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2013年6月

2013年6月30日 (日)

般若寺 季節の花だより  6・30

 

今日で水無月は終わります、明日からは文月。

《いま咲いている花》

○夏コスモス:≪五分咲き≫7月上旬まで咲きます。15種類、3万本。

この時期

のコスモスは花数は少ないですが花が大きいです。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなどです。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の睡蓮の原生種。これから初秋まで咲きます。

・アジサイ:≪見ごろ≫

・キョウチクトウ:≪満開≫

《秋のコスモス》9月中旬~11月中旬。35種類。10万本。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」(休みます)

 

〔短歌〕

「草堤(くさどて)の 茅(かや)が根もとに 野いばらの

           白く泣き居る 夏の停車場」

            木下利玄・銀

〔俳句〕

「合掌に 梅雨の光の 来てゐたり」原裕

〔和歌〕

「月や出づる 星のひかりの かはる哉

         すずしき風の 夕やみの空」

           伏見院御歌・風雅391 

「月が出るのだろうか。(今まで強く輝いていた)星の光が変って来たことだ。涼しい風の吹く、夕闇の空よ。」

・星のひかりの=月の出の前の微光によって、星の光のやや弱まる事をいう。

 

*『平家物語』を読む。

巻第十二 「大地震」(だいぢしん)の段、

〈 平家みなほろびはてて、西国もしづまりぬ。国は国司にしたがひ、庄は領家のままなり。(庄園は領家の思うままになった。領家は京都にいる庄園の名義的所有者)

 上下安堵しておぼえし程に、同(おなじき)七月九日の午刻ばかりに、大地おびたたしくうごいて良久(ややひさ)し。赤懸(せきけん、都に近い所)のうち、白河のほとり、六勝寺(白河にあった院の御願寺、六ヵ寺)皆やぶれくづる。九重の塔(法勝寺にあった九重の大塔)もうへ六重ふりおとす。得長寿院も三十三間の御堂を十七間までふりたうす。皇居をはじめて人々の家々(身分ある方々の家)、すべて在々所々神社仏閣(所々方々の神社仏閣)、あやしの民屋(みんをく、一般人の住家)、さながら(すっかり、全部)やぶれくづる。くづるる音はいかづちのごとく、あがる塵は煙のごとし。天暗うして日の光も見えず。老少ともに魂をけし、朝衆(てうしゆ、朝廷に仕える人と一般民衆)悉く心をつくす。又遠国近国もかくのごとし。大地さけて水わきいで、盤石われて谷へまろぶ。山くづれて河をうづみ、海ただよひて(海水が揺れ動いて)浜をひたす。汀(みぎは)こぐ船はなみにゆられ、陸(くが)ゆく駒は足のたてど(足を立てる所)をうしなへり。洪水みなぎり来たらば、丘にのぼッてもなどかたすからざらむ、、猛火(みやうか)もえ来たらば、河をへだててもしばしもさ(去)んぬべし(避けることができる)。ただ悲しかりけるは大地震なり。鳥にあらざれば空をもかけりがたく、龍(れう)にあらざれば雲にも又のぼりがたし。〉

 (つづく)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈香薬師 昭和十八年三月

三月二十八日報ありちか頃その寺に詣でて拝

観したる香薬師像のたちまち報あり何者にか

盗み去られて今はすでにおはしまさずといふ

を聞きて詠める〉

「みほとけは いまさずなりて ふるあめに

         わがいしぶみの ぬれつつかあらむ」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の宝、世界の至宝であるのに。平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は考えるのもおぞましい、最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と奈良市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの奈良山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

 

620日、木津川市加茂町当尾地区の五ヵ寺の寺院住職方と総代方が奈良市にクリーンセンター計画現候補地の撤回を申し入れされました。この計画は余りにも当尾地区に近接した場所であります。特に浄瑠璃寺とは隣接しています。あの美しい平安時代の浄土式庭園を拝観しようとすると、真上の空にゴミ焼きの煙が立ちのぼることになります。あるいは煙突が見えるかもしれません。奈良市長と策定委員会の委員たちは浄瑠璃寺へ行ったことがないのでしょうか、堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」を読んだことがないのでしょうか。

この計画が実行されれば、全国の熱烈な浄瑠璃寺ファンの人たちは奈良市の暴挙に怒りを覚えるでしょう。そしてこの計画を立案し実行するあなた方を許さないでしょう。

 日本の最も美しい景観と文化財、神聖な寺域を破壊する人達の悪名は歴史に名を刻まれることになります。

 

 著名な写真家、土門拳氏の写真集『古寺を訪ねて―斑鳩から奈良へ』に録されたエッセイ「浄瑠璃と石仏」から

「 もはやぼくたちには浄土信仰の何たるかは理解のしようがないにちがいない。しかし信仰というからには、浄土を彼岸に思い描くものと考えられるが、平等院鳳凰堂や浄瑠璃寺などの浄土美術を見ると、浄土を此岸に現前させようと必死になっていたとしか考えられない。少なくとも此岸において彼岸へのあこがれをかきたてようと、いわば浄土の見本をつくっていたように思われる。

 保元二年(1157)当時の加茂の村里も今と大差あるまい。こんな山の中に美しい大伽藍をつくったのは、どういう考えだったのであろうか。そして京から奈良から、野越え山越え浄土信者たちは詣でたのであろうか。その道のりの遠さは、彼岸への遠さと似ていたのであろうか。

 浄瑠璃寺境内に雨におもたくぬれるさくらは、ものうく、あまく、人の世のさびしさ、あわれさをいまさらのように考えさせている。」

(小学館文庫 20012010刊 定価本体938円+税)

 

* また中ノ川地区には、真言声明南山進流の発祥地であり、奈良における本格的な密教寺院であった「中ノ川寺成身院」遺跡、「法相」「律」「真言密教」「天台浄土教」を集大成された当代随一の学僧であった実範上人五輪塔があります。東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の日本文化の宝、壊してはならない歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」からリンクされています。Img_5820

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2013年6月29日 (土)

般若寺 季節の花だより  6・29

 

《いま咲いている花》

○夏コスモス:≪五分咲き≫7月上旬まで咲きます。15種類、3万本。

この時期

のコスモスは花数は少ないですが花が大きいです。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなどです。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の睡蓮の原生種。これから初秋まで咲きます。

・アジサイ:≪見ごろ≫

・キョウチクトウ:≪満開≫

《秋のコスモス》9月中旬~11月中旬。35種類。10万本。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」81

大塔宮:

『太平記』巻第五 「大塔宮南都御隠居後(のち)十津川御栖(おんすま)ひの事」(別写本では「大塔宮熊野落事(をほたうのみやくまのをちのこと)」)

〈 玄存、これを聞いて、「安き程の事にて候ふ。ただし、我らは夫山伏(ぶやまぶし、笈などの荷を背負って先逹に従う山伏、強力の仕事をする山伏)と申し、何も知らざる物にて候ふ。あれに候ふ堂に度(わた)らせ給ふ客僧こそ、修験第一の先逹にて御座(おはしま)し候へ。この由申し候はんに、子細候はじ」と、返事しければ、この女、大いに喜んで、「さらば、やがて御申し候へ」とて、ひそめく事限りなし。律師立ち帰り、この由を申しければ、宮大いに御快げにて、御伴の物ども召し具して、かれが宿所へぞ入らせ給ひける。

(玄存はこれを聞いて、「お安いご用です。但し、我々は強力山伏と申します。何も知らない山伏です。向うに見えるお堂にいらっしゃる諸国行脚の僧こそ、霊験第一の先逹でございます。このことをお話し申しても、さしつかえはござるまい」と返事をしたところ、この女はたいへん喜んで、「ではすぐにご案内ください」と言って、家中でひそひそと話し合っている。妙光坊律師は急いでお堂へ帰り、このことを申しあげると、大塔宮はたいそうご気分よさそうにして、お伴の者たちを引き連れて、戸野兵衛の家へお入りになった。)

この宮は、かたじけなくも十善の貴種と申しながら、二品(にほん)の高尚に昇り御(おはしま)し、三千の貫主(かんじゆ)に備はり給ふ。さる嘉暦二年の比かとよ、禁裏にて北斗の法(密教で、北斗七星を本尊とし、息災または天変地妖を除くために修する法)御謹仕の時、その修の中に、最勝講(朝廷が毎年五月に清涼殿で行った法会。金光明最勝王経を講説し、国家の安泰を祈願した法会)を行はれしに、厳密の公請(くじやう)を聞いて講行を御勤めありしに、修学の名望他に異なりしかば、その結願(けちぐわん)の日、三品親王の位を授かり、一山の貫頂(くわんちやう、一山一寺の長。ここは比叡山延暦寺の座主であったことをいう)に輔(ふ)せられ座(ましま)しき。されば御験(しるし)も何をか嫌ふべきなれば、宮、病者の傍らに立ちよらせ給ひて、御念珠をさらさらと推し揉ませ給ふ。

(この宮は、かたじけなくも、天子の御子というけれども二品という高位にお昇りになり、比叡山三千人の僧徒の貫主におなりになった。去る嘉暦二年のころであったか、宮中で天変地妖を除く北斗の法をお勤めなされたとき、その最中に金光明最勝王経の講説が行われた。宮は周到な講説を聞き、北斗の法を修されたが、修学に関しての評判の高さは他の人々を圧したので、その密法結願の日に、三品親王の位をいただき、叡山の貫主におなりになったのである。そういう宮であるから、修験の霊験をお示しになるのを嫌われるはずもなく、病人の枕もとにお寄りになって、御数珠をさらさらと押すようにおもみになった。)

 千手陀羅尼(千手観音の功徳を説いた根本呪で、八十二句あり)を十返ばかり満ちさせたま給へば、病者さまざまの事を口走り、明王の縛(不動明王が左手に持つ羂索でしばられたような様子で、の意。)に懸けられたる体にて手足縮(つづ)まり五体に汗を流し、物の怪やがて立ち去れば病者たちまちによくなりにけり。

(千手陀羅尼を十遍ほど唱えなさると、病人はさまざまのことを口走り、不動明王の呪縛にかけられた様子で、手足を縮めて、体じゅうに汗をかき、物の怪はすぐに退散したので、病人はたちまち治ってしまった。)〉

(つづく)

 

〔短歌〕

「汽車とまり 汽車の出て行く 停車場の

         ダリヤの花の 昼のくたびれ」

           木下利玄・銀

〔俳句〕

「紫陽花に 手鏡おもく 病むと知れよ」中尾白雨

〔和歌〕

「あまの原 雲井は夏の よそなれや

みればすずしき 月の影哉」

          前右衛門督基顕・玉葉384

「あの雲のいる空というものは、夏とは無縁な場所なのだろうか。見ればいかにも涼しい月の姿であるよ。」

 

*『平家物語』を読む。

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈香薬師 昭和十八年三月

三月二十八日報ありちか頃その寺に詣でて拝

観したる香薬師像のたちまち報あり何者にか

盗み去られて今はすでにおはしまさずといふ

を聞きて詠める〉

「みほとけは いかなるしこの をのこらが

         やどにかたたす ゆめのごとくに」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の宝、世界の至宝であるのに。平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は考えるのもおぞましい、最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と奈良市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの奈良山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

 

620日、木津川市加茂町当尾地区の五ヵ寺の寺院住職方と総代方が奈良市にクリーンセンター計画現候補地の撤回を申し入れされました。この計画は余りにも当尾地区に近接した場所であります。特に浄瑠璃寺とは隣接しています。あの美しい平安時代の浄土式庭園を拝観しようとすると、真上の空にゴミ焼きの煙が立ちのぼることになります。あるいは煙突が見えるかもしれません。奈良市長と策定委員会の委員たちは浄瑠璃寺へ行ったことがないのでしょうか、堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」を読んだことがないのでしょうか。

この計画が実行されれば、全国の熱烈な浄瑠璃寺ファンの人たちは奈良市の暴挙に怒りを覚えるでしょう。そしてこの計画を立案し実行するあなた方を許さないでしょう。

 日本の最も美しい景観と文化財、神聖な寺域を破壊する人達の悪名は歴史に名を刻まれることになります。

 

 著名な写真家、土門拳氏の写真集『古寺を訪ねて―斑鳩から奈良へ』に録されたエッセイ「浄瑠璃と石仏」から

「 もはやぼくたちには浄土信仰の何たるかは理解のしようがないにちがいない。しかし信仰というからには、浄土を彼岸に思い描くものと考えられるが、平等院鳳凰堂や浄瑠璃寺などの浄土美術を見ると、浄土を此岸に現前させようと必死になっていたとしか考えられない。少なくとも此岸において彼岸へのあこがれをかきたてようと、いわば浄土の見本をつくっていたように思われる。

 保元二年(1157)当時の加茂の村里も今と大差あるまい。こんな山の中に美しい大伽藍をつくったのは、どういう考えだったのであろうか。そして京から奈良から、野越え山越え浄土信者たちは詣でたのであろうか。その道のりの遠さは、彼岸への遠さと似ていたのであろうか。

 浄瑠璃寺境内に雨におもたくぬれるさくらは、ものうく、あまく、人の世のさびしさ、あわれさをいまさらのように考えさせている。」

(小学館文庫 20012010刊 定価本体938円+税)

 

* また中ノ川地区には、真言声明南山進流の発祥地であり、奈良における本格的な密教寺院であった「中ノ川寺成身院」遺跡、「法相」「律」「真言密教」「天台浄土教」を集大成された当代随一の学僧であった実範上人五輪塔があります。東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の日本文化の宝、壊してはならない歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」からリンクされています。Img_5799


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2013年6月28日 (金)

般若寺 季節の花だより  6・28

 

《いま咲いている花》

○夏コスモス:≪五分咲き≫7月上旬まで咲きます。15種類、3万本。

この時期

のコスモスは花数は少ないですが花が大きいです。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなどです。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の睡蓮の原生種。これから初秋まで咲きます。

・アジサイ:≪見ごろ≫

・キョウチクトウ:≪満開≫

《秋のコスモス》9月中旬~11月中旬。35種類。10万本。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」80

大塔宮:

『太平記』巻第五 「大塔宮南都御隠居後(のち)十津川御栖(おんすま)ひの事」(別写本では「大塔宮熊野落事(をほたうのみやくまのをちのこと)」)

〈 いかにもして、これを慿(たの)まばやと思ひければ、門の中へ入りて体(てい)を見るに、家の中に病者ありと覚えて、女の声にて、「哀れ、貴(たつと)からん験者(げんざ、験をあらわす行者。加持祈祷して物の怪などを退散させ、病気を治して霊験をあらわす)の来たれかし。祈らせ奉りてみん」といふ声しければ、

