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2015年3月 8日 (日)

コスモス寺花だより 3・8

般若寺 春の花だより

〇水仙:≪おわり近し≫ 

〇白梅:≪見ごろ≫

「夜の梅 寝(い)ねんとすれば 匂ふなり」与謝蕪村

○紅梅:≪咲きはじめ≫

「はなみちて うす紅梅と なりにけり」暁台

〇侘助(わびすけ)、福寿草:≪見ごろ≫

○椿:≪咲きはじめ≫

春咲きコスモス 

コスモス苗の植え付けを始めました。

苗は10センチほどで霜よけのシートで覆っています。

・花期:4月末~6月、新しい品種なので春から初夏にかけて咲きます。

満開は5月から6月上旬ごろ。

・本数:3万本

・種類:赤白ピンクのセンセーションを主として9品種ていど

*当寺のHPに紹介されている『弥勒の道プロジェクト』さんが、奈良市のごみ焼却場を中ノ川地区へ移転した場合、古都の景観がいかに壊されるかをシミュレートした写真を公開されました。いちどご覧ください。

それから中川寺跡・弥勒道と焼却場問題に関する詳しく美しいチラシを作成されたので当寺にて配布しています。

〔短歌〕

〈早春〉

「土肌の 冬のあらびの あといまだ

      ととのはざれど 雨じめりせり」

       岡麓・庭苔

〔俳句〕

「旅笠を 小さく見せる 霞かな」一茶

・訳:旅の笠を遠く小さく見せる、どこもかしこも春霞だなあ。

〔和歌〕

「来ぬ人も さそふ許(ばかり)に にほひけり

       軒端の梅の 花の下風」

        式部卿惟成親王・新葉和歌集33

「常日頃は訪ねてきてくれない人までも我が家に誘うほどに薫り高く匂っているなあ。軒端の梅の花の下を吹く風は。」

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈浄瑠璃寺〉

「ならさかを じやうるりでらに こえむひは

         みちのまはにに あしあやまちそ」

・ならさか=大和と山城を隔てる東西の丘陵地、奈良山を越える坂道。

・じやうるり=浄瑠璃。薬師如来のお浄土、東方薬師瑠璃光浄土のこと。

・まはに=真埴。赤土。

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

         こさめなかるる はるはきにけり」

・いしのほとけ=京街道の千坊坂に面して立つ夕日地蔵。

・おとかひ=頤。したあご。

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

・あをによし=青丹よし。一説には奈良山に産出した顔料(絵具)の青丹をならす(馴熟)という言葉に由来するという。奈良、奈良山にかかる枕詞。

・さかる=離る。遠ざかる。

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

・あさにけに=朝に日に。け(日)は朝に対して昼間をいう。

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む・改訂版》356

『西大勅謚興正菩薩行実年譜』 巻中 

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷ)

◆(文永)六年己巳(つちのとみ)

菩薩、六十九歳。三月、重ねて無遮大会を般若寺西南の曠野(こうや①)に設く。其の食を受くる者、大凡(おおよそ)三万余人。

八月、洛西浄住寺に届(いた)る。六日、普賢寺殿の息女(ふげんじどののそくじょ②)、菩薩を北小路堀川殿(きたこうじほりかわどの③)に請じて菩薩戒を受く。隨従の人、同じく受くる者、一十九人。廿二日、勘解由小路の禅尼(かげゆこうじのぜんに④)、及び近衛北政所(このえきたまんどころ⑤)の請いに赴き、菩薩戒を四十余人に授く。廿八日、六波羅某公北室(ろくはらぼうこうほくしつ⑥)、懇請して法を聞き戒法を求受す。隨従の女人二十四人、又同じく之を受く。十月、備後入道妙蓮(びんごにゅうどうみょうれん⑦)の請いに依り、梵網戒経を紀の金剛王寺(こんごうおうじ⑧)〔亦紀三井寺と曰う〕に講ず。十九日、名草郡神宮寺某公(なぐさぐんじんぐうじぼうこう⑨)の請いに赴くに、道俗八百九十余人菩薩戒を受く。又誓って殺生を禁断すること一十九所。廿日、日前荘の神宮寺(ひのくまのしょうのじんぐうじ⑩)に於いて、菩薩戒を授くること若干人。十一月、経行(けいこう⑪)遊化(ゆうけ⑫)して、内(河ヵ)州高安郡に至る。郡に寺有り、教興(きょうこう⑬)と曰う。廃壊(はいかい⑭)已に久し。講堂に千手大士並びに四天王の像、猶存すれども全きからず。菩薩、慨然(がいぜん⑮)として心を傷め、衆力を協(あわ)せ之を一新す。

 

 曠野=広々とした野原。あらの。般若寺に残された江戸時代の寺領畑地を示した古絵図に、寺の南方、「般若野」(はんにゃの)の一画に「芝開」(しばひらき)と小字名が書かれる場所があり、無遮大会の施場の名残ではないかと考えられる。

