般若寺 水仙花だより 2・25
《般若寺 水仙花だより》
〇水仙:≪満開すぎました≫ 寒咲水仙・一重咲、八重咲。2万本。
・さざんか(山茶花):≪満開≫
・ろうばい(蠟梅):≪みごろ≫
・わびすけ(侘助):≪みごろ≫
・梅 :≪咲きはじめ≫
・福寿草:≪みごろ≫
*〔短歌〕
「ねむりゐる 吾が児の足の あたたかさ
今は専らに 眠らむわれも」
古泉千樫・青牛集
〔俳句〕
「梅咲て 一際(ひときは)人の 古びけり」一茶
〔和歌〕
「おる袖に にほひはとまる 梅がえの
花にうつるは 心なりけり」
前中納言定家・玉葉67
「枝を折る私の袖によい香りはしみついて留まるけれど、逆に梅の花の方にうつり染まるのは、私の花を愛する心だよ。」
*《秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より》
〈春雪〉
「よもすがら さもらひをれど きみがめに
ひとめもわかぬ われならめやも」
〈東京にかへるとて〉
「あをによし ならやまこへて さかるとも
ゆめにしみえこ わかくさのやま」
〈東京にかへりて後に〉
「ならやまを さかりしひより あさにけに
みてらみほとけ おもかげにたつ」
「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。
*《2/22春日野荘で行った日本福祉大学セミナー記念講演のレジメを載せます》
【日本福祉大学セミナー(奈良セミナー) 2014年2月22日
「日本福祉の原点―行基(ぎょうき)、叡尊(えいそん)、忍性(にんしょう)」
(2)日本仏教の福祉活動のはじまり―古代の伝説的活動
・聖徳太子(厩戸皇子)―(574-622)日本仏教の元祖とあがめられる。
四天王寺の四箇院(敬田院、施薬院、療病院、悲田院)
・光明皇后―(701-760)皇后宮職に施薬院と悲田院を付設して救済事業を行った。阿閦寺の説話。
(3)行基―(668-749)河内国大鳥郡蜂田里に生まれる。15歳で出家、受戒後、山林修行を習う。飛鳥法興寺にて道昭が請来した三階教(さんがいきょう)を学び、街中に於いて民衆教化する。布施行により我が身と先祖の罪業が消滅すると説く。出家の弟子には乞食行(こつじきぎょう)を、在家の弟子には布施行を勧め、知識(信者集団)を結成して土木事業を行う。 ・架橋6か所(木津川に泉橋、淀川に山崎橋など) ・貯水池15か所(昆陽池、狭山池、久米田池など) ・泊(港)5か所(河尻泊、大輪田泊など) ・院(民衆のための寺庵、道場)49か所 ・堀川、道、樋(水路、水門)など
・布施屋(ふせや)9か所―都への税物を運んだり労役を勤める旅行者を宿泊させたり、貧窮者に食事を提供した。
・民衆教化の当初は弾圧をうけるも、のち東大寺大仏建立に尽力する。
(4)平安時代―空海の満濃池。念仏聖(ひじり)空也(くうや)上人の活動など。
(5)叡尊-(1201-1290)大和国添上郡箕田里に生まれる。戒律復興運動から衆生済度へ。菩薩戒を、生涯10万人に授ける。人々に菩薩の自覚を与え、慈悲行を勧める。
・釈迦信仰―『悲華経』に説かれる釈迦の誓願「浄土を願わず穢土に生まれて悟りを開き、衆生を済度する」を模範とし、「無(資)縁を好み有(資)縁を厭う」を信条とする。
・文殊信仰と般若寺―寺の復興と文殊像造立。『文殊経』によれば「文殊は貧窮孤独苦悩の衆生の姿となって行者の前に現われる。慈心を行ずれば文殊に出会うことができる。」
・文永6年(1269)の「無遮の大会」―般若寺の西南の野で数千人の貧者・病者に受戒と同時に、食料、布、浅なべ、など生活必需品を供養(布施)する。
(6)忍性-(1217-1303)大和国磯城郡屏風里に生まれる。母の影響で文殊菩薩を信仰。
23歳で受戒し叡尊の弟子となる。
・『元亨釈書』が伝えるハンセン病患者救済活動 ・北山十八間戸の創建伝説
・鎌倉極楽寺での活動―36歳、関東へ。鎌倉桑ヵ谷に療病所を設け、20年間に46,800人が癒え、10,450人が死したと記録される。聖徳太子にならい、病宿、施薬悲田院、薬湯寮、療病院、癩宿、馬病屋を建て救済活動をする。財源には浄財勧進の外、和賀江島の津で升米徴収や土佐国大忍(おおさと)荘を北条時宗から寄進される
