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2013年5月17日 (金)

般若寺 季節の花だより 5・17

 

《いま咲いている花》

○春咲コスモス:≪満開≫ 千本程。

   ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。

低い背丈に大きな花が咲きそろっています。

・梅花うつ木:≪五分咲き≫

・花菱草、矢車草:≪満開≫

「愛らしき金のさかづきさしあげて

      日のひかりくむ花菱草よ」木下利玄

 

《これから咲く花》

○山アジサイ:≪つぼみ≫

・黄ショウブ、スイカズラ、定家カズラ:5月下旬

○初夏咲コスモス:5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、50㎝ほどになっています。1mをこえると咲き出します。

・アジサイ:6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」㊷

 笠置寺城

『太平記』巻第三 「六波羅勢笠置を責むる事」

〈 さる程に、主上笠置に御座あつて、近国の勢どもを食(め)さるる由京都へ聞えければ、山門の大衆また力を得て六波羅へ寄する事もやあらんずらんとて、佐々木太夫判官時信を大津へさし向けて、防兵にぞ置かれける。これもなほ少勢なるべしとて、丹波国の住人久下(くげ、元来は武蔵国大里郡久下出身の私市党の一族で、丹波国氷上郡久下[現兵庫県氷上郡山南町]の武士)・中沢(丹波国多紀郡大山荘[現兵庫県多紀郡丹南町]の地頭。建武二年には、同郡の波々伯部[ははかべ]氏、氷上郡の久下氏と連合し幕府軍と戦った)

の一族等をさし副えて、八百余騎、大津の宿に陣をぞ取りたりけり。〉

(つづく)

 

*「携帯基地局と電磁波問題」㊽

1.携帯電話から身を守る

(ワ)「携帯電話から命を守るために」行いたいこと

自分で行うこと

○携帯電話(コードレスホン)を使うときは、頭やからだからできるだけ離して使う。

○携帯電話(コードレスホン)を使うときは3分以内にする。

○携帯電話は、電磁波の弱いところでは、使わない。

○ズボンのポケットやお腹の近くなど、「生殖器」の近くに携帯電話を入れない。○寝るときは、携帯電話の電源を切る。切らないときは、頭から離したところに置く。(つづく)

 

〔短歌〕

「葉ざくら雨 やみ間をぐらく 静かなり

         塔の尾陵の 石段を上る」

           木下利玄・一路

〔俳句〕

「摘みし手に 踊子草を をどらせて」稲畑汀子

〔和歌〕

「ほととぎす まつ夜のかずは かさなれど

         声はつもらぬ 物にぞ有りける」

           俊頼朝臣・風雅329

「時鳥は、来るのを待つ夜の数は随分重なるけれど、声はその分だけたまって、(いよいよ来た夜に一遍に)沢山鳴くというわけではない物なのだなあ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「那須与一」の段、

〈 判官、後藤兵衛実基をめして、「あれはいかに」との給へば、「ゐよとにこそ候めれ。但し大将軍矢おもてにすすんで、傾城(美人のこと)を御らんぜば、手だれ(熟練者)にねらうて射落せとのはかりこととおぼえ候。さも候へ、扇をば射させらるべうや候らん」と申す。「射つべき仁はみかたに誰かある」との給へば、「上手どもいくらも候なかに、下野国の住人、那須太郎資高(すけたか、藤原道兼の子孫で下野国那須に住した)が子に、与一宗高こそ小兵(こひょう、体が小さいこと)で候へども、手利きで候へ。」「証拠はいかに」との給へば、「かけ鳥(賭け鳥)なンどあらがうて(射ることを競争して)、三に二は必ず射おとす物で候」。「さらばめせ」とてめされたり。〉

 (つづく)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈吉野塔尾御陵にて〉

「すめろぎの こころかなしも ここにして

         みはるかすべき のべもあらなくに」

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          最近の奈良市長の発言によれば、第二候補地(東鳴川)を選定しようとしているようですが、ここは浄瑠璃寺まで数百メートルの直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な庭園風景と珠玉の文化財が破壊されます。これは最悪の無謀な選択です。策定委員会と市長は撤回すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

日本のふるさと、国のまほろばを失えば日本人は亡国の民となってしまいます。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。奈良市当局へ抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里、浄瑠璃寺様、岩船寺様を励ましご支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

*昨日、「奈良市のごみ問題を考える会」主催のハイキングがありました。お天気も良く20人を超える参加者でした。旧中ノ川寺成身院の御仏像であった薬師如来さまを拝観してきました。平安時代の作ですから中ノ川寺創建当時の御像です。場所は京都府木津川市鹿背山(かせやま)地区の西念寺様で、田辺住職より詳しいお話をうかがうことができました。西念寺はもともと鹿背山寺(かせやまでら)、または鹿山寺(ろくせんじ)といって奈良時代からの古い由緒を伝えているそうです。いつから中ノ川寺の仏像がここに祀られたのかは、東大寺の古文書でわかるそうです。応仁の乱の文明年間、中ノ川寺が炎上したことを記録しているので、その頃だろうと考えられる。西念寺の裏山は鎌倉時代に築かれた山城、鹿背山城があり興福寺の出城であったそうです。中ノ川寺も興福寺の末寺でしたから、焼失を免れた仏像の一体を縁故の寺である当寺へ移されたのではないか、ということです。そんなに大きくはありませんが、おだやかな表情で均整のとれた平安時代のすぐれた作です。のびやかな指先が印象的でした。日光月光の脇侍菩薩は室町時代の追加作で極彩色が鮮やかです。光背が失われているのが惜しまれます。きっと繊細な宝相華紋の美しいものだったでしょう。

寺の裏山はいまも戦国時代に松永久秀が改築した城跡が保存され、定期的に発掘調査がなされています。また機会を見て城跡へも行ってみたいです。

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ご近所の古きを訪ねる夕方探検部、今回は全然面識のない方々のハイキングに潜入し、鹿背山の知られざる歴史を探訪してきた。 [続きを読む]

受信: 2013年5月18日 (土) 01時52分

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