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2016年4月

2016年4月30日 (土)

般若寺花だより  4・30

〔花ごよみ〕

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫青色、紫色の花が花壇の一区画を埋め尽くしています。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇紫雲蘭:≪見ごろ≫十三重石塔の基壇石畳の隙間に咲く紫色の野草。お香の煙(紫雲)がたなびくように咲くのが名の起こり。

〇梅花うつぎ:≪つぼみ≫

〇山アジサイ:≪つぼみ≫

〇黄しょうぶ:≪つぼみ≫

〇山野草:日本タンポポ、踊子草、きらんそう、立浪草、赤座、馬の足形(金鳳花)など。

 

〔俳句〕

「痩蛙 まけるな一茶 是に有」一茶

訳:痩せ蛙、負けるなよ。一茶が是にいるのだから。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈高畑にて〉

「たびびとの めにいたきまで みどりなる

       ついぢのひまの なばたけのいろ」

(旅人の目に痛きまで緑なる 築地の隙の菜畑の色)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》735

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

 

◆一 結番の事

右、衆の多少を論ぜず、必ず四番を結ぶべし。一番に於いては、諸衆みな集会し自余(じよ①)、三番はおのおの番を守り来勤すべし。〔ただし供養法衆を除く〕又、結番以後、中間に来勤ある人は結縁衆と号す。番帳の奥に別して名字を書載すべし。又、灌頂の人六人を撰び已(や)み、六番を結ぶ。昼夜おのおの一時、大法(だいほう②)を勤修せしむべし。もし堪能の人多き時は、十二人を撰び十二番を結ぶ。一昼夜の間、おのおの一時を勤めしむべし。人数の多少により相計るべきものなり。

 

 自余=爾余。そのほか。その他。

 大法=光明真言法

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

●八月十四就鎌倉 九月十五詣鹿嶋 参籠三日献法華

〔八月十四、鎌倉に就く。九月十五、鹿島(かしま①)に詣づ。参籠三日、法華(ほっけ②)を献ず。〕

 

 鹿島=茨城県鹿嶋市宮中にある鹿島神宮。

 法華=妙法蓮華経

 

●極月四日到三村 院生(主ヵ)帰徳作律院 止住十年移柳営

〔極月(ごくげつ①)四日、三村(みむら②)に到る。院主(いんじゅ③)は徳に帰して律院(りついん④)と作(な)す。止住十年にして柳営(りゅうえい⑤)に移る。〕

 

 極月=年の極まる月。十二月。

 三村=三村寺。正確には三村山清冷院極楽寺という。茨城県つくば市小田の宝鏡山の麓に寺跡がある。

 院主=寺院のあるじの僧。住持。

 律院=戒律の実践を宗旨とする律宗の寺。

 柳営=将軍の陣営、幕府。幕府の所在地、鎌倉。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年4月29日 (金)

般若寺花だより  4・29

 

〔花ごよみ〕

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫青色、紫色の花が花壇の一区画を埋め尽くしています。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇紫雲蘭:≪見ごろ≫十三重石塔の基壇石畳の隙間に咲く紫色の野草。お香の煙(紫雲)がたなびくように咲くのが名の起こり。

〇梅花うつぎ:≪つぼみ≫

〇山アジサイ:≪つぼみ≫

〇山野草:日本タンポポ、踊子草、きらんそう、立浪草、赤座、馬の足形(金鳳花)など。

 

〔俳句〕

「草陰に ぶつくさぬかす 蛙哉」一茶

訳:草の陰でぶつくさ屁理屈をぬかしている蛙よ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈高畑にて〉

「たびびとの めにいたきまで みどりなる

       ついぢのひまの なばたけのいろ」

(旅人の目に痛きまで緑なる 築地の隙の菜畑の色)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》734

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

 

◆一 道場荘厳の事

右、座の寛狭、衆の多少は時に依り境に随う。一定すべからず。期に臨んで相議す。しかれども大概に於いては、存知せざるべきに非ず。先ず中央に密壇を餝(かざ)り、その傍に土砂の箱幷びに過去帳を安んずべし。香花灯明を弁え備うことは、皆常儀の如し。〔毎時四面に閼伽を備うべし。〕

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

〇宝治元季三十一 唐船帰朝赴鎭西 請来律宗三大部

〔宝治元季、三十一(①)。唐船帰朝し、鎭西(ちんぜい②)に赴く。律宗の三大部(さんだいぶ③)を請来す。〕

 

 三十一=宝治元年(一二四七)、三十一歳。

 鎭西=九州の別称。港のある博多をさす。

 律宗の三大部=南山律宗の祖、道宣の主著。『四分律刪繁補闕行事鈔(しぶんりつさんはんふけつぎょうじしょう)』『四分律刪補随機羯磨疏(しぶんりつさんぽずいきこんまそ)』『四分律含注戒本疏(しぶんりつがんちゅうかいほんしょ)』

 

〇三十六歳建長四 関東下向弘律儀 先詣春日祈擁護 折社榊枝誓随遂

〔三十六歳、建長四(①)。関東へ下向して律儀を弘めんと、先ず春日に詣で擁護を祈り、社の榊の枝を折りて随遂(ずいすい②)を誓う。〕 

 

 建長四=建長四年(一二五二)。

 随遂=したがいなしとげること。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年4月28日 (木)

般若寺花だより  4・28

〔花ごよみ〕

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫青色、紫色の花が花壇の一区画を埋め尽くしています。

〇山吹:≪満開過ぎました≫一重咲、八重咲、白山吹。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇紫雲蘭:≪見ごろ≫十三重石塔の基壇石畳の隙間に咲く紫色の野草。お香の煙(紫雲)がたなびくように咲くのが名の起こり。

〇山野草:日本タンポポ、踊子草、ジゴクノカマノフタ(きらんそう)、立浪草、赤座、馬の足形(金鳳花)など。

 

*般若寺春の秘仏公開:429日~510日まで。午前9時~午後4時。

(別途志納金200円を申受けます)

 

〔俳句〕

「鳥べのの 地蔵菩薩の 蕨哉」一茶

訳:鳥辺野の地蔵菩薩の傍らに出ている蕨よ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈高畑にて〉

「たびびとの めにいたきまで みどりなる

       ついぢのひまの なばたけのいろ」

(旅人の目に痛きまで緑なる 築地の隙の菜畑の色)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

 

◆このほかに於いては、輙(すなわ)ち之を載せるべからず。これ似たりと雖も親疎を別つ(べし)。若し広博(こうはく①)に及べば、筆紙は堪え難し。披読(ひどく②)に煩いあり。還って退転(たいてん③)の因縁となるべし。何ぞいわんや、廻向は法界に及び、あに敢えて漏脱(ろうだつ④)あらんや。およそ七衆の位は道俗交異の間を別ける。階級を簡別せんが為、類集して十巻と作すものなり。

〔十巻の内、前九巻は悉くこれを読むべし。第十巻に至りては、羊羊(⑤)数十人の亡者を書載するの間、已に大巻なればこれを悉く読まんと欲すれば時尅推遷す。還って衆会の疲労と為る。すなわち衆議ありて、自今以後は当年書き入れの分を読むべし、云々。〕

 

 広博=ひろいこと。

 披読=ひらいて読むこと。

 退転=だんだんに衰えていくこと。

 漏脱=もれおちること。

 羊羊=(不詳)

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

〇同年先妣十三迴 癩宿十七集千人 悉施飲食勧斎戒

〔同年、先妣(せんぴ①)の十三迴(じゅうさんめぐり②)。癩宿(らいしゅく③)十七より千人を集め、悉く飲食を施し斎戒(さいかい④)を勧(すす)む。〕

 

 先妣=亡母。

 十三廻=十三回忌。

 癩宿=癩、すなわちハンセン氏病の患者は、町の周辺部にあった、この時代に非人(ひにん)と呼ばれる被差別階層の集落に引き取られ、同じく差別を受けた。

 斎戒=1.身心の行為や動作をつつしむこと。中国では心の不淨を清めることを斎、身の過非を戒めることを戒という。2.八斎戒のこと。

 

