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2016年11月

2016年11月29日 (火)

コスモス寺花だより 11・29

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:《終わりました》

来年6月~7月には

3万本の「初夏咲コスモス」が咲きます。

 

水仙:≪咲きはじめ≫ちらほらと咲いています

花期・12月~2

    種類・一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも

        八重咲「チヤフルネス」

    株数・2万本

 

「真中の小さき黄色のさかづきに

    甘き香もれる水仙の花」木下利玄

 

〔俳句〕

「雁わやわや おれが噂を 致す哉」一茶

訳:雁がわいわいと鳴いている。おれの噂でもしているのだな。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「あまたたび このひろまへに めぐりきて

       たちたるわれぞ しるやみほとけ」

(数多度この広前に巡り来て 立ちたる我ぞ知るや御仏)

〈春日野にて〉

「こがくれて あらそふらしき さをしかの

       つののひびきに よはくだちつつ」

(木隠れて爭うらしきさ牡鹿の 角の響きに夜は降ちつつ)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》795

 

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩傳』  出元亨釈書明律篇

            (『元亨釈書』巻第十三明戒六)

*『元亨釈書』は三十巻からなる日本仏教の通史、一三二二年(元亨二年)成立。

臨済宗南禅寺の僧、虎関師錬(こかんしれん、一二七八~一三二六)の著。

 

◆【寛元三年。於泉州家原寺。又行別受法。此歳授法華寺文勁】

 

〔寛元三年(かんげんさんねん①)、泉州家原寺(えばらじ②)に於いて、また別受の法(べつじゅのほう③)を行ず。この歳、法華寺文篋(ぶんきょう④)に沙弥尼戒(しゃみにかい⑤)を授く。

建長元年(けんちょうがんねん⑥)、法華寺に於いて慈善(じぜん⑦)等に大比丘尼戒(だいびくにかい⑧)を授く。ここに至り、七衆(しちしゅう⑨)皆備われり。戒学の再興は尊に於いて成るなり。〕

 

 寛元元年=西暦一二四五年。菩薩四十五歳。

 家原寺=大阪府堺市にある行基菩薩の誕生地に開かれた寺。

 別受の法=菩薩戒(三聚浄戒)の摂律儀戒(四分律の戒)のみを別個に受ける受戒法。

 文篋=文篋房基忍。律法棟梁、生年七十二歳で遷化。

 沙弥尼戒=出家して比丘尼になるための入門修行をしている女性の戒。十戒。

 建長元年=西暦一二四九年。菩薩四十九歳。

 慈善=聖恵房慈善。法華寺第一世長老。俗姓春華門院新右衛門督。

 比丘尼戒=女性が出家して正式の僧となるために受ける具足戒で、三百四十八戒ある。

 七衆=仏教教団を構成する出家五衆(比丘、比丘尼、沙弥、沙弥尼、式叉摩那)と在家二衆(優婆塞、優婆夷)

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

 

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2016年11月28日 (月)

コスモス寺花だより 11・28

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:《終わりました》

来年6月~7月には

3万本の「初夏咲コスモス」が咲きます。

 

水仙:≪咲きはじめ≫ちらほらと咲いています

花期・12月~2

    種類・一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも

        八重咲「チヤフルネス」

    株数・2万本

 

「真中の小さき黄色のさかづきに

    甘き香もれる水仙の花」木下利玄

 

〔俳句〕

「鳴な雁 どつこも同じ うき世ぞや」一茶

訳:鳴くな雁どこも同じように憂き世だぞ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「あまたたび このひろまへに めぐりきて

       たちたるわれぞ しるやみほとけ」

(数多度この広前に巡り来て 立ちたる我ぞ知るや御仏)

〈春日野にて〉

「こがくれて あらそふらしき さをしかの

       つののひびきに よはくだちつつ」

(木隠れて爭うらしきさ牡鹿の 角の響きに夜は降ちつつ)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》794  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩傳』  出元亨釈書明律篇

            (『元亨釈書』巻第十三明戒六)

*『元亨釈書』は三十巻からなる日本仏教の通史、一三二二年(元亨二年)成立。

臨済宗南禅寺の僧、虎関師錬(こかんしれん、一二七八~一三二六)の著。

 

◆【嘉禎二年。与同志者四人。依大乗三聚通受法。自誓受戒。自爾居南京西大寺。盛弘戒法。四律五論三大五部無不研究。】

 

〔嘉禎二年(かていにねん①)、同志の者四人(②)ともに大乗三聚通受法(だいじょうさんじゅうつうじゅほう③)に依り自誓受戒(じせいじゅかい④)す。爾るより南京西大寺に居し盛んに戒法を弘む。四律五論(しりつごろん⑤)三大五部(さんだいごぶ⑥)、研究せざるは無し。〕

 

 嘉禎二年=西暦一二三六年。菩薩三十六歳。

 四人=覚盛、有厳、円晴、叡尊。

 大乗三聚通受法=大乗菩薩戒は三聚淨戒(摂律儀戒、摂善法戒、摂衆生戒)であり、三聚戒を同時に受けるのを通受、または総受という。

 自誓受戒=通常の受戒は三師七証の十師から受けるが、師がいないときは仏に誓って自受する方式の受戒。

 四律五論=四律は『十誦律』『四分律』『僧祇律』『五分律』。五論は『毘尼母論』『摩得勒伽論』『善見律毘婆沙』『薩婆多論』『律二十二明了論』。

 三大五部=三大部は唐の道宣著『四分律刪繁補闕行事鈔』『四分律刪補隨機羯磨疏』『四分律含注戒本疏』を言う。五部は三大部に『四分律拾毘尼義鈔』『四分比丘尼鈔』を加える。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年11月27日 (日)

コスモス寺花だより 11・27

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:《終わりました》

来年6月~7月には

3万本の「初夏咲コスモス」が咲きます。

 

水仙:≪咲きはじめ≫ちらほらと咲いています

花期・12月~2

    種類・一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも

        八重咲「チヤフルネス」

    株数・2万本

 

「真中の小さき黄色のさかづきに

    甘き香もれる水仙の花」木下利玄

 

〔俳句〕

「鳴な雁 どつこも同じ うき世ぞや」一茶

訳:鳴くな雁どこも同じように憂き世だぞ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「あまたたび このひろまへに めぐりきて

       たちたるわれぞ しるやみほとけ」

(数多度この広前に巡り来て 立ちたる我ぞ知るや御仏)

〈春日野にて〉

「こがくれて あらそふらしき さをしかの

       つののひびきに よはくだちつつ」

(木隠れて爭うらしきさ牡鹿の 角の響きに夜は降ちつつ)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》793  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩傳』  出元亨釈書明律篇

            (『元亨釈書』巻第十三明戒六)

*『元亨釈書』は三十巻からなる日本仏教の通史、一三二二年(元亨二年)成立。

臨済宗南禅寺の僧、虎関師錬(こかんしれん、一二七八~一三二六)の著。

 

◆【初唐鑑真。天平勝宝六年伝持律蔵。流行上邦。年代悠久。其学寝微。尊常痛律幢之摧圮。】 

 

〔初唐の鑑真(がんじん①)、天平勝宝六年、律蔵を伝持(りつぞうをでんじ②)し上邦(じょうほう③)に流行するも、年代悠久(ねんだいゆうきゅう④)にして其の学寝微(しんび⑤)す。

尊(そん⑥)、常に律幢(りつどう⑦)の墔圮(さいひ⑧)するを痛む。〕

 

 鑑真=中国唐から来日して、日本に初めて正式の受戒をもたらした律宗の祖。東大寺戒壇院、唐招提寺を開基する。

 律蔵を伝持=律蔵は経律論の三蔵の一つ。ここでは南山律宗を伝えもたらしたことを云う。

 上邦=わが国。日本。

 年代悠久=長い年数を経て。

 寝微=すたれおとろえる。

 尊=叡尊。

 律幢=律宗の幢(はた)。戒律の教え。

 墔圮=くだけそこなわれる。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

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2016年11月26日 (土)

コスモス寺花だより 11・26

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:《終わりました》

来年6月~7月には

3万本の「初夏咲コスモス」が咲きます。

 

水仙:≪咲きはじめ≫ちらほらと咲いています

花期・12月~2

    種類・一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも

        八重咲「チヤフルネス」

    株数・2万本

 

「真中の小さき黄色のさかづきに

    甘き香もれる水仙の花」木下利玄

 

〔俳句〕

「鳴な雁 どつこも同じ うき世ぞや」一茶

訳:鳴くな雁どこも同じように憂き世だぞ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「あまたたび このひろまへに めぐりきて

