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2013年5月

2013年5月31日 (金)

般若寺 季節の花だより 5・31

 

《いま咲いている花》

○初夏咲コスモス:≪五分咲き≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、90㎝ほどになっています。花が咲きそろう頃には1mをこえ人の背丈ほどの高さになります。秋に比べて花数は少ないですが花は大きく葉は青々しています。

 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなど種類も多種多彩です。

 

・花菱草、矢車草:≪満開≫ 黄色と青色が調和しています。

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫夏らしい花です。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪五分咲き≫小さな手毬花、額花が色づいています。

・アジサイ:≪つぼみ≫6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」55

 笠置寺城:

『太平記』巻第三 「六波羅勢笠置を責むる事」

〈 これをこそ珍事と騒ぐところに、同じき十三日備後国より早馬打たせて、「桜山四郎入道(備後国一宮の吉備津神社の神主であろうとされる備後の名族)、同じき一族錦の御旌を挙げ、当国一宮を城郭として立て籠もる間、近国の逆徒馳せ加わって、その勢七百余騎国中を打ち靡かし、あまつさへ他国へ打ち超えんと企て候ひける。夜を日に継いで討手を下されずば、御大事に及ぶべし。御油断あるべからず」とぞ告げたりける。

 前には笠置の城強くして、国々の大勢(たいぜい)日夜責むれどもいまだ落ちず、後(うしろ)には楠木・桜山の逆徒等大いに起って、使者日に急を告げ、南蛮北狄(南蛮は河内の楠木、北狄は北国の反北条勢力をさす)すでに乱れたり。東夷西戎(東夷は東国の反北条勢力、西戎は備後の桜山氏をいうか)もいかがあらんずらんと、六波羅の北方駿河守範貞(元弘元年の探題は南方北条時益、北方北条仲時であり、当時範貞は探題でない)、安き心もなかりけり。〉

(この段終わり)

 

*「携帯基地局と電磁波問題」

《 「電磁波の危険」を考える市民の集い 》

 全国各地で携帯電話基地局の設置があいついでいます。それにともなって周辺住民の皆さんに、多くの健康障害が発生していると言われています。真相はどうなのか。ご一緒に考える機会になれば幸いです。

○お話しする人:「電磁波・環境関西の会」代表 泉 泰通 氏(奈良市西登美ヶ丘在住)

○とき:67日(金)午後2時~4時頃まで

○ところ:奈良若草公民館

・主催:(仮称)「電磁波の危険」から健康被害を守る奈良の会 準備会

・問い合わせ先:0742-22-6387(般若寺)

 

〔短歌〕

「せせらぎの こぼこぼこもる 落窪を

         たわみおほへる 木いちごの花」

           木下利玄・一路

〔俳句〕

「紫陽花や 白より出でし 浅みどり」渡辺水巴

〔和歌〕

「さなへとる たのもの水の あさみどり

         すずしき色に 山かぜぞ吹く」

           前参議忠定・玉葉353

「早苗を取り植える、田の表面に張った水は浅く、そこに早苗の浅緑の葉がなびいて、いかにも涼しげな色に見えるように、山風が吹いている。」

・あさみどり=水の浅い事に、早苗の色の「浅緑」をかける。

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「遠矢」(とほや)の段、

「 戦いは遠矢の応酬から始まり、一時は源氏が劣勢だった。しかし、源氏の勝利を予言する種々の奇蹟が現じて平家の士気は衰え、四国九州の平氏はみな源氏に寝返った。平家は退くところを失った。」

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈山田寺の址にて〉

「やまでらの さむきくりやの ともしびに

         ゆげたちしらむ いものかゆかな」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。ごみ工場移転を推進した人達は歴史に悪名を残すことになります。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

*「泉川 いくみかの原 過ぎぬとも

       夏は思はぬ 衣かせ山」

『最勝四天王院障子和歌』262の慈円大僧正の歌です。

前に紹介した古今集の歌、

「都出でて今日みかの原泉川 川風寒し衣かせ山」をふまえています。

本歌は寒い季節で衣服を貸してほしい、重ねたいというのに対し、夏の季節はみかの原(三日)を幾日経ようとも衣を貸してほしいとは思いませんよ、鹿背山よ。作者の慈円は関白の藤原忠通の子息で天台座主を四度務めた高僧。歌人として有名ですが歴史書『愚管抄』を書いた学僧でもある。

 後鳥羽上皇や慈円僧正のような当代きっての教養人が愛した泉川、瓶の原、鹿背山。

木津市長さん、ごみ焼却場建設で日本民族の宝、文化遺産を壊さないでください。鹿背山破壊は貴市が進めている恭仁京保存と矛盾しませんか。

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2013年5月30日 (木)

般若寺 季節の花だより 5・30

 

《いま咲いている花》

○初夏咲コスモス:≪五分咲き≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、70㎝ほどになっています。花が咲きそろう頃には1mをこえる高さになります。秋に比べて花数は少ないですが花は大きく葉は青々しています。

 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、など種類も多種多彩です。

 

・スイカズラ:≪満開≫ 白と黄色の甘い香りのする花です。

・花菱草、矢車草:≪満開≫ 黄色と青色が調和しています。

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫初夏らしい花です。

○山アジサイ:≪五分咲き≫小さな手毬花、額花が色づいています。

・アジサイ:≪つぼみ≫6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」54.

 笠置寺城:本性房の活躍

『太平記』巻第三 「六波羅勢笠置を責むる事」

〈 かくて十余日経ける程に、同じき十一日河内国より早馬を打つて、「楠木兵衛正成といふ者、主上に憑(たの)まれ進(まゐ)らせて旌(はた)を挙ぐる間、志ある物は同心し、志なき物は東西に逃げ隠れ、やがて国中の民屋(みんをく)を追捕して己が館の上なる赤坂城に城郭を構へ、兵粮手の定(手の及ぶだけ、力のありったけの意)運び入れて、官軍五百余騎立て籠る。御退治延引あらば、事難儀に及び候ふべし。急ぎ御勢を向けらるべし。」とぞ申しける。

(こうして十数日が過ぎたころ、同じ月の十一日に河内国から早馬の使者が六波羅に現れ、「楠木兵衛正成という者が、帝から頼まれなさって旗揚げをしたので、志ある者は味方になり、志のない者は東西に逃げ隠れし、楠木はすぐに河内の国中の民家を没収して、自分の館の上にある赤坂山に城郭を構え、兵糧を手の及ぶ限り運び入れて、官軍五百余騎が立て籠もっております。御討伐が遅くなりますと、厄介なことになりましょう。急いでご軍勢をさし向けられますよう」と言上した。) 〉(つづく)

 

*「携帯基地局と電磁波問題」55

《 「電磁波の危険」を考える市民の集い 》

 全国各地で携帯電話基地局の設置があいついでいます。それにともなって周辺住民の皆さんに、多くの健康障害が発生していると言われています。真相はどうなのか。ご一緒に考える機会になれば幸いです。

○お話しする人:「電磁波・環境関西の会」代表 泉 泰通 氏(奈良市西登美ヶ丘在住)

○とき:67日(金)午後2時~4時頃まで

○ところ:奈良若草公民館

・主催:(仮称)「電磁波の危険」から健康被害を守る奈良の会 準備会

・問い合わせ先:0742-22-6387(般若寺)

 

〔短歌〕

「日かげれば 若葉はくもり この見ゆる

         景色の気持ち とみにしかはりつ」

           木下利玄・一路

〔俳句〕

「額咲くや 渓とて岩の 苔衣」尾崎迷堂

〔和歌〕

「あやめふく かやが軒ばに 風過ぎて

         しどろにおつる むらさめの露」

           後鳥羽院御製・玉葉345

「五月の節句のために菖蒲の葺いてある、茅葺の貧しい小家の軒端に風が吹き過ぎて、急に乱れてしたたり落ちる、たまっていた五月雨の雫よ。」

・しどろに=秩序なく乱れて。

・詞書:百首御歌の中に=遠島百首。承久の乱で配流された後鳥羽院が隠岐で詠んだ百首。

 

*『平家物語』を読む。

巻十一 「鶏合壇浦合戦」(とりあはせだんのうらかっせん)の段、

「 義経は周防に渡り範頼の軍に合した。熊野の湛増、伊予の河野通信も源氏の味方になった。源平が矢合せする日になって、義経と梶原との間に血闘が起こりかけたが、人々がやっとおしとどめた。」

「 源平の舟は接近した。源氏は舟の数こそ多いが、海戦を得意とする平家に押され気味である。」

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈山田寺の址にて〉

「くさふめば くさにかくるる いしずゑの

         くつのはくしやに ひびくさびしさ」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。山上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心が癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

*「泉川 いくみかの原 過ぎぬとも

       夏は思はぬ 衣かせ山」

『最勝四天王院障子和歌』262の慈円大僧正の歌です。

前に紹介した古今集の歌、

「都出でて今日みかの原泉川 川風寒し衣かせ山」をふまえています。

本歌は寒い季節で衣服を貸してほしい、重ねたいというのに対し、夏の季節はみかの原(三日)を幾日経ようとも衣を貸してほしいとは思いませんよ、鹿背山よ。作者の慈円は関白の藤原忠通の子息で天台座主を四度務めた高僧。歌人として有名ですが歴史書『愚管抄』を書いた学僧でもある。

 後鳥羽上皇や慈円僧正のような当代きっての教養人が愛した泉川、瓶の原、鹿背山を壊さないで。

 

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2013年5月29日 (水)

般若寺 季節の花だより 5・29

 

《いま咲いている花》

○初夏咲コスモス:≪三分咲き≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、70㎝ほどになっています。花が咲きそろう頃には1mをこえる高さになります。秋に比べて花数は少ないですが花は大きく葉は青々しています。

 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、など種類も多種多彩です。

○春咲コスモス:≪盛りを過ぎました≫ 千本程。   

・スイカズラ:≪満開≫ 白と黄色の甘い香りのする花です。

・花菱草、矢車草:≪満開≫ 黄色と青色が調和しています。

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫初夏らしい花です。

○山アジサイ:≪五分咲き≫小さな手毬花、額花が色づいています。

・アジサイ:≪つぼみ≫6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」53

吉野郡川上村の後南朝御聖蹟をご紹介します。まず奈良から川上村へは、桜井経由で行くのが分かりやすいです。私は高円山から田原をへて名阪国道の針インターを越え榛原大宇陀へ出ました。山道ですが空いています。370号線から吉野町169線へ入り、大滝ダムの堰堤をこえれば川上村役場です。役場のならびに道の駅「杉の湯川上」と湯盛温泉「ホテル杉の湯」という施設があります。そこから少し行くと真新しいモダンな建物が二つ並んでいます。一つは「森と水の源流館」という展示施設です。川上は吉野川の川上、源流地です。奈良県と和歌山県の水道水はここから生まれています。もう一つは「川上総合センターやまぶきホール」です。ここの二階に教育委員会があり、応接室へお邪魔しました。中でお待ちいただいたのは、川上村教育長の弓場さんと村会議員の塩谷さんです。先日の南朝顕彰碑建碑式の時お越しいただく予定だった方が都合悪く欠席されたので、記念の資料集などをお届けしたかったのです。弓場さんも塩谷さんも後南朝の末裔で南帝の御廟のあるお寺、金剛寺での「朝拝式」を守っておられる家柄だそうです。川上村は昔に比べ人口が減少しています。伊勢湾台風で大被害が出たのとダムに水没した村落の人たちが村を離れられたそうです。七千人あった人口が二千人足らずになっています。お聞きすると、「朝拝式」も三カ所であったのを一カ所に合同しておられるとか、神社も山奥に散在していたのを合祀されたとか、いろいろ変遷があるようです。私が初めて知ったのは、ここには大塔宮ゆかりの「大塔神社」があるそうです。この日は聖蹟はどこも行けなかったので日を改めて巡拝したいと思います。頂いた「哀しくもロマンあふれる後南朝」というパンフレットによると、「後南朝の歴史を訪ねて」として各所の由緒説明が詳しく載っています。

○神之谷(こうのたに):金剛寺、河野御所跡、朝拝式、自天王の御遺品。

○神之谷(こうのたに):自天親王神社。

○三之公(さんのこう):カクシ平(行宮跡)。

○東川(うのかわ):住吉神社。

○北塩谷(きたしおたに):大西助五郎の碑。

○寺尾(てらお):御首載(のせ)石。

○高原(たかはら)南帝王の森。

○伯母谷(おばたに):橘将監(たちばなしょうげん)の墓。

川上村は山また山の山国です。西に大峰山、最高峰は大普賢岳(1780m)。南に大台ケ原、経ヶ峰(1529m)。東は三重県大台町の台高山脈と、紀伊半島の屋根に当たる地域です。今から六百年近く前、高貴なお方が山暮らしに耐え南朝の復権を願って住まわれた地、そして御子孫の方々が今も誇りをもって由緒を受け継いでおられることに心から敬意を払いたいと思いました。

 みなさま一度川上村を訪ねて下さい。夏場はキャンプ、釣り堀、バーベキュー、川遊びなどができるそうです。涼しいですよ。

秋には紅葉の中を御聖蹟めぐりはいかがですか。

案内パンフを般若寺へ送っていただけるようです。届いたらお知らせします。

 

*「携帯基地局と電磁波問題」54

今度こういう講演と意見交換の会合があります。

『「電磁波の危険」を考える市民の集い』

 全国各地で携帯電話基地局の設置があいついでいます。それにともなって周辺住民の皆さんに、多くの健康障害が発生していると言われています。真相はどうなのか。ご一緒に考える機会になれば幸いです。

○お話しする人:「電磁波・環境関西の会」代表 泉 泰通 氏(奈良市西登美ヶ丘在住)

○とき:67日(金)午後2時~4時頃まで

○ところ:奈良若草公民館

・主催:(仮称)「電磁波の危険」から健康被害を守る奈良の会 準備会

・問い合わせ先:0742-22-6387(般若寺)

