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2013年5月30日 (木)

般若寺 季節の花だより 5・30

 

《いま咲いている花》

○初夏咲コスモス:≪五分咲き≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

今、70㎝ほどになっています。花が咲きそろう頃には1mをこえる高さになります。秋に比べて花数は少ないですが花は大きく葉は青々しています。

 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、など種類も多種多彩です。

 

・スイカズラ:≪満開≫ 白と黄色の甘い香りのする花です。

・花菱草、矢車草:≪満開≫ 黄色と青色が調和しています。

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫初夏らしい花です。

○山アジサイ:≪五分咲き≫小さな手毬花、額花が色づいています。

・アジサイ:≪つぼみ≫6月上旬~6月下旬

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」54.

 笠置寺城:本性房の活躍

『太平記』巻第三 「六波羅勢笠置を責むる事」

〈 かくて十余日経ける程に、同じき十一日河内国より早馬を打つて、「楠木兵衛正成といふ者、主上に憑(たの)まれ進(まゐ)らせて旌(はた)を挙ぐる間、志ある物は同心し、志なき物は東西に逃げ隠れ、やがて国中の民屋(みんをく)を追捕して己が館の上なる赤坂城に城郭を構へ、兵粮手の定(手の及ぶだけ、力のありったけの意)運び入れて、官軍五百余騎立て籠る。御退治延引あらば、事難儀に及び候ふべし。急ぎ御勢を向けらるべし。」とぞ申しける。

(こうして十数日が過ぎたころ、同じ月の十一日に河内国から早馬の使者が六波羅に現れ、「楠木兵衛正成という者が、帝から頼まれなさって旗揚げをしたので、志ある者は味方になり、志のない者は東西に逃げ隠れし、楠木はすぐに河内の国中の民家を没収して、自分の館の上にある赤坂山に城郭を構え、兵糧を手の及ぶ限り運び入れて、官軍五百余騎が立て籠もっております。御討伐が遅くなりますと、厄介なことになりましょう。急いでご軍勢をさし向けられますよう」と言上した。) 〉(つづく)

 

*「携帯基地局と電磁波問題」55

《 「電磁波の危険」を考える市民の集い 》

 全国各地で携帯電話基地局の設置があいついでいます。それにともなって周辺住民の皆さんに、多くの健康障害が発生していると言われています。真相はどうなのか。ご一緒に考える機会になれば幸いです。

○お話しする人:「電磁波・環境関西の会」代表 泉 泰通 氏(奈良市西登美ヶ丘在住)

○とき:67日(金)午後2時~4時頃まで

○ところ:奈良若草公民館

・主催:(仮称)「電磁波の危険」から健康被害を守る奈良の会 準備会

・問い合わせ先:0742-22-6387(般若寺)

 

〔短歌〕

「日かげれば 若葉はくもり この見ゆる

         景色の気持ち とみにしかはりつ」

           木下利玄・一路

〔俳句〕

「額咲くや 渓とて岩の 苔衣」尾崎迷堂

〔和歌〕

「あやめふく かやが軒ばに 風過ぎて

         しどろにおつる むらさめの露」

           後鳥羽院御製・玉葉345

「五月の節句のために菖蒲の葺いてある、茅葺の貧しい小家の軒端に風が吹き過ぎて、急に乱れてしたたり落ちる、たまっていた五月雨の雫よ。」

・しどろに=秩序なく乱れて。

・詞書:百首御歌の中に=遠島百首。承久の乱で配流された後鳥羽院が隠岐で詠んだ百首。

 

*『平家物語』を読む。

巻十一 「鶏合壇浦合戦」(とりあはせだんのうらかっせん)の段、

「 義経は周防に渡り範頼の軍に合した。熊野の湛増、伊予の河野通信も源氏の味方になった。源平が矢合せする日になって、義経と梶原との間に血闘が起こりかけたが、人々がやっとおしとどめた。」

「 源平の舟は接近した。源氏は舟の数こそ多いが、海戦を得意とする平家に押され気味である。」

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈山田寺の址にて〉

「くさふめば くさにかくるる いしずゑの

         くつのはくしやに ひびくさびしさ」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。山上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心が癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

*「泉川 いくみかの原 過ぎぬとも

       夏は思はぬ 衣かせ山」

『最勝四天王院障子和歌』262の慈円大僧正の歌です。

前に紹介した古今集の歌、

「都出でて今日みかの原泉川 川風寒し衣かせ山」をふまえています。

本歌は寒い季節で衣服を貸してほしい、重ねたいというのに対し、夏の季節はみかの原(三日)を幾日経ようとも衣を貸してほしいとは思いませんよ、鹿背山よ。作者の慈円は関白の藤原忠通の子息で天台座主を四度務めた高僧。歌人として有名ですが歴史書『愚管抄』を書いた学僧でもある。

 後鳥羽上皇や慈円僧正のような当代きっての教養人が愛した泉川、瓶の原、鹿背山を壊さないで。

 

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