般若寺 季節の花だより 6・30
今日で水無月は終わります、明日からは文月。
《いま咲いている花》
○夏コスモス:≪五分咲き≫7月上旬まで咲きます。15種類、3万本。
この時期
のコスモスは花数は少ないですが花が大きいです。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなどです。
・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の睡蓮の原生種。これから初秋まで咲きます。
・アジサイ:≪見ごろ≫
・キョウチクトウ:≪満開≫
《秋のコスモス》9月中旬~11月中旬。35種類。10万本。
*「南朝御聖蹟を顕彰する」(休みます)
〔短歌〕
「草堤(くさどて)の 茅(かや)が根もとに 野いばらの
白く泣き居る 夏の停車場」
木下利玄・銀
〔俳句〕
「合掌に 梅雨の光の 来てゐたり」原裕
〔和歌〕
「月や出づる 星のひかりの かはる哉
すずしき風の 夕やみの空」
伏見院御歌・風雅391
「月が出るのだろうか。(今まで強く輝いていた)星の光が変って来たことだ。涼しい風の吹く、夕闇の空よ。」
・星のひかりの=月の出の前の微光によって、星の光のやや弱まる事をいう。
*『平家物語』を読む。
巻第十二 「大地震」(だいぢしん)の段、
〈 平家みなほろびはてて、西国もしづまりぬ。国は国司にしたがひ、庄は領家のままなり。(庄園は領家の思うままになった。領家は京都にいる庄園の名義的所有者)
上下安堵しておぼえし程に、同(おなじき)七月九日の午刻ばかりに、大地おびたたしくうごいて良久(ややひさ)し。赤懸(せきけん、都に近い所)のうち、白河のほとり、六勝寺(白河にあった院の御願寺、六ヵ寺)皆やぶれくづる。九重の塔(法勝寺にあった九重の大塔)もうへ六重ふりおとす。得長寿院も三十三間の御堂を十七間までふりたうす。皇居をはじめて人々の家々(身分ある方々の家)、すべて在々所々神社仏閣(所々方々の神社仏閣)、あやしの民屋(みんをく、一般人の住家)、さながら(すっかり、全部)やぶれくづる。くづるる音はいかづちのごとく、あがる塵は煙のごとし。天暗うして日の光も見えず。老少ともに魂をけし、朝衆(てうしゆ、朝廷に仕える人と一般民衆)悉く心をつくす。又遠国近国もかくのごとし。大地さけて水わきいで、盤石われて谷へまろぶ。山くづれて河をうづみ、海ただよひて(海水が揺れ動いて)浜をひたす。汀(みぎは)こぐ船はなみにゆられ、陸(くが)ゆく駒は足のたてど(足を立てる所)をうしなへり。洪水みなぎり来たらば、丘にのぼッてもなどかたすからざらむ、、猛火(みやうか)もえ来たらば、河をへだててもしばしもさ(去)んぬべし(避けることができる)。ただ悲しかりけるは大地震なり。鳥にあらざれば空をもかけりがたく、龍(れう)にあらざれば雲にも又のぼりがたし。〉
(つづく)
*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。
〈香薬師 昭和十八年三月
三月二十八日報ありちか頃その寺に詣でて拝
観したる香薬師像のたちまち報あり何者にか
盗み去られて今はすでにおはしまさずといふ
を聞きて詠める〉
「みほとけは いまさずなりて ふるあめに
わがいしぶみの ぬれつつかあらむ」
〈東京にかへるとて〉
「あをによし ならやまこへて さかるとも
ゆめにしみえこ わかくさのやま」
〈東京にかへりて後に〉
「ならやまを さかりしひより あさにけに
みてらみほとけ おもかげにたつ」
「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。
*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。
建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。
そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の宝、世界の至宝であるのに。平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。
このような事態は考えるのもおぞましい、最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と奈良市長は計画を即刻撤回すべきです。
この地域は、いにしえの奈良山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。
「やまとは 国のまほろば たたなづく
青垣やまごもれる やまとしうるはし」
日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記
悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。
全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。
奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。
*6月20日、木津川市加茂町当尾地区の五ヵ寺の寺院住職方と総代方が奈良市にクリーンセンター計画現候補地の撤回を申し入れされました。この計画は余りにも当尾地区に近接した場所であります。特に浄瑠璃寺とは隣接しています。あの美しい平安時代の浄土式庭園を拝観しようとすると、真上の空にゴミ焼きの煙が立ちのぼることになります。あるいは煙突が見えるかもしれません。奈良市長と策定委員会の委員たちは浄瑠璃寺へ行ったことがないのでしょうか、堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」を読んだことがないのでしょうか。
この計画が実行されれば、全国の熱烈な浄瑠璃寺ファンの人たちは奈良市の暴挙に怒りを覚えるでしょう。そしてこの計画を立案し実行するあなた方を許さないでしょう。
日本の最も美しい景観と文化財、神聖な寺域を破壊する人達の悪名は歴史に名を刻まれることになります。
* 著名な写真家、土門拳氏の写真集『古寺を訪ねて―斑鳩から奈良へ』に録されたエッセイ「浄瑠璃と石仏」から
「 もはやぼくたちには浄土信仰の何たるかは理解のしようがないにちがいない。しかし信仰というからには、浄土を彼岸に思い描くものと考えられるが、平等院鳳凰堂や浄瑠璃寺などの浄土美術を見ると、浄土を此岸に現前させようと必死になっていたとしか考えられない。少なくとも此岸において彼岸へのあこがれをかきたてようと、いわば浄土の見本をつくっていたように思われる。
保元二年(1157)当時の加茂の村里も今と大差あるまい。こんな山の中に美しい大伽藍をつくったのは、どういう考えだったのであろうか。そして京から奈良から、野越え山越え浄土信者たちは詣でたのであろうか。その道のりの遠さは、彼岸への遠さと似ていたのであろうか。
浄瑠璃寺境内に雨におもたくぬれるさくらは、ものうく、あまく、人の世のさびしさ、あわれさをいまさらのように考えさせている。」
(小学館文庫 2001/2010刊 定価本体938円+税)
* また中ノ川地区には、真言声明南山進流の発祥地であり、奈良における本格的な密教寺院であった「中ノ川寺成身院」遺跡、「法相」「律」「真言密教」「天台浄土教」を集大成された当代随一の学僧であった実範上人五輪塔があります。東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の日本文化の宝、壊してはならない歴史遺産です。
この問題を詳しく知りたい方は、
ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」からリンクされています。
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