 

〔短歌〕

「ゆきめぐる 楢若葉山 下草に

        洩れ日ちらちら 揺れさだまらぬ」

          木下利玄・一路

〔俳句〕

「紫の さまで濃からず 花菖蒲」久保田万太郎

〔和歌〕

「みわ河の 水せき入れて やまとなる

        ふるのわさ田は さんへとるなり」

          従二位行家・玉葉351

「三輪川の水を塞き止め、導き入れて、大和の布留の早植えの田は、早苗を取り植えているようだ。」

・参考:「佐保川の 水をせき上げて 植ゑし田を

      刈れる早飯は ひとりなるべし」(上句尼、末句家持・万葉1635

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「志度合戦」(しどかつせん)の段、

「 平家は志度の浦に退いたが、そこをも支えられず、どことも知らず海上を逃れていった。義経は平家に味方していた阿波教能をごまかして、降参させた。渡辺にいた梶原以下二百余艘の源氏も屋島に到着した。」

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈笠置山にのぼりて〉

「のびやかに みちによりふす このいはの

         ひとならましを われをろがまむ」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。山上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心が癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

*「泉川 いくみかの原 過ぎぬとも

       夏は思はぬ 衣かせ山」

『最勝四天王院障子和歌』262の慈円大僧正の歌です。

前に紹介した古今集の歌、

「都出でて今日みかの原泉川 川風寒し衣かせ山」をふまえています。

本歌は寒い季節で衣服を貸してほしい、重ねたいというのに対し、夏の季節はみかの原(三日)を幾日経ようとも衣を貸してほしいとは思いませんよ、鹿背山よ。作者の慈円は関白の藤原忠通の子息で天台座主を四度務めた高僧。歌人として有名ですが歴史書『愚管抄』を書いた学僧でもある。

 後鳥羽上皇や慈円僧正のような当代きっての教養人が愛した泉川、瓶の原、鹿背山を後世に残しましょう。良識ある木津川市民の皆さんお願いしますよ。

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2013年5月28日 (火)

般若寺 季節の花だより 5・28

 

《いま咲いている花》

○初夏咲コスモス:≪三分咲き≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、70㎝ほどになっています。花が咲きそろう頃には1mをこえる高さになります。秋に比べて花数は少ないですが花は大きく葉は青々しています。

 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、など種類も多種多彩です。

○春咲コスモス:≪盛りを過ぎました≫ 千本程。

   ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。

低い背丈に赤白ピンクの大きな花が鮮やかです。

・梅花うつ木、定家カズラ、スイカズラ:≪満開≫ 純白の甘い香りのする花です。

・花菱草、矢車草:≪満開≫ 黄色と青色が調和しています。

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫初夏らしい花です。

○山アジサイ:≪咲きはじめ≫小さな手毬花が色づいてきました。額花も開花。

 

《これから咲く花》

・アジサイ:6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」

昨日、奈良県吉野郡川上村の教育委員会を訪れ、後南朝の末裔の方々にお会いしました。山道を車で往復120㎞ほど走ったのでちょっと疲れました。ご報告は明日にいたします。あしからず。

 

*「携帯基地局と電磁波問題」(休みます)

 

〔短歌〕

「夜あがりの 瑠璃蒼空を 走る雲

        かろやかにして ここだはしるも」

          木下利玄・一路

〔俳句〕

「うきぐさの 花のあはれや 業平忌」奈良鹿郎

〔和歌〕

「五月まつ 花のかほりに 袖しめて

        雲はれぬ日の 夕ぐれの雨」

藤原景綱・玉葉341

「五月を待つ花、昔の人を偲ぶ橘の香に袖を深々と薫らせて、雲の垂れこめて晴れぬ一日を過ごした夕暮の、静かな雨の風情よ。」

・袖しめて=袖に香りをしみこませて。

・夕ぐれの雨=空気の湿っている時に物の香がよく薫ることをふまえて表現。

 

*『平家物語』を読む。(休みます)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈木津川の岸に立ちて〉

「みわたせば きづのかはらの しろたへに 

         かがやくまでに はるたけにけり」

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。山上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心が癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

*「泉川 川波しろく 吹く風に

      夕べ涼しき 鹿背山の松」

これは新古今集を編纂し承久の乱で隠岐の島へ配流された後鳥羽上皇の御製歌です。

京都に造られた「最勝四天王院」において催された歌会を撰集した「障子和歌」の261番に出ています。「夏の夕方、鹿背山の松林の下に立つと、すぐそばを流れる木津川の川面に白波がたって、涼しい川風が吹いて来るよ」と、風趣豊かな泉川と鹿背山を詠んでおられます。この鹿背山を壊さないでください、木津川市のみなさんにお願いします。

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2013年5月27日 (月)

般若寺 季節の花だより 5・27

 

《いま咲いている花》

○初夏咲コスモス:≪三分咲き≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、70㎝ほどになっています。花が咲きそろう頃には1mをこえる高さになります。秋に比べて花数は少ないですが花は大きく葉は青々しています。

 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、など種類も多種多彩です。

○春咲コスモス:≪盛りを過ぎました≫ 千本程。

   ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。

低い背丈に赤白ピンクの大きな花が鮮やかです。

・梅花うつ木、定家カズラ、スイカズラ:≪満開≫ 純白の甘い香りのする花です。

・花菱草、矢車草:≪満開≫ 黄色と青色が調和しています。

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫初夏らしい花です。

○山アジサイ:≪咲きはじめ≫小さな手毬花が色づいてきました。額花も開花。

 

《これから咲く花》

・アジサイ:6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」52

 笠置寺城:本性房の活躍

『太平記』巻第三 「六波羅勢笠置を責むる事」

〈 南都般若寺より巻数の使(くわんじゅ、祈祷で読誦した経の巻名や度数を書いた目録を祈祷の施主に届ける使者)に参りたるける本性房(ほんじやうばう)といふ大力の律僧(りつそう)

(律宗の僧。律宗は奈良時代鑑真が日本に伝えた、南都六宗の一つ。鎌倉時代、叡尊らによって復興され、般若寺は西大寺末の真言律宗である。)

これを見て、「折伏(しゃくぶく、煩悩や迷妄をおさえ、悪人や悪法をくじき伏せること)の利は大悲の方便なれば、などかこれを助けざるべき」とて、

(悪人折伏の効用は、仏が慈悲をもって衆生を救う手段であるから、敗軍[まけいくさ]の官軍をどうして助けずにいてよいことがあろう、と言って)

褊衫(へんざん、律宗の法衣。)の袖を結んで肩に懸け、木戸より外に進み出でて、大磐石(だいばんじゃく、大きな岩)のありけるを、鞠の勢(せい、大きさ)に引き欠き引き欠き、二、三十連打(つづけうち)にぞ投げたりける。

(そこにあった大岩を鞠の大きさに砕きながら、二、三十続けざまに投げつけた。)数万の寄手ども、楯の板を微塵に打ち砕いて、些(すこ)しもこの石に当る者は、死傷せずといふ事なし。されば、東西の坂には馬・人いやが上に落ち重なッて、深き谷も埋もれて、尸(しかばね)は路溪(ろけい)に漂へり。

(数万の寄せ手は楯の板を粉々に打ち砕かれ、少しでもこの石に当った者は、皆死んだり怪我をしたのである。そのため、東西の坂には馬も人も次から次へと落ち重なり、深い谷もそのために埋まって、道という道は屍であふれたのである。)

 されば、古津川の流れ血になって、紅葉の影を行く水も紅深きに異ならず。これより後は、寄手雲霞の如しといへども、城をせめんといふ物独りもなし。ただ城の四方の山々に、谷を隔て尾を超えて、遠攻めにこそしたりけれ。

(そこで、木津川の流れは血に染まって、まるで岸辺の木々の紅葉の影が川面に色濃く映っているようである。この後は、寄せ手は雲霞のような大軍でありながら、城を攻めようとする者は一人もいない。もっぱら城を囲む四方の山々に、谷を隔て尾根を越えた遠い場所にいて、城を取り囲むのだった。)〉

 (つづく)

 

*「携帯基地局と電磁波問題」53

2.携帯電話基地局から身を守る

 「電磁波から身を守る」ために必要な対策の「基本中の基本」は、「電磁波を浴びない(被曝時間をできるだけ少なくする)」「電磁波の発生源から離れる(距離をとる)」の二点だ。ところが、それができにくいのが、家の近くに基地局が建ったときだ。一日の疲れを癒し、体力の回復をはかるために睡眠をとる場所、そのもっとも安全であるべき住宅が、24時間、365日、電磁波にされされ続けることになるからだ。基地局の電磁波から命を守るための対策は、大きく分けて、次の四つの場合があるだろう。

 基地局建設の「情報を入手」したとき、「稼働していない」とき。

 知らない間に基地局が建設され、すでに稼働しているとき。

 反対運動をしたが、建設されてしまったとき。

 まだ基地局は建設されていないとき。

 

〔短歌〕

「路のべゆ 木深く飛びし 山の鳥

         しばらくきけど 音もこそせね」

      木下利玄・一路

〔俳句〕

「枇杷熟れて 古き五月の あしたかな」加藤楸邨

〔和歌〕

「暮れかかる そとものを田の 村雨に

         すずしさそへて とる早苗かな」

           前大納言公泰・風雅349

「暮れかかる頃、家の裏手の稲田に村雨が降りかかる、その涼しさに更に涼しさを加えるように、取り植えて行くさわやかな緑の早苗よ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「弓流」(ゆみながし)の段、

「 舟の上では与一の妙技に感心した男が舞を舞ったところ、与一はこれをも射殺した。平家の景清らが浜にあがったので、源氏は応戦したが、三穂屋十郎が甲のしころをちぎられてしまった。」

「 平家は舟の上、源氏は馬を海中に乗り入れて戦っているうちに、義経は弓を落としたが、その弓の弱いことを恥じて危険を冒してとって帰った。源氏は三日間不眠不休、そんな時に夜討ちをかけられれば大変だった。」

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈畝傍山をのぞみて〉

「ちはやぶる うねびかみやま あかあかと

         つちのはだみゆ まつのこのまに」

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。山上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心が癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

*「泉川 川波しろく 吹く風に

      夕べ涼しき 鹿背山の松」

これは新古今集を編纂し承久の乱で隠岐の島へ配流された後鳥羽上皇の御製歌です。

京都に造られた「最勝四天王院」において催された歌会を撰集した「障子和歌」の261番に出ています。「夏の夕方、鹿背山の松林の下に立つと、すぐそばを流れる木津川の川面に白波がたって、涼しい川風が吹いて来るよ」と、風趣豊かな泉川と鹿背山を詠んでおられます。この鹿背山を壊さないでください、木津川市のみなさんにお願いします。

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2013年5月26日 (日)

般若寺 季節の花だより 5・26

 

《いま咲いている花》

○初夏咲コスモス:≪咲きはじめ≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、70㎝ほどになっています。花が咲きそろう頃には1mをこえる高さになります。秋に比べて花数は少ないですが花は大きく葉は青々しています。

 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、など種類も多種多彩です。

○春咲コスモス:≪満開・少し盛りを過ぎました≫ 千本程。

   ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。

低い背丈に赤白ピンクの大きな花が鮮やかです。

・梅花うつ木、定家カズラ:≪満開≫ 純白の甘い香りのする花です。

・花菱草、矢車草:≪満開≫ 黄色と青色が調和しています。

・睡蓮:≪咲きはじめ≫初夏らしい花です、ヒツジ草はまだです。

○山アジサイ:≪咲きはじめ≫小さな手毬花が色づいてきました。額花も開花。

 

《これから咲く花》

・黄ショウブ、スイカズラ:5月下旬

・アジサイ:6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」51

 笠置寺城

『太平記』巻第三 「六波羅勢笠置を責むる事」

〈 かかるところに、山田太郎四郎重綱(しげつな、尾張国山田郡山田出身の武士、足助氏と同族。)、二人の御方(みかた)を乗り超えて塀に付かんとするところに、甲の手辺(てへん、兜の天辺。鉢の中央上部。頭が蒸れないように天辺の座に穴が開けてあるが、古い時代ほどその孔が大きい。)射られて引き退く。おめき喚(さけ)んで責め戦ふ矢叫(やさけび)の音(矢を射あうときに敵味方が発する声、また矢を射当てたときに射手があげる声。)、時(鬨)の声、しばらくも(すこしも)止む時なければ、太山(たいざん、泰山。中国山東省奉安けんの北にある山)も崩れて海となり、坤軸(こんじく、地軸。大地の中心を貫く想像上の軸)も折れてたちまちに地に沈むとぞ覚えたる。晩景になりければ、寄手いよいよ重なつて持楯(もちだて、手に持って使う楯)を突き寄せ突き寄せ関(きど)の逆木(さかもぎ、逆茂木。敵の侵入を防ぐために、枝や茨などのトゲのある木の枝を逆立てて、垣根のようにしたもの)を乗り超え乗り超え攻め入りける間、官軍利を失つて些(すこ)し散つて見えけるところに、

(夕方になると、寄せ手はますます多くなって、持ち楯を立て並べ立て並べし、木戸口の逆茂木を乗り越え乗り越え城中に攻め入ったので、官軍は劣勢になって、すこし散り散りばらばらになりかけたところに、)〉

 

