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2017年1月

2017年1月31日 (火)

コスモス寺花だより   1・31

 

〔花ごよみ〕

○ロウバイ:≪見ごろ≫

水仙:≪満開すぎ≫

花期:1月中。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙ほのと 藪凪げる真昼 歩くとり」山頭火

 

○今年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

栽培計画:12月 土づくり  3月 種まき  45月 苗植え付け 

 67月 開花 

 

〔俳句〕

「春立(はるたつ)や 四十三年 人の飯」一茶

訳:立春が来れば、いよいよ四十三歳だなあ。ずっと他人様の飯を食ってきた。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》845  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩行状畧頌』

(こうしょうぼさつぎょうじょうりゃくじゅ)

附 影像瞻礼頌文

(ふ えいぞうせんれいじゅぶん)

 

〔興正菩薩行状の略頌(①)

附 影像(えいぞう②)瞻礼(せんれい③)頌文〕

 

 頌=ショウとも。梵・ガーターの意訳、音訳は偈。仏徳や教理を賛嘆する文体の一つ。詩。

 影像=御影像。興正菩薩八十歳の寿像。

 瞻礼=仰ぎ見てうやまい礼する。

*この行状畧頌は西大寺に所蔵され、原題は「興正菩薩成徳年記(せいとくねんき)略頌」となっている。建武四年(一三三七)七月、菩薩の法孫信尊(西大寺第十三代長老)の作。西大寺に現存の国宝・興正菩薩御影像の御前法要にて読頌されたものであろう。なお、西大寺刊行(平成二十七年)の『祖師のおすがた』(佐伯俊源編)に掛軸装の『興正菩薩成徳年記略頌』現物の写真と解説、活字化された本文が紹介されている。 

 

●【東土利生六十二 同皇帝時弘長二 園塵不摂淨説法 弥天導化従此盛】

 

〔東土(とうど①)において(衆)生を利すこと、六十二(歳)。同皇帝(どうこうてい②)の時、弘長二(③)。園塵(えんじん④)を摂らずして淨説法す。いよいよ天(子)の導化(どうけ⑤)は此れより盛んなり。〕

 

 東土=関東、鎌倉。

 同皇帝=亀山天皇。

 弘長二=こうちょう。一二六二年。

 園塵=俗塵。

 導化=化導。人々を教化して導くこと。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多

数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

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2017年1月30日 (月)

コスモス寺花だより   1・30

 

〔花ごよみ〕

○ロウバイ:≪見ごろ≫

水仙:≪満開すぎ≫

花期:1月中。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙ほのと 藪凪げる真昼 歩くとり」山頭火

 

○今年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

*今月は春をむかえる庭の作業として、土の上下をひっくり返す「天地返し」を行いました。そのため境内全体がでこぼこの状態になっています。

水仙を鑑賞に来られた方には殺風景に見えるでしょうがおゆるし願います。

当寺では農薬などを一切使わないので、土の浄化のためには寒中の天地ガエシが欠かせない作業となっています。

コスモスは野性的な花ですから、できるだけ自然の力にお任せしたいと思います。やさしく美しい花を咲かせてくれるコスモスのために、

しばらくの間ご辛抱をお願いします。

 

〔俳句〕

「みそさざい チヨツチヨツと 何がいまいまし」一茶

訳:みそさざいがチョッチョッと鳴いている。何がいまいましくて、そんな風に鳴くのか。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》845  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩行状畧頌』

(こうしょうぼさつぎょうじょうりゃくじゅ)

附 影像瞻礼頌文

(ふ えいぞうせんれいじゅぶん)

 

〔興正菩薩行状の略頌(①)

附 影像(えいぞう②)瞻礼(せんれい③)頌文〕

 

 頌=ショウとも。梵・ガーターの意訳、音訳は偈。仏徳や教理を賛嘆する文体の一つ。詩。

 影像=御影像。興正菩薩八十歳の寿像。

 瞻礼=仰ぎ見てうやまい礼する。

*この行状畧頌は西大寺に所蔵され、原題は「興正菩薩成徳年記(せいとくねんき)略頌」となっている。建武四年(一三三七)七月、菩薩の法孫信尊(西大寺第十三代長老)の作。西大寺に現存の国宝・興正菩薩御影像の御前法要にて読頌されたものであろう。なお、西大寺刊行(平成二十七年)の『祖師のおすがた』(佐伯俊源編)に掛軸装の『興正菩薩成徳年記略頌』現物の写真と解説、活字化された本文が紹介されている。 

 

●【図画曼荼授灌頂 五十八歳正嘉二 後七修法満六十 亀山天皇文応元】

 

〔曼荼(まんだ①)を図画し灌頂を授く、五十八歳、正嘉二(②)。後七(日)の(御)修法(③)する。満六十、亀山天皇の文応元(④)。〕

 

 曼荼=曼荼羅。『感身学正記』建治二年(一二七六)の記事によれば、高野の賢宥が親父の性仏房に勧め、九幅の両界曼荼羅の絹布と砂金十五両を寄進させた。

 正嘉二=しょうか。一二五八年。

 後七日の御修法=毎年正月八日から十四日まで国家安穏、万民豊楽などを祈願する修法。宮中では真言院で修された。ここでは西大寺で行われた私的な御修法である。

 文応元=ぶんおう(ぶんのう)。一二六〇年。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多

数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

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2017年1月28日 (土)

コスモス寺花だより   1・28

 

〔花ごよみ〕

○ロウバイ:≪見ごろ≫

水仙:≪満開すぎ≫

花期:1月中。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「窓はたかく鎖されて 水仙咲けり」山頭火

 

○今年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「或時は ことりともせぬ 千鳥哉」一茶

訳:あるときはことりともしない千鳥だなあ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》844  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩行状畧頌』

(こうしょうぼさつぎょうじょうりゃくじゅ)

附 影像瞻礼頌文

(ふ えいぞうせんれいじゅぶん)

 

〔興正菩薩行状の略頌(①)

附 影像(えいぞう②)瞻礼(せんれい③)頌文〕

 

 頌=ショウとも。梵・ガーターの意訳、音訳は偈。仏徳や教理を賛嘆する文体の一つ。詩。

 影像=御影像。興正菩薩八十歳の寿像。

 瞻礼=仰ぎ見てうやまい礼する。

*この行状畧頌は西大寺に所蔵され、原題は「興正菩薩成徳年記(せいとくねんき)略頌」となっている。建武四年(一三三七)七月、菩薩の法孫信尊(西大寺第十三代長老)の作。西大寺に現存の国宝・興正菩薩御影像の御前法要にて読頌されたものであろう。なお、西大寺刊行(平成二十七年)の『祖師のおすがた』(佐伯俊源編)に掛軸装の『興正菩薩成徳年記略頌』現物の写真と解説、活字化された本文が紹介されている。 

 

●【模写釈像仏骨現 授大尼等式沙弥 七衆成満四十九 後深草帝建長元】

 

〔釈像(しゃくぞう①)を模写するに仏骨(ぶっこつ②)現る。大尼(だいに③)等、式沙弥(しきしゃみ④)に授け、七衆(しちしゅう⑤)成満す、四十九歳、後深草帝の建長元年(⑥)。〕

 

 釈像=釈迦如来像。京都嵯峨の清凉寺の三国伝来の本尊を摸刻して西大寺本尊とされた。

 仏骨=仏舎利。摸刻の釈迦像を西大寺四王堂に安置し供養した夜、僧坊二室において仏舎利が湧出したという。

 大尼=比丘尼。法華寺において十二人に大比丘尼戒(具足戒、四分律の三百四十八戒)を授けられる。

 式沙弥=式沙摩那(しきしゃまな)。比丘尼戒を受ける準備の修行をしている十八歳から二十歳までの沙弥尼。六法戒を守らねばならない。(不婬、不偸盗、不殺、不妄語、不非持食、不飲酒)。

 七衆=『学正記』に「日本国如法修行の七衆円満の始まりなり」とある。七衆は比丘(大僧)、比丘尼(大尼)、沙弥、沙弥尼、式叉摩那、優婆塞(居士)、優婆夷(大姉)。

 建長元=けんちょう。一二四九年。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多

数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

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2017年1月27日 (金)

コスモス寺花だより   1・27

 

〔花ごよみ〕

○ロウバイ:≪見ごろ≫

水仙:≪満開すぎ≫

花期:1月中。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「窓はたかく鎖されて 水仙咲けり」山頭火

 

○今年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「榾(ほた)の火や 白髪(しらが)のつやを ほめらるる」一茶

訳:ほたの火が燃えているよ。照らし出された白髪のつやをほめられた。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》844 

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩行状畧頌』

(こうしょうぼさつぎょうじょうりゃくじゅ)

附 影像瞻礼頌文

(ふ えいぞうせんれいじゅぶん)

 

〔興正菩薩行状の略頌(①)

附 影像(えいぞう②)瞻礼(せんれい③)頌文〕

 

 頌=ショウとも。梵・ガーターの意訳、音訳は偈。仏徳や教理を賛嘆する文体の一つ。詩。

 影像=御影像。興正菩薩八十歳の寿像。

 瞻礼=仰ぎ見てうやまい礼する。

*この行状畧頌は西大寺に所蔵され、原題は「興正菩薩成徳年記(せいとくねんき)略頌」となっている。建武四年(一三三七)七月、菩薩の法孫信尊(西大寺第十三代長老)の作。西大寺に現存の国宝・興正菩薩御影像の御前法要にて読頌されたものであろう。なお、西大寺刊行(平成二十七年)の『祖師のおすがた』(佐伯俊源編)に掛軸装の『興正菩薩成徳年記略頌』現物の写真と解説、活字化された本文が紹介されている。 

 

●【聖迹家原興別受 四十五歳寛元三 最勝講讃建尼法 二衆双行亦同年】

 

〔聖迹の家原(せいしゃくえばら①)にて別受(べつじゅ②)を興すは、四十五歳、寛元三年。最勝を講讃(さいしょうこうさん③)し、尼法(にほう④)を建つ。二衆(にしゅう⑤)の双行も亦同年。〕

 

 聖迹家原=聖迹(聖人の遺跡)、家原寺(えばらじ、現大阪府堺市)は奈良時代に行基が生家を寺にあらためたもの。叡尊師は行基菩薩を菩薩行実践の先達として敬慕していた。

 別受=菩薩戒(三聚浄戒)の摂律儀戒(四分律に基づく具足戒)のみを別して受ける受戒。

 最勝講讃=国家安泰を祈念するため『金光明最勝王経』を転読講讃する法会。「最勝会」は薬師寺で行われた国家的法会で「南京三会」の一つ。叡尊師は西大寺が「金光明最勝王護国の寺」である法灯を重んじ私的に法会を行われたのであろう。

 尼法=法華寺において慈善など八人の尼僧に沙弥尼戒を授けた。正式の比丘尼と成るための前段の受戒である。

 二衆=比丘尼衆と沙弥尼衆。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多

数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

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2017年1月26日 (木)

コスモス寺花だより   1・26

 

〔花ごよみ〕

○ロウバイ:≪見ごろ≫

水仙:≪満開すぎ≫

冬の庭に清楚な花を咲かせる水仙は地中海沿岸が原産地。

千年の昔、シルクロードの長い旅を経て日本にたどり着きました。

もとの名はナルキッソス、ギリシャ神話の美少年の名前です。

少年は泉に映る自分の顔に恋をしていのち絶え、

水の精になったといいます。

水仙の花がうつむいて咲くのは自分の顔をのぞき込む

少年の姿だそうです。

純白の花が甘くかぐわしい香りを漂わせています。

 

花期:1月中。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「閼伽桶や 水仙折れて 薄氷」夏目漱石

 

○今年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「炭くだく 手の淋しさよ かぼそさよ」一茶

訳:炭を砕く手の淋しさよ、手首の細さよ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》843  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩行状畧頌』

(こうしょうぼさつぎょうじょうりゃくじゅ)

附 影像瞻礼頌文

(ふ えいぞうせんれいじゅぶん)

 

〔興正菩薩行状の略頌(①)

附 影像(えいぞう②)瞻礼(せんれい③)頌文〕

 

 頌=ショウとも。梵・ガーターの意訳、音訳は偈。仏徳や教理を賛嘆する文体の一つ。詩。

 影像=御影像。興正菩薩八十歳の寿像。

 瞻礼=仰ぎ見てうやまい礼する。

*この行状畧頌は西大寺に所蔵され、原題は「興正菩薩成徳年記(せいとくねんき)略頌」となっている。建武四年(一三三七)七月、菩薩の法孫信尊(西大寺第十三代長老)の作。西大寺に現存の国宝・興正菩薩御影像の御前法要にて読頌されたものであろう。なお、西大寺刊行(平成二十七年)の『祖師のおすがた』(佐伯俊源編)に掛軸装の『興正菩薩成徳年記略頌』現物の写真と解説、活字化された本文が紹介されている。 

 

●【宝塔年始薫瑜伽 三十九歳延応元 初授印可四十三 後嵯峨院寛元初】

 

〔宝塔(ほうとう①)の年始に瑜伽(ゆが②)を薫ず、三十九歳、延応元(③)。初めて印可(いんか④)を授く、四十三、後嵯峨院寛元初(⑤)。〕

 

 宝塔=西大寺東塔を中心とする宝塔院が叡尊師ら律宗僧団の活動拠点であった。

 瑜伽=瑜伽宗。真言密教のこと。『行実年譜』には「東の壇には金剛界の法を修し、西の壇には胎蔵界の法を修し、中壇には五大虚空蔵の法幷に駄都の秘法を修す。以って国家安全、宝祚長久、令法久住、利益無尽を祈る」とある。