〇二十九歳同三年 泉州家原稟別受

〔二十九歳、同じく三年(①)。泉州家原(せんしゅうえばら②)にて別受(べつじゅ③)を稟(う)く。〕

 

 同三年=寛元三年(一二四七)。

 泉州家原=大阪府堺市家原寺町にある真言宗の家原寺。奈良時代、行基の誕生地を寺とした。

 別受=菩薩戒である三聚浄戒(さんじゅじょうかい)のうち、摂律儀戒(しょうりつぎかい)のみを別して受けるのを言う。四分律の比丘戒(二百五十戒)を受けた。嘉禎二年には、師の叡尊など四人が自誓受戒で三聚浄戒を一度に受ける通受により比丘となっている。別受では、三師七証の十人受による他受となる。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年4月26日 (火)

般若寺花だより  4・26

〔花ごよみ〕

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫青色、紫色の花が花壇の一区画を埋め尽くしています。

〇山吹:≪満開過ぎました≫一重咲、八重咲、白山吹。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇紫雲蘭:≪見ごろ≫十三重石塔の基壇石畳の隙間に咲く紫色の野草。お香の煙(紫雲)がたなびくように咲くのが名の起こり。

〇山野草:日本タンポポ、踊子草、ジゴクノカマノフタ(きらんそう)、立浪草、赤座、馬の足形(金鳳花)など。

 

〔俳句〕

「雨あがり 朝飯過の やなぎ哉」一茶

訳:雨あがり、朝飯を過ぎて見る青々とした柳よ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈高畑にて〉

「たびびとの めにいたきまで みどりなる

       ついぢのひまの なばたけのいろ」

(旅人の目に痛きまで緑なる 築地の隙の菜畑の色)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

 

◆およそ出家の五衆(しゅっけのごしゅう①)に於いては、広く諸寺に通ず。近住の男女は当寺および末寺に限る。恩所のことを注載するは、ただ当寺へ会合の現前の僧、および当寺ならびに常施院の近住衆のみ。如之(もしこれ)この行法において、志を運び力を合わせ、斎粥(さいしゅく②)を営み、灯明を供えるの輩、ならびに当寺の淨人(じょうにん③)等、結縁已に厚きの故、また之を載すべし。

 

 出家の五衆=比丘・比丘尼・式叉摩那・沙弥・沙弥尼の五衆。

 斎粥=斎食。正しい決められた時にとる食事。

 淨人=在俗のままで寺に住み、僧たちに仕える者。寺で働く人。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

〇図文殊像摺般若 大聖感夢示詠哥

〔文殊の像(もんじゅのぞう①)を図し般若(はんにゃ②)を摺す。大聖(だいしょう③)を夢に感じて詠哥(えいか④)を示す。〕

 

 文殊の像=文殊菩薩の画像。

 般若=般若経(般若心経か)を木版で摺ること。

 大聖=文殊菩薩。

 詠哥=哥は歌。和歌を詠むこと。釈教歌・御詠歌か。

 

〇二十七歳寛元元 関東下向七月上 造立丈六文殊像

〔二十七歳、寛元元。関東に下向して七月に上る(①)。丈六の文殊像(じょうろくのもんじゅぞう②)を造立す。〕

 

 上る=関東へ下り、七月に上方(奈良)へ上京したこと。

 丈六の文殊像=どこへ造立されたのか不明。師の興正菩薩が文永の頃、般若寺へ造立したのが史上有名であるが、忍性師がこの時期に丈六文殊を造立されたことはほかの記録には見えない。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年4月25日 (月)

般若寺花だより  4・25

 

〔花ごよみ〕

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫青色、紫色の花が花壇の一区画を埋め尽くしています。

〇山吹:≪満開≫一重咲、八重咲、白山吹。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇紫雲蘭:≪見ごろ≫十三重石塔の基壇石畳の隙間に咲く紫色の野草。お香の煙(紫雲)がたなびくように咲くのが名の起こり。

〇赤芽柏:≪見ごろ≫葉の新芽が赤やピンクの色で花が咲いているよう。

〇山野草:日本タンポポ、踊子草、ジゴクノカマノフタ(きらんそう)、立浪草、赤座、馬の足形(金鳳花)など。

 

〔俳句〕

「振り替る 柳の色や 雨あがり」一茶

訳:ふりかえってみて、青々とした柳の色に驚いたよ。この雨上がり。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈高畑にて〉

「たびびとの めにいたきまで みどりなる

       ついぢのひまの なばたけのいろ」

(旅人の目に痛きまで緑なる 築地の隙の菜畑の色)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

 

◆兼ねてまた、当寺ならびに末寺の近住(ごんじゅう①)の男女、値遇浅からざるの故、同じく之を載すべし。そのほか勤行のため群集するところの現前の僧、および当寺ならびに常施院(じょうせいん②)の近住衆の面々、恩所(おんじょ③)は七衆(しちしゅ④)の数に非ずといえども、恩分(おんぶん⑤)は黙止(もくし⑥)しがたきの故、また之を載すべし。

 

 近住=三宝に親近して住すの意。在家信者で八斎戒をたもつ者。

 常施院=布施物(衣食)を常備して生活困窮者を救済する施設。忍性菩薩が西大寺に設置したと伝えるが、ここの文によれば、西大寺寺内ではないが近い場所にあったと想定される。

 恩所=恩はめぐみ、いつくしみの意。恩人のこと。

 七衆=仏の教えを奉ずる僧俗男女の七種の人。出家の比丘・比丘尼・式叉摩那・沙弥・沙弥尼、在家の優婆塞・優婆夷。

 恩分=

 黙止=口をつぐんでそのままにしておくこと。無言ですます。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

〇所有衣服施非人 我着畳甁湯暖膚

〔所有の衣服を非人(ひにん①)に施し、我は畳瓶(じょうへい②)を着て湯を以って膚を暖む。〕

 

 非人=中世において社会体制の外に脱落・疎外された被差別民衆。ハンセン病などの病気や身体障害、飢饉などの理由によって、路頭を往還して乞食(こつじき)で生計を立てた人々。孤立的・散在的な散所非人と都市周辺の坂などに集住し集団を形成した宿者(しゅくのもの)、坂者(さかのもの)と呼ばれる宿非人があった。奈良坂(北山宿)が興福寺の支配を受けた宿として有名。

 畳瓶=たたみおもてとびん。ゴザと湯たんぽ。

 

〇到北山宿誡現業 癩者改悔謗法罪

〔北山宿(きたやましゅく①)に到って現業(げんぎょう②)を誡(いまし)

む。癩者は謗法の罪(ぼうほうのつみ③)を改悔(かいげ④)す。〕

 

 北山宿=般若寺の北側にあったと言われる非人宿。奈良坂宿とも。五畿内の南半分の宿を末宿に抱えた本宿であった。北は京の清水坂が本宿であった。

 現業=現在の生業、なりわい。

 謗法の罪=誹謗大乗の罪。菩薩の教えをけなしそしることを重罪とした菩薩戒として梵網経に説かれる。

 改悔=くいあらためること。懺悔(さんげ)。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年4月24日 (日)

般若寺花だより  4・24

 

〔花ごよみ〕

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫青色、紫色の花が花壇の一区画を埋め尽くしています。

〇山吹:≪満開≫一重咲、八重咲、白山吹。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇紫雲蘭:≪見ごろ≫十三重石塔の基壇石畳の隙間に咲く紫色の野草。お香の煙(紫雲)がたなびくように咲くのが名の起こり。

〇山野草:日本タンポポ、踊子草、ジゴクノカマノフタ、立浪草、赤座、馬の足形(金鳳花)など。

 

〔俳句〕

「山吹や 先(まず)御先へと とぶ蛙」一茶

訳:山吹が咲いたよ。まずお先に失礼と飛ぶ蛙。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈高畑にて〉

「たびびとの めにいたきまで みどりなる

       ついぢのひまの なばたけのいろ」

(旅人の目に痛きまで緑なる 築地の隙の菜畑の色)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》730

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

 