23日の顕彰碑除幕式啓白文:後半の分

また同年八月後醍醐天皇笠置寺に皇居を遷され

大塔宮など天皇方が籠城せらる 世に言う元弘の変なり

 その時幕府勢の大軍に向かいて足助次郎重範の強弓

並びに般若寺本性房の大力による奮戦ありと伝ふ

ひと月の防戦も武運拙く夜襲に敗れ 後醍醐帝天皇を

始め尊澄法親王並びに公卿武将方落ち行かれるも敵軍に

捕われ 後醍醐帝の隠岐配流をはじめ各々処断を蒙られる

その中にあって一人大塔宮は当山へ落ちのびられ 敵の

探索を受けたれども 堂内にありし大般若経唐櫃に潜まれ危難を脱せられる 仏神の御加護の賜物と言われる 

後刻 宮は熊野へ落ち行かれ吉野山で再起討幕の兵を挙げられ所願を成就せらる。

 件の事蹟は後日の建武中興への礎となり 

歴史に名をとどむるところなり

しかれども後醍醐天皇の建武の親政三年で潰え

皇居を吉野へ遷座せられ南朝を開かるることとなる

元亨より星霜経ること六百八十九年に当たる本年

建武の中興を成し遂げさらに南朝の基を築かれた

後醍醐天皇 大塔宮護良親王 

文観上人 本性房の御事蹟御遺徳を偲び

御聖蹟顕彰の碑を建てるものなり

願わくは 此の功徳を以て聖王後醍醐天皇尊儀を

はじめ奉り 建武中興の先徳御尊霊各位

 等正覚を成ぜられ密厳浄土に遊戯せられんことを

併せて 天長地久 四海安寧 万邦平和 興隆仏法を

祈念し奉る

乃至法界 平等利益

時に平成二十五年五月二十三日

南都真言律宗 法性山 般若寺住持沙門 明奎房良任 

敬って白す

 

*「携帯基地局と電磁波問題」

 

〔短歌〕

「岨(そば)みちの 蕨折りため ゆきしかば

           手つめたしも 山のさ霧に」

             木下利玄・一路

〔俳句〕

「梅の身の 朝曇りせるは しづかなり」水原秋桜子

〔和歌〕

「あはれにも ともにふしみの 里にきて」

         かたらひあかす ほととぎす哉

           皇太后宮大夫俊成・玉葉336

「いとしい事には、「人と共に臥す」という名を持った伏見の里に、私と一しょにやって来て、一晩中やさしい鳴き声を聞かせてくれる、まるで恋人のような時鳥よ。」

・ふしみ=伏見。山城の歌枕。京都市伏見区。「臥し見」と音の通うところから、恋人と共寝するイメージと重ねて用いられる。

・詞書:伏見にて、近聞郭公といふことを読み侍りける

『長秋詠藻』127.伏見にて相知れる僧の宝筐経に詩歌供養すとて、近聞郭公といふ心を詠みけるに。

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「那須与一」の段、

〈 与一鏑をとッてつがひ、よッぴいてひやうとはなつ。小兵といふぢやう十二束三ぶせ、弓はつよし、浦ひびく程長鳴して、あやまたず扇のかなめぎは一寸ばかりをいて、ひィふつとぞゐきッたる(ピューッ、ブスッと射切った)。鏑は海へ入りければ、扇は空へぞあがりける。いばしは虚空にひらめきけるが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさッとぞ散ッたりける。夕日のかかやいたるに、みな紅の扇の日いだしたるが、白波のうへにただよひ、うきぬしづみぬ(浮いたり沈んだり)ゆられければ、奥(おき)には平家ふなばたをたたいて感じたり(ほめたたえた)、陸(くが)には源氏ゑびら(矢をさして背に負うもの)をたたいてどよめきけり。〉 (この段終わり)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈香具山にのぼりて〉

「いにしへを ともらひかねて いきのをに

         わがもふこころ そらにただよふ」

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。山上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心が癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

*「泉川 川波しろく 吹く風に

      夕べ涼しき 鹿背山の松」

これは新古今集を編纂し承久の乱で隠岐の島へ配流された後鳥羽上皇の御製歌です。

京都に造られた「最勝四天王院」において催された歌会を撰集した「障子和歌」の261番に出ています。「夏の夕方、鹿背山の松林の下に立つと、すぐそばを流れる木津川の川面に白波がたって、涼しい川風が吹いて来るよ」と、風趣豊かな泉川と鹿背山を詠んでおられます。この鹿背山を壊さないでください、木津川市のみなさんにお願いします。

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2013年5月25日 (土)

般若寺 季節の花だより 5・25

 

《いま咲いている花》

○春咲コスモス:≪満開・少し盛りを過ぎました≫ 千本程。

   ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。

低い背丈に赤白ピンクの大きな花が鮮やかです。

○初夏咲コスモス:≪咲きはじめ≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、70㎝ほどになっています。花が咲きそろう頃には1mをこえる高さになります。

・梅花うつ木、定家カズラ:≪満開≫ 純白の甘い香りのする花です。

・花菱草、矢車草:≪満開≫ 黄色と青色が調和しています。

・睡蓮:≪咲きはじめ≫初夏らしい花です、ヒツジ草はまだです。

○山アジサイ:≪つぼみ≫小さな手毬花が色づいてきました。

 

《これから咲く花》

・黄ショウブ、スイカズラ:5月下旬

・アジサイ:6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」50

 笠置寺城

『太平記』巻第三 「六波羅勢笠置を責むる事」

〈 遥かなる谷一つ隔てて、二町余りが外に引(ひか)へたる荒尾九郎(あらおくろう、尾張国知多郡荒尾出身の武士か)、鎧の栴檀の板(鎧の右肩から胸につける板、栴檀の板)、右の脇まで射徹(いとほ〉して、矢鏃(やじり)紅(くれなゐ)にそめてぞ出でたりける(血に染まった鏃が突き出た)。一矢なれども究竟(くつきやう)の所を、しかも精兵(せいびやう)に徹されて(たった一矢ではあったが、急所を、しかも強弓の射手に射通されて)、荒尾馬より倒(さかしま)に落ちて、起きも直らで死にけり。舎弟弥五郎、これを敵(かたき)に見せじと矢面に立ち陰(かく)して、楯の端(はづ)れより進み出でて申しけるは、「足助殿の御弓勢(ゆんぜい)、日来奉(ひごろうけたまは)りし程はなかりけり。ここを遊ばし候へ」と、物具の仁(さね、札。鉄または革で作った小さい板)の程試みんと欺きて、弦走(つるばしり、鎧の胴の正面から左脇にかけての部分。普通、弓の弦が当るのを防ぐために染皮を用いる。)を扣(たた)いてぞ立つたりける。足助これを聞いて、「この者の云いひ様、いかさま鎖に腹巻かをかさねてればぞ、先の矢を見ながら、ここを射よ、とは敲くらん。(この者の言い様は、きっと鎧の下に鎖帷子を着ているか、腹巻を重ねて着込んでいるからにこそ、先の矢を見ながら、ここを射よと胴を叩くのであろう。)

 もしさもあらば、鎧の上は箆(の)砕け、鏃折れて通らぬ事もあるべし。甲の真向(まつかう)を射たらんに、などか砕けて透(とほ)らざらんや」と思案して、胡籙(えびら)より金神頭(かなじんどう、鏃の一種。長さ5、6センチで、鏑矢荷に似て、先を平らに切った形。多くは木製だが、これは鉄製のもの)を一つ抜き出して鼻油引きて鎧の高紐(たかひぼ、鎧の肩の綿上[わたがみ]と胸板をつなぐ紐。よろいが弦に触れないようにはずした。)を推しはづし、十三束三臥(じふさんぞくみつぶせ)、先よりもなほ引きしぼりて、弦音高く切つてはなつに、矢所(やどころ)さらに違(たが)はずして、荒尾弥五郎が甲の真向の金物の上二寸ばかり射砕きて、眉間の只中、沓巻(くつまき、矢竹の、鏃をつけた所に糸を巻き付けた部分)責めて立つたれば、二言とも謂はず、兄弟同じ枕に倒れ重なつてぞ臥しにける。〉 (つづく)

 

23日の除幕式啓白文:前半の分

南朝御聖蹟顕彰碑除幕式啓白の文

敬って真言教主 大日如来 両部界会 諸尊聖衆

別しては 本尊聖者 大聖文殊 蓮華部中 諸大眷属

惣じては仏眼所照微塵刹土の一切三宝境界に啓して言さく

 伏して惟るに 当山般若寺は舒明天皇元年の開創にして

天平七年聖武天皇王城鬼門鎮護のため伽藍を整え

般若寺の寺号を定め勅願寺に加えらる

爾来学問寺の法灯を伝えるも

治承四年平家南都攻めの回禄ありて全山焼亡す

時遷りて建長年間観良上人十三重大石塔を建立し

伽藍再興を企て天平の輪奐を回復す

文永四年に至りては西大寺興正菩薩叡尊長老

造顕せらるる丈六文殊菩薩像の開眼供養を致され

同六年には真言律宗一門を上げて生活困窮者救済のため無遮の大会を執行し文殊菩薩衆生済度の本誓に倣う

さらに元亨四年三月七日経蔵秘仏八字文殊菩薩騎獅像

造立せらる 現本堂御本尊なり

本像は昭和三十六年学術調査により発見されたる

体内銘文により

文観上人殊音師の発願にして 願文には

法界衆生発菩提心

金輪聖主御願成就の御為と記され

後醍醐天皇の御親政実現即ち建武中興の御祈願仏と判明す

八字文殊菩薩とは聖典『文殊師利法寶陀羅尼経』に曰く

一切の十善を行ずる国王を擁護して

意の如く寿命長遠を得せしめ

 福徳果報は無比にして逾(いよいよ)勝り

諸方の兵甲ことごとく皆休息し

国土は安寧に王の所有として

常に増長を得しめん と

金輪聖王の聖徳を称え擁護する菩薩なり

同年九月天皇方の討幕計画が発覚する正中の変起こり

関係者処罰さるるも後醍醐天皇には累及ばず

 しかれども元弘元年五月に至り

 

*「携帯基地局と電磁波問題」(休みます)

 

〔短歌〕

「み吉野の おくへこころざす 岨さむみ

        よこぎりあへず 霧のしまきを」

          木下利玄・一路

〔俳句〕

「花茨 かぶさりかかる 野水かな」高濱虚子

〔和歌〕

「あやめつたふ 軒のしずくも たえだえに

         晴れまにむかふ五月雨の空」

           院冷泉・風雅347

「葺いた菖蒲を伝って落ちる軒の雨滴も絶え間がちになって、晴れ間が見えそうになって来る、五月雨の空よ。」

 

*『平家物語』を読む。(休みます)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈香具山にのぼりて〉

「はるののの ことしげみかも やまかげの

         くはのもとどり とかずへにつつ」

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          最近の奈良市長の発言によれば、第二候補地(東鳴川)を選定しようとしているようですが、ここは浄瑠璃寺まで数百メートルの直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な庭園風景と珠玉の文化財が破壊されます。これは最悪の無謀な選択です。策定委員会と市長は撤回すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

日本のふるさと、国のまほろばを失えば日本人は亡国の民となってしまいます。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。奈良市当局へ抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里、浄瑠璃寺様、岩船寺様を励ましご支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

*木津川市の鹿背山(かせやま)は、奈良時代に一時期都があった恭仁京(くにきょう)の左京(都の東部、旧加茂町)と右京(都の西部、旧木津町)を隔てる中央部に当たります。恭仁京の宮城は左京の木津川北部に置かれていたので、平城京などと比べると変則的な都城設計になっています。鹿背山はいわば都の中央の甘南備山(かんなび、神が住まうお山)であり、川沿いには「瓶の原(みかのはら)離宮」もありました。奈良時代の大宮人は平城京にはなかった水辺のある都住まいを楽しまれたことでしょう。

 木津川市の市長さんへ提言します。ごみ焼却場をやめて現代版「みかのはら離宮」、市民のための離宮を作り歴史公園として全国発信されたらどうでしょうか。拍手喝采を得られますよ。もっと積極的に歴史的自然景観を活用すべきです。

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2013年5月24日 (金)

般若寺 季節の花だより 5・24

 

《いま咲いている花》

○春咲コスモス:≪満開・少し盛りを過ぎました≫ 千本程。

   ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。

低い背丈に赤白ピンクの大きな花が鮮やかです。

○初夏咲コスモス:≪咲きはじめ≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、70㎝ほどになっています。花が咲きそろう頃には1mをこえる高さになります。

・梅花うつ木:≪満開≫ 純白の香りのする花です

・花菱草、矢車草:≪満開≫ 黄色と青色が調和しています。

・睡蓮:≪咲きはじめ≫初夏らしい花です、ヒツジ草はまだです。

○山アジサイ:≪つぼみ≫小さな手毬花が色づいてきました。

 

《これから咲く花》

・黄ショウブ、スイカズラ、定家カズラ:5月下旬

・アジサイ:6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」49

昨日の南朝顕彰碑建碑除幕式は天候にも恵まれて多くの参会者を迎え式典を成功裏に終えることができました。ここに参会者の御名を掲載して御礼に代えたいと思います。

南朝御聖蹟般若寺顕彰碑除幕式

平成二十五年五月二十三日

〔御参会者名簿〕 

真言宗智山派 笠置寺 小林慶範 長老

真言律宗総本山西大寺 法務執事 酒部浩明 根聖院住職

真言律宗宗務長 浄瑠璃寺 佐伯快勝 住職

真言律宗 岩船寺 植村幸雄 住職 

真言律宗宗議会議長 荘厳浄土寺 松村隆誉 住職

浄土宗吉田寺 山中真悦 住職

氷室神社 大宮守人 宮司

大塔会南朝歴史研究会 菊井一之 理事長

川井あや子 理事

小林佐代子 理事

吉野郡川上村後南朝の御末裔 岡西 氏

              西本 氏

手貝町弁才天・八鉄神社奉賛会代表 横田利孝氏

奈良阪町自治会副会長・奈良豆彦神社翁舞保存会

 村田昌三氏

般若寺町自治会副会長 田中 氏

般若寺美咲会代表 加藤悦子氏

         長谷川千亜紀氏

         伊賀勝手神社 瀧野 宮司

中ノ川成身院遺跡の保存顕彰を考える会 厚井弘志氏

般若寺護持会会員 水本弘美氏

榊隆氏、

菜畑維氏

立堀照美氏

般若寺信徒総代 奥城佐傳氏、

奥城節氏

黒石材店    黒康晴氏

奈良新聞社   藤井博信氏

 

