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2016年4月 5日 (火)

般若寺花だより  4・5

 

〔花ごよみ〕

〇桃:≪見ごろ≫

〇色々な椿:≪見ごろ≫

〇連翹:≪見ごろ≫

〇矢車草:≪咲きはじめ≫

〇桜:≪五分咲き≫

〇山吹:≪咲きはじめ≫一重咲きにつづいて八重咲きも咲き出しました。白山吹は蕾。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪咲きはじめ≫

 

〔俳句〕

「蝶とぶや 此(この)世に望み ないように」一茶

訳:蝶が飛んでいるよ。この世に希望がないかのようにあちこちと。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈興福寺をおもふ〉

「はるきぬと いまかもろびと ゆきかへり 

       ほとけのにはに はなさくらしも」

(春来ぬと今か諸人往き還り 仏の庭に花咲くらしも)

〈奈良坂にて〉

「ならさかの いしのほとけの おとかひに

       こさめなかるる はるはきにけり」

(奈良坂の石の仏の頤に 小雨流るる春は来にけり)

・おとがひ=下あご。あご。

 

〔興正菩薩(こうしょうぼさつ)の御教誡〕

「病者勧誘の事  弘安七年甲申四月晦日

般若寺入御に次いで、当寺饒益坊(とうじにょうやくぼう①)に心空房(しんくうぼう②)病床に沈んで、今一度見参せんとするに、長老入御の仰せに云う。「戒破らで死なばよき事よ」。菩薩はいづくにも依るまじければ、願を憶念して生々世々に菩提心を退せじと云う御意なるべし。長老合掌して授けさせ給う、オン・ア・ボ・キャ・ウーン(③)と。これ長くして煩わしくば、ア・ラ・パ・シャ・ナ(④)と、是を唱うべし。猶せめて唱え難ければ、ア(⑤)の一字を唱うべきなり、云々。病者寝ながら合掌して領承申す、云々。

 当寺饒益坊=『感身学正記』の同年四月の記事には、「六日、般若寺参る。十一日、百五十八人に菩薩戒を授く。十三日、一切経会。十四日、西大寺に帰る。」とあり、本『聴聞集』の「四月晦日」は月末であるから、興正菩薩は西大寺へ帰っておられた。饒益坊は西大寺の寺外にあった寺坊だったが、のち「真如庵」と合して山内子院「法寿院」となり現存す。開基は菩薩の実兄、近住男乗現房禅心(?~一二五〇)とされ、山内では唯一檀家を有す。忌日法要は饒益坊(にょうやくぼう)が訛って「めいわくさん」と称される。

 心空房=長谷川氏は、西大寺僧である「心定房順盛」のこととされる。「空」か「定」かは写本に戻って判断しなければならないであろう。

 光明真言「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン」

 文殊菩薩の五字の呪。

 大日如来(胎蔵界)の種字。(長谷川氏は阿弥陀如来の種字とされるが、誤り。阿弥陀の種字はキリーク。)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》715

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺光明真言会縁起』

(さいだいじこうみょうしんごんええんぎ)

 

◆第二の深秘釈にては、この真言は一々の字義句義は皆、衆生一心中に具足するところの万徳を演ぶ。委細はかの疏に記す経の如し。また儀軌に云う。この真言は万徳無数にして、諸仏如来の心中秘密の呪なり。この呪を誦せば、自心に具わるところの煩悩を断ち、心中本有の仏性、本具の菩提を証す。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも先達として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(7月―9月)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であり、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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