般若寺 季節の花だより 5・25
《いま咲いている花》
○春咲コスモス:≪満開・少し盛りを過ぎました≫ 千本程。
ソナタ、ビッキーという種類が咲いています。
低い背丈に赤白ピンクの大きな花が鮮やかです。
○初夏咲コスモス:≪咲きはじめ≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。
今、70㎝ほどになっています。花が咲きそろう頃には1mをこえる高さになります。
・梅花うつ木、定家カズラ:≪満開≫ 純白の甘い香りのする花です。
・花菱草、矢車草:≪満開≫ 黄色と青色が調和しています。
・睡蓮:≪咲きはじめ≫初夏らしい花です、ヒツジ草はまだです。
○山アジサイ:≪つぼみ≫小さな手毬花が色づいてきました。
《これから咲く花》
・黄ショウブ、スイカズラ:5月下旬
・アジサイ:6月上旬~6月下旬
*「南朝御聖蹟を顕彰する」50.
笠置寺城
『太平記』巻第三 「六波羅勢笠置を責むる事」
〈 遥かなる谷一つ隔てて、二町余りが外に引(ひか)へたる荒尾九郎(あらおくろう、尾張国知多郡荒尾出身の武士か)、鎧の栴檀の板(鎧の右肩から胸につける板、栴檀の板)、右の脇まで射徹(いとほ〉して、矢鏃(やじり)紅(くれなゐ)にそめてぞ出でたりける(血に染まった鏃が突き出た)。一矢なれども究竟(くつきやう)の所を、しかも精兵(せいびやう)に徹されて(たった一矢ではあったが、急所を、しかも強弓の射手に射通されて)、荒尾馬より倒(さかしま)に落ちて、起きも直らで死にけり。舎弟弥五郎、これを敵(かたき)に見せじと矢面に立ち陰(かく)して、楯の端(はづ)れより進み出でて申しけるは、「足助殿の御弓勢(ゆんぜい)、日来奉(ひごろうけたまは)りし程はなかりけり。ここを遊ばし候へ」と、物具の仁(さね、札。鉄または革で作った小さい板)の程試みんと欺きて、弦走(つるばしり、鎧の胴の正面から左脇にかけての部分。普通、弓の弦が当るのを防ぐために染皮を用いる。)を扣(たた)いてぞ立つたりける。足助これを聞いて、「この者の云いひ様、いかさま鎖に腹巻かをかさねてればぞ、先の矢を見ながら、ここを射よ、とは敲くらん。(この者の言い様は、きっと鎧の下に鎖帷子を着ているか、腹巻を重ねて着込んでいるからにこそ、先の矢を見ながら、ここを射よと胴を叩くのであろう。)
もしさもあらば、鎧の上は箆(の)砕け、鏃折れて通らぬ事もあるべし。甲の真向(まつかう)を射たらんに、などか砕けて透(とほ)らざらんや」と思案して、胡籙(えびら)より金神頭(かなじんどう、鏃の一種。長さ5、6センチで、鏑矢荷に似て、先を平らに切った形。多くは木製だが、これは鉄製のもの)を一つ抜き出して鼻油引きて鎧の高紐(たかひぼ、鎧の肩の綿上[わたがみ]と胸板をつなぐ紐。よろいが弦に触れないようにはずした。)を推しはづし、十三束三臥(じふさんぞくみつぶせ)、先よりもなほ引きしぼりて、弦音高く切つてはなつに、矢所(やどころ)さらに違(たが)はずして、荒尾弥五郎が甲の真向の金物の上二寸ばかり射砕きて、眉間の只中、沓巻(くつまき、矢竹の、鏃をつけた所に糸を巻き付けた部分)責めて立つたれば、二言とも謂はず、兄弟同じ枕に倒れ重なつてぞ臥しにける。〉 (つづく)
○23日の除幕式啓白文:前半の分
南朝御聖蹟顕彰碑除幕式啓白の文
敬って真言教主 大日如来 両部界会 諸尊聖衆
別しては 本尊聖者 大聖文殊 蓮華部中 諸大眷属
惣じては仏眼所照微塵刹土の一切三宝境界に啓して言さく
伏して惟るに 当山般若寺は舒明天皇元年の開創にして
天平七年聖武天皇王城鬼門鎮護のため伽藍を整え
般若寺の寺号を定め勅願寺に加えらる
爾来学問寺の法灯を伝えるも
治承四年平家南都攻めの回禄ありて全山焼亡す
時遷りて建長年間観良上人十三重大石塔を建立し
伽藍再興を企て天平の輪奐を回復す
文永四年に至りては西大寺興正菩薩叡尊長老
造顕せらるる丈六文殊菩薩像の開眼供養を致され
同六年には真言律宗一門を上げて生活困窮者救済のため無遮の大会を執行し文殊菩薩衆生済度の本誓に倣う
さらに元亨四年三月七日経蔵秘仏八字文殊菩薩騎獅像
造立せらる 現本堂御本尊なり
本像は昭和三十六年学術調査により発見されたる
体内銘文により
文観上人殊音師の発願にして 願文には
法界衆生発菩提心
金輪聖主御願成就の御為と記され