*「携帯基地局と電磁波問題」52

1.携帯電話から身を守る

(タ)国に対して求めること

○携帯電話会社に「SAR値を表示すること」を義務づける。

SAR値の値は「生体組織1g当たり」「局所ピーク」のものとする。

SAR値はガイドラインではなく、法規制基準とする。

SAR値は「その年にもっとも厳しい数値を定めた国」のものを参考にし、同等またはそれ以上の数値を採用する。

○「予防原則」にのっとり、国民に携帯電話のリスクを周知させる。

16歳以下の子どもに携帯電話の使用を禁止し、携帯電話会社に対して「子ども向け携帯電話の広告・販売をすること」を禁止する。

 

〔短歌〕

「向つ峰(むかつを)の 桙(ほこ)杉むらを 襲ふ雨

風あし疾(はや)み たたなはる見ゆ」

         木下利玄・一路

〔俳句〕

「朴の花 しばらくありて 風渡る」高野素十

〔和歌〕

「ほととぎす 鳴きつる雲を かたみにて

         やがてながむる 有明の空」

           式子内親王・玉葉332

「ちょうどあの実定詠のように、時鳥の鳴いた、そのあたりの雲をその声のかたみとも思って、そのままじっと眺めている、有明月の空よ。」

・参考:「時鳥 鳴きつる方を ながむれば

        ただ有明の 月ぞ残れる」(千載161、実定)

 

*『平家物語』を読む。 (休みます)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈香具山にのぼりて〉

「かぐやまの こまつかりふせ むぎまくと

         をのうつひとの あせのかがやき」

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          最近の奈良市長の発言によれば、第二候補地(東鳴川)を選定しようとしているようですが、ここは浄瑠璃寺まで数百メートルの直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な庭園風景と珠玉の文化財が破壊されます。これは最悪の無謀な選択です。策定委員会と市長は撤回すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

日本のふるさと、国のまほろばを失えば日本人は亡国の民となってしまいます。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。奈良市当局へ抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里、浄瑠璃寺様、岩船寺様を励ましご支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

*木津川市の鹿背山(かせやま)は、奈良時代に一時期都があった恭仁京(くにきょう)の左京(都の東部、旧加茂町)と右京(都の西部、旧木津町)を隔てる中央部に当たります。恭仁京の宮城は左京の木津川北部に置かれていたので、平城京などと比べると変則的な都城設計になっています。鹿背山はいわば都の中央の甘南備山(かんなび、神が住まうお山)であり、川沿いには「瓶の原(みかのはら)離宮」もありました。奈良時代の大宮人は平城京にはなかった水辺のある都住まいを楽しまれたことでしょう。

 木津川市の市長さんへ提言します。ごみ焼却場をやめて現代版「みかのはら離宮」、市民のための離宮を作り歴史公園として全国発信されたらどうでしょうか。拍手喝采を得られますよ。さすれば木津川市の将来展望は明るいです。

もっと積極的に歴史的自然景観を活用すべきです。ああもったいなや。

 

 

 

 

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2013年5月23日 (木)

般若寺 季節の花だより 5・23

 

《いま咲いている花》

○春咲コスモス:≪満開・少し盛りを過ぎました≫ 千本程。

   ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。

低い背丈に赤白ピンクの大きな花が鮮やかです。

○初夏咲コスモス:≪咲きはじめ≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、70㎝ほどになっています。花が咲きそろう頃には1mをこえる高さになります。

・梅花うつ木:≪満開≫ 純白の香りのする花です

・花菱草、矢車草:≪満開≫ 黄色と青色が調和しています。

・睡蓮:≪咲きはじめ≫初夏らしい花です、ヒツジ草はまだです。

○山アジサイ:≪咲きはじめ≫小さな手毬花が色づいてきました。

 

《これから咲く花》

・黄ショウブ、スイカズラ、定家カズラ:5月下旬

・アジサイ:6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」48

本日、午後から「南朝御聖蹟般若寺」顕彰碑の建碑除幕式を執り行います。

参会者25人ほどのささやかな式典となりますが、当寺の歴史に大きな一ページを書き加えることになる大事な出来事となりそうです。式典の次第を掲載いたします。一般ご参加も歓迎いたします。

南朝御聖蹟般若寺顕彰碑 除幕式次第

平成二十五年五月二十三日 午後一時半開始

・開式のことば司会般若寺美咲会 加藤悦子氏

法要

・導師 洒水

・除幕  信徒総代 奥城佐傳ご夫妻

・奠供 四智讃 

・導師啓白文奉読

・般若心経      一巻

・文殊菩薩真言二種  各七反

五字呪   おん・あらはしゃのう

八字呪   おん・あくびらうんきゃしゃらくだん

・各尊霊霊名     各三反

帰命後醍醐天皇尊儀

帰命大塔宮護良親王尊霊

南無文観上人

南無般若寺本性房

南無当山先師尊霊

南無当山勧請伊勢春日八幡三所大明神

・廻向文―願以此功徳・・・

・参会者ご紹介  (別紙)

・来賓祝辞

鹿鷺山笠置寺 小林慶範長老

真言律宗宗議会議長 荘厳浄土寺住職 松村隆誉和尚

大塔会南朝歴史研究会理事長 菊井一之氏

・住職謝辞

閉式のことば般若寺護持会 水本弘美氏

(式典の前日準備に追われたので太平記の続きは休みます)

 

*「携帯基地局と電磁波問題」(休みます)

 

〔短歌〕

「みよしのの うら谷さむく 霧しまき

       繁(し)み立つ杉の 梢(うれ)こぞり鳴る」

           木下利玄・一路

〔俳句〕

「水晶の 念珠に映る 若葉かな」川端茅舎

〔和歌〕

「とふ人も なき故郷の たそがれに

        我のみなのる ほととぎす哉」

          待賢門院堀川・風雅342

「尋ねて来る人もない古い我が家の夕暮時に、あの拾遺集の歌ではないが、自分だけは声高く名のりをあげる時鳥だなあ。」

・なのる=時鳥が高く鳴くこと。その声が「ホトトギスカ、ホトトギス」と聞きなされる所からいう。

・参考:「足引の 山時鳥 里なれて

      たそがれ時に なのりすらしも」(拾遺集1076・保親)

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「那須与一」の段、

〈 矢ごろ(矢を射当てるのに適当な距離)すこし遠かりければ、海へ一段ばかりうち入れたれども、猶扇のあはひ(自分と扇との間〉七段ばかりはあるらんとこそ見えたりけれ。比は二月十八日の酉の剋ばかりの事なるに(午後六時ごろのことでもはや薄暗かった上に)、おりふし北風はげしくて、磯うつ浪もたかかりけり。船はゆりあげゆりすゑただよへば、扇もくしにさだまらずひらめいたり。おきには平家船を一面にならべて見物す。陸(くが)には源氏くつばみをならべて是を見る。いづれもいづれも晴ならずといふ事ぞなき。与一目をふさいで、「南無八幡大菩薩、我が国(宗高の生国下野国)の神明、日光権現宇都宮(日光の二荒山神社の別宮)、那須のゆぜん大明神(温泉神社、湯前とも)、願わくはあの扇のまンなかゐさせてたばせ給へ。是をゐ(射)そんずる物ならば、弓きりおり自害して、人に二たび面をむかふべからず。いま一度本国(生国下野国)へむかへんとおぼしめさば、この矢はづさせ給ふな」と、心のうちに祈念して、目をみひら(開)ひたれば、風もすこし吹きよはり、扇もゐ(射)よげにぞなッたりける。〉 (つづく)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈香具山にのぼりて〉

「かぐやまの かみのひもろぎ いつしかに

         まつのはやしと あれにけむかも」

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          最近の奈良市長の発言によれば、第二候補地(東鳴川)を選定しようとしているようですが、ここは浄瑠璃寺まで数百メートルの直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な庭園風景と珠玉の文化財が破壊されます。これは最悪の無謀な選択です。策定委員会と市長は撤回すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

日本のふるさと、国のまほろばを失えば日本人は亡国の民となってしまいます。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。奈良市当局へ抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里、浄瑠璃寺様、岩船寺様を励ましご支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

*木津川市の鹿背山は万葉の昔から和歌に詠まれていますが、平安時代には京都のみやこ人にとっては山紫水明、風光明媚な古京、ふるさとでした。

古今和歌集には読み人知らずとして次の歌が出ています。

「みやこ出でて きょう瓶の原 泉川

        かは風寒し 衣かせ山」(古今408

・瓶の原=みかのはら。木津川北岸の恭仁宮跡の辺り。「三日」をかける。

・泉川=木津川。北の狛山と南の鹿背山に挟まれた辺りは川幅が狭まり、景色は抜群に良く、日本の原風景と言って良いでしょう。

・かせ=鹿背山に「貸せ」と「重ね」をかける。

「都を出発して今日で三日目のみかの原にいると、泉川の川風が寒く身にしみる。川の向こうに聳える鹿背山よ、着物を重ねたいので貸しておくれ。」

こんな素晴らしい日本のふるさとをごみ焼却場で汚さないでほしいです。

木津川市々長さん、どうして鹿背山でなければならないのですか。全国の歴史と古典文学愛好の士は反対していますよ。

 

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2013年5月22日 (水)

般若寺 季節の花だより 5・22

 

《いま咲いている花》

○春咲コスモス:≪満開≫ 千本程。

   ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。

低い背丈に赤白ピンクの大きな花が鮮やかです。

・梅花うつ木:≪満開≫ 純白の香りのする花です

・花菱草、矢車草:≪満開≫ 黄色と青色が調和しています。

 

《これから咲く花》

○山アジサイ:≪つぼみ≫

・黄ショウブ、スイカズラ、定家カズラ:5月下旬

○初夏咲コスモス:≪咲きはじめ≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、70㎝ほどになっています。花が咲きそろう頃には1mをこえる高さになります。

・アジサイ:6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」47

 笠置寺城

『太平記』巻第三 「六波羅勢笠置を責むる事」

〈 その外(ほか)櫓の上、小間(さま)の陰には、射手(いて)と覚(おぼ)しき者ども、弓の弦を飡(く)ひ湿(しめ)し、矢結(やたばね)を解いて推し寛(くつろ)げ、

(矢たばね革のこと。箙[えびら]にさした矢を束ねて固定するための革紐を解いて矢を広げることをいう。)

中指(なかざし、箙にさした、上差[うわざし、鏑矢か雁股]以外の矢、普通の矢)に鼻油引いて、閑(しづ)まりかへつて待ち懸けたり。その勢ひ決然として、あへて責むべき様なかりければ(静まり返って合図を待ち構えていた。城兵の勢いは覚悟を決めた様子がありありとして、とても攻めかかれそうにもなかったので)、寄せ手一万余騎これを見て、進退ともに谷(きは)まりしかば、心ならず支えたり。

 ややしばらくあつて、木戸の上なる櫓より狭間板(さまいた)を八文字に押し開きて高らかに申しけるは、「三川国(みかはのくに)の住人、足助二郎重憲(あすけのじろうしげのり、他本に次郎重範。三河国加茂郡足助荘[愛知県東加茂郡足助町]の住人。清和源氏満政流、鳥羽上皇武者四天王の一人源重実の三代の孫重長[足助氏祖]の五代の後胤貞親息。

『尊卑分脈』に「後醍醐院御穏謀之時、勅宣に応じて参候す。最初の専一たり。元弘元年八主上御出奔の後、六波羅に召捕られ、六条河原に於いて斬首せられ了んぬ。」とある。『太平記鈔』天野信景「塩尻」にその伝記を載せる。一族の多くは宮方として活躍した。)、かたじけなくも一天の君(天下全体に君である人。天皇)に頼まれ進(まゐ)らせて、この城の一の関(きど)を堅めたり。(恐れ多くも帝のお頼みを受け、この城の第一の木戸口を固めておる。)

 前陣に進んだる旌(はた)は、美濃・尾張の人々の旌と見るは僻目か。

(前陣に進んで来た旗は、美濃・尾張の人々の旗と見るが、まちがいか。)

十善の君(十善は殺・盗・淫・妄語・綺語・悪口・両舌・貪・嗔・痴の十悪を犯さないことをいう。十善の徳によって天子になった者の意)の御座ある城なれば、六波羅殿ぞ御向ひあらんずらんと心得て、御儲(まう)けに(おもてなしに)大和鍛冶(大和国奈良の東大寺門前手掻郷にいた鍛冶職)どもの打ち沫(すま)したる鏃(やじり)ども少々試み給へ(心を込めて鍛えた矢じりを少々受けてもらいたい)」と云ふままに、

(当時奈良には刀の名工が多かったことは『類聚名物考』に鏃鍛冶として、天国柳葉、弘村鶴觜、文殊包永などの名が見えることからうかがえる。)

三人張(さんにんばり、三人で張る強弓。二人が弓幹を押したわめ、一人が弦を掛ける。弓の改良があり木と竹を合せて強くした。)の弓に十三束二臥(じゅうさんぞくふたつぶせ、一束一伏矢の長さの単位。一束は親指以外の指四本の幅、一伏は指一本を伏せた幅。標準の矢幅は十二束、ここの長さは非常に長い矢幅である)征矢(そや、戦陣に使う矢。鏃は剣尻・柳葉・鳥下・丸根という円形棒状で、先に刃をつけたものを使う。)、箆(の)かづき(箆は鏃が矢竹に接する部分。鏃が箆の中に入って潜[かず]く意)の上まで引き懸けて忘るるばかり引きしぼり、ひやうと切って放ちける。〉 (つづく)

 

*「携帯基地局と電磁波問題」51

1.携帯電話から身を守る

(ヨ)交通機関に対して求めること

○全車を「携帯電話の電源OFF車両」にする。(横浜市営地下鉄は「全車OFF」・名古屋市営地下鉄は「混雑時のみOFF」)