一 亡者を過去帳に載すべきこと

右、この勤行の起こりは、もっぱら同法(どうぼう①)を訪(とむら②)わんがためなり。これに依りて、名字を過去帳に録し、祈念を未来際に期さん。しかれば則ち律法興行(りっぽうこうぎょう③)より、以降、韻(いん④)を同じくして修行せる亡者、専寺(せんじ⑤)他寺をえらばず、僧衆尼衆を論ぜず、出家五衆(しゅっけごしゅう⑥)においては隨聞(ずいもん⑦)に及べばことごとく之を載すべし。

 

 同法=法(おしえ)を同じくして仏道修行する僧衆、尼衆。

 訪=弔う。

 律法興行=戒律復興。

 韻=ひびき。おもむくところ。釈迦の正法である菩薩になるための戒律のこと。

 専寺=本寺である西大寺。他寺は末寺ほか他山の寺。

 出家五衆=比丘・比丘尼・沙弥・沙弥尼・式叉摩那。

 随聞=消息を聞くに随って。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

〇借書諸寺与学徒 建常施院扶病客

〔書を諸寺に借りて学徒に与へ、常施院(じょうせいん①)を建て病客(びょうかく②)を扶(たす)く。〕

 

 常施院=西大寺のどこにあった施設かは不明であるが、名からすると、常に布施をする役割を持った施設であろう。

 病客=病人。

 

〇修悲田院濟乞匈 不堪行歩疥癩人 自負送迎奈良市

〔悲田院(ひでんいん①)を修して乞匈(きっきょう②)を済(すく)ふ。 行歩に堪えざる疥癩人(かいらいにん③)は、みずから負うて奈良の市に送り迎えす④。〕

 

 悲田院=生活困窮者や孤児を救うための施設。奈良市南城戸町にあったが、現在南風呂町の浄土宗阿弥陀寺境内に移転されている。

 乞匈=生活に窮して町で乞食をして食をつないでいた人。

 疥癩人=ハンセン氏病の患者。広くは疥癬などの皮膚病も含んでいたようだ。

 この記事は虎関師錬著『元亨釈書』に詳しく記録されていて、歴史上名高い事績となっている。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年4月22日 (金)

般若寺花だより  4・22

〔花ごよみ〕

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫青色、紫色の花が花壇の一区画を埋め尽くしています。

〇山吹:≪満開≫一重咲、八重咲、白山吹。

〇八重桜:≪満開≫

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇紫雲蘭:≪見ごろ≫十三重石塔の基壇石畳の隙間に咲く紫色の野草。お香の煙(紫雲)がたなびくように咲くのが名の起こり。

〇赤芽柏:≪見ごろ≫葉の新芽が赤やピンクの色で花が咲いているよう。

〇山野草:日本タンポポ、踊子草、ジゴクノカマノフタ、立浪草、赤座など。

 

〔俳句〕

「藤さくや 木辻の君が 夕粧(ゆふよそほ)ひ」

訳:藤の花が咲いているよ。木辻の遊女の夕化粧。

・木辻は奈良の遊女町として栄えた。藤が咲いたことと遊女が客を引くために夕方化粧することは直接結びつかないが、あでやかな気分が共通する。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈高畑にて〉

「たびびとの めにいたきまで みどりなる

       ついぢのひまの なばたけのいろ」

(旅人の目に痛きまで緑なる 築地の隙の菜畑の色)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》729

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

 

一 時節(じせつ①)を定む事

右、九月初四日を以って開白の日となすべし。是れ則ち冬分(とうぶん②)長斎月(ちょうさいがつ③)に当たる。本願御忌(ほんがんぎょき④)の日を迎えるの故也。諸寺の僧衆、催促を待たず。長途を嬾(ものう)くせず、期日以前に会合すべし。若し臨時に延捉あらば当年行事は兼日(けんじつ⑤)、その由を諸寺の者に相触れるべきべき也。

 

 時節=時間。時期。物事を行うのにふさわしい機会。

 冬分=陰暦では十月から十二月までをいう。九月は秋に入るのに何故かここでは冬としている。

 長斎月=長斎は長く持斎を続けることで、正月と五月と九月をいう。

 本願御忌=西大寺を創建した本願称徳天皇の御忌日(御命日)。

 兼日=かねての日。あらかじめ。日頃。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

〇同年四月第三日 興正菩薩稟十戒 同十一日受具戒

同年(①)の四月第三日。興正菩薩に十戒(じゅっかい②)を稟(う)け、同じく十一日具戒(ぐかい③)を受く。〕

 

 同年=仁治元年(一二四〇)。

 十戒=四分律にもとづく沙弥戒。不殺生・不盗・不婬・不妄語・不飲酒・不著華鬘香油塗身・不歌舞観聴・不高広大床・不非時食・不捉金銀。

 具戒=四分律の具足戒。比丘の守るべき二百五十戒。

 

〇遁世後住西大寺 僧衣洗濯掃房舎

〔遁世(とんぜい①)の後、西大寺に住し、僧衣を洗濯して房舎(ぼうしゃ②)を掃(はら)ふ。〕

 

 遁世=出家得度して仏道に入ること。忍性師は十七歳で東大寺にて受戒をしているので出家は済ませてているが、二十四歳のこの年、再び沙弥戒を受け、さらに比丘戒を受けた。興正菩薩らが自誓受戒に依り菩薩比丘と成り、更に別受に依り摂律儀戒を復興してより、遁世は二重に出家することを意味する。

 房舎=僧達が住する僧坊。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

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般若寺花だより  4・22

〔花ごよみ〕

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫青色、紫色の花が花壇の一区画を埋め尽くしています。

〇山吹:≪満開≫一重咲、八重咲、白山吹。

〇八重桜:≪満開≫

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇紫雲蘭:≪見ごろ≫十三重石塔の基壇石畳の隙間に咲く紫色の野草。お香の煙(紫雲)がたなびくように咲くのが名の起こり。

〇赤芽柏:≪見ごろ≫葉の新芽が赤やピンクの色で花が咲いているよう。

〇山野草:日本タンポポ、踊子草、ジゴクノカマノフタ、立浪草、赤座など。

 

〔俳句〕

「藤さくや 木辻の君が 夕粧(ゆふよそほ)ひ」

訳:藤の花が咲いているよ。木辻の遊女の夕化粧。

・木辻は奈良の遊女町として栄えた。藤が咲いたことと遊女が客を引くために夕方化粧することは直接結びつかないが、あでやかな気分が共通する。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈高畑にて〉

「たびびとの めにいたきまで みどりなる

       ついぢのひまの なばたけのいろ」

(旅人の目に痛きまで緑なる 築地の隙の菜畑の色)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》729

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

 

一 時節(じせつ①)を定む事

右、九月初四日を以って開白の日となすべし。是れ則ち冬分(とうぶん②)長斎月(ちょうさいがつ③)に当たる。本願御忌(ほんがんぎょき④)の日を迎えるの故也。諸寺の僧衆、催促を待たず。長途を嬾(ものう)くせず、期日以前に会合すべし。若し臨時に延捉あらば当年行事は兼日(けんじつ⑤)、その由を諸寺の者に相触れるべきべき也。

 

 時節=時間。時期。物事を行うのにふさわしい機会。

 冬分=陰暦では十月から十二月までをいう。九月は秋に入るのに何故かここでは冬としている。

 長斎月=長斎は長く持斎を続けることで、正月と五月と九月をいう。

 本願御忌=西大寺を創建した本願称徳天皇の御忌日(御命日)。

 兼日=かねての日。あらかじめ。日頃。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

〇同年四月第三日 興正菩薩稟十戒 同十一日受具戒

同年(①)の四月第三日。興正菩薩に十戒(じゅっかい②)を稟(う)け、同じく十一日具戒(ぐかい③)を受く。〕

 

 同年=仁治元年(一二四〇)。

 十戒=四分律にもとづく沙弥戒。不殺生・不盗・不婬・不妄語・不飲酒・不著華鬘香油塗身・不歌舞観聴・不高広大床・不非時食・不捉金銀。

 具戒=四分律の具足戒。比丘の守るべき二百五十戒。

 

