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2016年11月23日 (水)

コスモス寺花だより 11・23

 

〔花ごよみ〕

コスモス(秋桜)

開花情報:《終わりました》

○水仙:≪つぼみ≫ちらほら咲いています

花期・12月~2

    種類・一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも

        八重咲「チヤフルネス」

    株数・2万本

 

「真中の小さき黄色のさかづきに

    甘き香もれる水仙の花」木下利玄

 

〔俳句〕

「田の雁や 村の人数(にんず)は けふもへる」一茶

訳:田んぼの雁がふえたなあ。村の人の数は今日も減った。。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈東大寺にて〉

「あまたたび このひろまへに めぐりきて

       たちたるわれぞ しるやみほとけ」

(数多度この広前に巡り来て 立ちたる我ぞ知るや御仏)

〈春日野にて〉

「こがくれて あらそふらしき さをしかの

       つののひびきに よはくだちつつ」

(木隠れて爭うらしきさ牡鹿の 角の響きに夜は降ちつつ)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》789  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

【思圓上人度人行法結夏記】

(しえんしょうにんどにんぎょうぼうけつげのき)

 

◆【結夏年譜

 初安居嘉禎三年 南京 海龍王寺

 従暦仁元年至校長元年 南京 西大寺

 弘長二年     鎌倉 清凉寺     

 従弘長三年至正応三年 南京 西大寺   】

 

〔結夏(けつげ①)年譜

初安居嘉禎三年 南京 海龍王寺

暦仁元年より弘長元年に至る 南京 西大寺

弘長二年(②) 鎌倉 清凉寺(せいりょうじ③)

弘長三年より正応三年に至る 南京 西大寺〕

 

 結夏=夏安居を行うこと。インドでは夏の雨季の期間(四月十六日~七月十五日)に僧が僧院にこもり、遊行中の罪を懺悔し修行した年中行事。日本では四月十五日から七月十五日までの九十日間とした。結夏に対し終りは解夏という。夏安居を一回経るごとに夏数(法臘)を数える。夏数何歳と数える。

 弘長二年=関東(鎌倉)へ下向の年。『学正記』には、「自二月四日進発。至八月十五日帰寺。八ヶ月日々事。性海比丘往還記両巻粗載之。仍不記之。」と記す。

 清涼寺=鎌倉清凉寺谷(せいりょうじがやつ)にあった新清凉寺釈迦堂。叡尊師の鎌倉での住所となった寺。『関東往還記』には、金沢実時が叡尊師の請いにより一向無縁寺を探して当寺を勧めた。師が弟子を派遣して見分させたところ、「地勢は狭いけれど巨難なし」と報告され決定したという。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

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