後醍醐天皇の御親政実現即ち建武中興の御祈願仏と判明す
八字文殊菩薩とは聖典『文殊師利法寶陀羅尼経』に曰く
一切の十善を行ずる国王を擁護して
意の如く寿命長遠を得せしめ
福徳果報は無比にして逾(いよいよ)勝り
諸方の兵甲ことごとく皆休息し
国土は安寧に王の所有として
常に増長を得しめん と
金輪聖王の聖徳を称え擁護する菩薩なり
同年九月天皇方の討幕計画が発覚する正中の変起こり
関係者処罰さるるも後醍醐天皇には累及ばず
しかれども元弘元年五月に至り
*「携帯基地局と電磁波問題」(休みます)
〔短歌〕
「み吉野の おくへこころざす 岨さむみ
よこぎりあへず 霧のしまきを」
木下利玄・一路
〔俳句〕
「花茨 かぶさりかかる 野水かな」高濱虚子
〔和歌〕
「あやめつたふ 軒のしずくも たえだえに
晴れまにむかふ五月雨の空」
院冷泉・風雅347
「葺いた菖蒲を伝って落ちる軒の雨滴も絶え間がちになって、晴れ間が見えそうになって来る、五月雨の空よ。」
*『平家物語』を読む。(休みます)
*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。
〈香具山にのぼりて〉
「はるののの ことしげみかも やまかげの
くはのもとどり とかずへにつつ」
〈奈良坂にて〉
「ならさかの いしのほとけの おとかひに
こさめなかるる はるはきにけり」
〈東京にかへるとて〉
「あをによし ならやまこへて さかるとも
ゆめにしみえこ わかくさのやま」
〈東京にかへりて後に〉
「ならやまを さかりしひより あさにけに
みてらみほとけ おもかげにたつ」
「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。
*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺や正倉院、東大寺、春日山に近い「中ノ川・東鳴川」に奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。 最近の奈良市長の発言によれば、第二候補地(東鳴川)を選定しようとしているようですが、ここは浄瑠璃寺まで数百メートルの直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突から煙が吐き出されることになれば、日本の宝、世界の宝である神聖な庭園風景と珠玉の文化財が破壊されます。これは最悪の無謀な選択です。策定委員会と市長は撤回すべきです。
悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。
日本のふるさと、国のまほろばを失えば日本人は亡国の民となってしまいます。
全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。奈良市当局へ抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。
そして当尾の里、浄瑠璃寺様、岩船寺様を励ましご支援してあげて下さい。
「やまとは 国のまほろば たたなづく
青垣やまごもれる やまとしうるはし」
日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記
この問題を詳しく知りたい方は、
ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。
*木津川市の鹿背山(かせやま)は、奈良時代に一時期都があった恭仁京(くにきょう)の左京(都の東部、旧加茂町)と右京(都の西部、旧木津町)を隔てる中央部に当たります。恭仁京の宮城は左京の木津川北部に置かれていたので、平城京などと比べると変則的な都城設計になっています。鹿背山はいわば都の中央の甘南備山(かんなび、神が住まうお山)であり、川沿いには「瓶の原(みかのはら)離宮」もありました。奈良時代の大宮人は平城京にはなかった水辺のある都住まいを楽しまれたことでしょう。
木津川市の市長さんへ提言します。ごみ焼却場をやめて現代版「みかのはら離宮」、市民のための離宮を作り歴史公園として全国発信されたらどうでしょうか。拍手喝采を得られますよ。もっと積極的に歴史的自然景観を活用すべきです。
| 固定リンク
コメント