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2016年5月

2016年5月31日 (火)

コスモス寺花だより 5・31

〔花ごよみ〕

〇初夏咲コスモス:≪見ごろ≫「美色コスモス」という種類は早くも〈見ごろ〉を迎えています。背丈は130センチほどですが、花数は多く、群集していると見栄えがします。他の種類は〈咲きはじめ〉シーシェル、サイケ、センセーションなど。

見頃は5月末~7月初旬。5万本。

〇桜うつぎ:≪満開≫

〇山アジサイ:≪見ごろ≫

〇あじさい:≪咲きはじめ≫

〇ヒツジ草、姫スイレン:≪咲きはじめ≫睡蓮の原生種、未草は絶滅が危惧されている。

〔俳句〕

「我汝を 待つこと久し ほととぎす」一茶

訳: わたしはお前を長らく待っていたのだ。ほととぎすよ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良博物館即興〉

「ガラスどに ならぶ四はうの みほとけの

       ひざにたぐひて わがかげはゆく」

(ガラス戸に並ぶ四方の御仏の 膝に類いて我が影は行く)

・たぐふ=比、類。並ぶ、寄り添う。連れだつ。

〈春日野にて〉

「かすがのの しかふすくさの かたよりに

       わがこふらくは とほつよのひと」

(春日野の鹿伏す草の片寄に 我が恋うらくは遠つ世の人)

 

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》756

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

『文永六年光明真言以後恒例衆議云』

 

◆今より以後、老僧ならびに病者たりといえども着座すべからず。行道に堪えざるの時は、よろしく道場の外に出づべし。老病の縁はなお以って之を誡む。何ぞいわんや自余においておや。若し違犯あるの輩は綱維ならびに年預の沙汰と為す。〔この両人若し出仕せざれば、当座宿老の沙汰となすべし。〕此の由を告示し、遣り出ださしむべき也。云々。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

●八十五歳正安三 田那部池慇祈雨 未及帰寺大雨降

〔八十五歳、正安三(①)。田那部(たなべ②)の池に慇(ねんごろ)に雨を祈るに、いまだ寺に帰るに及ばざるに大雨降る。〕 

 

 正安三=西暦一三〇一年。

 多那部=極楽寺絵図による境内の西方に描かれる田那谷龍池。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

*奈良歴史文化講演会のご案内

奈良にもあった平安文化

中川寺成身院を学ぶ―まぼろしの平安密教寺院中川寺成身院とは ⁉

講師:冨島義幸先生(京都大学大学院工学研究科准教授・日本建築史)

演題:中川寺成身院の仏教空間とその意義

日時:平成28618日(土)午後130分~330

会場:奈良市手貝町会議所・東大寺転害門北100

聴講:無料。収容定員80人(先着順)。

主催:中川寺成身院を学ぶ会

問い合わせ:般若寺 ℡0742226287 

奈良歴史遺産市民ネットワーク ℡0742233934

 

 

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2016年5月30日 (月)

コスモス寺花だより 5・30

〔花ごよみ〕

〇初夏咲コスモス:≪見ごろ≫「美色コスモス」という種類は早くも〈見ごろ〉を迎えています。背丈は130センチほどですが、花数は多く、群集していると見栄えがします。他の種類は〈咲きはじめ〉シーシェル、サイケ、センセーションなど。

見頃は5月末~7月初旬。5万本。

〇桜うつぎ:≪満開≫

〇山アジサイ:≪見ごろ≫

〇あじさい:≪咲きはじめ≫

〇ヒツジ草、姫スイレン:≪咲きはじめ≫睡蓮の原生種、未草は絶滅が危惧されている。

〔俳句〕

「朔日(ついたち)の しかも朝也 時鳥(ほととぎす)」一茶

訳: 四月(旧暦)一日のしかも朝に鳴いたよ。時鳥。

・四月一日は夏の初め。時鳥は夏を告げる鳥。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良博物館即興〉

「ガラスどに ならぶ四はうの みほとけの

       ひざにたぐひて わがかげはゆく」

(ガラス戸に並ぶ四方の御仏の 膝に類いて我が影は行く)

・たぐふ=比、類。並ぶ、寄り添う。連れだつ。

〈春日野にて〉

「かすがのの しかふすくさの かたよりに

       わがこふらくは とほつよのひと」

(春日野の鹿伏す草の片寄に 我が恋うらくは遠つ世の人)

 

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》755

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

『文永六年光明真言以後恒例衆議云』

 

◆一、皆集会ならびに当番行道の間、極老僧を除き、所労を現わすの外、輙ち着座すべからずの由、禁制の旨は明らかに裁状右にする。して近年はしばしば此の事あるに依り、坐立あい交え道儀狼藉なり。是れすなわち初心の人、老少を弁えず、開制また暗く、健病の通寒に暗き故か。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

●新宮炎上正安二 陽春二月二十三 不送年月到新宮 勧請諸神十二社

〔新宮(しんぐう①)炎上す、正安二(しょうあんに②)の陽春二月二十三。年月を送らずして新宮に到(いた)り、諸神十二社(じゅうにしゃ③)を勧請(かんじょう④)す。〕

 

 新宮=文永六年(一二六九)に新宮草創とある。新宮は熊野速玉大社のこと。

 正安二=西暦一三〇〇年。

 十二社=熊野新宮には、上四社、中四社、下四社の十二社があり、第二殿の速玉殿(本地薬師仏)、第三殿の証誠殿(阿弥陀仏)などがある。

 勧請=神の分霊を他の地に遷してまつること。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

*奈良歴史文化講演会のご案内

奈良にもあった平安文化

中川寺成身院を学ぶ―まぼろしの平安密教寺院中川寺成身院とは ⁉

講師:冨島義幸先生(京都大学大学院工学研究科准教授・日本建築史)

演題:中川寺成身院の仏教空間とその意義

日時:平成28618日(土)午後130分~330

会場:奈良市手貝町会議所・東大寺転害門北100

聴講:無料。収容定員80人(先着順)。

主催:中川寺成身院を学ぶ会

問い合わせ:般若寺 ℡0742226287 

奈良歴史遺産市民ネットワーク ℡0742233934

 

 

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2016年5月28日 (土)

コスモス寺花だより 5・28

〔花ごよみ〕

〇初夏咲コスモス:≪見ごろ≫「美色コスモス」という種類は早くも〈見ごろ〉を迎えています。背丈は130センチほどですが、花数は多く、群集していると見栄えがします。他の種類は〈咲きはじめ〉。

見頃は5月末~7月初旬。5万本。

〇桜うつぎ:≪満開≫

〇山アジサイ:≪咲きはじめ≫

〇あじさい:≪咲きはじめ≫

〇ヒツジ草、姫スイレン:≪咲きはじめ≫睡蓮の原生種、未草は絶滅が危惧されている。

〔俳句〕

「わか竹の おきんとすれば 電(いなびか)り」一茶

訳: 雨を含んだ、今年生えたばかりの若竹が、起き上がろうとすると、いなびかり。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良博物館即興〉

「ガラスどに ならぶ四はうの みほとけの

       ひざにたぐひて わがかげはゆく」

(ガラス戸に並ぶ四方の御仏の 膝に類いて我が影は行く)

・たぐふ=比、類。並ぶ、寄り添う。連れだつ。

〈春日野にて〉

「かすがのの しかふすくさの かたよりに

       わがこふらくは とほつよのひと」

(春日野の鹿伏す草の片寄に 我が恋うらくは遠つ世の人)

 

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》754

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

◆一、勤行の間、頻りに高声を好み、しばしば叫喚に及ぶ。穏便の儀に非ざるにより、すでに禁制を加え畢。爾来一向に微音と為すの間、僧衆は満座といえども、音声はややもすれば絶えんとす。もしこれ高声を止どむるによらば、惛沈(こんじん①)睡眠等あい催す故か。しかれば中音高声は心に任せてこれを出だす。猛利の心を励まさるべし。但し叫喚以下の非儀においては、なお堅くこれを禁ずべし。これすなわち開制は時の義に依る也。云々。

 

 惛沈=心を不活発にさせ沈滞させること。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

(休)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

*奈良歴史文化講演会のご案内

奈良にもあった平安文化

中川寺成身院を学ぶ―まぼろしの平安密教寺院中川寺成身院とは ⁉

講師:冨島義幸先生(京都大学大学院工学研究科准教授・日本建築史)

