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2016年12月11日 (日)

コスモス寺花だより   12・11

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪咲きはじめ・1~2分咲き≫

観音石仏の足元に小さな白い花が咲きだしました。

花期:12月~2

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙を 遠ざかるとき 近づく香」稲畑汀子

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

*「除夜の鐘」中止のお知らせ

毎年1231日大みそかに行っていました除夜の鐘は、梵鐘に「音割れ」

が生じてきたため、文化財保存の観点から本年は中止といたします。将来、勧進により新しい梵鐘が出来上がった暁には再開できると思います。悪しからずご了承くださいませ。

 

〔俳句〕

「捨てられし 姥(うば)の日じややら 村時雨」一茶

訳:今日が棄てられた姥の日だというのだろうか。冷たくひとしきり降る時雨。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈浄瑠璃寺にて〉

「かれわたる いけのおもての あしのまに

       かげうちひたし くるるたふかな」

(枯れ渡る池の面の芦の間に 影打ち浸し暮るる塔かな)

〈平城宮址の大黒芝にて〉

「はたなかの かれたるしばに たつひとの

       うごくともなし ものもふらしも」

(畠中の枯れたる芝に立つ人の 動くともなしもの憶うらしも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》807

 

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩講式』 

教興寺比丘阿一 謹草之

 

◆【建保六歳。生年十八。習十八印明。承久三年。二十一歳。受九会金剛。後堀河御宇元仁元年之春。登高野山伝教相法門。攀醍醐寺行胎蔵次第。同二年。修護摩於東大寺。同九夏。受印可於霊山院。】

 

〔建保六歳(①)。生年十八。十八印明(じゅうはちいんみょう②)を習う。承久三年(③)、二十一歳。九会金剛(くえこんごう④)を受く。後堀河御宇元仁元年(⑤)の春、高野山に登り教相法門(きょうそうほうもん⑥)を伝(さず)かる。醍醐寺に攀(よ)じ胎蔵次第(たいぞうしだい⑦)を行ず。同二年(⑧)、護摩(ごま⑨)を東大寺に修す。同九(⑩)夏。印可(いんか⑪)を霊山院(れいざんいん⑫)に於いて受く。〕

 

 建保六歳=けんぽ。西暦一二一八年。

 十八印明=伝法灌頂を受ける前に行う密教の修行である四度加行の最初に行う十八道念誦次第に出る印契と真言。

 承久三年=じょうきゅう。西暦一二二一年。

 九会金剛=金剛界念誦次第。金剛界を九会曼荼羅という。

 元仁元年=げんにん。西暦一二二四年。

 教相法門=密教の威儀、行法などの実践的修法を行う事相法門に対して、教義を組織的に解釈研究する方面を教相法門と言う。

 胎蔵次第=胎蔵界念誦次第。

 同二年=元仁二年。西暦一二二五年。

 護摩=不動法護摩次第。

 同九=元仁九年。西暦一二二九年。

 印可=印は印信(いんじん)、伝法灌頂を遂げた弟子が伝授阿闍梨より法脈伝授を証明するために発給される文書。可は許可(こか)、聴許印可の意。阿闍梨が弟子に相伝修学を許すこと。

 霊山院=現天理市柳本の釜口山長岳寺にあった子院。

 

◆【安貞二年。二十八歳。於同道場具支灌頂。寛喜三年。春秋卅一。卜閑居地。法花暗誦。凡厥出世入道化儀。顕教密宗鑽仰。祖跡既慇懃也。遺弟盍随喜乎。先頌和上発願偈文。当菩薩称揚伽陀。次可行礼拝。

 自然憶衆生 皆是我父母 設種々方便 漸々令離苦

  南無戒法弘通興正菩薩】

 

〔安貞二年(①)、二十八歳。同道場に於いて具支灌頂(ぐしかんじょう②)。寛喜三年(③)、春秋三十一。閑居(かんきょ④)の地を卜し、法華を暗誦す。およそその出世入道(しゅっせにゅうどう⑤)の化儀(けぎ⑥)たるや、顕教密宗を鑚仰す。祖跡(そせき⑦)既に慇懃(いんぎん⑧)也。遺弟なんぞ隨喜せざらんや。先ず和上発願の偈文を頌し、菩薩称揚の伽陀に当り、次に礼拝を行ずべし。

 

自然に、衆生は皆な是れ我が父母なりと憶(おも)い、種々の方便を設け、漸漸に苦を離れしめむ。

 

南無戒法弘通興正菩薩  〕

 

 安貞二年=あんてい。西暦一二二八年。

 具支灌頂=伝法灌頂。

 寛喜三年=かんぎ。西暦一二三一年。

 閑居=世間との交わりをやめ、煩わされることなく心静かに住むこと。その住まい。

 出世入道=出家して仏道に入ること。

 化儀=衆生を教導し感化する形式、方法。

 祖跡=祖師の事跡、業績。

 慇懃=念入りにこと細かにすること。

 

◆【第二。戒律中興徳。四條院御宇。生年三十四。於密教修学之時。発戒律凌廃之疑。所謂慧果和尚依四分秉法。以三密灌頂。弘法大師二十歳十戒。二十二受具。又遺告云。若不護顕密戒者。非我弟子。是魔之眷属也〔云々〕。】

 

〔第二に。戒律中興の徳とは。四條院御宇(しじょういんぎょう①)、生年三十四。密教修学の時に於いて、戒律凌廃(りょうはい②)の疑いを発す。所謂慧果(けいか③)和尚は四分(しぶん④)に依りて法を秉(と)り、三密灌頂を以ってす。弘法大師は二十歳にて十戒。二十二にて受具(じゅぐ⑤)す。又遺告(ゆいごう⑥)に云う、若し顕密の戒を護らざれば我が弟子に非ず、是れ魔の眷属(けんぞく⑦)也。〔云云〕 〕

 

 四條院御宇=文暦(ぶんりゃく)元年。西暦一二三四年。四條天皇代。

 凌廃=しだいにすたれる。

 慧果=唐代の僧(七四六-八〇五)。真言宗付法八祖の第七祖。長安青龍寺に住し、不空三蔵の弟子、空海の師である。

 四分=四分律

 受具=具足戒を受けること。比丘の満分戒。

 遺告=弘法大師御遺告。

 眷属=一族。うから。従者。

 

◆【加之。最初梵網大乗。説衆生受仏戒即入諸仏位。最後涅槃終窮。談欲顕仏性順持浄戒。曰顕。曰密。不可不仰。仍行年三十五。嘉禎元年之春。移住西大寺。依学南山宗。爰有一恨。即無両師。謹披瑜伽論決擇分第五十三巻。】

 

〔くわうるに、最初に梵網大乗(ぼんもうだいじょう①)は、衆生受仏戒即入諸仏位(しゅじょうじゅぶっかいそくにゅうしょぶっち②)と説く。最後は涅槃(ねはん③)にてついに窮まる。談じて仏性を顕わさんと欲して浄戒を順持(じゅんじ④)す。顕と曰い、密と曰い、仰がざるべからず。仍ち行年三十五、嘉禎元年(⑤)の春、西大寺に移住す。学を南山宗(なんざんしゅう⑥)に依る。ここに一つの恨み有り。即ち両師(りょうし⑦)無し。謹んで瑜伽論決択分第五十三巻(ゆがろんけったくぶんだいごじゅうさんかん⑧)を披(ひら)く。〕

 

 梵網大乗=梵網経に説かれる大乗戒、菩薩の戒。

 衆生受仏戒即入諸仏位=梵網経の序説部に出る偈文の中の二句。「衆生、仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る。」

 涅槃=『大般涅槃経』

 順持=すなおにたもつ。従順にまもる。

 嘉禎元年=かてい。西暦一二三五年。

 南山宗=唐国終南山の道宣師が開いた南山律宗。四分律を菩薩戒に依用する。

 両師=戒師、羯磨師、教授師の三師と七人の証明師。

 瑜伽論決択分第五十三巻=弥勒菩薩の作とされる『瑜伽師地論百巻』中の戒律に関する部分。  

◆【説曰。諸戒容自誓受唯声聞律儀不応自受〔云々〕。得此文。如登崐崘。見彼義。似入宝山。終得好相告。於東(大)寺仏像前。果任自誓戒於中宗法相文。】

 

〔説いて曰く、諸戒(しょかい①)は自誓受を容(ゆる)すに、声聞律儀(しょうもんりつぎ②)は自受(じじゅ③)に応(こた)えず、云云。此の文を得るは崑崙(こんろん④)に登るが如し。彼の義を見るは宝山に入るに似たり。ついに好相(こうそう⑤)の告を東大寺仏像(とうだいじぶつぞう⑥)前に於いて得たり。果して自誓戒(じせいかい⑦)を中宗法相(ちゅうしゅうほっそう⑦)の文に任す。〕

 

 諸戒=梵網経など菩薩戒を説く戒経では。

 声聞律儀=菩薩戒である三聚浄戒中の摂律儀戒で用いられる四分律は元来声聞(小乗)の戒であることをいう。

 自受=自誓受戒。

 崑崙=中国の伝説的地名。黄河の源であり、不死の仙女、西王母が住むという西方の楽土。

 好相=仏の姿が現れること。天から花が降ったり仏が頭頂をなでたりする奇瑞があること。

 東大寺仏像=自誓受戒をともに誓った覚盛師など三人はすでに好相を得ていたが、未得の叡尊師はひとり東大寺大仏殿に参詣し、好相を通夜祈請、その夜に戒禅院で好相を得た。そして四人そろって東大寺羂索院(法華堂、三月堂)において自誓受戒を成就する。(興正菩薩寿像の体内に込められていた『自誓受戒記』に依る)

 自誓戒=自誓受戒。

 中宗法相=中道の宗旨である法相宗のこと。『解深密経』『瑜伽師地論』などを所依とする。唯識宗とも。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

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