(何とかしてこの男に力になってもらいたい、と思ったので、妙光坊律師は門の中に入って、家の様子をうかがっていると、家中に病人があると見えて、女の声で、「ああ、霊験あらたかな修験者が来てくれないものかしら。来ればお祈りしていただくのに」という声がしたので)

玄存(げんぞん)、すはや究竟(くつきやう)の事よと思ひて、声を高らかにあげて、「熊野三重の滝に七日打たれ、那智籠り百日畢(をは)つて、三十三所の巡礼する山伏に一夜の宿かし給へ」とぞ申しける。

(妙光坊の玄存は、しめた、おあつらえむきのことだと思って、声を張りあげて、「那智の三重の滝に七日打たれ、そのうえ百日間の那智籠りを終えて、西国三十三カ所を巡礼する山伏に一夜の宿をお貸しいただきたい」と言った。)

これを聞いて、内より女人立ち出でて、「これこそしかるべき仏神の御助けにて候へ。この主の女房、物の怪を病ませ給ひ候ふが、今は慿(たの)む方なく候ふ。祈って給(たば)せたまへ」とぞ、打ちわびける。

(この声を聞いて、家の中から女性が出て来て、「これはきっと、しかるべき神仏のお助けでございます。この家の奥方が物の怪に憑かれて病気になっていらっしゃるのですが、もう頼れる方法がないのでございます。ご祈祷してください」と、困って言うのだった。)〉 (つづく)

 

〔短歌〕

「駒込の 停車場に来れば あはれにも

       萩のひほへる 七月の末」

         木下利玄・銀

〔俳句〕

「流れあり 雨の浮葉を つづりたる」能村登四郎

〔和歌〕

「まだよひの 月まつとても 明けにけり

         みじかき夢の むすぶともなく」

           後鳥羽院御歌・390

[まだよひながら明けぬるを]という、その遅く出る月を待っているうちに、いつの間にか夜は明けてしまった。短い夏の夜の夢を見る程のひまもなくて。」

・参考:「夏の夜はまだよひながら明けぬるを

       雲のいづこに月宿るらむ」(古今166、深養父)

 

*『平家物語』を読む。(「重衡の斬られ」にて終了する予定でしたが、第十二巻の初段「大地震」まで読みたいと思います。)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』『山光集』より、奈良愛惜の歌。

〈香薬師 昭和十八年三月

三月二十八日報ありちか頃その寺に詣でて拝

観したる香薬師像のたちまち報あり何者にか

盗み去られて今はすでにおはしまさずといふ

を聞きて詠める〉

「をろがみて きのふのごとく かへりこし

         みほとけすでに なしといはずやも」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の宝、世界の至宝であるのに。平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は考えるのもおぞましい、最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と奈良市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの奈良山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

 

620日、木津川市加茂町当尾地区の五ヵ寺の寺院住職方と総代方が奈良市にクリーンセンター計画現候補地の撤回を申し入れされました。この計画は余りにも当尾地区に近接した場所であります。特に浄瑠璃寺とは隣接しています。あの美しい平安時代の浄土式庭園を拝観しようとすると、真上の空にゴミ焼きの煙が立ちのぼることになります。あるいは煙突が見えるかもしれません。奈良市長と策定委員会の委員たちは浄瑠璃寺へ行ったことがないのでしょうか、堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」を読んだことがないのでしょうか。

この計画が実行されれば、全国の熱烈な浄瑠璃寺ファンの人たちは奈良市の暴挙に怒りを覚えるでしょう。そしてこの計画を立案し実行するあなた方を許さないでしょう。

 日本の最も美しい景観と文化財、神聖な寺域を破壊する人達の悪名は歴史に名を刻まれることになります。

 

 著名な写真家、土門拳氏の写真集『古寺を訪ねて―斑鳩から奈良へ』に録されたエッセイ「浄瑠璃と石仏」から

「 もはやぼくたちには浄土信仰の何たるかは理解のしようがないにちがいない。しかし信仰というからには、浄土を彼岸に思い描くものと考えられるが、平等院鳳凰堂や浄瑠璃寺などの浄土美術を見ると、浄土を此岸に現前させようと必死になっていたとしか考えられない。少なくとも此岸において彼岸へのあこがれをかきたてようと、いわば浄土の見本をつくっていたように思われる。

 保元二年(1157)当時の加茂の村里も今と大差あるまい。こんな山の中に美しい大伽藍をつくったのは、どういう考えだったのであろうか。そして京から奈良から、野越え山越え浄土信者たちは詣でたのであろうか。その道のりの遠さは、彼岸への遠さと似ていたのであろうか。

 浄瑠璃寺境内に雨におもたくぬれるさくらは、ものうく、あまく、人の世のさびしさ、あわれさをいまさらのように考えさせている。」

(小学館文庫 20012010刊 定価本体938円+税)

 

* また中ノ川地区には、真言声明南山進流の発祥地であり、奈良における本格的な密教寺院であった「中ノ川寺成身院」遺跡、「法相」「律」「真言密教」「天台浄土教」を集大成された当代随一の学僧であった実範上人五輪塔があります。東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の日本文化の宝、壊してはならない歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」からリンクされています。Img_5735

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2013年6月27日 (木)

般若寺 季節の花だより  6・27

 

《いま咲いている花》

○夏コスモス:≪五分咲き≫7月上旬まで咲きます。15種類、3万本。

この時期

のコスモスは花数は少ないですが花が大きいです。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなどです。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の睡蓮の原生種。これから初秋まで咲きます。

・アジサイ:≪見ごろ≫

・キョウチクトウ:≪満開≫

《秋のコスモス》9月中旬~11月中旬。35種類。10万本。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」79

大塔宮:

『太平記』巻第五 「大塔宮南都御隠居後(のち)十津川御栖(おんすま)ひの事」(別写本では「大塔宮熊野落事(をほたうのみやくまのをちのこと)」)

〈 宮をば茅ふける辻堂に置き奉り、御伴の物ども在家に走り散り、熊野参詣の山伏ども、道に行きつかれ迷ひて、この里へ出でたる由を申しければ、在家の者ども哀れみて、粟飯・橡の粥などといふ物を取り出だして、面々の飢ゑをぞ助けける。

(大塔宮を茅で屋根をふいた路傍の仏堂にお入れしておいて、お供の者たちは民家に走り散って、熊野参詣の山伏一行が歩き疲れ、道に迷って、この里に出て来たことを話したところ、村の人たちは哀れがって、粟飯や栃の実粥などという食事を出して、皆の空腹を満たしてくれた。)

宮にもかやうの物を供御に進(まゐ)らせ、かやふきたる堂に、その夜は明かしてけり。次の日、かくても始終いかがと覚えたりければ、妙光坊律師、ある在家の、これぞさもある物と覚しくて、柴垣に竹の門あけたる所に行きて、童部(わらべ)のありけるに家主(あるじ)の名を問えば、「竹原八郎入道が甥、戸野兵衛といふ物の家なり」とぞ申しける。さてはこれこそ弓矢取って、よき物と聞き及びし物なれ。

(宮にもこのような粗末な食事をさし上げて、茅で屋根をふいたお堂にその晩は宿をとった。翌日、こうしていても行く先どうであろうかと思われたので、妙光坊律師は、ある民家で、これは村の中でしかるべき人の家と思われ、柴垣をめぐらし竹の門を持つ家に行って、そこにいた子供に主人の名前を聞くと、「これは竹原八郎入道の甥で、戸野兵衛という者の家です」という答えだった。それでは、この者こそ、立派な武士だと聞き及んでいたものだ。)〉(つづく)

 

〔短歌〕

「菊に似し 白き小花(をばな)を おほくつけ

        夏草しげる 汽車みちの堤(どて)」

          木下利玄・銀

〔俳句〕

「枇杷大葉 籠の実蔽ふ うらおもて」飯田蛇笏

〔和歌〕

「夕附日 よそにくれぬる このまより

       さしくる月の 影ぞ涼しき」

         法皇(後宇多院)御製・玉葉383

「夕日の暑苦しさはもう関係ないように暮れはててしまった木の間から、さして来る月の光の、何と涼しいことよ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「重衡被斬」の段、

〈 其頸をば、般若寺の大鳥居のまへに釘づけにこそかけたりけれ。

(別の写本には「大卒都婆」とある。寺に大鳥居があったとは考えられないので、これは現存の重要文化財・笠卒塔婆のことを言っているではないかと思われる。笠塔婆は明治の廃仏棄釈で破壊されるまでは、京街道に面した三昧所である「般若野」の入口に立っていた。平家物語がいつ成立したかは不明ですが、笠塔婆は弘長元年(1261)の作です。室町期には重衡の墓と見立てて謡曲『笠塔婆』が作られています。また大卒塔婆であれば十三重石塔を指し、建長5年(1253)の建立です。治承の南都攻めでは、重衡は般若寺の門前に打ち立ち「火を出だせ」と命じたとあるのを考えると、般若寺の南大門々址、京街道に面した場所に首を晒したのでしょう。重衡が処刑された時点での般若寺は、古記録によれば、草むらに礎石が散在するだけの「有名無実の伽藍」であったようですから、京街道に面したお墓の入口に晒し場が設けられたのでしょう。笠塔婆のもとの位置は江戸時代の古地図に描かれているのと、明治25年の移転修理記録があるので判然としています。)

治承の合戦の時、ここにうッたッて伽藍をほろぼし給へるゆへなり。

 北方大納言佐殿、かうべをこそ刎ねられたりとも、むくろをばとりよせて孝養(供養)せんとて、輿をむかへにつかはす。げにも(果して。北の方が想像したように)むくろをば捨てをきたりければ、とッて輿にいれ、日野へか(舁)いてぞかへりける。是をまちうけ見給ひける北方の心のうち、推しはかられて哀れ也。昨日まではゆゆしげにおはせしかども([死後でも生前のように]立派であらせられたが)、暑きころなれば、いつしかあらぬさまになり給ひぬ(早くも生前と変わり果てた姿になられた)。さてもあるべきならねば、其の辺に法界寺(京都市日野)という処にて、さるべき僧どもあまたかたらひて孝養あり。頸をば大仏のひじり俊乗房(東大寺大勧進職にあった重源)にとかくの給へば、大衆に乞う日野へぞつかはしける。頸もむくろも煙(けぶり)になし、骨をば高野へをくり、墓をば日野にぞせられける。(『山城名勝誌』17には、重衡の墓は法界寺の北五丁にあるとされる。)

北方もさまをかへ、かの後世菩提をとぶらはれけるこそ哀れなれ。

 (この段終わり)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈法隆寺東院にて〉

「ぎそのふで たまたまおきて ゆふかげに

         おりたたしけむ これのふるには」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の宝、世界の至宝であるのに。平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は考えるのもおぞましい、最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と奈良市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの奈良山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

 

620日、木津川市加茂町当尾地区の五ヵ寺の寺院住職方と総代方が奈良市にクリーンセンター計画現候補地の撤回を申し入れされました。この計画は余りにも当尾地区に近接した場所であります。特に浄瑠璃寺とは隣接しています。あの美しい平安時代の浄土式庭園を拝観しようとすると、真上の空にゴミ焼きの煙が立ちのぼることになります。あるいは煙突が見えるかもしれません。奈良市長と策定委員会の委員たちは浄瑠璃寺へ行ったことがないのでしょうか、堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」を読んだことがないのでしょうか。

この計画が実行されれば、全国の熱烈な浄瑠璃寺ファンの人たちは奈良市の暴挙に怒りを覚えるでしょう。そしてこの計画を立案し実行するあなた方を許さないでしょう。

 日本の最も美しい景観と文化財、神聖な寺域を破壊する人達の悪名は歴史に名を刻まれることになります。

 

 著名な写真家、土門拳氏の写真集『古寺を訪ねて―斑鳩から奈良へ』に録されたエッセイ「浄瑠璃と石仏」から

「 もはやぼくたちには浄土信仰の何たるかは理解のしようがないにちがいない。しかし信仰というからには、浄土を彼岸に思い描くものと考えられるが、平等院鳳凰堂や浄瑠璃寺などの浄土美術を見ると、浄土を此岸に現前させようと必死になっていたとしか考えられない。少なくとも此岸において彼岸へのあこがれをかきたてようと、いわば浄土の見本をつくっていたように思われる。

 保元二年(1157)当時の加茂の村里も今と大差あるまい。こんな山の中に美しい大伽藍をつくったのは、どういう考えだったのであろうか。そして京から奈良から、野越え山越え浄土信者たちは詣でたのであろうか。その道のりの遠さは、彼岸への遠さと似ていたのであろうか。

 浄瑠璃寺境内に雨におもたくぬれるさくらは、ものうく、あまく、人の世のさびしさ、あわれさをいまさらのように考えさせている。」

(小学館文庫 20012010刊 定価本体938円+税)

 

* また中ノ川地区には、真言声明南山進流の発祥地であり、奈良における本格的な密教寺院であった「中ノ川寺成身院」遺跡、「法相」「律」「真言密教」「天台浄土教」を集大成された当代随一の学僧であった実範上人五輪塔があります。東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の日本文化の宝、壊してはならない歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」からリンクされています。

 

 

 

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2013年6月26日 (水)

般若寺 季節の花だより  6・26

 

《いま咲いている花》

○夏コスモス:≪五分咲き≫7月上旬まで咲きます。15種類、3万本。

この時期

のコスモスは花数は少ないですが花が大きいです。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなどです。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の睡蓮の原生種。これから初秋まで咲きます。

・アジサイ:≪見ごろ≫

・キョウチクトウ:≪満開≫

《秋のコスモス》9月中旬~11月中旬。35種類。10万本。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」(休みます)

 

〔短歌〕

「踏切を よぎれば汽車の 遠ひびき

       レールにきこゆ 夏のさびしさ」

         木下利玄・銀

〔俳句〕

「均斉に 桜桃ならぶ 心安からず」石田波郷

〔和歌〕

「夕立の 風にわかれて ゆく雲に

       をくれてのぼる 山のはの月」

         後京極摂政前太政大臣・風雅389

「夕立の晴れ方に吹く風に送られて、山から別れて行く雲に遅れて、今しも昇って来る、山の端を出る月よ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「重衡被斬」の段、