演題:中川寺成身院の仏教空間とその意義

日時:平成28618日(土)午後130分~330

会場:奈良市手貝町会議所・東大寺転害門北100

聴講:無料。収容定員80人(先着順)。

主催:中川寺成身院を学ぶ会

問い合わせ:般若寺 ℡0742226287 

奈良歴史遺産市民ネットワーク ℡0742233934

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2016年5月27日 (金)

コスモス寺花だより 5・27

〔花ごよみ〕

〇初夏咲きコスモス:≪見ごろ≫「美色コスモス」という種類は早くも〈見ごろ〉を迎えています。背丈は130センチほどの小ぶりの株ですが、花数は多く、群集していると見栄えがします。他の種類は〈咲きはじめ〉。

見頃は5月末~7月初旬。5万本。

〇桜うつぎ:≪満開≫

〇山アジサイ:≪咲きはじめ≫

〇あじさい:≪咲きはじめ≫

〇ヒツジ草、姫スイレン:≪咲きはじめ≫睡蓮の原生種、未草は絶滅が危惧されている。

〔俳句〕

「大原や 小町が果の 夏花(げばな)つみ」一茶

訳: 大原よ、老いた小野小町が夏花を摘んでいる。

解説:大原の古名は小野で、小野氏とのかかわりが深いことから小野小町の出身地と伝える。老いて故郷に帰って夏花を摘む小町のあわれをイメージしての作。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良博物館即興〉

「ガラスどに ならぶ四はうの みほとけの

       ひざにたぐひて わがかげはゆく」

(ガラス戸に並ぶ四方の御仏の 膝に比いて我が影は行く)

・たぐふ=比、類。並ぶ、寄り添う。連れだつ。

〈春日野にて〉

「かすがのの しかふすくさの かたよりに

       わがこふらくは とほつよのひと」

(春日野の鹿伏す草の片寄に 我が恋うらくは遠つ世の人)

 

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

(休)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

●八十一歳永仁五 八月九日真言院 草創供養曼陀供

〔八十一歳、永仁五(①)。八月九日真言院(しんごんいん②)を草創(そうそう③)し、供養は曼陀供(まんだく④)なり。〕

 

 永仁五=西暦一二九七年

 真言院=極楽寺絵図では金堂、講堂の東、戒壇堂の北に描かれる。

 草創=火災からの再建ではなく、新築されたようだ。

 曼荼供=曼荼羅供。曼供とも。両部曼荼羅を供養する法会。新造の仏像・曼荼羅の落慶などに行われ、最高の法会の規模。衆生は曼荼羅を遥に拝するだけで罪障が消滅する功徳が得られるという。

 

●八十二歳同六年 建立坂下馬病屋 常荏(往ヵ)彼厩唱仏名 

札書真言令繁(繋ヵ)頸

〔八十二歳、同六年(①)。坂下(さかのした②)に馬病屋(うまのびょうおく③)を建立し、常に彼の厩(うまや)に往きて仏名(ぶつみょう④)を唱え、札に真言(しんごん⑤)を書き頸(くび⑥)につなげしむ〕

 

 同六年=永仁六年(一二九八)。

 坂下=鎌倉の西入口である極楽寺切通しの坂道を下った処であろう。

 馬病屋=馬の病院。極楽寺絵図には仁王門の南、寺外に描かれる。

 仏名=何の仏の御名かは不明、薬師如来の名前であろうか。。

 真言=薬師如来の真言か。

 頸=馬の首。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

*奈良歴史文化講演会のご案内

奈良にもあった平安文化

中川寺成身院を学ぶ―まぼろしの平安密教寺院中川寺成身院とは ⁉

講師:冨島義幸先生(京都大学大学院工学研究科准教授・日本建築史)

演題:中川寺成身院の仏教空間とその意義

日時:平成28618日(土)午後130分~330

会場:奈良市手貝町会議所・東大寺転害門北100

聴講:無料。収容定員80人(先着順)。

主催:中川寺成身院を学ぶ会

問い合わせ:般若寺 ℡0742226287 

奈良歴史遺産市民ネットワーク ℡0742233934

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2016年5月26日 (木)

コスモス寺花だより 5・26

〔花ごよみ〕

〇初夏咲コスモス:≪見ごろ≫「美色コスモス」という種類は早くも〈見ごろ〉を迎えています。背丈は100センチほどの小ぶりの株ですが、花数は多く、群集していると見栄えがします。他の種類は〈咲きはじめ〉。

見頃は5月末~7月初旬。5万本。

〇桜うつぎ:≪満開≫

〇山アジサイ:≪咲きはじめ≫

〇あじさい:≪つぼみ≫

〇ヒツジ草、姫スイレン:≪咲きはじめ≫睡蓮の原生種、未草は絶滅が危惧されている。

〔俳句〕

「母馬が 番して呑す 清水哉」一茶

訳: 母馬が見張り番をして子馬に飲ませている、その清水の清らかさよ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて

       おほきほとけは あまたらしたり」

(おおらかにもろ手の指を開かせて 大き仏は天足らしたり)

・あまたらす=天一杯に充満しておられる。

〈新薬師寺の金堂にて〉

「たびびとに ひらくみだうの しとみより

       めきらがたちに あさひさしたり、」

(旅人に開く御堂の蔀より 迷企羅が太刀に朝日射したり)

・迷企羅=薬師十二神将の一つ。武装し、忿怒の姿をとる。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》753

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

 

◆また、行法訖って後は、行事ならびに施主の名字を記録し、僧名および両通〔陀羅尼供養法〕の番帳を撒置(さんち①)し、後年の亀鏡(ききょう②)となすべし。また、土砂(どしゃ③)の箱を淨処に安置し、所望の人有れば、親疎を撰ばずこれを分与し、慇懃にこれを勤め繁重(はんじゅう④)を倦むことなかれ。

以上、十一箇条、大概はかくの如し。衆みなこれを守り、あえて忽諸(こっしょ⑤)することなかれ。

  文永元年甲子九月十八日、衆僧の議定に任せてこれを記す。

  同三年丙寅九月二十二日、衆議を重ねるに依り同じく添削を加え畢る。

                  比 丘 性 海(びくしょうかい⑥)

 

 撒置=はなちおく。

 亀鏡=キケイとも。てほん。模範。

 土砂=光明真言により加持された砂。

 繁重=忙しく煩わしさが重なること。

 忽諸=おろそかにすること。

 比丘性海=覚性房性海(一二三五~?)。大和喜光寺長老。興正菩薩に近侍して記録係を勤めた。

(おわり)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

●同年八月奉綸旨 補東大寺大勧進

〔同年(①)八月、綸旨(りんじ②)を奉じて、東大寺大勧進(とうだいじだいかんじん③)に補せらる。〕

 

 同年=永仁元年(一二九三)

 綸旨=奉書形式の文書。蔵人が天皇の意を奉じて出す。

 東大寺大勧進=大勧進職(しき)。東大寺の堂舎の営繕のため、財源確保の勧進活動や技術者集団編成の役を果たした。重源、栄西、行勇、円照など禅律僧が多い。

 

●七十八歳同二年 四天王寺任別当 建石鳥居二丈五

〔七十八歳、同二年(①)。四天王寺の別当(してんのうじべっとう②)に任ぜられ、石の鳥居(③)を建つ、二丈五(にじょうご④)。〕

 

 同二年=永仁二年(一二九四)。

 四天王寺別当=四天王寺は天台宗寺門と山門が別当を継いできたが、興正菩薩に次いで忍性菩薩が任じられた。聖徳太子が創始した施薬院や悲田院を再興す。

 石鳥居=西大門の西側に立ち、西方極楽浄土への入口とされ、通称として西門(さいもん)と呼ばれる。元は木造であったが朽ちていたのを忍性師が石造で再建。昔は西門から外はすぐ海であり、お彼岸には西正面に日が沈むのが見えたという。

 二丈五=二丈五尺。二十五尺(周尺であれば、四百五十四センチ)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

*奈良歴史文化講演会のご案内

奈良にもあった平安文化

中川寺成身院を学ぶ―まぼろしの平安密教寺院中川寺成身院とは ⁉

講師:冨島義幸先生(京都大学大学院工学研究科准教授・日本建築史)

演題:中川寺成身院の仏教空間とその意義

日時:平成28618日(土)午後130分~330

会場:奈良市手貝町会議所・東大寺転害門北100

聴講:無料。収容定員80人(先着順)。

主催:中川寺成身院を学ぶ会

問い合わせ:般若寺 ℡0742226287 

奈良歴史遺産市民ネットワーク ℡0742233934

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2016年5月24日 (火)

コスモス寺花だより 5・24

〔花ごよみ〕

〇初夏咲コスモス:≪見ごろ≫「美色コスモス」という種類は早くも〈見ごろ〉を迎えようとしています。背丈は一㍍足らずの小ぶりの株ですが、花数は多く、群集していると見栄えがします。他の種類は〈咲きはじめ〉。

見頃は6月初~7月初旬。5万本。

〇桜うつぎ:≪見ごろ≫

〇山アジサイ:≪咲きはじめ≫

〇あじさい:≪つぼみ≫

〇ヒツジ草:≪咲きはじめ≫睡蓮の原生種、日本の沼地に自生するが、絶滅が危惧されている珍しい水草。当寺では70年前から水鉢で栽培されてきた。

〔俳句〕

「人の世の 銭にされけり 苔清水」一茶

訳: 俗世間では銭を稼ぐ手立てにされてしまったよ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて

       おほきほとけは あまたらしたり」

(おおらかにもろ手の指を開かせて 大き仏は天足らしたり)

・あまたらす=天一杯に充満しておられる。

〈新薬師寺の金堂にて〉

「たびびとに ひらくみだうの しとみより

       めきらがたちに あさひさしたり、」

(旅人に開く御堂の蔀より 迷企羅が太刀に朝日射したり)

・迷企羅=薬師十二神将の一つ。武装し、忿怒の姿をとる。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》752

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

 

◆このほか道場荘厳(どうじょうしょうごん①)など法会の作法は、綱維の奉行(ぶぎょう②)とするべし。朝粥中食など世間の料理は、知事(ちじ③)の沙汰(さた④)とするべし。但だこの法式(ほっしき⑤)を置くは、大概(たいがい⑥)を存せしめんがため也。しかれば則ち、あながちに綱維の奉行というなかれ。事に依りて相助く。偏に知事の沙汰という勿れ。臨時に相議し、三人ともに乳水(にゅうすい⑦)の思いを成す。一会の無為(むい⑧)は成就せしむべきもの也。

 

 道場荘厳=光明真言堂の法会道場。曼荼羅、祖師像などの画幅、大壇上の舎利塔、密教法具、幢幡、華鬘などの荘厳法具。

 奉行=仏の教えを奉じ、それを実践すること。

 知事=寺院の雑事や庶務をつかさどるもの。

 沙汰=決裁されたことについての指令、指図、命令。

 法式=法会などを行うその作法と儀式。

 大概=大部分。

 乳水=乳と水が混じれば、区別ができないほど溶け合う状態。

 無為=平穏無事であること。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

●七十七歳永仁元 異国降伏院宣下 四月上洛到八幡 尊勝神呪七昼夜

〔七十七歳、永仁元(①)。異国降伏(いこくこうふく②)の院宣(いんぜん③)くだる。四月上洛して八幡(はちまん④)に到り、尊勝神呪(そんしょうじんじゅ⑤)を七昼夜。〕 

 

 永仁元=西暦一二九三年。

 異国降伏=元(蒙古)が三たび来襲したらば、降伏せんとの。

 院宣=上皇や法皇の仰せをうけて院司の一人が奉者となって書かれる奉書の一種。院の宣旨。

 八幡=石清水八幡宮。

 尊勝神呪=仏頂尊勝陀羅尼。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

*奈良歴史文化講演会のご案内

奈良にもあった平安文化

中川寺成身院を学ぶ―まぼろしの平安密教寺院中川寺成身院とは ⁉

講師:冨島義幸先生(京都大学大学院工学研究科准教授・日本建築史)

演題:中川寺成身院の仏教空間とその意義

日時:平成28618日(土)午後130分~330

会場:奈良市手貝町会議所・東大寺転害門北100

聴講:無料。収容定員80人(先着順)。

主催:中川寺成身院を学ぶ会

問い合わせ:般若寺 ℡0742226287 

奈良歴史遺産市民ネットワーク ℡0742233934

 

 

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2016年5月23日 (月)

コスモス寺花だより 5・23

〔花ごよみ〕

〇初夏咲コスモス:≪咲きはじめ≫「美色コスモス」という種類は早くも〈見ごろ〉を迎えようとしています。背丈は80センチほどの小ぶりの株ですが、花数は多く、群集していると見栄えがします。他の種類は〈咲きはじめ〉。

見頃は6月初~7月初旬。5万本。

〇桜うつぎ:≪見ごろ≫

〇山アジサイ:≪咲きはじめ≫

〇あじさい:≪つぼみ≫

 

〔俳句〕

「つつじから 出てつつじの 清水哉」一茶

訳: つつじの根元から出て、つつじの根元に戻って行く清水よ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて

       おほきほとけは あまたらしたり」

(おおらかにもろ手の指を開かせて 大き仏は天足らしたり)

・あまたらす=天一杯に充満しておられる。

〈新薬師寺の金堂にて〉

「たびびとに ひらくみだうの しとみより

       めきらがたちに あさひさしたり、」

(旅人に開く御堂の蔀より 迷企羅が太刀に朝日射したり)

・迷企羅=薬師十二神将の一つ。武装し、忿怒の姿をとる。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

(休)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

●七十五歳同四年 始結戒壇行別受 両度四日六十人

〔七十五歳、同四年(①)。始めて戒壇(かいだん②)を結び別受(べつじゅ③)を行う。両度して四日(④)、六十人。〕

 

 同四年=正応四年(一二九一)。

 戒壇=戒を授受する式場として高く築かれた壇のこと。戒壇堂。極楽寺絵図では金堂の東、極楽寺川沿いに描かれている。

 別受=大乗菩薩戒の三聚浄戒のうち摂律儀戒(四分律にもとずく比丘二百五十戒)を別して授けること。

 両度四日=一日に二回。四日では八回。

 

●七十六歳正応五 興正菩薩第三回 上洛供養四王堂 勧惟(帷ヵ)千領施諸僧

〔七十六歳、正応五(①)。興正菩薩第三回(②)。上洛して四王堂(しおうどう③)にて供養す。帷千領(かたびらせんりょう④)を勧めて諸僧に施す。〕

 

 正応五=西暦一二九二年。

 興正菩薩第三回=忍性師の本師である叡尊興正菩薩の第三回忌に当たる。

 四王堂=西大寺の創建時に造られた四天王像を始め長谷式十一面観音を本尊とする。叡尊師が西大寺へ入寺されたときに最初に法要を勤められたお堂。

 帷千領=帷子は絹の布を言うが、絹は不殺生戒に反するので、ここは麻布で仕立てた夏用の単衣(ひとえぎぬ)。領は衣服を数える語。千領は千そろいの単衣。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

*奈良歴史文化講演会のご案内

奈良にもあった平安文化

中川寺成身院を学ぶ―まぼろしの平安密教寺院中川寺成身院とは ⁉

講師:冨島義幸先生(京都大学大学院工学研究科准教授・日本建築史)

演題:中川寺成身院の仏教空間とその意義

日時:平成28618日(土)午後130分~330

会場:奈良市手貝町会議所・東大寺転害門北100

聴講:無料。収容定員80人(先着順)。

主催:中川寺成身院を学ぶ会

問い合わせ:般若寺 ℡0742226287 

奈良歴史遺産市民ネットワーク ℡0742233934

 

 

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2016年5月22日 (日)

コスモス寺花だより 5・22

〔花ごよみ〕

〇初夏咲コスモス:≪咲きはじめ≫「美色コスモス」という種類は早くも〈見ごろ〉を迎えようとしています。背丈は80センチほどの小ぶりの株ですが、花数は多く、群集していると見栄えがします。他の種類は〈咲きはじめ〉。

見頃は6月初~7月初旬。5万本。

〇桜うつぎ:≪見ごろ≫

〇山アジサイ:≪咲きはじめ≫

〇あじさい:≪つぼみ≫

 

〔俳句〕

「姨捨(をばすて)の くらき中より 清水かな」一茶

訳: 姨捨山の暗いなかからきよらかに涌き出る清水よ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて

       おほきほとけは あまたらしたり」

(おおらかにもろ手の指を開かせて 大き仏は天足らしたり)

・あまたらす=天一杯に充満しておられる。

〈新薬師寺の金堂にて〉

「たびびとに ひらくみだうの しとみより

       めきらがたちに あさひさしたり、」

(旅人に開く御堂の蔀より 迷企羅が太刀に朝日射したり)

・迷企羅=薬師十二神将の一つ。武装し、忿怒の姿をとる。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》751

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

 

◆然れば則ち油の分斉(ぶんざい①)を撿知し、綱維(こうい②)に談議し、灯明の多少を相計るべし。兼ねてまた、今の式文の内、別して定時節に書き出だし、道場内の非法を誡む。諸衆の三段を策励(さくれい③)し、諸衆群集の時、室室の依止(えじ④)、寺寺の衆首(しゅうしゅ⑤)に授くべし。これ則ち面々をして所摂の衆を集めしめんがため、一々の講式文の趣、勤行に於いては慇懃に策励を増し、非法に於いては未然に柄誡(へいかい⑥)を加うるなり。

 

 分斉=与えられた内容。程度。

 綱維=寺で一般の僧を監督、指導する僧。法会を取り仕切る僧。都維那。

 策励=はげますこと。

 依止=よりどころ。僧坊の室々の長。

 衆首=一寺の長、長老。

 柄誡=柄は炳の誤り。炳誡はあきらかないましめ。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

●七十二歳正応元 八月上洛謁本師 興正菩薩為闍梨 九月十九受灌頂

〔七十二歳、正応元(しょうおうがん①)、八月に上洛し本師(ほんし②)に謁(えっ③)す。興正菩薩を闍梨(じゃり④)となし、九月十九、灌頂(かんじょう⑤)を受く。〕

 

 正応元=西暦一二八八年。

 本師=出家得道、授戒の師僧。

 謁=まみえる。拝謁。

 闍梨=阿闍梨。

 灌頂=伝法灌頂。真言密教における最高の奥義を授ける儀式。この灌頂を経て阿闍梨となる。

 

●正応已後十二年 初受重受比丘戒 二千六百八十人 三十九年則不記

〔正応已後(しょうおういご①)の十二年に、初受と重受(しょじゅとじゅうじゅ②)の比丘戒は二千六百八十人。三十九年(④)は則ち記さず。〕

 

 正応已後=西暦一二八八年から一三〇〇年(正安二年)までの十二年間。

 初受重受=比丘の守るべき戒である具足戒、二百五十戒。始めての受戒と重ねての受戒。

 三十九年=極楽寺では三十七年、三村寺での二年を加えて三十九年間。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

*奈良歴史文化講演会のご案内

奈良にもあった平安文化

中川寺成身院を学ぶ―まぼろしの平安密教寺院中川寺成身院とは ⁉

講師:冨島義幸先生(京都大学大学院工学研究科准教授・日本建築史)

演題:中川寺成身院の仏教空間とその意義

日時:平成28618日(土)午後130分~330

会場:奈良市手貝町会議所・東大寺転害門北100

聴講:無料。収容定員80人(先着順)。

主催:中川寺成身院を学ぶ会

問い合わせ:般若寺 ℡0742226287 

奈良歴史遺産市民ネットワーク ℡0742233934

 

 

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2016年5月21日 (土)

コスモス寺花だより 5・21

〔花ごよみ〕

〇初夏咲コスモス:≪咲きはじめ≫「美色コスモス」という種類は早くも見ごろを迎えようとしています。全体としては咲きはじめ。

見頃は6月初~7月初旬。5万本。

〇桜うつぎ:≪見ごろ≫

〇山アジサイ:≪咲きはじめ≫

〇あじさい:≪つぼみ≫

 

〔俳句〕

「夕飯の 膳の際(きは)より 青田哉」一茶

訳:夕飯の膳の端に青田が見えるなあ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて

       おほきほとけは あまたらしたり」

(おおらかにもろ手の指を開かせて 大き仏は天足らしたり)

・あまたらす=天一杯に充満しておられる。

〈新薬師寺の金堂にて〉

「たびびとに ひらくみだうの しとみより

       めきらがたちに あさひさしたり、」

(旅人に開く御堂の蔀より 迷企羅が太刀に朝日射したり)

・迷企羅=薬師十二神将の一つ。武装し、忿怒の姿をとる。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》750

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

 

◆一、行法(ぎょうぼう①)前後の行事(ぎょうじ②)に用意すべき条々の事

右、行事に当たるの人は、先ず今の式文(しきぶん③)を解了し、その雅趣(がしゅ④)を守り沙汰を致すべき也。所謂、若し亡者あれば過去帳を開き之を注載し、兼ねて檀越あればその約諾(やくだく⑤)に任せ之を記し置く。また、九月四日をもって定日と為すと雖も、若し延捉(えんそく⑥)あらば子細を諸寺に相触れるべし。また、期日相近ければ土砂(どしゃ⑦)以下のこと、兼ねて之を用意すべし。度を越さしむる勿れ。また、勤行の間、道場以下処々の灯明は、寺々の僧衆面々の奉加なり。

 

 行法=密教の修法。ここでは光明真言法。

 行事=恒例の法会

 式文=一定の作法のある行事、儀式の文章。

 雅趣=風雅なおもむき。

 約諾=誓約して承諾すること。

 延捉=延長すること。

 土砂=光明真言で加持される砂。滅罪と往生がかなうとされる。

(つづく) 

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

●金堂供養同十年 八月九日真言供

〔金堂を供養(くよう①)す、同十年(②)。八月九日真言供(しんごんく③)なり。〕

 

 金堂供養=建治元年(一二七五)に焼亡した伽藍の中心になるお堂が再建され、落慶供養がなされた。

 同十年=弘安十年(一二八七)。

 真言供=おそらく光明真言供養であろう。

 

●桑谷病屋同十年 不択親疎病者集 和尚恒臨致問訊

〔桑ヶ谷病屋(くわがやつびょうおく①)、同十年(②)。親疎(しんそ③)をえらばず病者を集む。和尚(わじょう④)は恒に臨んで問訊(もんじん⑤)を致す。〕

 

 桑ヶ谷病屋=桑ヶ谷は極楽寺の東方に隣接する谷である。ここで病院活動をして二十年間に四万六千八百人の患者が治ったという。執権北条時宗は治療活動の費用に高知県の大忍荘(おおさとのしょう)を寄進した。

 同十年=弘安十年(一二八七)

 親疎=親しい人と親しくない人。

 和尚=一般に高徳の僧を言うが、律宗では戒和尚(かいわじょう)をさし、ここは忍性長老のこと。

 問訊=敬礼してききただすこと。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

*奈良歴史文化講演会のご案内

奈良にもあった平安文化

中川寺成身院を学ぶ―まぼろしの平安密教寺院中川寺成身院とは ⁉

講師:冨島義幸先生(京都大学大学院工学研究科准教授・日本建築史)

演題:中川寺成身院の仏教空間とその意義

日時:平成28618日(土)午後130分~330

会場:奈良市手貝町会議所・東大寺転害門北100

聴講:無料。収容定員80人(先着順)。

主催:中川寺成身院を学ぶ会

問い合わせ:般若寺 ℡0742226287 

奈良歴史遺産市民ネットワーク ℡0742233934

 

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2016年5月20日 (金)

コスモス寺花だより 5・20

 

〔花ごよみ〕

〇初夏咲コスモス:≪咲きはじめ≫「美色コスモス」という種類は早くも見ごろを迎えようとしています。全体としては咲きはじめ。

見頃は6月初~7月初旬。5万本。

〇定家かづら:≪満開≫樹木にまといついた常緑の蔓。芳しい香りを漂わせている。花の名は定家と式子内親王の物語に由来する。

〇醉かづら:≪満開≫蔓に黄色(金花)と白色(銀花)の花を咲かす。芳香を放つ。

〇梅花うつぎ:≪満開≫卯の花・空木の一種。梅に似た白い四弁の花を咲かせる。よい香り。

〇桜うつぎ:≪見ごろ≫

〇山アジサイ:≪咲きはじめ≫

〇あじさい:≪つぼみ≫

 

〔俳句〕

「背戸の不二 青田の風の 吹過る」一茶

訳:背戸の富士山に青田の風が吹きすぎて行く。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて

       おほきほとけは あまたらしたり」

(おおらかにもろ手の指を開かせて 大き仏は天足らしたり)

・あまたらす=天一杯に充満しておられる。

〈新薬師寺の金堂にて〉

「たびびとに ひらくみだうの しとみより

       めきらがたちに あさひさしたり、」

(旅人に開く御堂の蔀より 迷企羅が太刀に朝日射したり)

・迷企羅=薬師十二神将の一つ。武装し、忿怒の姿をとる。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

(休)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

●同年補任二階堂 五大堂大仏別当

〔同年(①)、二階堂(にかいどう②)、五大堂(ごだいどう③)、大仏(だいぶつ④)別当(べっとう⑤)に補任せらる。〕

 

 同年=弘安七年(一二八二)

 二階堂=鎌倉、永福寺。源頼朝が奥州合戦の使者を弔うため、一一九二年に建てた寺。一四〇五年に火災に遭い、以後廃絶した。

 五大堂=鎌倉、五大堂明王院。五大明王をまつる。一二三五年に鎌倉幕府四代将軍頼経が建てた。

 大仏=鎌倉大仏。鎌倉市長谷の高徳院。一二三八年~一二四七年ごろ僧浄綱光が木造で造り、一二五二年現存の

 別当=僧官の一つ。東大寺・興福寺・仁和寺・四天王寺などの大寺に置かれ、三綱の上位にあり、一山の寺務を総裁したもの。また、その人。

 

●生年七十同九年 始奉祈雨御教書 請雨止雨二十余 毎度無不施効験

〔生年七十、同九年(①)。始めて祈雨の御教書(きうのみぎょうしょ②)を奉る。雨を請(こ)うこと、雨を止(とど)めること二十余。毎度、効験(こうけん③)を施さざるは無し〕

 

 同九年=弘安九年(一二八六)

 祈雨の御教書=雨乞いの修法を命じる将軍の公文書。

 効験=結果が現れること。ききめ。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

*奈良歴史文化講演会のご案内

奈良にもあった平安文化

中川寺成身院を学ぶ―まぼろしの平安密教寺院中川寺成身院とは ⁉

講師:冨島義幸先生(京都大学大学院工学研究科准教授・日本建築史)

演題:中川寺成身院の仏教空間とその意義

日時:平成28618日(土)午後130分~330

会場:奈良市手貝町会議所・東大寺転害門北100

聴講:無料。収容定員80人(先着順)。

主催:中川寺成身院を学ぶ会

問い合わせ:般若寺 ℡0742226287 

奈良歴史遺産市民ネットワーク ℡0742233934

 

 

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2016年5月19日 (木)

コスモス寺花だより 5・19

〔花ごよみ〕

〇初夏咲コスモス:≪咲きはじめ≫「美色コスモス」という種類は早くも見ごろを迎えようとしています。全体としては咲きはじめ。

見頃は6月初~7月初旬。3万本。

〇定家かづら:≪満開≫樹木にまといついた常緑の蔓。芳しい香りを漂わせている。花の名は定家と式子内親王の物語に由来する。

〇醉かづら:≪満開≫蔓に黄色(金花)と白色(銀花)の花を咲かす。芳香を放つ。

〇梅花うつぎ:≪満開≫卯の花・空木の一種。梅に似た白い四弁の花を咲かせる。よい香り。

〇桜うつぎ:≪見ごろ≫

〇山アジサイ:≪咲きはじめ≫黒姫あじさい等。

〇あじさい:≪つぼみ≫

 

〔俳句〕

「父ありて 明ぼの見たし 青田原」一茶

訳:父が生きていらして、一緒にあけぼのの空を見たいものだ。眼前には父が残してくれた青田原が広がっている。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて

       おほきほとけは あまたらしたり」

(おおらかにもろ手の指を開かせて 大き仏は天足らしたり)

・あまたらす=天一杯に充満しておられる。

〈新薬師寺の金堂にて〉

「たびびとに ひらくみだうの しとみより

       めきらがたちに あさひさしたり、」

(旅人に開く御堂の蔀より 迷企羅が太刀に朝日射したり)

・迷企羅=薬師十二神将の一つ。武装し、忿怒の姿をとる。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》749

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

◆一、今年の会合を以って次に明年の行事を差定(さじょう①)すべき事

右、結願の後、衆会を成し、一人を差し年中に限る。勤行の間の大小事を料理(りょうり②)せしむべき事。当にその次の仁は、さらに辞遁(じとん③)を致すことなかれ。

 

 差定=法要の配役などを記して各人に通知し、その承認を求めること。

 料理=物事を整えおさめること。うまく処理すること。

辞遁=ことわりのがれること。

(つづく) 

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

●六十五歳同四年 御教書下祈異国 七夜不断四王呪 稲村百座仁王講 三千余艘悉退散

〔六十五歳、同四年(①)。御教書(みきょうしょ②)下り、異国(いこく③)を祈る。七夜不断に四王の呪(しおうのじゅ④)。稲村(いなむら⑤)にては百座の仁王講(にんのうこう⑥)。三千余艘(さんぜんよそう⑦)ことごとく退散す。〕

 

 同四年=弘安四年(一二八一)

 御教書=「みぎょうしょ」「みきょうじょ」とも。関東御教書。幕府の執権が将軍の名によって発給する公文書。

 異国=二度目の蒙古襲来。弘安の役。

 四王の呪=四天王の真言。持国天、増長天、広目天、多聞天(毘沙門天)

 稲村=鎌倉市の海岸にあり、由比ヶ浜と七里ヶ浜を別ける岬。極楽寺に近いところにある。

 仁王講=仁王経を講讃する法会。仁王経には、この経を受持講説すれば七難起こらず、災害生ぜず万民豊楽なりと説く。護国三部経の一つとされる。

 三千余艘=東路軍(モンゴル人、高麗人)九百艘四万人と江南軍(中国人)三千五百艘十万人であった。

 

●六十七歳同六年 疫癘満国人民卒 和上悲愍集門前 毎日僧徒加療養

〔六十七歳、同六年(①)。疫癘(えきれい②)が国に満ち、人民卒(そつ③)す。和上(わじょう④)、悲愍(ひみん⑤)して門前に集め、毎日僧徒をして療養を加えしむ。〕

 

 同六年=弘安六年(一二八一)。

 疫癘=悪性の流行病。疫病。

 卒=死ぬこと。

 和上=高徳の僧。律宗では僧伽を統べる長老をさし、ここでは忍性長老。

 悲愍=かなしみあわれむ。

 

●六十八歳弘安七 祈雨斎戒満六千 度々請雨勧斎戒 一々莫不降大雨

〔六十八歳、弘安七(①)。雨を祈るために斎戒(さいかい②)は六千に満つ。たびたび雨を請い、斎戒を勧む。いちいちに大雨を降らさざることなし〕

 

 弘安七=西暦一二八二年。

 斎戒=八斎戒を授ける。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

*奈良歴史文化講演会のご案内

奈良にもあった平安文化

中川寺成身院を学ぶ―まぼろしの平安密教寺院中川寺成身院とは ⁉

講師:冨島義幸先生(京都大学大学院工学研究科准教授・日本建築史)

演題:中川寺成身院の仏教空間とその意義

日時:平成28618日(土)午後130分~330

会場:奈良市手貝町会議所・東大寺転害門北100

聴講:無料。収容定員80人(先着順)。

主催:中川寺成身院を学ぶ会

問い合わせ:般若寺 ℡0742226287 

奈良歴史遺産市民ネットワーク ℡0742233934

 

 

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2016年5月18日 (水)

コスモス寺花だより 5・18

〔花ごよみ〕

〇初夏咲コスモス:≪咲きはじめ≫「美色コスモス」という種類は早くも見ごろを迎えようとしています。全体としては咲きはじめ。

見頃は6月初~7月初旬。3万本。

〇定家かづら:≪満開≫樹木にまといついた常緑の蔓。芳しい香りを漂わせている。花の名は定家と式子内親王の物語に由来する。

〇醉かづら:≪満開≫蔓に黄色(金花)と白色(銀花)の花を咲かす。芳香を放つ。

〇梅花うつぎ:≪満開≫空木の一種、梅に似た白い四弁の花を咲かせる。

〇桜うつぎ:≪見ごろ≫

〇山アジサイ:≪つぼみ≫

 

〔俳句〕

「大猫の 尻尾(しっぽ)でなぶる 小てふ哉」一茶

訳:大きな猫の尻尾で、からかわれている小さな蝶よ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて

       おほきほとけは あまたらしたり」

(おおらかにもろ手の指を開かせて 大き仏は天足らしたり)

・あまたらす=天一杯に充満しておられる。

〈新薬師寺の金堂にて〉

「たびびとに ひらくみだうの しとみより

       めきらがたちに あさひさしたり、」

(旅人に開く御堂の蔀より 迷企羅が太刀に朝日射したり)

・迷企羅=薬師十二神将の一つ。武装し、忿怒の姿をとる。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》748

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

◆惣じてこれを云うは、僧中の法則はよろしく穏便を先となすべし。しかれば則ち七箇日の間、長時の念誦は鎮めに地声を用いる。若し心を励まさんと欲するの時は、よろしく中音を交え、軽(かるがる)しく高声を出だすこと勿れ。もし猛く信心発起の人を利せんとするならば、忽然として高声を出だすと雖も、変色損顔(へんしょくそんがん①)して叫喚に及ばざれ。また同心の人有れば、四五人助音す。衆を挙げて之を学ぶことを得ざれ。

 

変色損顔=顔色を変えたり、形相を変えること。

(つづく) 

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

●五十九歳建治元 陽春三月二十三 当寺炎上堂舎滅

〔五十九歳、建治元(けんじがん①)。陽春(ようしゅん②)三月二十三、当寺炎上し堂舎滅す。〕

 建治元=建治元年(西暦一二七五)

②陽春=陽気の満ちた暖かな春。

 

●塔婆建立同二年 文殊告夢成合力

〔塔婆(とうば①)を建立す、同二年(②)。文殊夢に告げ合力(ごうりき③)を成す。〕

 

 塔婆=卒塔婆。極楽寺絵図では金塔、鉄塔の外に多宝塔らしき二重塔が描かれている。詳細は不明。

 同二年=建治二年(一二七六)。

 合力=文殊菩薩が伽藍の再建に協力したという。

 

●舞楽供養弘安元 霊神感夢結縁人 皆生浄土悟無上

〔舞楽にて供養(ぶがくくよう①)する、弘安元。霊神(れいしん②)を夢に感じ、結縁する人みな浄土に生まれ無上(むじょう③)を悟る。〕

 

 舞楽供養=塔婆の完成を祝い、舞楽(舞を伴う雅楽)をもって仏を供養すること

 霊神=〈れいじん〉とも。霊験あらたかな神。

 無上=無上菩提。この上ないさとり。

 

●自建治三至弘安 文殊二鋪毎月啚 二十五日与緇素

〔建治三より弘安に至る(①)まで、文殊二鋪(にほ②)を毎月図(えが)き、二十五日に緇素(しそ③)に与う。〕

 

 建治三より弘安に至る=建治四年(一二七八)は弘安元年に改まり、十年まである。何年までかは不明であるが、もし十年までとすると、百三十二か月あり二百六十四幅を描かれたことになる。

 文殊二鋪=文殊菩薩の画像二幅。

 緇素=黒白。道俗、出家と在家。

 

●六十二歳弘安元 椎尾山頂建宝塔 掘出礎石数十六

〔六十二歳、弘安元(①)。椎尾山(しいおさん②)の頂に宝塔(ほうとう③)を建つ。堀出だせし礎石(そせき④)の数、十六。〕 

 

 弘安元=西暦一二七八年。

 椎尾山=茨城県の筑波山系の一峰。山頂に天台宗薬王院がある。

 宝塔=どのような形式の塔婆かは不明だが、おそらく石塔であろう。

 礎石=何らかの建物跡(寺院跡)の礎石。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

*奈良歴史文化講演会のご案内

奈良にもあった平安文化

中川寺成身院を学ぶ―まぼろしの平安密教寺院中川寺成身院とは ⁉

講師:冨島義幸先生(京都大学大学院工学研究科准教授・日本建築史)

演題:中川寺成身院の仏教空間とその意義

日時:平成28618日(土)午後130分~330

会場:奈良市手貝町会議所・東大寺転害門北100

聴講:無料。収容定員80人(先着順)。

主催:中川寺成身院を学ぶ会

問い合わせ:般若寺 ℡0742226287 

奈良歴史遺産市民ネットワーク ℡0742233934

 

 

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2016年5月17日 (火)

コスモス寺花だより 5・17

〔花ごよみ〕

〇初夏咲コスモス:≪咲きはじめ≫草丈はまだ低いが、花はちらほら咲き出している。

見頃は6月初~7月初旬。3万本。

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫矢車草は青色、紫色。花菱草は黄色、橙色。

〇てっせん、グラジオラス:≪見ごろ≫

〇定家かづら:≪満開≫樹木にまといついた常緑の蔓。芳しい香りを漂わせている。花の名は定家と式子内親王の物語に由来する。

〇醉かづら:≪満開≫蔓に黄色(金花)と白色(銀花)の花を咲かす。芳香を放つ。

〇梅花うつぎ:≪満開≫空木の一種、梅に似た白い四弁の花を咲かせる。

〇山アジサイ:≪つぼみ≫

 

〔俳句〕

「神垣や 白い花には 白い蝶」一茶

訳:神社の垣根のすがすがしさよ。そこに咲く白い花には白い蝶。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて

       おほきほとけは あまたらしたり」

(おおらかにもろ手の指を開かせて 大き仏は天足らしたり)

・あまたらす=天一杯に充満しておられる。

〈新薬師寺の金堂にて〉

「たびびとに ひらくみだうの しとみより

       めきらがたちに あさひさしたり、」

(旅人に開く御堂の蔀より 迷企羅が太刀に朝日射したり)

・迷企羅=薬師十二神将の一つ。武装し、忿怒の姿をとる。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》747

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

◆惣じてこれを云うは、僧中の法則はよろしく穏便を先となすべし。しかれば則ち七箇日の間、長時の念誦は鎮めに地声を用いる。若し心を励まさんと欲するの時は、よろしく中音を交え、軽(かるがる)しく高声を出だすこと勿れ。もし猛く信心発起の人を利せんとするならば、忽然として高声を出だすと雖も、変色損顔(へんしょくそんがん①)して叫喚に及ばざれ。また同心の人有れば、四五人助音す。衆を挙げて之を学ぶことを得ざれ。

 

変色損顔=顔色を変えたり、形相を変えること。

(つづく) 

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

●五十九歳建治元 陽春三月二十三 当寺炎上堂舎滅

〔五十九歳、建治元(けんじがん①)。陽春(ようしゅん②)三月二十三、当寺炎上し堂舎滅す。〕

 建治元=建治元年(西暦一二七五)

②陽春=陽気の満ちた暖かな春。

 

●塔婆建立同二年 文殊告夢成合力

〔塔婆(とうば①)を建立す、同二年(②)。文殊夢に告げ合力(ごうりき③)を成す。〕

 

 塔婆=卒塔婆。極楽寺絵図では金塔、鉄塔の外に多宝塔らしき二重塔が描かれている。詳細は不明。

 同二年=建治二年(一二七六)。

 合力=文殊菩薩が伽藍の再建に協力したという。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

*奈良歴史文化講演会のご案内

奈良にもあった平安文化

中川寺成身院を学ぶ―まぼろしの平安密教寺院中川寺成身院とは ⁉

講師:冨島義幸先生(京都大学大学院工学研究科准教授・日本建築史)

演題:中川寺成身院の仏教空間とその意義

日時:平成28618日(土)午後130分~330

会場:奈良市手貝町会議所・東大寺転害門北100

聴講:無料。収容定員80人(先着順)。

主催:中川寺成身院を学ぶ会

問い合わせ:般若寺 ℡0742226287 

奈良歴史遺産市民ネットワーク ℡0742233934

 

 

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2016年5月16日 (月)

コスモス寺花だより 5・16

〔花ごよみ〕

〇初夏咲コスモス:≪咲きはじめ≫草丈はまだ低いが、花はちらほら咲き出している。

見頃は6月初~7月初旬。3万本。

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫矢車草は青色、紫色。花菱草は黄色、橙色。

〇てっせん、グラジオラス:≪見ごろ≫

〇定家かづら:≪満開≫樹木にまといついた常緑の蔓。芳しい香りを漂わせている。花の名は定家と式子内親王の物語に由来する。

〇醉かづら:≪満開≫蔓に黄色(金花)と白色(銀花)の花を咲かす。芳香を放つ。

〇梅花うつぎ:≪満開≫空木の一種、梅に似た白い四弁の花を咲かせる。

〇山アジサイ:≪つぼみ≫

 

〔俳句〕

「此(この)方が 善光寺とや 蝶のとぶ」一茶

訳:こちらの方角が善光寺なのだろうか。蝶々が導くように飛んで行く。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて

       おほきほとけは あまたらしたり」

(おおらかにもろ手の指を開かせて 大き仏は天足らしたり)

・あまたらす=天一杯に充満しておられる。

〈新薬師寺の金堂にて〉

「たびびとに ひらくみだうの しとみより

       めきらがたちに あさひさしたり、」

(旅人に開く御堂の蔀より 迷企羅が太刀に朝日射したり)

・迷企羅=薬師十二神将の一つ。武装し、忿怒の姿をとる。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》746

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

◆之に依り、且つは前事に課し、且つは後非を顧み、殊には定置する所を制禁するなり。

先ずは道場内に於いて、頭を合せ私語し、歯を露わにして戯笑すべからず。所詮は神呪を誦するに非ざるにより、輙(すなわ)ち余言を出だすことなかれ。但だ、要言に於いては制の限りに非ず。〔是れ一〕

次に、互いに音声の高下を調(ととの)え、ともに調子の緩急を計(はか)り、和合して之を勤めよ。参差(しんし①)することを得ざれ。〔是れ二〕

また皆集会ならびに当番行道の時、きわめて老いたる僧の所労(しょろう②)を現わすのほかは、すなわち着座すべからず。〔是れ三〕

 

 参差=高さ長さがそろわないこと。

 所労=つかれ。病気。

(つづく) 

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

●五十六歳同九年 立十種願利群生

〔五十六歳、同九年(①)。十種の願(じゅっしゅのがん②)を立て群生(ぐんじょう③)を利(り④)す。〕

 

 同九年=西暦一二七二年。

 十種の願=十種の誓願文。㈠、力の堪ゆるところに随って三宝を紹隆すること。㈡、三時の勤行、二時の談義ならびに二時等の出仕などを怠らないこと。

㈢、三衣一鉢は遊行の時も必ず自らこれを持つこと。㈣、病気でない限り輿や馬に乗らないこと。㈤、特定の檀那の別請を受けないこと。㈥、孤独、貧窮、乞食人、いざりや牛馬の路頭に捨てられたものにも、憐れみをかけること。㈦、嶮難(けんなん)には道を造り、水路には橋を渡し、水無きところに井を掘り、山野には薬草、樹木などを植えること。㈧、我に怨害をなし、毀謗(きぼう)を致す人にも善友の思いを為し、済度の方便とすること。㈨、点心を用いることは永くこれを禁じ、とくに調理に手間をかけた食物を断つこと。㈩、以上修する所の願行功徳に、もし勝利あらば、一分も我が身にとどめることなく、悉く十方界の衆生に施与すること。(この誓願文は仁和寺南勝院に伝来す。)

 群生=多くの人びと。衆生と同じ意。

 利=利益(りやく)すること。導く、すくうこと。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

*奈良歴史文化講演会のご案内

奈良にもあった平安文化

中川寺成身院を学ぶ―まぼろしの平安密教寺院中川寺成身院とは ⁉

講師:冨島義幸先生(京都大学大学院工学研究科准教授・日本建築史)

演題:中川寺成身院の仏教空間とその意義

日時:平成28618日(土)午後130分~330

会場:奈良市手貝町会議所・東大寺転害門北100

聴講:無料。収容定員80人(先着順)。

主催:中川寺成身院を学ぶ会

問い合わせ:般若寺 ℡0742226287 

奈良歴史遺産市民ネットワーク ℡0742233934

 

 

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2016年5月15日 (日)

コスモス寺花だより 5・15

〔花ごよみ〕

〇初夏咲コスモス:≪咲きはじめ≫草丈は5080センチとまだ低いが、花はちらほら咲き出している。

見頃は6月初~7月初旬。3万本。

〇矢車草、花菱草:≪満開≫矢車草は青色、紫色。花菱草は黄色、橙色。

〇てっせん:≪見ごろ≫

〇定家かづら:≪満開≫樹木にまといついた常緑の蔓。芳しい香りを漂わせている。

〇梅花うつぎ:≪満開≫空木の一種、梅に似た白い四弁の花を咲かせる。

〇山アジサイ:≪つぼみ≫

 

〔俳句〕

「手まくらや 蝶は毎日 来てくれる」一茶

訳:手枕で昼寝している気楽さとさびしさよ。蝶だけは毎日来てくれる。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて

       おほきほとけは あまたらしたり」

(おおらかにもろ手の指を開かせて 大き仏は天足らしたり)

・あまたらす=天一杯に充満しておられる。

〈新薬師寺の金堂にて〉

「たびびとに ひらくみだうの しとみより

       めきらがたちに あさひさしたり、」

(旅人に開く御堂の蔀より 迷企羅が太刀に朝日射したり)

・迷企羅=薬師十二神将の一つ。武装し、忿怒の姿をとる。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

(お休み)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

(お休み)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

*奈良歴史文化講演会のご案内

奈良にもあった平安文化

中川寺成身院を学ぶ―まぼろしの平安密教寺院中川寺成身院とは ⁉

講師:冨島義幸先生(京都大学大学院工学研究科准教授・日本建築史)

演題:中川寺成身院の仏教空間とその意義

日時:平成28618日(土)午後130分~330

会場:奈良市手貝町会議所・東大寺転害門北100

聴講:無料。収容定員80人(先着順)。

主催:中川寺成身院を学ぶ会

問い合わせ:般若寺 ℡0742226287 

奈良歴史遺産市民ネットワーク ℡0742233934

 

 

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2016年5月13日 (金)

コスモス寺花だより 5・13

〔花ごよみ〕

〇初夏咲コスモス:≪咲きはじめ≫草丈はまだ低いが、花はちらほら咲き出している。

見頃は6月初~7月初旬。3万本。

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫矢車草は青色、紫色。花菱草は黄色、橙色。

〇てっせん、グラジオラス:≪見ごろ≫

〇黄しょうぶ:≪見ごろ≫

〇梅花うつぎ:≪満開≫空木の一種、梅に似た白い四弁の花を咲かせる。

〇山アジサイ:≪つぼみ≫

 

〔俳句〕

「蝶とぶや しなののおくの 草履(ぞうり)道」一茶

訳:蝶が飛んでいるんだろうね。信濃の奥の草履道。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて

       おほきほとけは あまたらしたり」

(おおらかにもろ手の指を開かせて 大き仏は天足らしたり)

・あまたらす=天一杯に充満しておられる。

〈新薬師寺の金堂にて〉

「たびびとに ひらくみだうの しとみより

       めきらがたちに あさひさしたり、」

(旅人に開く御堂の蔀より 迷企羅が太刀に朝日射したり)

・迷企羅=薬師十二神将の一つ。武装し、忿怒の姿をとる。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》745

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

 

◆一 道場内に於いては殊に三業を慎み非法を防護すべき事

右、この行法は、すべからく本より説のごとし。衆等おのおの三業に誠を凝らし、一心に勤修せよ。そもそも勤行衆の内、初心の人、少年の輩、四儀は未だ法澤に染まざるの間 、挙動の誤りは人の謗りを招くこと有るか。 

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

*奈良歴史文化講演会のご案内

奈良にもあった平安文化

中川寺成身院を学ぶ―まぼろしの平安密教寺院中川寺成身院とは ⁉

講師:冨島義幸先生(京都大学大学院工学研究科准教授・日本建築史)

演題:中川寺成身院の仏教空間とその意義

日時:平成28618日(土)午後130分~330

会場:奈良市手貝町会議所・東大寺転害門北100

聴講:無料。収容定員80人(先着順)。

主催:中川寺成身院を学ぶ会

問い合わせ:般若寺 ℡0742226287 

奈良歴史遺産市民ネットワーク ℡0742233934

 

