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2013年2月20日 (水)

般若寺 水仙花だより  2・20

 

◎水仙: ≪満開≫ 

・開花:2月~3月初旬

今が見ごろです。

雪が積れば花が倒れてしまいますので

それまでにお越しください。

・球根の数:1万~2万 

 

*寒のもどりか、毎日真冬のような寒さがつづきます。雪もよく降ります。咲きはじめた白梅もまた縮かんでしまったようです。

「淡雪の つもるつもりや 砂の上」久保田万太郎

「世を恋うて 人を恐るる 余寒かな」村上鬼城

 

〔短歌〕

「雨後(あめのち)の 宵宮(よみや)の灯(あかり) 

  みちわるに 粘(ねば)む土さへ にくからなくに」

         木下利玄・一路

〔俳句〕

「香をほどき 初むは夜明の 野水仙」稲畑汀子

〔和歌〕

「春くれば 雪げのさはに 袖たれて

        まだうらわかき わかなをぞつむ」

          崇徳院御製・風雅17

「春が来ると、雪の消えて水のまさった沢に袖を垂れて、まだ本当に瑞々しい若菜を摘むよ。」

・雪げ=雪消。ゆきどけ。

・うらわかき=末(うら)(草木の先端)が若々しく未熟な。

・参考:「春日野の 雪げの沢に 袖ぬれて

     君がためにと 小芹をぞつむ」(仲実・堀川百首71

 

*『平家物語』を読む。

「二度之懸」の段、

「 其時下人(河原兄弟の下人)共、〈河原殿おととい、只今城の内へまッ先駈けてうたれ給ひぬるぞや〉と呼ばはり(大声で叫ぶ)ければ、梶原是をきき、〈私の党(篠党とも書く)の殿原の不覚でこそ、河原兄弟をばうたせたれ。今は時よく成りぬ。よせよや〉とて、時をどッとつくる。やがてつづいて五万余騎一度に時をぞつくりける。足がる(徒歩の兵士)共に逆茂木取りのけさせ、梶原五百余騎おめいてかく。次男平次景高、余りに先を駈けんと進みければ、父の平三使者を立てて、〈後陣の勢のつづかざらんに、先駈けたらん者は、懸賞あるまじき(論功行賞に浴せまい)由、大将軍(範頼)のおほせぞ〉といひければ、平次しばしひかへて(馬をとどめて)

〈もののふのとりつたへたるあづさ弓ひいては人のかへるものかは(武士が先祖から伝えた梓弓が引かれた以上はもう帰って来ないのと同様に、私も一旦進んだ以上、引き返すことができるだろうか)と申させ給へ(後方の父に言ってください)〉とて、おめいてかく。〈平次うたすな、つづけやもの共、景高うたすな、つづけや者共〉とて、父の平三、兄の源太、同三郎つづいたり。梶原五百余騎、大勢の中へかけ入り、散々に戦ひ、わづかに五十騎ばかりにうちなされ、ざッと退いてぞ出でたりける(城内から出て来た)。いかがしたりけん、其なかに景季は見えざりけり。〈いかに源太は、郎等共〉ととひければ、〈深入りしてうたれさせ給ひて候ごさンめれ(お討たれになったようです)〉と申す。梶原平三これをきき、〈世にあらむ(この世に生き長らえる)と思ふも子共がため、源太うたせて命いきても何かせん、かへせや〉とてとッてかへす。梶原大音声をあげて名のりけるは、〈昔八幡殿、後三年の御戦い(白河天皇の時、陸奥の清原武衡・家衡の起こした戦乱。奥州後三年記に記す)に、出羽国千福金沢の城(千福は仙北。金沢城は秋田県仙北郡仙南町にあった城)を攻めさせ給ひける時、生年十六歳でまッ先かけ、弓手の眼を甲の鉢付の板(かぶとのしころの一枚目の板。)にゐつけられながら(目を突き抜いた矢が鉢付板まで通ったのである)、当の矢(答の矢が正しい、返しの矢)をゐて其敵をゐおとし、後代に名をあげたりし鎌倉権五郎影正が末葉、梶原平三景時、一人当千の兵ぞや。我と思はん人々は、景時うッて見参にいれよや(平家の大将の御覧に入れよ)〉とて、おめいてかく。新中納言〈梶原は東国に聞えたる兵ぞ。あますな、もらすな、うてや〉とて、大勢の中にとりこめて責め給へば、梶原まづ我が身のうへをば知らずして(第一に我が身の危険を顧みるということをしないで)、〈源太はいづくにあるやらん〉とて、数万騎の大勢の中を、たてさま・よこさま・蜘手・十文字にかけわりかけまはりたづぬるほどに、源太はのけ甲にたたかいなッて、馬をもゐさせ、かち立ちになり、二丈ばかり有ける岸をうしろに当て(がけを背にして)、敵五人が中に取り籠められ、郎党二人左右に立てて、面もふらず、命も惜しまず、ここを最後とふせきたたかふ。梶原これを見つけて、〈いまだうたれざりけり〉と、いそぎ馬よりとんでおり、〈景時ここにあり。いかに源太、死ぬるとも敵にうしろを見すな〉とて、親子して五人のかたきを三人うッとり、二人に手おほせ、〈弓矢とりはかくるもひくも(進も退くもその場の状況によるのだ)折にこそよれ、いざうれ(さあお前)、源太〉とて、かい具してこそ出できたれ(ひきかかえて城外に出た)。梶原が二度のかけとは是也。」

 (この段終わり)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集より、奈良愛惜の歌。

『山光集』

〈大仏讃歌 昭和十八年三月〉

「いくとせの ひとのちからを ささげこし

         おほきほとけは あふぐべきかな」

『鹿鳴集』

〈南京新唱 奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈同 東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈同 東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な古都の風景と文化財が破壊されます。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。

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