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2016年12月13日 (火)

コスモス寺花だより   12・13

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪咲きはじめ・1~2分咲き≫

観音石仏の足元に小さな白い花が咲きだしました。

花期:12月~2

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙の 花の高さの 日影かな」川井(河合とも)智月

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

*「除夜の鐘」中止のお知らせ

毎年1231日大みそかに行っていました除夜の鐘は、梵鐘に「音割れ」

が生じてきたため、文化財保存の観点から本年は中止いたします。将来、勧進により新しい梵鐘が出来上がれば再開できると思います。あしからずご了承くださいませ。

 

〔俳句〕

「寒き夜や 我身をわれが 不寝番(ねずのばん)」一茶

訳:寒い夜だなあ。寝ないで自分でわが身の番をしていないと凍えてしまいそう。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈浄瑠璃寺にて〉

「かれわたる いけのおもての あしのまに

       かげうちひたし くるるたふかな」

(枯れ渡る池の面の芦の間に 影打ち浸し暮るる塔かな)

〈平城宮址の大黒芝にて〉

「はたなかの かれたるしばに たつひとの

       うごくともなし ものもふらしも」

(畠中の枯れたる芝に立つ人の 動くともなしもの憶うらしも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》809

 

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩講式』 

教興寺比丘阿一 謹草之

 

◆【於戯戒徳難思。四心三性。不藉縁辨。戒功難量。微塵刹土。無非戒善。念々未曽。得刹那倍増。至仏果初念之善根也。於覚位二念。始称曽得善根也。悦哉。十万余里之外。会此金言。】

 

〔於戯(ああ)戒徳(かいとく①)は思い難し。四心三性(ししんさんしょう②)は縁辨(えんべん③)を藉(かり)ず。戒功(かいこう④)は量り難し。微塵刹土(みじんせつど⑤)も戒善(かいぜん⑥)に非ざること無し。念々未曽得の刹那(ねんねんみそうとくのせつな⑦)に倍増して、仏果初念(ぶっかしょねん⑧)に至るの善根(ぜんこん)なり。覚位二念(かくいにねん⑨)に於いて、始めて曽得の善根と称すなり。悦ばしき哉、十万余里の外に此の金言(こんげん⑩)に会うこと。〕

 

 戒徳=戒をたもつことによる功徳。

 四心三性=四心は慈悲喜捨の四無量心。三性は法相唯識で説く存在の三種の見方。偏計所執性、依他起性、円成実性。三性は無自性空であるので三無性であると説く。

 縁辨=不詳。

 戒功=戒をたもつことによる結果。

 微塵刹土=細かいちりのような国土。

 戒善=戒をたもつことで得られる善根功徳。

 念々未曽得刹那=今までにないような瞬時に。かつてない短い時間に。

 仏果初念=悟りへの初志。

 覚位二念=覚位は正覚(さとり)の位にあること。念は心、または短い時間。

 金言=仏の金口(こんく)から出た不滅の法語。釈迦の言葉。

 

◆【幸哉。二千余年之後。受此木叉。思之。則菩薩発願恩。高自白山千里之峯。按之。則和尚弘誓徳。深自蒼海三千之底。今当三十三回遠忌。泣憶八十七歳往事。先頌菩薩戒経文。当尸羅讃歎偈。次可作礼拝。】

 

〔幸いなる哉。二千余年の後、此の木叉(もくしゃ①)を受け、之を思うに、則ち菩薩発願の恩は白山千里(はくさんせんり②)の峯より高し。之を按(あん③)ずるに、和尚弘誓の徳は蒼海三千の底より深し。今、三十三回遠忌(さんじゅうさんかいおんき)④に当り、泣(なくな)く八十七歳の往事(おうし⑤)を億い、先ず菩薩戒経(ぼさつかいきょう④)の文を頌し、尸羅(しら⑤)讃歎の偈に当たる。次に礼拝を作す可し。〕

 

 木叉=波羅提木叉(はらだいもくしゃ)。戒律の条文。比丘・比丘尼が守るべき戒本のこと。別解脱律儀と訳す。

 白山千里=雪の消えない高くて千里もある遠い山。

 按=おさえる。考える。

 三十三回遠忌=元亨二年(西暦一三二二年)に当たる。

 八十七歳の往時=過ぎ去った事柄。昔のこと。八十七歳は本講式の作者阿一の年齢か。

 菩薩戒経=梵網経。

 尸羅=梵・シーラ。戒。

 

◆【戒如明日月 示(亦)如瓔珞珠 微塵菩薩衆 由是成正覚

 

南無戒法弘通興正菩薩 】

 

〔戒は明るい日月の如し、また瓔珞の珠の如し。微塵の菩薩の衆は、是に由りて正覚を成ぜん。

 戒法を弘通せる興正菩薩に南無(なむ)す。〕

 

◆【第三。万行一門徳者。菩薩朝夕諺云。仏以一音演説法。衆生隨類各得解。常屢言之。上自上根上乗之徒。下至下根下智之輩。毫釐不隔之。繊芥不捨之。是故七十二人僧尼老少遂入檀灌頂素懐。】

 

〔第三に、万行一門(まんぎょういちもん①)の徳とは。菩薩朝夕の諺(ことわざ)に云う。仏は一音を以って法を演説したもう。衆生は類に隨って各(おのおの)解を得る。(②)常に屢(しばしば)之を言う。上は上根上乗の徒より、下は下根下智の輩に至るまで、毫釐(ごうり③)も之を隔てず。繊芥(せんかい④)も之を捨てず。是の故に七十二人(⑤)の僧尼は老いも少(わか)きも入壇灌頂の素懐(そかい⑥)を遂ぐ。〕

 

 万行一門=一切の行は一つの同じ法門にある。

 仏は~解を得=維摩経仏国品に出る文。

 毫釐=きわめて小さい数量。

 繊芥=細かいちり。

 七十二人=伝法灌頂を授けた人数。比丘六十四人、比丘尼六人、院家二人。

 素懐=かねてからの望み。

 

◆【一千三百七箇所成放生白業。密行薫修四万一千三百八座。顕教開講一万七百二十一座。於南都般若寺。盡際始無遮会。於山城宇治河。永代救有命鱗。搆五朝第一石塔台於河上。施四身無三金剛益於水中。】

 

〔一千三百七箇所に放生の白業(はくぎょう①)を成ず。密行の薫修、四万一千三百八座。顕教の開講、一万七百二十一座。南都般若寺に於いて、際(かぎり)を盡(つく)し無遮会(むしゃえ②)を始む。山城宇治河に於いて永代に有命の鱗(りん③)を救い、五(吾ヵ)朝第一の石塔基(せきとうき④)を河上に構え、四身無三(ししんむさん⑤)の金剛益(こんごうえき⑥)を水中に施す。〕

 

 白業=きよらかな行い。浄業。

 無遮会=さえぎりなく大勢の人々に布施をする法会。印度以来、国王の所業とされてきた。西大寺一門による文永六年(西暦一二六六年)の無遮大会。

 鱗=うろこ。魚のこと。

 石塔台=十三重石塔のこと。

 四身無三=四身は法身、報身、応身、化身。無三は不詳。

 金剛益=十三重塔は金剛界十三大院を顕わすとされ、五智如来をはじめとする金剛界曼荼羅の諸尊がもたらす御利益。

 

◆【造寺起塔。自作教他。不可数之。書経図仏。隨喜讃歎。不可量之。寛元三年。始毎年三十日最勝講。以祈四海泰平国土安穏。文永元年。創毎歳七箇日光明会。以訪一切衆生法界群類。建治三年。啓仁王会。毎歳正五九月成百僧群。】

 

〔寺を造り塔を起てることは、自ら作ると他に教えると、之を数うべからず。経を書し仏を図して隨喜讃歎すること、之を量るべからず。寛元三年(①)、毎年三十日の最勝講(さいしょうこう②)を始めるは、以って四海泰平国土安穏を祈る。文永元年(③)、毎歳七箇日光明会(こうみょうえ④)を創(つく)るは、以って一切衆生法界群類を訪(とぶら)う。建治三年(⑤)、仁王会(にんのうえ⑥)を啓く。毎歳正五九月(しょうごくがつ⑦)に百僧の群(ひゃくそうのぐん⑧)を成ず。〕

 

 寛元三年=かんぎ。西暦一二三一年。

 最勝講=護国経典とされる金光明最勝王経を講説する法会。興正菩薩は西大寺の正式名称「金光明最勝王護国之寺」にちなみ最勝講を復興した。

 文永元年=ぶんえい。西暦一二六四年。

 光明会=西大寺で現在も続けられている「光明真言土砂加持法会」。

 建治三年=けんじ。西暦一二七七年。

 仁王会=天下泰平鎮護国家を祈願するため仁王般若経を講讃する法会。国土が乱れたり災害や賊の難があったとき、この経を受持読誦すると五穀が豊かにみのり、人民が栄えると説かれる。

 正五九月=一月、五月、九月。

 百僧の群=仁王会には百人の職衆とともに修法した。

 

◆【或時踏道照道賀轍。造立宇治橋。或時追聖武聖后之昔。再興法華寺。東大興福造営。遣門弟佐助之。西海宇佐破壊。語宿老修理之。闘諍軍陳庭。率衆僧誘之。酒肉濫吹処。引諸経誡之。図知朗然大悟故。不分事理差別。】

 

〔或る時、道照(どうしょう①)道賀(どうが②)の轍(あと)を踏み、宇治橋を造立す。或る時は、聖武聖后(しょうむせいこう③)の昔を追い、法華寺を再興す。東大興福の造営には門弟を遣り之を佐助(さじょ④)す。西海の宇佐(うさ⑤)の破壊には宿老に語りて之を修理す。闘諍軍陳(とうじょうぐんちん⑥)の庭には、衆僧を率いて之を誘う。酒肉濫吹(らんすい⑦)の処、諸経を引いて之を誡める。図知朗然大悟(ずちろうぜんたいご⑧)の故、事理差別(じりしゃべつ⑨)を分かたず。〕

 

 道照=道昭とも。法相宗の僧で元興寺(飛鳥寺)に住した。『続日本紀』には宇治橋を造営したとする。しかし橋寺放生院の現存の「宇治橋断碑」には道登の名を記す。そして興正菩薩建立の石塔基台の銘文には「最初元興寺僧侶道登、道昭建立」と刻されるという。

 道賀=不詳。

 聖武聖后=光明皇后。

 佐助=たすける。補佐する。

 宇佐=大分県にある宇佐八幡宮。

 闘諍軍陳=闘諍はあらそい。軍陳は軍勢の陣立て。ここでは蒙古襲来のこと。

 濫吹=乱暴。

 図知朗然大悟=はかり知ることがあきらかである。

 事理差別=現象と真理の違い、区別。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

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