 延応元=延応元年。えんおう。一二三九年。

 印可=印信許可(いんじんこか)の略。師僧が弟子の悟りの熟達を証明すること。

 寛元初=寛元初年。かんげん。一二四三年。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多

数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

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2017年1月25日 (水)

コスモス寺花だより   1・25

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開すぎ≫

冬の庭に清楚な花を咲かせる水仙は地中海沿岸が原産地。

千年の昔、シルクロードの長い旅を経て日本にたどり着きました。

もとの名はナルキッソス、ギリシャ神話の美少年の名前です。

少年は泉に映る自分の顔に恋をしていのち絶え、

水の精になったといいます。

水仙の花がうつむいて咲くのは自分の顔をのぞき込む

少年の姿だそうです。

純白の花が甘くかぐわしい香りを漂わせています。

 

花期:1月中。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「閼伽桶や 水仙折れて 薄氷」夏目漱石

 

○今年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「うら町や 炭団手伝ふ 美少年」一茶

訳:路地裏の町よ。真っ黒なたどん商いを手伝っている美少年に出くわしたことだ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》842  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩行状畧頌』

(こうしょうぼさつぎょうじょうりゃくじゅ)

附 影像瞻礼頌文

(ふ えいぞうせんれいじゅぶん)

 

〔興正菩薩行状の略頌(①)

附 影像(えいぞう②)瞻礼(せんれい③)頌文〕

 

 頌=ショウとも。梵・ガーターの意訳、音訳は偈。仏徳や教理を賛嘆する文体の一つ。詩。

 影像=御影像。興正菩薩八十歳の寿像。

 瞻礼=仰ぎ見てうやまい礼する。

*この行状畧頌は西大寺に所蔵され、原題は「興正菩薩成徳年記(せいとくねんき)略頌」となっている。建武四年(一三三七)七月、菩薩の法孫信尊(西大寺第十三代長老)の作。西大寺に現存の国宝・興正菩薩御影像の御前法要にて読頌されたものであろう。なお、西大寺刊行(平成二十七年)の『祖師のおすがた』(佐伯俊源編)に掛軸装の『興正菩薩成徳年記略頌』現物の写真と解説、活字化された本文が紹介されている。 

 

●【安自通食三十七 嘉禎三年海龍王 結界布薩三十八 暦仁元年初冬季】

 

〔自ら通食(つうじき①)に安んず、三十七歳、嘉禎三年。海龍王(かいりゅうおう②)において結界布薩(けっかいふさつ③)す、三十八歳、暦仁元年初冬(しょとう④)の季。〕

 

 通食=僧伽(僧団)における食事の仕方。叡尊師が海龍王寺へ入った当時、泉涌寺(俊芿)の方式で個々に食事する別食(べつじき)をしていたのを批判して、一同に会食する通食にすべきだと主張した。

 海龍王=海龍王寺。隅寺(すみでら)とも。現奈良市法華寺町にある真言律宗末寺。

 結界布薩=布薩は戒本(戒の条文)を読み上げ違犯することが無かったかを反省する会合。西大寺に還住して初めての布薩。『学正記』によれば、「十月二十八日、酉時、結界す。(羯磨覚盛、唱相叡尊、維那厳貞、教玄、信忍、五人の比丘)二十九日、四分布薩(如説の布薩の再興なり)。覚盛律師、説戒す。始めより終りに至るまで落涙す。」この日は「四分布薩」、翌三十日は「梵網布薩」。他に十四、十五日にも行うので月に四回の布薩がある。

 初冬=陰暦十月。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多

数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

 

 

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2017年1月24日 (火)

コスモス寺花だより   1・24

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開すぎ≫

冬の庭に清楚な花を咲かせる水仙は地中海沿岸が原産地。

千年の昔、シルクロードの長い旅を経て日本にたどり着きました。

もとの名はナルキッソス、ギリシャ神話の美少年の名前です。

少年は泉に映る自分の顔に恋をしていのち絶え、

水の精になったといいます。

水仙の花がうつむいて咲くのは自分の顔をのぞき込む

少年の姿だそうです。

純白の花が甘くかぐわしい香りを漂わせています。

 

花期:1月中。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「閼伽桶や 水仙折れて 薄氷」夏目漱石

 

○今年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「一茶坊に すぎたるものや 炭一俵」一茶

訳:一茶坊主には過分だろうなあ。炭一俵は。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》841  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩行状畧頌』

(こうしょうぼさつぎょうじょうりゃくじゅ)

附 影像瞻礼頌文

(ふ えいぞうせんれいじゅぶん)

 

〔興正菩薩行状の略頌(①)

附 影像(えいぞう②)瞻礼(せんれい③)頌文〕

 

 頌=ショウとも。梵・ガーターの意訳、音訳は偈。仏徳や教理を賛嘆する文体の一つ。詩。

 影像=御影像。興正菩薩八十歳の寿像。

 瞻礼=仰ぎ見てうやまい礼する。

*この行状畧頌は西大寺に所蔵され、原題は「興正菩薩成徳年記(せいとくねんき)略頌」となっている。建武四年(一三三七)七月、菩薩の法孫信尊(西大寺第十三代長老)の作。西大寺に現存の国宝・興正菩薩御影像の御前法要にて読頌されたものであろう。なお、西大寺刊行(平成二十七年)の『祖師のおすがた』(佐伯俊源編)に掛軸装の『興正菩薩成徳年記略頌』現物の写真と解説、活字化された本文が紹介されている。 

 

●【授菩薩戒良範初 同年中冬西大寺 十戒初度授玄忍 具足受戒教玄初】

 

〔菩薩戒(ぼさつかい①)を授くるは良範(りょうはん②)が初めて、同年中冬(③)西大寺にて。十戒(じゅっかい④)の初度は玄忍(げんにん⑤)に授く。具足受戒(ぐそくじゅかい⑥)は教玄(きょうげん⑦)が初めてなり。〕

 

 菩薩戒=三聚浄戒(摂律儀戒、摂善法戒、摂衆生戒)

 良範=禅恩房。『感身学正記』に「千人に満たしめんと欲するの始まりとして、これを記す。」とある。

 同年中冬=嘉禎二年十一月。

 十戒=沙弥、沙弥尼になるための戒。

 玄忍=証覚房。証学房とも。海龍王寺住僧。(一二一二~四七)

 具足受戒=菩薩戒の後かさねて四分律の二百五十戒を受ける。

 教玄=願意房。暦仁元年(一二三八)西大寺結界に際し維那をつとめている。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多

数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

 

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2017年1月23日 (月)

コスモス寺花だより   1・23

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開すぎ≫

冬の庭に清楚な花を咲かせる水仙は地中海沿岸が原産地。

千年の昔、シルクロードの長い旅を経て日本にたどり着きました。

もとの名はナルキッソス、ギリシャ神話の美少年の名前です。

少年は泉に映る自分の顔に恋をしていのち絶え、

水の精になったといいます。

水仙の花がうつむいて咲くのは自分の顔をのぞき込む

少年の姿だそうです。

純白の花が甘くかぐわしい香りを漂わせています。

 

花期:1月中。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「閼伽桶や 水仙折れて 薄氷」夏目漱石

 

○今年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「ちとの間は 我宿めかす おこり炭」一茶

訳:少しの間だけは自分の家のような気がする。火が入った炭を見ていると。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》840  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩行状畧頌』

(こうしょうぼさつぎょうじょうりゃくじゅ)

附 影像瞻礼頌文

(ふ えいぞうせんれいじゅぶん)

 

〔興正菩薩行状の略頌(①)

附 影像(えいぞう②)瞻礼(せんれい③)頌文〕

 

 頌=ショウとも。梵・ガーターの意訳、音訳は偈。仏徳や教理を賛嘆する文体の一つ。詩。

 影像=御影像。興正菩薩八十歳の寿像。

 瞻礼=仰ぎ見てうやまい礼する。

*この行状畧頌は西大寺に所蔵され、原題は「興正菩薩成徳年記(せいとくねんき)略頌」となっている。建武四年(一三三七)七月、菩薩の法孫信尊(西大寺第十三代長老)の作。西大寺に現存の国宝・興正菩薩御影像の御前法要にて読頌されたものであろう。なお、西大寺刊行(平成二十七年)の『祖師のおすがた』(佐伯俊源編)に掛軸装の『興正菩薩成徳年記略頌』現物の写真と解説、活字化された本文が紹介されている。 

 

●【雨花瑞光仏便現 授戒法凾等奇相 円晴有厳覚盛等 正法興行曩願遂】

 

〔花を雨降らし瑞光(ずいこう①)の仏すなわち現れ、授戒法は等しく奇相(きそう②)を函(つつ)む。円晴、有厳、覚盛等、正法興行の曩願(のうがん③)を遂ぐ。〕

 

 瑞光=めでたい兆しを表す光。

 奇相=珍しくすぐれた様相。

 曩願=昔からの願い。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多

数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

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2017年1月22日 (日)

コスモス寺花だより   1・22

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開すぎ≫

冬の庭に清楚な花を咲かせる水仙は地中海沿岸が原産地。

千年の昔、シルクロードの長い旅を経て日本にたどり着きました。

もとの名はナルキッソス、ギリシャ神話の美少年の名前です。

少年は泉に映る自分の顔に恋をしていのち絶え、

水の精になったといいます。

水仙の花がうつむいて咲くのは自分の顔をのぞき込む

少年の姿だそうです。

純白の花が甘くかぐわしい香りを漂わせています。

 

花期:1月中。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「閼伽桶や 水仙折れて 薄氷」夏目漱石

 

○今年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「ちとの間は 我宿めかす おこり炭」一茶

訳:少しの間だけは自分の家のような気がする。火が入った炭を見ていると。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》835  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩行状畧頌』

(こうしょうぼさつぎょうじょうりゃくじゅ)

附 影像瞻礼頌文

(ふ えいぞうせんれいじゅぶん)

 

〔興正菩薩行状の略頌(①)

附 影像(えいぞう②)瞻礼(せんれい③)頌文〕

 

 頌=ショウとも。梵・ガーターの意訳、音訳は偈。仏徳や教理を賛嘆する文体の一つ。詩。

 影像=御影像。興正菩薩八十歳の寿像。

 瞻礼=仰ぎ見てうやまい礼する。

*この行状畧頌は西大寺に所蔵され、原題は「興正菩薩成徳年記(せいとくねんき)略頌」となっている。建武四年(一三三七)七月、菩薩の法孫信尊(西大寺第十三代長老)の作。西大寺に現存の国宝・興正菩薩御影像の御前法要にて読頌されたものであろう。なお、西大寺刊行(平成二十七年)の『祖師のおすがた』(佐伯俊源編)に掛軸装の『興正菩薩成徳年記略頌』現物の写真と解説、活字化された本文が紹介されている。 

 

●【移住西大三十五 嘉禎元年尊円請 自誓受戒三十六 嘉禎二年九月四】

 

〔西大(寺)へ移住するは、三十五歳、嘉禎元年(①)。尊円(そんえん②)の請うところなり。自誓受戒(じせいじゅかい③)するは、三十六歳、嘉禎二年(④)九月四日。〕

 

 嘉禎元年=かてい。一二三五年。

 尊円=松春房。興福寺僧、のち東大寺戒禅院(のちの知足院)に住す。『西大寺有恩過去帳』に「当寺僧法興行本願上人尊円」とある。

 自誓受戒=東大寺法華堂において、十師(三師七証)に依らず、自誓して仏から戒を受けたこと。

 嘉禎二年=一二三六年。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多

数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

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2017年1月21日 (土)

コスモス寺花だより   1・21

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開すぎ≫

冬の庭に清楚な花を咲かせる水仙は地中海沿岸が原産地。

千年の昔、シルクロードの長い旅を経て日本にたどり着きました。

もとの名はナルキッソス、ギリシャ神話の美少年の名前です。

少年は泉に映る自分の顔に恋をしていのち絶え、

水の精になったといいます。

水仙の花がうつむいて咲くのは自分の顔をのぞき込む

少年の姿だそうです。

純白の花が甘くかぐわしい香りを漂わせています。

 

花期:1月中。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「閼伽桶や 水仙折れて 薄氷」夏目漱石

 

○今年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「南天よ 炬燵やぐらよ 淋しさよ」一茶

訳:南天よ。難を転じてよ。この身を温めてよ。何とも淋しいよ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》835  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩行状畧頌』

(こうしょうぼさつぎょうじょうりゃくじゅ)

附 影像瞻礼頌文

(ふ えいぞうせんれいじゅぶん)

 

〔興正菩薩行状の略頌(①)

附 影像(えいぞう②)瞻礼(せんれい③)頌文〕

 

 頌=ショウとも。梵・ガーターの意訳、音訳は偈。仏徳や教理を賛嘆する文体の一つ。詩。

 影像=御影像。興正菩薩八十歳の寿像。

 瞻礼=仰ぎ見てうやまい礼する。

*この行状畧頌は西大寺に所蔵され、原題は「興正菩薩成徳年記(せいとくねんき)略頌」となっている。建武四年(一三三七)七月、菩薩の法孫信尊(西大寺第十三代長老)の作。西大寺に現存の国宝・興正菩薩御影像の御前法要にて読頌されたものであろう。なお、西大寺刊行(平成二十七年)の『祖師のおすがた』(佐伯俊源編)に掛軸装の『興正菩薩成徳年記略頌』現物の写真と解説、活字化された本文が紹介されている。 

 

●【入壇同師二十八 安貞二年亦同処 中宗鑚仰三十四 四條皇帝文暦初】

 