○「優先席」付近では「携帯電話の電源OFF」を徹底させる。

優先席であることがよくわかるようなデザインにし、スペースをたくさんとる。

○「携帯電話の電源OFF車両」を導入する(阪急電車は20037月から、全ての路線で、始発から終電まで、各一両ずつ導入。)

○駅構内の電磁波汚染の改善をする(過剰な基地局を撤去する)。

(古庄弘枝著『見えない汚染「電磁波」から身を守る』より)

 

〔短歌〕

「よし野山 青杉しみ立つ 裏谷(うらだに)ゆ

        霧をうら濃(ご)に 吹く嵐かも」

          木下利玄・一路

〔俳句〕

「薔薇の香か 今ゆき過ぎし 人の香か」星野立子

〔和歌〕

「かくばかり 雨のふらくに ほととぎす

         うの花やまに 猶かなくらん」

           人麿・玉葉318

「こんなにもひどく雨が降っているのに、時鳥は卯の花の咲く山に、まだ鳴いているらしいな。」

 

*『平家物語』を読む。(休みます)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈香具山にのぼりて〉

「はにやまと ひとはなげくを ふみさくむ

         わがうげぐつに かみはさやらず」

・はに=黄赤色の粘土。

・ふみさくむ=踏みさくむ。難義しつつ踏み分けていく。

・うけぐつ=穿靴。はき古して穴のあいたはきもの。

さやる=障る。さわる、触れる。差支えが生ずる。

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          最近の奈良市長の発言によれば、第二候補地(東鳴川)を選定しようとしているようですが、ここは浄瑠璃寺まで数百メートルの直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な庭園風景と珠玉の文化財が破壊されます。これは最悪の無謀な選択です。策定委員会と市長は撤回すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

日本のふるさと、国のまほろばを失えば日本人は亡国の民となってしまいます。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。奈良市当局へ抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里、浄瑠璃寺様、岩船寺様を励ましご支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

*昨日、この前ハイキングに行った木津川市の鹿背山地区の区長さんと副区長さんがお見えになり、御当地でのごみ焼却場建設反対運動についてアドバイスを求められました。あの有名な和歌の歌枕である鹿背山の北麓に工場計画があり、住民の間では反対意見が多数であるのに、木津川市は強引に推し進めようとしているとのことです。奈良市の場合と同じでそこが歴史的にも、景観上も、自然保護の観点からも、住環境の悪化という点からも不適切であるにもかかわらず安易に選定したようです。一方で木津川市は恭仁京跡を町おこしに利用しようとしています。鹿背山は旧京の重要な一部です。法華寺野という地名は国分尼寺から来ています。寺の遺跡を壊すのでしょうか。ごみ焼場建設と恭仁京保存による名前売り出しをしようとする市の都市プランは矛盾しているのではないでしょうか。今後とも鹿背山地区の愛郷の士を応援したいですね。がんばってください。

 

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2013年5月21日 (火)

般若寺 季節の花だより 5・21

 

《いま咲いている花》

○春咲コスモス:≪満開≫ 千本程。

   ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。

低い背丈に赤白ピンクの大きな花が鮮やかです。

・梅花うつ木:≪満開≫ 純白の香りのする花です

・花菱草、矢車草:≪満開≫ 黄色と青色が調和しています。

 

《これから咲く花》

○山アジサイ:≪つぼみ≫

・黄ショウブ、スイカズラ、定家カズラ:5月下旬

○初夏咲コスモス:5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、70㎝ほどになっています。花が咲きそろう頃には15mの高さになります。

・アジサイ:6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」㊻

 笠置寺城

『太平記』巻第三 「六波羅勢笠置を責むる事」

〈 さる程に、九月二日卯の刻(午前六時ごろ)に、四方の寄手(よせて)相近づいて同時に時を揚げければ、天地もうごくばかりなり。

(東西南北の寄せ手は城に近づいて鬨[とき]の声をあげたので、天地も動くほどのどよめきであった。)

 流鏑(かぶら)の声を発しては左右の旅(たむろ、軍兵の駐屯する所)を調(ととの)ぶれども、城中は静まりかへつて時の声をも合わせず、当の矢をも射ざりけり。かの笠置の城と申すは、山高くして一片の白雲を埋(うづ)み、谷深くして万仞(ばんじん)の青岩路を遮る。

(この笠置の城というのは、山が高くそびえて、一ひらの白雲が峰を隠し、谷が深くて苔むし、切り立った岩が道をさえぎっている。)

攀折(つづらをり)なる道を廻って登る事十八町、岩をきって堀とし、石を畳んで屏(へい)とせり。(岩を削って堀を作り、石を積み重ねて城壁としていた。)

されば、たとひ防ぎ戦はずともたやすく登ることを得がたし。

 されども、城中鳴りを静めて、人ありとも見えざりければ、敵はや落ちたりと心得て(城中の敵はすでに逃げたのだと思い込んで)、四方の寄せ手一万余騎、葛の葛(くずのかづら、ツタのカズラ)に取り付き、岩の上を伝ひて、一の木戸口(城の一番外の出入り口。一の木戸、二の木戸、三の木戸という。)、二王堂(笠置寺の仁王門)の辺りまでぞ襄(あが)りける。ここにて一息(ひといき)を休め、城中をきつと見上げたれば、錦の御旌(にしきのみはた、赤地の錦に日月を左右に配して金銀で刺繍するか、描いた旗。承久の乱[1221]の時に、後鳥羽上皇が官軍の大将に授けた旗が最初といわれている。)

に月日を金銀にて付けたるが、白日に耀(かがや)いて燦然(さんぜん)たるその陰に、透間もなく冑(よろ)ふたる武者三千余人、甲(かぶと)の星(兜の鉢の鉄片を継ぎ合わせるために打った鋲[びょう]の頭)を耀かし、冑(よろい)の袖(鎧の肩をおおう部分)を列(つら)ねて、雲霞の如く並び居たり。〉

 

*「携帯基地局と電磁波問題」(休みます)

 

〔短歌〕

「おく山は このおそ春も 冷ゆるなり

        残れる桜に 霧のつゆ凝る」

          木下利玄・一路

〔俳句〕

「日当りて 金色垂るる 棕櫚の花」五十嵐播水

〔和歌〕

「なをざりに 山時鳥 なきすてて

        われしもとまる 杜(もり)のした陰」

          前中納言定家・風雅339

「心にも入れず、山時鳥は一声鳴いたきり飛び去ってしまって、私の方だけが立ちつくしてその余韻を味わっている、森の木の下陰よ。」

・なをざりに=特別に関心を払わずに。いいかげんに。

 

*『平家物語』を読む。(休みます)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈吉野の山中にやどる〉

「ふるみやの まだしきはなの したくさの

         をばながうれに あめふりやまず」

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          最近の奈良市長の発言によれば、第二候補地(東鳴川)を選定しようとしているようですが、ここは浄瑠璃寺まで数百メートルの直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な庭園風景と珠玉の文化財が破壊されます。これは最悪の無謀な選択です。策定委員会と市長は撤回すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

日本のふるさと、国のまほろばを失えば日本人は亡国の民となってしまいます。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。奈良市当局へ抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里、浄瑠璃寺様、岩船寺様を励ましご支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

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2013年5月20日 (月)

般若寺 季節の花だより 5・20

 

《いま咲いている花》

○春咲コスモス:≪満開≫ 千本程。

   ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。

低い背丈に赤白ピンクの大きな花が鮮やかです。

・梅花うつ木:≪満開≫ 純白の香りのする花です

・花菱草、矢車草:≪満開≫ 黄色と青色が調和しています。

 

《これから咲く花》

○山アジサイ:≪つぼみ≫

・黄ショウブ、スイカズラ、定家カズラ:5月下旬

○初夏咲コスモス:5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、70㎝ほどになっています。花が咲きそろう頃には15mの高さになります。

・アジサイ:6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」㊺

 笠置寺城

『太平記』巻第三 「六波羅勢笠置を責むる事」

〈 高橋・小早川、初度の軍(いくさ)をし損じて、笠置の城は勝つに乗ると聞えしかば、国々の勢馳せ集まつて、難義なる事もこそあれ、時日を換えず押し寄せよとて、両検断宇治にて四方の手分けをして、同じき九月二日笠置の城へ発向す。南の手には五畿内五箇国の兵、その勢四千六百余騎、光明山(東大寺の別所、光明山寺のあった所。京都府相楽郡山城町綺田の東)のうしろの山を廻つて搦手(からめて、城の背面)へぞ廻しける。北の手には山陰道(せんおんだう)八箇国の兵を率(そつ)して、都合その勢一万五千騎、梨間(なしま、京都府城陽市奈島)の宿の端(はづ)れより市野辺山(いちのべやま、城陽市市辺の東の低い山)の麓を廻って、追手(おほて、城の正面)へぞ向かひける。東の手には東海道十五箇国の内、伊賀・伊勢・尾張・三川(みかわ)・遠江(とほたふみ)勢、これも一万五千騎、伊賀路を廻って金山(かなやま、位置不明)超えに押し寄する。西の手には山陽道八箇国の勢三万余騎、古津川のはたを上(のぼ)り、岸の上なる岨道(そはみち、険しい山道。険路。)を二手に分けて押し寄する。四方四、五里がその間、尺地(せきち、わづかな地)も残さず充満(みちみち)たり。〉 (つづく)

 

*「携帯基地局と電磁波問題」㊿

1.携帯電話から身を守る

(カ)携帯電話会社に求めること

○販売時に、携帯電話の本体とパッケージに、SAR値を表示する。

○携帯電話を販売するときは、タバコのように、携帯電話を使うことのリスクを、だれにもわかるようにわかりやすく表示し、イヤホンマイクなどとセットで販売する。

○技術的に可能な限りSAR 値の小さい機種を開発する。

16歳以下向けの携帯電話広告を行わない。

 

〔短歌〕

「これやこの 雲井の桜 霧をふくみ

       五百枝(いほえ)の花の 冷えびえ白し」

         木下利玄・一路

〔俳句〕

「花つけて 野蒜の先や ややたわむ」すみ女

〔和歌〕

「月だにも 心つくさぬ 山のはに

        まつよひ過ぐる ほととぎす哉」

          前大納言為氏・玉葉311

「月でさえも気をもませずに山の端に姿を見せたのに、その山の端に声がするかと待っている夕暮を過ぎても、ちっとも鳴かない時鳥だなあ。」

・心つくさぬ=心づくしをさせない。いらいらと待ちかねさせない。

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「那須与一」の段、

〈 一定つかまつらんずる仁に仰せ付らるべうや候らん、と申す。判官大きにいかッて、「鎌倉をたッて西国へおもむかん殿原は、義経が命をそむくべからず。すこしも子細を存ぜんひとは、とうとう是よりかへらるべし」とぞの給ひける。与一かさねて辞せばあしかりなんとや重いけん、「はずれんはしり候はず、御定で候へばつかまッてこそみ候はめ」とて、御まへを罷り立ち、黒き馬のふとうたくましゐに、小ぶさの鞦(しりがい)かけ、まろぼやすッたる鞍をいてぞのッたりける。弓とりなをし、手綱かいくり、みぎはへむひてあゆませければ、みかたの兵(つはもの)どもうしろをはるかに見をくッて、「此の若物一定つかまつり候ひぬと覚え候」と申しければ、判官もたのもしげにぞ見給ひける。〉

 (つづく)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈吉野の山中にやどる〉

「あまごもる やどのひさしに ひとりきて

         てまりつくこの こゑのさやけさ」

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          最近の奈良市長の発言によれば、第二候補地(東鳴川)を選定しようとしているようですが、ここは浄瑠璃寺まで数百メートルの直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な庭園風景と珠玉の文化財が破壊されます。これは最悪の無謀な選択です。策定委員会と市長は撤回すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

日本のふるさと、国のまほろばを失えば日本人は亡国の民となってしまいます。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。奈良市当局へ抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里、浄瑠璃寺様、岩船寺様を励ましご支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

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2013年5月19日 (日)

般若寺 季節の花だより 5・19

 

《いま咲いている花》

○春咲コスモス:≪満開≫ 千本程。

   ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。

低い背丈に大きな花が咲きそろっています。

・梅花うつ木:≪満開≫

・花菱草、矢車草:≪満開≫

 

《これから咲く花》

○山アジサイ:≪つぼみ≫

・黄ショウブ、スイカズラ、定家カズラ:5月下旬

○初夏咲コスモス:5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、50㎝ほどになっています。1mをこえると咲き出します。

・アジサイ:6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」㊹

 笠置寺城

『太平記』巻第三 「六波羅勢笠置を責むる事」

〈 また命ばかり助かる者も、馬物具(うまもののぐ、一人の武士に必要な馬とその他の武具)を捨て赤はだかになつて、白昼に京へ逃げ上る。見苦しかりし有様なり。これを見て、いかなる者かしたりけん、平等院の橋爪(はしづめ、橋際)に一首の歌を札に書きてぞ立てたりける。

 古津川のせぜの岩浪はやければ

     かけて程なく落つる高橋

(かけて=「馬を駆けて」と「橋を架けて」とを掛ける。木津川の浅瀬浅瀬に見えている岩を越えて流れる波は速いので、架けてもすぐに落ちてしまう高い橋よ。高名にはやって抜け駆けしてもすぐに追い落とされた高橋であることだ)

 高橋が抜け懸けを聞いて、引かば入れかへて高名せんと、跡に次(つづ)いて寄せける小早川も、一度に皆追い立てられて、宇治にて引きたりと聞えてければ、また札を立てそへて、

 かけもえぬ高橋落ちて行く水に

       浮名を流す小早川哉

(架けても架けることのできない高橋が流れて行く速い川水に、醜態をさらしながら流れて行く小早川であることよ。抜け駆けしても失敗した高橋と同様に小早川も追い落とされたことよ)

 

*「携帯基地局と電磁波問題」(休みます)

 