・「十大願」(6.孤独・貧窮・乞食人・病者・盲人等や路頭に捨てられ牛馬に憐れみをかける7.道を造り橋をわたし井戸を掘り薬草樹木などを植える)
・生涯に架橋189ヶ所、道路修築71ヶ所、井戸33ヶ所、浴室・療病所・乞食屋各5ヶ所
(7)おわりに―平和な世の中でこそ福祉社会は実現する。憲法第9条の「戦争放棄」「戦力不保持」を堅持することが福祉の前提条件となる。
・『法句経』「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」
・『梵網経』の「畜殺生具戒」「仏子よ、一切の刀杖・弓箭・鉾斧・闘戦の具を蓄えることを得ざれ。」
(終り)
*《『西大勅諡興正菩薩行実年譜』を読む》44.
西大勅謚興正菩薩行実年譜 巻上
(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷ)
「仁治元年庚子(かのえね) 改元七月十六日
菩薩、四十歳。三月六日、額安寺に届かる。菩薩戒を受ける者三十余人。八齊戒を禀(うけ)る者四百余人。四月三日、忍性、沙弥戒を受く。十一日、具足戒に進む。」
・八斎戒=在家信者(優婆塞、優婆夷)が守るべき戒。不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒の五戒に六斎日に守るべき三戒(大きくゆったりした寝床で寝ない、装身具を身につけたり歌舞音曲になじまない、正午を過ぎて食事をしない)を加えたもの。
・沙弥戒=沙弥(出家して二十歳未満の僧)になるための十戒。
・具足戒=正式の大僧(比丘)になるために受ける二百五十戒。
(つづく)
*《奈良市クリーンセンターに関する最新の情報》
奈良新聞報道記事(2014年2月8日付、第一面)によれば、
[奈良市クリーンセンター。
移転問題、こう着状態。 地元説明会開けず。
奈良市が計画しているクリーンセンターの市東部地域への移転問題が事実上、こう着状態に陥っている。7日の市議会市民環境委員会(中西吉日出委員長)では、地元説明会の開催めども立たない状態が明らかになった。今後、仲川元庸市長が、どう打開策を打ち出すのか、手腕が問われそうだ。]
[計画策定委も停滞。
同問題では、仲川市長が、地元住民の参加を求めるとしていた移転建設計画策定委員会(委員長・渡辺信久大阪工業大学教授)についても、東部自治連合協議会は参加を拒否。市は「中ノ川町~東鳴川町」の民有地(約33㌶)へのクリーンセンター建設に伴い、道路整備案や地元還元施設など地域活性化策をはかるとしているが、交渉の糸口もつかめない状況が続いている。]
[ 7日の委員会では、同自治連合協議会が提出した最終候補地選定の白紙撤回を求める請願書について審議。
東久保耕也委員(自民党)は、施設移転に伴う道路の混雑や自然環境破壊に対して住民の不安がぬぐえていないと指摘。「昨年7月に再選された市長は選挙の政策集で東部への具体的な説明もないまま『東部を関西の軽井沢に』を掲げた。住民を無視、センター建設が決定したかのような先走った政策だ」と不満をあらわにした。
また村田茂クリーンセンター建設準備課課長が「(市の施策を)地元自治連合協議会に説明する機会をと、お願いしているが開催に至っていない」などと現状説明したのに対し、
山本憲宥委員(自民党)は「東部移転ありきで進められいる策定委の議論には加われないとの厳しい声が地元にはある。市には同問題を再度検証していただきたい」と注文をつけた。
山本直子委員(共産党)も地元住民の理解を得られていない状況を問題視。「移転問題の請願は継続的に審議すべき」との意見を述べた。
市の移転建設計画策定委員会は、昨年1月に「中ノ川町~東鳴川町」を最終候補地を推薦すると決定したものの、その後、仲川市長が「今後は市が移転に向けた交渉を始める」としたため同8月の第54回委員会後、審議は実質ストップしている。]
去年の秋から策定委員会が開かれず、市の動きもないのを不審に思っていたのですが、こういうことだったのですね。やはり奈良市は移転ありきではなく、どうすれば奈良市の将来にとって最善なのか、一から吟味しなおすことです。税金の無駄遣いを省くことを第一に考えるべきです。
