巻第七 「清水冠者」(しみづのくわんじゃ)の段、

 頼朝に恨みを持っている十郎蔵人行家を義仲が保護したために、頼朝が信濃国に兵を進めた。義仲は嫡子の義重を人質として差し出したので。頼朝の誤解は解けた。

 「北国下向」(ほつこくげかう)の段、

 平家は去年から戦の準備をしていたが、まず義仲を討たんとて、十余万の大軍を北陸道に差向けた。

 「竹生嶋詣」(ちくぶしままふで)の段、

 ある夜、副将軍の経正は琵琶湖の竹生島明神に詣で、戦勝を祈願して琵琶を弾じたところ、経正の袖の上に白竜が現れた。

 「火打合戦」(ひうちがっせん)の段、

 越前国の火打ちが城には義仲の軍勢がこもっていたが、平家に内通するものがあって破られた。平家はさらに加賀から越中に侵入する勢いを示し、砥浪山のふもとまで進んだ。

 「願書」(ぐわんしょ)の段、

 義仲は平家の大軍が平地に下りる前に、山中で谷に追い落とす計略を立てた。陣地の近くに八幡社があったので、彼は早速願文を書いて奉った。

 義仲がもし神の加護が得られるならば、その前兆を示し給えと祈ったところ、雲の中から三羽の山鳩が舞い下りて、源氏の白旗の上を飛び回った。

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈滝坂にて〉

「ゆふされば きしのはにふに よるかにの

         あかきはさみに あきのかぜふく」

・滝坂は高畑から柳生に通じる春日奥山の道です。

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や東大寺、春日山にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

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2012年12月25日 (火)

般若寺 水仙花だより  12・25

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*今日25日は今年最後の御本尊文殊菩薩様の御縁日です。いつもどおり午後一時半より法要を勤めます。文殊様は智慧の菩薩、一心に拝めば正覚菩提への導きの知恵を授けてくださいます。しっかり拝んで菩薩の功徳を多くの人にお分けしたいと思います。知恵は磨けば磨くほど光るものです。

 

〔短歌〕

「巌かげに さむきたぎつ瀬 かげをいで

       旭(ひ)ににほひつつ 流れさるかも」

        木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「水仙の 古鏡のごとく 花をかかぐ」松本たかし

〔和歌〕

「嵐ふく 八十宇治河の 波のうへに

       このはいさよふ せせのあじろ木」

         惟明親王・玉葉888

「嵐の吹きわたる、宇治河の波の上に、木の葉が散り浮いて、あの人麿の歌ではないが、瀬ごとにかけた網代木に漂い流れて来る。」

・あじろ木=網代木。竹や木を編んだもので川の流れを堰き止め、その端に簀子を設けて魚を捕る漁のため、川の中に打つ杭。

・参考:「もののふの 八十宇治河の 網代木に

       いさよふ波の 行方しらずも」

(万葉264、新古今1650、人麿)

 

*『平家物語』を読む。

巻第七 目録

 「清水冠者」(しみづのくわんじゃ)、「北国下向」(ほっこくげかう)、「竹生嶋詣」(ちくぶしままふで)、「火打合戦」(ひうちがつせん)、「願書」(ぐわんじょ)、「倶利伽羅落」(くりからをとし)、「篠原合戦」(しのはらがつせん)、「實盛」(さねもり)、「還亡」(げんぼう)、「木曽山門牒状」(きそさんもんてうじやう)、「返牒」(へんでう)、「平家山門連署」(へいけさんもんへのれんじょ)、「主上都落」(しゅしょうのみやこおち)、「維盛都落」(これもりのみやこおち)、「聖主臨幸」(せいしゅりんかう)、「忠度都落」(ただのりのみやこおち)、「経正都落」(つねまさのみやこおち)、「靑山之沙汰」(せいざんのさた)、「一門都落」(いちもんのみやこおち)、「福原落」(ふくはらおち)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈滝坂にて〉

「たきさかの きしのこずゑに きぬかけて

         きよきかはせに あそびてゆかな」

・滝坂は高畑から柳生に通じる春日奥山の道です。

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や東大寺、春日山にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。

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2012年12月24日 (月)

般若寺 水仙花だより  12・24

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*マイナス30度の寒波がやってきました。日本海側では大雪の予報です。ここ奈良では快晴、おだやかな日和です。年末の連休でぱらぱらと参詣客もあります。水仙の花は咲き始めてからちょっと足踏み状態でゆっくりしています。お正月からが見ごろとなってくれればいいのですが。

 

〔短歌〕

「朝川の たぎちの水泡(みなは) あをじろみ

      巌(いわ)かげさむく とよみたるかも」

       木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「水仙の 花のうしろの 蕾かな」星野立子

〔和歌〕

「吹き分くる 木の葉のしたも このはにて

         庭みせかぬる 山おろしの風」

           伏見院御歌・風雅748

「吹分ける木の葉の下も、まだ木の葉が深く積もっていて、いくら吹いても庭の面を見せる事ができない、山おろしの風よ。(その沢山の落葉だって、みんなお前が吹き落したものなのにね)」

 

*『平家物語』を読む。

「嗄聲」(しはがれごえ)の段、

 城の太郎助長が越後守に任じられ、義仲追討のため出発しようとした前夜、空に恐ろしい声が聞こえて人々をふるえ上がらせた。それでも助長は出征を強行したが、彼の上に黒雲がおおいかぶさって彼を殺してしまった。

 七月に養和と改元され、非常の大赦が行われて、一昨年流された大臣たちが都に帰って来た。大臣たちは帰ると早速法皇の御所に参上し、雅楽や今様を演奏した。

「横田河原合戦」(よこたかはらのかっせん)の段、

 源氏調伏のために盛んに神事仏事が営まれるが、神仏が納受しないためか不吉なことがしきりに起こる。年が改まって法皇が日吉神社に参詣なさったところ、法皇が山門に平家の追討を命じられたのだと噂され、また山門側には平家が山門を討つという噂が流れたりした。

 五月にまた改元があって寿永となった。助長の弟助茂が越後守に任じられて義仲の討伐に向かったが、横田河原で大敗して越後に逃れた。翌年宗盛が戦乱の責任を負うて内大臣を辞した。もはや南都北嶺、熊野金峰山の僧徒、伊勢の神官に至るまですっかり平家に背いて源氏に同心してしまった。

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈滝坂にて〉

「かけおちて いはのしたなる くさむらの

         つちとなりけむ ほとけかなしも」

・滝坂は高畑から柳生に通じる春日奥山の道です。

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や東大寺、春日山にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。

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2012年12月23日 (日)

般若寺 水仙花だより  12・23

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*きのうは風邪を引いたのか、体調を崩し一日寝てしまいました。今日の平家物語は休みます。

 

〔短歌〕

「つゆじもは 下りにけらしも 山川や

   濡れて旭(ひ)にあたる 巌(いはほ)のいただき」

      木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「水仙の 葉先までわが 意志通す」朝倉和江

〔和歌〕

「龍田川 ながるる水も このごろは

       ちる紅葉ゆへ おしくぞ有りける」

         法皇御製(後宇多院)・玉葉884

「ここ、龍田川では、平生は別に何とも思わず見ている流れる水も、初冬のこの頃は、川面に散り浮いて水といっしょに流れ去ってしまう紅葉のために、大変名残惜しく思われるよ。」

 

*『平家物語』を読む。

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈滝坂にて〉

「まめがきを あまたもとめて ひとつづつ

         くひもてゆきし たきさかのみち」

・滝坂は高畑から柳生に通じる春日奥山の道です。

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や東大寺、春日山にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

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2012年12月22日 (土)

般若寺 水仙花だより  12・22

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*真言宗で大師と言えば弘法大師。しかし天台宗では天台大師を指します。天台大師(別称知者大師)は中国天台宗の開祖智顗(ちぎ、538597)のことです。

隋代に天台山にこもり法華経と竜樹の教学を体系づけ天台宗を開く。『法華玄義』(ほっけげんぎ)『法華文句』(ほっけもんぐ)『摩訶止観』(まかしかん)の「法華三大部」の著作を残す。旧暦1124日が御命日で、比叡山などで2324日に「大師講」が営まれる。

「こなれよき 凡夫の腹や 智慧の粥」松瀬青々

「ゆきずりの ひとともの言う 大師講」桂信子

 

〔短歌〕

「山川に わたせる橋に あたる日を

      踏みわたりけり 向うの岸へ」

       木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「一茎の 水仙の花 相背く」大橋越央子

〔和歌〕

「むらむらに 小松まじれる 冬枯の

         野べすさまじき 夕暮れの雨」

           永福門院・風雅746

「あちこちに、小松のまじっているのが目立つだけの冬枯れの野を、一層淋しく味気ないものにして降る、夕暮れの雨よ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第六「慈心房」(じしんぼう)の段、

 古老の話によると慈心房という僧侶が閻魔王庁の法会に招かれた時に、自分の死後の運命を教えられた。その時清盛が和田岬で経文読誦の大法会を営んでいることを話すと、閻魔は感動するとともに清盛が慈恵僧正の生まれ変わりであることを漏らした。

「祇園女御」(ぎをんにょうご)の段、

 一説によると、白河法皇の祇園の女御という女房のところへの御微行のお供をした忠盛が、暗夜に鬼とまちがえられそうになった老法師の正体を見現したことがあった。法皇は忠盛の沈着を賞して、かれにその女房を賜ったので、女房の生んだ清盛は皇子なのである。懐妊した女御を臣下に賜った例は天智天皇の時にもあった。

 そのころ清盛と仲の良かった藤原邦綱も死んだ。邦綱は若い時不遇であったが、ちょっとした機転によって近衛天皇に取り立てられる機会をつかんだ。彼は富豪であったので清盛としきりに縁組をし、重衡をその婿とした。

 邦綱はある殿上人が五節の舞の夜「愁の賦」を朗詠したことをさえ縁起悪がる細かい神経の持ち主であった。その母は彼がせめて蔵人頭になることを望んだのだから、正二位大納言になるとは大した出世であった。

 後白河法皇が久しぶりで法住寺殿に行かれ、なくなられた建春門院の追憶にふけられた。また奈良の僧綱たちの罪がゆるされ、大仏殿の再建が始まった。建築の主任には左小弁行隆が命じられたが、彼は以前に石清水八幡から神託を受けて不思議に思っていたのである。

 清盛の死後五十日もたたないうちに源氏が尾張の国まで攻めてきた。両軍は木曽川を隔てて陣を張ったが、源氏は川を渡ったためにかえって討たれた。しかし東国ではよほど平家の恩顧を受けた者でなければ、草も木もすべて源氏になびき従う有様であった。

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈滝坂にて〉

「かきのみを になひてくだる むらびとに

         いくたびあひし たきさかのみち」

・滝坂は高畑から柳生に通じる春日奥山の道です。

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や東大寺、春日山にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

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2012年12月21日 (金)

般若寺 水仙花だより  12・21

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*今日は冬至、また終い弘法でもあります。弘法大師空海さんが開いた寺と言えば、一般には高野山がよく知られますが、大師が中国留学から帰って最初に入られたのは教王護国寺、京都の東寺です。真言密教を東密というのは東寺から始まったからです。ちなみに天台比叡山の密教は台密と言います。

東寺の国宝御影堂に祀られるお大師様は千年以上も庶民の信仰をあつめ、弘法さんとして親しまれています。毎月の御命日にもお店が出ますが、今月は終い弘法として1000軒ほどの出店で境内が埋めつくされ大変なにぎわいです。

お正月用品は何でもそろいます。しかしなんといっても人気があるのは骨董店で、掘り出し物が見つかることで有名です。時間があれば行ってみたいです。

 

〔短歌〕

「朝かげの 麓をゆけば 山はだの

       草生(くさふ)つゆけく 面ひえおぼゆ」

        木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「水仙の 束解くや花 ふるへつつ」渡辺水巴

〔和歌〕

「大井河 秋のなごりを たづぬれば

       入江の水に しずむ紅葉ば」

    常磐井入道前太政大臣(西園寺実氏)・玉葉883

「大堰河に来て、あの秋の名残は一体どこにあるだろうと探したら、入江の水に静かに沈んでいる紅葉を見つけた。(これだけが華やかだった秋の形見なのだなあ)」

 

*『平家物語』を読む。

巻第六「築島」(つきしま)の段、

「やがて葬送の夜、不思議の事あまたあり。球を磨き金銀をちりばめて作られたりし西八条殿、その夜にはかに焼けぬ。人の家焼くるは、常のならひなれども、あさましかりし事どもなり。何者の仕業にや有けん、放火とぞ聞こえし。又その夜六波羅の南にあたッて、人ならばに三十人が聲して、〈うれしや水、鳴るは瀧の水〉といふ拍子を出だして舞ひ踊り、どッと笑う聲しけり。去(さんぬ)る正月には上皇隠れさせ給ひて、天下諒闇(りょうあん、服喪)になりぬ。わづかに中一両月を隔てて、入道相国薨(こう)ぜられぬ。あやしのしづの男、しづの女にいたるまでも、いかが愁へざるべき。是はいかさまにも(どうみても)天狗の所為といふ沙汰にて、平家の侍のなかに、はやりをの若者共(血気にはやる若者たち)百余人、笑う声について尋ねゆいて見れば、院の御所法住寺殿に、この二三年院もわたらせ給はず、御所あづかり(御所の留守番)備前の前司基宗といふものあり、彼の基宗があひ知りたる物共二三十人、夜にまぎれて来たり集まり、酒を飲みけるが、はじめはかかる折節にをと(音)なせそとて(音をたてないようにいましめあって)飲む程に、次第にのみ酔ひて、かように舞踊りけるなり。ぱッと押し寄せて、酒に酔ひども、一人ももらさず三十人ばかりからめて、六波羅へゐ(率)てまいり、前右大将宗盛卿のをはしたる坪の内(中庭)にぞひッすへ(引き据え)たる。事の子細をよくよく尋ねきき給ひて、〈げにもそれほどに酔ひたらんものをば、斬るべきにもあらず〉とて、みなゆるされけり。」

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈奈良の宿にて〉

「ならやまの したはのくぬぎ いろにいでて

         ふるへのさとを おもひぞわがする」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、東大寺や浄瑠璃寺にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

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2012年12月20日 (木)

般若寺 水仙花だより  12・20

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*冬の寒さを言いあらわす言葉に「つめたし」「ひえる」「底冷え」などと言います。寺のお堂はどことも足裏から冷えが伝わり長く立っていられません。そんなお寺の峻厳とした空気を詠みんだ句を見つけました。たぶん浄瑠璃寺(別名、九体寺)の俳句でしょう

「九体仏 金色ゆゑの 冷えまさる」野村登四郎

 

〔短歌〕

「この寝ぬる 朝けに見れば 三朝川

        今朝もけさとて たぎちゐるかも」

          木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「水仙に 光微塵の 渚あり」水原秋桜子

〔和歌〕

「しぐれゆく ただ一むらは はやくして

         なべての空は 雲ぞのどけき」

           従二位為子・風雅745

「時雨を落として行く、ただ一群の雲は風に乗って早く過ぎ去るが、全般の空では、雲は静かに動かない。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第六「入道死去」の段、

「同四日、病にせめられ、せめての事に板に水をゐて、それにふしまろび給へども、助かる心地もし給はず、悶絶びゃく(足+辟)地して(もがき気が絶え、地にたおれて)、遂にあつち死に(身もだえして跳ね回って死ぬこと)ぞし給ひける。馬車の(弔問のための車や馬)馳せ違う音、天も響き大地も揺るぐ程なり。一天の君、万乗の主の、いかなる御事ましますとも、是には過ぎじとぞ見えし。今年は六十四にぞなり給ふ。老死(おいじに)いふべきにはあらねども、宿運(前世から定まった運命)忽ちに尽き給へば、大法秘法の効験もなく、神明三宝の(神と仏)の威光も消え、諸天も擁護(おうご)し給はず。況や凡慮に於いてをや。命にかはり身にかはらんと忠を存ぜし数万の軍旅(軍勢)は、堂上堂下になみ居たれども、是は目にも見えず、力にもかかはらぬ(力ではどうすることもできない)無常の殺鬼をば、暫時も戦ひ返さず。又帰り来ぬ四手の山、三瀬川(二度と帰ってこられない死出の山、三途の川)、黄泉中有(冥途と中陰)の旅の空に、ただ一所こそおもむき給ひけめ。日ごろ作りをかれし罪業ばかりや獄卒となッて迎えに来たりけん、あはれなりし事共なり。さてもあるべきならねば、同七日、をたぎ(愛宕)にて煙(けぶり)になしたてまつり、骨をば円実法眼(えんじつほうげん、法眼和尚位の略、法印に次ぐ)頸にかけ、摂津国へ下り、経の島(現神戸市兵庫区内築島という)にぞ納めける。さしも日本一州に名をあげ、威をふるッし人なれ共、身はひとときの煙となッて都の空に立ちのぼり、かばねはしばしやすらひて、浜の真砂にたはぶれつつ、むなしき土とぞなり給ふ。」

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈奈良の宿にて〉

「をじかなく ふるきみやこの さむきよを

         いへはおもはず いにしへおもふに」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、東大寺や浄瑠璃寺にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

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2012年12月19日 (水)

般若寺 水仙花だより  12・19

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*しばらく暖かい日が続きましたが、どうやらまた真冬の寒さが戻るらしいです。21日が冬至で昼間の長さがいちばん短い日となります。

 庭にさざんかと水仙の花が咲きはじめ、真っ白な霜がおりたら冬景色が完成です。雪国の人にも奈良の朝は格別に寒いと感じられているようです。

 

〔短歌〕

「話し更け 他所よりかへる 夜は寒し

       村の障子の 所々のあかるみ」

        木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「家ありて そして水仙 畠かな」小林一茶

〔和歌〕

「この葉ちる み山のおくの かよひぢは

         雪よりさきに うづもれにけり」

           惟明親王・玉葉879

「木の葉の散る、深山の奥のわずかな細道は、雪が積もるより先に、落葉でうずまってしまったよ。」

 

*『平家物語』を読む。

「同閏二月二日、二位殿熱う堪へがたけれども、御枕の上に寄ッて、泣泣の給ひけるは、〈御ありさま見たてまつるに、日にそへて頼みずくなうこそ見えさせ給へ。此の世に思し召しをく事あらば、少しものの覚えさせ給ふ時、仰せをけ〉とぞの給ひける。入道相国、さしも日来(ひごろ)はゆゆし気におはせしかども、まことに苦し気にて、息の下にの給ひけるは、〈われ保元・平治より此の方、度々の朝敵を平らげ、勧賞(けんじょう)身にあまり、忝くも帝祖太政大臣にいたり、栄花子孫に及ぶ。今生の望一事も残る処なし。ただし思い置く事とては、伊豆国の流人、前兵衛佐頼朝が頸を見ざりつるこそ安からね。われいかにもなりなん後(自分が死んだのち)は、堂塔をも建て、孝養(仏事供養)をもすべからず。やがて打つてをつかはし、頼朝が首をはねて、わが墓の前に懸くべし。それぞれ孝養にてあらんずる〉との給ひけるこそ罪ふかけれ。」

 (つづく)

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

         ならのみてらの かべのゑをおもへ」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、東大寺や浄瑠璃寺にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。

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2012年12月18日 (火)

般若寺 水仙花だより  12・18

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*今日は観音菩薩の御縁日です。年の終わりの御縁日は「しまい…」とか「おさめ…」と言います。観音様は「納め観音」でしょうか、弘法様は「終い弘法」と言われることが多いですね。これから年末にかけて毎日のように御縁日がつづきます。仏様も神様もお忙しくなります。21日弘法、23日八幡、24日地蔵、25日文殊・天神、26日愛染、28日不動となります。

 

〔短歌〕

「提灯が 近づきてみれば 小きざみに

      児がいそぎをり 村と村の間」

       木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「枇杷咲くを 人には告げず 日を経たり」植山露子

〔和歌〕

「夕日さす おち葉がうへに 時雨すぎて

        庭にみだるる 浮雲のかげ」

          太上天皇(光厳院)・風雅730

「夕日のさす、落葉の上にはらはらと音して時雨が降り過ぎ、見れば庭には乱れて空を渡る浮雲の影が落ちる。」

 

*『平家物語』を読む。

「入道相国の北の方、二位殿(従二位平時子)の夢に見給ける事こそおそろしけれ。猛火(みゃうくわ)のおびたたしく燃えたる車を、門の内へやり入れたり。前後に立ちたるものは、或は馬の面のやうなるものもあり、或は牛の面のようなるものもあり。車のまへには、無といふ文字ばかり見えたる鐵(くろがね)の札をぞ立てたりける。二位殿夢の心に、〈あれはいづくよりぞ(その車はどこから来たのか)〉と御たづねあれば、〈閻魔の廰より、平家太上入道殿の御迎にまいッて候〉と申す。〈さてその札は何といふ札ぞ〉と問はせ給へば、〈南閻浮提金銅十六丈の廬舎那仏、焼きほろぼし給へる罪によッて無間の底に堕し給ふべきよし、閻魔の廰に御定め候が、無間の無を書かれて、間の字をばいまだ書かれぬなり〉とぞ申しける。二位殿うちおどろき、汗水になり、是を人々に語り給へば、聞く人身の毛よだちけり。霊仏霊社に金銀七宝をなげ、馬鞍・鎧甲・弓矢・太刀、刀に至るまで、取り出で運び出だし祈られけれ共、其しるしもなかりけり。男女の君達あと枕にさし集ひて、いかにせんと歎き悲しみ給へども、叶うべしとも見えざりけり。」

 (つづく)

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「ならさかを じやうるりでらに こえむひは

         みちのまはにに あしあやまちそ」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、東大寺や浄瑠璃寺にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。

 

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2012年12月17日 (月)

般若寺 水仙花だより  12・17

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*きょうは奈良では「おんまつり」があります。このお祭りは春日若宮のお祭りで奈良では最大規模の祭礼です。若宮は春日社の門外に祀られていますが、どうやら春日さんより古い由緒を持っています。春日の神々は他所から遷座してこられたのに対し、若宮はもともと春日山に土着の神様だったようです。それゆえ大切に扱われ奈良最大のお祭りとなりました。正午ごろJR奈良駅より三条通りで時代行列の「お渡り」があります。奈良の町はおんまつりで今年最後のにぎわいを見せます。

 ちなみに若宮社の本地は文殊菩薩さまです。

 

〔短歌〕

「村の家の 障子の灯影 ぼんやりと

       道にあかるむ 夜寒を行くも」

        木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「冬ざれや 石に腰かけ 我孤独」高濱虚子

〔和歌〕

「となせより ながすにしきは 大井河

         いかだにつめる このは成りけり」

           俊頼朝臣・玉葉878

「戸名瀬の滝から流して来る錦というのは、大堰河を下して来る筏に、荷物を積んだように散り積もった色とりどりの木の葉だよ。」

・となせ=山城の歌枕、戸名瀬の滝。嵐山辺を流れる大堰河の急流部分。紅葉の名所。

 

*『平家物語』を読む。

巻第六「入道死去」の段、

「同二十七日、前右大将宗盛卿、源氏追討の為に、東国へ既に(すんでのことに)門出ときこえしが、入道相国違例の御心ちとてとどまり給ひぬ。明る二十八日より、重病を受け給へりとて、京中・六波羅〈すは、しつる事を(そら、悪業の報いが来たぞ)〉とぞささやきける。入道相国、やまひつき給ひし日よりして、水をだにのど(咽喉)へも入れ給はず。身の内の熱き事火をたくが如し。臥し給へる所四五間が内へ入るものは、熱さたへ難し。ただの給ふ事とては、〈あたあた(熱い熱い)〉とばかりなり。すこしもただ事とは見えざりけり。比叡山より千手井(せんじゅい、東塔西谷の山王院千手堂の傍の清水)の水をくみ下し、石の船に湛へて、それに下りて冷え給へば、水おびただしくわきあがッて、程なく湯にぞなりにける。もしや助かり給ふと(お楽になるだろうかと)、筧(かけひ、樋)の水をまかせたれば、石やくろがねなンどの焼けたるように、水ほとばしッてよりつかず。をのづからあたる水はほむら(火炎)となッて燃えければ、黒けぶり殿中にみちみちて、炎うづまひて上がりけり。是や昔法蔵僧都といッし人、閻王の請におもむひて(閻魔大王の招きで閻魔王庁に行った時)、母の生前を尋ねしに、閻王あはれみ給ひて、獄卒をあひ添へて焦熱地獄へつかはさる。くろがねの門のうちへさし入れば、流星なンどの如くに、ほのを空へ立ち上がり、多百由旬(多百は多数、由旬はインドで三十里)に及びけんも、今こそ思ひ知られけれ。」

 (つづく)

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

         ふるきみやこは さむくありとも」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、東大寺にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。

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2012年12月16日 (日)

般若寺 水仙花だより  12・16

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*今日は衆議院議員選挙の投票日。選挙権を無駄にしないで投票に行きましょう。この日だけが国民が主人公になれる日ですから。まだ選挙権のない若い人たちにかわって、私たちの近未来社会をまかせられる議員を選びましょう。それから最高裁裁判官の国民審査も忘れずに。かならず○か×をつけることです。

 

〔短歌〕

「川原湯を 出づるわが身に ほのじろく

       かはたれの明り まとふ愛しさ」

        木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「良弁忌 華厳の会座に つながりて」狭川月浦(明俊)

「良弁忌 過ぎて戻れば 冬至あり」 阿波野青畝

〔和歌〕

「冬のきて 霜のふり葉も あはれなり

        われもおひその 杜の下草」

        円光院入道前関白太政大臣(鷹司元忠)

「冬が来て、霜の降り置いた葉の様子を見るのも身にしみてあはれに思われる。私も年老い、老蘇の森の下草のように霜枯れて行くのだもの。」

・おひその森=近江の歌枕、老蘇の森。蒲生郡安土町の奥石(おいそ)神社の森。「老い」にかける。

 

*『平家物語』を読む。

巻第六「飛脚到来」(ひきゃくたうらい)の段、

  平家は関東の頼朝よりももっと近い木曽の義仲の挙兵を知っていっそう動揺した。河内国で百騎程の謀叛を鎮めたころには九州・四国がそむいたという情報が入った。

「入道死去」(にうだうしきよ)の段、

  其後四国の兵共、みな河野四郎にしたがひつく。熊野別当湛増も、平家重恩の身なりしが、それもそむひて、源氏に同心のよし聞こえけり。凡そ東国北国ことごとく背きぬ。南海西海かくのごとし。夷狄の蜂起耳を驚かし、逆乱の先表頻りに奏す。(動乱の前兆になるような事件がしきりに報告される)

 四夷忽ちに起これり。世は只今失せなんずとて、必ず平家の一門ならね共、心ある人々の歎き悲しまぬはなかりけり。

  同(二月)二十三日、公卿僉議あり。前右大将宗盛京卿申されけるは、坂東へ討っ手は向かうたりといへども、させるしいだしたる事も候はず。(それほどの成果も上げていない。今度宗盛、大将軍を承って向かうべきよし申されければ、諸卿色代して(しきだい、お世辞を言って)、〈ゆゆしう候ひなん。(たいそう結構でございましょう)〉と申されけり。公卿殿上人も武官に備はり、弓箭に携らん人々は、宗盛卿を大将軍にて、東国北国の兇徒等追討すべきよし仰せ下さる(法皇から仰せがあった。)。

 (つづく)

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈春日野にて〉

「かすがのに おしてるつきの ほがらかに

         あきのゆうべと なりにけるかも」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、東大寺にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。

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2012年12月15日 (土)

般若寺 水仙花だより  12・15

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*昨夜から降り出した雨で朝の冷え込みがありませんでした。しかし今日は一日雨模様です。この時期の雨はまだ「時雨」(しぐれ)と言うのでしょう。

時雨の中で山茶花の花がひっそりと咲いています。淡い桃色の花が濃い緑の中にちらほら見えているのが風情があります。草木にとって恵みの雨となりました。

 

〔短歌〕

「仕事をへ つかれいたはる 百姓と

       あたまをならべ 外湯に入るも」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「金の蕊 あわれむばかり 茶の咲けり」三島隆英

〔和歌〕

「ちりしける ははその紅葉 それをさへ

         とめじとはらふ 森の下風」

           従二位隆博・玉葉862

「散り敷いている柞の紅葉よ。秋の形見のそれさえも、とどめて置くまいとするかのように、吹き払ってしまう森の下風であるよ。」

・ははそ=コナラ・クヌギ・オオナラなどの総称。

 

*『平家物語』を読む。

巻第六「小督」の段、

 ある秋の夜、天皇は小督が嵯峨にいることを知って、仲国(なかくに)というものに、その隠れ家を探させた。仲国は小督の琴の音色一つを頼りにやっとその居処にたどりついた。

 仲国は小督の口から彼女が出家するということを聞き、むりに宮中へ連れ戻ったが、また清盛に知れてとうとう尼にされた。天皇はこの事件なども原因となってなくなられたが、それにしても法皇には御不幸ばかりが続いている。

 「廻文」(めぐらしぶみ)の段、

 清盛はさすがに気がとがめ、法皇を慰めるために、自分と厳島の内侍との間にできた娘を法皇にさし上げたが、その儀式はまるで女御を入内させる時のようであった。

 その頃信濃に木曽義仲という源氏があり、平素から大志を抱いていたが、関東の頼朝に呼応して挙兵したいと養い親の兼遠(かねとを)に漏らした。信濃・上野の武士はただちにこれに従った。源氏が宿願を果たす時期がいよいよ到来した。

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈春日野にて〉

「かすがのに ふれるしらゆき あすのごと

         けぬべくわれは いにしへおもほゆ」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、東大寺にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

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2012年12月14日 (金)

般若寺 水仙花だより  12・14

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*きょうは『忠臣蔵』で知られる赤穂義士の討ち入りの日です。東京の泉岳寺や兵庫県の赤穂市では様々な行事があります。

「松に月 義士討入りの 日なりけり」安住敦

かつては映画やテレビの定番だったのにいつの間にか消えて寂しくなりました。

元禄151214日(1703130日)の出来事です。

この年は般若寺の十三重石塔の再建工事が完成した年です。慶長元年(1596)の大地震で上部三重まで墜落したあと、107年ぶりの復興でした。

 

〔短歌〕

「夕川の 川床の湯に ひたらんと

      着物をぬげば 肌身愛(かな)しき」

       木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「山茶花の 濃しと見たれど なほ淡し」篠田悌二郎

〔和歌〕

「しるきかな あさぢ色づく 庭のおもに

         人めかるべき 冬のちかさは」

           式子内親王・風雅716

「はっきりわかることだよ。浅茅が色づいて来る庭の様子を見ると、あの宗宇の歌のように、訪れる人がたえてしまう冬のちかくなった事は。」

・人めかるべき=人目。「離る」と「枯る」をかける。

参考:「山里は 冬ぞさびしさ まさりける

     人目も草も 枯れぬと思へば」

       古今315・宗宇

 

*『平家物語』を読む。

巻第六 目録

「新院崩御」(しんいんほうぎょ)、「紅葉」(こうやう)、「葵前」(あふひのまへ)、「小督」(こがう)、「廻文」(めぐらしぶみ)、「飛脚到来」(ひきゃくたうらい)、「入道死去」(にうだうしきょ)、「築嶋」(つきしま)、「慈心房」(じしんぼう)、「祇園女御」(ぎをんにょうご)、「嗄聲」(しはがれごゑ)、「横田河原合戦」(よこたがはらのかつせん)。

「紅葉」(こうやう)の段、

 高倉上皇が十歳のころ、大切にしておられた紅葉の枝を小役人が折って燃やしてしまったことがあったが、少しもおとがめにならなかった。

「葵前」(あふひのまへ)の段

天皇(高倉)は建礼門院の女房が使っている一人の少女を愛しておられたが、身分が違うので陰口をきく者があった。それで関白が同情して私の娘ということにしようと申し出たが、天皇は世の避難を恐れて断念なさった。少女は宮廷を退いてまもなくなくなってしまった。

「小督」(こがう)の段、

中宮(徳子)は天皇の恋慕の悲しみが深いので、これを慰めるために小督という宮中一の美人を参らせた。小督は清盛の婿の冷泉隆房の愛人であったので、清盛はこの処置を怒った。小督は君の歎きをよそにひそかに姿をかくしてしまった。

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈東大寺懐古〉

「おほてらの ほとけのかぎり ひともして

         よるのみゆきを まつぞゆゆしき」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、東大寺にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。

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2012年12月13日 (木)

般若寺 水仙花だより  12・13

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*先日来の異常な寒波は今日からゆるむそうで、過ごしやすくなります。それにしても今朝は冷え込み何もかも凍てついています。

 

〔短歌〕

〔川原の湯 しみじみ湧きて ゐるならし

       湛えの面に 氣(いき)しみみなり」

        木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「ぬるき湯に 長湯してをり 冬紅葉」有働亨

〔和歌〕

「をのづから そめぬこのはを ふきまぜて

色々に行く 木がらしのかぜ」

  前大納言為家・玉葉861

「たまたまには、まだ色づかぬ木の葉をも紅葉の中に吹きまぜて、紅黄緑、色とりどりに吹きすぎて行く、木枯らしの風よ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第六「新院崩御」の段、

「 上皇は、おとどし法王の鳥羽殿におしこめられさせ給ひし御事、去年(こぞ)高倉の宮のうたれさせ給ひし御有様、宮こうつ(遷)りとてあさましかりし天下のみだれ、かやうの事ども御心ぐるしうおぼしめされけるより、御悩つかせ給ひて、つねはわづらは(煩)しうきこえさせ給ひしが(いつも御病気のようにうわさされていたが)、東大寺・興福寺のほろびぬるよし聞し召されて、御悩いよいよおも(重)らせ給ふ。法王なのめならず御歎(おんなげき)ありし程に、同(おなじき)正月十四日、六波羅池殿(いけどの、頼盛の邸)にて、上皇(高倉帝)遂に崩御なりぬ。御宇十二年、徳政千万端、詩書仁義の廃れたる道ををこし、理世安楽の絶えたる跡を継ぎ給ふ。三明六通の羅漢もまぬかれ給はず、幻術変化の権者ものがれぬ道なれば、有為無常のならひなれども、ことはり過ぎてぞおぼえける。やがてその夜東山の麓、清閑寺(せいかんじ、京都東山清水の南にある。高倉上皇の御陵はその北にある。)へうつしたてまつり、ゆふ(夕)べのけぶり(煙)とタグへ、春の霞とのぼらせ給ひぬ。澄憲法印(てうけんほうゐん)、御葬送にまいりあはんと、いそぎ山(比叡山)よりくだられけるが、はやむなしきけぶりとならせ給ふを見まいらせて、

 つねに見し 君が御幸を 今日とへば

        かへらぬ旅と きくぞかなしき

又ある女房、君かくれさせ給ひぬと承はッて、かうぞおも(思)ひつづけける。

 雲の上に 行末とを(遠)く みし月の

       光きえぬと きくぞかなしき

御年二十一、内には十戒をたもち、外には五常をみだらず、礼儀をただしうせさせ給ひけり。末代の賢王にて在(まし)ましければ、世のおしみたてまつる事、月日の光を失えるがごとし。かように人のねがひもかなはず、民の果報もつたなき人間のさかひ(境遇)こそかなしけれ。」

(おわり)

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈東大寺にて〉

「あまたたび このひろまえへに めぐりきて

         たちたるわれぞ しるやみほとけ」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、東大寺にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。

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2012年12月12日 (水)

般若寺 水仙花だより  12・12

 

◎水仙: ≪咲きはじめ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*秋のコスモスは後片付けも終わり、今は来年の準備をしています。まずは苗床にするプランター鉢の土作りです。これまでの土は真砂土を主体にしていたので重くて大変でした。こんどはバーミキュライト、ココヤシチップ、バーク堆肥、赤玉土、など軽めの材料を混ぜたので、元の三分の一くらいの重さになりました。これで来年の作業は楽になります。

 

〔短歌〕

「たそがれの たぎつ瀬近み 川床の

湯つぼの湯気の しらみに立つも」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「風音の 枯山吹の 音となる」稲畑汀子

〔和歌〕

「ほに出でて まねくとならば 花すすき

過ぎ行く秋を えやはとどめぬ」

前参議教長・風雅706

「目に立つ程はっきりと穂を出して、招くように風になびくのならば、花薄よ、過ぎて行く秋をどうして招き止める事ができないのか。(止めてくれたらいいじゃないか)」

・ほに出でて=薄の穂が出る事と、表面に出る意の「穂(秀)に出づ」とをかける。

・まねく=花薄のなびくさまを人が手招きするさまに見立てる。

 

*『平家物語』を読む。

巻第六「新院崩御」(しんいんほうぎょ)の段、

「 治承五年(1181)正月一日(ひとひのひ)、内裏(だいり)には、東国の兵革(へいかく、戦争)、南都の火災によッて朝拝(てうはい、天皇が大極殿に出御になって百官の拝礼を受ける儀式。これは延喜ごろから行われなくなり、小朝拝に代った。小朝拝は、清涼殿の東庭で殿上人以上の者が拝賀をすること。)とどめられ、主上出御もなし。物の音もふきならさず、舞楽も奏せず、吉野のくず(国栖、吉野の奥の国栖の住民。元旦に参朝して歌笛を奏するれいであった。)もまいらず。藤氏(とうじ、藤原氏)の公卿一人も参ぜられず。氏寺焼失によッてなり。二日(ふつかのひ)、殿上の宴酔(えんすい、正しくは淵酔。二日または三日に殿上人に酒を賜る。)もなし。男女(なんにょ)うちひそめて、禁中いまいましうぞ見えける。(男も女もひっそりとして、宮中は陰気くさい感じがただよった。仏法王法ともにつきぬる事ぞあさましき。一院仰せなりけるは、〈われ十善の余薫によッて、万乗の宝位をたもつ。四代の帝王をおもへば子なり、孫なり。いかなれば万機の政務をとどめられて、年月ををくるらん〉とぞ御歎(おんなげき))ありける。

 同五日(おなじきいつかのひ)、南都の僧綱(そうがう、僧正・僧都・律師の官を持つ者)等(ら)闕官(けつくわん、解官が正しい)ぜられ、公請(くじやう)を停止(ちやうじ)し、所職(しょしょく)を没収(もつしゆ)せらる。衆徒は老いたるもわかきも、或はゐ(射)ころされき(斬)りころされ、或は煙の内をいでず、炎にむせ(咽)んでおほくほろ(亡)びにしかば、わづかにのこ(残)るともがら(輩)は山林にまじはり(紛れるの意)、あとをとどむるもの一人もなし。興福寺別当花林院僧正永縁(やうゑん)は、仏像経巻のけぶり(煙)とのぼりけるを見て、あなあさましとむね(胸)うちさはぎ、心を砕かれけるより病ついて、いくほどもなくつゐに失せ給ひぬ。この僧正はゆふ(優)になさけ(情)ふかき(物の情趣を解する)人なり。或時郭公(ほととぎす)のなくをき(聞)ひて、

 聞くたびに めずらしければ ほととぎす

         いつも初音の 心地こそすれ

といふ歌をようで、初音の僧正とぞいはれ給ける。

 ただし、かたのやうにても御齋會(ごさいゑ、正月八日から十四日まで金光明最勝王経を講説する法会)はあるべきにて、僧名(そうみやう)の沙汰(僧侶の顔ぶれの選定)有しに、南都の僧綱は闕官ぜられぬ。北京(ほっきやう、京都)の僧綱をもッておこなはるべき歟と、公卿僉議(くぎやうせんぎ)あり。さればとて、南都をも捨てはてさせ給ふべきならねば、三論宗の学生成寶已講(がくしやうじやうほういこう、学生は正しくは学匠。仏道を修めて師匠としての資格ある者。已講は維摩會・御斎會・最勝會の講師を勤めたことがある者)が、勧修寺に忍びつつかくれゐたりけるを、召しいだされて、御斎會かたのごとくおこなはる。」

 (つづく)

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈東大寺にて〉

「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて

おほきほとけは あまたらしたり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、東大寺にも近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。

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2012年12月11日 (火)

般若寺 水仙花だより  12・11

◎水仙: ≪つぼみ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*葉の落ちた菩提樹の根方に水仙の花が一輪咲いているのを見つけました。初花です。これからお正月にかけて咲きそろいます。

〔短歌〕

  「碧き空 今日はするどし きらめかしく

      山木ゆする風 村にしおろす」

       木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「ふと触れし 頬の荒(すさ)びや 夜の霧」林翔

〔和歌〕

「むらくもの たえまの空に にじたちて

         しぐれ過ぎぬる をちの山のは」

           前中納言定家・玉葉847

「村雲が切れ、絶間に見える空に虹が立っている。時雨の通り過ぎて行った遠くの山の端のあたりに。」

 

*『平家物語』「奈良炎上」の段、「奈良坂」について。

 都が平城京から長岡京(京都府向日市、784)へ、さらに平安京(京都市、794)へと遷り、奈良の都は田畑に変わりました。しかし奈良は平安時代を通じて京都に対する南の都という意味で、南都と呼ばれました。南都は興福寺、東大寺をはじめとする寺社の都となりました。一種の宗教都市となった南都は、かつての平城京の外京に形成されました。南都の中心寺院は興福寺と東大寺です。東大寺は王家(天皇家)の寺、興福寺は藤原氏の菩提寺であり全国に膨大な荘園を持ち、比叡山延暦寺とともに寺社勢力の双璧でした。南都北嶺と呼ばれています。経済、文化芸術、仏教学の一大センターとして繁栄を誇りました。興福寺には200を超える子院と摂関家の子弟が入寺する一乗院、大乗院の門跡があり、大和の寺院はほとんどが興福寺の末寺というほどに影響力を持ち、荘園末寺など財産の維持経営のため、1万人を超える衆徒(大衆)が存在しました。諸国の荘園からの人と物資の交流は海、川、道によって奈良とつながっていました。特に大量の物資の運搬は木津川の水運を使い、木津で陸揚げされ上ツ道、中ツ道を通って南都へもたらされました。それから京都の藤原貴族たちは奈良詣でに来るときは、京都―宇治―棚倉―上狛―木津―奈良坂―奈良のルートをたどります。そして藤原氏の上級貴族は「佐保殿」(さほどの)と呼ぶ宿舎に入り衣装を整えて興福寺と春日社へ向かったそうです。佐保殿の近くには中下級貴族のためには「宿院」という施設がありました。この佐保殿がどこにあったかはわかりませんが、かつての一条大路が佐保路(さほじ)と呼ばれ、不退寺から般若寺にかけての山が別名、佐保山とも呼ばれているので、中ツ道と上ツ道の中ほどの山すその佐保路沿いにあった可能性が高いです。そうすると京都からやってきた貴族の一行は木津川を渡り不退寺に近い車谷道へて佐保殿に至り、そこから興福寺などへ詣でたと考えられます。佐保殿へは左大臣頼長も宿泊しています(12世紀半ば)。牛車などの車は平たんなこの道を利用したでしょう。それで「車谷道」という名がついたのかもしれません。もちろん上ツ道・旧東京極路へ入る道は南都への最短距離ですから最も往来の盛んな道だったでしょう。この坂はいろんな呼び名があり、奈良坂の他、東路、般若寺路、般若路、千坊坂、般若坂の名が知られます。10世紀に京都から長谷詣でに行った『蜻蛉日記』の作者、藤原道綱の母はこの奈良坂を越えています。

 おそらく平安時代の奈良坂は二つあり、区別するときは車谷道を奈良坂と言い、東路を般若路、般若坂と言ったのだと思います。

結論として、『平家物語』の「奈良坂・般若寺二ヶ所」という場合の奈良坂は般若路とは別路の車谷道のことを指しているのではないでしょうか。ふつう合戦で敵を責める場合、主力軍は正面を攻め、別動部隊が側面から攻めるのが常套手段です。それゆえ守る側も「奈良坂・般若寺二ヶ所、道を掘りきって堀ほり」と城郭を二ヶ所に構えたのでしょう。

 中世をへて奈良坂は般若寺を越える坂道一か所になりました。

(終わり)

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈浄瑠璃寺にて〉

「びしやもんの ふりしころもの すそのうらに

         くれなゐもゆる はうさうげかな」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺も近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

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2012年12月10日 (月)

般若寺 水仙花だより  12・10

 

◎水仙: ≪つぼみ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*今日は晴れ、風もおさまりました。昨日は強い風に銀杏の黄金の葉が舞っていました。いま紅葉も最後の錦を飾っています。ピンクの真弓の実は殻が破け中から赤い実がゆらゆらと揺れています。冬景色の中にも秋の名残の色があざやかです。

 

〔短歌〕

「山川の 夕さりたかく 鳴るなべに

      岸の人里 しずまりかへれり」

       木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「立ち食ひも 人にならひて 大根焚」丸木あや

〔和歌〕

「みるままに かべにきえゆく 秋の日の

         しぐれにむかふ 浮雲のそら」

           進子内親王・風雅704

「見ているうちに、壁に映っていた光が消えて行く秋の日ざし、そして時雨になろうとする、浮雲の漂い来る空よ。」

・参考:「ま萩ちる 庭の秋風 身にしみて

      夕日の影ぞ かべに消えゆく」(永福門院・風雅478

 

*『平家物語』を読む。

古代大和には飛鳥から奈良に至る三つのルートがありました。南北の直線道路です。西から「下つ道」「中つ道」「上つ道」と呼ばれます。互いに2キロ余りの等間隔に造られています。日本初の都城「藤原京」(現橿原市、694造営)は下つ道と中つ道の間に造営されています。これらの道は奈良山を越えてさらに北に向かい、摂津(大阪府)山城(京都府)、近江(滋賀県)さらに越の国へと通じます。ある時代には日本海によって渤海へもつながっていました。下つ道が奈良山を越えるところは「歌姫越」(うたひめごえ)と呼ばれますが、山も高くはなく奈良側からですと下り坂となります。そういう平坦な道ですから、平城京(現奈良市、710年造営)ができるまでは一番よく利用されたのではないかと思われます。平城京以前の「奈良坂」といえば「歌姫越」を指していたのでしょう。もちろん中ツ道、上ツ道も平城山越えの坂でした。そして平城京はこの三本の道に基づき設計され、下つ道は京のメインストリート、朱雀大路となり、中ツ道は東の京極である東四坊大路に、上ツ道は外京の東京極路となる七坊大路となります。最大の官道であった下ツ道は羅城門から都へ入り朱雀門に至ります。ここから北は「平城宮」「内裏」「松林宮」の域内になり道は途絶えます。迂回することもできたのでしょうが、平城京から平城山を越える道は中ツ道、上ツ道の二つだけに変わりました。奈良から京都府へ入ると木津川(和泉川)があります。木津には行基により橋が架けられています(泉橋)。この川はかつては水量の多い川として知られ、大阪湾からの水運にも利用されていました。奈良時代には平城京の外港のような立地で「木ノ津」(木の港の意、木津。上津遺跡)がありました。ここから上ツ道ルートをとれば平城京の外京へは最短距離で東七坊路につながります。外京には東大寺、興福寺、元興寺、大安寺などの大寺も建てられたので、大寺造営の資材運送路としてもこの道は非常に重要なルートです。しかしいちばん急な坂道となります。もう一つの中ツ道・東四坊路は現在のJR関西線と国道24号線の通じている不退寺とウワナベ古墳の間に当たります。ここは「車谷道」とも呼ばれ緩やかな坂道です。奈良時代にも木津から平城京中心部へ入る道としては距離的にも近いし、坂も緩やかなので車も通れる道だったのではないでしょうか。平城京の時代の「奈良坂」はこの二つのルートであった可能性が高いです。

 (つづく)

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈浄瑠璃寺にて〉

「びしやもんの ふりしころもの すそのうらに

         くれなゐもゆる はうさうげかな」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺も近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

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2012年12月 9日 (日)

般若寺 水仙花だより  12・9

 

◎水仙: ≪つぼみ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*今朝は初雪、黒い屋根の瓦がうっすらと白くなっていました。本格的な冬です。毎日水鉢に氷が張っています。土も凍りついています。それでも風さえなければ昼間は暖かくなりそうです。

今日は「奈良マラソン」があるのであちこちの道路は通行止めとなります。知らずに来られた旅行者の方は途惑われることでしょう。

 いつの間にか南天の実が真っ赤になってきました。 

「南天の 一粒づつに 碧き空」稲岡長

〔短歌〕

「わが影の うつる日なたの 街道を

すでに南里か あるきて来たり」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「明るさの 戻りたるより 冬木立」稲畑汀子

〔和歌〕

「風むせびぶ ひばらの時雨 かきくらし

        あなしのたけに かかる村雲」

         後九条前内大臣(九条基家)・玉葉841

「風が咽び泣くように音立てる檜原にさっと時雨がそそぎ、あたりをかき曇らせて穴師の嶽に村雲がかかる。」

・あなしのたけ=大和の歌枕、穴師の嶽。奈良県桜井市三輪の東北、巻向山に続き、その一帯の檜原とともに詠まれることが多い。

 

*『平家物語』を読む。

 「奈良炎上」の段は昨日で終わりました。今夜のテレビドラマ『清盛』の中でこの場面が出てきます。ドラマの後の「清盛紀行」では奈良が紹介されます。東大寺、興福寺とともに般若寺も出てきます。ご覧ください。

 さて、この段には合戦の場面として「奈良坂」と「般若寺」がたびたび出てきます。岩波書店刊(1959)の『日本古典文学大系』の『平家物語』によると、「奈良坂」は4回、「般若寺」は6回登場し、「奈良坂・般若寺二ヶ所」と連記されるのが3回、「奈良坂にて討死にし、般若寺にて討たれにけり」と並べられるのが1回です。そして注には「奈良坂は山城から大和への通路。般若寺はその少し南にある寺だが、その付近の地名としても用いられた。」(p.381 24)とあります。この校注者は奈良坂、般若寺を一本の道の南北の位置として捉えておられます。確かに現在の地名からすると、京街道に沿って北に奈良坂、南に般若寺が隣接して町も寺もあります。しかし本文の書き方を見ていると、「注」に言う位置関係とはどうも違うのではないかと思えてきます。本文(p.381)には「平家は四万余騎を二手に分かって、奈良坂・般若寺の城郭に押し寄せて」とあり、平家は4万の大軍を二手に分け大将軍重衡の主力軍は般若寺に、副将軍通盛の第二軍を奈良坂に向け同時に攻めたのではないでしょうか。それに対し南都勢は道に堀を作り、逆茂木や垣楯で防護柵を構えて迎え討ちます。このような城郭であれば前から順に攻め落としますから「夜に入りて奈良坂・般若寺二ヶ所の城郭ともにやぶれぬ。」とはならないように思います。これらから想像するに、奈良坂と般若寺は離れているから同時に攻め、同時に防御を破ったのではないでしょうか。どうもこの二か所へ向かうのは道が違うのではないかと思います。この問題に以前から疑問を持っていましたが、これを解決するためには、「奈良炎上」事件の起きた治承4年(1180)当時の「奈良坂」は果たして現在の奈良坂を指していたのかを問わねばなりません。

古代にまで遡って「奈良坂」を調べる必要がありそうです。奈良盆地には古代の7世紀半ばに整備された3本の官道がありました。その道が「平城山」に行き当たって越えていくところが「奈良の坂」「奈良坂」でした。

(つづく)

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈浄瑠璃寺にて〉

「びしやもんの ふりしころもの すそのうらに

         くれなゐもゆる はうさうげかな」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺も近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

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2012年12月 8日 (土)

般若寺 水仙花だより     12・8

 

◎水仙: ≪つぼみ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*今日はお釈迦様が悟りを開かれた日、「成道会」(じょうどうえ)です。

同時に太平洋戦争開戦の日でもあります。1941年本日未明、日本海軍はハワイ島真珠湾を奇襲攻撃しました。これは宣戦布告なき開戦と言われ、アメリカ人にとっては「リメンバー・パールハーバー」です。しかし最近の研究では、米国の謀略ではなかったのかという説もあります。米国は奇襲攻撃を知っていて主力空母を避難させ温存し、旧式戦艦と人命をを犠牲にして自国民の戦争意欲を高めたのではないかと、そして実際一番喜んだのは英国のチャーチルであったそうです。世界大戦への参戦を躊躇していたアメリカを本気で戦いに加わらせることができたからです。どのみちこの戦争は日本にとっては絶対不利であり避けるべきものであったのに、軍国主義に引きずられ奈落の底へと落ちて行ったのです。日本はこの大戦で自国民はもちろん、アジアの人々数千万人の命を犠牲にする大罪を犯したことを忘れてはなりません。そしてわれわれ宗教界も国民を戦争に駆り立てたことによって、戦争責任があることを自戒せねばなりません。今日は不戦を誓う日としたいものです。

 

〔短歌〕

「はるかなる 高峰の松を 仰ぎつつ

        ひたすら我は 歩みをはこぶ」

         木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「臘八の 聴衆まばらや 大伽藍」松本たかし

〔和歌〕

「しもがれむ ことをこそおもへ 我が宿の

         まがきに匂ふ しら菊の花」

           前中納言師時・風雅701

「やがて霜枯れてしまう事をつくづく惜しいなと思うよ。私の家の垣根に美しく咲き匂う、白菊の花を見るにつけて。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第五「奈良炎上」(ならえんしょう)の段、

「衆徒の頸ども、もとは大路を渡して獄門の木(獄舎の門の傍らの木にかけるのである)に懸けらるべしときこえしかども、東大寺・興福寺の滅びぬる浅ましさに、沙汰にも及ばず(何の指図もなかった)。あそこここの溝や堀にぞ捨てをきける。聖武皇帝宸筆の御記文には、(しょうむくわうていしんぴつのおんきもん、聖武天皇自筆の天平勝宝元年の銅板詔書。東大寺要録などに再録されている。)〈我寺興福(わがてらこうぶく)せば天下も興福し、吾寺衰微せば天下も衰微すべし〉とあそばされたり。されば天下の衰微せん事も疑ひなしとぞ見えたりける。あさましかりつる年も暮れ、治承も五年に成りにけり。」

 (この段おわり)

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈浄瑠璃寺にて〉

「じやうるりの なをなつかしみ みゆきふる

          はるのやまべを ひとりゆくなり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺も近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

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2012年12月 7日 (金)

般若寺 水仙花だより     12・7

◎水仙: ≪つぼみ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*北の国は暴風雪、台風のような風が暴れています。近畿地方も例年に比べ気温は低いです。この分だと年内にも雪が降るかもしれません。

 水仙は寒いほど花が付きやすいのか、もう咲き出しそうです。お正月には見ごろを迎えるでしょう。

 「水仙や 寒き都の ここかしこ」与謝蕪村

 

〔短歌〕

「霧の雨 山の社の ひろ前の

      苔生(こけふ)にしづみ ひかりゐるかな」

       木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「露霜や 落葉はわきて 瑞々し」尾崎光尋

〔和歌〕

「しぐれつる このした露は おとづれて

山ぢの末に 雲ぞなり行く」

           宮内卿・玉葉840

「時雨が残した露が木の葉づたいに木の下にしたたり落ちる音が聞え、見れば時雨の雲は山の末遠く去って行くところだ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第五「奈良炎上」(ならえんしょう)の段、

「ほのを(炎)のなかにてや(焼)け死ぬる人数をしる(記)いたれば、大仏殿の二階の上には一千七百余人、山階寺(やましなでら、興福寺)には八百余人、或御堂には五百余人、或御堂には三百余人、つぶさにしるいたれば(いちいち記録したところが、三千五百余人なり。戦場にして討たるる大衆千余人、少々は般若寺の門の前に斬りかけ(首を斬って懸け)少々は持たせて都へのぼり給ふ。

 二十九日、頭中将(重衡)、南都滅ぼして北京(ほくきょう)へ帰り入らる。入道相国(清盛)ばかりぞ、憤り晴れて喜ばれける。中宮(建礼門院、徳子)・一院(後白河法皇)・上皇(高倉上皇)・摂政殿(藤原基通)以下(いげ)の人々は、〈悪僧をこそほろぼすとも、伽藍を破滅すべしや〉とぞ御歎(おんなげき)ありける。」

 (つづく)

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈浄瑠璃寺にて〉

「かれわたる いけのおもての あしのまに

         かげうちひたし くるるたふかな」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺も近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

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2012年12月 6日 (木)

般若寺 水仙花だより     12・6

 

◎水仙: ≪つぼみ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*寒波がやってきました。強い風をともなっています。屋外での作業はきびしい一日となりそうです。

 

〔短歌〕

「霧雨の おもくし降れば 山社

      板屋根くろく 雫しており」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「初時雨 白鳳佛の ひざの金」沢木金一

〔和歌〕

「もろこしも おなじ空こそ しぐるらめ

からくれなゐに 紅葉する比」

           後嵯峨院御歌・風雅690 

「唐土でも、この日本と同じ空が、きっと時雨れていることだろう。我が国でも唐紅に紅葉するこの頃は。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第五「奈良炎上」(ならえんしょう)の段、

「興福寺(こうぶくじ)は淡海公(たんかいこう、藤原不比等)の御願(ごぐわん)、藤氏累代の寺也。東金堂におはします仏法最初の釈迦の像(仏法とともに最初に渡来した釈迦の像)、西金堂にをはします自然涌出(じねんゆじゅつ、地中から自然にわき出た)の観世音、瑠璃を並べし四面の廊、朱丹を交へし二階の楼、九輪空に輝きし二基の塔、たちまちに煙となるこそ悲しけれ。東大寺は、常在不滅、実報寂光の生身の御仏(しょうじんのおんほとけ、不生不滅で天台に言う実報土と寂光土に通じる仏)とおぼしめしなぞらへて、聖武皇帝、手づからみづからみが(磨)きたて給ひし金銅十六丈の廬舎那仏(大仏)、烏瑟(うしつ、仏頂、仏の頭の上のもり上がった肉、肉髻、)たかくあらはれて半天(なかぞら)の雲に隠れ、白毫(びゃくごう、仏の眉間にある光を放つ毛)新たに拝まれ給ひし満月の尊容も、御髪(みぐし)は焼け落ちて大地にあり、御身はわきあ(鎔合、一つにとけて)ひて山の如し。八万四千の相好(そうごう、三十二相八十種好

、顔かたち)は、秋の月はやく五重の雲におぼれ、四十一地の瓔珞は、夜の星空しく十悪の風にただよふ。(八万四千の尊い相好は秋の月が雲に隠れるように五逆罪のために見られなくなり、菩薩に至る四十一の段階を示した頭部と身体の飾りは風に漂う夜の星のように十悪のためにちりじりになった。)

 煙は中天に満ちみち、炎は虚空にひま(隙)もなし。まのあたりに見たてまつる物、さらにまなこをあてず。(とても直視できない。)はるかにつたへきく人は、肝(きも)たましゐ(魂)を失へり。法相・三論の法門聖教(興福寺の法相宗、東大寺の三論宗に伝えられている法文経典)、全て一巻残らず。

 我朝はいふに及ばず、天竺震旦(てんじくしんだん、印度と中国)にも是程の法滅(仏法の滅亡)あるべしとも覚えず。優填大王の紫磨金(うでんだいおうのしまごん)をみがき、毘須羯磨(びすかつま)が赤栴檀(しゃくせんだん)をきざ(刻)んじも、わずかに等身の御仏(おんほとけ)也。(中天竺コーサンビー国の王である優填王は栴檀で、諸天の一人である毘須羯磨は人間に化して黄金で仏像を作ったと伝える。『平家物語』の本文は逆になっている。)

 いはんやこれは南閻浮提(なんえんぶだい、人間世界、この世)のうちには唯一無双の御仏、ながく朽損の期(ご)あるべしとも覚えざりしに、いま毒縁(濁悪)の塵にまじはッて、ひさしく(永久に)かなしみをのこし給へり。梵釈四王(ぼんじゃくしわう、梵天・帝釈天と四天王)、龍神八部(八部衆、龍神もその一つ)、冥官冥衆(みやうくわんみやうしゅ、冥府の官人鬼神)も驚きさはぎ給ふらんとぞみえし。法相擁護(ほっそうおうご)の春日の大明神、いかなる事をかおぼ(思)しけん。されば春日野の露も色かはり、三笠山の嵐の音恨むるさまにぞ聞こえける。」

 (つづく)

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈浄瑠璃寺にて〉

「かれわたる いけのおもての あしのまに

         かげうちひたし くるるたふかな」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺も近い「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

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2012年12月 5日 (水)

般若寺 水仙花だより     12・5

 

◎水仙: ≪つぼみ≫ 

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*般若寺の位置するところは奈良山(平城山)と呼ばれる丘の上です。奈良の盆地を囲む青垣の山々のうち、北を限っているのが平城山の丘陵です。東部は佐保山、西部は佐紀山と言うこともあります。百メートル足らずの高さですが、奈良の万葉人にとっては生活の場に近い親しみのある山でした。『万葉集』には佐保川と共に多くの歌が詠まれています。また近代には北見志保子作詞、平井康三郎作曲の『平城山』がよく知られます。

1番「人恋ふは 悲しきものと 平城山に 

もとほり来つつ 堪えがたかりき」

2番「古へも 夫に恋いつつ 越えしとふ

    平城山の路に 涙おとしぬ」

これは万葉歌人の笠郎女(かさのいらつめ)の次の歌を下敷きにしたそうです。

「君に恋ひ 甚(いた)も術(すべ)無み 奈良山の

       小松が下(もと)に 立ち嘆くかも」

(あなたへの恋心が募って、もうどうしようもなくなり、奈良山の小松の下にたたずんで嘆くばかりです。)

この歌は笠郎女が越中へ赴任した大伴家持への恋心を詠ったもので、万葉集の数多い恋歌のなかでも傑作と評価されています。

 

〔短歌〕

「山のきり 次第におもく なりまさり

       やうやくしげき 木原の雫」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「短日や いつまで澄みて 暮るる空」原石鼎

〔和歌〕

「夕暮の あはれは秋に つきにしを

       また時雨して この葉ちる比」

         従一位教良女・玉葉836

「夕暮のあはれは、秋でもう極限に達したと思ったのに、時雨が降り木の葉が散るこの初冬の頃は、また格別のあわれを感ずることよ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第五「奈良炎上」(ならえんしょう)の段、

「夜いくさになッて、暗さはくらし、大将軍頭中将(重衡)、般若寺の門の前にうッたッて(打ち立って)、〈火をいだせ〉との給ふほどこそありけれ、平家の勢のなかに、播磨国住人福井庄下司(はりまのくにのぢうにんふくゐのしやうのげし、福井庄は播磨国にあった荘園、下司は荘園の管理をした下役人)、二郎大夫友方(ともかた)といふもの、楯を割りたいまつにして、在家(民家)に火をぞかけたりける。十二月二十八日の夜なりければ、風ははげ(烈)しし、ほもと(火元)は一つなりけれども、吹き迷ふ風に、おほく(多く)の伽藍に吹きかけたり。恥をも思い、名をも惜しむ程の者は、奈良坂にて討ち死にし、般若寺にして討たれにけり。行歩(ぎやうぶ)にかなへる者は(負傷しても歩くことができるもの)は、吉野十津河の方へ落ちゆく。あゆみもえぬ老僧や(歩くことのできない老僧。これ以下は非戦闘員である)、尋常(よのつね)なる修学者兒(ちご)共、おんな童部(わらんべ)は、大仏殿・やましな(山階)寺(興福寺)のうちへ、われさきにとぞ逃げゆきける。大仏殿の二階の上には千余人のぼりあがり、かたき(敵)の続くをのぼ(昇)せじと、橋(正くは階)をばひ(引)いてンげり。猛火(みやうか)はまさしう(現実に)押し掛けたり。おめきさけぶ声、焦熱・大焦熱・無間阿鼻(八大地獄の三つ。阿鼻は無間の梵語、最も苦しい地獄)の炎の底の罪人も、これには過ぎじとぞみえし。」

 (つづく)

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。

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2012年12月 4日 (火)

般若寺 水仙花だより     12・4

 

◎水仙: ≪つぼみ≫

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

*当寺の境内に立ち東を望めば、十三重石塔の向こうに青垣の山々が見えます。万葉の昔から変わらない景色です。北から若草山、三笠山、春日山、高円山、さらに連なって三輪山へと続いています。山々を見ていると、古事記にある日本武尊(やまとたけるのみこと)の歌を思い出しました。

「やまとは くにのまほろば たたなづく 

青垣山こもれる やまとしうるはし」

(大和の国は素晴らしく良いところ、たくさん連なっている青い垣根のような山に囲まれた大和は美しくりっぱなところである)

 

〔短歌〕

「山の霧 しばらくふれり 木原には

      雫の音の きこえそめつも」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「大仏の 冬日は山に 移りけり」星野立子

〔和歌〕

「日影さへ 今ひとしほを 染めてけり

        時雨のあとの みねのもみぢば」

          内大臣(徳大寺公清)・風雅685

「日光さえもが、今一染め紅を染めたことだよ。時雨の染めあげたあとの、山の紅葉葉を。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第五「奈良炎上」(ならえんしょう)の段、

「卯剋(うのこく、午前6時ごろ)に矢合して(やあはせ)して(戦闘を始める時、互いに開戦を通告する矢を敵味方から射出す。多くは鏑矢を用いた。)、一日戦ひくらす。夜に入(いり)て奈良坂・般若寺二ヶ所の城郭ともにやぶれぬ。落ち行く衆徒のなかに、坂四郎(さかのしろう)永覚(やうかく)といふ悪僧あり。打物(うちもの、刀)もッても、弓矢をとッても、力の強さも、七大寺・十五大寺(七大寺は東大寺以下の七寺、十五大寺は新薬師寺以下八寺を加える)に優れたり。もえぎ(萌葱、青と黄の中間色)威(おどし、縅、札を糸で綴ったもの)腹巻のうへに、黒糸威しの鎧(よろひ)を重ねてぞ着たりける。帽子甲(ぼうしかぶと、飾りのない鉢にくさり製のしころがついた略式のかぶと)に五枚甲(ごまいかぶと、帽子甲の上に被る五段下がりのしころが付いた正式の兜)の緒をしめて、左右の手には、茅の葉のようにそ(反)ッたる(ちがやという草の葉のように反り返った)白柄の大長刀(おおなぎなた)、黒漆(こくしつ)の大太刀(おおだち)もつままに、同宿(どうじゅく)十余人、前後に立ッて、てがい(碾磑、ウスをヒクの意。手貝、転害、手搔、景清門の呼び名がある)の門よりうッていでたり。これぞしばらくささへたる。おほくの官兵(くわんぺい)、馬の足な(薙)がれて討たれにけり。されども官軍は大勢にて、入れ替へいれかへ攻めければ、永覚が前後左右に防くところの同宿みな討たれぬ。永覚ただひとり猛けれど、うしろあらはになりければ(後方が無防備になったので)、南をさ(指)いて落ちぞ行く」

 (つづく)

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。

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2012年12月 3日 (月)

般若寺 水仙花だより     12・3

 

◎水仙: ≪つぼみ≫

・開花:12月中旬~2

・球根の数:1万~2万 

 

*昨日は最終回の「般若寺知恵光座」でした。しんしんと冷える御堂の外陣で2時間の講座、話をする方も聞く方もガタガタ震えながらのお勉強でした。少ないながらも熱心な受講者でやり甲斐のある企画ではありました。来年はもっと好い時期を選んでやろうと思います。昨日は主に『平家物語』の「奈良炎上」を解説しました。時間が足らなかったので舌足らずになってしまったと反省です。

 それにしても毎日寒いです。今朝の気温は2度、例年こんなもんでしょうか、今年は冬が早いのかも。

 

〔短歌〕

「峰ごしに 雲はしりしが 昼すぎて

木原に霧の おもくしふれり」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「大根を 煮つつそぞろに 冬はじめ」山口誓子

〔和歌〕

「心とめて 草木の色も ながめをかん

        面かげにだに 秋や残ると」

          前大納言為兼・玉葉832

「心をとどめて、草木の色をよくよく見ておこうよ。明日から冬になっても、せめて記憶の中のそれらの姿にだけでも秋が残ってくれるかもしれないと思って。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第五「奈良炎上」(ならえんしょう)の段、

「兼康五百余騎で南都へ発向す。〈相構(あひかまへ)て(十分注意して)、衆徒は狼藉をいたすとも、汝らはいたすべからず。物の具なせそ(甲冑を着けるな)。弓箭な帯しそ〉とてむけられたりけるに(兼康とその部下を差し向けたのだが)、大衆かかる内儀(内々の相談)をば知らず。兼康が余勢六十余人からめとって、一々にみな頸(くび)をきッて、猿沢の池のはたにぞ懸け並べたる。入道相国(清盛)大きにいかッて、〈さらば南都を攻めよや〉とて、大将軍には頭中将(とうのちゅうじょう、蔵人所の長官、近衛府の中将)重衡(しげひら、清盛の五男、従三位左近衛中将)、副将軍には中宮亮(ちゅうぐうのすけ、中宮職を司る役所の次官)通盛(みちもり、清盛の弟、教盛の長男)、都合四万余騎で、南都へ発向す。大衆も老少きらはず、七千余人、甲の緒を締め、奈良坂・般若寺二ヶ所、路を掘りきッて堀ほり、かいだて(搔楯、楯を並べて垣根のようにしたもの)かき、さかもぎ(逆茂木、とげのある枝を束ねて立て並べたもの)引いて待ちかけたり。平家は四万余騎を二手にわかッて、奈良坂・般若寺二ヶ所の城郭におしよせて、時をどッとつくる(鬨の声を上げる)。大衆は皆かち立ち打ち物也(徒歩で刀を持っている。打物は、剣に対して反りのある刀をいう。)官軍(平家軍)は馬にて駆けまはし駆けまはし(馬に乗って弓を用いる)、あそこここに追ッかけ追ッかけ、差し詰め引きつめさんざんにゐ(射)ければ、防くところの大衆、数をつく(尽)ゐて討たれにけり。」

 (つづく)

 

*会津八一『鹿鳴集』奈良愛惜の歌、

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今若草山の北麓、「中ノ川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ高い煙突から煙が吐き出されることになれば、世界の宝である古都の景観と文化財が破壊されます。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。

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2012年12月 2日 (日)

般若寺 水仙花だより     12・2

◎水仙: ≪つぼみ≫

開花:12月~2

球根の数:1万~2万 

 

*秋の終わりから曇り空や雨模様の寒い日が続ています。もう十二月ですからこれが普通でしょうか。今日の日曜日も少しだけお天気が良くなって夕方から下り坂だそうです。

 第三回目の「般若寺知恵光座」が午後二時からあります。最終回です。今日はボランティアの「美咲会」の活動日にもあたっており、勤行(おつとめ)解説を担当していた顕任君が美咲会のほうで一緒に作業することになりました。そのため代わって住職が勤めます。最終日なので参加者と共に読経を実修したいと思います。

 私の担当の「般若時の歴史と信仰」は、テレビドラマの「清盛」が「奈良炎上」に近づいてきたので、『平家物語』に出てくる「般若寺」を解説します。「奈良炎上」と「重衡被斬」(しげひらのきられ)の段です。そして焼き討ちで焼亡した後、鎌倉時代の復興期、その端緒となった十三重石塔の建立について、さまざまな謎を解説します。短い時間なのでどこまでお話しできるかわかりませんが。また来年も企画し今回の不十分なところを改善していきたいと思います。乞うご期待。

 

〔短歌〕

「径(みち)をきる 山のせせらぎ すみとほり

           くらき木原に ながれ入りたり」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「初冬の ともしび恋ふる 松林」広瀬直人

〔和歌〕

「あさぎりの はれゆくをちの 山本に

         紅葉まじれる 竹の一むら」

前大納言実明女・風雅680

「朝霧の晴れて行く、遠くの山の麓に、紅葉のまじった竹の一群が見えて来る。」

 

*『平家物語』を読む。

「奈良炎上」(ならえんしょう)の段、

「有官(うかん、公職に就いていて勧学院の別当に補せられたもの。藤原氏の氏寺・氏神の事務を司る。)の別当忠成を御使にくだされたりければ、〈しやのり物よりとッて引き落とせ(そいつを乗物からひきずりおろせ)。もとどり(髻)切れ。〉と騒動する間、忠成色を失なッて逃げ上る。つぎに右衛門佐親雅(うゑもんのすけちかまさ)を下さる。是をも〈もとどりきれ〉と大衆ひしめききれば、取るものもとりあへず逃げのぼる。其時は勧学院(藤原冬嗣が一族の子弟を教育するために建てた学校で、大学寮の南曹とされた)の雑色(下級役人)二人がもとどり切られにけり。又南都には大きなる球丁(ぎつちやう、毬杖が正。木製の毬を杖で打つ遊戯、正月の遊び)の玉をつくッて、これは平相国(へいしやうこく、清盛)のかうべ(頭)と名付けて、〈うて(打て)、ふめ(踏め)〉なンどぞ申しける。〈詞のも(漏)らしやすきは、わざはひ(災)をまねく媒(なかだち)なり。詞(正は事)のつつし(慎)まざるは、やぶ(敗)れを取る道なり。〉といへり。(『臣軌慎密章』に「言の洩れ易きは禍を召くの媒なり。事の慎まざるは敗を取るの道なり。」)

 この入道相国と申すは、かけまくもかたじけなく當今(とうぎん、安徳天皇)の外祖にておはします。それをかように申しける南都の大衆、凡そは天魔の所為とぞ見えたりける。

 入道相国かようの事ども伝へきき給ひて、いかでかよしとおもはるべき。かつがつ(さっそく)南都の狼藉をしづめんとて、備中国住人瀬尾太郎兼康(びっちゅうのくにのぢうにんせのおのたろうかねやす、平家の侍大将)、大和国の検非所(けんびしょ、地方に置かれた検非違使の役所)に補(ふ)せらる。」

 (つづく)

 

*会津八一の歌、

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」をいつまでも残しておきたいですね。

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2012年12月 1日 (土)

般若寺水仙花だより     12・1

◎水仙: ≪つぼみ≫

開花:12月~2

球根の数:1万~2万 

 

*昨日からパソコンの調子が悪く使えなくなり代用品でやっています。今までのデータが入っていないので文章を少し省略します。

 

〔短歌〕

「暁の 木原の下は しめらへり

はるか奥より せせらぎきこゆ」

木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「町を行く 人々に 十二月来し」串上青蓑

〔和歌〕

「うつろはで 庭のしら菊 のこらなん

秋のかたみと あすよりはみん」

今上御製(花園院)・玉葉830

「色が変わらないで、庭の白菊よ、残っていておくれ。せめて秋の形見と、冬立つ明日からは見ようよ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第五「五節之沙汰」(ごせつのさた)の段、

 昔将門の乱の討手として藤原忠文・清原滋藤が後から任命されたが、二人が到着しないうちに戦乱がおさまった。この二人には行賞がなかったので、忠文はそれを主張した藤原実頼をのろい、ために実頼の子孫は絶えたという。

 安徳天皇は福原の新しい内裏にお遷りになった。本来ならば御即位の大嘗会があるはずだが、福原には大極殿一つない。そこで新嘗祭と五節舞だけを旧都(京都)の神祇官で行った。

「都帰」(みやこがへり)の段、

 福原遷都があまり評判がよくないのでさすがの清盛も還都に同意した。しかし京都にはもう家がないので寺社の一部に住む人まであった。平氏の人々は各地に起こる源氏を取鎮めるために直ちに出征した。

「同十二月二十三日、近江源氏の背きしを攻めむとて、大将軍には左兵衛督知盛(さひょうゑのかみとももり)、薩摩守忠度(ただのり)、都合其勢二万余騎で近江国へ発向して、山本・柏木・錦古里なンどいふあぶれ源氏共、一々にみな攻め落し、やがて美濃・尾張へ越え給ふ。」

「奈良炎上」(ならえんしょう)の段、

「都には又〈高倉宮園城寺へ入御時(じゅぎょのとき)、南都の大衆同心して、あまッさへ御むかへにまいる条、これもッて朝敵なり。されば南都をも三井寺をも攻めらるべし〉といふ程こそありけれ、奈良の大衆おびただしく蜂起す。摂政殿(藤原基通、もとみち)より〈存知の旨あらば、いくたびも奏聞にこそ及ばめ(考えるところがあれば何度でも法皇さまに申し上げましょう)〉と仰せ下されけれども、一切(いっせつ)もちゐ(用)たてまつらず。」

 (つづく)

*会津八一の歌、

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 奈良市民はもっと奈良を大切にしなければ、全国の人に世界の人に申し訳ないと思います。

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