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2016年4月24日 (日)

般若寺花だより  4・24

 

〔花ごよみ〕

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫青色、紫色の花が花壇の一区画を埋め尽くしています。

〇山吹:≪満開≫一重咲、八重咲、白山吹。

〇蔓日日草:≪見ごろ≫

〇射干:≪見ごろ≫

〇日本桜草:≪見ごろ≫

〇紫雲蘭:≪見ごろ≫十三重石塔の基壇石畳の隙間に咲く紫色の野草。お香の煙(紫雲)がたなびくように咲くのが名の起こり。

〇山野草:日本タンポポ、踊子草、ジゴクノカマノフタ、立浪草、赤座、馬の足形(金鳳花)など。

 

〔俳句〕

「山吹や 先(まず)御先へと とぶ蛙」一茶

訳:山吹が咲いたよ。まずお先に失礼と飛ぶ蛙。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈高畑にて〉

「たびびとの めにいたきまで みどりなる

       ついぢのひまの なばたけのいろ」

(旅人の目に痛きまで緑なる 築地の隙の菜畑の色)

〈帝室博物館にて〉

「つといれば あしたのかべに たちならぶ

       かのせうだいの だいぼさつたち」

(つと入れば朝の壁に立ち並ぶ かの招堤の大菩薩達)

・招堤=唐招提寺のこと。梵語チャトルディシャの訳語、「招闘提奢」の略。「四方」と訳され、衆僧の住む客房の意。てら、寺院、道場。唐から来られた鑑真和上が、衆僧が四方から律宗の教えを学びに集まる寺と命名された。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》730

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

 

一 亡者を過去帳に載すべきこと

右、この勤行の起こりは、もっぱら同法(どうぼう①)を訪(とむら②)わんがためなり。これに依りて、名字を過去帳に録し、祈念を未来際に期さん。しかれば則ち律法興行(りっぽうこうぎょう③)より、以降、韻(いん④)を同じくして修行せる亡者、専寺(せんじ⑤)他寺をえらばず、僧衆尼衆を論ぜず、出家五衆(しゅっけごしゅう⑥)においては隨聞(ずいもん⑦)に及べばことごとく之を載すべし。

 

 同法=法(おしえ)を同じくして仏道修行する僧衆、尼衆。

 訪=弔う。

 律法興行=戒律復興。

 韻=ひびき。おもむくところ。釈迦の正法である菩薩になるための戒律のこと。

 専寺=本寺である西大寺。他寺は末寺ほか他山の寺。

 出家五衆=比丘・比丘尼・沙弥・沙弥尼・式叉摩那。

 随聞=消息を聞くに随って。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

〇借書諸寺与学徒 建常施院扶病客

〔書を諸寺に借りて学徒に与へ、常施院(じょうせいん①)を建て病客(びょうかく②)を扶(たす)く。〕

 

 常施院=西大寺のどこにあった施設かは不明であるが、名からすると、常に布施をする役割を持った施設であろう。

 病客=病人。

 

〇修悲田院濟乞匈 不堪行歩疥癩人 自負送迎奈良市

〔悲田院(ひでんいん①)を修して乞匈(きっきょう②)を済(すく)ふ。 行歩に堪えざる疥癩人(かいらいにん③)は、みずから負うて奈良の市に送り迎えす④。〕

 

 悲田院=生活困窮者や孤児を救うための施設。奈良市南城戸町にあったが、現在南風呂町の浄土宗阿弥陀寺境内に移転されている。

 乞匈=生活に窮して町で乞食をして食をつないでいた人。

 疥癩人=ハンセン氏病の患者。広くは疥癬などの皮膚病も含んでいたようだ。

 この記事は虎関師錬著『元亨釈書』に詳しく記録されていて、歴史上名高い事績となっている。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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