〈 川原のいさごのうえに立てまいらせ、やがて知時が狩衣の袖のくくり(袖口をくくるひも)をといて、佛の御手にかけ、中将にひかへさせ奉る(もう一方の端を重衡にとらせた。[奉る]は仏に対する敬語)。是をひかへ奉り、佛にむかひたてまッて申されけるは、「つたへきく、調達が三逆をつくり(でうだつ、提婆達多ともいう。釈迦の従兄弟で三逆罪[殺阿羅漢、出仏身血、破和合僧]を犯した)、八万蔵の聖教(八万の教えを蔵した経典)ほろぼしたりしも、遂には天王如来の記別にあづかり(来世で天王如来になるということを釈迦に証言された)、所作の罪業まことにふかしといへども、聖教に知遇せし逆縁朽ちずして、かへッて得道の因ともなる(悪事がかえって仏道の縁となること)。いま重衡が逆罪を犯す事、まッたく寓意(ぐい)の発起にあらず、只世に隨ふことはりを存ずるばかり也(世間の法には従えという理窟をおこなっただけです)。命(いのち)をたもつ物誰か王命を蔑如する(だれが天子の命令をばかにできましょう)、生(いのち)をうくる物誰か父の命(めい)をそむかん。かれといひ、是といひ、辞するに所なし(天子の命といい、父の命といい、どちらも辞退することはできません)。理非仏陀の照覧にあり。

抑(そもそも)罪報たちどころにむくひ、運命只今をかぎりとす。後悔千万かなしんでもあまりあり。ただし三宝の境界は慈悲を心として、済度の良縁まちまちなり(仏の世界は慈悲を根本とし、人を救う機縁はいろいろありま)。唯縁楽意(唯円教意が正)、逆即是順(円教即ち天台宗の教えは、逆縁即順縁、法華文句記に見える)、この文肝に銘ず。一念弥陀佛、即滅無量罪(一度阿弥陀仏を念ずれば、直ちに無量の罪を滅することができる)、願くは逆縁をもッて順縁とし、只今の最後の念仏によッて九品託生(くほんたくしょう、九品浄土に生れることができる)をとぐべし」とて、高声に十念唱へつつ(声をはりあげて念仏を十ぺん唱えながら)、頸をのべてぞきらせられける。日来(ひごろ)の悪行はさる事なれども、いまのありさまを見たてまつるに、数千人の大衆も守護の武士も、みな涙をぞながしける。〉

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈法隆寺東院にて〉

「ゆめどのは しづかなるかな ものもひに

         こもりていまも ましますがごと」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の宝、世界の至宝であるのに。平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は考えるのもおぞましい、最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と奈良市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの奈良山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

 

620日、木津川市加茂町当尾地区の五ヵ寺の寺院住職方と総代方が奈良市にクリーンセンター計画現候補地の撤回を申し入れされました。この計画は余りにも当尾地区に近接した場所であります。特に浄瑠璃寺とは隣接しています。あの美しい平安時代の浄土式庭園を拝観しようとすると、真上の空にゴミ焼きの煙が立ちのぼることになります。あるいは煙突が見えるかもしれません。奈良市長と策定委員会の委員たちは浄瑠璃寺へ行ったことがないのでしょうか、堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」を読んだことがないのでしょうか。

この計画が実行されれば、全国の熱烈な浄瑠璃寺ファンの人たちは奈良市の暴挙に怒りを覚えるでしょう。そしてこの計画を立案し実行するあなた方を許さないでしょう。

 日本の最も美しい景観と文化財、神聖な寺域を破壊する人達の悪名は歴史に名を刻まれることになります。

 

 著名な写真家、土門拳氏の写真集『古寺を訪ねて―斑鳩から奈良へ』に録されたエッセイ「浄瑠璃と石仏」から

「 もはやぼくたちには浄土信仰の何たるかは理解のしようがないにちがいない。しかし信仰というからには、浄土を彼岸に思い描くものと考えられるが、平等院鳳凰堂や浄瑠璃寺などの浄土美術を見ると、浄土を此岸に現前させようと必死になっていたとしか考えられない。少なくとも此岸において彼岸へのあこがれをかきたてようと、いわば浄土の見本をつくっていたように思われる。

 保元二年(1157)当時の加茂の村里も今と大差あるまい。こんな山の中に美しい大伽藍をつくったのは、どういう考えだったのであろうか。そして京から奈良から、野越え山越え浄土信者たちは詣でたのであろうか。その道のりの遠さは、彼岸への遠さと似ていたのであろうか。

 浄瑠璃寺境内に雨におもたくぬれるさくらは、ものうく、あまく、人の世のさびしさ、あわれさをいまさらのように考えさせている。」

(小学館文庫 20012010刊 定価本体938円+税)

 

* また中ノ川地区には、真言声明南山進流の発祥地であり、奈良における本格的な密教寺院であった「中ノ川寺成身院」遺跡、「法相」「律」「真言密教」「天台浄土教」を集大成された当代随一の学僧であった実範上人五輪塔があります。東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の日本文化の宝、壊してはならない歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」からリンクされています。Dsc03175

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2013年6月25日 (火)

般若寺 季節の花だより  6・25

 

《いま咲いている花》

○夏コスモス:≪五分咲き≫7月上旬まで咲きます。15種類、3万本。

この時期のコスモスは花数は少ないですが花が大きいです。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなどです。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の睡蓮の原生種。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪盛りを越えました≫日本の野山に自生する紫陽花原生種。

・アジサイ:≪見ごろ≫

・キョウチクトウ:≪満開≫

《秋のコスモス》9月中旬~11月中旬。35種類。10万本。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」78

大塔宮:

『太平記』巻第五 「大塔宮南都御隠居後(のち)十津川御栖(おんすま)ひの事」(別写本では「大塔宮熊野落事(をほたうのみやくまのをちのこと)」)

〈 天昏(く)れて朦朧たり。行歩前程(こうほぜんてい)の末を失ふ、人逢はずして幽閑なり。日夜に浩霧深く、葛蔂(かつるい)を引いて朝に挙(のぼ)れば、桐柏山(どうはくさん、中国天台山の別名)の風、面を払ひ、莓苔(まいたい)を布(し)いて暮(ゆふべ)に宿すれば、石門洞(せきもんどう、中国山東省曲阜県にある名勝地)の水、、夢をあらふ。総じて物ごとに御心を傷ましめて、十三日と申すに、辛うじて十津河といふ所にこそ、着かせ給ひける。

(夕暮が訪れ、月はおぼろにかすみ、行く手も定かに見えない。人に会うこともなく、山路は静かである。昼も夜も霧が深くたちこめ、葛を握りしめて朝、山をよじ登ると、桐柏山に吹くような強い風が顔面を吹き払い、苔を敷いて夕暮に身を横たえると、石門洞を流れるような水音が夢を覚ますのである。宮はあらゆることにお苦しみになり、十三日目にやっと十津川という所にお着きになられた。)

 宮はさすがに習はせ給はぬ御歩行の長途なれば、御足は皆草鞋に破れて流るる血は泥土を染め、岩かどの草の色は紅にこそなりにけれ。御供の物どもも、その身鉄石にあらざれば、ことごとく疲れはて、今はいかなる目に逢ふとも、為方(せんかた)なくぞ覚えける。かくては、一日の資(たす)けも支えがたくぞ覚えける。

(宮はなんといっても体験したことのない、徒歩の長旅だったので、御足はわらじで傷つき、血は流れて土を染め、そのために岩角に生える草は赤くなってしまった。お供の者たちも身は鉄や石ではなかったので、皆すっかり疲れて、今はどんなひどい目に遭ってもどうしようもないように思われた。この状態では、一日の食糧でも身心を支えるには十分ではないと思われた。)〉 (つづく)

 

〔短歌〕

「殖林の 杉の生ひたちの せまるみち

       一本通るを 歩みあゆむも」

         木下利玄・一路

〔俳句〕

「木洩日の 七宝散れる 額の花」尾崎光尋

〔和歌〕

「夕やみの 鵜川のかがり くだし過ぎて

        あらぬ蛍ぞ またもえて行く」

          大江宗秀・玉葉381

「夕闇のこめた川面を鵜舟の篝火が下って行き、今度は篝火ならぬ蛍が、また燃えるような光を放って飛んで行く。」

・あらぬ=全然違う。無関係の。

 

*『平家物語』を読む。(休みます)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈西国の旅より奈良にもどりて〉

「しかのこは みみのわたげも ふくよかに

         ねむるよながき ころはきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の宝、世界の至宝であるのに。平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は考えるのもおぞましい、最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と奈良市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの奈良山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

620日、木津川市加茂町当尾地区の五ヵ寺の寺院住職方と総代方が奈良市にクリーンセンター計画現候補地の撤回を申し入れされました。この計画は余りにも当尾地区に近接した場所であります。特に浄瑠璃寺とは隣接しています。あの美しい平安時代の浄土式庭園を拝観しようとすると、真上の空にゴミ焼きの煙が立ちのぼることになります。あるいは煙突が見えるかもしれません。奈良市長と策定委員会の委員たちは浄瑠璃寺へ行ったことがないのでしょうか、堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」を読んだことがないのでしょうか。

この計画が実行されれば、全国の熱烈な浄瑠璃寺ファンの人たちは奈良市の暴挙に怒りを覚えるでしょう。そしてこの計画を立案し実行するあなた方を許さないでしょう。

 日本の最も美しい景観と文化財、神聖な寺域を破壊する人達の悪名は歴史に名を刻まれる。

 また中ノ川には南山進流声明の発祥地、「中ノ川寺成身院」遺跡、実範上人五輪塔があります。東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世からの日本文化の歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」からリンクされています。Img_5720

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2013年6月24日 (月)

般若寺 季節の花だより  6・24

 

《いま咲いている花》

○夏コスモス:≪五分咲き≫7月上旬まで咲きます。15種類、3万本。

この時期のコスモスは花数は少ないですが花が大きいです。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなど種類は多種多彩です。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の睡蓮の原生種。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪盛りを越えました≫日本の野山に自生する紫陽花原生種。

・アジサイ:≪見ごろ≫

・キョウチクトウ:≪満開≫

《秋のコスモス》9月中旬~11月中旬。35種類。10万本。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」77

大塔宮:

『太平記』巻第五 「大塔宮南都御隠居後(のち)十津川御栖(おんすま)ひの事」(別写本では「大塔宮熊野落事(をほたうのみやくまのをちのこと)」)

〈 わづかに縁を結ぶ輩、この身を変ぜずして、上品上生に至るとも云へり。しかるに我等は凡夫なり。この山は娑婆なり。仏界・衆生界相隔たり、浄土・穢土異なる処なりといへども、染淨不二(せんじやうふじ)、凡霊一如(ぼんれいいちにょ)の道理なれば、この身を換へずして仏果に叶ひ、この所を動かずして密厳淨刹(みつごんじやうせつ)に至らん事、何ぞ難からん。

(であるから、この山とわずかに縁を結ぶ者は、その身を変ずることなく上品上生に生まれ変わることができると言われている。しかしながら、我らは凡夫であり、この山は現世の山である。仏界と我ら衆生界とが相隔たり、浄土と穢土とが異なる所であっても、汚れた心そのままが清らかな心であり、迷える衆生と悟った仏が一つである道理なので、この人間の身を変えずに悟りを得、この所から場所を動かずして大日如来のいる浄土に到達することが、どうして難しいことであろう。)

一度(ひとたび)修行の功用、頓(とみ)に三有輪廻(さんぬりんね)の果(くわ)を断ずる事、何の疑ひかあるべき。しかるを、修験の身にあらずして、測らざるに、両部の峯を挙(のぼ)る事、生々世々(しやうじやうせせ)の宿因なりと、今ここに思し食し、なぐさませ給へども、習はぬ太山(みやま)の旅の道、御心細さいふばかりなく、見ざりし雲の夕暮さびしき外の色もなし。

(ひとたび修験の修行を行った効用は欲・色・無色三界の中に間をおかず生死を思い切り繰り返すことは疑う余地がない。ところが宮のご一行は、修験者でなくして、思いもかけず、大峰山を登るのであるが、これも過去・現在・未来の因縁であると宮はお思いになり、気を紛らわしなさったが、いまだ経験したことのない深山の旅路にお心細さは言葉もなく、また、見たこともない山の雲を見ると、夕暮の寂しさは比べるものもなかった。)〉 (つづく)

 

〔短歌〕

「殖林の 杉ひしびしと 左右より

径(みち)さしはさめり 吾は通るも 」

         木下利玄・一路

〔俳句〕

「行きすぎて 橘かほる 御門かな」野村泊月

〔和歌〕

「よひのまに しばしただよふ 雲まより

         まち出でてみれば 明くる月かげ」

           藤原隆祐朝臣・風雅387

「宵の間ちらと見えたきり、暫くは漂う雲にかくされていた月を、その雲の間から、待ちかねてようやく見ることができたと思えば、それは早くも夜明け方の月の光になっている。(夏の短夜の残り惜しさよ)」

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「重衡被斬」の段、

〈 南都の大衆うけとッて僉議す。「抑此重衡卿者大犯の悪人(大罪を犯した悪人)たるうへ、三千五刑のうちにもれ(三千五刑をも適用されないほどの罪人であて)、修因感果の道理極上せり(自分の犯した悪因によって悪果を感じるという道理は当然至極である)。佛敵法敵の逆臣なれば、東大寺・興福寺の大垣をめぐらして、のこぎりにてやきるべき、堀頸(地中に生き埋めにして首を切ること)にやすべき」と僉議す。老僧どもの申されけるは、、「それも僧徒の法に穏便ならず。ただ守護の武士にた(賜)うで(与えてしまって)、木津(こづ、京都府木津川市木津)の辺にて切らすべし」とて、武士の手へぞかへしける。武士これをうけとッて、木津川のはたにてきらんとするに、数千人の大衆、見る人いくらといふ数をしらず。

 三位中将のとしごろめしつかはれける侍に、木工右馬允知時(もくむまのぜうともとき)といふ物あり。八条女院(鳥羽天皇の皇女、暲子)に候けるが、最後をみたてまつらんとて、鞭をうッてぞ馳せたりける。すでに只今きりたてまつらんとする処に馳せつゐて(もう今にもお切り申上げようとするところに駆けつけて)、千万立ち囲うだる人の中をかきわけかきわけ、三位中将のおはしける御そばちかうまいりたり。「知時こそただいま最後の御有様みまいらせ候はんとて、是までまいりてこそ候へ」となくなく申しければ、中将「まことに心ざしの程神妙(感心である)也。佛ををがみたてまッてきらればやとおもふはいかがせんずる(どうしたものだろう)。あまりに罪ふかうおぼゆるに(このまま死んでは私の罪障があまりに深いから[せめて佛を拝みながら死にたい])」との給へば、知時「やすい御事候や(簡単なことです)」とて、守護の武士に申しあはせ(相談して)、その辺におはしける佛を一躰むかへたてまッて出できたり。幸に阿弥陀にてぞましましける。〉 (つづく)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈春日野にて〉

「をぐさはむ しかのあぎとの をやみなく

         ながるるつきひ とどめかねつも」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の宝、世界の至宝であるのに。平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は考えるのもおぞましい、最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と奈良市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの奈良山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