〔入壇す同じき師にて、二十八歳、安貞二年(①)。亦同処にて中宗(ちゅうしゅう②)を鑚仰す、三十四歳、四條天皇文暦初(③)。〕

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多

数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

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2017年1月20日 (金)

コスモス寺花だより   1・20

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「閼伽桶や 水仙折れて 薄氷」夏目漱石

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「南天よ 炬燵やぐらよ 淋しさよ」一茶

訳:南天よ。難を転じてよ。この身を温めてよ。何とも淋しいよ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》835  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩行状畧頌』

(こうしょうぼさつぎょうじょうりゃくじゅ)

附 影像瞻礼頌文

(ふ えいぞうせんれいじゅぶん)

 

〔興正菩薩行状の略頌(①)

附 影像(えいぞう②)瞻礼(せんれい③)頌文〕

 

 頌=ショウとも。梵・ガーターの意訳、音訳は偈。仏徳や教理を賛嘆する文体の一つ。詩。

 影像=御影像。興正菩薩八十歳の寿像。

 瞻礼=仰ぎ見てうやまい礼する。

*この行状畧頌は西大寺に所蔵され、原題は「興正菩薩成徳年記(せいとくねんき)略頌」となっている。建武四年(一三三七)七月、菩薩の法孫信尊(西大寺第十三代長老)の作。西大寺に現存の国宝・興正菩薩御影像の御前法要にて読頌されたものであろう。なお、西大寺刊行(平成二十七年)の『祖師のおすがた』(佐伯俊源編)に掛軸装の『興正菩薩成徳年記略頌』現物の写真と解説、活字化された本文が紹介されている。 

 

●【高野修学二十四 後堀河帝元仁初 静師印可二十五 霊山壇場嘉禄元】

 

〔高野(山)に修学するは、二十四、後堀河帝元仁初(①)。静師(じょうし②)印可(いんか③)するは、二十五、霊山壇場にて嘉禄元(④)。〕

 

 元仁初=元仁元年。げんにん。一二二四年。

 静師=静慶。長岳寺霊山院阿闍梨。

 印可=師僧が弟子の修行者が悟りを得たことを証明認可すること。

 嘉禄元=嘉禄元年。かろく。一二二五年。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多

数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

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2017年1月19日 (木)

コスモス寺花だより   1・19

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「閼伽桶や 水仙折れて 薄氷」夏目漱石

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「思ふ人の 側へ割込む 炬燵哉」一茶

訳:思っている人の側へ近寄って行って、他人をおしのけて割り込む炬燵の温かさよ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》835  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩行状畧頌』

(こうしょうぼさつぎょうじょうりゃくじゅ)

附 影像瞻礼頌文

(ふ えいぞうせんれいじゅぶん)

 

〔興正菩薩行状の略頌(①)

附 影像(えいぞう②)瞻礼(せんれい③)頌文〕

 

 頌=ショウとも。梵・ガーターの意訳、音訳は偈。仏徳や教理を賛嘆する文体の一つ。詩。

 影像=御影像。興正菩薩八十歳の寿像。

 瞻礼=仰ぎ見てうやまい礼する。

*この行状畧頌は西大寺に所蔵され、原題は「興正菩薩成徳年記(せいとくねんき)略頌」となっている。建武四年(一三三七)七月、菩薩の法孫信尊(西大寺第十三代長老)の作。西大寺に現存の国宝・興正菩薩御影像の御前法要にて読頌されたものであろう。 

 

●【醍醐登山年十一 順徳天皇建暦初 夢成日月照世間 興正法願並剃髪】

 

〔醍醐に登山す。年十一、順徳天皇の建暦初年(①)。夢みるに、日月と成って世間を照らし、正法を興すの願。並びに剃髪すること。〕

 

 建暦初=けんりゃく。一二一一年。

 

●【登壇神夢入密教 皆十七歳建保五 初習密教恵操師 十八歳時建保六】

 

〔登壇するに神夢あって密教に入るは、皆(みな)十七歳、建保五年(①)。初めて密教を恵操(けいそう①)師に習うは、十八歳の時、建保六年。〕

 

 建保五=一二一七年。

 恵操=上醍醐西谷にあった円明院の僧。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多

数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

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2017年1月18日 (水)

コスモス寺花だより   1・18

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「閼伽桶や 水仙折れて 薄氷」夏目漱石

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「春駒の 歌でとかすや 門(かど)の雪」一茶

訳:新年を祝う春駒の歌で、家々の門に積もった雪をとかしてくれるね。。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》835  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩行状畧頌』

(こうしょうぼさつぎょうじょうりゃくじゅ)

附 影像瞻礼頌文

(ふ えいぞうせんれいじゅぶん)

 

〔興正菩薩行状の略頌(①)

附 影像(えいぞう②)瞻礼(せんれい③)頌文〕

 

 頌=ショウとも。梵・ガーターの意訳、音訳は偈。仏徳や教理を賛嘆する文体の一つ。詩。

 影像=御影像。興正菩薩八十歳の寿像。

 瞻礼=仰ぎ見てうやまい礼する。

*この行状畧頌は西大寺に所蔵され、原題は「興正菩薩成徳年記(せいとくねんき)略頌」となっている。建武四年(一三三七)七月、菩薩の法孫信尊(西大寺第十三代長老)の作。西大寺に現存の国宝・興正菩薩御影像の御前法要にて読頌されたものであろう。 

 

●【菩薩誕生正治三 和州箕田源家姓 離本郷里移醍辺 年八歳時承元二】                  

 

〔菩薩の誕生は正治三年(誕生は土御門天皇の御宇①)、和州箕田(みた②)に誕す。源家(げんけ③)を姓とす。本の郷里を離れ醍(醐)辺へ移る。年八歳の時承元二年(④)。〕

 

 正治三年=土御門天皇朝の年号。しょうじ。一二〇一年。同年二月に建仁と改元。

 箕田=大和国添上郡みたのさと。現大和郡山市白土町。

 源家=源(木曽)義仲の末裔と伝える。

 承元二年=じょうげん。一二〇八年。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多

数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

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2017年1月17日 (火)

コスモス寺花だより   1・17

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙に 掃き寄せつ 癖の胸張りぬ」種田山頭火

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「里しんとして づんづと凧 上りけり」一茶

訳:里はしんと静まり帰り、凧だけがのびのびと上がっているなあ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》834  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩行状畧頌』

(こうしょうぼさつぎょうじょうりゃくじゅ)

附 影像瞻礼頌文

(ふ えいぞうせんれいじゅぶん)

 

〔興正菩薩行状の略頌(①)

附 影像(えいぞう②)瞻礼(せんれい③)頌文〕

 

 頌=ショウとも。梵・ガーターの意訳、音訳は偈。仏徳や教理を賛嘆する文体の一つ。詩。

 影像=御影像。興正菩薩八十歳の寿像。

 瞻礼=仰ぎ見てうやまい礼する。

*この行状畧頌は西大寺に所蔵され、原題は「興正菩薩成徳年記(せいとくねんき)略頌」となっている。建武四年(一三三七)七月、菩薩の法孫信尊(西大寺第十三代長老)の作。西大寺に現存の国宝・興正菩薩御影像の御前法要にて読頌されたものであろう。 

 

●【曩謨釈迦素多覧 梅咀曼殊大心者 我師興正菩薩行 今当讃揚令帰依】

 

〔釈迦と素多覧(すたらん①)、梅咀(ばいしょ②)と曼殊(まんじゅ③)の大心(だいしん④)の者に曩謨(のうぼう⑤)し、我が師、興正菩薩の行を、今まさに讃揚して帰依せしむべし。〕

 

 素多覧=梵・スートラ。釈迦如来が説かれたお経。

 梅咀=梵・マイトレーヤ。弥勒菩薩。

 曼殊=梵・マンジュシュリー。文殊菩薩。

 大心=衆生を教化するための大菩提心(さとりを求める心)。

 曩謨=梵・ナマス。ノウマクとも。帰命。心から信じ敬う意。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多

数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

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2017年1月16日 (月)

コスモス寺花だより   1・16

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙に 掃き寄せつ 癖の胸張りぬ」種田山頭火

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「里しんとして づんづと凧 上りけり」一茶

訳:里はしんと静まり帰り、凧だけがのびのびと上がっているなあ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》833  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩講式』

(こうしょうぼさつこうしき) 

教興寺比丘阿一 謹草之

 

◆【第五。廻向発願者。

願廻先師恋慕之詞。全当時興法之運。三聚戒場。経三災而無動。両部密壇。送四劫而無壊。中宗戒儀。超羅漢摂神通之時。南天法流。至慈氏施仏化之暁。】

 

〔第五に.廻向発願とは。

願わくは先師恋慕の詞を廻らして、当時興法の運(うん①)を全うせん。三聚戒場(さんじゅうかいじょう②)は三災(さんさい③)を経るとも動(みだれ)ること無くて、両部(りょうぶ④)の密壇は四劫(しごう⑤)を送るとも壊すること無し。中宗(ちゅうしゅう⑥)の戒儀は羅漢(らかん⑦)、を超え神通(じんずう⑧)を摂するの時を超え、南天(なんてん⑨)の法流は慈氏(じし⑩)仏化(ぶっけ⑪)を施すの暁に至る。〕

 

 運=めぐり。めぐりあわせ。機会。

 三聚戒場=菩薩戒である三聚浄戒を授ける戒壇。

 三災=三つのわざわい。水災、火災、兵災。

 両部=金剛界と胎蔵界。

 四劫=一つの世界が成立し、継続し、破壊し、次の世界が成立するまでの経過を四期に分類したもの。成劫(じょうごう)、住劫、壊劫(えごう)、空劫。

 中宗=中道の宗、法相宗のこと。

 羅漢=阿羅漢。小乗仏教での最高の覚りに達した聖者。

 神通=無碍自在で超人的な不思議な力。

 南天=南天竺。龍樹のこと。空の思想を基礎づけて大乗仏教を宣揚し、八宗の祖師と言われる。

 慈氏=弥勒菩薩。法相宗の根本論書『瑜伽師地論』の作者とされる。

 仏化=仏の教化。

 

◆【興正菩薩因縁果満。遺法苾蒭令法久住。三千大千耀戒光。天上天下潤法雨。乃至法界平等利益。

 

先頌尸羅大梵願文。当廻向発願伽陀。

次可行礼拝。

 

願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道】

 

〔興正菩薩の因円果満(いんねんかまん①)、遺法の苾蒭は令法久住して、三千大千に戒光を耀かし、天上天下に法雨を潤さん。乃至法界平等利益。

 

先ず尸羅(しら②)大梵(だいぼん③)の願文を頌して、廻向発願の伽陀に当たり、次に礼拝を行ずべし。

 

願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道(がんにしくどく、ふぎゅうをいっさい、がとうよしゅじょう、かいぐじょうぶつどう)〕

 

 因円果満=因果円満。因円かにして果満ず。

 尸羅=梵・シーラ。清涼、戒と訳す。身口意三業の罪悪は行人を梵焼し、熱悩するが、戒は熱悩を消息するから清涼という。

 大梵=天神の名。また観音の名。

 

◆【 時元亨二年八月日        教興寺遺弟比丘阿一謹草之

斯式文。星霜歴久。展転流伝。写誤尤多。句読不正。故今讎閲校正。

添削繕写。以録于茲矣。後之覧者莫疑議焉。

                遠孫頭陀慈光日謹誌  】

 

〔 時に元亨二年(げんこうにねん①)八月日   教興寺遺弟比丘阿一(あいち②)謹んで之を草す

 

 斯の式文、星霜歴(ふ)ること久しくして、展転流伝(てんてんるでん③)し、写誤尤も多く、句読も正しからず。故に今、讎閲(しゅうえつ④)校正し、添削繕写(てんさくぜんしゃ⑤)して以って茲に録す。後の覧る者、疑議すること莫れ。

 

 遠孫(えんそん⑥)頭陀(ずだ⑦)慈光日(じこうじつ⑧)謹誌〕

 

 元亨二年=後醍醐天皇代の年号。一三二二年。興正菩薩の滅後三十三回忌に当たる。

 阿一=如縁房。叡尊興正菩薩の直弟子。

 展転流伝=ころがるように広がり伝わること。

 讎閲=比べよく調べる。

 添削繕写=書き加えたり削ったりして改め、写し直すこと。

 遠孫=遠く間をおいた子孫。興正菩薩につながる法孫であることを言う。

 頭陀=梵・ドゥータ。僧が修行のため托鉢しながら行脚すること。遊行僧。

 慈光日=慧日房慈光。

(おわり)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておら

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2017年1月15日 (日)

コスモス寺花だより   1・15

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙に 掃き寄せつ 癖の胸張りぬ」種田山頭火

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「君が世や よ所(そ)の膳にて 花の春」一茶

訳:ありがたい君の世だなあ。よそ様のお宅の食事に呼ばれて、迎えるめでたい春。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》833  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩講式』

(こうしょうぼさつこうしき) 

教興寺比丘阿一 謹草之

 

◆【第五。廻向発願者。

願廻先師恋慕之詞。全当時興法之運。三聚戒場。経三災而無動。両部密壇。送四劫而無壊。中宗戒儀。超羅漢摂神通之時。南天法流。至慈氏施仏化之暁。】

 

〔第五に.廻向発願とは。

願わくは先師恋慕の詞を廻らして、当時興法の運(うん①)を全うせん。三聚戒場(さんじゅうかいじょう②)は三災(さんさい③)を経るとも動(みだれ)ること無くて、両部(りょうぶ④)の密壇は四劫(しごう⑤)を送るとも壊すること無し。中宗(ちゅうしゅう⑥)の戒儀は羅漢(らかん⑦)、を超え神通(じんずう⑧)を摂するの時を超え、南天(なんてん⑨)の法流は慈氏(じし⑩)仏化(ぶっけ⑪)を施すの暁に至る。〕

