コスモス寺 花だより 1・31
般若寺 水仙花だより
~水仙の 束とくや花 ふるへつつ 渡邊水巴~
〇水仙:≪見ごろ・満開≫
「水仙を 氷の花と いひし人
その青ざめし 唇(くち)をおもへる」金子薫園
雪中花。水仙の花は寒くなるほど美しさが増します。きびしい寒さのなか、見ごろをむかえました。本堂をかこんで立たれる三十三番札所観音石仏の足もとが純白の花で飾られています。花はこれから二月まで咲きつづけます。
水仙は地中海が原産地です。シルクロードを通って中国へはこばれ、さらに遣唐使によって日本へもたらされました。壮大な旅をした花です。名の起こりはギリシャ神話の「ナルキッソス」に由来します。泉の精霊です。それゆえ中国名も「水の仙人」となったそうです。
・花期:12月~2月 ・花数:1万本。
・種類:単弁花の日本水仙(寒咲水仙とも言う)、複弁花のチャフルネス(匂い水仙)。
〇春咲きコスモス
・花期:4月末~6月、新しい品種なので春から初夏にかけて咲きます。
満開は5月から6月上旬ごろ。春咲は夏の暑い日照りや大風がないので花が傷められることがありません。適度な草丈、瑞々しい葉の中で咲く花に、石ぼとけさまがほほえまれます。濃い緑の中のあざやかなピンク・白・赤。秋とはまた違う風情がたのしめます。
・花数・3万本
・種類はセンセーションを主として9品種ていど
〔短歌〕
〈氷湖〉
「朝なあさな われ馴れけらし 戸をあけて
顔にしひびく 寒さをおぼゆ」
島木赤彦・氷魚
〔俳句〕
「松陰に 寝てくふ六十 よ州かな」一茶
・訳:松の陰に寝て食って生きている、六十余国であるなあ。
・松の陰=松は徳川氏の旧姓が松平であることから治世を賀す詠。
〔和歌〕
「雲をいでて われにともなふ 冬の月
風や身にしむ 雪やつめたき」
高弁上人・玉葉996
「雲を出て、私について来る冬の月よ。お前も風が身にしみるのかね、雪が冷たいのかね。(そんなに人恋しげにするのは)」
〔秋艸道人会津八一の奈良愛惜の歌、『鹿鳴集』より〕
〈東大寺〉
「あまたたび このひろまへに めぐりきて
たちたるわれぞ しるやみほとけ」
〈東京にかへるとて〉
「あをによし ならやまこへて さかるとも
ゆめにしみえこ わかくさのやま」
・あをによし=青丹よし。一説には奈良山に産出した顔料(絵具)の青丹をならす(馴熟)という言葉に由来するという。奈良、奈良山にかかる枕詞。
・さかる=離る。遠ざかる。「やまとをも遠くさかりて・・・」(万葉集15)
〈東京にかへりて後に〉
「ならやまを さかりしひより あさにけに
みてらみほとけ おもかげにたつ」
・あさにけに=朝に日に。け(日)は朝に対して昼間をいう。
「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。
《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む・改訂版》324
『西大勅謚興正菩薩行実年譜』 巻中
(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷ)
◆(弘長)三年癸亥(みずのとい )
菩薩、六十三歳。後嵯峨院(ごさがいん①)、志は佛乗(ぶつじょう②)に存し、一日(あるひ)天台の戒疏(てんだいのかいそ③)、一得永不失(いっとくえいふしつ④)の文を御覧じて、大いに感悟(かんご⑤)を生じて戒法を受けんと欲せらる。菩薩の戒徳を聞き、勅して宮中に入らしむ。師、力(つとめ)て之を辞す。詔、三たび至って已むことを得ず、乃ち入り見(まみ)ゆ。上皇坐を賜わり、召し対して法要を探る。菩薩、梵網は綱を提(さ)げ、応理(おうり⑥)は弁を縦(ほしいままに)し、深談は旨を称す。皇情怡悦(いえつ⑦)して、乃ち梵網菩薩戒を受けらる。因つて命じて戒支(かいし⑧)を図せしむ。菩薩、命を奉って退いて後、冬十月二十五日、天台梵網戒の図(⑨)を製作して、以て上皇に献(たてまつ)る。上、親(みずか)ら之を閲し、恩礼特に厚し。更に勅して瑜伽戒支(ゆがかいし⑩)を図せんことを請ぜらる。
① 後嵯峨院=1220-1272.在位は1242-1246、土御門天皇の第三子、名は邦仁(くにひと)。子の後深草天皇、亀山天皇の二代にわたり治天の君として院政を行い治世は安定。法名素覚。
② 仏乗=一切衆生をことごとく成仏させる教え。大乗。菩薩乗。