 

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2016年5月12日 (木)

コスモス寺花だより 5・12

〔花ごよみ〕

〇初夏咲コスモス:≪咲きはじめ≫草丈はまだ低いが、花はちらほら咲き出している。

見頃は6月初~7月初旬。3万本。

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫矢車草は青色、紫色。花菱草は黄色、橙色。

〇てっせん、グラジオラス:≪見ごろ≫

〇黄しょうぶ:≪見ごろ≫

〇梅花うつぎ:≪満開≫空木の一種、梅に似た白い四弁の花を咲かせる。

〇山アジサイ:≪つぼみ≫

 

〔俳句〕

「坐(座)とりけり 大蛙から 順順に」一茶

訳:居場所をとったなあ。大きな蛙から順順に。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて

       おほきほとけは あまたらしたり」

(おおらかにもろ手の指を開かせて 大き仏は天足らしたり)

・あまたらす=天一杯に充満しておられる。

〈新薬師寺の金堂にて〉

「たびびとに ひらくみだうの しとみより

       めきらがたちに あさひさしたり、」

(旅人に開く御堂の蔀より 迷企羅が太刀に朝日射したり)

・迷企羅=薬師十二神将の一つ。武装し、忿怒の姿をとる。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》744

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

 

◆一 七箇日の間、余事を抛(なげう)って一向に勤修すべき事

右、七箇日の間は、余念余事を交えず、自番他番を論ぜず、力の堪えるに随い一向に勤修するは、夫れ人倫にして誰か恩所無からん。而してこの時に若し報いずんば、さらにいずれの時を期すべきや。今は我れ、人を訪うといえども、明けて終りなば人我を訪うべし。我れ人を訪うことおろそかなれば、人また我を訪うことおろそかなり。しかれば則ち懶惰して睡眠することあれば、我が心を励まして慚愧すべし。終日竟夜(しゅうじつきょうや①)人の勧めるを待たずして競いて勤めるのみ。

 

 終日竟夜=一日中、夜通し。

◆一 七箇日の間、余事を抛(なげう)って一向に勤修すべき事

右、七箇日の間は、余念余事を交えず、自番他番を論ぜず、力の堪えるに随い一向に勤修するは、夫れ人倫にして誰か恩所無からん。而してこの時に若し報いずんば、さらにいずれの時を期すべきや。今は我れ、人を訪うといえども、明けて終りなば人我を訪うべし。我れ人を訪うことおろそかなれば、人また我を訪うことおろそかなり。しかれば則ち懶惰して睡眠することあれば、我が心を励まして慚愧すべし。終日竟夜(しゅうじつきょうや①)人の勧めるを待たずして競いて勤めるのみ。

 

 終日竟夜=一日中、夜通し。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

●一称一礼不為身 万行万善廻法界

〔一称一礼(いっしょういちらい①)するは身の為にあらず。万の行、万の善を法界(ほっかい②)に廻らす。〕

 

 一称一礼=一回となえるごとに一回礼拝する

 法界=法界は全世界。一切衆生。

 

●同年極月受灌頂 阿性上人観修寺

〔同年の極月(どうねんのごくげつ①)に灌頂(かんじょう②)を阿性上人(あしょうしょうにん③)に受く。勧修寺(かじゅうじ④)なり。〕

 

 同年極月=文永四年(一二六七)十二月。

 灌頂=伝法灌頂。

 阿性上人=阿性房覚宗(かくそう)。この時鎌倉へ下向していた。勧修寺流の大家。

 勧修寺=京都市山科区勧修寺仁王堂町にある真言宗の門跡寺。十二世紀前半に寛信(かんじん)により小野流の一つ勧修寺流が開かれた。

 

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

*奈良歴史文化講演会のご案内

奈良にもあった平安文化

中川寺成身院を学ぶ―まぼろしの平安密教寺院中川寺成身院とは ⁉

講師:冨島義幸先生(京都大学大学院工学研究科准教授・日本建築史)

演題:中川寺成身院の仏教空間とその意義

日時:平成28618日(土)午後130分~330

会場:奈良市手貝町会議所・東大寺転害門北100

聴講:無料。収容定員80人(先着順)。

主催:中川寺成身院を学ぶ会

問い合わせ:般若寺 ℡0742226287 

奈良歴史遺産市民ネットワーク ℡0742233934

 

 

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2016年5月11日 (水)

コスモス寺花だより 5・11

〔花ごよみ〕

〇初夏咲コスモス:≪咲きはじめ≫草丈はまだ低いが、花はちらほら咲き出している。

見頃は6月初~7月初旬。3万本。

〇矢車草、花菱草:≪見ごろ≫矢車草は青色、紫色。花菱草は黄色、橙色。

〇てっせん、グラジオラス:≪見ごろ≫

〇黄しょうぶ:≪見ごろ≫

〇梅花うつぎ:≪見ごろ≫空木の一種、梅に似た白い四弁の花を咲かせる。

〇山アジサイ:≪つぼみ≫

 

〔俳句〕

「夕不二に 手をかけて鳴 蛙哉」一茶

訳:夕方の富士山に手をかけて鳴いている蛙だねえ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて

       おほきほとけは あまたらしたり」

(おおらかにもろ手の指を開かせて 大き仏は天足らしたり)

・あまたらす=天一杯に充満しておられる。

〈新薬師寺の金堂にて〉

「たびびとに ひらくみだうの しとみより

       めきらがたちに あさひさしたり、」

(旅人に開く御堂の蔀より 迷企羅が太刀に朝日射したり)

・迷企羅=薬師十二神将の一つ。武装し、忿怒の姿をとる。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

『西大寺毎年七日七夜不断光明真言勤行式』

(さいだいじまいねんなぬかななよふだんこうみょうしんごんごんぎょうしき)

(お休みします)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

今年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)の製作が進行中です。そして奈良国立博物館では、菩薩が活動された鎌倉極楽寺から一山を挙げての『忍性展』(723日―919日)が行なわれます。般若寺としても、菩薩が若きころハンセン病者救済活動をされた地であることから、その業績や御遺徳を世に広めて行きたいと思っています。

 

『性公大徳譜』(しょうこうだいとくふ)鎌倉 極楽寺蔵

性公とは鎌倉時代、極楽寺長老として衆生済度の菩薩行に生涯をささげられた良観上人忍性菩薩(りょうかんしょうにんにんしょうぼさつ)のこと。忍性大徳一代の業績を年譜とする。作者は比丘澄名(ちょうみょう)、おそらく直弟子であろうと思われる。延慶三年(一三一〇)十月に完成したようで、忍性師の遷化(一三〇三)から七年目にあたり同時代の作といえる。文の体裁は七言を一句として二百五十句、文字数は全部で千七百五十字。比丘の具足戒、二百五十戒になぞらえる。忍性菩薩を知るための文献は師、叡尊興正菩薩に比して少なく、本年譜は貴重なもの。 

 

●釈迦三願舎利礼 十方諸仏及師僧 三時礼拝各三遍

〔釈迦三願(さんがん①)、舎利礼(しゃりらい②)を、十方諸仏及び師僧を三時に礼拝すること、各三遍す。〕

 

 釈迦三願=不詳。

 舎利礼=舎利礼文。仏舎利を礼讃する偈文。不空三蔵の作とされる。

 

●地蔵小呪幷宝号 八字文殊各千反 

〔地蔵小呪(じぞうのしょうじゅ①)、並びに宝号(ほうごう②)、八字文殊(はちじもんじゅ③)おのおの千反。〕

 

 地蔵小呪=地蔵菩薩真言。オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ

 宝号=南無地蔵大菩薩。

 八字文殊=真言は、オン・アク・ビ・ラ・ウン・キャ・シャ・ラク。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

*奈良歴史文化講演会のご案内

奈良にもあった平安文化

中川寺成身院を学ぶ―まぼろしの平安密教寺院中川寺成身院とは ⁉

講師:冨島義幸先生(京都大学大学院工学研究科准教授・日本建築史)

演題:中川寺成身院の仏教空間とその意義

日時:平成28618日(土)午後130分~330

会場:奈良市手貝町会議所・東大寺転害門北100

聴講:無料。収容定員80人(先着順)。