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2013年2月26日 (火)

般若寺 水仙花だより  2・26

 

◎水仙: ≪満開≫ 

・開花:2月~3月初旬

今が見ごろです。

春雪が積れば花が倒れてしまいますので

お早目のお越しをおすすめします。

・球根の数:1万~2万 

 

*けさは晴れ、今日から寒さも少し緩むそうです。

平家物語は人の世の栄枯盛衰、有為転変をテーマとしています。中でも後半は滅びゆく平家を主題とし、平家の公達への哀感がただよいます。栄える勝者よりも滅びゆく敗者の方に心惹かれ美を見出してしまいます。これこそ人情なのでしょう。どの公達も永遠の貴公子です。文武両道に精いっぱい生きたいきざまはすばらしいです。

 

〔短歌〕

「山の木々 沼尻(ぬじり)の木々も 冬らしく

        くもれる空の 底に並(な)み立つ」

          木下利玄・銀

〔俳句〕

「水仙の 芯の昏さへ 海鳴す」青砥真貴子

〔和歌〕

「しづみはつる 入日のきはに あらはれぬ

          かすめる山の 猶おくの峯」

            前大納言為兼・風雅27

「沈み切ろうとする入日の、その最後の逆光の中にくっきりとあらわれたよ。霞みこめた山のなお奥にあって、今まで見えなかった髙峯の姿が。」

・参考:「のどかなる 入日のきはに 遠つ山

     春のながめの あはれとぞみる」(兼行集)

・評(岩佐美代子):おだやかに暮れゆく春霞の中、逆光に突如姿をあらわした高山のシルエットは、自然のエネルギーの力強さ、その刻々の変容が示す意外性を見事に表現している。このような景に着目し、描破しえた歌人は古来稀であろう。

 

*『平家物語』を読む。

「忠度最期」の段、

「二刀は鎧の上なればとをらず、一刀はうち甲へつき入れられたれ共、うす手なれば死なざりけるをとッておさへて、頸をかかんとし給ふところに、六野太がわらわをくればせに馳せ来たッて、打刀(敵を指す小刀に対して、つばをつけた長い刀で、相手を切る場合に用いる)を抜き、薩摩守の右のかいなを、ひじのもとよりふつと斬り落とす。今はかうとや思われけん、〈しばしのけ、十念(南無阿弥陀仏と十遍唱えること)となへん〉とて、六野太をつかうで弓(ゆん)だけばかり(弓の長さぐらい。弓の長さは七尺五寸。弦を張らない弓で土地の長さを計ることが武士の間で行われていた)投げのけられたり。其後西にむかひ、高声に十念となへ、〈光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨〉

(『観無量寿経』にある句。仏の光明は遍く十方世界を照らし、念仏を唱える衆生を救い取ってお捨てにならないという意)との給ひもはてねば(言い終わられるやいなや)、六野太うしろよりよッて薩摩守の頸をうつ。よい(身分のよい)大将軍うッたりと思ひけれ共、名をば誰とも知らざりけるに、ゑびら(箙)にむすびつけられたるふみをといて見れば、『旅宿花』(りょしゅくのはな)と云ふ題にて、一首のうたをぞよまれたる。

〈行きくれて 木(こ)の下かげを やどとせば

花やこよひの あるじならまし〉

(旅に出て日が暮れたので、桜の木の下を今夜のやどりとするならば、桜の花が主人となって風雅なもてなしをしてくれるだろう。)

忠度と書かれたりけるにこそ([忠度]と書いてあったので初めて)、薩摩守とは知りてンげれ。太刀の先につらぬき、高くさし上げ、大音声をあげて、〈此の日来(ひごろ)平家の御方(おんかた)にきこえさせ給ひつる薩摩守殿をば、岡辺六野太忠純がうちたてまッたるぞや〉と名のりければ、敵も味方も是をきいて、〈あないとおし(ああお気の毒だ)、武芸にも歌道にも達者にておはしつる人を、あッたら大将軍を〉とて、涙をながし袖をぬらさぬはなかりけり。」

 (この段終わり)

・巻第七の「忠度都落」では忠度は和歌の師、藤原俊成に百余首書き集めたる巻物を託しました。俊成は後白河法皇の院宣により勅撰『千載和歌集』を撰集します。その中に忠度の歌一首を入れますが、勅勘のため「読人しらず」となっています。

〈故郷花といへる心をよみ侍りける〉

 「さざ浪や 志賀の都は 荒れにしを

昔ながらの 山桜かな」(千載集66

(志賀の都は荒れ果ててしまったが、昔ながらの長等[ながら]山の桜は今年も咲いていることだ。)

変らない自然と人間界の無常を対比して詠まれた歌。これは『万葉集』の柿本人麻呂が壬申の乱で荒廃した大津京をしのび、栄花の後滅んで行った人々への鎮魂歌として詠んだ長歌『近江荒都を過ぐるときの歌』を本歌取りしている。俊成がこの歌を選んだのは、源平争乱で滅んでいった平家への鎮魂の意味を込めているのだろう。

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈鐘楼 昭和十八年三月〉

 三月十四日二三子とともに東大寺に詣づ客殿の廊下より望めば焼きて日なほ浅き嫩草山の根わづかに青みそめ陽光やうやく熙々たらむとすれども梢をわたる野風なほ襟に冷かにしてかの洪鐘の声また聞くべからずことに寂寞の感ありよりて鐘楼に到り頭上にかかれる撞木を撫しつつこの歌を作る

「あさにけに つくべきかねに こもりたる

         とほきひびきを きかざるなゆめ」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。        最近の奈良市長の発言によれば、第二候補地(東鳴川)を選定しようとしているようですが、ここは浄瑠璃寺まで数百メートルの直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な古寺の風景と文化財が破壊されます。これは最悪の無謀な選択です。市長は撤回すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

日本のふるさと、国のまほろばを失えば日本人は亡国の民となってしまいます。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。奈良市当局へ抗議の声を届けてください。今なら間に合います。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。

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