〇遁世後住西大寺 僧衣洗濯掃房舎

〔遁世(とんぜい①)の後、西大寺に住し、僧衣を洗濯して房舎(ぼうしゃ②)を掃(はら)ふ。〕

 

 遁世=出家得度して仏道に入ること。忍性師は十七歳で東大寺にて受戒をしているので出家は済ませてているが、二十四歳のこの年、再び沙弥戒を受け、さらに比丘戒を受けた。興正菩薩らが自誓受戒に依り菩薩比丘と成り、更に別受に依り摂律儀戒を復興してより、遁世は二重に出家することを意味する。

 房舎=僧達が住する僧坊。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

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2016年4月21日 (木)

般若寺花だより  4・21

 

〔花ごよみ〕

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫青色、紫色の花が花壇の一区画を埋め尽くしています。

〇山吹:≪満開≫一重咲、八重咲、白山吹。

〇八重桜:≪満開≫

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇赤芽柏:≪見ごろ≫葉の新芽が赤やピンクの色で花が咲いているよう。

〇山野草:日本タンポポ、踊子草、ジゴクノカマノフタ、立浪草、赤座など。

 

〔俳句〕

「花ちるや 末代無智の 凡夫衆」

訳:花が散るよ。末代まで無智の凡夫衆。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈高畑にて〉

「たびびとの めにいたきまで みどりなる

       ついぢのひまの なばたけのいろ」

(旅人の目に痛きまで緑なる 築地の隙の菜畑の色)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》728

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺光明真言会縁起』

(さいだいじこうみょうしんごんええんぎ)

 

◆況や七日不退の勤行は、何ぞ三途(さんず①)八難(はちなん②)の苦を除かざらんや。乃至、発因起縁は順と成り逆と成る。皆、毎年七朝の作善(さぜん③)を以って、将に来世の張本(ちょうぼん④)たり。我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜんことを。敬って白す。

 

 三途=熱苦を受ける火途、刀・剣・杖などで脅迫される刀途、互いに相食む血途の三つで、これを地獄・餓鬼・畜生の三悪道に配す。

 八難=仏道修行の妨げとなる八つの障難。地獄・餓鬼・畜生の三悪道と、長寿天・辺地・盲聾瘖瘂(もうろういんあ)・世智弁聡(せちべんそう)・仏前仏後を数え、三途八難と成語する。

 作善=善根を積むこと。造仏・造塔、仏事供養を営むなど、一切の善事をなすこと。

 張本=あとになって起こることに備えて、前もって準備しておくこと。あらかじめ後の素地を築いておくこと。

(おわり)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

〇同年四月二十日 興正菩薩受十重 

〔同年(①)の四月二十日 興正菩薩に十重(じゅうじゅう②)を受く。〕

 

 同年=延応元年(一二三九)。

 十重=十重禁戒。仏道修行の上で、菩薩の守らなければならない十の重要な戒律(菩薩戒)。顕教と密教の二種があるが、ここでは顕教の梵網経に説く十重戒であろう。殺・盗・淫・妄語・酤酒・説四衆過・自讃毀他・慳惜加毀・瞋心不受悔・謗三宝。

 

〇二十四歳仁治元 窮情上人聴古迹 則観無常捨身財 悉施貧乏図仏像

〔二十四歳、仁治元。窮情上人(きゅうじょうしょうにん①)に古迹(こしゃく②)を聴き、則ち無常を観じて身財を捨て、悉く貧乏に施し、仏像を図(えが)く。〕

 

 窮情上人=唐招提寺の中興開山、覚盛(かくじょう、一一九三~一二四九)。学律房また窮情房という。大和国服郷(はとりごう)に生まれる。元は興福寺堂衆。貞慶が戒律復興のために設けた常喜院に学び、叡尊師らと自誓受戒を行い戒律復興を遂げる。弟子に良遍、証玄らがいる。大悲菩薩。

 古迹=梵網経古迹記。新羅の太賢が著した梵網経の注釈書。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年4月20日 (水)

般若寺花だより  4・20

 

〔花ごよみ〕

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫青色、紫色の花が花壇の一区画を埋め尽くしています。

〇山吹:≪満開≫一重咲、八重咲、白山吹。

〇八重桜:≪満開≫

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇赤芽柏:≪見ごろ≫葉の新芽が赤やピンクの色で花が咲いているよう。

〇山野草:日本タンポポ、踊子草、ジゴクノカマノフタ、立浪草、赤座など。

 

〔俳句〕

「有様(ありよう)は 我も花より 団子哉」一茶

訳:ほんとのことを言えば、おれも花より団子がいいのだがねえ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈高畑にて〉

「たびびとの めにいたきまで みどりなる

       ついぢのひまの なばたけのいろ」

(旅人の目に痛きまで緑なる 築地の隙の菜畑の色)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺光明真言会縁起』

(さいだいじこうみょうしんごんええんぎ)

(休みます)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも先達として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(7月―9月)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であり、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

〇生年二十同二季 七日断食三度

〔生年二十、同じく二季。七日断食すること三ヶ度。〕

 

〇念五字明五十万 二十三歳延応元

〔五字明(ごじみょう①)を念ずること五十万。二十三歳、延応元。〕

 

 五字明=文殊菩薩の五字真言。ア・ラ・ハ・シャ・ナウ

 

〇誓断淫酒盡未来 参籠生駒二七日 祈菩提心念文殊

〔誓って盡未来に淫と酒を断ち、生駒に参詣すること二七日(にしちにち①)。菩提心を祈り文殊を念ず。〕

 

 二七日=十四日間。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年4月19日 (火)

般若寺花だより  4・19

 

〔花ごよみ〕

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫花の色としては珍しい青色、紫色の花が花壇の一区画を埋め尽くしています。

〇山吹:≪見ごろ≫一重咲きは満開、八重咲、白山吹は見ごろ。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇赤芽柏:≪見ごろ≫葉の新芽が赤やピンクの色で花が咲いているよう。

〇山野草:日本タンポポ、踊子草、ジゴクノカマノフタ、立浪草、赤座など。

 

〔俳句〕

「さく花の 中にうごめく 衆生かな」

訳:咲く花の中でもごもごと動く人々よ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈高畑にて〉

「たびびとの めにいたきまで みどりなる

       ついぢのひまの なばたけのいろ」

(旅人の目に痛きまで緑なる 築地の隙の菜畑の色)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》727

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺光明真言会縁起』

(さいだいじこうみょうしんごんええんぎ)

 

◆然れば、過去帳に乗る所の亡魂等、共に無上道を証さんとの誓いに依り、一霊をも漏らさず成仏疑い無きなり。必ず一遍なりとも聴誦の有情は、なお已に十悪(じゅうあく①)五逆(ごぎゃく②)の罪を滅す。

 

 十悪=身口意の三業がつくる十種の罪悪。殺生から邪見まで。

 五逆=五つの重い罪悪。母を殺すこと、父を殺すこと、阿羅漢を殺すこと、僧伽の和合を破ること、仏身を傷つけること。これを犯すと無間地獄に落ちるとされる。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも先達として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(7月―9月)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であり、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

〇文暦元年十八歳 読誦法華発信心 採花供仏一夏中

〔文暦元年、十八歳。法華を読誦し、信心を発す。花を採りて仏に供えること、一夏中(いちげちゅう①)。〕

 

 一夏中=一夏は一夏九旬のこと。夏安居(四月十六日から七月十五日までの九十日)の間じゅう。

 

〇嘉禎元年十九歳 六年毎月詣生駒

〔嘉禎元年、十九歳。(これより)六年(の間)毎月生駒(いこま①)へ詣す。〕

 

 生駒=奈良県生駒市の竹林寺。行基菩薩のお墓があり、この頃骨蔵器が発見されている。律宗末寺。文殊菩薩を本尊とする。忍性菩薩の分骨をまつる五輪塔(昭和に復元される)がある。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

Dsc07014

 

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2016年4月18日 (月)

般若寺花だより  4・18

 

〔花ごよみ〕

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫花の色としては珍しい青色、紫色の花が花壇の一区画を埋め尽くしています。

〇山吹:≪見ごろ≫一重咲きは満開、八重咲、白山吹は見ごろ。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇赤芽柏:≪見ごろ≫葉の新芽が赤やピンクの色で花が咲いているよう。

〇山野草:日本タンポポ、踊子草、ジゴクノカマノフタ、立浪草、赤座など。

 

〔俳句〕

「花の陰 此世をさみす 人も有(ある)」

訳:花の陰でこの世を軽んじて暮らす人もいる。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈高畑にて〉

「たびびとの めにいたきまで みどりなる

       ついぢのひまの なばたけのいろ」

(旅人の目に痛きまで緑なる 築地の隙の菜畑の色)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》726

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺光明真言会縁起』

(さいだいじこうみょうしんごんええんぎ)

 

◆世間出世間、自行化他、有相無相、浅深重々の一切の所願、皆ことごとく円満すべし。この真言は最上乗の要心、秘秘中の深秘観なり。叡尊上人いわく、今の法会は仏道の為、法界の為にして修し、身のためならずして修す。世尊若し納受せば、衆生ことごとく解脱す。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも先達として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(7月―9月)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であり、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

〇生年十七天福元 登壇受戒東大寺

〔生年十七、天福元(てんぷくがん①)。東大寺(②)に登壇受戒(とうだんじゅかい③)す。〕

 

 天福元=天福元年(一二三三)。

 東大寺=東大寺戒壇院。

 登壇受戒=戒壇に上り受戒(沙弥戒)すること。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年4月17日 (日)

般若寺花だより  4・17

 

〔花ごよみ〕

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫花の色としては珍しい青色、紫色の花が花壇の一区画を埋め尽くしています。

〇山吹:≪見ごろ≫一重咲きは満開、八重咲、白山吹は見ごろ。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇赤芽柏:≪見ごろ≫葉の新芽が赤やピンクの色で花が咲いているよう。

〇山野草:日本タンポポ、踊子草、ジゴクノカマノフタ、立浪草、赤座など。

 

〔俳句〕

「としよりの 追従(ついしょ)わらひや 花の陰」一茶

訳:年寄りがお追従笑いしているよ。花の陰で。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈高畑にて〉

「たびびとの めにいたきまで みどりなる

       ついぢのひまの なばたけのいろ」

(旅人の目に痛きまで緑なる 築地の隙の菜畑の色)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》725

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺光明真言会縁起』

(さいだいじこうみょうしんごんええんぎ)

 

◆いまだ教主弥陀世尊自ずから荷負して浄土に生ずと説かず。三十二相八十荘厳を具して、速やかに正覚を成ず。かくの如く勝劣これ多し、功徳はまた以って計るべき物無し。然れば六大法界阿字不生の観解に住し、斯の真言を誦す。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも先達として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(7月―9月)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であり、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

〇毎月参詣安陪寺 首尾四季祈発心 

〔毎月安陪寺(あべでら①)に参詣す、首尾の四季(しゅびのしき②)に発心(ほっしん③)を祈る、     

 

 安陪寺=奈良県桜井市安倍所在した安倍寺は飛鳥時代に安倍氏によって建てられた崇敬寺。平安後期に寺の北東に別所が建てられ安倍文殊院となったという。快慶作の文殊菩薩像が現存する。東大寺末。

 首尾の四季=四季(春夏秋冬、一年)の始めから終わりまで。一年中。

 発心=さとりを得ようとする心を起こすこと。発菩提心。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

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2016年4月16日 (土)

般若寺花だより  4・16

 

〔花ごよみ〕

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫花の色としては珍しい青色、紫色の花が花壇の一区画を埋め尽くしています。

〇山吹:≪見ごろ≫一重咲きは満開、八重咲、白山吹は見ごろ。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇赤芽柏:≪見ごろ≫葉の新芽が赤やピンクの色で花が咲いているよう。

〇山野草:日本タンポポ、踊子草、ジゴクノカマノフタ、立浪草、赤座など。

 

〔俳句〕

「鳥べのの 地蔵菩薩の 蕨哉」一茶

訳:鳥辺野の地蔵菩薩の傍らに出ている蕨よ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈高畑にて〉

「たびびとの めにいたきまで みどりなる

       ついぢのひまの なばたけのいろ」

(旅人の目に痛きまで緑なる 築地の隙の菜畑の色)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》724

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺光明真言会縁起』

(さいだいじこうみょうしんごんええんぎ)

 

◆人師の釈に出づ。仏説に未だ見ざる所なり。またこの陀羅尼を持すものは、阿弥陀如来手づから自ら擔負(たんぷ①)して、極楽浄土へ生まれしむると説く。余法の行人、命終に臨むとき、観音の蓮台に乗りて極楽浄土に往生す。九品(くほん②)差別に随いて、遅速不同を覚(さと)ることを得るなり。

 

 擔負=にないおう。

 九品=極楽往生する者の、能力や性質の差によって受ける九つの階位。これを九品往生といい、上品上生から下品下生までの九つ。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも先達として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(7月―9月)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であり、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

〇居額安寺経八旬 同年剃髪而出家

〔額安寺(がくあんじ①)に居ること八旬(はちじゅん②)を経て、同年剃髪して出家す。〕

 

 額安寺=大和郡山市額田部寺町にある元真言律宗の寺。山号は熊凝山(くまごりさん)。聖徳太子創建の熊凝精舎の旧跡に、道慈が額田氏の氏寺として建てた。額田寺、熊凝寺とも。

 八旬=八十日。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

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2016年4月13日 (水)

般若寺花だより  4・13

 

〔花ごよみ〕

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫

〇山吹:≪五分咲き≫一重咲きは満開、八重咲き・白山吹は五分咲き。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇赤芽柏:≪見ごろ≫葉の新芽が赤やピンクの色

〇山野草:日本タンポポ、踊子草、ジゴクノカマノフタ、立浪草、赤座など。

 

〔俳句〕

「大菜小菜(おほなこな) くらふ側(そば)から 花さきぬ」一茶

訳:大きな菜の花小さな菜の花、摘んで食って行くとすぐに次の花が咲くよ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈高畑にて〉

「たびびとの めにいたきまで みどりなる

       ついぢのひまの なばたけのいろ」

(旅人の目に痛きまで緑なる 築地の隙の菜畑の色)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》722

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺光明真言会縁起』

(さいだいじこうみょうしんごんええんぎ)

 

◆弘法大師の釈に、一は無量の一なりと。そもそも真言の功能は余法に勝れり。得益は諸教を越ゆ。且つは一二分の勝劣を出づ。淨不浄を撰ばず。常に誦持すれば、仏は親しく事を勧む。この真言独り余行に勝れり。彼の他力易行の称名は不淨を論ぜず。時処を撰ばず。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも先達として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(7月―9月)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であり、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師叡尊興正菩薩に比して乏しく、本年譜は貴重なものです。 

 

〇十四同二季 摺文殊像並行戒

〔生年十四、同じく二季(①)。文殊の像を摺り(②)、並に戒を行う(③)。〕

 

 二季=寛喜二年(一二三〇)。

 文殊の像を摺り=文殊像を版木により紙に摺り、人々に配布したか。

 戒を行う=在家(優婆塞)の戒、五戒であろう。戒をまもること。

 

〇貞永元年十六歳 母儀逝去訪菩提

〔貞永元年(じょうえいがんねん①)、十六歳。母儀逝去し、菩提を訪(とぶら)う(②)。

 

 貞永元年=一二三二年。

 菩提を訪う=亡くなった人の冥福をいのる。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年4月12日 (火)

般若寺花だより  4・12

 

〔花ごよみ〕

〇矢車草、花菱草:≪咲きはじめ≫

〇山吹:≪見ごろ≫一重咲きは満開、八重咲きは七分程度が咲いています。白山吹は蕾。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇赤芽柏:≪見ごろ≫花ではなく、葉の新芽が赤やピンクの色。

〇山野草:日本タンポポ。踊子草、ジゴクノカマノフタ、立浪草など

〔俳句〕

「なの花も 猫の通ひぢ 吹とぢよ」一茶

訳:菜の花も恋猫が通って行く道を花吹雪で閉ざしてしまいなさいよ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈高畑にて〉

「たびびとの めにいたきまで みどりなる

       ついぢのひまの なばたけのいろ」

(旅人の目に痛きまで緑なる 築地の隙の菜畑の色)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》721

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺光明真言会縁起』

(さいだいじこうみょうしんごんええんぎ)

 

◆他の造り、自ら受くること無しと雖も、縁起難思の力在り。信ぜざるべからず。後悔に及ぶこと勿れ。次に光明真言廿三字を明かす。五字真言を含む。二字を要縮すれば、終に二字は一阿字を撰ぶ。此の一多円融、惣持秘術、広略無礙の瑜伽の妙法なり。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも先達として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(7月―9月)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であり、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師叡尊興正菩薩に比して乏しく、本年譜は貴重なものです。 

 

〇寛喜元年十三歳 誓断食肉学慈氏 

〔寛喜元年(かんぎがんねん①)、十三歳。誓って食肉を断ち、慈氏(じし②)を学ぶ。〕

 

 寛喜元年=一二二九年。

 慈氏=弥勒菩薩。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年4月11日 (月)

般若寺花だより  4・11

 

〔花ごよみ〕

〇桜:≪散りはじめ≫

〇矢車草、花菱草:≪咲きはじめ≫

〇山吹:≪五分咲き≫一重咲き、八重咲きが咲いています。白山吹は蕾。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇赤芽柏:≪見ごろ≫花ではなく、葉の新芽が赤やピンクの色で花が咲いているようにきれい。

 

〔俳句〕

「菜の花の とつぱづれ也 ふじの山」一茶

訳:菜の花の畑のとっぱずれにあるのだなあ、富士の山は。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈興福寺をおもふ〉

「はるきぬと いまかもろびと ゆきかへり 

       ほとけのにはに はなさくらしも」

(春来ぬと今か諸人往き還り 仏の庭に花咲くらしも)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》720

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺光明真言会縁起』

(さいだいじこうみょうしんごんええんぎ)

 

◆声有りて鼓に此の陀羅尼を書いて之を打つに、四重五逆(しじゅうごぎゃく①)の罪人も之を聞き速やかに罪を滅し、見仏聞法(けんぶつもんぼう②)の位に至る。これ則ち法爾(ほうに③)六大内証の薫力は一切処に遍く、難思の縁起なり。元暁(がんぎょう④)大師の釈に云う。

 

 四重五逆=四重は四重罪。殺生、偸盗、邪婬、妄語の四つの禁戒を犯した重罪。五逆は五逆罪。父、母、阿羅漢を殺すこと、僧の和合を破ること、仏身を傷つけることの五つ。これを犯すと無間地獄に落ちるとされる。

 見仏聞法=見仏は仏の姿、または光明、浄土の荘厳なさまを見ること。聞法は仏法を聴聞すること。

 法爾=本来あるがままの姿。

 元曉=七世紀の新羅の僧。華厳を中心に多数の著作を残す。戒律では注釈書『菩薩戒本持犯要記』がある。

(つづく)

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも先達として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(7月―9月)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であり、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師叡尊興正菩薩に比して乏しく、本年譜は貴重なものです。 

 

〇生年十一安貞元 就師学問信貴山 唱五字呪祈道心

〔生年十一、安貞元(あんていがん①)。師に就いて信貴山(しぎさん②)に学問す。五字呪(ごじじゅ③)を唱えて道心(どうしん④)を祈る。〕

 

 安貞元=安貞元年(一二二七)、十一歳。

 信貴山=信貴山寺、朝護孫子寺。

 五字呪=五字文殊菩薩の真言。ア・ラ・ハ・シャ・ノウ。

 道心=仏道を修める心。自らさとり、他をさとらせようとする心。菩提心。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年4月10日 (日)

般若寺花だより  4・10

 

〔花ごよみ〕

〇桜:≪散りはじめ≫

〇山吹:≪五分咲き≫一重咲き、八重咲きが咲いています。白山吹は蕾。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇赤芽柏:≪見ごろ≫葉の新芽が赤やピンクの色で花が咲いているようにきれい。

〇矢車草、花菱草:≪咲きはじめ≫

 

〔俳句〕

「白魚の どつと生まるる おぼろ哉」一茶

訳:白魚がどっと生まれる、おぼろ月の夜だよなあ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈興福寺をおもふ〉

「はるきぬと いまかもろびと ゆきかへり 

       ほとけのにはに はなさくらしも」

(春来ぬと今か諸人往き還り 仏の庭に花咲くらしも)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》719

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺光明真言会縁起』

(さいだいじこうみょうしんごんええんぎ)

 

◆此の陀羅尼を誦すること一遍なりとも、万億無量の大乗経、万億無量の陀羅尼、万億無量の法門を誦することに成る。是の故に無心に砂を、此の真言を以って加持すれば、六道四生の亡者に悉く往生成仏の益を施さん。

(つづく)

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも先達として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(7月―9月)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であり、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師叡尊興正菩薩に比して乏しく、本年譜は貴重なものです。 

 

〇和州城下屏風生 建保五年七十六

〔和州(わしゅう①)城下(きのもと②)屏風(びょうぶ③)に生まる、

建保(けんぽう)五年七の十六(④)。

 

 和州=大和の国。

 城下=きのしも。磯城(しき)は古くは奈良盆地の南東部、初瀬川流域一帯をさした地名。律令制成立前には磯城県(あがた)がおかれ、律令制下で城上(しきのかみ)、城下(しきのしも)の二郡に分れた。

 屏風=聖徳太子が斑鳩と橘宮を往復された太子道に沿った集落。この道には休息をとられた腰掛石が残り、言い伝えではそこに屏風を立てたことが地名の起こりとなったという。

 建保五年七の十六=西紀一二一七年の七月十六日が誕生日。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

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2016年4月 9日 (土)

般若寺花だより  4・9

 

〔花ごよみ〕

〇桜:≪散りはじめ≫

〇桃:≪終り近し≫

〇椿:≪終り近し≫

〇連翹:≪終り近し≫

〇矢車草、花菱草:≪咲きはじめ≫

〇山吹:≪三分咲き≫一重咲き、八重咲きが咲いています。白山吹は蕾。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

 

〔俳句〕

「此(この)方が 善光寺とや 蝶のとぶ」一茶

訳:こちらの方角が善光寺なのだろうか、蝶々が導くように飛んで行く。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈興福寺をおもふ〉

「はるきぬと いまかもろびと ゆきかへり 

       ほとけのにはに はなさくらしも」

(春来ぬと今か諸人往き還り 仏の庭に花咲くらしも)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》718

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺光明真言会縁起』

(さいだいじこうみょうしんごんええんぎ)

 

◆何処(いづこ)にても此の真言に非ざる哉。五智輪円(ごちりんえん①)の何物かは此の陀羅尼を離るべき哉。此の真言は五大五仏(ごだいごぶつ②)を出でず。六大(ろくだい③)平等の実体を約す。明(みょう④)は上は法身、下は六道に及びて猶六大を具足す。仏は六大を法界体性(ほっかいたいしょう⑤)たりと説けり。

 

 五智輪円=五智は大日如来が備え持つという五種の智恵(法界体性智など)。輪円は輪円具足の曼荼羅。曼荼羅は諸仏如来の真実の功徳を円満具足して欠けることがないことをいう。

 五大五仏=五大は地・水・火・風・空の万物をつくり出す五元素。五仏は法身大日如来と、如来から生じた、それをとりまく四仏。

 六大=五大に識を加える。法界に遍満していて、一切のより所となる宇宙の主体として具体的実在であるとし、これによって大日如来を象徴する。

 明=密教の真言、陀羅尼。愚闇を除くところからいう。

 法界体性=無尽の諸法を法界と名づけ、その諸法の所依たる体性を法界体性と名づく。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも先達として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(7月―9月)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であり、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。大徳は律僧への敬称。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は直弟子と思われる比丘澄名(ちょうみょう)。忍性師の遷化(一三〇三)から七年目、延慶三年(一三一〇)十月に完成。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は千七百五十字。巻子仕立て。句数は比丘の具足戒、二百五十戒に擬す。忍性菩薩の文献史料は師叡尊興正菩薩に比して乏しく、本年譜は貴重なもの。 

 

〇良観上人諱忍性 父伴貞行母榎氏

〔良観上人(りょうかんしょうにん①)、諱(いみな②)は忍性(にんしょう)。父は伴の貞行(とものさだゆき③)、母は榎氏(えのきし)。〕

 

 良観上人=仮名(けみょう、房名)は良観房。

 諱=本名。生前の名

 伴の貞行=古代の大伴氏の名を承けている。誕生地(屏風)の南隣に伴堂(ともんどう)という地名がある。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

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2016年4月 7日 (木)

般若寺花だより  4・7

 

〔花ごよみ〕

〇桜:≪満開≫

〇桃:≪見ごろ≫

〇椿:≪見ごろ≫

〇連翹:≪見ごろ≫

〇矢車草、花菱草:≪咲きはじめ≫

〇山吹:≪三分咲き≫一重咲き、八重咲きが咲いています。白山吹は蕾。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

 

〔俳句〕

「むつまじや 生まれかはらば のべの蝶」一茶

訳:仲むつまじいことだね。生まれ変わったならば、野辺の蝶になりたいね。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈興福寺をおもふ〉

「はるきぬと いまかもろびと ゆきかへり 

       ほとけのにはに はなさくらしも」

(春来ぬと今か諸人往き還り 仏の庭に花咲くらしも)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》717

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺光明真言会縁起』

(さいだいじこうみょうしんごんええんぎ)

 

◆第三、第四は重々の義。この神呪は五智如来の惣呪、四種曼荼円満の真言なり。また六大法界の源底(げんてい①)、法性塔婆の玄極なり。是の故、一々の声字は暦劫(りゃくごう②)に談じても尽きず。一々の名実は塵滴すれども仏は極り無く、六大は無礙(むげ③)なり。

 

 源底=根元のところ。根本。真底。

 暦劫=歴劫。多くの劫を経ること。

 無礙=さしさわりのないこと。自由であること。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも先達として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(7月―9月)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であり、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年4月 6日 (水)

般若寺花だより  4・6

 

〔花ごよみ〕

〇桜:≪満開≫

〇桃:≪見ごろ≫

〇色々な椿:≪見ごろ≫

〇連翹:≪見ごろ≫

〇矢車草:≪咲きはじめ≫

〇山吹:≪咲きはじめ≫一重咲きが咲いています。八重咲きと白山吹は蕾。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪咲きはじめ≫

 

〔俳句〕

「世の中や 蝶のくらしも いそがしき」一茶

訳:これが世の中というものだなあ。蝶のくらしも人と同じく忙しい。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈興福寺をおもふ〉

「はるきぬと いまかもろびと ゆきかへり 

       ほとけのにはに はなさくらしも」

(春来ぬと今か諸人往き還り 仏の庭に花咲くらしも)

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

       こさめなかるる はるはきにけり」

(奈良坂の石の仏の頤に 小雨流るる春は来にけり)

・おとがひ=下あご。あご。

 

〔興正菩薩(こうしょうぼさつ)の御教誡〕

「病者勧誘の事  弘安七年甲申四月晦日

般若寺入御に次いで、当寺饒益坊(とうじにょうやくぼう①)に心空房(しんくうぼう②)病床に沈んで、今一度見参せんとするに、長老入御の仰せに云う。「戒破らで死なばよき事よ」。菩薩はいづくにも依るまじければ、願を憶念して生々世々に菩提心を退せじと云う御意なるべし。長老合掌して授けさせ給う、オン・ア・ボ・キャ・ウーン(③)と。これ長くして煩わしくば、ア・ラ・パ・シャ・ナ(④)と、是を唱うべし。猶せめて唱え難ければ、ア(⑤)の一字を唱うべきなり、云々。病者寝ながら合掌して領承申す、云々。

 当寺饒益坊=『感身学正記』の同年四月の記事には、「六日、般若寺参る。十一日、百五十八人に菩薩戒を授く。十三日、一切経会。十四日、西大寺に帰る。」とあり、本『聴聞集』は「四月晦日」、興正菩薩が西大寺へ帰られてからの出来事。饒益坊は西大寺の寺外にあった寺坊だったが、のち「真如庵」と合して山内子院「法寿院」となり現存する。開基は菩薩の実兄、近住男乗現房禅心(?~一二五〇)とされ、山内では唯一檀家を有す。忌日法要は饒益坊(にょうやくぼう)が訛って「めいわくさん」と称される。

 心空房=長谷川氏は、西大寺僧である「心定房順盛」のこととされる。「空」か「定」かは写本に戻って判断する必要あり。

 光明真言「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン」

 文殊菩薩の五字の呪。

 大日如来(胎蔵界)の種字。(長谷川氏は阿弥陀如来の種字とされるが、誤り。阿弥陀の種字はキリーク。)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺光明真言会縁起』

(さいだいじこうみょうしんごんええんぎ)

 

◆心内に有するところを廻向して衆生を度す。ここを以って法相は、心外に法在りて生死を輪廻することを覚知し、永く生死を離る。また三論に云う。心外に六塵(ろくじん)有ること無し。理に付して是を立つ。塵識(じんしき②)は自心を共にして自ら供養す。色心(しきしん③)は不二なるが故に。

 

 六塵=六境のこと。心を汚して煩悩を起こさせるところから、塵という。眼耳鼻舌身意の六根による六識が認識する六つの対象、色境(色や形)・声境(言語や音声)香境(香り)・味境(味)・触境(堅さ・しめりけ・あたたかさなど)・法境(意識の対象となる一切のもの、また、上の五境以外の思想など)をいう。

 塵識=境と識。六境とそれを認識する六識。

 色心=物質存在と精神活動。

 

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも先達として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(7月―9月)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であり、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年4月 5日 (火)

般若寺花だより  4・5

 

〔花ごよみ〕

〇桃:≪見ごろ≫

〇色々な椿:≪見ごろ≫

〇連翹:≪見ごろ≫

〇矢車草:≪咲きはじめ≫

〇桜:≪五分咲き≫

〇山吹:≪咲きはじめ≫一重咲きにつづいて八重咲きも咲き出しました。白山吹は蕾。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪咲きはじめ≫

 

〔俳句〕

「蝶とぶや 此(この)世に望み ないように」一茶

訳:蝶が飛んでいるよ。この世に希望がないかのようにあちこちと。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈興福寺をおもふ〉

「はるきぬと いまかもろびと ゆきかへり 

       ほとけのにはに はなさくらしも」

(春来ぬと今か諸人往き還り 仏の庭に花咲くらしも)

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

       こさめなかるる はるはきにけり」

(奈良坂の石の仏の頤に 小雨流るる春は来にけり)

・おとがひ=下あご。あご。

 

〔興正菩薩(こうしょうぼさつ)の御教誡〕

「病者勧誘の事  弘安七年甲申四月晦日

般若寺入御に次いで、当寺饒益坊(とうじにょうやくぼう①)に心空房(しんくうぼう②)病床に沈んで、今一度見参せんとするに、長老入御の仰せに云う。「戒破らで死なばよき事よ」。菩薩はいづくにも依るまじければ、願を憶念して生々世々に菩提心を退せじと云う御意なるべし。長老合掌して授けさせ給う、オン・ア・ボ・キャ・ウーン(③)と。これ長くして煩わしくば、ア・ラ・パ・シャ・ナ(④)と、是を唱うべし。猶せめて唱え難ければ、ア(⑤)の一字を唱うべきなり、云々。病者寝ながら合掌して領承申す、云々。

 当寺饒益坊=『感身学正記』の同年四月の記事には、「六日、般若寺参る。十一日、百五十八人に菩薩戒を授く。十三日、一切経会。十四日、西大寺に帰る。」とあり、本『聴聞集』の「四月晦日」は月末であるから、興正菩薩は西大寺へ帰っておられた。饒益坊は西大寺の寺外にあった寺坊だったが、のち「真如庵」と合して山内子院「法寿院」となり現存す。開基は菩薩の実兄、近住男乗現房禅心(?~一二五〇)とされ、山内では唯一檀家を有す。忌日法要は饒益坊(にょうやくぼう)が訛って「めいわくさん」と称される。

 心空房=長谷川氏は、西大寺僧である「心定房順盛」のこととされる。「空」か「定」かは写本に戻って判断しなければならないであろう。

 光明真言「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン」

 文殊菩薩の五字の呪。

 大日如来(胎蔵界)の種字。(長谷川氏は阿弥陀如来の種字とされるが、誤り。阿弥陀の種字はキリーク。)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》715

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺光明真言会縁起』

(さいだいじこうみょうしんごんええんぎ)

 

◆第二の深秘釈にては、この真言は一々の字義句義は皆、衆生一心中に具足するところの万徳を演ぶ。委細はかの疏に記す経の如し。また儀軌に云う。この真言は万徳無数にして、諸仏如来の心中秘密の呪なり。この呪を誦せば、自心に具わるところの煩悩を断ち、心中本有の仏性、本具の菩提を証す。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも先達として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(7月―9月)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であり、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年4月 4日 (月)

般若寺花だより  4・4

 

〔花ごよみ〕

〇桃:≪見ごろ≫

〇色々な椿:≪見ごろ≫

〇連翹:≪見ごろ≫

〇矢車草:≪咲きはじめ≫

〇桜:≪五分咲き≫

〇山吹:≪咲きはじめ≫一重咲きが咲いています。八重咲きと白山吹は蕾。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪咲きはじめ≫

 

〔俳句〕

「うぐひすの 腮(あご)の下より 淡ぢ島」一茶

訳:鶯のあごの下からあらわれてくる淡路島。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈興福寺をおもふ〉

「はるきぬと いまかもろびと ゆきかへり 

       ほとけのにはに はなさくらしも」

(春来ぬと今か諸人往き還り 仏の庭に花咲くらしも)

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

       こさめなかるる はるはきにけり」

(奈良坂の石の仏の頤に 小雨流るる春は来にけり)

・おとがひ=下あご。あご。

 

〔興正菩薩(こうしょうぼさつ)の御教誡〕

「病者勧誘の事  弘安七年甲申四月晦日

般若寺入御に次いで、当寺饒益坊(とうじにょうやくぼう①)に心空房(しんくうぼう②)病床に沈んで、今一度見参せんとするに、長老入御の仰せに云う。「戒破らで死なばよき事よ」。菩薩はいづくにも依るまじければ、願を憶念して生々世々に菩提心を退せじと云う御意なるべし。長老合掌して授けさせ給う、オン・ア・ボ・キャ・ウーン(③)と。これ長くして煩わしくば、ア・ラ・パ・シャ・ナ(④)と、是を唱うべし。猶せめて唱え難ければ、ア(⑤)の一字を唱うべきなり、云々。病者寝ながら合掌して領承申す、云々。

 当寺饒益坊=(*昨日の注を変更します)西大寺刊行(一九九〇)の長谷川誠氏の解釈文の通り、西大寺での出来事でよい。『感身学正記』の同年四月の記事では「六日、般若寺参る。十一日、百五十八人に菩薩戒を授く。十三日、一切経会。十四日、西大寺に帰る。」とあり、本『聴聞集』の「四月晦日」は月末であるから、興正菩薩は西大寺へ帰っておられたと考えられる。饒益坊は当時は寺外にあった寺坊だが、のち「真如庵」と合して山内子院「法寿院」となり現存す。開基は菩薩の実兄、近住男乗現房禅心(?~一二五〇)とされ、山内では唯一檀家を有す。忌日法要は饒益坊(にょうやくぼう)が訛って「めいわくさん」と称される。

 心空房=長谷川氏は、西大寺僧である「心定房順盛」のこととされる。「空」か「定」かは写本に戻って判断しなければならないであろう。

 光明真言「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン」

 文殊菩薩の五字の呪。

 大日如来(胎蔵界)の種字。(長谷川氏は阿弥陀如来の種字とされるが、誤り。阿弥陀の種字はキリーク。)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》714

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺光明真言会縁起』

(さいだいじこうみょうしんごんええんぎ)

 

◆現世にては富貴長寿の望みを遂げ、鬼神病苦の愁いを除く。乃至、有縁無縁の亡者等、皆な離苦得楽は疑いなし、云々。不空三蔵(ふくうさんぞう①)、両本儀軌幷に不空羂索経廿八巻の釈はかくの如し。

 

 不空三蔵=真言付法第六祖。(七〇五-七七四)

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも先達として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(7月―9月)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であり、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年4月 2日 (土)

般若寺花だより  4・2

 

〔花ごよみ〕

〇桃:≪見ごろ≫

〇色々な椿:≪見ごろ≫

〇連翹:≪見ごろ≫

〇矢車草:≪咲きはじめ≫

〇桜:≪五分咲き≫

〇山吹:≪咲きはじめ≫一重咲きが咲いています。八重咲きと白山吹は蕾。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪咲きはじめ≫

 

〔俳句〕

「狙(さる)も来よ 桃太郎来よ 草の餅」一茶

訳:猿も来いよ、桃太郎も来なさいよ。草の餅。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈興福寺をおもふ〉

「はるきぬと いまかもろびと ゆきかへり 

       ほとけのにはに はなさくらしも」

(春来ぬと今か諸人往き還り 仏の庭に花咲くらしも)

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

       こさめなかるる はるはきにけり」

(奈良坂の石の仏の頤に 小雨流るる春は来にけり)

・おとがひ=下あご。あご。

 

〔興正菩薩(こうしょうぼさつ)の御教誡〕

「病者勧誘の事  弘安七年甲申四月晦日

般若寺入御に次いで、当寺饒益坊(とうじにょうやくぼう①)に心空房(しんくうぼう②)病床に沈んで、今一度見参せんとするに、長老入御の仰せに云う。「戒破らで死なばよき事よ」。菩薩はいづくにも依るまじければ、願を憶念して生々世々に菩提心を退せじと云う御意なるべし。長老合掌して授けさせ給う、オン・ア・ボ・キャ・ウーン(③)と。これ長くして煩わしくば、ア・ラ・パ・シャ・ナ(④)と、是を唱うべし。猶せめて唱え難ければ、ア(⑤)の一字を唱うべきなり、云々。病者寝ながら合掌して領承申す、云々。

 当寺饒益坊=(*昨日の注を変更します)西大寺刊行(一九九〇)の長谷川誠氏の解釈文の通り、西大寺での出来事でよい。『感身学正記』の同年四月の記事では「六日、般若寺参る。十一日、百五十八人に菩薩戒を授く。十三日、一切経会。十四日、西大寺に帰る。」とあり、本『聴聞集』の「四月晦日」は月末であるから、興正菩薩は西大寺へ帰っておられたと考えられる。饒益坊は当時は寺外にあった寺坊だが、のち「真如庵」と合して山内子院「法寿院」となり現存す。開基は菩薩の実兄、近住男乗現房禅心(?~一二五〇)とされ、山内では唯一檀家を有す。忌日法要は饒益坊(にょうやくぼう)が訛って「めいわくさん」と称される。

 心空房=長谷川氏は、西大寺僧である「心定房順盛」のこととされる。「空」か「定」かは写本に戻って判断しなければならないであろう。

 光明真言「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン」

 文殊菩薩の五字の呪。

 大日如来(胎蔵界)の種字。(長谷川氏は阿弥陀如来の種字とされるが、誤り。阿弥陀の種字はキリーク。)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》713

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺光明真言会縁起』

(さいだいじこうみょうしんごんええんぎ)

 

◆第一に浅略釈(せんりゃくしゃく①)にては、大日如来と阿弥陀如来との心中秘密の呪也。三世三劫の諸仏は此の真言を受持し、正覚を成じ衆生を利益す。我等また此の真言を誦持し、諸の罪障を滅し、極楽に往生す。

 

 浅略釈=密教でいう四重秘釈の一つ。世間通途の釈義。顕教中に処々に説けり、とされる。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも先達として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(7月―9月)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であり、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。