〔短歌〕

「葉ざくらよ 雨間の雫 地をうてり

        花どき過ぎて かくはしづけき」

          木下利玄・一路

〔俳句〕

「白と見し 黄と見し花の 忍冬」前内木耳

〔和歌〕

「ほととぎす 横雲かすむ 山のはの

        在明の月に 猶ぞかたらふ」

          式子内親王・風雅333

「時鳥は、横雲がほのぼのと霞んで明けて来る山の端に残る、有明の月を惜しんで、今もまだやさしく語りかけるように鳴いているよ。」

 

*『平家物語』を読む。(休みます)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈吉野の山中にやどる〉

「みよしのの やままつがえの ひとはおちず

         またまにぬくと あめはふるらし」

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。           最近の奈良市長の発言によれば、第二候補地(東鳴川)を選定しようとしているようですが、ここは浄瑠璃寺まで数百メートルの直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な庭園風景と珠玉の文化財が破壊されます。これは最悪の無謀な選択です。策定委員会と市長は撤回すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

日本のふるさと、国のまほろばを失えば日本人は亡国の民となってしまいます。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。奈良市当局へ抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里、浄瑠璃寺様、岩船寺様を励ましご支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

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2013年5月18日 (土)

般若寺 季節の花だより 5・18

 

《いま咲いている花》

○春咲コスモス:≪満開≫ 千本程。

   ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。

低い背丈に大きな花が咲きそろっています。

・梅花うつ木:≪満開≫

・花菱草、矢車草:≪満開≫

 

《これから咲く花》

○山アジサイ:≪つぼみ≫

・黄ショウブ、スイカズラ、定家カズラ:5月下旬

○初夏咲コスモス:5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、50㎝ほどになっています。1mをこえると咲き出します。

・アジサイ:6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」㊸

 笠置寺城

『太平記』巻第三 「六波羅勢笠置を責むる事」

〈 かかりしかば、笠置の官軍どもも都へ責め上るの由、閭巷(りょかう、ちまた、民間)の説(せい)耳を驚かしけるところに、

(このような次第で、笠置の官軍どもが都へ攻めのぼるという風説が世間の人々を驚かせたところに)

九月一日六波羅の両検断(幕府が刑事犯人の検察・断罪を行う役所、巡察・警備・拷問・決罰を司った)、糟谷三郎宗秋(相模国中郡糟谷荘出身の武士、六波羅南方探題の検断を勤めた有力家人)・隅田二郎左衛門(紀伊國伊都郡隅田荘出身の武士、隅田党の一族、六波羅北方探題の検断を勤めた有力家人)、五百余騎にて宇治の平等院へ打ち出でて、軍勢の着倒をぞ付けたりける。(軍勢の到着を記録し始めた)これにおり(そのために)、諸国の軍勢ども引きも切らず馳せ集まりける間、十万余騎になりにけり。さらばやがて明日巳の刻(午前十時)に押し寄せて、矢合はせをすべしと定めたりけるを、高橋大四郎(又四郎範時か)・小早川安芸守(安芸国沼田本荘領有)抜け懸けして独り高名に備へんとや思ひけん、一族わづかの勢にて笠置の城へぞ押し寄せたる体(てい)、誠にゆゆしくぞ見えたりける(まことに勇ましく見えた)。城に立て籠もるところの官軍は、さまで大勢ならねども、勇気いまだ撓(たゆ)まず、天下の機を呑んで(天下の変化する潮時をとらえて)回天の力を出ださん(時勢を一変させる力)と思へる兵どもなりければ、何かは些(すこ)しも猶予あるべき(どうして少しのためらいもあろうか)。敵の小勢なるを見て笠置の麓に帰って、五百余騎を二手に分けて、高橋・小早川が勢を取り籠め、一人も余さじとぞ責めたりける。高橋・小早川、戦(いくさ)に屈して引きけるが、古津川(こつがは、木津川)の逆巻く水に追ひ浸(ひた)れて、誅(う)たるる物その数を知らざりけり。〉

 

*「携帯基地局と電磁波問題」㊾ 

1.携帯電話から身を守る

(ワ)「携帯電話から命を守るために」行いたいこと

自分で行うこと

SAR値の小さい携帯電話の機種を選ぶ。

○乗り物の中では携帯電話は使わない。

○通話中は、同じ側の耳に携帯電話を当て続けない。ときどき、左右で変える。

16歳以下(成長期の子どもたち)に、携帯電話は使わせない。

○妊娠中はお腹の近くで携帯電話を使わない。使わせない(胎児を電磁波にさらさない)。

○口の中から電磁波のアンテナとなる歯科金属を取り除く。

 

〔短歌〕

「淨らかに みささぎどころ うちしめれり

        葉桜雨の やみ間冷えつつ」

          木下利玄・一路

〔俳句〕

「雛芥子の 花触れ合うて 散りにけり」森井空洞子

〔和歌〕

「われききて 人にはつげん ほととぎす

         思ふもしるく まづここになけ」

           躬恒・玉葉

「私が最初に聞いて、人に知らせようよ、時鳥よ。こんなに思う期待にこたえて、先ず一番先にここで鳴いておくれ。」

・しるく=現実にあらわして。

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「那須与一」の段、

〈 与一其比は廿ばかりのおの子(男)也。かちに、あか地の錦をもッておほくびはた袖いろえたる直垂に、萌黄おどしの鎧きて、足じろの太刀をはき、きりふの矢の、其日のいくさにゐて少々のこッたりけるを、かしらだかにおひなし、うすぎりふに鷹の羽はぎまぜたるぬた目のかぶらをぞさしそへたる。しげどうの弓脇にはさみ、甲をばぬぎたかひもにかけ、判官の前に畏まる。「いかに宗高、あの扇のまンなかゐて、平家に見物せさせよかし」。与一畏て申しけるは、「ゐおほせ候はん事は不定に候。射損じ候ひなば、ながきみかたの御きずにて候べし。」〉

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈吉野の山中にやどる〉

「はるさむき やまのはしゐのさむしろに

         むかひのみねの かげのよりくる」

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          最近の奈良市長の発言によれば、第二候補地(東鳴川)を選定しようとしているようですが、ここは浄瑠璃寺まで数百メートルの直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な庭園風景と珠玉の文化財が破壊されます。これは最悪の無謀な選択です。策定委員会と市長は撤回すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

日本のふるさと、国のまほろばを失えば日本人は亡国の民となってしまいます。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。奈良市当局へ抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里、浄瑠璃寺様、岩船寺様を励ましご支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

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2013年5月17日 (金)

般若寺 季節の花だより 5・17

 

《いま咲いている花》

○春咲コスモス:≪満開≫ 千本程。

   ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。

低い背丈に大きな花が咲きそろっています。

・梅花うつ木:≪五分咲き≫

・花菱草、矢車草:≪満開≫

「愛らしき金のさかづきさしあげて

      日のひかりくむ花菱草よ」木下利玄

 

《これから咲く花》

○山アジサイ:≪つぼみ≫

・黄ショウブ、スイカズラ、定家カズラ:5月下旬

○初夏咲コスモス:5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、50㎝ほどになっています。1mをこえると咲き出します。

・アジサイ:6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」㊷

 笠置寺城

『太平記』巻第三 「六波羅勢笠置を責むる事」

〈 さる程に、主上笠置に御座あつて、近国の勢どもを食(め)さるる由京都へ聞えければ、山門の大衆また力を得て六波羅へ寄する事もやあらんずらんとて、佐々木太夫判官時信を大津へさし向けて、防兵にぞ置かれける。これもなほ少勢なるべしとて、丹波国の住人久下(くげ、元来は武蔵国大里郡久下出身の私市党の一族で、丹波国氷上郡久下[現兵庫県氷上郡山南町]の武士)・中沢(丹波国多紀郡大山荘[現兵庫県多紀郡丹南町]の地頭。建武二年には、同郡の波々伯部[ははかべ]氏、氷上郡の久下氏と連合し幕府軍と戦った)

の一族等をさし副えて、八百余騎、大津の宿に陣をぞ取りたりけり。〉

(つづく)

 

*「携帯基地局と電磁波問題」㊽

1.携帯電話から身を守る

(ワ)「携帯電話から命を守るために」行いたいこと

自分で行うこと

○携帯電話(コードレスホン)を使うときは、頭やからだからできるだけ離して使う。

○携帯電話(コードレスホン)を使うときは3分以内にする。

○携帯電話は、電磁波の弱いところでは、使わない。

○ズボンのポケットやお腹の近くなど、「生殖器」の近くに携帯電話を入れない。○寝るときは、携帯電話の電源を切る。切らないときは、頭から離したところに置く。(つづく)

 

〔短歌〕

「葉ざくら雨 やみ間をぐらく 静かなり

         塔の尾陵の 石段を上る」

           木下利玄・一路

〔俳句〕

「摘みし手に 踊子草を をどらせて」稲畑汀子

〔和歌〕

「ほととぎす まつ夜のかずは かさなれど

         声はつもらぬ 物にぞ有りける」

           俊頼朝臣・風雅329

「時鳥は、来るのを待つ夜の数は随分重なるけれど、声はその分だけたまって、(いよいよ来た夜に一遍に)沢山鳴くというわけではない物なのだなあ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「那須与一」の段、

〈 判官、後藤兵衛実基をめして、「あれはいかに」との給へば、「ゐよとにこそ候めれ。但し大将軍矢おもてにすすんで、傾城(美人のこと)を御らんぜば、手だれ(熟練者)にねらうて射落せとのはかりこととおぼえ候。さも候へ、扇をば射させらるべうや候らん」と申す。「射つべき仁はみかたに誰かある」との給へば、「上手どもいくらも候なかに、下野国の住人、那須太郎資高(すけたか、藤原道兼の子孫で下野国那須に住した)が子に、与一宗高こそ小兵(こひょう、体が小さいこと)で候へども、手利きで候へ。」「証拠はいかに」との給へば、「かけ鳥(賭け鳥)なンどあらがうて(射ることを競争して)、三に二は必ず射おとす物で候」。「さらばめせ」とてめされたり。〉

 (つづく)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈吉野塔尾御陵にて〉

「すめろぎの こころかなしも ここにして

         みはるかすべき のべもあらなくに」

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          最近の奈良市長の発言によれば、第二候補地(東鳴川)を選定しようとしているようですが、ここは浄瑠璃寺まで数百メートルの直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な庭園風景と珠玉の文化財が破壊されます。これは最悪の無謀な選択です。策定委員会と市長は撤回すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

日本のふるさと、国のまほろばを失えば日本人は亡国の民となってしまいます。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。奈良市当局へ抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里、浄瑠璃寺様、岩船寺様を励ましご支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

*昨日、「奈良市のごみ問題を考える会」主催のハイキングがありました。お天気も良く20人を超える参加者でした。旧中ノ川寺成身院の御仏像であった薬師如来さまを拝観してきました。平安時代の作ですから中ノ川寺創建当時の御像です。場所は京都府木津川市鹿背山(かせやま)地区の西念寺様で、田辺住職より詳しいお話をうかがうことができました。西念寺はもともと鹿背山寺(かせやまでら)、または鹿山寺(ろくせんじ)といって奈良時代からの古い由緒を伝えているそうです。いつから中ノ川寺の仏像がここに祀られたのかは、東大寺の古文書でわかるそうです。応仁の乱の文明年間、中ノ川寺が炎上したことを記録しているので、その頃だろうと考えられる。西念寺の裏山は鎌倉時代に築かれた山城、鹿背山城があり興福寺の出城であったそうです。中ノ川寺も興福寺の末寺でしたから、焼失を免れた仏像の一体を縁故の寺である当寺へ移されたのではないか、ということです。そんなに大きくはありませんが、おだやかな表情で均整のとれた平安時代のすぐれた作です。のびやかな指先が印象的でした。日光月光の脇侍菩薩は室町時代の追加作で極彩色が鮮やかです。光背が失われているのが惜しまれます。きっと繊細な宝相華紋の美しいものだったでしょう。

寺の裏山はいまも戦国時代に松永久秀が改築した城跡が保存され、定期的に発掘調査がなされています。また機会を見て城跡へも行ってみたいです。

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2013年5月16日 (木)

般若寺 季節の花だより 5・16

 

《いま咲いている花》

○春咲コスモス:≪満開≫ 千本程。

   ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。

低い背丈に大きな花が咲きそろっています。

・梅花うつ木:≪五分咲き≫

・花菱草、矢車草、グラジオラス、金鳳花:≪満開≫

「愛らしき金のさかづきさしあげて

      日のひかりくむ花菱草よ」木下利玄

 

《これから咲く花》

○山アジサイ:≪つぼみ≫

・黄ショウブ、スイカズラ、定家カズラ:5月中旬

○初夏咲コスモス:5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、50㎝ほどになっています。1mをこえると咲き出します。

・アジサイ:6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」㊶

笠置寺城

『太平記』巻第三 「先帝笠置臨幸の事」

〈 正成宣旨の趣を拝見して、「不肖の身上聞(じやうぶん、主君[ここは天皇]の耳に入ること)に達する事、生前の面目何事かこれに過ぐべし」、と思ひければ、是非の思案にも及ばず、やがてまづ笠置の皇居へぞ参りたりける。主上、万里小路中納言藤房卿を以て仰せ出だされけるは、「東夷征罰の事、正成を頼み思し召す子細あって、勅宣を下さるるところに、時剋を遷さず馳せ参るの条、叡感浅からざるところなり。そもそも、天下草創の事、いかなる謀(はかりごと)を運(めぐ)らしてか、勝つことを一時に決して治を四海に致すべき、所存を残さず奏し申すべし」と勅を下されしかば、

(「幕府征伐に関して、正成を頼みにお思いなされる理由があって、勅使を建てたところ、汝が時を移さず馳せ参じたことは、帝の大いにお喜びなされるところである。ところで、天下統一の業を始めるについて、どのような方策をめぐらせば、勝利を一気に決し、天下を泰平にしうるか、思うところを残らず申し上げよ」というお言葉であった。)

