般若寺 水仙花だより 2・11
◎水仙: ≪見ごろ:八分咲き≫
・開花:2月~3月上旬
寒さのため開花が遅れました。
今が見ごろです。
・球根の数:1万~2万
*今日は当寺の近くで「奈良市民マラソン大会」があります。周辺の道路は交通規制がありますのでご注意ねがいます。発着は鴻ノ池陸上競技場で「なら山大通り」を往復する5キロのコースです。9時10分スタートで10時ごろまでの予定だそうです。今は全国的にマラソン大会が盛んで毎週どこかでやっています。なら山のコースは短いですが、起伏に富んでいるから結構きつい走りだと思います。いにしえの平城山を東西に行き来することになります。子どもから高齢者まで何千人と走られるようですからさぞや壮観な景色になるでしょう。皆さん頑張ってください。
〔短歌〕
「胴体を 波に深くしずめ 軍艦の
取りつくしまもなく 横たはりゐる」
木下利玄・一路
〔俳句〕
「まつすぐな 葉の囲み咲く 水仙花」宮本道子
〔和歌〕
「世ははやも 春にしあれや 足曳の
山べのどけみ 霞たなびく」
新院御製(後伏見院)・玉葉8
「世間は早くもすっかり春なのだなあ。山のあたりをいかにものどかに感じさせるように、霞がたなびいている。」
*『平家物語』を読む。
「三草勢揃」の段、
「 さるほどに、小松の三位中将維盛卿は年へだたり日かさなるに隨ひて、ふるさとにとどめおき給ひし北方、おさなき人々の事をのみなげきかなしみ給ひけり。商人のたよりに、をのづから文なンどのかよふにも、北方の宮この御ありさま、心ぐるしうきき給ふに、さらばむかへとッて一ところでいかにもならばやとは思へども、わが身こそあらめ、人のためいたはしくてなンどおぼしめし、しのびてあかしくらし給ふにこそ、せめての心ざしのふかさの程もあらはれけれ。(じっとがまんして明かし暮らしておられるのには、かえって切ない御愛情の深い有様が表面に現れて、人にもそれと分かるのであった。)
さる程に、源氏は四日よ(寄)すべかりしが、故入道相国の忌日と聞いて、仏事をとげさせんがためによせず。五日は西ふさがり、六日は道忌日(だうきにち、正しくは道虚日[どうこにち]。陰陽道で外出を嫌う日、毎月一日・六日・十二日・十八日・二十四日・晦日がそれである。)、七日の卯剋に、一の谷の東西の木戸口にて源平矢合とこそさだめけれ。さりながらも、四日は吉日なればとて、大手搦手の大将軍、軍兵二手にわかッて都をたつ。大手の大将軍は蒲御曹司範頼、相伴なふ人々、武田太郎信義・・・・・・・、侍大将には梶原平三景時・嫡子源太景季・・・・・・・・、都合其勢五万余騎、四日の辰の一点に都をたッて、其日申酉の剋に摂津国昆陽野(今の兵庫県伊丹市付近)に陣をとる。搦手の大将軍は九郎御曹司義経、同じく伴ふ人々、安田三郎義貞・大内太郎維義・・・、侍大将には土肥次郎実平・子息弥太郎遠平・・・・・・・熊谷次郎直実・・・・・武蔵坊弁慶を先として、都合其勢一万余騎、同日(おなじひ)の同時(おなじとき)に都をたッて丹波路にかかり、二日路を一日にうッて(馬で進み)、播磨と丹波のさかひなる三草(みくさ)の山(兵庫県の多紀郡と加東郡との境にある山)の東(ひんがし)の山口に、小野原(今、兵庫県多紀郡今田[こんだ]村に属す)にこそつきにけれ。」
(この段終わり)
*秋艸道人、会津八一先生の歌集より、奈良愛惜の歌。
『山光集』
〈歌碑 昭和十七年四月〉
「かきもとの これのいしぶみ たまたまに
あひしるひとの みつつしぬばむ」
『鹿鳴集』
〈東京にかへるとて〉
「あをによし ならやまこへて さかるとも
ゆめにしみえこ わかくさのやま」
〈東京にかへりて後に〉
「ならやまを さかりしひより あさにけに
みてらみほとけ おもかげにたつ」
「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。
*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な古都の風景と文化財が破壊されます。
悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。
「やまとは 国のまほろば たたなづく
青垣やまごもれる やまとしうるはし」
日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記
この問題を詳しく知りたい方は、
ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。
| 固定リンク
コメント