*《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》
日本全国の心ある人たちは、奈良市クリーンセンター(ごみ焼却場)を「中ノ川・東鳴川」地区に建設することに反対しています。
*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点
1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。
2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。
3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。
❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。
〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、元の方々により大切に守られてきたもので、毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。
中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。移転推進者はこれだけあっても「なにもないところ」と言うのでしょうか。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。
*仲川げん奈良市長の第一期目の選挙マニフェストは、「大型ハコもの公共事業をゼロベースで見直す」でした。これは窮乏逼迫した奈良市財政の立て直しを目指すものではなかったのでしょうか。何百億円もの巨費を要する「ごみ焼却場移転計画」を見直し、将来の市民負担を軽減する施策を期待させるものだったはずです。
そして二期目の選挙公約、政策ビジョンは
「世界から尊敬される国際観光経済都市NARA」です。
さらに『ならしみんだより9月号』には「二期目の就任にあたって」というあいさつ文では抱負が述べられています。その結びには、
「 新たな4年間では、歴史や文化・自然環境にも恵まれた、奈良市の素晴らしい魅力や資源を最大限に引き出し、世界の中における奈良の価値向上に取り組みたいと思いますので、市民の皆さまのご理解とご協力をお願いいたします。
仲川げん」
という文章になっています。
立派な「お言葉」です。「世界から尊敬される」「世界の中における奈良の価値向上」、と高いこころざしが披瀝され、古都奈良の現在と将来を託す市長にふさわしく、たのもしい限りです。仲川市長には御祝儀として「言行一致」という言葉を御進呈いたします。この政治モラルを守って市政に邁進していただきたいですね。
ことしの奈良観光活性化のための奈良市の企画、「珠光茶会」は結構な催しだと思います。成功を祈ります。その協力寺院の中には、真言律宗の西大寺と元興寺が入っていますね。真言律宗の宗務長は浄瑠璃寺の佐伯快勝師ですよ。奈良市の企画に協力させておいて、その一方で寺の環境破壊ですか。そんなことが許されるのでしょうか。
だいたい歴史ある名刹寺院のすぐそばにゴミ焼却場をつくって、はたして「世界から尊敬される観光都市奈良」と言えるのでしょうか、もういちど出発点に戻ってよく考えてください。仲川市長さん、おねがいします。
*現候補地へのごみ焼却場建設反対を表明した団体
「奈良市東部地区自治連合協議会」「東里地区自治連合会」「鼓阪校区自治連合会」「青山町自治会」「木津川市当尾区五ヶ寺連合会」「真言律宗三ヶ寺連合会」「奈良市ごみ焼却場建設問題を考える会」
*この問題を詳しく知りたい方は、
ホームページ『奈良市クリーンセンターの課題と新しい奈良の創造』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクあり。
| 固定リンク | 0



コメント