 

 運=めぐり。めぐりあわせ。機会。

 三聚戒場=菩薩戒である三聚浄戒を授ける戒壇。

 三災=三つのわざわい。水災、火災、兵災。

 両部=金剛界と胎蔵界。

 四劫=一つの世界が成立し、継続し、破壊し、次の世界が成立するまでの経過を四期に分類したもの。成劫(じょうごう)、住劫、壊劫(えごう)、空劫。

 中宗=中道の宗、法相宗のこと。

 羅漢=阿羅漢。小乗仏教での最高の覚りに達した聖者。

 神通=無碍自在で超人的な不思議な力。

 南天=南天竺。龍樹のこと。空の思想を基礎づけて大乗仏教を宣揚し、八宗の祖師と言われる。

 慈氏=弥勒菩薩。法相宗の根本論書『瑜伽師地論』の作者とされる。

 仏化=仏の教化。

 

◆【興正菩薩因縁果満。遺法苾蒭令法久住。三千大千耀戒光。天上天下潤法雨。乃至法界平等利益。

 

先頌尸羅大梵願文。当廻向発願伽陀。

次可行礼拝。

 

願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道】

 

〔興正菩薩の因円果満(いんねんかまん①)、遺法の苾蒭は令法久住して、三千大千に戒光を耀かし、天上天下に法雨を潤さん。乃至法界平等利益。

 

先ず尸羅(しら②)大梵(だいぼん③)の願文を頌して、廻向発願の伽陀に当たり、次に礼拝を行ずべし。

 

願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道(がんにしくどく、ふぎゅうをいっさい、がとうよしゅじょう、かいぐじょうぶつどう)〕

 

 因円果満=因果円満。因円かにして果満ず。

 尸羅=梵・シーラ。清涼、戒と訳す。身口意三業の罪悪は行人を梵焼し、熱悩するが、戒は熱悩を消息するから清涼という。

 大梵=天神の名。また観音の名。

 

◆【 時元亨二年八月日        教興寺遺弟比丘阿一謹草之

斯式文。星霜歴久。展転流伝。写誤尤多。句読不正。故今讎閲校正。

添削繕写。以録于茲矣。後之覧者莫疑議焉。

                遠孫頭陀慈光日謹誌  】

 

〔 時に元亨二年(げんこうにねん①)八月日   教興寺遺弟比丘阿一(あいち②)謹んで之を草す

 

 斯の式文、星霜歴(ふ)ること久しくして、展転流伝(てんてんるでん③)し、写誤尤も多く、句読も正しからず。故に今、讎閲(しゅうえつ④)校正し、添削繕写(てんさくぜんしゃ⑤)して以って茲に録す。後の覧る者、疑議すること莫れ。

 

 遠孫(えんそん⑥)頭陀(ずだ⑦)慈光日(じこうじつ⑧)謹誌〕

 

 元亨二年=後醍醐天皇代の年号。一三二二年。興正菩薩の滅後三十三回忌に当たる。

 阿一=如縁房。叡尊興正菩薩の直弟子。

 展転流伝=ころがるように広がり伝わること。

 讎閲=比べよく調べる。

 添削繕写=書き加えたり削ったりして改め、写し直すこと。

 遠孫=遠く間をおいた子孫。興正菩薩につながる法孫であることを言う。

 頭陀=梵・ドゥータ。僧が修行のため托鉢しながら行脚すること。遊行僧。

 慈光日=慧日房慈光。

(おわり)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

 

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コスモス寺花だより   1・15

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙に 掃き寄せつ 癖の胸張りぬ」種田山頭火

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「君が世や よ所(そ)の膳にて 花の春」一茶

訳:ありがたい君の世だなあ。よそ様のお宅の食事に呼ばれて、迎えるめでたい春。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》833  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩講式』

(こうしょうぼさつこうしき) 

教興寺比丘阿一 謹草之

 

◆【第五。廻向発願者。

願廻先師恋慕之詞。全当時興法之運。三聚戒場。経三災而無動。両部密壇。送四劫而無壊。中宗戒儀。超羅漢摂神通之時。南天法流。至慈氏施仏化之暁。】

 

〔第五に.廻向発願とは。

願わくは先師恋慕の詞を廻らして、当時興法の運(うん①)を全うせん。三聚戒場(さんじゅうかいじょう②)は三災(さんさい③)を経るとも動(みだれ)ること無くて、両部(りょうぶ④)の密壇は四劫(しごう⑤)を送るとも壊すること無し。中宗(ちゅうしゅう⑥)の戒儀は羅漢(らかん⑦)、を超え神通(じんずう⑧)を摂するの時を超え、南天(なんてん⑨)の法流は慈氏(じし⑩)仏化(ぶっけ⑪)を施すの暁に至る。〕

 

 運=めぐり。めぐりあわせ。機会。

 三聚戒場=菩薩戒である三聚浄戒を授ける戒壇。

 三災=三つのわざわい。水災、火災、兵災。

 両部=金剛界と胎蔵界。

 四劫=一つの世界が成立し、継続し、破壊し、次の世界が成立するまでの経過を四期に分類したもの。成劫(じょうごう)、住劫、壊劫(えごう)、空劫。

 中宗=中道の宗、法相宗のこと。

 羅漢=阿羅漢。小乗仏教での最高の覚りに達した聖者。

 神通=無碍自在で超人的な不思議な力。

 南天=南天竺。龍樹のこと。空の思想を基礎づけて大乗仏教を宣揚し、八宗の祖師と言われる。

 慈氏=弥勒菩薩。法相宗の根本論書『瑜伽師地論』の作者とされる。

 仏化=仏の教化。

 

◆【興正菩薩因縁果満。遺法苾蒭令法久住。三千大千耀戒光。天上天下潤法雨。乃至法界平等利益。

 

先頌尸羅大梵願文。当廻向発願伽陀。

次可行礼拝。

 

願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道】

 

〔興正菩薩の因円果満(いんねんかまん①)、遺法の苾蒭は令法久住して、三千大千に戒光を耀かし、天上天下に法雨を潤さん。乃至法界平等利益。

 

先ず尸羅(しら②)大梵(だいぼん③)の願文を頌して、廻向発願の伽陀に当たり、次に礼拝を行ずべし。

 

願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道(がんにしくどく、ふぎゅうをいっさい、がとうよしゅじょう、かいぐじょうぶつどう)〕

 

 因円果満=因果円満。因円かにして果満ず。

 尸羅=梵・シーラ。清涼、戒と訳す。身口意三業の罪悪は行人を梵焼し、熱悩するが、戒は熱悩を消息するから清涼という。

 大梵=天神の名。また観音の名。

 

◆【 時元亨二年八月日        教興寺遺弟比丘阿一謹草之

斯式文。星霜歴久。展転流伝。写誤尤多。句読不正。故今讎閲校正。

添削繕写。以録于茲矣。後之覧者莫疑議焉。

                遠孫頭陀慈光日謹誌  】

 

〔 時に元亨二年(げんこうにねん①)八月日   教興寺遺弟比丘阿一(あいち②)謹んで之を草す

 

 斯の式文、星霜歴(ふ)ること久しくして、展転流伝(てんてんるでん③)し、写誤尤も多く、句読も正しからず。故に今、讎閲(しゅうえつ④)校正し、添削繕写(てんさくぜんしゃ⑤)して以って茲に録す。後の覧る者、疑議すること莫れ。

 

 遠孫(えんそん⑥)頭陀(ずだ⑦)慈光日(じこうじつ⑧)謹誌〕

 

 元亨二年=後醍醐天皇代の年号。一三二二年。興正菩薩の滅後三十三回忌に当たる。

 阿一=如縁房。叡尊興正菩薩の直弟子。

 展転流伝=ころがるように広がり伝わること。

 讎閲=比べよく調べる。

 添削繕写=書き加えたり削ったりして改め、写し直すこと。

 遠孫=遠く間をおいた子孫。興正菩薩につながる法孫であることを言う。

 頭陀=梵・ドゥータ。僧が修行のため托鉢しながら行脚すること。遊行僧。

 慈光日=慧日房慈光。

(おわり)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

 

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2017年1月14日 (土)

コスモス寺花だより   1・14

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙に 掃き寄せつ 癖の胸張りぬ」種田山頭火

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「君が世や よ所(そ)の膳にて 花の春」一茶

訳:ありがたい君の世だなあ。よそ様のお宅の食事に呼ばれて、迎えるめでたい春。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》832  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩講式』

(こうしょうぼさつこうしき) 

教興寺比丘阿一 謹草之

 

◆【任天平年中行基菩薩亀鏡。降正安二年興正菩薩鳳詔。蓋此等之謂而已。外護木叉尸羅。持通受別受之戒。内凝水月禅那。証瑜伽瑜祇之観。是乃感応道交之妙徳。入我我入之作用也。

 

〔天平年中の行基菩薩の亀鏡(きけい①)に任せて、正安二年(②)興正菩薩の鳳詔(ほうしょう③)を降(くだ)したまう。けだし此れ等の謂(いい④)ならく而已(のみ)。外には木叉尸羅(ぼくしゃしら⑤)を護って。通受別受の戒を持し、内に水月(すいげつ⑥)禅那(ぜんな⑦)を凝らして、瑜伽瑜祇(ゆがゆぎ⑧)の観を証す。是れ乃(いま)し感応道交(かんのうどうこう⑨)の妙徳、入我我入(にゅうががにゅう⑩)の作用なり。

 

 亀鏡=キキョウとも。よりどころとなる模範。亀鑑。

 正安二年=しょうあん。一三〇〇年。

 鳳詔=天皇のみことのり。詔勅。

 謂=趣旨。

 木叉尸羅=波羅提木叉(戒本)と戒。

 水月=水面に映る月影。万物は実体がなく空であることをたとえる。

 禅那=心を安定統一させることによって覚りの英知に達しようとする修行法。禅定。

 瑜伽瑜祇=心の統一修行により仏と相応(合一)すること。瑜祇は瑜伽を有する観行の人をいう。

 感応道交=仏と衆生の心が通じ合うこと。衆生の機感と仏の応化とが相通じて融合すること。

 入我我入=真言密教の観法で、如来の三密(身口意の三密)が我に入り、我の三業(身口意の三業)が如来に入って、如来の三密と衆生の三業とが互いに観応し、摂入して、無二平等(衆生即仏)であると観ずる。

 

◆【先頌能所不二之経文。当諸衆一同伽陀。次可行礼拝。

 

能礼所礼性空寂 

感応道交難思儀 

我此道場如帝珠

十方三宝影現中

  我身影現三宝前

  頭面摂足帰命礼

 

   南無戒法弘通興正菩薩 】

 

〔先ず能所不二(のうしょふに)の経文(①)を頌し、諸衆一同の伽陀に当たる。次に礼拝を行ずべし。

 

能礼所礼性空寂(のうらいしょらいしょうくうじゃく) 

感応道交難思儀(かんのうどうこうなんしいぎ) 

我此道場如帝珠(がしどうじょうにょたいしゅ)

十方三宝影現中(じっぽうさんぼうようげんちゅう)

  我身影現三宝前(がしんようげんさんぼうぜん)

  頭面摂足帰命礼(ずめんせっそくきみょうらい)

 

 南無戒法弘通興正菩薩(なむかいほうぐつうこうしょうぼさつ) 〕

 

 能礼所礼・・・=この「礼拝偈」は天台の荊溪湛然の『法華三昧行事運想補助儀』に出る偈文。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

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コスモス寺花だより   1・14

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙に 掃き寄せつ 癖の胸張りぬ」種田山頭火

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「君が世や よ所(そ)の膳にて 花の春」一茶

訳:ありがたい君の世だなあ。よそ様のお宅の食事に呼ばれて、迎えるめでたい春。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》832  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩講式』

(こうしょうぼさつこうしき) 

教興寺比丘阿一 謹草之

 

◆【任天平年中行基菩薩亀鏡。降正安二年興正菩薩鳳詔。蓋此等之謂而已。外護木叉尸羅。持通受別受之戒。内凝水月禅那。証瑜伽瑜祇之観。是乃感応道交之妙徳。入我我入之作用也。

 

〔天平年中の行基菩薩の亀鏡(きけい①)に任せて、正安二年(②)興正菩薩の鳳詔(ほうしょう③)を降(くだ)したまう。けだし此れ等の謂(いい④)ならく而已(のみ)。外には木叉尸羅(ぼくしゃしら⑤)を護って。通受別受の戒を持し、内に水月(すいげつ⑥)禅那(ぜんな⑦)を凝らして、瑜伽瑜祇(ゆがゆぎ⑧)の観を証す。是れ乃(いま)し感応道交(かんのうどうこう⑨)の妙徳、入我我入(にゅうががにゅう⑩)の作用なり。

 

 亀鏡=キキョウとも。よりどころとなる模範。亀鑑。

 正安二年=しょうあん。一三〇〇年。

 鳳詔=天皇のみことのり。詔勅。

 謂=趣旨。

 木叉尸羅=波羅提木叉(戒本)と戒。

 水月=水面に映る月影。万物は実体がなく空であることをたとえる。

 禅那=心を安定統一させることによって覚りの英知に達しようとする修行法。禅定。

 瑜伽瑜祇=心の統一修行により仏と相応(合一)すること。瑜祇は瑜伽を有する観行の人をいう。

 感応道交=仏と衆生の心が通じ合うこと。衆生の機感と仏の応化とが相通じて融合すること。

 入我我入=真言密教の観法で、如来の三密(身口意の三密)が我に入り、我の三業(身口意の三業)が如来に入って、如来の三密と衆生の三業とが互いに観応し、摂入して、無二平等(衆生即仏)であると観ずる。