正成畏(かしこ)まつて申しけるは、「東夷近日の大逆ただ天の譴(せめ)を招き候ふ上、衰乱の弊(つひえ)に乗つて天誅を致されんに、何の子細か候ふべき。ただし、天下草創の功は武略・知謀の二つにて候ふ。もし勢を併せて戦はば、六十余州の兵を集めて武蔵・相模の両国に対すとも、勝つを得がたし。もし謀を以て争ひ戦はば、東夷の武力(ぶりき)ただ利を摧(くだ)き堅(けん)を破る事、欺くに易くして懼(おそ)るるに足らざるところなり。合戦の習ひにて候へば、一旦の勝負をば必ずしも御覧ずべからず。正成一人いまだ生きてありと聞し食し候はば、聖運はつひに開くべしと思し召し候へ」と頼もし気に勅答申して、正成は河内へぞ帰りにける。〉

(「幕府の最近の悪逆の行いは、必ず天罰をこうむるでございましょうから、幕府の衰え乱れたのに乗じて天に代って罰を加えることに、何の困難がございましょう。そうは申しましても、天下統一の業には、武略と知謀の二つが必要です。もし武力をぶつけて戦う場合には、日本全国六十余州の武士を集めて、幕府方の武蔵・相模に国の勢に対抗するとしても、打ち勝つことは難しいでしょう。しかし、もし策略をめぐらしてぶつかり合戦するならば、幕府の武力はただ鋭利な武器を砕き、堅い甲冑を打ち破るだけで、計略にかけやすく恐れるに足らぬところです。勝ち負けは合戦の常でございますので、一度の勝敗だけでお考えくださいませんように。正成一人がまだ生きているとお聞きなさいますならば、帝のご運は最後には開けるものとお考えください」と、頼もしげにお答えして、正成は河内へと帰って行った。) 〉

(この段終わり)

*「携帯基地局と電磁波問題」(休みます)

 

〔短歌〕

「春日野の 瑠璃空の下 杉が枝に

        むらさき妙なり 藤の垂り花」

          木下利玄・一路

〔俳句〕

「桐の花 日かげを為すに 至らざる」高濱虚子

〔和歌〕

「月かげの もるかと見えて 夏木立

        しげれる庭に さける卯花」

          前中納言経親・玉葉306

「月光がさい込むのかと見えるほどに、夏の木立の透間もなく茂った庭に咲いている、まっ白な卯の花よ。」

・夏木立=夏のよく茂った木立。月影の洩る余地もないにもかかわらず、卯の花が咲いて月光に見まがう意。

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「那須与一」(なすのよいち)の段、

〈 さる程に、阿波・讃岐に平家をそむいて、源氏を待ちける物ども、あそこの峯、ここの洞より、十四五騎、廿騎、打ち連れ打ち連れまいりければ、判官程なく三百余騎にぞなりにけり。「けふは日くれぬ、勝負を決すべからず」とて引退く処におきの方より尋常にかざッたる小舟一艘、みぎはへむいてこぎよせけり。磯へ七八段ばかりになりしかば、舟をよこさまになす。「あれはいかに(何だろう、おかしいぞ)」と見る程に、舟のうちよりよはひ十八九ばかりなる女房の、まことにゆうにうつくしき(上品で美しい)が、柳のいつつぎぬに(表が白、裏が青の襲の色目、五枚重ね)、紅の袴きて、みな紅の扇の日出だしたる(真紅の地の中央に金色の日の丸をつけた扇)を、舟のせがい(舟の両舷に渡した板、舟棚)にはさみたてて、陸(くが)へむいてぞまねひたる。〉 (つづく)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈吉野北六田の茶店にて〉

「みよしのの むだのかはべの あゆすしの

         しほくちひびく はるのさむきに」

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          最近の奈良市長の発言によれば、第二候補地(東鳴川)を選定しようとしているようですが、ここは浄瑠璃寺まで数百メートルの直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な庭園風景と珠玉の文化財が破壊されます。これは最悪の無謀な選択です。策定委員会と市長は撤回すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

日本のふるさと、国のまほろばを失えば日本人は亡国の民となってしまいます。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。奈良市当局へ抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里、浄瑠璃寺様、岩船寺様を励ましご支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

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2013年5月15日 (水)

般若寺 季節の花だより 5・15

 

《いま咲いている花》

○春咲コスモス:≪満開≫ 千本程。

   ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。

低い背丈に大きな花が咲きそろっています。

・梅花うつ木:≪五分咲き≫

・花菱草、矢車草、グラジオラス、金鳳花:≪満開≫

「愛らしき金のさかづきさしあげて

      日のひかりくむ花菱草よ」木下利玄

 

《これから咲く花》

○山アジサイ:≪つぼみ≫

・黄ショウブ、スイカズラ、定家カズラ:5月中旬

○初夏咲コスモス:5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、50㎝ほどになっています。1mをこえると咲き出します。

・アジサイ:6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」㊵

笠置寺城

『太平記』巻第三 「先帝笠置臨幸の事」

〈 御夢覚めて、主上つらつら御了簡あるに(よくよくお考えになり)、「そもそも、天の告げるところ由あるべし」と、文字に付けて御夢を卜(うらな)はせらるれば(漢字を当てて御夢を占いなされると)、木に南と書きたるは楠といふ字なり。その陰に南に向ひて座せよと二人の童子の教へつるは、朕二度南面の徳を治めんと天下の士を朝せしめんずるところを(私が再び天子の徳を治めて、国中の男を仕えさせようとするのを)、日光、月光の二童子(日光菩薩月光菩薩化身の二童子が)ここに天降って示されけりと、御夢を合はせられて、頼もしく思し食(め)しける。夜明けければ、当寺(笠置寺)の衆徒成就坊律師を食され、「もしこの辺に楠と謂へる武士やある」と御尋ねありければ、

律師畏(かしこ)まって、「いや、この辺(あたり)に左様の名字付きたる者ありとはいまだ奉(うけたまは)り及ばず候ふ。河内国金剛山の西にこそ、楠多聞兵衛正成(くすのきたもんひやうゑまさしげ)とて、弓矢を取ってさる物(すぐれた者)ありと人にも知られたる者は候ふなれ。

これは敏達天皇四代の孫、井手左大臣橘諸兄卿の後胤たりといへども、民間に下って年久し。これは彼が母若かりし時、志貴の毘沙門(朝護孫子寺の本尊毘沙門天、仏法を守護し福徳を授ける善神)に百日参詣して、ある夜錦帳(きんちやう)の内より、玉を給ふと夢に見て儲けたる子にて、童名をば多聞とは付けて候なり」とぞ答へ申しける。

主上具(つぶさ)に聞こし食して、「さては今夜(こよひ)の夢の告げはこれなりけり」と思し召しければ、やがて正成をぞ召されける。〉 (つづく)

 

*「携帯基地局と電磁波問題」㊼

(ヲ)神経膠腫も聴神経腫瘍も子どものリスクは5

 スウェーデンのオレボロ大学病院の教授、レナード・ハーデルさんは、20089月、「携帯電話と健康についての初の国際会議」で、次のような発表をした。

20歳前から携帯電話を使い始めた人は、中枢神経組織をサポートするグリア細胞のがん、神経膠腫が5倍になる」

「コードレス電話の使用も、若者が腫瘍にかかるリスクを4倍以上増加させ、より若いうちに携帯電話を使い始めた若者の聴神経腫瘍は約5倍になる」

 大人に比べて子どもの頭は小さく、頭蓋骨も薄いため、大人よりも子どもの方が、子どもよりも赤ん坊のほうが、マイクロ波によって、より頭の深部まで貫かれる。また、大人よりも、細胞分裂が盛んな若い人の脳のほうが、より深く傷つけられるのも、明らかな事実だ。

 マイクロ波は、水の分子に特に熱影響を与えやすいため、水分の多い子どもの小さな頭の中へ侵入して、ホット・スポット(熱集中)効果を示しやすい。

(古庄弘枝著『見えない汚染「電磁波」から身を守る』より)

 

〔短歌〕

「腕にからむ 紅き縮緬 つめたさと

         重さおもへば 君のいとしや」

           木下利玄・銀

〔俳句〕

「紫は 暗しと思ふ 鉄線花」下村梅子

〔和歌〕

「としをへて おなじ声なる ほととぎす

         きかまほしさも かはらざりけり」

           刑部卿頼輔・風雅317

「毎年々々年を重ねて、いつも同じ声の時鳥よ。こちらの聞きたいと思う気持ちも、いつも変わらないなあ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「勝浦 付大坂越」(かつうら おおさかごえ)の段、

「 義経は土地の武士を捕えて、その部下を味方につけ、たちまち近所にある平家のとりでを攻略した。屋島の平家は千騎にすぎないと聞き、夜を徹して讃岐に向かった。」

「 義経は対岸の高松に火をつけ、屋島の城におし寄せた。あわてた平家が舟で沖にこぎ出ると、義経の軍勢が城門の前の波打ちぎわに現れたが、平家はそれを大軍と見誤った。」

巻第十一 「嗣信最期」(つぎのぶさいご)の段、

「 源氏はす早く屋島の内裏に火を放った。平家は教経を大将にして浜まで引返し、源平は激しく戦ったが、源氏は佐藤嗣信をはじめ多数の戦死者を出した。」

(つづく)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈汽車中〉

「わさだかる をおめがともの かかふりの

         しろきをみつつ みちならにいる」

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          最近の奈良市長の発言によれば、第二候補地(東鳴川)を選定しようとしているようですが、ここは浄瑠璃寺まで数百メートルの直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な庭園風景と珠玉の文化財が破壊されます。これは最悪の無謀な選択です。策定委員会と市長は撤回すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

日本のふるさと、国のまほろばを失えば日本人は亡国の民となってしまいます。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。奈良市当局へ抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里、浄瑠璃寺様、岩船寺様を励ましご支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

*きたる516日に、旧中川寺成身院にあった薬師如来像を所蔵される木津川市鹿背山地区の「西念寺」様と「鹿背山不動尊」様を拝観するハイキングがあります。午後一時般若寺駐車場へ集合、自動車に乗り合わせて現地へ向かいます。4時過ぎには終わる予定です。ご希望の方は当日参加してください。

 

 

 

 

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2013年5月14日 (火)

般若寺 季節の花だより 5・14

 

○春咲コスモス:≪満開≫ 千本程。

   ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。

低い背丈に大きな花です。

・からたねおが玉、しゃが:≪満開≫

・踊子草、金鳳花、ツルニチニチ草:≪満開≫

・花菱草、矢車草:≪満開≫

・グラジオラス、芍薬:≪満開≫

 

《これから咲く花》

○山アジサイ:≪つぼみ≫

・黄ショウブ、梅花うつ木:5月中旬

○初夏咲コスモス:5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、50㎝ほどになっています。1mをこえると咲き出します。

・アジサイ:6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」㊴

笠置寺城

『太平記』巻第三 「先帝笠置臨幸の事」

〈 されば、かやうにては皇居の警固いかがあるべきと、主上思(おぼ)し食(め)し煩ひ給ひて、些(すこ)し真寐(まどろ)み御座(おは)しける御夢に、所は紫宸殿(いしいでん)の庭前かと覚えたる地に、大いなる常盤木ありて、緑陰茂りて南へ指したる枝ことに栄え蔓(はびこ)れり。その下に三公九卿(さんこうきうけい、古代中国の三公になぞらえ、太政大臣または内大臣と左右大臣。九つの高官、公卿のこと)位によつて列座す。南へ向きたる上座に御座(ござ)の畳を高く布(し)きて、いまだ座したる人もなし。主上御夢心治(ゆめここち)に、「誰を設けんための座席やらん」(いったい、誰を着かせるための座席なのだろう)と怪しみ思し食して、立たせ給ひたるところに、びんずら(角髪、童子の髪の結い方の一種。頭上で髪を分け、左右に垂らして結んだもの)結ふたる童子二人忽然として来たって、主上の御前に跪(ひざまづ)き、泪を袖に懸けて申しけるは、「一天下の間に(世の中全体)、しばらくも御身を蔵(かく)すべき所候はず。ただしあの木陰に南へ栄えたる枝の下に座席あり。これ御為に設けたる玉イ(戸+衣)にて候ふ。(それは帝のためにしつらえた玉座でございます)しばらくこれに御座候へ」と奏して、童子は遥かの天に登り去りにけり。〉 (つづく)

 

*「携帯基地局と電磁波問題」㊻

1.携帯電話から身を守る

(ル)携帯電話の電磁波から子どもを守る

内閣府の調査(20073月)によると、子どもの携帯電話の使用率は、次のようになっている。

  小学生(612歳) ―31

  中学生(1215歳) ―58

  高校生(1518歳 )―96

(*現在はもっと高い比率になっていると思われる)

 急激な携帯電話の普及の中で、子どもたちが犯罪に巻き込まれることを避けるため、また、携帯電話の有害サイトから子どもたちを守るために、文部科学省は国としては初めて「規制」を打ち出した。2009130日、「小中学校への持ち込みを原則禁止すべきだ」との指針を、全国の都道府県教育委員会に対して、通知した。

 福岡県芦屋町では20091202009120日、強制力がないものの、「町内の小中学生が携帯電話を持つことを原則禁止」する「こども・脱ケータイ宣言」を行った。また、石川県では、同年629日、全国で初めて、「小中学生の携帯電話所持規制」を決めた。条例を可決した(施行は20101月)。

 しかし、日本では、大阪など一部の自治体を除き、子どもたちに携帯電話所持を禁じる理由に、「健康への被害」を挙げている市町村はない。だが、からだへの悪影響から、特に、子どもの携帯電話使用に関して、警告を発している研究者は多い。(つづく)

(古庄弘枝著『見えない汚染「電磁波」から身を守る』より)

 