620日、木津川市加茂町当尾地区の五ヵ寺の寺院住職方と総代方が奈良市にクリーンセンター計画現候補地の撤回を申し入れされました。この計画は余りにも当尾地区に近接した場所であります。特に浄瑠璃寺とは隣接しています。あの美しい平安時代の浄土式庭園を拝観しようとすると、真上の空にゴミ焼きの煙が立ちのぼることになります。あるいは煙突が見えるかもしれません。奈良市長と策定委員会の委員たちは浄瑠璃寺へ行ったことがないのでしょうか、堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」を読んだことがないのでしょうか。

この計画が実行されれば、全国の熱烈な浄瑠璃寺ファンの人たちは奈良市の暴挙に怒りを覚えるでしょう。そしてこの計画を立案し実行するあなた方を許さないでしょう。

 日本の最も美しい景観と文化財、神聖な寺域を破壊する人達の悪名は歴史に名を刻まれる。

 また中ノ川には南山進流声明の発祥地、「中ノ川寺成身院」遺跡、実範上人五輪塔があります。東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世からの日本文化の歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」からリンクされています。Img_5706

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2013年6月23日 (日)

般若寺 季節の花だより  6・23

 

《いま咲いている花》

○夏コスモス:≪五分咲き≫7月上旬まで咲きます。15種類、3万本。

この時期のコスモスは花数は少ないですが花が大きいです。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなど種類は多種多彩です。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の睡蓮の原生種。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪盛りを越えました≫日本の野山に自生する紫陽花原生種。

・アジサイ:≪見ごろ≫

・キョウチクトウ:≪満開≫

《秋のコスモス》9月中旬~11月中旬。35種類。10万本。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」76

大塔宮:

『太平記』巻第五 「大塔宮南都御隠居後(のち)十津川御栖(おんすま)ひの事」(別写本では「大塔宮熊野落事(をほたうのみやくまのをちのこと)」)

〈 とかくして、大峰(山上ヶ岳、山上に大峰の奥ノ院である蔵王堂がある)禅定(霊山の頂上、禅頂とも)の秘所、池の峯(吉野郡下北山村池峰の池峰池[明神池]は霊池とされる)を攀(よぢのぼ)つて、転法輪(てぼり、釈迦ヶ岳)の岳を過ぐさせ御座(おは)します。この山と申すは、金剛童子(童形の忿怒尊で、西方阿弥陀仏の化身とされる)化現の霊地、両部大日の秘所なり。先逹の山伏、三度の時の札を打つ所なり(三時の勤行の時刻を示した札)。過現未来三世の仏、出世の度ごとに、まづここに出でて法輪を転ず。最初成道を唱へ給ふ故に、この名を得たり。有智無智、有罪無罪を云はず、この峯に攀(よぢのぼ)る者は、三毒十悪たちまちに変じて、曼院の四徳(『大般若経』に説く、悟りの四徳、常・楽・我・淨。)となり、四重(淫・盗・殺・妄語の四重罪)五逆(殺父母、殺阿羅漢、仏身を傷つける、破和合僧の五逆罪)さながら転じて、瑜伽(仏と行者の相応)の善行に帰す。

(宮のご一行は、さまざまな難儀をして、大峰山の頂上にある修験の秘所、池の峰をよじ登って、転法輪の岳を通過なさった。この大峰山というのは、金剛童子がこの世に現れた霊地であり、両部神道・大日如来の大事な場所である。修験の先達山伏が三度、時の札をかける所である。過去・現在・未来の三世の仏たちが、世の中に姿をあらわすたびごとに、まずこの山に現れて法輪を動かし、悟りを開く経文を最初に唱えなさるので、転法輪の名がついているのである。知恵のある人もない人も、罪のある者もない者も、この峯をよじ登る者には三つの煩悩、十種の罪悪がたちまちに変じて仏の悟りの世界の四徳となり、四重罪・五逆罪はことごとく転じて、仏と一体の境地でのよい行いとなる。)〉

 (つづく)

 

 

〔短歌〕

「岨みちの 左右よりすぐに 殖林の

        杉みつしり立てり この厚みはや」

          木下利玄・一路

〔俳句〕

「蜜柑咲き 雲も日影も 梅雨づきぬ」木津柳芽

〔和歌〕

「くれの雨に かはせの水や まさるらん

         はやくぞくだる かがり火のかげ」

           右大臣(二条道平)・玉葉380

「夕暮の雨に、川瀬の水が増したらしいな。速力早く下流に下って行く、鵜舟の篝火の光よ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「重衡被斬」の段、

〈 北方御簾のきはちかく臥しまろび、おめきさけび給ふ御声の、門の外まではるかにきこえければ、駒をもさらにはやめ給はず(一向お早めにならない)。涙にくれてゆくさきも見えねば、中々なりける見参かなと(かえって私の心を迷わせる対面だったなあ)、今はくやしうぞおもはれける。大納言佐殿やがて走りついてもおはしぬべくはおぼしけれども(そのまま走って後についてもいらっしゃりたくはお思いだったが)、それもさすがなれば、ひきかづいてぞふし給ふ(それもやはりできず、衣服をかぶって泣き臥しておられた)。〉(つづく)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈春日野にて〉

「うちふして ものもふくさの まくらべを

         あしたのしかの むれわたりつつ」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の宝、世界の至宝であるのに。平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は考えるのもおぞましい、最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と奈良市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの奈良山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

620日、木津川市加茂町当尾地区の五ヵ寺の寺院住職方と総代方が奈良市にクリーンセンター計画現候補地の撤回を申し入れされました。この計画は余りにも当尾地区に近接した場所であります。特に浄瑠璃寺とは隣接しています。あの美しい平安時代の浄土式庭園を拝観しようとすると、真上の空にゴミ焼きの煙が立ちのぼることになります。あるいは煙突が見えるかもしれません。奈良市長と策定委員会の委員たちは浄瑠璃寺へ行ったことがないのでしょうか、堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」を読んだことがないのでしょうか。

この計画が実行されれば、全国の熱烈な浄瑠璃寺ファンの人たちは奈良市の暴挙に怒りを覚えるでしょう。そしてこの計画を立案し実行するあなた方を許さないでしょう。

 日本の最も美しい景観と文化財、神聖な寺域を破壊する人達の悪名は歴史に名を刻まれる。

 また中ノ川には南山進流声明の発祥地、「中ノ川寺成身院」遺跡、実範上人五輪塔があります。東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世からの日本文化の歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」からリンクされています。Dsc03158

Dsc03161

Dsc03167

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2013年6月22日 (土)

般若寺 季節の花だより  6・22

 

《いま咲いている花》

○夏コスモス:≪五分咲き≫7月上旬まで咲きます。15種類、3万本。

この時期のコスモスは花数は少ないですが花が大きいです。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなど種類は多種多彩です。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の睡蓮の原生種。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪盛りを越えました≫日本の野山に自生する紫陽花原生種。

・アジサイ:≪見ごろ≫

・キョウチクトウ:≪満開≫

《秋のコスモス》9月中旬~11月中旬。35種類。10万本。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」75

大塔宮:

『太平記』巻第五 「大塔宮南都御隠居後(のち)十津川御栖(おんすま)ひの事」(別写本では「大塔宮熊野落事(をほたうのみやくまのをちのこと)」)

〈 通夜(よもすがら)御くたびれに、御肱(ひじ)を曲(かが)めて枕として御まどろませ給ひけるに、鬢(びんづら)結うたる童子一人来て、「熊野三山の間は、なほも人の心も和せずして、大儀の功なりがたし。これより十津川の方へ御入りあつて、時の至るを待たせ給ひ候へ。両所権現より、君の懇志を感ぜられて、案内者に付けられ進(まゐ)らせて候へば、御道しるべ仕るべし」

(「熊野三山の辺りは、まだ人心不和で、朝敵滅亡の大業は成就しにくい。ここから十津川方面にお入りになって、時期が来るのをお待ちください。宮の熱心なお志にうたれた両所権現から、私は道案内の者として付けられましたので、御道しるべをいたしましょう」)

と申すと思(おぼ)し食(め)せば、御夢は覚めにけり。

これすなはち権現の御告げなりと、慿(たの)もしく思し食しければ、未明に御悦びの奉幣を進らせられて、これより吉野の奥十津川を尋ねて分け入らせ御座(おは)しませば、その道すがら三十余里、人里(じんり)も稀なれば、鳥の声もわづかに雲の底にぞ聞えける。山路元来(もとより)雨なうして、空翠(くうすい、木立の、したたるような緑色)つねに衣を湿(うるほ)す。向上(みあぐ)れば、万仞(ばんじん)の青壁(せいへき)、刀(たち)をもつて削り、直下(みおろ)せば、千尺の碧潭(へきたん)藍をもつて染めたり。〉

(つづく)

 

〔短歌〕

「山おほふ 青桙杉の しみ立ちの

ことごとく空を さしきほひたり」

          木下利玄・一路

〔俳句〕

「紫陽花に 胸冷しつつ われは生く」中尾白雨

〔和歌〕

「山水の いはもるをとも さよふけて

       木のまの月の 影ぞすずしき」

         前大僧正道意・風雅386

「山川の水の、岩間を漏って来る音も夜更けの風情になって、木々の間からさす月の光がいかにも涼しいよ。」

 

*『平家物語』を読む。(休みます)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈春日野にて〉

「かすがのの みくさをりしき ふすしかの

         つのさへさやに てるつくよかも」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の宝、世界の至宝であるのに。平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は考えるのもおぞましい、最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と奈良市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの奈良山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

*木津川市加茂町当尾地区の五ヵ寺の寺院の住職と総代様方が奈良市へクリーンセンター計画の撤回を申し入れされました。この計画は余りにも当尾地区に接近した場所にあります。特に浄瑠璃寺には近すぎます。あの美しい平安時代の浄土式庭園を拝観しようとすると、真上の空にゴミ焼きの煙が立ちのぼることになります。あるいは煙突が見えるかもしれません。奈良市長と策定委員会の委員たちは浄瑠璃寺へ行ったことがないのでしょうか、堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」を読んだことがないのでしょうか。全国の浄瑠璃寺ファンの人たちはあなた方を許さないと思いますよ。

 日本の最も美しい景観と文化財を破壊する人達の悪名は歴史に名を刻まれるでしょう。

 また中ノ川には「中ノ川寺成身院」遺跡、実範上人五輪塔があり、東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」からリンクされています。

 

 

 

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般若寺 季節の花だより  6・22

 

《いま咲いている花》

○夏コスモス:≪五分咲き≫7月上旬まで咲きます。15種類、3万本。

この時期のコスモスは花数は少ないですが花が大きいです。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなど種類は多種多彩です。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の睡蓮の原生種。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪盛りを越えました≫日本の野山に自生する紫陽花原生種。

・アジサイ:≪見ごろ≫

・キョウチクトウ:≪満開≫

《秋のコスモス》9月中旬~11月中旬。35種類。10万本。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」75

大塔宮:

『太平記』巻第五 「大塔宮南都御隠居後(のち)十津川御栖(おんすま)ひの事」(別写本では「大塔宮熊野落事(をほたうのみやくまのをちのこと)」)

〈 通夜(よもすがら)御くたびれに、御肱(ひじ)を曲(かが)めて枕として御まどろませ給ひけるに、鬢(びんづら)結うたる童子一人来て、「熊野三山の間は、なほも人の心も和せずして、大儀の功なりがたし。これより十津川の方へ御入りあつて、時の至るを待たせ給ひ候へ。両所権現より、君の懇志を感ぜられて、案内者に付けられ進(まゐ)らせて候へば、御道しるべ仕るべし」

(「熊野三山の辺りは、まだ人心不和で、朝敵滅亡の大業は成就しにくい。ここから十津川方面にお入りになって、時期が来るのをお待ちください。宮の熱心なお志にうたれた両所権現から、私は道案内の者として付けられましたので、御道しるべをいたしましょう」)

と申すと思(おぼ)し食(め)せば、御夢は覚めにけり。

これすなはち権現の御告げなりと、慿(たの)もしく思し食しければ、未明に御悦びの奉幣を進らせられて、これより吉野の奥十津川を尋ねて分け入らせ御座(おは)しませば、その道すがら三十余里、人里(じんり)も稀なれば、鳥の声もわづかに雲の底にぞ聞えける。山路元来(もとより)雨なうして、空翠(くうすい、木立の、したたるような緑色)つねに衣を湿(うるほ)す。向上(みあぐ)れば、万仞(ばんじん)の青壁(せいへき)、刀(たち)をもつて削り、直下(みおろ)せば、千尺の碧潭(へきたん)藍をもつて染めたり。〉

(つづく)

 

〔短歌〕

「山おほふ 青桙杉の しみ立ちの

ことごとく空を さしきほひたり」

          木下利玄・一路

〔俳句〕

「紫陽花に 胸冷しつつ われは生く」中尾白雨

〔和歌〕

「山水の いはもるをとも さよふけて

       木のまの月の 影ぞすずしき」

         前大僧正道意・風雅386

「山川の水の、岩間を漏って来る音も夜更けの風情になって、木々の間からさす月の光がいかにも涼しいよ。」

 

*『平家物語』を読む。(休みます)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈春日野にて〉

「かすがのの みくさをりしき ふすしかの

         つのさへさやに てるつくよかも」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の宝、世界の至宝であるのに。平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は考えるのもおぞましい、最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と奈良市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの奈良山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

*木津川市加茂町当尾地区の五ヵ寺の寺院の住職と総代様方が奈良市へクリーンセンター計画の撤回を申し入れされました。この計画は余りにも当尾地区に接近した場所にあります。特に浄瑠璃寺には近すぎます。あの美しい平安時代の浄土式庭園を拝観しようとすると、真上の空にゴミ焼きの煙が立ちのぼることになります。あるいは煙突が見えるかもしれません。奈良市長と策定委員会の委員たちは浄瑠璃寺へ行ったことがないのでしょうか、堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」を読んだことがないのでしょうか。全国の浄瑠璃寺ファンの人たちはあなた方を許さないと思いますよ。

 日本の最も美しい景観と文化財を破壊する人達の悪名は歴史に名を刻まれるでしょう。

 また中ノ川には「中ノ川寺成身院」遺跡、実範上人五輪塔があり、東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」からリンクされています。Img_5687

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2013年6月21日 (金)

般若寺 季節の花だより  6・21

 

《いま咲いている花》

○夏コスモス:≪五分咲き≫7月上旬まで咲きます。15種類、3万本。

大きな花が咲いています。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなど種類は多種多彩です。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の睡蓮の原生種。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪盛りを越えました≫日本の野山に自生する紫陽花原生種。

・アジサイ:≪見ごろ≫

・キョウチクトウ:≪満開≫

《秋のコスモス》

9月中旬~11月中旬。35種類。10万本。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」74.

