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2013年5月29日 (水)

般若寺 季節の花だより 5・29

 

《いま咲いている花》

○初夏咲コスモス:≪三分咲き≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、70㎝ほどになっています。花が咲きそろう頃には1mをこえる高さになります。秋に比べて花数は少ないですが花は大きく葉は青々しています。

 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、など種類も多種多彩です。

○春咲コスモス:≪盛りを過ぎました≫ 千本程。   

・スイカズラ:≪満開≫ 白と黄色の甘い香りのする花です。

・花菱草、矢車草:≪満開≫ 黄色と青色が調和しています。

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫初夏らしい花です。

○山アジサイ:≪五分咲き≫小さな手毬花、額花が色づいています。

・アジサイ:≪つぼみ≫6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」53

吉野郡川上村の後南朝御聖蹟をご紹介します。まず奈良から川上村へは、桜井経由で行くのが分かりやすいです。私は高円山から田原をへて名阪国道の針インターを越え榛原大宇陀へ出ました。山道ですが空いています。370号線から吉野町169線へ入り、大滝ダムの堰堤をこえれば川上村役場です。役場のならびに道の駅「杉の湯川上」と湯盛温泉「ホテル杉の湯」という施設があります。そこから少し行くと真新しいモダンな建物が二つ並んでいます。一つは「森と水の源流館」という展示施設です。川上は吉野川の川上、源流地です。奈良県と和歌山県の水道水はここから生まれています。もう一つは「川上総合センターやまぶきホール」です。ここの二階に教育委員会があり、応接室へお邪魔しました。中でお待ちいただいたのは、川上村教育長の弓場さんと村会議員の塩谷さんです。先日の南朝顕彰碑建碑式の時お越しいただく予定だった方が都合悪く欠席されたので、記念の資料集などをお届けしたかったのです。弓場さんも塩谷さんも後南朝の末裔で南帝の御廟のあるお寺、金剛寺での「朝拝式」を守っておられる家柄だそうです。川上村は昔に比べ人口が減少しています。伊勢湾台風で大被害が出たのとダムに水没した村落の人たちが村を離れられたそうです。七千人あった人口が二千人足らずになっています。お聞きすると、「朝拝式」も三カ所であったのを一カ所に合同しておられるとか、神社も山奥に散在していたのを合祀されたとか、いろいろ変遷があるようです。私が初めて知ったのは、ここには大塔宮ゆかりの「大塔神社」があるそうです。この日は聖蹟はどこも行けなかったので日を改めて巡拝したいと思います。頂いた「哀しくもロマンあふれる後南朝」というパンフレットによると、「後南朝の歴史を訪ねて」として各所の由緒説明が詳しく載っています。

○神之谷(こうのたに):金剛寺、河野御所跡、朝拝式、自天王の御遺品。

○神之谷(こうのたに):自天親王神社。

○三之公(さんのこう):カクシ平(行宮跡)。

○東川(うのかわ):住吉神社。

○北塩谷(きたしおたに):大西助五郎の碑。

○寺尾(てらお):御首載(のせ)石。

○高原(たかはら)南帝王の森。

○伯母谷(おばたに):橘将監(たちばなしょうげん)の墓。

川上村は山また山の山国です。西に大峰山、最高峰は大普賢岳(1780m)。南に大台ケ原、経ヶ峰(1529m)。東は三重県大台町の台高山脈と、紀伊半島の屋根に当たる地域です。今から六百年近く前、高貴なお方が山暮らしに耐え南朝の復権を願って住まわれた地、そして御子孫の方々が今も誇りをもって由緒を受け継いでおられることに心から敬意を払いたいと思いました。

 みなさま一度川上村を訪ねて下さい。夏場はキャンプ、釣り堀、バーベキュー、川遊びなどができるそうです。涼しいですよ。

秋には紅葉の中を御聖蹟めぐりはいかがですか。

案内パンフを般若寺へ送っていただけるようです。届いたらお知らせします。

 

*「携帯基地局と電磁波問題」54

今度こういう講演と意見交換の会合があります。

『「電磁波の危険」を考える市民の集い』

 全国各地で携帯電話基地局の設置があいついでいます。それにともなって周辺住民の皆さんに、多くの健康障害が発生していると言われています。真相はどうなのか。ご一緒に考える機会になれば幸いです。

○お話しする人:「電磁波・環境関西の会」代表 泉 泰通 氏(奈良市西登美ヶ丘在住)

○とき:67日(金)午後2時~4時頃まで

○ところ:奈良若草公民館

・主催:(仮称)「電磁波の危険」から健康被害を守る奈良の会 準備会

・問い合わせ先:0742-22-6387(般若寺)

 

〔短歌〕

「ゆきめぐる 楢若葉山 下草に

        洩れ日ちらちら 揺れさだまらぬ」

          木下利玄・一路

〔俳句〕

「紫の さまで濃からず 花菖蒲」久保田万太郎

〔和歌〕

「みわ河の 水せき入れて やまとなる

        ふるのわさ田は さんへとるなり」

          従二位行家・玉葉351

「三輪川の水を塞き止め、導き入れて、大和の布留の早植えの田は、早苗を取り植えているようだ。」

・参考:「佐保川の 水をせき上げて 植ゑし田を

      刈れる早飯は ひとりなるべし」(上句尼、末句家持・万葉1635

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「志度合戦」(しどかつせん)の段、

「 平家は志度の浦に退いたが、そこをも支えられず、どことも知らず海上を逃れていった。義経は平家に味方していた阿波教能をごまかして、降参させた。渡辺にいた梶原以下二百余艘の源氏も屋島に到着した。」

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈笠置山にのぼりて〉

「のびやかに みちによりふす このいはの

         ひとならましを われをろがまむ」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。山上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心が癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

*「泉川 いくみかの原 過ぎぬとも

       夏は思はぬ 衣かせ山」

『最勝四天王院障子和歌』262の慈円大僧正の歌です。

前に紹介した古今集の歌、

「都出でて今日みかの原泉川 川風寒し衣かせ山」をふまえています。

本歌は寒い季節で衣服を貸してほしい、重ねたいというのに対し、夏の季節はみかの原(三日)を幾日経ようとも衣を貸してほしいとは思いませんよ、鹿背山よ。作者の慈円は関白の藤原忠通の子息で天台座主を四度務めた高僧。歌人として有名ですが歴史書『愚管抄』を書いた学僧でもある。

 後鳥羽上皇や慈円僧正のような当代きっての教養人が愛した泉川、瓶の原、鹿背山を後世に残しましょう。良識ある木津川市民の皆さんお願いしますよ。

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