       たちたるわれぞ しるやみほとけ」

(数多度この広前に巡り来て 立ちたる我ぞ知るや御仏)

〈春日野にて〉

「こがくれて あらそふらしき さをしかの

       つののひびきに よはくだちつつ」

(木隠れて爭うらしきさ牡鹿の 角の響きに夜は降ちつつ)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》792  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩傳』  出元亨釈書明律篇

            (『元亨釈書』巻第十三明戒六)

*『元亨釈書』は三十巻からなる日本仏教の通史、一三二二年(元亨二年)成立。

臨済宗南禅寺の僧、虎関師錬(こかんしれん、一二七八~一三二六)の著。

 

◆【釈叡尊。歳十一離家。師事醍醐山叡賢。十七落髪学密乗。】

 

〔釈叡尊(しゃくえいそん①)は歳十一にして家を離る。醍醐山の叡賢(えいけん②)に師事し、十七にして落髪(らくはつ③)し密乗(みつじょう④)を学ぶ。〕

 

 釈叡尊=釈は釈迦牟尼の「釈」をとっていう語。釈迦の弟子であることを表す語。釈家、釈氏。

 叡賢=伊賀阿闍梨。上醍醐法幢院を開く。

 落髪=剃髪して仏門に入ること。

 密乗=密教

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

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2016年11月25日 (金)

コスモス寺花だより 11・25

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:《終わりました》

○水仙:≪つぼみ≫ちらほら咲いています

花期・12月~2

    種類・一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも

        八重咲「チヤフルネス」

    株数・2万本

 

「真中の小さき黄色のさかづきに

    甘き香もれる水仙の花」木下利玄

 

〔俳句〕

「鳴な雁 どつこも同じ うき世ぞや」一茶

訳:鳴くな雁どこも同じように憂き世だぞ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「あまたたび このひろまへに めぐりきて

       たちたるわれぞ しるやみほとけ」

(数多度この広前に巡り来て 立ちたる我ぞ知るや御仏)

〈春日野にて〉

「こがくれて あらそふらしき さをしかの

       つののひびきに よはくだちつつ」

(木隠れて爭うらしきさ牡鹿の 角の響きに夜は降ちつつ)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》791 

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

【思圓上人度人行法結夏記】

(しえんしょうにんどにんぎょうぼうけつげのき)

 

◆【  旹

 正応三年十月九日。

        於南都西大寺西室。 侍者小苾蒭鏡慧記之。】

 

〔    旹(ときに)

 

正応三年十月九日

        南都西大寺西室(さいだいじにしむろ①)に於いて、 侍者(じしゃ②)小苾蒭(しょうびっしゅ③)鏡慧(きょうけい④)これを記す。

 

 西大寺西室=興正菩薩の住まいされた僧坊。現西大寺本坊のあたり。

 侍者=仏菩薩あるいは師僧、長老などの左右に近侍してその給仕の任に当る者。

 小苾蒭=小比丘。年数の浅い若い比丘が謙遜していう。

 鏡慧=叡尊師の弟子、側近にあって重要な役割を果たした侍者。菩薩遷化の際看病をした。隨覚房鏡慧。但馬国人。

(終わり)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年11月24日 (木)

コスモス寺花だより 11・24

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:《終わりました》

○水仙:≪つぼみ≫ちらほら咲いています

花期・12月~2

    種類・一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも

        八重咲「チヤフルネス」

    株数・2万本

 

「真中の小さき黄色のさかづきに

    甘き香もれる水仙の花」木下利玄

 

〔俳句〕

「けふからは 日本の雁ぞ 楽に寝よ」一茶

訳:今日からは、日本の雁だぞ。気楽に寝なさいよ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「あまたたび このひろまへに めぐりきて

       たちたるわれぞ しるやみほとけ」

(数多度この広前に巡り来て 立ちたる我ぞ知るや御仏)

〈春日野にて〉

「こがくれて あらそふらしき さをしかの

       つののひびきに よはくだちつつ」

(木隠れて爭うらしきさ牡鹿の 角の響きに夜は降ちつつ)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》790   

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

【思圓上人度人行法結夏記】

(しえんしょうにんどにんぎょうぼうけつげのき)

 

◆【入滅

 正応三年庚寅八月廿五日酉刻。春秋九十歳。通受夏数五十四。別受四十五。 

 

〔入滅

正応三年(しょうおうさんねん①)庚寅八月廿五日酉刻(とりのこく②)。春秋(しゅんじゅう③)九十歳。通受(つうじゅ④)夏数(げすう⑤)五十四。別受(べつじゅ⑥)四十五。

 

 正応三年=西暦一二九〇年。

 酉刻=現在の午後六時頃。また、その前後二時間。

 春秋=年齢。よわい。

 通受=菩薩戒の三聚浄戒を総じて受ける受戒法。

 夏数=法臘。一年に一回の夏安居を経験した年数。

 別受=三聚浄戒の内、摂律儀戒を単独で受戒する方式。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

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2016年11月23日 (水)

コスモス寺花だより 11・23

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:《終わりました》

○水仙:≪つぼみ≫ちらほら咲いています

花期・12月~2

    種類・一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも

        八重咲「チヤフルネス」

    株数・2万本

 

「真中の小さき黄色のさかづきに

    甘き香もれる水仙の花」木下利玄

 

〔俳句〕

「田の雁や 村の人数(にんず)は けふもへる」一茶

訳:田んぼの雁がふえたなあ。村の人の数は今日も減った。。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「あまたたび このひろまへに めぐりきて

       たちたるわれぞ しるやみほとけ」

(数多度この広前に巡り来て 立ちたる我ぞ知るや御仏)

〈春日野にて〉

「こがくれて あらそふらしき さをしかの

       つののひびきに よはくだちつつ」

(木隠れて爭うらしきさ牡鹿の 角の響きに夜は降ちつつ)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》789  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

【思圓上人度人行法結夏記】

(しえんしょうにんどにんぎょうぼうけつげのき)

 

◆【結夏年譜

 初安居嘉禎三年 南京 海龍王寺

 従暦仁元年至校長元年 南京 西大寺

 弘長二年     鎌倉 清凉寺     

 従弘長三年至正応三年 南京 西大寺   】

 

〔結夏(けつげ①)年譜

初安居嘉禎三年 南京 海龍王寺

暦仁元年より弘長元年に至る 南京 西大寺

弘長二年(②) 鎌倉 清凉寺(せいりょうじ③)

弘長三年より正応三年に至る 南京 西大寺〕

 

 結夏=夏安居を行うこと。インドでは夏の雨季の期間(四月十六日~七月十五日)に僧が僧院にこもり、遊行中の罪を懺悔し修行した年中行事。日本では四月十五日から七月十五日までの九十日間とした。結夏に対し終りは解夏という。夏安居を一回経るごとに夏数(法臘)を数える。夏数何歳と数える。

 弘長二年=関東(鎌倉)へ下向の年。『学正記』には、「自二月四日進発。至八月十五日帰寺。八ヶ月日々事。性海比丘往還記両巻粗載之。仍不記之。」と記す。

 清涼寺=鎌倉清凉寺谷(せいりょうじがやつ)にあった新清凉寺釈迦堂。叡尊師の鎌倉での住所となった寺。『関東往還記』には、金沢実時が叡尊師の請いにより一向無縁寺を探して当寺を勧めた。師が弟子を派遣して見分させたところ、「地勢は狭いけれど巨難なし」と報告され決定したという。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

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2016年11月22日 (火)

コスモス寺花だより 11・22

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:《終わりました》

○水仙:≪つぼみ≫ちらほら咲いています

花期・12月~2

    種類・一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも

        八重咲「チヤフルネス」

    株数・2万本

 

「真中の小さき黄色のさかづきに

    甘き香もれる水仙の花」木下利玄

 

〔俳句〕

「田の雁や 村の人数(にんず)は けふもへる」一茶

訳:田んぼの雁がふえたなあ。村の人の数は今日も減った。。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「あまたたび このひろまへに めぐりきて

       たちたるわれぞ しるやみほとけ」

(数多度この広前に巡り来て 立ちたる我ぞ知るや御仏)

〈春日野にて〉

「こがくれて あらそふらしき さをしかの

       つののひびきに よはくだちつつ」

(木隠れて爭うらしきさ牡鹿の 角の響きに夜は降ちつつ)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》788  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

【思圓上人度人行法結夏記】

(しえんしょうにんどにんぎょうぼうけつげのき)

 

