般若寺 季節の花だより 7・31
《いま咲いている花》
○黄花コスモス(サルフレアス種):≪咲きはじめ≫赤・黄・橙色、6種類。
○ヒツジ草:≪見ごろ≫ まっ白な可憐な水辺の花。日本の山地にある泉や池に自生する睡蓮の原生種。これから初秋まで咲き続けます。花は5,6センチの大きさ。
○秋海棠(しゅうかいどう): ≪咲きはじめ≫9月中旬まで咲く。 ハート形の緑色の大きい葉っぱに、ピンク色の小さい花が涼しげです。別名、瓔珞草(ようらくそう)とも。ベコニア属。江戸初期、中国から長崎へ園芸観賞用に伝えられたのがはじまり。全国に広まり、俳画などの画題に好まれている。
○百日紅(サルスベリ):≪五分咲き≫燃え立つような真っ赤な花が夏空に映えています。
《秋に咲く花》
○紫苑(シオン):9月中旬
○彼岸花:9月中旬
◎秋コスモス:9月中旬~11月中旬。35種類。10万本。
ビピンナタス種―29種類、サルフレアス種―6種類。
秋のコスモスは咲く時期で「早咲き種」と「秋咲き種」に分けられ、「早咲き種」は8月下旬から咲きますが、コスモス本来の「短日性開花」の性質を残している「秋咲き種」は9月下旬が開花時期です。当寺では種まきの日程をずらしているので秋らしい気候になる9月中旬から11月中旬ごろまで見ごろがつづきます。最盛期は10月です。
〔短歌〕
「波のうね つづきとほるに 潮の上の
岩の頭の かわきあへなく」
木下利玄・紅玉
〔俳句〕
「沙羅の散る 音は浄土に 還る音」宮崎稔子
〔和歌〕
「こぼれおつる 池の蓮(はちす)の 白露は
うきはの玉と 又なりにけり」
伏見院御製・玉葉422
「池の蓮の花びらからこぼれ落ちる白露は、水面に浮いた葉の上でもう一度、ころころと転ぶ白玉になったよ。」
*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。
〈山中高歌 大正九年五月
山田温泉は長野県豊野駅の東四里の谿間にあり山色浄潔にして嶺上の白雲も以て餐ふべきをおもはしむかつて憂患懐きて此所に来たり遊ぶこと五六日にして帰れり爾来潭声のなほ耳にあるを覚ゆ〉
「あをぞらの ひるのうつつに あらはれて
われにこたへよ いにしへのかみ」
〈東京にかへるとて〉
「あをによし ならやまこへて さかるとも
ゆめにしみえこ わかくさのやま」
〈東京にかへりて後に〉
「ならやまを さかりしひより あさにけに
みてらみほとけ おもかげにたつ」
「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。
*「南朝御聖蹟を顕彰する」107.
『太平記』巻第七「出羽入道道蘊(どううん)芳野を攻むる事」
・本文:〈されども、立ちたる矢をもぬかれず、流るる血をも拭(のご)はれず、敷皮の上に立たせ給ひながら、大盃を以て、三度傾けさせ給へば、木寺相模(こでらのさがみ)、四尺三寸の太刀の鋒(さき)に、敵の首をさし貫いて、宮の御前に畏まり、「戈鋋剣戟(かせんけんげき、矛と刀)を雨(ふら)すことは、春の雨に異ならず。盤石(ばんじゃく)の岩を飛ばす事は、冬の雪に相同じ。しかりといへども、天帝尺(てんたいしゃく)の身には近付かで、修羅彼がために破らる」と打ち上げて、冑の袖をゆり合はせて、一時が程ぞ舞つたりける。その有様は、ただよく漢楚の鴻門に会せし時、楚の項伯と項荘が剣を抜いて舞ひしに、樊噲(はんくわい)庭に立ちながら、帷幕(ゐばく)を挑(かか)げて、項王を睨みし勢もかくやと覚えて勇(いさみ)あり。〉
・訳(けれども、突き立った矢すらお抜きにならず、流れる血をもぬぐわれず、敷皮の上にお立ちなさりながら、大坏を使って三度お傾けになると、木寺相模が四尺三寸の太刀の切っ先に敵の首を刺し貫いて、宮の御前にかしこまった。
木寺は、「刀剣を振るうことは春の雨と同じでやむときがない。また大岩が砕けて石を飛び散らせる光景は冬の雪景色を思わせる。そうではあるが、阿修羅の攻撃は帝釈天には及ばずに、阿修羅は帝釈天に敗れ去った」と謡い終わって、鎧の袖を揺すり合わせながら、しばらくの間舞ったのである。その有様は、漢王高祖と楚王項羽とが鴻門で会見したとき、楚の項伯と項荘とが剣を抜いて舞ったときに、高祖の臣樊噲が庭に立ったまま幕を引き上げて、項王を睨みつけた勢いもまるでこのようであったろうと思われるほど、木寺の舞は雄々しいものであった。)
《当尾の里 浄瑠璃寺・岩船寺を奈良市の暴挙から守るために》
『土門拳 古寺を訪ねて 斑鳩から奈良へ』所収のエッセイより。
「浄瑠璃寺と石仏」
〈浄瑠璃寺の仏像
浄瑠璃寺は別に九体寺(くたいじ)とも、九品寺とも呼ばれている。九体寺とは西方極楽浄土の教主阿弥陀如来を意味し、現実に九体の阿弥陀像をまつっている。浄瑠璃寺の九体阿弥陀像は中尊一体だけが特に大きく像高は二・五メートルで、左右の八体は一・四メートルとわりあいに小さな寄木造で漆箔がおかれている。中尊は上品下生(じょうぼんげしょう)の印で、他の八体はすべて膝の上に両手の指を組み合わせた定印(じょういん)である。九体阿弥陀像は阿弥陀信仰の盛んであった藤原時代につくられたものである。
浄瑠璃寺に現存する他の仏像のうち、正月と春秋二季だけ開帳する有名な吉祥天立像(建暦二年=1212)がある。木彫極彩色で藤原的であるが、奈良時代あたりの古像を手本にしてつくったとみられ、その美しい衣裳などの彩色文様は古風である。その厚化粧をした丸ポチャの麗人といった面貌は、不気味さを感じさせるほどの美しさである。
吉祥天像の顔はうんと小さい。その顔は掌(てのひら)でつかめるほどの大きさである。
しもぶくれの頬に刻まれた切れ長の目は一番の魅力であろう。眼目広長にして顔貌静寂(がんぼうせいじゃく)。小さな唇は見るものに忘れがたい魅力を与える。仏像のうちでは、恐らく日本一の美人であろう。われわれはこの小さな仏像の魅力を永久に忘れないであろう。〉
*今、若草山の北麓、、正倉院、東大寺、春日山にも近く、京都府木津川市浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するという古都破壊のとんでもない計画があります。
建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルの至近距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。まるで若草山頂上から噴火したように見えます。また風向きによっては正倉院、東大寺にも煙が流れます。
そして当尾の里・浄瑠璃寺は平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。
このような事態は考えるのもおぞましいことで、最悪無謀な文化破壊です。
奈良市の策定委員会と奈良市長は計画を即刻白紙撤回すべきです。
この地域は、いにしえの奈良山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々を愛し、心のふるさととして心癒されている日本人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。
「やまとは 国のまほろば たたなづく
青垣やまごもれる やまとしうるはし」
日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記
悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。
*奈良市長仲川元庸殿へ。
貴殿が選挙中に出された公約、ビジョンは、「世界から尊敬される国際観光経済都市NARA」でした。もしこのビジョンを市政目標とされるのであれば、現在の「ごみ焼却場」の中の川・東鳴川への移設計画は「国際観光経済都市」にふさわしくないのではありませんか。当尾の里は京都府ではありますが奈良観光の一大拠点です。ほんとうに観光を重視するのであれば、観光地の入口にゴミ焼却工場はおかしいでしょう。京都の東山や嵐山にごみ工場が存在しますか。鎌倉の有名観光地でごみを焼いていますか。もし観光地にごみ工場があっても何ら支障ないとお考えなら、いっそのこと奈良公園か平城宮跡にでも立地されたらいかがでしょうか。交通の便はいいと思いますよ。
第二期市政発足に当り、「観光経済都市奈良」を本気で目ざされるのであれば、古都奈良の文化遺産を守り未来へ活かすこと、千数百年の歴史があり奈良の精神文化の柱でありつづけた伝統宗教の尊厳に配慮することは必須条件です。その姿勢が「世界から尊敬される国際観光経済都市」へつながります。
この立派なビジョン実現のためには、ごみ工場の現計画は障碍となります。英断をもって現計画を白紙に戻し、一から候補地選定をやり直すべきです。
貴殿の後援会長は華厳宗前管長東大寺前別当の夫人、北河原孝子さんだそうですが、東大寺さんは現候補地で承諾しておられるのでしょうか。
市長さん、住民や宗教界の反対意見を無視してでも工事を強行されるのですか。そのようなことで「世界から尊敬される」ことになるのでしょうか。
この問題を詳しく知りたい方は、
ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」からリンクされています。
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