大塔宮:

『太平記』巻第五 「大塔宮南都御隠居後(のち)十津川御栖(おんすま)ひの事」(別写本では「大塔宮熊野落事(をほたうのみやくまのをちのこと)」)

〈 「幣帛をも捧げず、斎蕭(さいせう、うやうやしく慎むこと)をも致さざれども祈る所我がためにあらず、ことさら両所権現は、伊弉諾・伊弉冉(いざなぎ・いざなみ)の応作(おうさ)なり。我が君その苗裔(べうえい)として、朝日(てうじつ)たちまちに浮雲のために掩(おほ)はる。願ふ所はただ十善の最梢(さいせう)を旧に移さしめ、西海の安全を定(しづ)め給へとなり。冥ケン(目+巻)あに傷(いた)まざらんや。玄鑑(げんかん、神仏の深遠な照覧特(こと)に空しきに似たり。神もし神たらば、君なんぞ君たらざらん。一心に誠を致し、五体を地に投じて、祈り申させ給ひければ、丹誠無二の御勤め、感応(かんおう)もなどかなからん、神慮も暗に測りたり。〉 (つづく)

 

 

〔短歌〕

「山おほふ 青桙杉の しみ立ちを

        ながめてをれば 迫り来る如し」

          木下利玄・一路

〔俳句〕

「あじさゐの 鏡にあふれ くしけづる」長谷川ふみ子

〔和歌〕

「大井河 う舟のかがり ほの見えて

       くだすやなみの よるぞ知らるる」

         亀山院御製・玉葉378

「大堰川に、鵜舟の篝火の光がほのかに見えて、流れを下り行くにつれ、舟べりに波の寄るのまで、夜ながらはっきりそれと知られる。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「重衡被斬」の段、

〈 「あまりに御すがたのしほれてさぶらふに、たてまつりかへよ(お召物が余りに皺になっていらっしゃいますから、、お着かえなさいませ)」とて、あはせの小袖に淨衣(小袖は袖の小さい下着、淨衣は白の狩衣)を出だされたりければ、三位中将是をきかへて、もと着給へる物どもをば、「形見に御覧ぜよ」とて置かれてり。北方「それもさる事にてさぶらへども、はかなき筆の跡こそながき世の形見にてさぶらへ」とて、御硯を出だされたりければ、中将なくなく一首の歌をぞかかれける。

「せきかねて涙のかかる唐ごろも

のちのかたみに脱ぎぞかへぬる」

(止めることのできないあなたの涙に濡れたこの衣服を後々までの記念として、あなたの衣服と着かえました。昔は男女が会った後で着物を取り換えて着る習慣があったので、今着替えた小袖とひたたれをそのように見立てた。)

女房ききもあへず

「ぬぎかふるころももいまはなにかせん

今日をかぎりのかたみとおもへば」

(今着物を取り換えたところで何のかいがあるでしょうか。今日を最後の対面とする記念の衣服なのですから)

「契あらば後世にては必ず生まれあひたてまつらん。一つはちす(蓮)にと祈り給へ(あの世では必ず一つ蓮の葉の上に生れられるように祈りなさい)。日もたけぬ。奈良へも遠う候。武士どもの待つも心なし(待っているのも気になります)」とて、出で給へば、北方袖にすがッて「いかにやいかに、しばし(もしもし、少し待ってください)」とて引きとどめ給ふに、中将「心のうちをば、ただをしはかり給ふべし。されどもつゐに逃れはつべき身にもあらず。又来ん世にてこそ見たてまつらめ」とて出で給へども、まことに此の世にてあひ見ん事は、是ぞ限りと思はれければ、今一度たちかへりたくおぼしけれども、心よはくては叶はじと(意志が弱くてはとてもだめだ)、おもひきッてぞいでられける。〉 (つづく)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈帝室博物館にて〉

「はつなつの かぜとなりぬと みほとけは

         をゆびのうれに ほのしらすらし」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという直近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の宝、世界の至宝であるのに。平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は考えるのもおぞましい、最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と奈良市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの奈良山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

*木津川市加茂町当尾地区の五ヵ寺の寺院の住職と総代様方が奈良市へクリーンセンター計画の撤回を申し入れされました。この計画は余りにも当尾地区に接近した場所にあります。特に浄瑠璃寺には近すぎます。あの美しい平安時代の浄土式庭園を拝観しようとすると、真上の空にゴミ焼きの煙が立ちのぼることになります。あるいは煙突が見えるかもしれません。奈良市長と策定委員会の委員たちは浄瑠璃寺へ行ったことがないのでしょうか、堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」を読んだことがないのでしょうか。全国の浄瑠璃寺ファンの人たちはあなた方を許さないと思いますよ。

 日本の最も美しい景観と文化財を破壊する人達の悪名は歴史に名を刻まれるでしょう。

 また中ノ川には「中ノ川寺成身院」遺跡、実範上人五輪塔があり、東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」からリンクされています。Img_5653_2

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2013年6月20日 (木)

般若寺 季節の花だより  6・20

 

《いま咲いている花》

○夏コスモス:≪五分咲き≫7月上旬まで咲きます。15種類、3万本。

大きな花が咲いています。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなど種類は多種多彩です。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の睡蓮の原生種。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪盛りを越えました≫日本の野山に自生する紫陽花原生種。

・アジサイ:≪見ごろ≫

・キョウチクトウ:≪満開≫

《秋のコスモス》

9月中旬~11月中旬。35種類。10万本。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」73

大塔宮:

『太平記』巻第五 「大塔宮南都御隠居後(のち)十津川御栖(おんすま)ひの事」(別写本では「大塔宮熊野落事(をほたうのみやくまのをちのこと)」)

〈 その夜は、叢祠(そうし)の露に御袖を片敷きて、通夜(よもすがら)内証(ないしやう、自分の心の内で真理を悟ること)深心(じんしん、真心から経を読み、法文を唱えること)の法施を奉り、御泪の中に御祈誓ありけるは、「伝へ承る、本山両所権現(熊野本宮と新宮及び那智を言う)は、あるいは東方浄瑠璃土の教主(薬師如来)、像法(ざうほう、仏滅後五百年を経てからの千年間は正法に似たかたちだけの仏法が行われる)転ずる時、衆生を利益して、不老不死の薬をそそいで蓬嶋(ほうたう、東海の東にあるという仙境、蓬莱)を求めず、出離解脱の良医として、無明(むみやう、人間のもっとも根源的な煩悩)即除の重病を癒しおはします。西の御前(熊野那智神社、飛龍権現の本地は千手観音)は、千手千眼の本体、観世音に示現して、大明神とあらはれ、一心称名の風底に、生老病死の垢塵を払ひ、一時礼拝の月の前には、百千万億の願望をなす。法華懺法(ほつけせんぽふ、法華経を読誦して六根罪障を懺悔し、滅罪を願う儀式)のところには、諸仏菩薩影向を垂れ、至心合掌の砌には、罪障の炎ここに生滅す。」

 

〔短歌〕

「うなゐごの まろき柔手(やわて)の 指ゑくぼ

         触れじとするも 豈堪へめやも」

           木下利玄・一路

〔俳句〕

「かたつぶり 角ふりわけよ 須磨明石」芭蕉

〔和歌〕

「うたたねに すずしき影を かたしきて

         すだれは月の へだてともなし」

           前中納言重資・風雅383

「うたたねをする時も、簾越しにさし入る涼しい月の光を半ば敷くようにして寝るから、(物を隔てるはずの)簾は月の隔てをするとも見えない。」

 

*『平家物語』を読む。(休みます)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈二十二日唐招提寺薬師寺を巡りて赤膚山正柏が窯に立ちよりて息ふ〉

 

「さきだちて さらやくだけむ ものかきし

         われやくだけむ よのなかのみち」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。ごみ工場移転を推進した人達は歴史に悪名を残すことになります。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

 中ノ川には「中ノ川寺成身院」遺跡、実範上人五輪塔があり、東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

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2013年6月19日 (水)

般若寺 季節の花だより  6・19

 

《いま咲いている花》

○夏コスモス:≪五分咲き≫7月上旬まで咲きます。15種類、3万本。

大きな花が咲いています。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなど種類は多種多彩です。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の睡蓮の原生種。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪盛りを越えました≫日本の野山に自生する紫陽花原生種。

・アジサイ:≪見ごろ≫

・キョウチクトウ:≪満開≫

《秋のコスモス》

9月中旬~11月中旬。35種類。10万本。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」72

大塔宮:

『太平記』巻第五 「大塔宮南都御隠居後(のち)十津川御栖(おんすま)ひの事」(別写本では「大塔宮熊野落事(をほたうのみやくまのをちのこと)」)

〈 宮は元より竜楼(りようろう、宮殿の楼門、皇太子の住む宮殿)鳳闕(ほうけつ、宮城)の玉の台(うてな)に冊(かしづ)かれ、香車(かうしや、美しい車)花軒(くわけん、飾った貴人の乗る車)の駕(のりもの)ならで、かりそめにも習はせ給はぬ御歩行の長途(ちやうど)なれば、定めて叶はせ給はじと、御伴の者も心苦しく思ひ進(まゐ)らせけるに、案に相違して、これにもくたびれさせ給へる御気色なく、宿宿(熊野の御師が営む参詣宿)の御勤め、社社(やしろやしろ、道中の熊野王子の諸社)の奉幣、懈(おこた)るところ御座(おは)さねば、勤修(きんしゆ)を積める先逹も、路次(ろし)に行き合へる山伏も、思ひ咎むる事さらになし。

 小木・信太をも過ぎ行けば、森の下風くず吹きて、草裏かるる小野坂や、

(和泉国泉南郡近義[こぎ]郷、泉北郡信太[しのだ]郷、

「うつろはで しばし信太の 森を見よ

かへりもぞする 葛の裏風」和泉式部・新古今による。)

由良の戸わたる湊舟、浮き沈みさへ哀れにて、

(紀伊國日高郡由良町、

「由良の門[]を 渡る舟人 梶緒[かじを]絶え

ゆくへも知らぬ 恋の道かな」曾爾好忠・新古今による。)

白浪・吹上(和歌山市西南部から雑賀崎に至る古地名)・玉津島(吹上の近く、奠供山と呼ばれる玉津島神社背後の山で、万葉時代は海中だった)・日前国縣(ひのくまくにかかすのみや、和歌山市秋月にある旧官幣大社、紀伊國一の宮。天照大神が天岩戸に隠れた時に作られたとする日像[ひがた]鏡と日矛[ひほこ]を祭る。)伏し拝み、旅衣(たびごろも)きの関守もむつかしく、芦屋の灘・和歌の浦、幾重ともなき浜木綿を、かけてその名も慿(たの)もしき、切目の王子にぞ著(つ)かせ給ひける。〉 (つづく)

 

〔短歌〕

「着脹れて 歩かされゐし 女の児

        ばたんと倒れ その儘泣くも」

          木下利玄・一路

〔俳句〕

「降るでなく 晴るるでもなき 梅雨に倦み」田中祥子

〔和歌〕

「かがり火の かげしうつれば ぬばたまの

         よかはの底は 水ももえけり」

           紀貫之・玉葉377

「篝火の光が映ると、まっ暗な夜の河の底は、水までも燃えることよ。」

・ぬばたまの=「夜」の枕詞。

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「重衡被斬」の段、

〈 北方御簾のきは近くよッて、「いかに夢かうつつか。これへ入り給へ」との給ひける御声をきき給ふに、いつしか先立つものは涙也。大納言佐殿目もくれ心もきえはてて、しばしは物もの給はず。三位中将御簾うちかづいて、なくなくの給ひけるは、「こぞの春、一の谷でいかにもなるべかりし身の、せめてもの罪のむくひにや(奈良を焼き打ちしたという、あまりにも重い罪の報いなのでしょうか)、いきながらとらはれて大路をわたされ、京鎌倉恥をさらすだに口惜きに、はては奈良の大衆の手へわたされてきらるべしとて罷り候。

いかにもして今一度御すがたを見たてまつらばやとおもひつるに、いまは露ばかりも思ひをく事なし。出家して形見に髪をも奉まつらばやと思へども、許されなければ力及ばず」とて、額のかみを少し引き分けて、口のおよぶところをくひきッて、「是を形見に御覧ぜよ」とてたてまつり給ふ。北方は、日来(ひごろ)おぼつかなくおぼしけるより、いま一しほかなしみの色をぞまし給ふ。「まことに別れたてまつりし後は、越前三位のうへの様に、水の底にも沈むべかりしが、まさしうこの世におはせぬ人とも聞かざりしかば、もし不思議にて今一度、変はらぬ姿を見もし見えもやすると思ひてこそ、憂きながら今までもながらへてありつるに、今日を限りにておほせんずらんかなしさよ。今まで延びつるは。「もしや」とおもふたのみもありつるものを」とて、昔いまの事どもの給ひかはすにつけても、ただつきせぬ物は涙也。〉(つづく)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈二十二日唐招提寺薬師寺を巡りて赤膚山正柏が窯に立ちよりて息ふ〉

「ものかきし すやきのをざら くれなゐの

         かまのほむらに たきてはやみむ」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。ごみ工場移転を推進した人達は歴史に悪名を残すことになります。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

 中ノ川には「中ノ川寺成身院」遺跡、実範上人五輪塔があり、東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

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2013年6月18日 (火)

般若寺 季節の花だより  6・18

 

《いま咲いている花》

○夏コスモス:≪五分咲き≫7月上旬まで咲きます。15種類、3万本。

大きな花が咲いています。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなど種類は多種多彩です。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の睡蓮の原生種。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪盛りを越えました≫日本の野山に自生する紫陽花原生種。

・アジサイ:≪見ごろ≫

・キョウチクトウ:≪満開≫

《秋のコスモス》

9月中旬~11月中旬。35種類。10万本。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」71

大塔宮:

『太平記』巻第五 「大塔宮南都御隠居後(のち)十津川御栖(おんすま)ひの事」(別写本では「大塔宮熊野落事(をほたうのみやくまのをちのこと)」)

〈 御伴には、赤松帥律師則祐(そくゆう、赤松則村[号は円心]の三男、はじめ出家して比叡山に入り帥律師妙善と称した)・光林坊律師玄存(げんぞん)・木寺相模(こでらのさがみ)・村上佐馬助義光(よしてる)・子息蔵人義隆(よしたか)、甲斐源氏に矢田三郎義重(よししげ)・河野彦五郎・舎弟孫三郎・平賀三郎・片岡八郎・武田彦七を始めとして、已上十一人、皆柿のすずかけ衣(修験者が着る服の一種、柿渋で摺った麻の衣)に負(おひ、笈。山伏が仏具・衣服・書籍・食器などを入れて背負って歩く箱形のつづら)を懸けて、巾眉半(ときんまゆなかば、山伏のかぶる頭巾。六角の黒漆塗の小さなものを紐で額に結びつける。)に引きこみ、年の老いたるを先逹(せんだち)として、田舎山伏の熊野参詣する体(てい)にて、熊野の道に趣かせたまふ。〉(つづく)

 

〔短歌〕

「大きな子供 遊びて居たれ 小さな子供

         歩むわすれて ほとほと見惚(みと)るる

          木下利玄・一路

〔俳句〕

「額の花 重なり咲いて 雨雫」星野椿

〔和歌〕

「しげりあふ 庭の梢を 吹き分けて

         風にもりくる 月のすずしさ」

           前関白右大臣(鷹司師平)・風雅382

「茂りあう庭の梢を吹き分ける風につれて、葉末の間々から洩って来る月の光の、何と涼しいことよ。」

 

*『平家物語』を読む。

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈二十二日唐招提寺薬師寺を巡りて赤膚山正柏が窯に立ちよりて息ふ〉

「ものかきて すやきのさらを ならべたる

         ゆかのいたまに とぶいなごかな」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。ごみ工場移転を推進した人達は歴史に悪名を残すことになります。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

 中ノ川には「中ノ川寺成身院」遺跡、実範上人五輪塔があり、東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

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2013年6月17日 (月)

般若寺 季節の花だより  6・17

 

《いま咲いている花》

○初夏咲コスモス:≪五分咲き≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

大きな花が咲いています。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなど種類は多種多彩です。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の睡蓮の原生種。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪満開・盛りを越えました≫日本の野山に自生する在来種。小さな手毬花、額花がかわいいです。

・アジサイ:≪五分咲き≫、ようやく見ごろを迎えました。やっと梅雨らしい雨がありました、全てが生き返ったようです。。

・キョウチクトウ:≪満開≫

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」

大塔宮般若寺の御危難:

『太平記』巻第五 「大塔宮南都御隠居後(のち)十津川御栖(おんすま)ひの事」(別写本では「大塔宮熊野落事(をほたうのみやくまのをちのこと)」)

(休みます)

*昨日あたりから風邪の症状が出て、鼻水、咳、咽喉痛、発熱など夏風邪の症状です。23日猛暑が続いたんで夏バテが風邪を呼び込んだのでしょう。

無気力で、何にもする気が出ません。コピーばかりですが悪しからず。

 

〔短歌〕

「学校の 昼は闌けたれ 本を読む

       子供の声の しみらにきこゆ」

         木下利玄・一路

〔俳句〕

「紫陽花の 雨を感じて をりし色」山田山彦

〔和歌〕

「わすれずよ 右のつかさの 袖ふれし

         花橘や いまかほるらむ」

           亀山院御製・玉葉375

「忘れはしないよ、皇位にあった昔を。紫宸殿の前庭に、右近衛の武官らが袖を触れて親しんだあの花橘は、今もさぞよい香りを放っていることだろう。」

・右のつかさ=右近衛府。その官人は、儀式の時、紫宸殿南階前の右近の橘から南に陣を敷く。

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「重衡被斬」の段、

〈 武士どもさすが岩木ならねば、おのおの涙をながしつつ「何かはくるしう候べき」とて、ゆるしたてまつる。中将なのめならず悦びて、「大納言佐殿の御局(つぼね、)はこれにわたらせ給ひ候やらん、本三位中将殿の只今奈良へ御とをり候が、立ちながら見参に入らばやと仰せ候」と、人を入れていはせければ、北方聞きもあへず「いづらやいづら」とて走り出でて見給へば、藍摺りの直垂に折烏帽子きたる男の、やせ黒みたるが、縁によりゐたるぞそなりける。〉

 (つづく)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈二十二日唐招提寺薬師寺を巡りて赤膚山正柏が窯に立ちよりて息ふ〉

「あかはだの かまのすやきに ものかくと

         いむかふまどに ちかきたふかな」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。ごみ工場移転を推進した人達は歴史に悪名を残すことになります。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

 中ノ川には「中ノ川寺成身院」遺跡、実範上人五輪塔があり、東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

*「もう一つの万葉の里 木津川市―鹿背山を守るために」11

聖武天皇が、神亀二年(725)に「三香の原(みかのはら)」の離宮に行幸なされた時、随行の笠金村が歌った長歌を紹介しました。

それに対する反歌二首があります。

「天雲の よそに見しより 我妹子(わぎもこ)に

       心も身さへ 寄りにしものを」(万葉4547

現代語訳:よそながら見てからというもの、あなたに身も心もすっかり傾けていたのだったよ。

「この夜らの 早く明けなば すべを無み

       秋の百夜(ももよ)を 願ひつるかも」(万葉4548

現代語訳:この夜が早く明けてしまったら、やりきれないので、秋の夜長が百夜続くことを願ってしまったよ。

 旅の途中に出会った美しい里の娘子に一目ぼれした金村の恋心がよく描かれている歌です。

「もう一つの万葉の里・木津川市」の鹿背山(かせやま)はロマンあふれる名勝の地だったんですね、木津川市々長殿。

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2013年6月16日 (日)

般若寺 季節の花だより  6・16

 

《いま咲いている花》

○初夏咲コスモス:≪五分咲き≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

大きな花が咲いています。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなど種類は多種多彩です。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の睡蓮の原生種。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪満開・盛りを越えました≫日本の野山に自生する在来種。小さな手毬花、額花がかわいいです。

・アジサイ:≪五分咲き≫、ようやく見ごろを迎えました。やっと梅雨らしい雨がありました、全てが生き返ったようです。。

・キョウチクトウ:≪満開≫

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」70

大塔宮般若寺の御危難:

『太平記』巻第五 「大塔宮南都御隠居後(のち)十津川御栖(おんすま)ひの事」(別写本では「大塔宮熊野落事(をほたうのみやくまのをちのこと)」)

〈 「大般若の箱の中をよくよくさがしたれば、大塔宮は御座(おは)さで、大唐の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう、唐の高僧。629年から645年にインドへ旅行し、『大唐西域記』を著し、大般若経をはじめ多くの経典を漢訳した。経律論の三蔵に通じていたので三蔵法師と呼ばれる)こそありける」と戯れて、(ここでは、だいとうの宮と読まれている。)一同どつとぞ笑つて、門より外へぞ出でにける。宮はなほ御夢の心治(ここち)して御座しけるが、これひとへに摩利支天(まりしてん、帝釈天の眷属。陽炎を神格化した神女で、これを念ずると一切の災厄を免れ身を隠す術を得るという。武士の守護神)の冥応(みやうおう、神仏が感応して授ける利益)、十六善神(大般若経の誦持者を擁護し危難から救うことを誓願とする護法善神)の擁護(おうご、仏神が人の祈願に応じて守り助けること)にかかる命なりと、信心肝に銘じて、御泪にぞ咽ばせ給ひける。

 かくては南都の御隠居も叶ふまじかりけりとて、般若寺を忍んで御出あつて熊野の方へぞ趣かせ給ひける。〉

 (つづく)

 

〔短歌〕

「幼稚園 昼前にひけ うなゐ等は

       課業の遊戯 了(を)へてかへるも」

         木下利玄・一路

〔俳句〕

「その葉より 森青蛙 みどりかな」横田弥一

〔和歌〕

「松のうへに 月のすがたも みえそめて

         すずしくむかふ 夕ぐれの山」

           祝子内親王・風雅380

「松の梢の上に、昇って来た月の姿も見えはじめて、いかにも涼しい気持ちで相対する、夕暮の山よ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「重衡被斬」の段、

〈 中将の露の命、草葉の末にかかッてきえやらぬときき給へば、夢ならずして今一度見もし見えもする事もやとおもはれけれども、それもかなはねば、泣くより外のなぐさめなくて、明かしくらし給ひけり。三位中将守護の武士にの給ひけるは、「此の程事にふれてなさけふかう芳心(親切にして下さる)おはしつるこそありがたううれしけれ。同じくは最後に芳恩かゥぶりたき事あり。我は一人の子なければ、この世におもひをく事なきに、年来(としごろ)あひぐ(具)したりし女房(夫婦であった女房)の、日野といふところにありときく。いま一度対面して、後生の事を申しをかばやとおもふなり」とて、片時(へんし)のいとまを乞われけり。〉

 (つづく)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈この日みち奈良坂を過ぎ佐保山のじょうじょうたるを望む聖武天皇の南陵あり側に光明皇后を葬りて東陵といふ〉

「さほやまの このしたがくり よごもりに

         ものうちかたれ わがせわぎもこ」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。ごみ工場移転を推進した人達は歴史に悪名を残すことになります。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

 中ノ川には「中ノ川寺成身院」遺跡、実範上人五輪塔があり、東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

*「もう一つの万葉の里 木津川市―鹿背山を守るために」11

聖武天皇が、神亀二年(725)に「三香の原(みかのはら)」の離宮に行幸なされた時、随行の笠金村が歌った長歌を紹介しました。

それに対する反歌二首があります。

「天雲の よそに見しより 我妹子(わぎもこ)に

       心も身さへ 寄りにしものを」(万葉4547

現代語訳:よそながら見てからというもの、あなたに身も心もすっかり傾けていたのだったよ。

「この夜らの 早く明けなば すべを無み

       秋の百夜(ももよ)を 願ひつるかも」(万葉4548

現代語訳:この夜が早く明けてしまったら、やりきれないので、秋の夜長が百夜続くことを願ってしまったよ。

 旅の途中に出会った美しい里の娘子に一目ぼれした金村の恋心がよく描かれている歌です。

「もう一つの万葉の里・木津川市」の鹿背山(かせやま)はロマンあふれる名勝の地だったんですね、木津川市々長殿。

 

 

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2013年6月15日 (土)

般若寺 季節の花だより  6・15

 

《いま咲いている花》

○初夏咲コスモス:≪五分咲き≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

大きな花が咲いています。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなど種類は多種多彩です。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の睡蓮の原生種。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪満開≫日本の野山に自生する在来種。小さな手毬花、額花がかわいいです。

・アジサイ:≪五分咲き≫、ようやく見ごろを迎えました。日照りがつづき花は小ぶり。

・キョウチクトウ:≪満開≫

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」69

大塔宮般若寺の御危難:

『太平記』巻第五 「大塔宮南都御隠居後(のち)十津川御栖(おんすま)ひの事」(別写本では「大塔宮熊野落事(をほたうのみやくまのをちのこと)」)

〈 もし見付け進(まい)らする事あらば、やがて御腹召さんとて、氷の如くなる刀を抜いて、御腹にさし当て、扱(さが)し進(まゐ)らせんものの、「ここにこそ」と申さんずる一言を待たせ給ひける御心の中、推し量られて哀れなり。

(もしもこれで見つけられるようなことがあれば、すぐにご自害なさろうと、氷のような刀を抜いて、御腹に押し当て、宮をお捜しする者が、「ここにいるぞ」と言うであろう、その一言を待っておられたお心の中を想像すると、お気の毒であった。)

 案の如く、兵ども御堂に乱れ入りて、仏壇の中、天井の上まで、残る処なく捜し奉る。されどもさがしかねて、大般若の箱をあけて、底を返してぞさがしける。元より蓋のあきたる箱をば見るまでもなくて、兵寺中を出でにけり。宮は不思議の御命を生きさせ給ひ、夢の様にて箱の中に御座(おは)しけるが、もしまた帰り来て、なほもさがす事やあらんずらんと御思案あつて、先に兵のさがしつる箱の中へ入りかはりて御座しけるに、案の如く、ある兵立ち帰つて、「先にふたのありたりつる箱を見ざりつるが、不審に覚ゆ」とて、御経を打ちうつして見けるに、からからと打ち笑つて、

(予想どおり、敵兵たちは仏殿にも乱入して、仏壇の中から天井裏まで、くまなく捜し申し上げた、しかし捜し出すことができず、大般若経の入った箱を開けて、底をひっくり返して捜すのだった。初めから蓋の開いている箱は見るまでもないと、兵たちは寺を出ていってしまった。宮は不思議にもお命拾いをなさり、夢を見る思いで箱の中に座っていらっしゃったが、もしまた敵兵が帰って来て、もう一度捜すこともあろうかとお考えなさって、先ほど敵兵が調べた箱に移り、中でじっとしておられたところ、やはり、ある敵兵が立ち戻って来て、「先ほどは蓋の明いていた箱を調べなかったが、気がかりだ」と言って、中のお経をすべて移してみてから、からからと笑って、)〉

 (つづく)

 

〔短歌〕

「子等の列 わが傍らを 行くなべに

        子供のにほひを させにけらずや」

          木下利玄・一路

〔俳句〕

「忘却の 日々あるばかり 苔の花」大塚千千二

〔和歌〕

「橘の やどりをとはば ほととぎす

      われにむかしの ことかたらなむ」

        入道前太政大臣・玉葉373

「橘の咲いた私の家をせっかく尋ねてくれるのならば、時鳥よ、私にゆかしい昔の事を語っておくれ。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「重衡被斬」(しげひらのきられ)の段、

〈 本三位中将重衡卿者(ほんざんゐのちうじやうしげひらのきやうは)、狩野介宗茂(かののすけむねもち)にあづけられて、去年(こぞ)より伊豆国におはしけるを、南都大衆頻に申ければ、「さらばわたせ」とて、源三位入道頼政の孫、伊豆蔵人大夫頼兼(いづのくらんどたゆふよりかね、頼政の子が正)に仰て、遂に奈良へぞつかはしける。都へは入れられずして、大津より山しな(科)どをりに、醍醐路をへてゆけば、日野は近かりけり。此の重衡卿の北方(きたのかた)と申すは、鳥飼の中納言惟実(これざね、伊実が正)のむすめ、五条大納言邦綱卿の養子(やうじ、藤原盛邦の子、富豪であり平家と盛んに縁組をした。重衡の妻となったのは邦綱の実子で、伊実の子ではなかった。)、先帝(安徳天皇)の御めのと(乳母)大納言佐殿とぞ申ける。三位中将一谷(いちのたに)でいけどりにせられ給ひし後も、先帝につきまいらせておはせしが、壇の浦にて海に入らせ給ひしかば、もののふのあらけなき(荒々しい、粗暴な)にとらはれて、舊里に帰り、姉の大夫三位(だいぶさんゐ、邦綱の女で六条天皇の乳母。藤原成頼の妻)に同宿して(身を寄せて)日野といふ所におはしけり。〉

 (つづく)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

二十日奈良より歩して山城国浄瑠璃寺にいたる寺僧はあたかも奈良に買い物に行きしとて在らず赤きジャケツを着たる少女一人留守をまもりてたまたま来るハイキングの人々に裏庭の柿をもぎて売り吾等のためには九体阿弥陀堂の扉を開けり予ひとり堂後の縁をめぐれば一基の廃機あり之を見て歌を詠じて懐を抒(の)ぶ〉

「みだうなる 九ぼんのひざに ひとつづつ

         かきたてまつれ ははのみために」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。ごみ工場移転を推進した人達は歴史に悪名を残すことになります。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

 中ノ川には「中ノ川寺成身院」遺跡、実範上人五輪塔があり、東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

*「もう一つの万葉の里 木津川市―鹿背山を守るために」11

聖武天皇が、神亀二年(725)に「三香の原(みかのはら)」の離宮に行幸なされた時、随行の笠金村が歌った長歌を紹介しました。

それに対する反歌二首があります。

「天雲の よそに見しより 我妹子(わぎもこ)に

       心も身さへ 寄りにしものを」(万葉4547

現代語訳:よそながら見てからというもの、あなたに身も心もすっかり傾けていたのだったよ。

「この夜らの 早く明けなば すべを無み

       秋の百夜(ももよ)を 願ひつるかも」(万葉4548

現代語訳:この夜が早く明けてしまったら、やりきれないので、秋の夜長が百夜続くことを願ってしまったよ。

 旅の途中に出会った美しい里の娘子に一目ぼれした金村の恋心がよく描かれている歌です。

「もう一つの万葉の里・木津川市」の鹿背山(かせやま)はロマンあふれる名勝の地だったんですね、木津川市々長殿。

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2013年6月14日 (金)

般若寺 季節の花だより  6・14

 

《いま咲いている花》

○初夏咲コスモス:≪五分咲き≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

大きな花が咲いています。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなど種類は多種多彩です。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の原生種。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪満開≫日本の野山に自生する在来種。小さな手毬花、額花がかわいいです。

・アジサイ:≪五分咲き≫、ようやく見ごろを迎えています。日照りがつづき花が小さいです。

・キョウチクトウ:≪満開≫

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」

大塔宮般若寺の御危難:

『太平記』巻第五 「大塔宮南都御隠居後(のち)十津川御栖(おんすま)ひの事」

(休みます)

 

〔短歌〕

「足ぶみする 子供の力 寄り集まり

        とどろとどろと 廊下が鳴るも」

          木下利玄・一路

〔俳句〕

「さみだれの あまだればかり 浮見堂」阿波野青畝

〔和歌〕

「槇の戸を しゐてもたたく くゐな哉

        月のひかりの さすとみるみる」

          郁芳門院安芸・風雅379

「門口の木の扉を、無理にもたたいている水鶏だなあ。月の光が射しているだけで、人間が戸を鎖しているわけではないと、見す見すわかっていながら。」

・たたく=水鶏の鳴く声を、戸をたたく音になぞらえる。

・さす=月の「射す」と戸を「鎖す」をかけた技巧。

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「大臣殿被斬」(おほいとのきられ)の段、

「 頼朝が宗盛に対面したが、宗盛は源氏の部下にまで卑屈な態度を示し、かえって人の憫笑を買った。」

「 宗盛父子は義経に伴われて帰京の途についた。二人は近江の篠原の宿で切られ、その首は都で獄門にかけられた。」

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

二十日奈良より歩して山城国浄瑠璃寺にいたる寺僧はあたかも奈良に買い物に行きしとて在らず赤きジャケツを着たる少女一人留守をまもりてたまたま来るハイキングの人々に裏庭の柿をもぎて売り吾等のためには九体阿弥陀堂の扉を開けり予ひとり堂後の縁をめぐれば一基の廃機あり之を見て歌を詠じて懐を抒(の)ぶ〉

「やまでらの ほふしがむすめ ひとりゐて

         かきうるにはも いろづきにけり」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。ごみ工場移転を推進した人達は歴史に悪名を残すことになります。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

 中ノ川には「中ノ川寺成身院」遺跡、実範上人五輪塔があり、東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

*「もう一つの万葉の里 木津川市―鹿背山を守るために」11

神亀二年(725)乙丑の春三月、(聖武天皇が)三香原の離宮(みかのはらのとつみや)に(行)幸す時に、娘子を得て、笠朝臣金村の作る歌 併せて短歌

「三香の原 旅の宿りに 玉桙(たまほこ)の 道の行き逢ひに 天雲(あまくも)の よそのみ見つつ 言問(ことと)はむ 由のなければ 心のみ 咽(む)せつつあるに 天地(あめつち)の 神事依(かみことよ)せて しきたへの 衣手交(か)へて 己妻(おのつま)と 恃(たの)める今夜(こよひ) 秋の夜の 百夜(ももよ)の長さ ありこせぬかも」

(万葉集4547

現代語訳:三香原の旅の宿りにあって、道での偶然のめぐり逢いに見かけた美しい娘子をよそながら見るばかりで、言葉を掛ける手だてがないので、心が塞がるような思いばかりしていた折、天地の神が加護して下さって、袖を差し交して、我が妻と、頼りにする今宵は、秋の夜長の百夜分の長さが、あってくれないものか。

この歌は相聞歌(恋歌)に入っています。鹿背山の麓、泉川の水辺近くにあった三香の原離宮へ行幸される聖武天皇に御伴して、旅の途中に出会った美しい娘子への恋心が歌われています。鹿背山はロマンチックな場所でもあったのですね。いいところですね、「もう一つの万葉の里・木津川市」は。緑と歴史あふれる万葉の里、鹿背山。

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2013年6月13日 (木)

般若寺 季節の花だより  6・13

 

《いま咲いている花》

○初夏咲コスモス:≪五分咲き≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

大きな花が咲いています。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなど種類は多種多彩です。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の原生種。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪満開≫日本の野山に自生する在来種。小さな手毬花、額花がかわいいです。

・アジサイ:≪五分咲き≫、ようやく見ごろを迎えています。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」68

大塔宮般若寺の御危難:

『太平記』巻第五 「大塔宮南都御隠居後(のち)十津川御栖(おんすま)ひの事」

〈 かかるところに、一乗院の侯人内侍原法眼(こうにんなしはらほうげん)好尊これを聞いて、五百余騎を率して、未明(びめい)に般若寺へ押しよせ、宮を取り奉らんと、四方をぞ囲みける。宮は透間もなく取りこめられさせ給ひて、御出(い)であるべき方もなくて、すでに御腹を召されんと思(おぼ)し召して、推しはだぬがせ給ひたりけるが、事の叶はざるにこそ腹をも切るべけれ、まず隠れてみばやと思し召して御堂へ走り入らせ給ひたれば、人の読みかけたる大般若の箱三つあり。二つの箱には御経入れて蓋を開けず。一つの箱は御経半ば取り出だして、蓋開きたりければ、その中へ飛び入らせ給ひて、御経を引き覆ひ、身を縮めてぞ御座(おは)しける。

(こうしたところに、興福寺一乗院の侍法師、内侍原好尊が話を聞きつけ、五百余騎を率いて夜明け前に般若寺へ押し寄せ、宮を生け捕り申しあげようと、寺の四方を取り囲んだ。宮はすき間もなく包囲されてしまいになり、脱出できる方法もなく、すんでにご自害なさろうとお考えになり、肌脱ぎにおなりになったが、計画が成就しない場合には自害をするのもよいだろうと、今はひとまず隠れてみようと考えられて、仏殿へ走ってお入りになったところ、誰かが読みかけにしておいた大般若経の箱が三つあった。二つの箱にはお経が入っていて、蓋は開けてなかった。一つの箱はお経を半分ほど取り出して、蓋が開いていたので、宮はその中に飛び込みなさって、お経をひっかぶって、中で体を縮めておられた。)〉 (つづく)

 

〔短歌〕

「幼稚園に わが行きたるに をさな児(ご)は

        汗あえにつつ 遊びてゐたり」

          木下利玄・一路

〔俳句〕

「あぢさゐの 毬は一つも 地につかず」上野章子

〔和歌〕

「いたづらに 雲ゐる山の まつの葉の

         時ぞともなき 五月雨の空」

           前中納言定家・玉葉366

「晴れるのを待っていたのも無駄な事で、雲が動かずかかっている山の松の葉の、時節にかかわらぬ緑の色同様、いつが晴れるときともなく、全く変化しない五月雨の空よ。」

・いたづらに=無駄に。「まつ」にかかる。

・ゐる=動かずじっとしている。

・まつの葉=山の「松の葉」に、晴れる時を「待つ」意をかけ、松が季節に関係なく緑である所から「時ぞともなき」を導く。

*『平家物語』を読む。

巻第十三 「腰越」(こしごえ)の段、

「 義経が宗盛父子を伴って鎌倉に行った。頼朝は梶原景時の意見を入れて義経を鎌倉に入れない。義経にも不平はあったが、大江広元に書状を送って頼朝へのとりなしを頼んだ。」

「 自分は功績が認められず、頼朝に誠意を見せることさえできない。父義朝の死後、困苦にうち勝って、ついに平家を亡したが、自分は何の他意をももっていない。頼朝の誤解を解くことを貴殿にお願いする。」

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

二十日奈良より歩して山城国浄瑠璃寺にいたる寺僧はあたかも奈良に買い物に行きしとて在らず赤きジャケツを着たる少女一人留守をまもりてたまたま来るハイキングの人々に裏庭の柿をもぎて売り吾等のためには九体阿弥陀堂の扉を開けり予ひとり堂後の縁をめぐれば一基の廃機あり之を見て歌を詠じて懐を抒(の)ぶ〉

「あしびきの やまのみてらの いとなみに

         おりけむはたと みるがかなしさ」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。ごみ工場移転を推進した人達は歴史に悪名を残すことになります。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

 中ノ川には「中ノ川寺成身院」遺跡、実範上人五輪塔があり、東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

*「もう一つの万葉の里 木津川市―鹿背山を守るために」11

神亀二年(725)乙丑の春三月、(聖武天皇が)三香原の離宮(みかのはらのとつみや)に(行)幸す時に、娘子を得て、笠朝臣金村の作る歌 併せて短歌

「三香の原 旅の宿りに 玉桙(たまほこ)の 道の行き逢ひに 天雲(あまくも)の よそのみ見つつ 言問(ことと)はむ 由のなければ 心のみ 咽(む)せつつあるに 天地(あめつち)の 神事依(かみことよ)せて しきたへの 衣手交(か)へて 己妻(おのつま)と 恃(たの)める今夜(こよひ) 秋の夜の 百夜(ももよ)の長さ ありこせぬかも」

(万葉集4547

現代語訳:三香原の旅の宿りにあって、道での偶然のめぐり逢いに見かけた美しい娘子をよそながら見るばかりで、言葉を掛ける手だてがないので、心が塞がるような思いばかりしていた折、天地の神が加護して下さって、袖を差し交して、我が妻と、頼りにする今宵は、秋の夜長の百夜分の長さが、あってくれないものか。

この歌は相聞歌(恋歌)に入っています。鹿背山の麓、泉川の水辺近くにあった三香の原離宮へ行幸される聖武天皇に御伴して、旅の途中に出会った美しい娘子への恋心が歌われています。鹿背山はロマンチックな場所でもあったのですね。いいところですね、「もう一つの万葉の里・木津川市」は。緑と歴史あふれる万葉の里、鹿背山。

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2013年6月12日 (水)

般若寺 季節の花だより  6・12

 

《いま咲いている花》

○初夏咲コスモス:≪五分咲き≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

大きな花が咲いています。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなど種類は多種多彩です。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の原生種。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪満開≫日本の野山に自生する在来種。小さな手毬花、額花がかわいいです。

・アジサイ:≪五分咲き≫、ようやく見ごろを迎えています。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」

大塔宮般若寺の御危難:

『太平記』巻第五 「大塔宮南都御隠居後(のち)十津川御栖(おんすま)ひの事」

〈さる程に、大塔宮は石山を御出であつて、笠置の城の安否を聞し召さんために、しばらく南都の般若寺に忍んで御座ありけるが、軍(いくさ)すでに破れて、主上も囚われさせ給ひて、遠国(をんごく)へ遷幸と聞えしかば、虎尾(こび、非常な危険を冒すたとえ)の恐れ御身に迫つて、いづくにしばらくも御憑(おんたの)みあるべき様もなかりけり。

(虎の尾を踏む危険が宮の身に迫り、少しの間すら御身を隠される所さえなかった。)〉

・太平記では大塔宮は石山から直接南都般若寺へ来られたように書かれていますが、実際は笠置山へ籠城し、城が破れてのち般若寺へ来ておられます。(『増鏡』と『笠置寺縁起』による)

(つづく)

 

〔短歌〕

「峰の上 笹生にくもる 真昼の日

       かなかな高鳴く 間近き谷に」

         木下利玄・一路

〔俳句〕

「くちなしの 白きを庭の あはれとす」田上石情

〔和歌〕

「水鶏なく もり一むらは 木ぐらくて 

月にはれたる 野べのをちかた」

          前大納言実明女・風雅378

「水鶏の鳴く、森の一区画は木が茂りあって暗く、眼を移せば月光に照らされて広々と明るい、野のはるか彼方よ。」

 

*『平家物語』を読む。(休みます)

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈二十日奈良より歩して山城国浄瑠璃寺にいたる寺僧はあたかも奈良に買い物に行きしとて在らず赤きジャケツを着たる少女一人留守をまもりてたまたま来るハイキングの人々に裏庭の柿をもぎて売り吾等のためには九体阿弥陀堂の扉を開けり予ひとり堂後の縁をめぐれば一基の廃機あり之を見て歌を詠じて懐を抒(の)ぶ〉

「やまでらの みだうのゆかに かげろひて

         ふりたるはたよ おるひとなしに」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。ごみ工場移転を推進した人達は歴史に悪名を残すことになります。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

 中ノ川には「中ノ川寺成身院」遺跡、実範上人五輪塔があり、東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

*「もう一つの万葉の里 木津川市―鹿背山を守るために」11

神亀二年(725)乙丑の春三月、(聖武天皇が)三香原の離宮(みかのはらのとつみや)に(行)幸す時に、娘子を得て、笠朝臣金村の作る歌 併せて短歌

「三香の原 旅の宿りに 玉桙(たまほこ)の 道の行き逢ひに 天雲(あまくも)の よそのみ見つつ 言問(ことと)はむ 由のなければ 心のみ 咽(む)せつつあるに 天地(あめつち)の 神事依(かみことよ)せて しきたへの 衣手交(か)へて 己妻(おのつま)と 恃(たの)める今夜(こよひ) 秋の夜の 百夜(ももよ)の長さ ありこせぬかも」

(万葉集4547

現代語訳:三香原の旅の宿りにあって、道での偶然のめぐり逢いに見かけた美しい娘子をよそながら見るばかりで、言葉を掛ける手だてがないので、心が塞がるような思いばかりしていた折、天地の神が加護して下さって、袖を差し交して、我が妻と、頼りにする今宵は、秋の夜長の百夜分の長さが、あってくれないものか。

この歌は相聞歌(恋歌)に入っています。鹿背山の麓、泉川の水辺近くにあった三香の原離宮へ行幸される聖武天皇に御伴して、旅の途中に出会った美しい娘子への恋心が歌われています。鹿背山はロマンチックな場所でもあったのですね。いいところですね、「もう一つの万葉の里・木津川市」は。緑と歴史あふれる万葉の里、鹿背山。

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2013年6月11日 (火)

般若寺 季節の花だより  6・11

 

《いま咲いている花》

○初夏咲コスモス:≪五分咲き≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

大きな花が咲いています。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなど種類は多種多彩です。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の原生種。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪満開≫日本の野山に自生する在来種。小さな手毬花、額花がかわいいです。

・アジサイ:≪五分咲き≫梅雨に入って初めての雨、花は生き返ったように色づき、ようやく見ごろを迎えました。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」66

笠置寺城:

『太平記』巻第三 「笠置城(かさぎのしろ)没落の事」

〈 藤房・季房も、三日まで食を絶たられければ、足なえ身疲れて、今はいかなる目に遇ふとも、一足も行くべき心地もせざりければ、力なく幽谷の岩を枕にて、君臣兄弟諸共に、うつつの夢に臥し給ふ御心の内こそ痛ましけれ。さらぬだに、習はせ給はぬ旅寝は悲しかるべきに、夜嵐一しきり松に音して過ぎけるを、雨の降るかと聞こしめして、木陰に寄らせ給ひたれば、下露のはらはらと御袖に懸かりけるを、主上御覧ぜられて、

 「指(さし)て行 笠ぎの山を 出(いで)しより

          雨が下には 隠家(かくれが)もなし」

(「指て行」は笠に掛かる序詞、「雨が下」は天と雨を掛ける。

「さして行く笠とも頼んでやって来た笠置山を出てからは、もう天(あめ)が下に雨を避ける隠れ家もない。」)

と仰せられけるを、藤房卿奉(うけたまは)つて、「誠(げ)にさこそ宸襟を傷ましめ御座(おは)すらん」と悲しく覚えければ、

「いかにせん 憑影(たのむかげ)とて 立寄れば

猶袖ぬらす 松の下露」

(どうしたものだろう。頼りになる木陰だと思って立ち寄ってみると、松の下露にぬれて、袖がいっそう涙でぬれることだ。)

と仕り、君も臣も諸共に、草の露打ち払ひ、苔むせる岩のありけるを御座として、「こはそもそも、何となり行く世の中ぞや。治世の程は何となく、万(よろづ)の政(まつりごと)叡慮にも任せずとはいへども、これまでの事はなき物を。

(いったいぜんたい世の中はどうなるのであろう。朕が治世の間は政全般が我が心のままにならないといっても、これまでのことはなかったのに。)

天照大神(あまてらすおほみかみ)・正八幡宮(しやうはちまんぐう)もいかが照見し給ふらん。あさましきかな、十善の天子たちまちに外都(がいと、都の外の地)に行在して、逆臣のために災ひに逢ふ事も類ありとはいへども、いまだかかる様(ためし)をば聞かず」とて御泪に咽ばせ給へば、藤房もさこそと思はれては、そぞろに袖をぞしぼられける。

 (この段終わり)

 

〔短歌〕

「頂上の 白山権現の 石祠(いしほこら)

       照り下ろす日に 小さくし見ゆる」

         木下利玄・一路

〔俳句〕

「水よりも 土が濡れゐて 額咲けり」草間時彦

〔和歌〕

「五月雨に うききながれて 大井河

        くだすいかだの 数ぞそひぬる」

          権中納言公雄・玉葉361

「五月雨の増水のために、流木が浮かび流れて、大井河では川下に流す筏の数が増えたように見えるよ。」

・うきき=浮木。水に浮かんだ木片。流木。

・大井河=大堰川。山城の歌枕。嵐山を流れる桂川の支流。

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「副将被斬」の段。

「義経の命を受けた河越小太郎が副将を六条河原にさそい出して切り殺した。数日後に二人の女房が副将の首と胴体を抱いて桂川に身投げした。」

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈十九日室生にいたらむとて先ず桜井の聖林寺に十一面観音の端厳を拝す旧知の住僧老いてなを在り〉

「さくはなの とはににほへる みほとけを

         まもりてひとの おいにけらしも」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。ごみ工場移転を推進した人達は歴史に悪名を残すことになります。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

 中ノ川には「中ノ川寺成身院」遺跡、実範上人五輪塔があり、東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

*「もう一つの万葉の里 木津川市―鹿背山を守るために」11

神亀二年(725)乙丑の春三月、(聖武天皇が)三香原の離宮(みかのはらのとつみや)に(行)幸す時に、娘子を得て、笠朝臣金村の作る歌 併せて短歌

「三香の原 旅の宿りに 玉桙(たまほこ)の 道の行き逢ひに 天雲(あまくも)の よそのみ見つつ 言問(ことと)はむ 由のなければ 心のみ 咽(む)せつつあるに 天地(あめつち)の 神事依(かみことよ)せて しきたへの 衣手交(か)へて 己妻(おのつま)と 恃(たの)める今夜(こよひ) 秋の夜の 百夜(ももよ)の長さ ありこせぬかも」

(万葉集4547

現代語訳:三香原の旅の宿りにあって、道での偶然のめぐり逢いに見かけた美しい娘子をよそながら見るばかりで、言葉を掛ける手だてがないので、心が塞がるような思いばかりしていた折、天地の神が加護して下さって、袖を差し交して、我が妻と、頼りにする今宵は、秋の夜長の百夜分の長さが、あってくれないものか。

この歌は相聞歌(恋歌)に入っています。鹿背山の麓、泉川の水辺近くにあった三香の原離宮へ行幸される聖武天皇に御伴して、旅の途中に出会った美しい娘子への恋心が歌われています。鹿背山はロマンチックな場所でもあったのですね。いいところですね、「もう一つの万葉の里・木津川市」は。緑と歴史あふれる万葉の里、鹿背山。

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2013年6月10日 (月)

般若寺 季節の花だより  6・10

 

《いま咲いている花》

○初夏咲コスモス:≪五分咲き≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

大きな花が咲いています。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなど種類は多種多彩です。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の原生種。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪満開≫日本の野山に自生する在来種。小さな手毬花、額花がかわいいです。

・アジサイ:≪五分咲き≫少し色づいてきました。雨が少ないのでおくれ気味です。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」65

笠置寺城:

『太平記』巻第三 「笠置城(かさぎのしろ)没落の事」

〈とかくして日夜(ひるよる)三日に、大和国高市の郡なる有王山

(西源院本には「大和国多加郡ナル有王山之麓」。徵古館本には「山城国多賀郷なる有王山の麓」。有王山は『光明寺残篇』には「先帝タカノ山江御落チ之処、山城国住人深栖五郎入道有王山ニ参向シ、陸奥守殿ニ告ゲ申ス、先帝、妙法院宮、源中納言具行、万里小路藤房卿、六条少将忠顕、四条少将以下生捕リ了」とある。山城国多賀郡は京都府綴喜郡多賀村(現、井手町に合併)である。「タカノ山」は多賀の山か。)

といふ処まで落着かせ給ひにけり。〉

 (つづく)

 

*「携帯基地局と電磁波問題」(しばらく休みます)

 

〔短歌〕

「頂上の 笹生が中に 曝(さ)れくちて 

丸木の鳥居の 立ちのさびしさ」

         木下利玄・一路

〔俳句〕

「紫陽花の あさぎのままの 月夜かな」鈴木花衰

〔和歌〕

「月影に うぶねのかがり さしかへて

       あかつきやみの よかはこぐ也」

         民部卿為藤・風雅371

「今までさしていた月の光を、船上でたく篝火の光に変えて、鵜舟は暁の闇の中でなおも夜川を漕ぎつつ漁を続けているようだ。」

・さしかへて=月が沈んだので、照明を篝火のみに変えて。

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「副将被斬」(ふくしやうきられ)の段、

「 宗盛が八歳の子息副将に面会することを許された。宗盛は母のない副将をみずから養育し、西海にあってもいつも傍らに置いたが、捕われてからは今日が最初の面会であった。」

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈観仏三昧・十五日二三子を伴ひて観仏の旅に東京を出づ〉

「やまとには かのいかるがの おほてらに

         みほとけたちの まちていまさむ」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*今、若草山の北麓、浄瑠璃寺の近く、正倉院、東大寺、春日山にも近い「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するというとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルという真近の距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。若草山が噴火したように見えます。若草山々上は風向きによっては煙の中です。

そして当尾の里、浄瑠璃寺は日本の、世界の至宝であるのに、平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は、考えるのもおぞましい最悪無謀な、日本文化の破壊です。奈良市の策定委員会と市長は計画を即刻撤回すべきです。

この地域は、いにしえの平城山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々に心癒され愛惜する人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。ごみ工場移転を推進した人達は歴史に悪名を残すことになります。

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

全国の日本文化を愛し、国を思う人々に訴えます。

奈良市当局へ手紙や電子メール、電話などで反対、抗議の声を届けてください。今ならまだ間に合います。

そして当尾の里の浄瑠璃寺様、岩船寺様を支援してあげて下さい。

 

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

 

 中ノ川には「中ノ川寺成身院」遺跡、実範上人五輪塔があり、東鳴川にも歴史古道・伊勢街道が残されています。これらは古代中世の歴史遺産です。

この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクされています。

 

*「もう一つの万葉の里 木津川市―鹿背山を守るために」11

神亀二年(725)乙丑の春三月、(聖武天皇が)三香原の離宮(みかのはらのとつみや)に(行)幸す時に、娘子を得て、笠朝臣金村の作る歌 併せて短歌

「三香の原 旅の宿りに 玉桙(たまほこ)の 道の行き逢ひに 天雲(あまくも)の よそのみ見つつ 言問(ことと)はむ 由のなければ 心のみ 咽(む)せつつあるに 天地(あめつち)の 神事依(かみことよ)せて しきたへの 衣手交(か)へて 己妻(おのつま)と 恃(たの)める今夜(こよひ) 秋の夜の 百夜(ももよ)の長さ ありこせぬかも」

(万葉集4547

現代語訳:三香原の旅の宿りにあって、道での偶然のめぐり逢いに見かけた美しい娘子をよそながら見るばかりで、言葉を掛ける手だてがないので、心が塞がるような思いばかりしていた折、天地の神が加護して下さって、袖を差し交して、我が妻と、頼りにする今宵は、秋の夜長の百夜分の長さが、あってくれないものか。

この歌は相聞歌(恋歌)に入っています。鹿背山の麓、泉川の水辺近くにあった三香の原離宮へ行幸される聖武天皇に御伴して、旅の途中に出会った美しい娘子への恋心が歌われています。鹿背山はロマンチックな場所でもあったのですね。いいですね、「もう一つの万葉の里」、は。Img_5342_3

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2013年6月 9日 (日)

般若寺 季節の花だより  6・9

 

《いま咲いている花》

○初夏咲コスモス:≪五分咲き≫5月下旬~7月上旬。15種類、3万本。

大きな花が咲いています。 センセーション、ピコティ、シーシェル、ソナタ、サイケ、ローズボンボン、スノーパフ、ベルサイユなど種類は多種多彩です。

 

・睡蓮、ヒツジ草:≪咲きはじめ≫ 水辺の花。日本在来の原生種。これから初秋まで咲きます。

○山アジサイ:≪満開≫日本の野山に自生する在来種。小さな手毬花、額花がかわいいです。

・アジサイ:≪五分咲き≫少し色づいてきました。雨が少ないのでおくれ気味です。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」64

笠置寺城:

『太平記』巻第三 「笠置城(かさぎのしろ)没落の事」

〈 かくては叶はじとて、かたじけなくも十善の天子、玉体を田夫野人(でんぶやじん)の形に換へて、そことも知らず踏み迷はせ給ふ御有様、思ひ遣るこそ哀れなれ。

(このままの姿では歩けないというので、恐れ多くも帝はお姿を民百姓の形に変えて、行方も定めずに迷い行かれるご様子は想像するだけでもお気の毒であった。)

いかにしても今夜(こよひ)の内に金剛山(こんがうせん、)までと、御意(みこころ)ばかりを尽させおはせしかども、仮にもいまだ習はせ玉はぬ御歩行(ごほこう)なれば、夢路をたどる御心治(おんここち)して、一足(ひとあし)には休み二足には立ち止まり、昼は路の傍なる青塚緑松(せいちょうりょくしょう)の影に隠させ給ひ、寒草(枯れかけて寂しい草)の疎(おろそ)かなるを御座のしとねとし、夜は人も通はぬ野原の露に分け迷はせ給へば、羅穀(らこく、薄物の絹布、穀はちりめんの類)の御袖干(かわ)く間も、泪懸からぬ時ぞなき。

(何としても今夜中に楠木のいる金剛山までと、お心だけを焦らされたけれども、ご経験のまったくおありでない徒歩の道なので、帝は夢路をたどるような心地で、一足歩いては休み、二足歩いては立ち止まり、昼は路の傍らの苔むした塚や松の木の後ろに身をお隠しになり、枯草のまばらな所を御座の敷物とし、夜は人も通らない野原の露の中を迷いなさると、帝のみごとなご衣装のお袖をぬらす涙の乾く間も、新たな涙のかからないときもなかった。)〉

 (つづく)

 

 

*「携帯基地局と電磁波問題」(休みます)

 

〔短歌〕

「峰の上 笹生(ささふ)に通へる 道筋の

       まぶしさ消えて 雲のかげとほる」

         木下利玄・一路

〔俳句〕

「馬鈴薯の 花もながめと 肩を貸す」篠田悌二郎

〔和歌〕

「山里の ゆきには跡も いとはれき

       とへかし人の さみだれのころ」

         前大僧正慈鎮・玉葉359

「人恋しい山里でも、雪の積もる冬には訪う人が足跡をつけるのを嫌がって、人が来ないほうが良いと思ったこともあった。しかし今こそは訪ねて来てくれよ、友よ、この淋しく降り続ける五月雨の頃に。」

 

*『平家物語』を読む。

巻第十一 「文の沙汰」(ふみのさた)の段、

「 時忠は娘を一人義経の妻にして、義経に取られた証拠書類を取戻して我が身の処刑を免れようとした。頼朝は都の義経の評判が良いことを知って機嫌を悪くした。」

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈法隆寺福生院に雨やどりして大川逞一にあふ〉