◆【毎日不断三時供養法日数幷座数

 自建長五年癸丑(みずのとうし)正月一日。至正応三年庚寅八月五日。首尾三十八年。都合一万三千七百三十六箇日。四万二千一百八座。】

 

〔毎日不断の三時(さんじ①)供養法(くようぼう②)の日数幷びに座数(ざすう③)

 

建長五年癸丑正月一日より正応三年庚寅八月五日(④)に至る。首尾三十八年。都合、一万三千七百三十六箇日。四万二千一百八座。〕

 

 三時=一日を昼夜六時に分けて、昼の三時をいう。晨朝、日中、日没。夜の三時は初夜、中夜、後夜をいう。

 供養法=密教で諸尊や経、曼荼羅を供養して除災招福などを加持祈祷する修法。

 座数=修法の回数。

 建長五年・・・=『学正記』建長五年の記事に、「正月一日。於御塔修供養法。〔自戊戌年至今年十六年。〕自興無遮僧供養法以来。已過十五ヶ年。隨経年月。事相相続動闕三時勤行。仍誓願此七ヶ日供養法。為始雖極略行。日々三時修供養法。以前後三礼。擬六時礼。」とあり。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年11月21日 (月)

コスモス寺花だより 11・21

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:《終わりました》

○水仙:≪つぼみ≫ちらほら咲いています

花期・12月~2

    種類・一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも

        八重咲「チヤフルネス」

    株数・2万本

 

「真中の小さき黄色のさかづきに

    甘き香もれる水仙の花」木下利玄

 

〔俳句〕

「雁なくや 平家時分の 浜の家」一茶

訳:雁が鳴いているよ。平家の時代からあった浜の家で。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「あまたたび このひろまへに めぐりきて

       たちたるわれぞ しるやみほとけ」

(数多度この広前に巡り来て 立ちたる我ぞ知るや御仏)

〈春日野にて〉

「こがくれて あらそふらしき さをしかの

       つののひびきに よはくだちつつ」

(木隠れて爭うらしきさ牡鹿の 角の響きに夜は降ちつつ)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》788  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

【思圓上人度人行法結夏記】

(しえんしょうにんどにんぎょうぼうけつげのき)

 

◆【毎日不断三時供養法日数幷座数

 自建長五年癸丑(みずのとうし)正月一日。至正応三年庚寅八月五日。首尾三十八年。都合一万三千七百三十六箇日。四万二千一百八座。】

 

〔毎日不断の三時(さんじ①)供養法(くようぼう②)の日数幷びに座数(ざすう③)

 

建長五年癸丑正月一日より正応三年庚寅八月五日(④)に至る。首尾三十八年。都合、一万三千七百三十六箇日。四万二千一百八座。〕

 

 三時=一日を昼夜六時に分けて、昼の三時をいう。晨朝、日中、日没。夜の三時は初夜、中夜、後夜をいう。

 供養法=密教で諸尊や経、曼荼羅を供養して除災招福などを加持祈祷する修法。

 座数=修法の回数。

 建長五年・・・=『学正記』建長五年の記事に、「正月一日。於御塔修供養法。〔自戊戌年至今年十六年。〕自興無遮僧供養法以来。已過十五ヶ年。隨経年月。事相相続動闕三時勤行。仍誓願此七ヶ日供養法。為始雖極略行。日々三時修供養法。以前後三礼。擬六時礼。」とあり。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年11月19日 (土)

コスモス寺花だより 11・19

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:《終わりました》

○水仙:

花期・12月~2

    種類・一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも

        八重咲「チヤフルネス」

    株数・2万本

 

「真中の小さき黄色のさかづきに

    甘き香もれる水仙の花」木下利玄

 

〔俳句〕

「雁なくや 平家時分の 浜の家」一茶

訳:雁が鳴いているよ。平家の時代からあった浜の家で。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「あまたたび このひろまへに めぐりきて

       たちたるわれぞ しるやみほとけ」

(数多度この広前に巡り来て 立ちたる我ぞ知るや御仏)

〈春日野にて〉

「こがくれて あらそふらしき さをしかの

       つののひびきに よはくだちつつ」

(木隠れて爭うらしきさ牡鹿の 角の響きに夜は降ちつつ)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》787   

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

【思圓上人度人行法結夏記】

(しえんしょうにんどにんぎょうぼうけつげのき)

 

◆【禁断殺生所

 自寛元二年三月二十四日。至正応二年九月廿日。首尾四十六年也。都合状三百七十三通。所々一千三百五十六箇所。人数四千三百五十六箇所。人数四千三百五十八人。連判交名有之。】

 

〔殺生を禁断せる所(①)

寛元二年三月二十四日より正応二年九月廿日(②)に至る。首尾四十六年也。都合(③)、状(じょう④)三百七十三通。所々一千三百五十六箇所。人数四千三百五十八人。連判(れんばん⑤)交名(きょうみょう⑥)これ有り。〕

 

 殺生禁断=仏教の慈悲の精神から、鳥獣・魚などの狩猟・殺生を禁じること。

 寛元二年・・・=『学正記』の二月廿六日の記事に「勧諸人。令禁断四郷之殺生。即出状載罰文。重請勤仕。随喜殺生禁断。故如形加讃嘆畢。〔自爾以後。所々有殺生禁断也。〕」

 都合=すべて合わせて。

 状=上申する文書。

 連判=「れんぱん」とも。文書に複数の人が署名を連ねること。

 交名=人名を書き連ねた文書。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

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2016年11月16日 (水)

コスモス寺花だより 11・16

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:《終わり近づく》

まだきれいな花が見られますが

日々花数を減らし終わりをむかえようとしています。

 

「コスモスの 揺れ返すとき 色乱れ」稲畑汀子

 

○水仙:花期・12月~2

     種類・一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも

        八重咲「チヤフルネス」

     株数・2万本

 

「真中の小さき黄色のさかづきに

    甘き香もれる水仙の花」木下利玄

 

〔俳句〕

「膝抱て 羅漢顔して 秋の暮」一茶

訳:膝を抱いて、羅漢さんのような顔をして、秋の暮。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「あまたたび このひろまへに めぐりきて

       たちたるわれぞ しるやみほとけ」

(数多度この広前に巡り来て 立ちたる我ぞ知るや御仏)

〈春日野にて〉

「こがくれて あらそふらしき さをしかの

       つののひびきに よはくだちつつ」

(木隠れて爭うらしきさ牡鹿の 角の響きに夜は降ちつつ)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》786  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

【思圓上人度人行法結夏記】

(しえんしょうにんどにんぎょうぼうけつげのき)

 

◆【開講日数

 自嘉禎三年二月五日。至正応三年七月十三日。首尾五十五箇年。一万七百二十一箇日之内。当寺分九千六百三十四箇日。為利益所々開講一千八十五箇日之内。四百三十七箇日為内衆。六百四十八箇日為外衆。】

 

〔開講(かいこう①)日数

嘉禎三年二月五日より正応三年七月十三日(②)に至る。首尾五十五年。一万七百二十一箇日の内、当寺(③)分は九千六百三十四箇日。利益(りやく④)の為、所々開講一千八十五箇日の内、四百三十七箇日は内衆(ないしゅう⑤)の為、六百四十八箇日は外衆(げしゅう⑥)の為。〕

 

 開講=講席を啓(ひら)くこと。年譜本文篇の巻末にある菩薩著作目録の『梵網経古迹記輔行文集』を始めとする著作物は講義、講演の中から生まれたと思われる。

 嘉禎三年・・・=『学正記』『行実年譜』のどちらにも嘉禎三年、正応三年の日付には講席の記載なし。

 当寺=西大寺。

 利益=利益衆生。

 内衆=出家五衆(比丘、比丘尼、式叉摩那、沙弥、沙弥尼)。

 外衆=在家二衆(優婆塞、優婆夷)。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

来年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(1217年生。後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県磯城郡三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)が製作されました。

横浜の金沢文庫では特別展『忍性菩薩‐関東興律七五〇年』(1028日~1218日)が開催されます。秘仏極楽寺釈迦如来像、称名寺釈迦如来像を始め国宝・忍性書状などが出展されます。

般若寺は、菩薩が若いころハンセン病者救済活動をされた地であり、その稀有の業績や御遺徳を世に広めて行きます。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

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2016年11月15日 (火)

コスモス寺花だより 11・15

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:満開を過ぎましたが

まだきれいに咲いています

 

「コスモスの 揺れ返すとき 色乱れ」稲畑汀子

 

○水仙:花期・12月~2

     種類・一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも

        八重咲「チヤフルネス」

     株数・2万本

 

「真中の小さき黄色のさかづきに

    甘き香もれる水仙の花」木下利玄

 