〔短歌〕

「のぼせたる 頬の紅(くれなゐ)の にくくして

         君に奪(と)らるる 我が心かな」

           木下利玄・銀

〔俳句〕

「ひもすがら 卯の花腐(くだ)し 茶を入るる」星野立子

〔和歌〕

「時やいつ 空にしられぬ 月雪の

        色をうつして さける卯の花」

          二品法親王覚助・玉葉305

「一体、季節はいつなんだろう。空では関知しない月や雪の色をそっくりそのままにまねて、盛りに咲いている卯の花よ。(今は夏か秋か、それとも冬なのか)」

 

*『平家物語』を読む。

巻第十 「高野御幸」(こうやごかう)の段、

「 白川上皇が天竺に如来が現れたので説法を聞きにいこうと仰せられた時に、大江匡房が高野山の弘法大師こそ生身の如来であると説いたので、高野行幸が行われた。」

巻第十一 「逆櫓」(さかろ)の段、

「義経が平家討伐の決意を法皇に申し上げた。八嶋の平家は不安な日々を送っている。義経は摂津の渡辺に、範頼は神崎に舟を集めて、出陣の用意をしている。」

「 梶原景季が舟に逆櫓をつけようと建議して、義経と激しく口論した。義経は舟子を脅迫するようにして、わずか五隻、強風を利して、四国の阿波国に急行した。」

・逆櫓=船尾を先にして舟を漕ぎ進めること。また、そのために逆向きに取り付ける櫓。

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈汽車中〉

「やまとぢの るりのみそらに たつくもは

         いづれのてらの うへにかもあらむ」

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          最近の奈良市長の発言によれば、第二候補地(東鳴川)を選定しようとしているようですが、ここは浄瑠璃寺まで数百メートルの直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な庭園風景と珠玉の文化財が破壊されます。これは最悪の無謀な選択です。策定委員会と市長は撤回すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

日本のふるさと、国のまほろばを失えば日本人は亡国の民となってしまいます。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。奈良市当局へ抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里、浄瑠璃寺様、岩船寺様を励ましご支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

*きたる516日に、旧中川寺成身院にあった薬師如来像を所蔵される木津川市鹿背山地区の「西念寺」様と「鹿背山不動尊」様を拝観するハイキングがあります。午後一時般若寺駐車場へ集合、自動車に乗り合わせて現地へ向かいます。4時過ぎには終わる予定です。ご希望の方は当日参加してください。

 

 

 

 

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2013年5月13日 (月)

般若寺 季節の花だより 5・13

 

○春咲コスモス:≪満開≫ 千本程。

   ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。

低い背丈に大きな花です。

・からたねおが玉、しゃが、紫雲らん:≪満開≫

・踊子草、金鳳花、ツルニチニチ草:≪満開≫

・花菱草、矢車草、芍薬:≪満開≫

・グラジオラス:≪満開≫

 

《これから咲く花》

○山アジサイ:≪つぼみ≫

・黄ショウブ、梅花うつ木:5月中旬

○初夏咲コスモス:5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

・アジサイ:6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」㊳

笠置寺城

『太平記』巻第三 「先帝笠置臨幸の事」

〈 元弘元年八月二十七日、主上笠置へ臨幸なって、本堂を皇居とぞなされける。(笠置寺の本尊は自然石に刻んだ弥勒菩薩像[15,7]で、元弘の合戦で焼けながらも現存。像の前に、読経・礼拝のために設けられた十余間に及ぶ回廊状の礼堂があったことは「笠置曼荼羅」[大和文華館]に描かれている。また『吾妻鏡』元久元年四月十日条に、「笠置解脱上人ノ使者去比参着ス。当寺ニ於イテ礼堂ヲ建ツベキノ間、将軍家ノ御奉加ヲ申ス所也」と、礼堂再建のことが見える。)

始め一両日の程は、武威に恐れて参仕する人独りもなかりけるが、東坂本の軍(いくさ)に六波羅勢打ち負け、海東を始めとして数輩打死すと聞きしかば、

(「八月二十八日、海東備前左近大夫将監、其勢十七騎東坂本ニ於イテ合戦ヲ致シ、主従十六騎打死ニシ了ル」[光明寺残篇]。「山法師も戦ひなどして、海東とかやいふつは物討たれにけり」[増鏡・巻十五・むら時雨]

当寺の衆徒を始めとして、近国の兵(つはもの)どもここかしこより馳せ参ること、引きもきらざりけれども、いまだ名字もあり、若党の百騎とも打たせたる物は一人も参らざりけり。

(近国の武士たちがあちらこちらから馳せ参ずることは、絶間がなかった。しかしそうはいっても、勇名が知られ、屈強の若者を百騎ほども従えた武将はまだ一人も参集しなかった。)〉

 (つづく)

 

*「携帯基地局と電磁波問題」(休みます)

 

〔短歌〕

「やや疲れ 膝くづしつつ 窓による

        顔の上気(のぼせ)の にくき女よ」

          木下利玄・銀

〔俳句〕

「うの花の 絶間たたかん 闇の門」 去来

〔和歌〕

「あふひ草 かざす卯月の 時鳥

        人のこころに まづかかりつつ」

          前大納言為家・風雅314

「葵草をかけて飾る賀茂祭の季節、四月になると、時鳥の(もうやって来るはずとの)期待は、(頭や袖にかかる葵鬘よりも)人の心に先ずかかることだよ。」

・葵草なら頭や袖にかかるが、時鳥の初声は早く聞きたいと心にかかるもの、との洒落。

 

*『平家物語』を読む。

巻第十 「三日平氏」(みつかへいじ)の段、

「 一人残った舎人の武里が維盛の遺書をもって屋島に帰ったので、人々は今までの維盛に対する誤解がとけ、悲しみを新たにした。」

「頼盛が頼朝からしばしば招かれて、鎌倉に下った。彼は頼朝はじめ関東の大名小名の歓待を受け、金持ちになって帰京した。」

「 伊賀伊勢の平氏が蜂起して近江に侵入したが、たちまち亡ぼされた。維盛の北の方が使いを屋島にやって夫の死をはじめて知り、出家してその後世をとぶらった。」

巻第十 「藤戸(ふぢと)」の段、

「 都落ちしてから一年のちの平家は、今や四国の地を保つにすぎない。都では後鳥羽上皇が三種の神器なしで即位式を上げ、範頼義経がそれぞれ任官した。」

「 範頼が平家追討のために都を出発、平家は備前の児島に陣をとっているが、源氏は五丁の海峡が渡れない。佐々木盛綱が土地の男から浅瀬を聞き出したが、かれは聞くだけ聞いてからその男を殺してしまった。」

「 平家が源氏をおびき寄せようとするのにつけこんで、盛綱に続いて源氏の三万騎が島に渡り、終日戦ったあげく、平家を海上に退けた。」

「 都では大嘗会が行なわれ、源氏も供奉を勤めたが、人民疲労の際とてほんの形式だけであった。範頼は遊女を集めて遊び暮らしているので、平家もひと息ついている。」

 (つづく)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈室生寺にて〉

「みほとけの ひぢまろらなる やははだの

         あせむすまでに しげるやまかな」

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          最近の奈良市長の発言によれば、第二候補地(東鳴川)を選定しようとしているようですが、ここは浄瑠璃寺まで数百メートルの直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な庭園風景と珠玉の文化財が破壊されます。これは最悪の無謀な選択です。策定委員会と市長は撤回すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

日本のふるさと、国のまほろばを失えば日本人は亡国の民となってしまいます。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。奈良市当局へ抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里、浄瑠璃寺様、岩船寺様を励ましご支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

*きたる516日に、旧中川寺成身院にあった薬師如来像を所蔵される木津川市鹿背山地区の「西念寺」様と「鹿背山不動尊」様を拝観するハイキングがあります。午後一時般若寺駐車場へ集合、自動車に乗り合わせて現地へ向かいます。4時過ぎには終わる予定です。ご希望の方は当日参加してください。

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2013年5月12日 (日)

般若寺 春の花だより  5・12

 

○春咲コスモス:≪満開≫ 千本程。

   ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。

低い背丈に大きな花です。

・からたねおが玉、しゃが、紫雲らん、大てまり:≪満開≫

・踊子草、金鳳花、ツルニチニチ草:≪満開≫

・花菱草、矢車草:≪満開≫

・グラジオラス:≪咲きはじめ≫

 

《これから咲く花》

○山アジサイ:≪つぼみ≫

・黄ショウブ、梅花うつ木:5月中旬

○初夏咲コスモス:5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

・アジサイ:6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」㊲

 大塔宮尊雲法親王(護良親王)が比叡山を出でてどのように落延びられたか、太平記と増鏡では少し違うことを伝えています。まず『太平記』を見ると、

「山門衆徒等心替りの事」の段によると、

〈 上林坊阿闍梨豪誉(ごうよ)元より武家に心を通はししかば、大塔宮の執事、安居院(あぐゐ)の法印澄俊(ちょうしゅん)を虜(いけど)つて、六波羅へ出す。

(安居院憲実息。唱導名人の澄憲の四代の孫。大塔宮の執事は殿法印良忠であるから、この人は妙法院=尊澄法親王[宗良]の執事とすべき。法印は僧侶の最高位で、僧正に相当の[法印大和尚位]の略か。)

 これを始めとして、一人二人落ち失せける間、今は光林坊の源存(げんそん)律師、妙光坊の小相模(こさがみ)、中坊悪大輔(なかのぼうあくたいふ)なんどが外は、落ち留まる衆徒もなかりけり。

 かくてはいかでか山門にも忍ぶべきとて、両門跡(尊雲法親王、尊澄法親王)は、八王子(社)に大篝火を焚かせ、大勢の籠りたる由を見せられて、戸津(とづ)の浜より小舟に召され、残り留まる衆徒ばかり召し具せられ、石山までぞ落ちさせ給ひける。いかさま、君の御行末をも尋ね承り、重ねて計略をも廻らすべければ、両門主一所に趣かせ給はん事しかるべからずとて、妙法院は笠置を差して趣き給へば、大塔宮は熊野の方を志し、南都へとて趣かせ給ひけり。〉

(小学館版『太平記』より)

このように『太平記』では、二人の法親王は別々に行動し、尊澄法親王は笠置へ、尊雲法親王は熊野へ行くため南都へと向かわれたとしている。

しかし一方『増鏡』巻第十五の「むら時雨」には、

〈 かかれども、御門笠置におはしますよし、程なく聞えぬれば、はかられ奉りにけるとて、山の衆徒もせうせう心がはりしぬ。

 宮々も逃げ出で給ひて笠置へぞまうで給ひける。〉

(岩波書店版『増鏡』より)

とあり、両法親王がともに笠置山へやって来られたと記している。どちらを信じるかはむつかしいところですが、『増鏡』の方が成立年代(1338年―1376年の間と推定)が古く、潤色が少ないので信憑性が高いとされ、現在の歴史研究では史料として採用されることが多いです。

 結論としては、大塔宮尊雲法親王(護良親王)は笠置寺の御醍醐天皇の皇居へ入られたことになりなす。

 (つづく)

 

*「携帯基地局と電磁波問題」㊺

1.携帯電話から身を守る

(ヌ)メガネは金属でないものを

この女性の例のように、口の中の歯科金属がアンテナとなって、「電磁波を引き寄せている」人は多い。体調が気になる人は、口の中のアマルガムを除去すると体調が改善するかもしれない。ただし、アマルガムは水銀を含む「毒物」なので、きちんと口の中などを防御した上で行わないと、水銀が流れ出し、かえって体調をこわす原因になる。電磁波と金属の関係がわかり、防御態勢をとったうえで、処置のできる歯科を選びたい。

 また、携帯電話を使うとき、メガネやピアスなど、金属でできたものが近くにあると、それらが電磁波を引き寄せる(吸収する)こともあるので、気をつけたい。特に、携帯電話を使う側の耳に付けているピアスなどは、金属でないもののほうが好ましい。

(古庄弘枝著『見えない汚染「電磁波」から身を守る』より)

 

〔短歌〕

「思ひつめ わがかなしみの ほそるなり

        新芽に靄の ひゆる夕方」

          木下利玄・銀

〔俳句〕

「築地草 春闌けたれば 咲く薊」水原秋桜子

〔和歌〕

「卯花の ちらぬかぎりは 山里の

       このしたやみも あらじとぞ思ふ」

         前大納言公任・玉葉302

「卯の花の散らないうちは、その白さに映えて、山里でも木の下闇なんてものはないだろうと思うよ。」

・卯花=落葉灌木ウツギの花。初夏に白い五弁の花の群がり咲くさまが、月光や雪にたとえられる。

・このしたやみ=夏、枝葉が茂り木の下が暗いこと。またその場所。

 

*『平家物語』を読む。

巻第十 「維盛入水」の段、

「 なかにも第十八の願には、〈設我得仏、十方衆生、至心信楽、欲生我国、乃至十念、若不生者、不取正覚〉と説かれたれば、一念十念のたのみあり。ただふかく信じて、ゆめゆめ疑ひをなし給ふべからず。無二の懇念を致して、若しは十反、若しは一反も唱給ふ物ならば、弥陀如来、六十万億那由多恒河沙の御身をつづめ、丈六八尺の御かたちにて、観音勢至無数の聖衆、化佛菩薩、百重千重に囲繞し、伎楽歌詠じて、只今極楽の東門をいでて来迎し給はんずれば、御身こそ蒼海の底に沈むとおぼしめさるとも、紫雲のうへにのぼり給ふべし。成仏得脱してさとりをひらき給はん事、還来穢国度人天、すこしも疑ひあるべからずとて、鐘うちならしてすすめたてまつる。中将しかるべき善知識かなとおぼしめし、忽ちに妄念をひるがへして、高声に念仏百反ばかりとなへつつ、「南無」と唱ふる声とともに、海へぞ入り給ひける。兵衛入道も石童丸も、同じく御名をとなへつつ、つづゐて海へぞ入りにける。」

 (この段終わり)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈室生寺にて〉

「ささやかに にぬりのたふの たちすます

         このまにあそぶ やまざとのこら」

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに