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2013年2月18日 (月)

般若寺 水仙花だより  2・18

2・18

 

◎水仙: ≪満開≫ 

・開花:2月~3月初旬

今が見ごろです。

雪が積れば花が倒れてしまいますので

それまでにお越しください。

・球根の数:1万~2万 

 

*雨。今日は観音菩薩の御縁日です。当寺には室町時代の作になる十一面観音菩薩(廃絶した超昇寺の脇仏だったそうです)と西国三十三カ所霊場石仏がまつられます。奈良には観音様が大勢いらっしゃいます。奈良で有名な観音様と言えば、南円堂、二月堂、大安寺、法華寺、不退寺、海龍王寺、などなどですが、意外と無名なのが西大寺の長谷式十一面観音です。平安時代の作で、何しろ大きくてお堂が狭く感じられます。足元には脇仏のように創建当時の金銅製四天王像を従えておられます。四天王は後世の修復ですが邪鬼は奈良時代のままで圧巻です。

会津八一さんの歌が残ります。

「まがつみは いまのうつつに ありこせど

         ふみしほとけの ゆくへしらずも」

(南京新唱・西大寺の四王堂にて)

 

〔短歌〕

「吾嬬(あづま)はも はぐれぬやうに よりそへり

        宵宮(よみや)詣の 人出のなかに」

           木下利玄・一路

〔俳句〕

「みんなみの 絵手紙水仙 香り立つ」芦川まり

〔和歌〕

「春山の さきののすぐろ かき分けて

       つめるわかなに あは雪ぞふる」

         藤原基俊・風雅14

「春山の麓の野の、野焼きの焦げあとをかきわけて摘み集めた若菜に、春の淡い雪が降るよ。」

さきののすぐろ=「さきの」は「山崎の野」か。「すぐろ(末黒)」は早春、野の草を焼いた跡の黒く焦げていること。またその部分。

・参考:「春山の さきのををりに 若菜摘む

      妹が白紐 見らくしよしも」(万葉集1421、尾張連)

 

*『平家物語』を読む。

「一二之懸」(いちにのかけ)の段、

「〈保元・平治両度の合戦に先がけたりし武蔵国住人、平山武者所季重〉となのッて、旗さしと二騎馬のはなをならべておめいて駈く。熊谷かくれば平山つづき、平山かくれば熊谷つづく。たがひにわれをと(劣)らじといれかへいれかへ、もみにもうで、火いづる程ぞ責めたりける。平家の侍共手いたうかけられて(手きびしく攻め込まれて)、かなはじとや思ひけん、城のうちへざッと引き、敵をとざまにないてぞ(敵が城外になるようにして)防ぎける。熊谷は馬のふと腹ゐさせて、はぬれば足をこ(越)いており立ちたり(片足を馬の背を越させて、地上に飛び下りて立った)。子息の小太郎直家も、〈生年十六歳〉となのッて、かいだてのきはに馬の鼻をつかする程に、責め寄せてたたかいけるが、弓手のかいなをゐさせて馬よりとびおり、父とならンでたッたりけり。〈いかに小次郎、手おふたか〉。〈さン候〉。〈つねに鎧づきせよ(よろいを揺り上げて、よろいの札[さね]と札の間にすき間がないようにすること。)、うらかかすな(札のすき間からよろいの裏に矢を通させるな)。しころをかたぶけよ、うちかぶとゐさすな(しころを下げてよろいに密着させよ。かぶとの内側を射られるな)〉とぞおしへける。熊谷は鎧にたッたる矢共かなぐり捨てて、城のうちをにらまへ、、大音声をあげて、〈こぞの冬の鎌倉をいでしより、いのちをば兵衛佐(ひょうえのすけ、頼朝)殿にたてまつり、かばねをば一谷でさらさんとおもひきつたる(覚悟を決めた)直実ぞや。[室山・水嶋・二ヶ度の合戦に高名したり]となのる越中次郎兵衛はないか、上総五郎兵衛、悪七兵衛はないか、能登殿はましまさぬか。高名も敵によッてこそすれ。人ごとにあふてはえせじものを。直実におちあへやおちあへや(高名を立てるのも戦った相手によるものです。誰にでも向かっていては高名は立てられませんよ。[だから自分のような名のある武士に向かって来いと、相手に挑戦をいどむことばである])〉とののしッたり。是をきいて、越中次郎兵衛、このむ装束なれば、こむらご(紺村濃、白地に所々を紺色にむらに染めたもの)の直垂にあか皮おどしの鎧きて、白葦毛なるうまにのり、熊谷にめをかけてあゆませよる。熊谷おや子は。中をわられじと(二人の間を隔てられまいと)立ちならんで、太刀をひたひにあて、うしろへはひとひきもひかず、いよいよまへへぞすすみける。越中次郎兵衛かなはじとやおもひけん、とッてかへす。熊谷是をみて、〈いかに、あれは越中次郎兵衛とこそ見れ。敵にはどこをきらはふぞ(敵として私のどこが気に入りませんか)。直実におしならべてくめやくめ〉といひけれども、〈さもさうず(まっぴらまっぴら)〉とてひッかへす。悪七兵衛是を見て、〈きたない殿原のふるまいやうかな(あなたの行動はひきょうですよ)〉とて、すでにくまむとかけ出でけるを(直実に組もうと思って進み出たのを)、鎧の袖をひかへて(越中次郎は悪七兵衛の袖をつかんで)〈君の御大事これにかぎるまじ(御主君[能登殿]にとってこの戦だけが大事なのではないでしょう)。あるべうもなし([こんな所で死ぬなんて]もっての外です)〉と制せられてくまざりけり。其後熊谷はのりかへ(代わりの馬)にのッておめいてかく。平山も熊谷親子がたたかふまぎれに、馬のいきやすめて、、是も又つづいたり。平家の方には馬にのッたる武者は少なし、矢倉のうへの兵共、矢さきをそろへて、雨のふる様にゐけれども、敵は少なし、味方はおほし、勢にまぎれてやにもあたらず(味方の軍勢の中に、直実らの姿が見失われて、かれらは矢にも当たらない。)、〈ただおしならべてくめやくめ〉と下知しけれ共(矢倉の上から命令をしたが)、平家の馬はのる事はしげく、かう事はまれなり(乗ることばかり多くて、食物を与える機会が少なかった)、船には久しう立てたり、よりきッたる様なりけり(疲れ切っている様子である)。熊谷・平山が馬は、飼いにかうたる大の馬共なり、ひとあてあてば、みなけたおされぬべき間(一度ぶつけられようものなら、こちらは皆蹴倒されそうなので)、おしならべてくむ武者一騎もなかりけり。平山は身にかへて思ひける(我が身にかえてまでもと大事にしていた)旗さしをゐさせて、敵の中へわッていり、やがて其敵をとッてぞ出でたりける(ただちにその旗差を射た敵の首を取って出てきた)。熊谷も分捕りあまたしたりけり。熊谷さきによせたれど、木戸をひらかねばかけいらず、平山後に寄せたれど、木戸をあけたればかけ入りぬ。さてこそ熊谷・平山が一二のかけをばあらそひけれ。」

 (この段終わり)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集より、奈良愛惜の歌。

『山光集』

〈大仏讃歌 昭和十八年三月〉

「あめつちを しらすみほとけ とこしへに

         さかえむくにと しきませるかも」

『鹿鳴集』

〈南京新唱 奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈同 東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈同 東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な古都の風景と文化財が破壊されます。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。

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