 普賢寺殿息女=普賢寺殿は関白近衛基通(1160-1233)、『西大寺有恩過去帳』に出る「勝蓮今出川殿」が御息女の可能性があるようだ。(以下の注は細川涼一氏『感身学正記』に依る)

 北小路堀川殿=近衛基通の孫、道嗣(1220-42)の御殿。道嗣は近衛家の家督を継いだ家実の弟、道経の子。現在の京都市堀川今出川付近に当たる。

 勘解由小路禅尼=権中納言藤原(勘解由小路)頼資(1182-36)の室として経光(1212-74)を産んだ、源兼資の娘か。頼資が勘解由小路を名乗り家は代々近衛家に仕え、広橋家の祖となった。

 近衛北政所=関白鷹司基忠(1247-1313.鷹司兼平の一男。円光院殿。)の室。

 六波羅某公北室=当時の六波羅探題は、北方が北条時茂(124170)、南方が北条時輔(124872)。時茂は北条重時の子、鎌倉極楽寺を開山した業時の兄。時輔は北条時頼の子、時宗の庶兄。ここの北室は時茂の妻(北条政村の娘)と考えられる。

 備後入道妙蓮=日前国懸神宮(ひのくまくにかかすじんぐう、日前宮・ニチゼングウ)神主、紀国造紀宣親。

 金剛王寺=金剛宝寺の誤りか。紀三井寺。

 名草郡神宮寺某公=日前宮神主紀宣親。

 日前荘神宮寺=日前宮。現和歌山市秋月、和歌山平野の東北部にある。紀伊国一宮。

 経行=へめぐり行くこと。経過すること。

 遊化=諸方をめぐって教化すること。

 教興=教興寺、現八尾市教興寺にある真言律宗末寺。文明二年(1470)に教興寺住持高通が書き改めた『御手印縁起』によると、聖徳太子が物部守屋を誅戮した際に、四天王寺と同時に建立し、戒律の道場と定めたという。叡尊師は、文永六―七年、教興寺建立当時の仏舎利を安置して寺興隆に着手された。そして第一世長老には弟子の如縁房阿一(河内国人)をあてた。

阿一上人の歌が『玉葉和歌集』に収載されている。

「たつた山 嵐の音も たかやすの

      里はあれにし 寺とこたへよ」

 廃壊=あれてこわれること。

 慨然=悲しみなげくさま。

(前日の分に注を加えて再掲)

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

日本全国の古都奈良を愛する人たちは、奈良市クリーンセンター(ごみ焼却場)を「中ノ川・東鳴川」地区に建設することに反対しています。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので、毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。移転推進者はこれだけあっても「なにもないところ」と言うのでしょうか。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

*仲川げん奈良市長の第一期目の選挙マニフェストは、「大型ハコもの公共事業をゼロベースで見直す」でした。これは窮乏逼迫した奈良市財政の立て直しを目指すものではなかったのでしょうか。何百億円もの巨費を要する「ごみ焼却場移転計画」を見直し、将来の市民負担を軽減する施策を期待させるものだったはずです。

そして二期目の選挙公約、政策ビジョンは

「世界から尊敬される国際観光経済都市NARA」です。

さらに『ならしみんだより9月号』には「二期目の就任にあたって」というあいさつ文で抱負が述べられています。その結びは、

「 新たな4年間では、歴史や文化・自然環境にも恵まれた、奈良市の素晴らしい魅力や資源を最大限に引き出し、世界の中における奈良の価値向上に取り組みたいと思いますので、市民の皆さまのご理解とご協力をお願いいたします。

仲川げん」

という文章になっています。

立派な「お言葉」です。「世界から尊敬される」「世界の中における奈良の価値向上」、と高いこころざしが示され、古都奈良の現在と将来を託す市長にふさわしく、たのもしい限りです。仲川市長には御祝儀として「言行一致」という言葉を御進呈いたします。この政治モラルを守って市政に邁進していただきたいですね。

しかし、歴史ある名刹寺院のすぐそばにゴミ焼却場をつくって、はたして「世界から尊敬される観光都市奈良」と言えるのでしょうか。もう一度、移転が必要かどうかの出発点に戻って考えていただきたいですね。仲川市長さん、おねがいします。

*現候補地へのごみ焼却場建設反対を表明した団体

「奈良市東部地区自治連合協議会」「東里地区自治連合会」「鼓阪校区自治連合会」「青山町自治会」「木津川市当尾区五ヶ寺連合会」「真言律宗三ヶ寺連合会」「奈良市ごみ焼却場建設問題を考える会」

*この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンターの課題と新しい奈良の創造』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」にリンクあり。現地の事については『弥勒の道プロジェクト』が大変参考になり、また貴重な動画が見られます。人の歩かないような道を自転車で踏破しておられます。

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