〔俳句〕

「一人通ると 壁にかく 秋の暮」一茶

訳: ひとりで通った、と壁に書く秋の暮。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「あまたたび このひろまへに めぐりきて

       たちたるわれぞ しるやみほとけ」

(数多度この広前に巡り来て 立ちたる我ぞ知るや御仏)

〈春日野にて〉

「こがくれて あらそふらしき さをしかの

       つののひびきに よはくだちつつ」

(木隠れて爭うらしきさ牡鹿の 角の響きに夜は降ちつつ)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》786  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

【思圓上人度人行法結夏記】

(しえんしょうにんどにんぎょうぼうけつげのき)

 

◆【開講日数

 自嘉禎三年二月五日。至正応三年七月十三日。首尾五十五箇年。一万七百二十一箇日之内。当寺分九千六百三十四箇日。為利益所々開講一千八十五箇日之内。四百三十七箇日為内衆。六百四十八箇日為外衆。】

 

 

〔開講(かいこう①)日数

嘉禎三年二月五日より正応三年七月十三日(②)に至る。首尾五十五年。一万七百二十一箇日の内、当寺(③)分は九千六百三十四箇日。利益(りやく④)の為、所々開講一千八十五箇日の内、四百三十七箇日は内衆(ないしゅう⑤)の為、六百四十八箇日は外衆(げしゅう⑥)の為。〕

 

 開講=講席を啓(ひら)くこと。年譜本文篇の巻末にある菩薩著作目録の『梵網経古迹記輔行文集』を始めとする著作物は講義、講演の中から生まれたと思われる。

 嘉禎三年・・・=『学正記』『行実年譜』のどちらにも嘉禎三年、正応三年の日付には講席の記載なし。

 当寺=西大寺。

 利益=利益衆生。

 内衆=出家五衆(比丘、比丘尼、式叉摩那、沙弥、沙弥尼)。

 外衆=在家二衆(優婆塞、優婆夷)。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

来年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(1217年生。後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県磯城郡三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)が製作されました。

横浜の金沢文庫では特別展『忍性菩薩‐関東興律七五〇年』(1028日~1218日)が開催されます。秘仏極楽寺釈迦如来像、称名寺釈迦如来像を始め国宝・忍性書状などが出展されます。

般若寺は、菩薩が若いころハンセン病者救済活動をされた地であり、その稀有の業績や御遺徳を世に広めて行きます。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

 

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2016年11月14日 (月)

コスモス寺花だより 11・14

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:満開を過ぎましたが

まだきれいに咲いています

 

「コスモスの 揺れ返すとき 色乱れ」稲畑汀子

 

○水仙:花期・12月~2

     種類・一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも

        八重咲「チヤフルネス」

     株数・2万本

 

「真中の小さき黄色のさかづきに

    甘き香もれる水仙の花」木下利玄

 

〔俳句〕

「鬼の寝た 穴よ朝から 秋の暮」一茶

訳: 鬼の寝穴だよ。薄暗くて朝からまるで秋の暮。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「あまたたび このひろまへに めぐりきて

       たちたるわれぞ しるやみほとけ」

(数多度この広前に巡り来て 立ちたる我ぞ知るや御仏)

〈春日野にて〉

「こがくれて あらそふらしき さをしかの

       つののひびきに よはくだちつつ」

(木隠れて爭うらしきさ牡鹿の 角の響きに夜は降ちつつ)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》786  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

【思圓上人度人行法結夏記】

(しえんしょうにんどにんぎょうぼうけつげのき)

 

◆【開講日数

 自嘉禎三年二月五日。至正応三年七月十三日。首尾五十五箇年。一万七百二十一箇日之内。当寺分九千六百三十四箇日。為利益所々開講一千八十五箇日之内。四百三十七箇日為内衆。六百四十八箇日為外衆。】

 

 

〔開講(かいこう①)日数

嘉禎三年二月五日より正応三年七月十三日(②)に至る。首尾五十五年。一万七百二十一箇日の内、当寺(③)分は九千六百三十四箇日。利益(りやく④)の為、所々開講一千八十五箇日の内、四百三十七箇日は内衆(ないしゅう⑤)の為、六百四十八箇日は外衆(げしゅう⑥)の為。〕

 

 開講=講席を啓(ひら)くこと。年譜本文篇の巻末にある菩薩著作目録の『梵網経古迹記輔行文集』を始めとする著作物は講義、講演の中から生まれたと思われる。

 嘉禎三年・・・=『学正記』『行実年譜』のどちらにも嘉禎三年、正応三年の日付には講席の記載なし。

 当寺=西大寺。

 利益=利益衆生。

 内衆=出家五衆(比丘、比丘尼、式叉摩那、沙弥、沙弥尼)。

 外衆=在家二衆(優婆塞、優婆夷)。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

来年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(1217年生。後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県磯城郡三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)が製作されました。

横浜の金沢文庫では特別展『忍性菩薩‐関東興律七五〇年』(1028日~1218日)が開催されます。秘仏極楽寺釈迦如来像、称名寺釈迦如来像を始め国宝・忍性書状などが出展されます。

般若寺は、菩薩が若いころハンセン病者救済活動をされた地であり、その稀有の業績や御遺徳を世に広めて行きます。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年11月13日 (日)

コスモス寺花だより 11・13

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:満開を過ぎましたが

まだきれいに咲いています

 

「コスモスの 揺れ返すとき 色乱れ」稲畑汀子

 

○水仙:2万本。花は12月から2月まで。

「真中の小さき黄色のさかづきに

    甘き香もれる水仙の花」木下利玄

 

2016 般若寺に咲くコスモスのめずらしい種類

1.ダブルクリック:花はダリアか菊のような複弁で豪華。

赤は「ローズ・ボンボン」、白は「スノー・ホワイト」。

2.シーシェル:花弁が巻貝の貝がらのように筒状になる。

赤・白・ピンク。

3.サイケ:花芯から複弁が出ている。

4.オータムビューティ:大輪の花。遅咲きで10月から

咲き出す。赤・白・ピンク。

5.イエローガーデン:普通のコスモスなのにレモン

イエローの花。遅咲き種。

他に「イエローキャンパス」というシリーズもある。

6.ピコティ:花弁に赤やピンクの斑が入る。

「あかつき」ともいう。

(当寺では今年は20種類を植えています。)

 

〔俳句〕

「青空に 指で字を書く 秋の暮」一茶

訳: 青空に指で字を書く、秋の暮。

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「あまたたび このひろまへに めぐりきて

       たちたるわれぞ しるやみほとけ」

(数多度この広前に巡り来て 立ちたる我ぞ知るや御仏)

〈春日野にて〉

「こがくれて あらそふらしき さをしかの

       つののひびきに よはくだちつつ」

(木隠れて爭うらしきさ牡鹿の 角の響きに夜は降ちつつ)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》786  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

【思圓上人度人行法結夏記】

(しえんしょうにんどにんぎょうぼうけつげのき)

 

◆【開講日数

 自嘉禎三年二月五日。至正応三年七月十三日。首尾五十五箇年。一万七百二十一箇日之内。当寺分九千六百三十四箇日。為利益所々開講一千八十五箇日之内。四百三十七箇日為内衆。六百四十八箇日為外衆。】

 

 

〔開講(かいこう①)日数

嘉禎三年二月五日より正応三年七月十三日(②)に至る。首尾五十五年。一万七百二十一箇日の内、当寺(③)分は九千六百三十四箇日。利益(りやく④)の為、所々開講一千八十五箇日の内、四百三十七箇日は内衆(ないしゅう⑤)の為、六百四十八箇日は外衆(げしゅう⑥)の為。〕

 

 開講=講席を啓(ひら)くこと。年譜本文篇の巻末にある菩薩著作目録の『梵網経古迹記輔行文集』を始めとする著作物は講義、講演の中から生まれたと思われる。

 嘉禎三年・・・=『学正記』『行実年譜』のどちらにも嘉禎三年、正応三年の日付には講席の記載なし。

 当寺=西大寺。

 利益=利益衆生。

 内衆=出家五衆(比丘、比丘尼、式叉摩那、沙弥、沙弥尼)。

 外衆=在家二衆(優婆塞、優婆夷)。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

来年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(1217年生。後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県磯城郡三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)が製作されました。

横浜の金沢文庫では特別展『忍性菩薩‐関東興律七五〇年』(1028日~1218日)が開催されます。秘仏極楽寺釈迦如来像、称名寺釈迦如来像を始め国宝・忍性書状などが出展されます。

般若寺は、菩薩が若いころハンセン病者救済活動をされた地であり、その稀有の業績や御遺徳を世に広めて行きます。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

