般若寺 季節の花だより 11・30
《般若寺 季節の花だより》
霜月が終わり、明日からは師走です。暦どおり、きっちり霜が降りています。水たまりには薄氷が張っています。秋は遠ざかりつつあります。名残りの秋を求めてどこかへ出かけてみませんか。奈良は静かでいいですよ。
〇水仙:≪咲きはじめ・ちらほら咲≫
例年は12月下旬から見ごろとなりますが、今年は開花が早まりそうです。
・野菊:≪みごろ≫
・さざんか(山茶花):≪咲きはじめ≫
・まゆみ(檀)の実:≪色づく≫
・桜、南京はぜ、栗、もみじ、けやき、山吹:≪色づく≫
〔短歌〕
「大き波 しばしは見えず 巌床ゆ
いま打ちあげし 潮落ち来も」
木下利玄・紅玉
〔俳句〕
「はじめての まちゆつくりと 寒椿」田中裕明
〔和歌〕
「みるままに もみぢ色づく 足引の
山の秋風 さむくふくらし」
侍従具定・風雅677
「見ているうちに、紅葉は赤くなって行く。山の秋風が、寒く吹いて(木の葉を染めて)いるらしいなあ。」
*《秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』『山光集』より》
〈明王院 昭和十八年十一月
十九日高野山明王院に於いて秘宝赤不動を拝す
まことに希世の珍なりその図幽怪神異これに
向ふものをして舌慄へ胸戦き円珍が遠く晩唐
より将来せる台密の面目を髣髴せしむるに足
る予はその後疾を得て京に還り病室の素壁に
面してその印象を追想し成すところ即ちこの
十一首なり〉
「いにしへの ひじりのまなこ まさやかに
かくをろがみて ゑがきけらしも」
〈東京にかへるとて〉
「あをによし ならやまこへて さかるとも
ゆめにしみえこ わかくさのやま」
〈東京にかへりて後に〉
「ならやまを さかりしひより あさにけに
みてらみほとけ おもかげにたつ」
「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。
*《南朝御聖蹟を顕彰する》
後南朝の歴史を知るために:
『後南朝史論集』7.
後南朝史編纂会々長住川逸郎氏の序文、続き。
「 しかし、歴史家でない私に歴史の編修ができるわけがない。そこで後南朝史の編纂には、奈良県出身の歴史家として令名ある国学院大学教授瀧川政次郎博士にお願いして、一切の計画を立ててもらうことにした。博士は、昭和二十三年十一月、熊沢寛道氏(熊沢天皇)と共に、川上村に来られたことがあったが、その時私は村長の職にあったので、博士とお近づきが出来、爾来親交をつづけてきたのである。博士は快く私の請いを容れ、本会の編纂主任として異常な努力をつづけられ、終にこの大著を勒成せられた。本書に執筆せられた方々は、いずれも史学の大家であって、現在日本の南北朝史の専門家は、殆どここに網羅されているといっても、決して過言ではない。これだけの名家を執筆陣に糾合することは、学界に声望ある博士にして初めて為し能うことであって、余人の企て及ばざるところである。博士自身も、又二大篇を草して、本書の首尾を飾られた。本書の成るは全く博士の尽力のお蔭であって、私は本会の会長として甚深の謝意を博士に表したい。
本書の出版に当っては、川上村民諸賢の御支持と御援助を得た。先に『川上村史』を著された福島宗緒君並に本村古老の一人である八十七翁辰巳藤吉氏が、村民の気持ちを代表して、執筆陣に参加せられたことは、欣快の至りである。他郷に出て成功しておられる本村の出身者、及び全国に散布している奈良県人からも、物心両面の御援助を賜った。特に題簽を賜った日本学士院々長山田三良博士、及び格別の御配慮を賜った奥田良三知事、東京奈良県人会々長木村篤太郎氏の御厚意に対して、厚く感謝の辞を捧げる。」(つづく)
*《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》
日本全国の心ある人たちは、奈良市クリーンセンター(ごみ焼却場)を「中ノ川・東鳴川」地区に建設することに反対しています。
*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点
1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。
2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。
3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。
❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。
〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元の方々により大切に守られてきたもので、毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。
中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。移転推進者はこれだけあっても「なにもないところ」と言うのでしょうか。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。
*仲川げん奈良市長の第一期目の選挙マニフェストは、「大型ハコもの公共事業をゼロベースで見直す」でした。これは窮乏逼迫した奈良市財政の立て直しを目指すものではなかったのでしょうか。何百億円もの巨費を要する「ごみ焼却場移転計画」を見直し、将来の市民負担を軽減する施策を期待させるものだったはずです。
そして二期目の選挙公約、政策ビジョンは
「世界から尊敬される国際観光経済都市NARA」です。
さらに『ならしみんだより9月号』には「二期目の就任にあたって」というあいさつ文では抱負が述べられています。その結びには、
「 新たな4年間では、歴史や文化・自然環境にも恵まれた、奈良市の素晴らしい魅力や資源を最大限に引き出し、世界の中における奈良の価値向上に取り組みたいと思いますので、市民の皆さまのご理解とご協力をお願いいたします。
仲川げん」
という文章になっています。
立派な「お言葉」です。「世界から尊敬される」「世界の中における奈良の価値向上」、と高いこころざしが披瀝され、古都奈良の現在と将来を託す市長にふさわしく、たのもしい限りです。仲川市長には御祝儀として「言行一致」という言葉を御進呈いたします。この政治モラルを守って市政に邁進していただきたいですね。
しかし歴史ある名刹寺院のすぐそばにゴミ焼却場をつくって、はたして世界から尊敬される観光都市奈良と言えるのでしょうか、よく考えてください。
*現候補地へのごみ焼却場建設反対を表明した団体
「奈良市東部地区自治連合協議会」「東里地区自治連合会」「鼓阪校区自治連合会」「青山町自治会」「木津川市当尾区五ヶ寺連合会」「真言律宗三ヶ寺連合会」「奈良市ごみ焼却場建設問題を考える会」
*この問題を詳しく知りたい方は、
ホームページ『奈良市クリーンセンターの課題と新しい奈良の創造』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクあり。
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