 

◆【先頌能所不二之経文。当諸衆一同伽陀。次可行礼拝。

 

能礼所礼性空寂 

感応道交難思儀 

我此道場如帝珠

十方三宝影現中

  我身影現三宝前

  頭面摂足帰命礼

 

   南無戒法弘通興正菩薩 】

 

〔先ず能所不二(のうしょふに)の経文(①)を頌し、諸衆一同の伽陀に当たる。次に礼拝を行ずべし。

 

能礼所礼性空寂(のうらいしょらいしょうくうじゃく) 

感応道交難思儀(かんのうどうこうなんしいぎ) 

我此道場如帝珠(がしどうじょうにょたいしゅ)

十方三宝影現中(じっぽうさんぼうようげんちゅう)

  我身影現三宝前(がしんようげんさんぼうぜん)

  頭面摂足帰命礼(ずめんせっそくきみょうらい)

 

 南無戒法弘通興正菩薩(なむかいほうぐつうこうしょうぼさつ) 〕

 

 能礼所礼・・・=この「礼拝偈」は天台の荊溪湛然の『法華三昧行事運想補助儀』に出る偈文。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

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2017年1月13日 (金)

コスモス寺花だより   1・13

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙に 掃き寄せつ 癖の胸張りぬ」種田山頭火

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

遊民(いうみん)遊民とかしこき人に叱られても今更せんすべなく

「又ことし 娑婆塞(しゃばふさ)ぎぞよ 草の家」一茶

訳: また今年もこの娑婆を塞いでいるだけだなあ。この草の家もおのれも。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》831  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩講式』

(こうしょうぼさつこうしき) 

教興寺比丘阿一 謹草之

 

◆【第四。仏神感応徳者。

一月高晴。万水宿影。爰先師興正菩薩。捨名利心。住興法思。離憍嫉失。専利生徳。是故神明垂一陰一陽之応。仏陀顕大慈大悲之瑞。所謂建長元年。仏舎利顕現西大寺。】

 

〔第四.仏神感応(ぶっしんかんのう①)の徳とは。

一つの月高く晴るれば、万水に影を宿す。ここに先師興正菩薩、名利(みょうり②)の心を捨て、興法(こうぼう③)の思に住す。憍嫉(きょうしつ④)の失(とが)を離れ、利生(りしょう⑤)の徳を専らにす。是の故に神明(しんめい⑥)は一陰一陽の応(おう⑦)を垂れる。仏陀は大慈大悲の瑞(ずい⑧)を顕わす。いわゆる建長元年(⑨)、四十九歳。仏舎利、西大寺に顕現す。〕

 

 仏神感応=仏の応化と神祇の霊威が相通じて融合すること。

 名利=名聞利養。有名になることと財産を作り生活を享楽すること。

 興法=釈尊の正法(戒定慧の三学)を興隆すること。

 憍嫉=おごりとねたみ。

 利生=利益衆生。

 神明=神祇。とくに天照大神の称。

 応=仏が衆生を救うために時機に応じて、いろいろなものに姿を変えて現れること。応現、応化。

 瑞=めでたいしるし。瑞兆。

 建長元年=けんちょう。一二四九年。

 

◆【弘安六年。八十五歳。仏舎利神変天王寺。承貫主勅。行戒律儀。詣太神宮。三捧法味。毎度顕神威於神路山之梢。毎席浮冥感於御裳河之水。】

 

〔弘安六年(①)八十五歳。仏舎利、天王寺に神変(じんべん②)したまう。貫首(かんじゅ③)の勅を承り戒律儀を行ず。太神宮(だいじんぐう④)に詣し三たび法味を捧ぐ。毎度(まいたび)神威を神路山(かみちやま⑤)の梢に顕わし、毎席(まいせき)冥感を御裳河(みもすそがわ⑥)の水に浮かべる。〕

 

 弘安六年=こうあん。一二八五年。

 神変=人間の知恵でははかり知ることのできない、不思議な変化。

 貫首=大寺の管主。四天王寺の別当職。

 太神宮=伊勢太神宮。

 神路山=伊勢内宮の南方の山、天照山(あまてるやま)とも言う。

 御裳河=御裳濯川。内宮神域内を流れる五十鈴川(いすずがわ)のこと。

 

◆【弘安四年後七月一日。異国億兆襲来九州時。同法(諸衆)八百群集八幡之剋。軍衆数万指西方発向。神火百千以子時飛去。境内神官歎未曽有。山上社司称不思議。即於其夜。速壊彼船】

 

〔弘安四年(①)後七月(②)一日、異国の億兆(おくちょう③)九州に襲来せしの時、同法(どうほう④)〔諸衆〕八百、八幡(やはた⑤)に群集の剋(こく⑥)、軍衆数万西方を指して発向(はっこう⑦)す。神火百千、子の時(ねのとき⑧)を以って飛び去る。境内の神官は未曽有なりと歎じ、山上の社司は不思議なりと称す。すなわち其の夜に於いて、速やかに彼の船を壊(やぶ)る。〕

 

 弘安四年=こうあん。一二八一年。弘安の蒙古襲来。

 後七月=閏月の後の七月。

 億兆=限りなく大きな人数。

 同法=行法を同じくするもの。同門の僧衆。

 八幡=石清水八幡宮。

 剋=時刻。

 発向=出発して目的地に向かうこと。派遣。

 子の時=午前零時頃。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

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2017年1月12日 (木)

コスモス寺花だより   1・12

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙に 掃き寄せつ 癖の胸張りぬ」種田山頭火

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

遊民(いうみん)遊民とかしこき人に叱られても今更せんすべなく

「又ことし 娑婆塞(しゃばふさ)ぎぞよ 草の家」一茶

訳: また今年もこの娑婆を塞いでいるだけだなあ。この草の家もおのれも。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》830  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩講式』

(こうしょうぼさつこうしき) 

教興寺比丘阿一 謹草之

 

◆【其心即和上之已証也。依之正応第三天八月廿五。俗年満九十。僧臘五十四。心住無所不至。口誦秘明。身着僧伽梨衣。手結秘印。身心不動。如入禅定。奄然遷化。忽爾円寂。于時彩雲垂覆。及夜不移。三日安床。五体色鮮。】

 

〔その心即ち和上の已証(いしょう①)なり。之に依って正応第三の天(②)八月二十五、俗年九十に満ち、僧﨟(そうろう③)五十四。心は無所不至(むしょふし④)に住し、口に秘明(ひみょう⑤)を誦す。身に僧伽梨衣(そうぎゃりえ⑥)を着し、手には秘印を結し、身心不動にして禅定に入るが如し。奄然(えんぜん⑦)として遷化し、忽爾(こつじ⑧)として円寂したまう。時に彩雲垂れ覆いて、夜に及んでも移らず。三日床に安んずるに五体(ごたい⑨)色鮮(あざ)やかなり。〕

 

 已証=すでに悟りを得ている境地。

 正応第三の天=正応三年。一二九〇年。

 僧﨟=法﨟、夏﨟ともいう。具足戒を受戒してから参加した夏安居の回数を夏数と数え僧としての年齢とする。

 無所不至=大日如来の最極秘印の一つで、大日如来の音声は法界に遍満して至らぬところが無い意。その真言を『大日経』「悉地出現品」には、「一音声をもって四処に流出して一切法界に普遍す」と説く。

 秘明=秘密の真言。

 僧伽梨衣=三衣の一つ。説法や托鉢のために、王宮や集落に入る時には、必ずこれを付ける。重衣、大衣、雑砕衣ともいう。

 奄然=にわかに。

 忽爾=たちまちに。急なさま。

 五体=からだ全体。

 

◆【二十七日。葬于寺西。徒衆號慟。若喪考妣。異香薫風。妙音満天。奇花忽零。在火不萎。翌日拾遺骨。香気猶芬馥。一朝勅使撿校最後之戒。七寺高僧。隨喜臨終之体。本無生死妙徳忽顕。元是菩提大用速現者歟。先頌万行不二経文。当一会称揚伽陀。次可行礼拝。

 

仏以一音演説法 衆生隨類各得解 皆謂世尊同其語 斯則神力不共位。

 

南無戒法弘通興正菩薩】

 

〔二十七日、寺の西に葬す。徒衆号慟(こうとう①)して考妣(こうひ②)を喪えるがごとし。異香(いこう③)風に薫らん。妙音天に満ち、奇花忽ち零(お)ちて、火に在(あ)るとも萎(な)えず。翌日遺骨を拾うに、香気なお芬馥(ふんふく④)たり。一朝(いっちょう⑤)の勅使は最後の戒を撿挍(けんこう⑥)し、七寺の高僧は臨終の体に随喜す。本より生死無き妙徳(みょうとく⑦)は忽ちに顕われ、元より是れ菩提は大用(だいよう⑧)にして速やかに現れるものかな。先ず万行不二の経文を頌し、一会称揚の伽陀に当たり、次に礼拝を行ず可し。

 

仏は一音演説法を以って、衆生隨類は各(おのおの)解を得。皆、世尊は其語と同じと謂う。斯れ則ち神力不共の位。(⑨)

 

南無戒法弘通興正菩薩 〕

 

 号慟=歎き泣き叫ぶ。

 考妣=父と母。

 異香=よいかおり。

 芬馥=かんばしい良い香りがする。

 一朝=朝廷。

 撿挍=調べ考え合わせる。

 妙徳=すぐれてたえなる徳。

 大用=大きく用いること。大なるはたらき。

 仏以一音演説法・・・不共位=『維摩詰所説経』に出る偈文。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

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2017年1月11日 (水)

コスモス寺花だより   1・11

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙に 掃き寄せつ 癖の胸張りぬ」種田山頭火

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

遊民(いうみん)遊民とかしこき人に叱られても今更せんすべなく

「又ことし 娑婆塞(しゃばふさ)ぎぞよ 草の家」一茶

訳: また今年もこの娑婆を塞いでいるだけだなあ。この草の家もおのれも。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈奈良より東京なる某生へ〉

「あかきひの かたむくのらの いやはてに

       ならのみてらの かべのゑをおもへ」

(朱き日の傾く野良の弥果てに 奈良の御寺の画を想え)

 

〈奈良を去る時大泉生へ〉

「のこりなく てらゆきめぐれ かぜふきて

       ふるきみやこは さむくありとも」

(残りなく寺行き巡れ風吹きて 古き都は寒くありとも)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》829

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩講式』

(こうしょうぼさつこうしき) 

教興寺比丘阿一 謹草之

 

◆【造寺起塔。自作教他。不可数之。書経図仏。隨喜讃歎。不可量之。寛元三年。始毎年三十日最勝講。以祈四海泰平国土安穏。文永元年。創毎歳七箇日光明会。以訪一切衆生法界群類。建治三年。啓仁王会。毎歳正五九月成百僧群。】

 

〔寺を造り塔を起てることは、自ら作ると他に教えると、之を数うべからず。経を書し仏を図して隨喜讃歎すること、之を量るべからず。寛元三年(①)、毎年三十日の最勝講(さいしょうこう②)を始めて、以って四海泰平国土安穏を祈る。文永元年(③)、毎歳七箇日光明会(こうみょうえ④)を創(はじ)めて、以って一切衆生法界群類を訪(とぶら)う。建治三年(⑤)、仁王会(にんのうえ⑥)を啓いて、毎歳正五九月(しょうごくがつ⑦)に百僧の群(ひゃくそうのぐん⑧)を成ず。〕

 

 寛元三年=かんぎ。一二三一年。

 最勝講=護国経典とされる金光明最勝王経を講説する法会。興正菩薩は西大寺の正式名称「金光明最勝王護国之寺」にちなみ最勝講を復興した。

 文永元年=ぶんえい。一二六四年。

 光明会=西大寺で現在も続けられている「光明真言土砂加持法会」。

 建治三年=けんじ。一二七七年。

 仁王会=天下泰平鎮護国家を祈願するため仁王般若経を講讃する法会。国土が乱れたり災害や賊の難があったとき、この経を受持読誦すると五穀が豊かにみのり、人民が栄えると説かれる。

 正五九月=一月、五月、九月。

 百僧の群=仁王会には百人の職衆とともに修法した。

 

◆【或時踏道照道賀轍。造立宇治橋。或時追聖武聖后之昔。再興法華寺。東大興福造営。遣門弟佐助之。西海宇佐破壊。語宿老修理之。闘諍軍陳庭。率衆僧誘之。酒肉濫吹処。引諸経誡之。図知朗然大悟故。不分事理差別。】

 

〔或る時、道照(どうしょう①)道賀(どうが②)の轍(あと)を踏んで、宇治橋を造立し、或る時は、聖武后(しょうむこう③)の昔を追って、法華寺を再興す。東大興福の造営には門弟を遣り之を佐助(さじょ④)す。西海の宇佐(うさ⑤)の破壊には宿老に語りて之を修理す。闘諍軍陳(とうじょうぐんちん⑥)の庭には、衆僧を率いて之を誘(いざな)い、酒肉濫吹(らんすい⑦)の処には、諸経を引いて之を誡む。図り知る、朗然大悟(ろうぜんたいご⑧)の故に、事理の差別(じりのしゃべつ⑨)を分かたず。〕

 

 道照=道昭とも。法相宗の僧で元興寺(飛鳥寺)に住した。『続日本紀』には宇治橋を造営したとする。しかし橋寺放生院の現存の「宇治橋断碑」には道登の名を記す。そして興正菩薩建立の石塔基台の銘文には「最初元興寺僧侶道登、道昭建立」と刻されるという。

 道賀=不詳。

 聖武聖后=光明皇后。

 佐助=たすける。補佐する。

 宇佐=大分県にある宇佐八幡宮。

 闘諍軍陳=闘諍はあらそい。軍陳は軍勢の陣立て。ここでは蒙古襲来のこと。

 酒肉濫吹=戒を無視して飲酒肉食し乱暴狼藉をする。

 朗然大悟=あきらかにさとる。

 事理の差別=現象と真理の違い、分別。

 

◆【将又覚了心源故。不為因果隔歴。終南山高祖釈道行云。一切無染着是也。雲々万行皆入五篇七聚大海。万善悉成二転四徳高嶽。不動心際建立諸法。是菩薩之用心也。応無所住而生。】

 

〔はたまた、心源を覚了(しんげんをかくりょう①)するが故に、因果は隔歴(いんがかくれき②)と為さず。終南山の高祖(道宣く)は道行(どうぎょう③)を釈して云う、一切の無染着(むぜんちゃく④)は是也。雲雲たる万行(うんうんたるまんぎょう⑤)は皆な五篇七聚(ごひんしちじゅ⑥)の大海に入る。万善は悉く二転四徳(にてんしとく⑦)の高嶽と成る。不動心際(ふどうしんさい⑧)は諸法(しょほう⑨)を建立す。是れ菩薩の用心(ようじん⑩)也。まさに無所住(むしょじゅう⑪)にして其の心を生ずべし。〕

 

 心源を覚了=万法の根源である心を明らかに知る(覚悟了知)こと。

 因果隔歴=因と果ははっきりと隔たること。

 道行=仏道の修行。

 無染着=執着を離れている心。

 雲雲万行=雲がわくように多い修行は。

 五篇七聚=比丘比丘尼が受持すべき具足戒を罪の軽重により分類。篇門(ひんもん)と聚門(じゅもん)に分ける。細かな戒条を波羅夷(はらい)、僧残(そうざん)、波逸提(はいつだい)、波羅提提舎尼(はらだいだいしゃに)、突吉羅(ときら)の五つに分けたのが五篇、その五篇に偸蘭遮(ちゅうらんじゃ)と悪説(あくせつ)を加えて七聚となる。

 二転四徳=二転は二転依。迷悟の所依(第八識又は真如)を転じて菩提と涅槃の二果を得るを二転依という。四徳は涅槃の四つの徳、常・楽・我・浄。

 不動心際=ゆるぎないこころぎわ。

 諸法=一切の有形、無形の事物。万法。

 用心=仏道修行の心がけ。

 無所住=住する所に執着しないこと。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

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2017年1月10日 (火)

コスモス寺花だより   1・10

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「徹夜 ほのぼの明けそめし 心水仙に」種田山頭火

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「象潟(きさがた)も けふは恨まず 花の春」一茶

訳:雨が似合いの象潟も今日は恨みの雨ではなく晴れ渡っている。なんと言っても花の春だから。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈浄瑠璃寺にて〉

「びしやもんの ふりしころもの すそのうらに

        くれないもゆる はうそうげかな」

(毘沙門の古りし衣の裾の裏に 紅燃ゆる宝相華かな)

 

〈唐招提寺にて〉

「せんだんの ほとけほのてる ともしびの

       ゆららゆららに まつのかぜふく」

(栴檀の仏ほの照る灯火の ゆららゆららに松の風吹く)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》828  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩講式』

(こうしょうぼさつこうしき) 

教興寺比丘阿一 謹草之

 

◆【於戯戒徳難思。四心三性。不藉縁辨。戒功難量。微塵刹土。無非戒善。念々未曽。得刹那倍増。至仏果初念之善根也。於覚位二念。始称曽得善根也。悦哉。十万余里之外。会此金言。】

 

〔於戯(ああ)戒徳(かいとく①)は思い難し。四心三性(ししんさんしょう②)は縁辨(えんべん③)を藉(かり)ず。戒功(かいこう④)は量り難し。微塵刹土(みじんせつど⑤)も戒善(かいぜん⑥)に非ざること無し。念々未曽得の刹那(ねんねんみそうとくのせつな⑦)に倍増して、仏果の初念に至るの善根なり。覚位二の念に於いて、始めて曽得の善根と称すなり。悦ばしき哉、十万余里の外に此の金言(こんげん⑩)に会うこと。〕

 

 戒徳=戒をたもつことによる功徳。

 四心三性=四心は慈悲喜捨。三性は法相唯識で説く存在の三種の見方で偏計所執性、依他起性、円成実性。

 縁辨=不詳。

 戒功=戒をたもつことによる成果。

 微塵刹土=細かいちりのような国土。

 戒善=戒をたもつことで得られる善根功徳。

 念々未曽得刹那=一瞬一瞬がかつてないような短い時間に。

 金言=仏の金口(こんく)から出た法語。釈迦の言葉。

 

◆【幸哉。二千余年之後。受此木叉。思之。則菩薩発願恩。高自白山千里之峯。按之。則和尚弘誓徳。深自蒼海三千之底。今当三十三回遠忌。泣憶八十七歳往事。先頌菩薩戒経文。当尸羅讃歎偈。次可作礼拝。】

 

〔幸いなるかな。二千余年の後、此の木叉(もくしゃ①)を受くること。之を思うときは、則ち菩薩発願の恩は白山千里(はくさんせんり②)の峯よりも高く、之を按(あん③)ずるときは、和尚弘誓の徳、蒼海三千の底よりも深し。今、三十三回遠忌(さんじゅうさんかいおんき④)に当って、泣(なくな)く八十七歳の往事を憶って(⑤)、先ず菩薩戒経(ぼさつかいきょう⑥)の文を頌し、尸羅(しら⑦)讃歎の偈に当たる。次に礼拝を作す可し。〕

 

 木叉=波羅提木叉(はらだいもくしゃ)。戒律の条文。比丘・比丘尼が守るべき戒本のこと。別解脱律儀と訳す。

 白山千里=雪の消えない高くて千里もある遠い山。

 按=考える。

 三十三回遠忌=元亨二年(一三二二年)に当たる。

 八十七歳の往時=過ぎ去った事柄。昔のこと。八十七歳は本講式の作者阿一の年齢か。

 菩薩戒経=梵網経。

 尸羅=梵・シーラ。戒。

 

◆【戒如明日月 亦如瓔珞珠 微塵菩薩衆 由是成正覚

 

南無戒法弘通興正菩薩 】

 

〔戒は明るい日月の如し、また瓔珞の珠の如し。微塵の菩薩の衆は、是に由りて正覚を成ぜん。

 

 戒法を弘通せる興正菩薩に南無(なむ、帰命)す。〕

 

◆【第三。万行一門徳者。

菩薩朝夕諺云。仏以一音演説法。衆生隨類各得解。常屢言之。上自上根上乗之徒。下至下根下智之輩。毫釐不隔之。繊芥不捨之。是故七十二人僧尼老少遂入檀灌頂素懐。】

 

〔第三に、万行一門(まんぎょういちもん①)の徳とは。

菩薩、朝夕の諺(ことわざ)に云う。仏は一音を以って法を演説したもう。衆生は類に隨って各(おのおの)解を得る。(②)常に屢(しばしば)之を言って、 上は上根上乗の徒より、下は下根下智の輩に至るまで、毫釐(ごうり③)も之を隔てず。繊芥(せんかい④)も之を捨てず。かくの故に七十二人(⑤)の僧尼は老いも少(わか)きも入壇灌頂の素懐(そかい⑥)を遂ぐ。〕

 

 万行一門=一切の行は一つの同じ法門にある。

 仏は~解を得=維摩経仏国品に出る文。

 毫釐=きわめて小さい数量。

 繊芥=細かいちり。

 七十二人=伝法灌頂を授けた人数。比丘六十四人、比丘尼六人、院家二人。

 素懐=かねてからの望み。

 

◆【一千三百七箇所成放生白業。密行薫修四万一千三百八座。顕教開講一万七百二十一座。於南都般若寺。盡際始無遮会。於山城宇治河。永代救有命鱗。搆五朝第一石塔台於河上。施四身無三金剛益於水中。】

 

〔一千三百七箇所に放生の白業(はくぎょう①)を成ず。密行の薫修、四万一千三百八座。顕教の開講、一万七百二十一座。南都般若寺に於いては、際(かぎり)を盡(つく)して無遮会(むしゃえ②)を始む。山城宇治河に於いて永代に有命の鱗(りん③)を救い、五(吾ヵ)朝第一の石塔(せきとう④)の基(もとい)を河上に構え、四身無三(ししんむさん⑤)の金剛の益(こんごうのえき⑥)を水中に施す。〕

 

 白業=きよらかな行い。浄業。

 無遮会=さえぎりなく大勢の人々に布施をする法会。印度以来、国王の所業とされてきた。西大寺一門による文永六年(西暦一二六六年)の無遮大会。

 鱗=うろこ。魚のこと。

 石塔=十三重石塔のこと。

 四身無三=四身は法身、報身、応身、化身。無三は不詳。

 金剛の益=十三重塔は金剛界十三大院を顕わすとされ、五智如来をはじめとする金剛界曼荼羅の諸尊がもたらす御利益。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

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コスモス寺花だより   1・10

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「徹夜 ほのぼの明けそめし 心水仙に」種田山頭火

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「象潟(きさがた)も けふは恨まず 花の春」一茶

訳:雨が似合いの象潟も今日は恨みの雨ではなく晴れ渡っている。なんと言っても花の春だから。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈浄瑠璃寺にて〉

「びしやもんの ふりしころもの すそのうらに

        くれないもゆる はうそうげかな」

(毘沙門の古りし衣の裾の裏に 紅燃ゆる宝相華かな)

 

〈唐招提寺にて〉

「せんだんの ほとけほのてる ともしびの

       ゆららゆららに まつのかぜふく」

(栴檀の仏ほの照る灯火の ゆららゆららに松の風吹く)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》828  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩講式』

(こうしょうぼさつこうしき) 

教興寺比丘阿一 謹草之

 

◆【於戯戒徳難思。四心三性。不藉縁辨。戒功難量。微塵刹土。無非戒善。念々未曽。得刹那倍増。至仏果初念之善根也。於覚位二念。始称曽得善根也。悦哉。十万余里之外。会此金言。】

 

〔於戯(ああ)戒徳(かいとく①)は思い難し。四心三性(ししんさんしょう②)は縁辨(えんべん③)を藉(かり)ず。戒功(かいこう④)は量り難し。微塵刹土(みじんせつど⑤)も戒善(かいぜん⑥)に非ざること無し。念々未曽得の刹那(ねんねんみそうとくのせつな⑦)に倍増して、仏果の初念に至るの善根なり。覚位二の念に於いて、始めて曽得の善根と称すなり。悦ばしき哉、十万余里の外に此の金言(こんげん⑩)に会うこと。〕

 

 戒徳=戒をたもつことによる功徳。

 四心三性=四心は慈悲喜捨。三性は法相唯識で説く存在の三種の見方で偏計所執性、依他起性、円成実性。

 縁辨=不詳。

 戒功=戒をたもつことによる成果。

 微塵刹土=細かいちりのような国土。

 戒善=戒をたもつことで得られる善根功徳。

 念々未曽得刹那=一瞬一瞬がかつてないような短い時間に。

 金言=仏の金口(こんく)から出た法語。釈迦の言葉。

 

◆【幸哉。二千余年之後。受此木叉。思之。則菩薩発願恩。高自白山千里之峯。按之。則和尚弘誓徳。深自蒼海三千之底。今当三十三回遠忌。泣憶八十七歳往事。先頌菩薩戒経文。当尸羅讃歎偈。次可作礼拝。】

 

〔幸いなるかな。二千余年の後、此の木叉(もくしゃ①)を受くること。之を思うときは、則ち菩薩発願の恩は白山千里(はくさんせんり②)の峯よりも高く、之を按(あん③)ずるときは、和尚弘誓の徳、蒼海三千の底よりも深し。今、三十三回遠忌(さんじゅうさんかいおんき④)に当って、泣(なくな)く八十七歳の往事を憶って(⑤)、先ず菩薩戒経(ぼさつかいきょう⑥)の文を頌し、尸羅(しら⑦)讃歎の偈に当たる。次に礼拝を作す可し。〕

 

 木叉=波羅提木叉(はらだいもくしゃ)。戒律の条文。比丘・比丘尼が守るべき戒本のこと。別解脱律儀と訳す。

 白山千里=雪の消えない高くて千里もある遠い山。

 按=考える。

 三十三回遠忌=元亨二年(一三二二年)に当たる。

 八十七歳の往時=過ぎ去った事柄。昔のこと。八十七歳は本講式の作者阿一の年齢か。

 菩薩戒経=梵網経。

 尸羅=梵・シーラ。戒。

 

◆【戒如明日月 亦如瓔珞珠 微塵菩薩衆 由是成正覚

 

南無戒法弘通興正菩薩 】

 

〔戒は明るい日月の如し、また瓔珞の珠の如し。微塵の菩薩の衆は、是に由りて正覚を成ぜん。

 

 戒法を弘通せる興正菩薩に南無(なむ、帰命)す。〕

 

◆【第三。万行一門徳者。

菩薩朝夕諺云。仏以一音演説法。衆生隨類各得解。常屢言之。上自上根上乗之徒。下至下根下智之輩。毫釐不隔之。繊芥不捨之。是故七十二人僧尼老少遂入檀灌頂素懐。】

 