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2016年11月12日 (土)

コスモス寺花だより 11・12

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:満開を過ぎましたが

まだきれいに咲いています

 

「コスモスの 揺れ返すとき 色乱れ」稲畑汀子

 

○水仙:2万本。花は12月から2月まで。

「真中の小さき黄色のさかづきに

    甘き香もれる水仙の花」木下利玄

 

2016 般若寺に咲くコスモスのめずらしい種類

1.ダブルクリック:花はダリアか菊のような複弁で豪華。

赤は「ローズ・ボンボン」、白は「スノー・ホワイト」。

2.シーシェル:花弁が巻貝の貝がらのように筒状になる。

赤・白・ピンク。

3.サイケ:花芯から複弁が出ている。

4.オータムビューティ:大輪の花。遅咲きで10月から

咲き出す。赤・白・ピンク。

5.イエローガーデン:普通のコスモスなのにレモン

イエローの花。遅咲き種。

他に「イエローキャンパス」というシリーズもある。

6.ピコティ:花弁に赤やピンクの斑が入る。

「あかつき」ともいう。

(当寺では今年は20種類を植えています。)

 

〔俳句〕

「青空に 指で字を書く 秋の暮」一茶

訳: 青空に指で字を書く、秋の暮。

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「あまたたび このひろまへに めぐりきて

       たちたるわれぞ しるやみほとけ」

(数多度この広前に巡り来て 立ちたる我ぞ知るや御仏)

〈春日野にて〉

「こがくれて あらそふらしき さをしかの

       つののひびきに よはくだちつつ」

(木隠れて爭うらしきさ牡鹿の 角の響きに夜は降ちつつ)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》786  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

【思圓上人度人行法結夏記】

(しえんしょうにんどにんぎょうぼうけつげのき)

 

◆【伝法灌頂血脉人数

 自寛元三年乙巳十一月八日。至正応二年己丑十二月廿六日。首尾四十七箇年。都七十二人之内。比丘六十四人。比丘尼六人。院家二人。一人清浄光院前大僧正御房。一人慈淨房。】

 

〔伝法灌頂(でんぼうかんじょう①)血脉人数(けちみゃくにんずう②)

寛元三年乙巳十一月八日より正応二年己丑十二月廿六日(③)に至る。首尾四十七箇年。都(すべ)て七十二人の内、比丘六十四人、比丘尼六人、院家(いんげ④)二人。一人は清浄光院前大僧正御房、一人は慈淨房。〕

 

 伝法灌頂=密教で四度加行を成満し、種々の徳を備えた弟子に対して、師の大阿闍梨が秘密究極の法を伝え、衆生の師たる阿闍梨位を継承させるために行う灌頂。三昧耶戒授戒、金剛界・胎蔵界曼荼羅での投花得仏、五智甁水の灌頂、印明伝授、金剛杵等を授与などを内容とする密教の最重要儀式。

 血脈人数=血脈相承(そうじょう)の人数。師資の法門相承を肉身の血脈に例えて用いる。

 寛元三年・・・=行実年譜には「寛元三年(一二四五)十一月八日。密壇を啓建して灌頂を若干人に授く。」と、感身学正記には「正応二年(一二八九)十二月廿六日。灌頂密壇を啓建し具支灌頂を若干人に授く。」との記載あり。

 院家=大寺に属する子院で門跡に次ぐ格式や由緒を持つもの。また、貴族の子弟でこの子院の主となった人。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

来年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(1217年生。後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県磯城郡三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)が製作されました。

横浜の金沢文庫では特別展『忍性菩薩‐関東興律七五〇年』(1028日~1218日)が開催されます。秘仏極楽寺釈迦如来像、称名寺釈迦如来像を始め国宝・忍性書状などが出展されます。

般若寺は、菩薩が若いころハンセン病者救済活動をされた地であり、その稀有の業績や御遺徳を世に広めて行きます。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

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2016年11月 9日 (水)

コスモス寺花だより 11・9

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:満開を過ぎましたが

まだまだきれいに咲いています

 

コスモスの花は盛りを過ぎ、

徐々に花数を減らしています。

でもコスモスは春の桜のように一気に散ることはなく、

ゆっくりと終わりをむかえます。

11月中頃まで花は見られます。

 

奈良は晩秋、紅葉の季節を迎えました。

夕方、奈良公園を歩くと牡鹿が牝鹿を呼ぶ

もの悲しい鳴き声が響き渡っています。

ゆく秋を惜しむかのように。

 

「コスモスの 色もつれあひ ほどけあひ」本郷昭雄

 

・花期:9月~11月 

・数と種類:15万本。20種類 

・駐車場:60台収容。

*今年は夜の行事(ライトアップ)はありません。

○水仙:2万本。花は12月から2月まで。

 

2016 般若寺に咲くコスモスのめずらしい種類

1.ダブルクリック:花はダリアか菊のような複弁で豪華。

赤は「ローズ・ボンボン」、白は「スノー・ホワイト」。

2.シーシェル:花弁が巻貝の貝がらのように筒状になる。

赤・白・ピンク。

3.サイケ:花芯から複弁が出ている。

4.オータムビューティ:大輪の花。遅咲きで10月から

咲き出す。赤・白・ピンク。

5.イエローガーデン:普通のコスモスなのにレモン

イエローの花。遅咲き種。

他に「イエローキャンパス」というシリーズもある。

6.ピコティ:花弁に赤やピンクの斑が入る。

「あかつき」ともいう。

(当寺では今年は20種類を植えています。)

 

〔俳句〕

「青空に 指で字を書く 秋の暮」一茶

訳: 青空に指で字を書く、秋の暮。

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこえて さかるとも

       ゆめにしみえこ わかくさのやま」

(青丹よし奈良山越えて離るとも 夢にし見えこ若草の山

 

「ならやまの したはのくぬぎ いろにいでて

       ふるへのさとを おもひぞわがする」

(奈良山の下葉の椚色に出でて 古家の里を憶いぞ吾がする)

・ふるへ=古びた家。また、もとのすみか。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》785  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

【思圓上人度人行法結夏記】

(しえんしょうにんどにんぎょうぼうけつげのき)

 

◆【別受具足戒日数幷人数

戒壇六箇所。家原寺。西大寺。東大寺。招提寺。淨住寺。海龍王寺。自寛元三年。至正応二年。首尾四十五年也。都合七十三箇日之内。大僧四十六箇度(日ヵ)百八十三番。受者五百二十八人。和尚(上ヵ)百六十一度。羯磨百八十二番。大尼二十九箇日。一百三番。受者三百四人。和上四度一衆受之。羯磨四百五番。証明十九度。戒壇三箇所。西大寺。招提寺。海龍王寺。本法一向法華

寺。自建治元年。至正応二年。首尾十五箇年。新受重受都合八百三十二人。】

 

〔別受具足戒(べつじゅぐそくかい①)の日数幷(ならびに)人数。

 

戒壇六箇所(かいだんろっかしょ②)。家原寺(えばらじ③)。西大寺(さいだいじ④)。東大寺(とうだいじ⑤)。招提寺(しょうだいじ⑥)。淨住寺(じょうじゅうじ⑦)。海龍王寺(かいりゅうおうじ⑧)。

寛元三年より正応二年に至る。首尾四十五年なり。都合七十三箇日の内。大僧(だいそう⑨)は四十六箇度(日)百八十三番。受者は五百二十八人。和尚(上、わじょう⑩)は百六十一度。羯磨(こんま⑪)は百八十二番。大尼(だいに⑫)は二十九箇日。一百三番。受者は三百四人。

和上は四度、一衆これを受く。羯磨は四百五番。証明(しょうみょう⑬)は十九度。戒壇は三箇所。西大寺。招提寺。海龍王寺。本法(ほんぽう⑭)は一向(いっこう⑮)に法華寺(ほっけじ⑯)。建治元年より正応二年に至る(⑰)。首尾十五箇年。新受重受(しんじゅじゅうじゅ⑱)は都合八百三十二人。〕

 

 別受具足戒=菩薩戒の三聚浄戒の内、摂律儀戒(四分律の七衆戒)だけを別して受ける受戒法。単受とも言う。

 戒壇六箇所=東大寺と唐招提寺の戒壇は奈良時代に設立。家原寺、西大寺、淨住寺、海龍王寺は新たに設立された。

 家原寺=大阪堺市在。行基菩薩の生家を寺としたと伝える。

 西大寺=奈良市。真言律の本山。

 東大寺=奈良市。奈良時代に鑑真和尚が戒律を伝来し、戒壇院が国家公認の戒壇となった。三戒壇の中心。

 招提寺=唐招提寺。奈良市。鑑真和尚が戒壇を開設したと伝える。

 淨住寺=京都市。葉室定嗣が開基し興正菩薩が開山となった。

 海龍王寺=奈良市。興正菩薩が戒壇を開く。

 大僧=比丘。男性の正式の僧侶。比丘は具足戒(二百五十戒)を受ける。ここは比丘受戒のこと。

 和上=律宗の一山一寺の僧衆を率いる長老。受戒式で授戒師を勤める。

 羯磨=羯磨師。受戒者に代わって受戒の意思を表白し、承認を問う。白二羯磨、白四羯磨の形式がある。

 大尼=比丘尼。女性の正式の僧侶。比丘尼は具足戒(三百四十八戒)を受ける。ここは比丘尼受戒のこと。

 証明=証明師。受戒が成立したことを証明する七人の大僧(尼)。

 本法=比丘尼の受戒。

 一向=ひたすらに。

 法華寺=奈良市。総国分尼寺。

 建治元年より正応二年に至る=一二七五年から一二八九年まで。

 新受重受=初めて受戒する人と重ねて受戒する人。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

来年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(1217年生。後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県磯城郡三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)が製作されました。

横浜の金沢文庫では特別展『忍性菩薩‐関東興律七五〇年』(1028日~1218日)が開催されます。秘仏極楽寺釈迦如来像、称名寺釈迦如来像を始め国宝・忍性書状などが出展されます。

般若寺は、菩薩が若いころハンセン病者救済活動をされた地であり、その稀有の業績や御遺徳を世に広めて行きます。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

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2016年11月 8日 (火)

コスモス寺花だより 11・8

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:満開を過ぎましたが

まだまだきれいに咲いています

 

コスモスの花は盛りを過ぎ、

徐々に花数を減らしています。

でもコスモスは春の桜のように一気に散ることはなく、

ゆっくりと終わりをむかえます。

1111日頃まで花は見られます。

 

奈良は晩秋、紅葉の季節を迎えました。

夕方、奈良公園を歩くと牡鹿が牝鹿を呼ぶ

もの悲しい鳴き声が響き渡っています。

ゆく秋を惜しむかのように。

 

「コスモスの 色もつれあひ ほどけあひ」本郷昭雄

 

・花期:9月~11月 

・数と種類:15万本。20種類 

・駐車場:60台収容。

*今年は夜の行事(ライトアップ)はありません。

○水仙:2万本。花は12月から2月まで。

 

2016 般若寺に咲くコスモスのめずらしい種類

1.ダブルクリック:花はダリアか菊のような複弁で豪華。

赤は「ローズ・ボンボン」、白は「スノー・ホワイト」。

2.シーシェル:花弁が巻貝の貝がらのように筒状になる。

赤・白・ピンク。

3.サイケ:花芯から複弁が出ている。

4.オータムビューティ:大輪の花。遅咲きで10月から

咲き出す。赤・白・ピンク。

5.イエローガーデン:普通のコスモスなのにレモン

イエローの花。遅咲き種。

他に「イエローキャンパス」というシリーズもある。

6.ピコティ:花弁に赤やピンクの斑が入る。

「あかつき」ともいう。

(当寺では今年は20種類を植えています。)

 

〔俳句〕

「江戸江戸と えどへ出(いづ)れば 秋の暮」一茶

訳:江戸江戸と、江戸へ行けばいいことがありそうだと出て行ってみたものの、さびしい秋の暮。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこえて さかるとも

       ゆめにしみえこ わかくさのやま」

(青丹よし奈良山越えて離るとも 夢にし見えこ若草の山

 

「ならやまの したはのくぬぎ いろにいでて

       ふるへのさとを おもひぞわがする」

(奈良山の下葉の椚色に出でて 古家の里を憶いぞ吾がする)

・ふるへ=古びた家。また、もとのすみか。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》785  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

【思圓上人度人行法結夏記】

(しえんしょうにんどにんぎょうぼうけつげのき)

 

◆【別受具足戒日数幷人数

戒壇六箇所。家原寺。西大寺。東大寺。招提寺。淨住寺。海龍王寺。自寛元三年。至正応二年。首尾四十五年也。都合七十三箇日之内。大僧四十六箇度(日ヵ)百八十三番。受者五百二十八人。和尚(上ヵ)百六十一度。羯磨百八十二番。大尼二十九箇日。一百三番。受者三百四人。和上四度一衆受之。羯磨四百五番。証明十九度。戒壇三箇所。西大寺。招提寺。海龍王寺。本法一向法華

寺。自建治元年。至正応二年。首尾十五箇年。新受重受都合八百三十二人。】

 

〔別受具足戒(べつじゅぐそくかい①)の日数幷(ならびに)人数。

 

戒壇六箇所(かいだんろっかしょ②)。家原寺(えばらじ③)。西大寺(さいだいじ④)。東大寺(とうだいじ⑤)。招提寺(しょうだいじ⑥)。淨住寺(じょうじゅうじ⑦)。海龍王寺(かいりゅうおうじ⑧)。

寛元三年より正応二年に至る。首尾四十五年なり。都合七十三箇日の内。大僧(だいそう⑨)は四十六箇度(日)百八十三番。受者は五百二十八人。和尚(上、わじょう⑩)は百六十一度。羯磨(こんま⑪)は百八十二番。大尼(だいに⑫)は二十九箇日。一百三番。受者は三百四人。

和上は四度、一衆これを受く。羯磨は四百五番。証明(しょうみょう⑬)は十九度。戒壇は三箇所。西大寺。招提寺。海龍王寺。本法(ほんぽう⑭)は一向(いっこう⑮)に法華寺(ほっけじ⑯)。建治元年より正応二年に至る(⑰)。首尾十五箇年。新受重受(しんじゅじゅうじゅ⑱)は都合八百三十二人。〕

 

 別受具足戒=菩薩戒の三聚浄戒の内、摂律儀戒(四分律の七衆戒)だけを別して受ける受戒法。単受とも言う。

 戒壇六箇所=東大寺と唐招提寺の戒壇は奈良時代に設立。家原寺、西大寺、淨住寺、海龍王寺は新たに設立された。

 家原寺=大阪堺市在。行基菩薩の生家を寺としたと伝える。

 西大寺=奈良市。真言律の本山。

 東大寺=奈良市。奈良時代に鑑真和尚が戒律を伝来し、戒壇院が国家公認の戒壇となった。三戒壇の中心。

 招提寺=唐招提寺。奈良市。鑑真和尚が戒壇を開設したと伝える。

 淨住寺=京都市。葉室定嗣が開基し興正菩薩が開山となった。

 海龍王寺=奈良市。興正菩薩が戒壇を開く。

 大僧=比丘。男性の正式の僧侶。比丘は具足戒(二百五十戒)を受ける。ここは比丘受戒のこと。

 和上=律宗の一山一寺の僧衆を率いる長老。受戒式で授戒師を勤める。

 羯磨=羯磨師。受戒者に代わって受戒の意思を表白し、承認を問う。白二羯磨、白四羯磨の形式がある。

 大尼=比丘尼。女性の正式の僧侶。比丘尼は具足戒(三百四十八戒)を受ける。ここは比丘尼受戒のこと。

 証明=証明師。受戒が成立したことを証明する七人の大僧(尼)。

 本法=比丘尼の受戒。

 一向=ひたすらに。

 法華寺=奈良市。総国分尼寺。

 建治元年より正応二年に至る=一二七五年から一二八九年まで。

 新受重受=初めて受戒する人と重ねて受戒する人。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

来年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(1217年生。後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県磯城郡三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)が製作されました。

横浜の金沢文庫では特別展『忍性菩薩‐関東興律七五〇年』(1028日~1218日)が開催されます。秘仏極楽寺釈迦如来像、称名寺釈迦如来像を始め国宝・忍性書状などが出展されます。

般若寺は、菩薩が若いころハンセン病者救済活動をされた地であり、その稀有の業績や御遺徳を世に広めて行きます。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

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2016年11月 7日 (月)

コスモス寺花だより 11・7

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:《満開すぎ》

 

コスモスの花は盛りを過ぎ、

徐々に花数を減らしています。

でもコスモスは春の桜のように一気に散ることはなく、

ゆっくりと終わりをむかえます。

1111日頃まで花は見られます。

 

今年の「正倉院展」は本日までです。

正倉院展が終われば、奈良は晩秋の季節を迎えます。

夕方、奈良公園を歩けば牡鹿が牝鹿を呼ぶ

もの悲しい鳴き声が響き渡っています。

ゆく秋を惜しむかのように。

 

「コスモスの 色もつれあひ ほどけあひ」本郷昭雄

 

・花期:9月~11月 

・数と種類:15万本。20種類 

・駐車場:60台収容。

*今年は夜の行事(ライトアップ)はありません。

○水仙:2万本。花は12月から2月まで。

 

2016 般若寺に咲くコスモスのめずらしい種類

1.ダブルクリック:花はダリアか菊のような複弁で豪華。

赤は「ローズ・ボンボン」、白は「スノー・ホワイト」。

2.シーシェル:花弁が巻貝の貝がらのように筒状になる。

赤・白・ピンク。

3.サイケ:花芯から複弁が出ている。

4.オータムビューティ:大輪の花。遅咲きで10月から

咲き出す。赤・白・ピンク。

5.イエローガーデン:普通のコスモスなのにレモン

イエローの花。遅咲き種。

他に「イエローキャンパス」というシリーズもある。

6.ピコティ:花弁に赤やピンクの斑が入る。

「あかつき」ともいう。

(当寺では今年は20種類を植えています。)

 

〔俳句〕

「江戸江戸と えどへ出(いづ)れば 秋の暮」一茶

訳:江戸江戸と、江戸へ行けばいいことがありそうだと出て行ってみたものの、さびしい秋の暮。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこえて さかるとも

       ゆめにしみえこ わかくさのやま」

(青丹よし奈良山越えて離るとも 夢にし見えこ若草の山

 

「ならやまの したはのくぬぎ いろにいでて

       ふるへのさとを おもひぞわがする」

(奈良山の下葉の椚色に出でて 古家の里を憶いぞ吾がする)

・ふるへ=古びた家。また、もとのすみか。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》785  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

【思圓上人度人行法結夏記】

(しえんしょうにんどにんぎょうぼうけつげのき)

 

◆【別受具足戒日数幷人数

戒壇六箇所。家原寺。西大寺。東大寺。招提寺。淨住寺。海龍王寺。自寛元三年。至正応二年。首尾四十五年也。都合七十三箇日之内。大僧四十六箇度(日ヵ)百八十三番。受者五百二十八人。和尚(上ヵ)百六十一度。羯磨百八十二番。大尼二十九箇日。一百三番。受者三百四人。和上四度一衆受之。羯磨四百五番。証明十九度。戒壇三箇所。西大寺。招提寺。海龍王寺。本法一向法華

寺。自建治元年。至正応二年。首尾十五箇年。新受重受都合八百三十二人。】

 

〔別受具足戒(べつじゅぐそくかい①)の日数幷(ならびに)人数。

 

戒壇六箇所(かいだんろっかしょ②)。家原寺(えばらじ③)。西大寺(さいだいじ④)。東大寺(とうだいじ⑤)。招提寺(しょうだいじ⑥)。淨住寺(じょうじゅうじ⑦)。海龍王寺(かいりゅうおうじ⑧)。

寛元三年より正応二年に至る。首尾四十五年なり。都合七十三箇日の内。大僧(だいそう⑨)は四十六箇度(日)百八十三番。受者は五百二十八人。和尚(上、わじょう⑩)は百六十一度。羯磨(こんま⑪)は百八十二番。大尼(だいに⑫)は二十九箇日。一百三番。受者は三百四人。

和上は四度、一衆これを受く。羯磨は四百五番。証明(しょうみょう⑬)は十九度。戒壇は三箇所。西大寺。招提寺。海龍王寺。本法(ほんぽう⑭)は一向(いっこう⑮)に法華寺(ほっけじ⑯)。建治元年より正応二年に至る(⑰)。首尾十五箇年。新受重受(しんじゅじゅうじゅ⑱)は都合八百三十二人。〕

 

 別受具足戒=菩薩戒の三聚浄戒の内、摂律儀戒(四分律の七衆戒)だけを別して受ける受戒法。単受とも言う。

 戒壇六箇所=東大寺と唐招提寺の戒壇は奈良時代に設立。家原寺、西大寺、淨住寺、海龍王寺は新たに設立された。

 家原寺=大阪堺市在。行基菩薩の生家を寺としたと伝える。

 西大寺=奈良市。真言律の本山。

 東大寺=奈良市。奈良時代に鑑真和尚が戒律を伝来し、戒壇院が国家公認の戒壇となった。三戒壇の中心。

 招提寺=唐招提寺。奈良市。鑑真和尚が戒壇を開設したと伝える。

 淨住寺=京都市。葉室定嗣が開基し興正菩薩が開山となった。

 海龍王寺=奈良市。興正菩薩が戒壇を開く。

 大僧=比丘。男性の正式の僧侶。比丘は具足戒(二百五十戒)を受ける。ここは比丘受戒のこと。

 和上=律宗の一山一寺の僧衆を率いる長老。受戒式で授戒師を勤める。

 羯磨=羯磨師。受戒者に代わって受戒の意思を表白し、承認を問う。白二羯磨、白四羯磨の形式がある。

 大尼=比丘尼。女性の正式の僧侶。比丘尼は具足戒(三百四十八戒)を受ける。ここは比丘尼受戒のこと。

 証明=証明師。受戒が成立したことを証明する七人の大僧(尼)。

 本法=比丘尼の受戒。

 一向=ひたすらに。

 法華寺=奈良市。総国分尼寺。

 建治元年より正応二年に至る=一二七五年から一二八九年まで。

 新受重受=初めて受戒する人と重ねて受戒する人。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

来年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(1217年生。後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県磯城郡三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)が製作されました。

横浜の金沢文庫では特別展『忍性菩薩‐関東興律七五〇年』(1028日~1218日)が開催されます。秘仏極楽寺釈迦如来像、称名寺釈迦如来像を始め国宝・忍性書状などが出展されます。

般若寺は、菩薩が若いころハンセン病者救済活動をされた地であり、その稀有の業績や御遺徳を世に広めて行きます。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

 

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2016年11月 6日 (日)

コスモス寺花だより 11・6

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:《満開すぎ》

 

コスモスの花は盛りを過ぎ、

徐々に花数を減らしています。

でもコスモスは春の桜のように一気に散ることはなく、

ゆっくりと終わりをむかえます。

1111日頃まで花は見られます。

 

「コスモスの 色もつれあひ ほどけあひ」本郷昭雄

 

・花期:9月~11月 

・数と種類:15万本。20種類 

・駐車場:60台収容。

*今年は夜の行事(ライトアップ)はありません。

○水仙:2万本。花は12月から2月まで。

 

2016 般若寺に咲くコスモスのめずらしい種類

1.ダブルクリック:花はダリアか菊のような複弁で豪華。

赤は「ローズ・ボンボン」、白は「スノー・ホワイト」。

2.シーシェル:花弁が巻貝の貝がらのように筒状になる。

赤・白・ピンク。

3.サイケ:花芯から複弁が出ている。

4.オータムビューティ:大輪の花。遅咲きで10月から

咲き出す。赤・白・ピンク。

5.イエローガーデン:普通のコスモスなのにレモン

イエローの花。遅咲き種。

他に「イエローキャンパス」というシリーズもある。

6.ピコティ:花弁に赤やピンクの斑が入る。

「あかつき」ともいう。

(当寺では今年は20種類を植えています。)

 

〔俳句〕

「江戸江戸と えどへ出(いづ)れば 秋の暮」一茶

訳:江戸江戸と、江戸へ行けばいいことがありそうだと出て行ってみたものの、さびしい秋の暮。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこえて さかるとも

       ゆめにしみえこ わかくさのやま」

(青丹よし奈良山越えて離るとも 夢にし見えこ若草の山

 

「ならやまの したはのくぬぎ いろにいでて

       ふるへのさとを おもひぞわがする」

(奈良山の下葉の椚色に出でて 古家の里を憶いぞ吾がする)

・ふるへ=古びた家。また、もとのすみか。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》785  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

【思圓上人度人行法結夏記】

(しえんしょうにんどにんぎょうぼうけつげのき)

 

◆【別受具足戒日数幷人数

戒壇六箇所。家原寺。西大寺。東大寺。招提寺。淨住寺。海龍王寺。自寛元三年。至正応二年。首尾四十五年也。都合七十三箇日之内。大僧四十六箇度(日ヵ)百八十三番。受者五百二十八人。和尚(上ヵ)百六十一度。羯磨百八十二番。大尼二十九箇日。一百三番。受者三百四人。和上四度一衆受之。羯磨四百五番。証明十九度。戒壇三箇所。西大寺。招提寺。海龍王寺。本法一向法華

寺。自建治元年。至正応二年。首尾十五箇年。新受重受都合八百三十二人。】

 

〔別受具足戒(べつじゅぐそくかい①)の日数幷(ならびに)人数。

 

戒壇六箇所(かいだんろっかしょ②)。家原寺(えばらじ③)。西大寺(さいだいじ④)。東大寺(とうだいじ⑤)。招提寺(しょうだいじ⑥)。淨住寺(じょうじゅうじ⑦)。海龍王寺(かいりゅうおうじ⑧)。

寛元三年より正応二年に至る。首尾四十五年なり。都合七十三箇日の内。大僧(だいそう⑨)は四十六箇度(日)百八十三番。受者は五百二十八人。和尚(上、わじょう⑩)は百六十一度。羯磨(こんま⑪)は百八十二番。大尼(だいに⑫)は二十九箇日。一百三番。受者は三百四人。

和上は四度、一衆これを受く。羯磨は四百五番。証明(しょうみょう⑬)は十九度。戒壇は三箇所。西大寺。招提寺。海龍王寺。本法(ほんぽう⑭)は一向(いっこう⑮)に法華寺(ほっけじ⑯)。建治元年より正応二年に至る(⑰)。首尾十五箇年。新受重受(しんじゅじゅうじゅ⑱)は都合八百三十二人。〕

 

 別受具足戒=菩薩戒の三聚浄戒の内、摂律儀戒(四分律の七衆戒)だけを別して受ける受戒法。単受とも言う。

 戒壇六箇所=東大寺と唐招提寺の戒壇は奈良時代に設立。家原寺、西大寺、淨住寺、海龍王寺は新たに設立された。

 家原寺=大阪堺市在。行基菩薩の生家を寺としたと伝える。

 西大寺=奈良市。真言律の本山。

 東大寺=奈良市。奈良時代に鑑真和尚が戒律を伝来し、戒壇院が国家公認の戒壇となった。三戒壇の中心。

 招提寺=唐招提寺。奈良市。鑑真和尚が戒壇を開設したと伝える。

 淨住寺=京都市。葉室定嗣が開基し興正菩薩が開山となった。

 海龍王寺=奈良市。興正菩薩が戒壇を開く。

 大僧=比丘。男性の正式の僧侶。比丘は具足戒(二百五十戒)を受ける。ここは比丘受戒のこと。

 和上=律宗の一山一寺の僧衆を率いる長老。受戒式で授戒師を勤める。

 羯磨=羯磨師。受戒者に代わって受戒の意思を表白し、承認を問う。白二羯磨、白四羯磨の形式がある。

 大尼=比丘尼。女性の正式の僧侶。比丘尼は具足戒(三百四十八戒)を受ける。ここは比丘尼受戒のこと。

 証明=証明師。受戒が成立したことを証明する七人の大僧(尼)。

 本法=比丘尼の受戒。

 一向=ひたすらに。

 法華寺=奈良市。総国分尼寺。

 建治元年より正応二年に至る=一二七五年から一二八九年まで。

 新受重受=初めて受戒する人と重ねて受戒する人。

(つづく)

 

*〔忍性(にんしょう)菩薩御生誕八百年〕

来年は興正菩薩の高弟、忍性菩薩(1217年生。後醍醐天皇により菩薩号を諡される)が奈良県磯城郡三宅町の「屏風(びょうぶ)の里」で誕生されてから八百年という記念の年に当たります。真言律宗にとっては宗祖に次ぐ祖師であり、日本の社会救済事業の巨人と言える僧です。現代仏教が忘れてしまった衆生済度、菩薩行の実践を再興するためにも、先輩として学びたいお方です。真言律宗(本山西大寺)としては慶賛の事業は予定されていませんが、生誕地の屏風では、浄土宗の浄土寺さん(藤田能宏住職)が菩薩の尊像を造立中、さらに映画「忍性」(秋原北胤監督、和泉元弥主演)が製作されました。

横浜の金沢文庫では特別展『忍性菩薩‐関東興律七五〇年』(1028日~1218日)が開催されます。秘仏極楽寺釈迦如来像、称名寺釈迦如来像を始め国宝・忍性書状などが出展されます。

般若寺は、菩薩が若いころハンセン病者救済活動をされた地であり、その稀有の業績や御遺徳を世に広めて行きます。

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

 

 

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2016年11月 5日 (土)

コスモス寺花だより 11・5

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:《満開すぎ》

 

11月に入ってコスモスの花は、

盛りを過ぎて徐々に花数を減らしています。

コスモスは春の桜のように一気に散ることはなく、

ゆっくりと終わりをむかえます。

1111日頃までは花は見られます。

 

「コスモスを 離れし蝶に 谿深し」秋桜子

 

・花期:9月~11月 

・数と種類:15万本。20種類 

・駐車場:60台収容。

*今年は夜の行事(ライトアップ)はありません。

○水仙:2万本。花は12月から2月まで。

 

2016 般若寺に咲くコスモスのめずらしい種類

1.ダブルクリック:花はダリアか菊のような複弁で豪華。

赤は「ローズ・ボンボン」、白は「スノー・ホワイト」。

2.シーシェル:花弁が巻貝の貝がらのように筒状になる。

赤・白・ピンク。

3.サイケ:花芯から複弁が出ている。

4.オータムビューティ:大輪の花。遅咲きで10月から

咲き出す。赤・白・ピンク。

5.イエローガーデン:普通のコスモスなのにレモン

イエローの花。遅咲き種。

他に「イエローキャンパス」というシリーズもある。

6.ピコティ:花弁に赤やピンクの斑が入る。

「あかつき」ともいう。

(当寺では今年は20種類を植えています。)

 

〔俳句〕

「江戸江戸と えどへ出(いづ)れば 秋の暮」一茶

訳:江戸江戸と、江戸へ行けばいいことがありそうだと出て行ってみたものの、さびしい秋の暮。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこえて さかるとも

       ゆめにしみえこ わかくさのやま」

(青丹よし奈良山越えて離るとも 夢にし見えこ若草の山

 

「ならやまの したはのくぬぎ いろにいでて

       ふるへのさとを おもひぞわがする」

(奈良山の下葉の椚色に出でて 古家の里を憶いぞ吾がする)

・ふるへ=古びた家。また、もとのすみか。

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》785  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

【思圓上人度人行法結夏記】

(しえんしょうにんどにんぎょうぼうけつげのき)

 

◆【別受具足戒日数幷人数

戒壇六箇所。家原寺。西大寺。東大寺。招提寺。淨住寺。海龍王寺。自寛元三年。至正応二年。首尾四十五年也。都合七十三箇日之内。大僧四十六箇度(日ヵ)百八十三番。受者五百二十八人。和尚(上ヵ)百六十一度。羯磨百八十二番。大尼二十九箇日。一百三番。受者三百四人。和上四度一衆受之。羯磨四百五番。証明十九度。戒壇三箇所。西大寺。招提寺。海龍王寺。本法一向法華

寺。自建治元年。至正応二年。首尾十五箇年。新受重受都合八百三十二人。】

 

〔別受具足戒(べつじゅぐそくかい①)の日数幷(ならびに)人数。

 

戒壇六箇所(かいだんろっかしょ②)。家原寺(えばらじ③)。西大寺(さいだいじ④)。東大寺(とうだいじ⑤)。招提寺(しょうだいじ⑥)。淨住寺(じょうじゅうじ⑦)。海龍王寺(かいりゅうおうじ⑧)。

寛元三年より正応二年に至る。首尾四十五年なり。都合七十三箇日の内。大僧(だいそう⑨)は四十六箇度(日)百八十三番。受者は五百二十八人。和尚(上、わじょう⑩)は百六十一度。羯磨(こんま⑪)は百八十二番。大尼(だいに⑫)は二十九箇日。一百三番。受者は三百四人。

和上は四度、一衆これを受く。羯磨は四百五番。証明(しょうみょう⑬)は十九度。戒壇は三箇所。西大寺。招提寺。海龍王寺。本法(ほんぽう⑭)は一向(いっこう⑮)に法華寺(ほっけじ⑯)。建治元年より正応二年に至る(⑰)。首尾十五箇年。新受重受(しんじゅじゅうじゅ⑱)は都合八百三十二人。〕

 

 別受具足戒=菩薩戒の三聚浄戒の内、摂律儀戒(四分律の七衆戒)だけを別して受ける受戒法。単受とも言う。

 戒壇六箇所=東大寺と唐招提寺の戒壇は奈良時代に設立。家原寺、西大寺、淨住寺、海龍王寺は新たに設立された。