③ 天台の戒疏=隋の天台大師智顗が説き、灌頂が記録した大乗菩薩戒である梵網戒の注釈書、『菩薩戒義記』(別名、『菩薩戒義疏』)
④ 一得永不失=一たび得たれば永く失わず
⑤ 感悟=感じてさとること。
⑥ 応理=応理円実宗。法相宗のこと。
⑦ 怡悦=たのしみ喜ぶこと。
⑧ 戒支=梵網戒に説かれる戒条の構成。
⑨ 天台梵網戒の図=本『行実年譜』巻下末の著作目録には『天台戒図』とあるが現在逸失か。
⑩ 瑜伽戒支=瑜伽師地論(法相宗の所依論)に説かれる大乗戒の戒条
(つづく)
《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》
日本全国の古都奈良を愛する人たちは、奈良市クリーンセンター(ごみ焼却場)を「中ノ川・東鳴川」地区に建設することに反対しています。
*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点
1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。
2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。
3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。
❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。
〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので、毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。
中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。移転推進者はこれだけあっても「なにもないところ」と言うのでしょうか。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。
*仲川げん奈良市長の第一期目の選挙マニフェストは、「大型ハコもの公共事業をゼロベースで見直す」でした。これは窮乏逼迫した奈良市財政の立て直しを目指すものではなかったのでしょうか。何百億円もの巨費を要する「ごみ焼却場移転計画」を見直し、将来の市民負担を軽減する施策を期待させるものだったはずです。
そして二期目の選挙公約、政策ビジョンは
「世界から尊敬される国際観光経済都市NARA」です。
さらに『ならしみんだより9月号』には「二期目の就任にあたって」というあいさつ文で抱負が述べられています。その結びは、
「 新たな4年間では、歴史や文化・自然環境にも恵まれた、奈良市の素晴らしい魅力や資源を最大限に引き出し、世界の中における奈良の価値向上に取り組みたいと思いますので、市民の皆さまのご理解とご協力をお願いいたします。
仲川げん」
という文章になっています。
立派な「お言葉」です。「世界から尊敬される」「世界の中における奈良の価値向上」、と高いこころざしが示され、古都奈良の現在と将来を託す市長にふさわしく、たのもしい限りです。仲川市長には御祝儀として「言行一致」という言葉を御進呈いたします。この政治モラルを守って市政に邁進していただきたいですね。
しかし、歴史ある名刹寺院のすぐそばにゴミ焼却場をつくって、はたして「世界から尊敬される観光都市奈良」と言えるのでしょうか。もう一度、移転が必要かどうかの出発点に戻って考えていただきたいですね。仲川市長さん、おねがいします。
*現候補地へのごみ焼却場建設反対を表明した団体
「奈良市東部地区自治連合協議会」「東里地区自治連合会」「鼓阪校区自治連合会」「青山町自治会」「木津川市当尾区五ヶ寺連合会」「真言律宗三ヶ寺連合会」「奈良市ごみ焼却場建設問題を考える会」
*この問題を詳しく知りたい方は、
ホームページ『奈良市クリーンセンターの課題と新しい奈良の創造』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクあり。現地の事については『弥勒の道プロジェクト』が大変参考になり、また貴重な動画が見られます。人の歩かないような道を自転車で踏破しておられます。
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