般若寺 季節の花だより 5・13
○春咲コスモス:≪満開≫ 千本程。
ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。
低い背丈に大きな花です。
・からたねおが玉、しゃが、紫雲らん:≪満開≫
・踊子草、金鳳花、ツルニチニチ草:≪満開≫
・花菱草、矢車草、芍薬:≪満開≫
・グラジオラス:≪満開≫
《これから咲く花》
○山アジサイ:≪つぼみ≫
・黄ショウブ、梅花うつ木:5月中旬
○初夏咲コスモス:5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。
・アジサイ:6月上旬~6月下旬
*「南朝御聖蹟を顕彰する」㊳
笠置寺城
『太平記』巻第三 「先帝笠置臨幸の事」
〈 元弘元年八月二十七日、主上笠置へ臨幸なって、本堂を皇居とぞなされける。(笠置寺の本尊は自然石に刻んだ弥勒菩薩像[約15,7m]で、元弘の合戦で焼けながらも現存。像の前に、読経・礼拝のために設けられた十余間に及ぶ回廊状の礼堂があったことは「笠置曼荼羅」[大和文華館]に描かれている。また『吾妻鏡』元久元年四月十日条に、「笠置解脱上人ノ使者去比参着ス。当寺ニ於イテ礼堂ヲ建ツベキノ間、将軍家ノ御奉加ヲ申ス所也」と、礼堂再建のことが見える。)
始め一両日の程は、武威に恐れて参仕する人独りもなかりけるが、東坂本の軍(いくさ)に六波羅勢打ち負け、海東を始めとして数輩打死すと聞きしかば、
(「八月二十八日、海東備前左近大夫将監、其勢十七騎東坂本ニ於イテ合戦ヲ致シ、主従十六騎打死ニシ了ル」[光明寺残篇]。「山法師も戦ひなどして、海東とかやいふつは物討たれにけり」[増鏡・巻十五・むら時雨])
当寺の衆徒を始めとして、近国の兵(つはもの)どもここかしこより馳せ参ること、引きもきらざりけれども、いまだ名字もあり、若党の百騎とも打たせたる物は一人も参らざりけり。
(近国の武士たちがあちらこちらから馳せ参ずることは、絶間がなかった。しかしそうはいっても、勇名が知られ、屈強の若者を百騎ほども従えた武将はまだ一人も参集しなかった。)〉
(つづく)
*「携帯基地局と電磁波問題」(休みます)
〔短歌〕
「やや疲れ 膝くづしつつ 窓による
顔の上気(のぼせ)の にくき女よ」
木下利玄・銀
〔俳句〕
「うの花の 絶間たたかん 闇の門」 去来
〔和歌〕
「あふひ草 かざす卯月の 時鳥
人のこころに まづかかりつつ」
前大納言為家・風雅314
「葵草をかけて飾る賀茂祭の季節、四月になると、時鳥の(もうやって来るはずとの)期待は、(頭や袖にかかる葵鬘よりも)人の心に先ずかかることだよ。」
・葵草なら頭や袖にかかるが、時鳥の初声は早く聞きたいと心にかかるもの、との洒落。
*『平家物語』を読む。
巻第十 「三日平氏」(みつかへいじ)の段、
「 一人残った舎人の武里が維盛の遺書をもって屋島に帰ったので、人々は今までの維盛に対する誤解がとけ、悲しみを新たにした。」
「頼盛が頼朝からしばしば招かれて、鎌倉に下った。彼は頼朝はじめ関東の大名小名の歓待を受け、金持ちになって帰京した。」
「 伊賀伊勢の平氏が蜂起して近江に侵入したが、たちまち亡ぼされた。維盛の北の方が使いを屋島にやって夫の死をはじめて知り、出家してその後世をとぶらった。」
巻第十 「藤戸(ふぢと)」の段、
「 都落ちしてから一年のちの平家は、今や四国の地を保つにすぎない。都では後鳥羽上皇が三種の神器なしで即位式を上げ、範頼義経がそれぞれ任官した。」
「 範頼が平家追討のために都を出発、平家は備前の児島に陣をとっているが、源氏は五丁の海峡が渡れない。佐々木盛綱が土地の男から浅瀬を聞き出したが、かれは聞くだけ聞いてからその男を殺してしまった。」
「 平家が源氏をおびき寄せようとするのにつけこんで、盛綱に続いて源氏の三万騎が島に渡り、終日戦ったあげく、平家を海上に退けた。」
「 都では大嘗会が行なわれ、源氏も供奉を勤めたが、人民疲労の際とてほんの形式だけであった。範頼は遊女を集めて遊び暮らしているので、平家もひと息ついている。」
(つづく)
*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。
〈室生寺にて〉
「みほとけの ひぢまろらなる やははだの
あせむすまでに しげるやまかな」
〈奈良坂にて〉
「ならさかの いしのほとけの おとかひに
こさめなかるる はるはきにけり」
〈東京にかへるとて〉
「あをによし ならやまこへて さかるとも
ゆめにしみえこ わかくさのやま」
〈東京にかへりて後に〉
「ならやまを さかりしひより あさにけに
みてらみほとけ おもかげにたつ」
「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。
*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。 最近の奈良市長の発言によれば、第二候補地(東鳴川)を選定しようとしているようですが、ここは浄瑠璃寺まで数百メートルの直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な庭園風景と珠玉の文化財が破壊されます。これは最悪の無謀な選択です。策定委員会と市長は撤回すべきです。
悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。
日本のふるさと、国のまほろばを失えば日本人は亡国の民となってしまいます。
全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。奈良市当局へ抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。
そして当尾の里、浄瑠璃寺様、岩船寺様を励ましご支援してあげて下さい。
「やまとは 国のまほろば たたなづく
青垣やまごもれる やまとしうるはし」
日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記
この問題を詳しく知りたい方は、
ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。
*きたる5月16日に、旧中川寺成身院にあった薬師如来像を所蔵される木津川市鹿背山地区の「西念寺」様と「鹿背山不動尊」様を拝観するハイキングがあります。午後一時般若寺駐車場へ集合、自動車に乗り合わせて現地へ向かいます。4時過ぎには終わる予定です。ご希望の方は当日参加してください。
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