〔第三に、万行一門(まんぎょういちもん①)の徳とは。

菩薩、朝夕の諺(ことわざ)に云う。仏は一音を以って法を演説したもう。衆生は類に隨って各(おのおの)解を得る。(②)常に屢(しばしば)之を言って、 上は上根上乗の徒より、下は下根下智の輩に至るまで、毫釐(ごうり③)も之を隔てず。繊芥(せんかい④)も之を捨てず。かくの故に七十二人(⑤)の僧尼は老いも少(わか)きも入壇灌頂の素懐(そかい⑥)を遂ぐ。〕

 

 万行一門=一切の行は一つの同じ法門にある。

 仏は~解を得=維摩経仏国品に出る文。

 毫釐=きわめて小さい数量。

 繊芥=細かいちり。

 七十二人=伝法灌頂を授けた人数。比丘六十四人、比丘尼六人、院家二人。

 素懐=かねてからの望み。

 

◆【一千三百七箇所成放生白業。密行薫修四万一千三百八座。顕教開講一万七百二十一座。於南都般若寺。盡際始無遮会。於山城宇治河。永代救有命鱗。搆五朝第一石塔台於河上。施四身無三金剛益於水中。】

 

〔一千三百七箇所に放生の白業(はくぎょう①)を成ず。密行の薫修、四万一千三百八座。顕教の開講、一万七百二十一座。南都般若寺に於いては、際(かぎり)を盡(つく)して無遮会(むしゃえ②)を始む。山城宇治河に於いて永代に有命の鱗(りん③)を救い、五(吾ヵ)朝第一の石塔(せきとう④)の基(もとい)を河上に構え、四身無三(ししんむさん⑤)の金剛の益(こんごうのえき⑥)を水中に施す。〕

 

 白業=きよらかな行い。浄業。

 無遮会=さえぎりなく大勢の人々に布施をする法会。印度以来、国王の所業とされてきた。西大寺一門による文永六年(西暦一二六六年)の無遮大会。

 鱗=うろこ。魚のこと。

 石塔=十三重石塔のこと。

 四身無三=四身は法身、報身、応身、化身。無三は不詳。

 金剛の益=十三重塔は金剛界十三大院を顕わすとされ、五智如来をはじめとする金剛界曼荼羅の諸尊がもたらす御利益。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

 

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2017年1月 9日 (月)

コスモス寺花だより   1・9

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「徹夜 ほのぼの明けそめし 心水仙に」種田山頭火

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「象潟(きさがた)も けふは恨まず 花の春」一茶

訳:雨が似合いの象潟も今日は恨みの雨ではなく晴れ渡っている。なんと言っても花の春だから。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈浄瑠璃寺にて〉

「びしやもんの ふりしころもの すそのうらに

        くれないもゆる はうそうげかな」

(毘沙門の古りし衣の裾の裏に 紅燃ゆる宝相華かな)

 

〈唐招提寺にて〉

「せんだんの ほとけほのてる ともしびの

       ゆららゆららに まつのかぜふく」

(栴檀の仏ほの照る灯火の ゆららゆららに松の風吹く)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》828  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩講式』

(こうしょうぼさつこうしき) 

教興寺比丘阿一 謹草之

 

◆【行年三十六。嘉禎二年九月一日。成近事戒。同以二日。受勤策戒。同第四日。得大苾蒭戒。是則本朝通受菩薩戒之元始也。是則末代自誓苾蒭戒之最初也。自而以降。出家五衆一千六百九十四人。在家二衆九万六千十六人。】

 

〔行年三十六、嘉禎二年(①)九月一日。近事の戒(ごんじのかい②)を成ず。同じく二日を以って勤策戒(ごんさくかい③)を受く。同じく第四日、大苾蒭戒(だいびっしゅかい④)を得す。これ則ち本朝通受菩薩戒(つうじゅぼさつかい⑤)の原始なり。これ則ち末代(まつだい⑥)の自誓苾蒭戒(じせいびっしゅかい⑦)の最初なり。しかるより以降、出家の五衆(しゅっけのごしゅう⑧)一千六百九十四人。在家の二衆(ざいけのにしゅう⑨)九万六千十六人。〕

 

 嘉禎二年=かてい。一二三六年。

 近事戒=近事は三宝に近づき仕える者の意で、優婆塞、優婆夷と呼ばれる在俗信者が守るべき五戒をいう。

 勤策戒=沙弥のことで、出家得度した七歳から二十歳までの、比丘になる前の準備段階の人が守るべき十戒。息慈戒とも。

 大苾蒭戒=苾蒭は比丘の異訳。具足戒とも。四分律の二百五十戒(比丘尼は三百四十五戒)を受けて正式の僧となるので大僧戒ともいう。

 通受菩薩戒=菩薩の戒である三聚浄戒(摂律儀戒・摂善法戒・摂衆生戒)を通じて受ける受戒法。総受とも。

 末代=末法の世。

 自誓苾蒭戒=自ら誓いを立てて受戒すること。十師(三師七証)に依らずに、仏菩薩から受けて比丘となる受戒法。

 出家五衆=比丘、比丘尼、沙弥、沙弥尼、式叉摩那。

 在家二衆=優婆塞、優婆夷。

 

◆【俱薫三聚戒香。同満七衆徳瓶。戒日耀玉殿兮。照五畿七道。法水灑金楼兮。潤四海八挻。東関北陸。皆踏五乗之䡄轍。九州二嶋。悉浮三乗之舟航。】

 

〔倶に三聚の戒香(さんじゅかいこう①)を薫じ、同じく七衆の徳瓶(しちしゅうとくびょう②)を満たす。戒日(かいじつ③)玉殿に耀(かがや)いて、五畿七道を照らし、法水は金楼に灑(そそ)ぎ、四海八埏(しかいはちえん④)を潤す。東関北陸は皆な五乗(ごじょう⑤)の軌轍(きてつ⑥)を踏み、九州二嶋は悉く三乗(さんじょう⑦)の舟航(しゅうこう)を浮かぶ。〕

 

 三聚戒香=菩薩戒である三聚浄戒はお香のように周囲に薫習していくことをいう。

 七衆徳瓶=出家衆と在家衆双方の徳をたくわえる瓶。

 戒日=戒を日の光にたとえる。

 四海八埏=四海は須弥山をとりまく四方の外海。八埏は八方の地の果て。世界のこと

 五乗=人、天、声聞、縁覚、菩薩としての存在。

 軌轍=わだち、過去の事跡。

 三乗=声聞乗(四諦の行法に乗じて阿羅漢果に到る)、縁覚乗(十二因縁の行法に乗じて辟支仏果に到る)、菩薩乗(六度の行法に乗じて仏果に上る)。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

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2017年1月 8日 (日)

コスモス寺花だより   1・8

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「徹夜 ほのぼの明けそめし 心水仙に」種田山頭火

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「北国や 家に雪なき お正月」一茶

訳:ここは北国だよ。なんと今年は家に雪がなく迎えたお正月。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈浄瑠璃寺にて〉

「びしやもんの ふりしころもの すそのうらに

        くれないもゆる はうそうげかな」

(毘沙門の古りし衣の裾の裏に 紅燃ゆる宝相華かな)

 

〈唐招提寺にて〉

「せんだんの ほとけほのてる ともしびの

       ゆららゆららに まつのかぜふく」

(栴檀の仏ほの照る灯火の ゆららゆららに松の風吹く)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》827  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩講式』

(こうしょうぼさつこうしき) 

教興寺比丘阿一 謹草之

 

◆【加之。最初梵網大乗。説衆生受仏戒即入諸仏位。最後涅槃終窮。談欲顕仏性順持浄戒。曰顕。曰密。不可不仰。仍行年三十五。嘉禎元年之春。移住西大寺。依学南山宗。爰有一恨。即無両師。謹披瑜伽論決擇分第五十三巻。】

 

〔くわうるに、最初の梵網の大乗(ぼんもうだいじょう①)には、「衆生受仏戒即入諸仏位」(しゅじょうじゅぶっかいそくにゅうしょぶっち②)と説く。最後涅槃(ねはん③)の終窮には、「欲顕仏性須持浄戒」(よくけんぶっしょうしゅじじょうかい④)と談ず。顕と曰い、密と曰い、仰がざるべからず。仍ち行年三十五、嘉禎元年(⑤)の春、西大寺に移住し南山宗(なんざんしゅう⑥)を依学す。ここに一つの恨み有り。即ち両師(りょうし⑦)無ければなり。謹んで瑜伽論決択分(ゆがろんけったくぶん⑧)第五十三巻を披(ひら)くに。〕

 

 梵網大乗=梵網経に説かれる大乗戒、菩薩の戒。

 「衆生受仏戒即入諸仏位」=梵網経の序説部に出る偈文。「衆生、仏戒を受くれば、すなわち諸仏の位に入る。」の句。

 涅槃=『大般涅槃経』

 「欲顕仏性須持浄戒」=『涅槃経』の章句。「仏性を顕わさんと欲すれば、すべからく浄戒を持すべし。」

 嘉禎元年=かてい。一二三五年。

 南山宗=唐国終南山の道宣師が開いた南山律宗。四分律を菩薩戒に依用する。

 両師=戒師、羯磨師、教授師の三師と七人の証明師。

 瑜伽論決択分=弥勒菩薩の作とされる『瑜伽師地論百巻』中の戒律を説く部分。   

◆【説曰。諸戒容自誓受唯声聞律儀不応自受〔云々〕。得此文。如登崐崘。見彼義。似入宝山。終得好相告。於東(大)寺仏像前。果任自誓戒於中宗法相文。】

 

〔説いて曰く、諸戒(しょかい①)は自誓受を容(ゆる)すに、声聞律儀(しょうもんりつぎ②)は自受(じじゅ③)に応(こた)えず。云云。此の文を得るは崑崙(こんろん④)に登るが如し。彼の義を見るは宝山に入るに似たり。ついに好相(こうそう⑤)の告を東大寺仏像(とうだいじぶつぞう⑥)の前に得たり。果して自誓戒を中宗法相(ちゅうしゅうほっそう⑦)の文に任す。〕

 

 諸戒=梵網経など菩薩戒を説く戒経では。

 声聞律儀=菩薩戒である三聚浄戒中の摂律儀戒で用いられる四分律は元来声聞(小乗)の戒であることをいう。

 自受=自誓受戒。

 崑崙=中国の伝説的高山の名。黄河の源であり、不死の仙女、西王母が住むという西方の楽土。

 好相=仏の姿が現れること。天から花が降ったり仏が頭頂をなでたりする奇瑞があること。

 東大寺仏像=自誓受戒をともに誓った覚盛師など三人はすでに好相を得ていたが、未得の叡尊師はひとり東大寺大仏殿に参詣し、廬舎那仏に好相を通夜祈請し、その夜に戒禅院で好相を得た。そして四人そろって東大寺羂索院(法華堂、三月堂。本尊は不空羂索観音)において自誓受戒を成就する。(興正菩薩寿像の体内に込められていた『自誓受戒記』に依る)

 中宗法相=中道の宗旨である法相宗のこと。『解深密経』『瑜伽師地論』などを所依とする。唯識宗とも。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

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2017年1月 7日 (土)

コスモス寺花だより   1・7

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「徹夜 ほのぼの明けそめし 心水仙に」種田山頭火

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「日の本や 金も子をうむ 御代(みよ)の春」一茶

訳:わが日の本の国では金も金の子を生む、ありがたい春をむかえた。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈浄瑠璃寺にて〉

「びしやもんの ふりしころもの すそのうらに

        くれないもゆる はうそうげかな」

(毘沙門の古りし衣の裾の裏に 紅燃ゆる宝相華かな)

 

〈唐招提寺にて〉

「せんだんの ほとけほのてる ともしびの

       ゆららゆららに まつのかぜふく」

(栴檀の仏ほの照る灯火の ゆららゆららに松の風吹く)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》826  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩講式』

(こうしょうぼさつこうしき) 

教興寺比丘阿一 謹草之

 

◆【建保五歳。生年十七。以無相心祈有縁法。以真言乗為灯明。以凡身体成日月。如是耀国家。冥応是新。照天下。霊夢是験。方今五朝稽顙。儼十善之龍顔。四輩叉手。欽三毒之虎性。】

 

〔建保五歳。生年十七、無相心(むそうしん①)を以って有縁の法(うえんのほう②)を祈り、真言乗(しんごんじょう③)を以って灯明と為し、凡身の体を以って日月と為すべしと。是の如く国家を耀かし、冥応(みょうおう④)是れ新たに天下を照らすの霊夢、是れ験(しるし)なり。方に今、五朝(ごちょう⑤)稽顙(けいそう⑥)し、十善(じゅうぜん⑦)の龍顔(りゅうがん⑧)を儼(うやうやし)くす。四輩(しはい⑨)は手を叉(まじ)えて三毒(さんどく⑩)の虎性(こせい⑪)を欽(つつし)む。〕

 

 無相心=無想心。何の計らいのない無念無想の心。

 有縁の法=仏法の中で自分にふさわしい有縁の教法。

 真言乗=真言密教、真言宗の教え。

 冥応=目には見えないけれど神仏が感応して御加護を与えること。

 五朝=五代の帝。

 稽顙=稽首。額づいてお辞儀する。

 十善=十善の君。前世において十の善業(不殺生戒以下の十戒をよく守ること)を積んだ功徳により天子となったことをいう。

 龍顔=天子の顔。天顔。

 四輩=人、天、龍、鬼。

 三毒=貪(むさぼり)、瞋(いかり)、癡(おろか)の三大煩悩。

 虎性=虎のようにたけだけしいこと。

 

◆【薫南山戒香於四荒之風。灑青龍法水於八極之流。以後測前。豈此非為灯明除闇之瑞相。作日月施明之霊夢乎。是以。興正菩薩蹬醍醐山。剃髪染衣。於東大寺登壇受戒。】

 

〔南山(なんざん①)の戒香を四荒(しこう②)の風に薫じ、青龍(せいりゅう③)の法水を八極(はっきょく②)の流れに灑(そそ)ぐ。後を以って前を測ること、豈此れ灯明となして闇を除くの瑞相、日月と作(な)って明を施すの霊夢にあらずや。日月施明の霊夢を作すや。

是を以って、興正菩薩、醍醐山に登って剃髪染衣し、東大寺に於いて登壇受戒す。〕

 

 南山=南山律宗のこと。開祖道宣が住した終南山に由来する。

 四荒=四方の辺境の地。

 青龍=青龍寺。真言密教のこと。中国西安にあった寺、ここで弘法大師空海が恵果阿闍梨に教えを授けられたv。

 八極=八方の遠い地。四方(東南西北)と四隅(乾坤艮巽)の全方位を指し、全世界を意味する。四荒八極と熟語になる。

 

◆【建保六歳。生年十八。習十八印明。承久三年。二十一歳。受九会金剛。後堀河御宇元仁元年之春。登高野山伝教相法門。攀醍醐寺行胎蔵次第。同二年。修護摩於東大寺。同九夏。受印可於霊山院。】

 

〔建保六歳(①)。生年十八にして、十八の印明(じゅうはちのいんみょう②)を習う。承久三年(③)、二十一歳にして九会の金剛(くえのこんごう④)を受く。後堀河御宇元仁元年(⑤)の春、高野山に登り教相の法門(きょうそうのほうもん⑥)を伝(さず)かり、醍醐寺に攀(よ)じて胎蔵の次第(たいぞうのしだい⑦)を行(おこな)う。同二年(⑧)、護摩(ごま⑨)を東大寺に修す。同九(⑩)夏。印可(いんか⑪)を霊山院(れいざんいん⑫)に受く。〕

 

 建保六歳=けんぽ。一二一八年。

 十八印明=伝法灌頂を受ける前に行う四度加行の十八道念誦次第に出る印契と真言。

 承久三年=じょうきゅう。西暦一二二一年。

 九会金剛=金剛界念誦次第。金剛界を九会曼荼羅という。

 元仁元年=げんにん。一二二四年。

 教相法門=密教の威儀、行法などの実践的修法を行う事相法門に対して、教義を組織的に解釈研究する方面を教相法門と言う。

 胎蔵次第=胎蔵界念誦次第。

 同二年=元仁二年。一二二五年。

 護摩=不動法護摩次第。

 同九=元仁九年。一二二九年。

 印可=印は印信(いんじん)、伝法灌頂を遂げた弟子が伝授阿闍梨より法脈伝授を証明するために発給される文書。可は許可(こか)、聴許印可の意。阿闍梨が弟子に相伝修学を許すこと。

 霊山院=現天理市柳本の釜口山長岳寺にあった子院。

 

◆【安貞二年。二十八歳。於同道場具支灌頂。寛喜三年。春秋卅一。卜閑居地。法花暗誦。凡厥出世入道化儀。顕教密宗鑽仰。祖跡既慇懃也。遺弟盍随喜乎。先頌和上発願偈文。当菩薩称揚伽陀。次可行礼拝。

 自然憶衆生 皆是我父母 設種々方便 漸々令離苦

  南無戒法弘通興正菩薩】

 

〔安貞二年(①)、二十八歳にして同道場に於いて具支灌頂(ぐしかんじょう②)す。寛喜三年(③)、春秋三十一にして閑居(かんきょ④)の地を卜して、法華を暗誦す。およそ厥(そ)の出世入道(しゅっせにゅうどう⑤)の化儀(けぎ⑥)、顕教密宗の鑚仰、祖跡(そせき⑦)既に慇懃(いんぎん⑧)なり。遺弟なんぞ隨喜せざらんや。先ず和上発願の偈文を頌して、菩薩称揚の伽陀に当り、次に礼拝を行ずべし。

 

自然に、衆生は皆な是れ我が父母なりと憶(おも)い、種々の方便を設け、漸漸に苦を離れしめむ。

 

南無戒法弘通興正菩薩  〕

 

 安貞二年=あんてい。一二二八年。

 具支灌頂=伝法灌頂。

 寛喜三年=かんぎ。一二三一年。

 閑居=世間との交わりをやめ、煩わされることなく心静かに住むこと。その住まい。

 出世入道=出世間(出家)して仏道に入ること。

 化儀=衆生を教導し感化する形式、方法。

 祖跡=祖師の事跡、業績。

 慇懃=念入りにすること。

 

◆【第二。戒律中興徳者。

四條院御宇。生年三十四。於密教修学之時。発戒律凌廃之疑。所謂慧果和尚依四分秉法。以三密灌頂。弘法大師二十歳十戒。二十二受具。又遺告云。若不護顕密戒者。非我弟子。是魔之眷属也〔云々〕。】

 

〔第二に。戒律中興の徳とは。

四條院御宇(しじょういんぎょう①)、生年三十四。密教修学の時に於いて、戒律凌廃(りょうはい②)の疑いを発す。いわゆる慧果(けいか③)和尚は四分(しぶん④)に依って法を秉(と)り、三密を以って灌頂す。弘法大師は二十歳にして十戒。二十二にして受具(じゅぐ⑤)す。又遺告(ゆいごう⑥)して云う。若し顕密戒を護らざれば我が弟子に非ず。是れ魔の眷属(けんぞく⑦)なり。〔云云〕 〕

 

 四條院御宇=四條天皇代。文暦(ぶんりゃく)元年。一二三四年。

 凌廃=すたれている。

 慧果=唐代の僧(七四六-八〇五)。真言宗付法八祖の第七祖。長安青龍寺に住し、不空三蔵の弟子、空海の師である。

 四分=四分律

 受具=具足戒を受けること。

 遺告=弘法大師御遺告。

 眷属=一族。従者。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

 

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2017年1月 6日 (金)

コスモス寺花だより   1・6

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「徹夜 ほのぼの明けそめし 心水仙に」種田山頭火

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「世の中を ゆり直すらん 日の始」一茶

訳:世の中を揺らして直すのだろう。一年の始まり。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈浄瑠璃寺にて〉

「びしやもんの ふりしころもの すそのうらに

        くれないもゆる はうそうげかな」

(毘沙門の古りし衣の裾の裏に 紅燃ゆる宝相華かな)

 

〈唐招提寺にて〉

「せんだんの ほとけほのてる ともしびの

       ゆららゆららに まつのかぜふく」

(栴檀の仏ほの照る灯火の ゆららゆららに松の風吹く)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》825  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩講式』

(こうしょうぼさつこうしき) 

教興寺比丘阿一 謹草之

 

◆【所謂第一誕生出家門。第二戒律中興門。第三万行不二門。第四佛神感応門。第五廻向発願門。伏願興正菩薩哀愍納受。】

 

〔いわゆる、第一に誕生出家の門。第二に戒律中興(かいりつちゅうこう①)の門。第三に万行不二(まんぎょうふに②)の門。第四に仏神感応(ぶっしんかんのう③)の門。第五に廻向発願の門なり。伏して願わくは興正菩薩、哀愍納受したまえ。〕

 

 戒律中興=自誓受戒して比丘となったことを讃える段。この段以下、本文では「門」が「徳」となっている。

 万行不二=万行は一切の仏道修行のこと。不二は平等に価値あること。

 仏神感応=行者の信心が仏と神に通じて、はたらきが示されること。

 

◆【第一誕生出家門者。

夫興正菩薩。土御門院建仁元年。和州箕田郷。以源家為慈父誕生。以藤氏為悲母出生。人相具足。及行人過容崇敬。根性柔和。致飛鳥走獣哀愍。五歳春。誦九條錫文。似羅什七歳而通数句之性。】

 

〔第一に誕生出家の門とは。

夫れ興正菩薩は、土御門院建仁元年(①)、和州箕田郷(わしゅうみたごう②)。源家(げんけ③)を以って慈父と為し誕生し、籐氏を以って悲母と為して出世(しゅっせい④)したまう。人相具足して、行人過客(ぎょうにんかきゃく⑤)は崇敬に及ぶ。根性柔和にして飛鳥走獣に哀愍(あいびん⑦)を致す。五歳の春は九絛錫文(くじょうしゃくもん⑧)を誦し、羅什(らじゅう⑨)七歳にして数句に通ずるの性に似たり。〕

 

 土御門院建仁元年=つちみかど天皇(院ではない)の年号、けんにん。一二〇一年。

 和州箕田郷=現大和郡山市白土町。

 源家=木曽義仲の末裔と伝える。

 出世=仏が衆生を救うためにこの世に出現したことになぞらえて言っている。

 行人過客=山伏や旅人。

 哀愍=仏が衆生をあわれんで情けをかけること。

 九條錫文=『九條錫杖』の文句。

 羅什=鳩摩羅什(三四四~四一三)。中国南北朝時代の訳経僧。

 

◆【七歳秋。葬三旬嫏嬢。同圭峰早年而失二親之思。亡悲母添風樹哀。八歳。出旧里。離慈父。懐雪霜悲。十一。入僧坊。登高嶺而摘美花。住行基菩薩観行。降深谷而結冷水。追弘法大師理供。】

 

〔七歳秋、三旬(さんじゅん①)の娜嬢(だじょう②)を葬(そう③)す。圭峰(けいほう④)の早年にして二親を失うの思いと同じ。悲母を亡(うしな)い、風樹(ふうじゅ⑤)の哀れを添う。八歳、旧里を出で、慈父を離れ、雪霜の悲しみを懐く。十一、僧坊に入り、高嶺に登りて美花を摘む。行基菩薩の観行(かんぎょう⑥)に住し、深谷に降りて冷水を結び、弘法大師の理供(りく⑦)を追う。〕

 

 三旬=三十年。

 娜嬢=かけがえのない存在であった母。

 葬=ほうむる。

 圭峰=圭峰大師宗密(しゅうみつ、七八〇~八四〇)。澄観の弟子、華厳第五祖。華厳と禅に詳しく教禅一致を唱える。

 風樹=亡くなった親を思う気持ち。『韓詩外伝巻九』の「樹静かならんと欲すれども、風は止まず。子養わんと欲すれども、親は待たざるなり」に由来する語。

 観行=心に真理を観ずる行法。

 理供=理供養。事供養の対。印明と観念による供養。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

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2017年1月 5日 (木)

コスモス寺花だより   1・5

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「徹夜 ほのぼの明けそめし 心水仙に」種田山頭火

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「人並の 正月もせぬ しだら哉」一茶

訳:人並の正月もしない、なんともていたらくだなあ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈浄瑠璃寺にて〉

「びしやもんの ふりしころもの すそのうらに

        くれないもゆる はうそうげかな」

(毘沙門の古りし衣の裾の裏に 紅燃ゆる宝相華かな)

 

〈唐招提寺にて〉

「せんだんの ほとけほのてる ともしびの

       ゆららゆららに まつのかぜふく」

(栴檀の仏ほの照る灯火の ゆららゆららに松の風吹く)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》824  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩講式』

(こうしょうぼさつこうしき) 

教興寺比丘阿一 謹草之

 

〔興正菩薩講式(こうしき①)

教興寺(きょうこうじ②)比丘阿一(あいち③) 之を謹(つつし)んで草(そう)す。〕

 

 講式=仏菩薩、先徳などを讃嘆した和文の声明。漢語調の散文で、拍節にはまらない唱法。

 教興寺=真言律宗末寺。大阪府八尾市教興寺に所在。

 阿一=如縁房。興正師の弟子で教興寺長老。

 

 【  先総礼

帰命釈迦尊 願我於未来 受生善悪処 不忘菩提心

   南無戒法弘通興正菩薩   】

 

〔先ず総礼(そうらい①)

釈迦尊に帰命(きみょう②)す。願わくは、我れ未来において善悪処(ぜんなくしょ③)に生を受くるとも、菩提心を忘れざらんことを。 

戒法を弘通(ぐつう④)せる興正菩薩に帰命したてまつる。〕

 総礼=法会において参列者全員がいっせいに仏に礼拝すること。

 帰命=身命をささげて仏に帰依すること。南無。

 善悪処=人は輪廻により未来には六道世界に生まれ変わる。六道のうち、天・人は善処。阿修羅・餓鬼・畜生・地獄は悪処。

 弘通=教えを広めること。

 

◆【敬白同体別体一切三宝戒法弘通興正菩薩。而言。夫利益無窮者仏法。一句能出三界苦。恩徳有余者師僧。曠劫難謝片時功。是以観音戴弥陀於頂上。弥勒安釈迦於冠中。薬王焼臂。香城投身。爰龍樹菩薩説曰。仮使頂戴経塵劫。身為牀座遍三千。】

 

〔敬って同体別体(どうたいべったい①)の一切三宝、戒法弘通の興正菩薩に白(もう)して言(もうさ)く。夫れ利益の窮まりなきものは仏法なり。一句なりとも能く三界の苦を出だす。恩徳の余り有る者は師僧なり。曠劫(こうごう②)にも片時(へんじ③)の功(こう④)を謝しがたし。是を以って観音は弥陀を頂上に戴き、弥勒は釈迦を冠中に安んじ、薬王は臂を焼き(⑤)、香城は身を投ず(⑥)。ここに龍樹菩薩説いて曰く、仮使(たとい)頂戴して塵劫(じんこう⑦)を経るとも、身を牀座(しょうざ⑧)と為して三千(さんