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2016年10月30日 (日)

コスモス寺花だより 10・30

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:《満開です》

 

秋は深まり、

古都奈良を彩るコスモスの花は満開になっています。

遅咲きの「大輪美色」も咲きそろい、今が最高の状態です。

開花が遅れた分、見ごろは11月まで続くでしょう。

 

「壺のコスモスもひらきました」山頭火

 

・花期:9月~11月 

・数と種類:15万本。20種類 

・駐車場:60台収容。

*今年は夜の行事(ライトアップ)はありません。

 

2016 般若寺に咲くコスモスのめずらしい種類

1.ダブルクリック:花はダリアか菊のような複弁で豪華。

赤は「ローズ・ボンボン」、白は「スノー・ホワイト」。

2.シーシェル:花弁が巻貝の貝がらのように筒状になる。

赤・白・ピンク。

3.サイケ:花芯から複弁が出ている。

4.オータムビューティ:大輪の花。遅咲きで10月から

咲き出す。赤・白・ピンク。

5.イエローガーデン:普通のコスモスなのにレモン

イエローの花。遅咲き種。

他に「イエローキャンパス」というシリーズもある。

6.ピコティ:花弁に赤やピンクの斑が入る。

「あかつき」ともいう。

(当寺では今年は20種類を植えています。)

 

〔俳句〕

「松島や 一こぶしづつ 秋の暮」一茶

訳:松島のことが思われるなあ。握りこぶし一つずつの秋の暮。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこえて さかるとも

       ゆめにしみえこ わかくさのやま」

(青丹よし奈良山越えて離るとも 夢にし見えこ若草の山

 

「ならやまの したはのくぬぎ いろにいでて

       ふるへのさとを おもひぞわがする」

(奈良山の下葉の椚色に出でて 古家の里を憶いぞ吾がする)

・ふるへ=古びた家。また、もとのすみか。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》784  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

【思圓上人度人行法結夏記】

(しえんしょうにんどにんぎょうぼうけつげのき)

 

◆【自文永四年八月朔日。至正応三年七月廿四日。一千四百五十三座六万七千五百五十二人。

首尾都合二千三百七十九座九万七千七百十人之内。出家五衆一千六百九十四人之内。比丘七百八十四人。比丘尼四百四十二人。式叉尼百人。沙弥二百五十人。沙弥尼百十八人。在家二衆九万六千十六人。】

 

〔文永四年八月朔日(①)より、正応三年七月廿四日(②)に至る、一千四百五十三座六万七千五百五十二人。

首尾都合(しゅびつごう③)二千三百七十九座九万七千七百十人之内。出家五衆(しゅっけごしゅう④)一千六百九十四人之内。比丘(びく⑤)七百八十四人。比丘尼(びくに⑥)四百四十二人。式叉尼(しきしゃに⑦)百人。沙弥(しゃみ⑧)二百五十人。沙弥尼(しゃみに⑨)百十八人。在家二衆(ざいけにしゅう⑩)九万六千十六人。〕

 

 文永四年八月朔日=般若寺の丈六文殊開眼供養が文永四年(一二六七)七月二十七日に終わり、翌月八月一日から新たに菩薩戒を授けた人数を数える。

 正応三年七月二十四日=興正菩薩御入滅の正応三年(一二九〇)の八月二十五日の一月前まで授戒が行なわれた。

 首尾都合=初めから終わりまでの合計。

 出家五衆=出家得道した五種類の僧と尼。

 比丘=出家して具足戒(二百五十戒)を受けた男性。

 比丘尼=出家して具足戒(三百五十戒)を受けた女性。

 式叉尼=式叉摩那。比丘尼となるための準備の修行をしている沙弥尼。十八歳から二十歳までの二年間に、不婬、不偸盗、不非時食、不飲酒の六法戒を守る。

 沙弥=十戒は受けているがまだ具足戒を受ける年齢に達していない、七歳から二十歳未満の男子の出家者。又は出家したばかりの男子の出家者。

 沙弥尼=出家して十戒は守ってはいるが、まだ具足戒を受けていない女性。やがて比丘尼となる入門修行の者。

 在家二衆=優婆塞(うばそく)と優婆夷(うばい)。在俗の男性信者と女性信者。三帰五戒を受ける。近住(ごんじゅう)男・女、近事(ごんじ)男・女と訳す。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

来年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(1217年生。後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県磯城郡三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)が製作されました。

横浜の金沢文庫では特別展『忍性菩薩‐関東興律七五〇年』(1028日~1218日)が開催されます。秘仏極楽寺釈迦如来像、称名寺釈迦如来像を始め国宝・忍性書状などが出展されます。

般若寺は、菩薩が若いころハンセン病者救済活動をされた地であり、その稀有の業績や御遺徳を世に広めて行きます。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

 

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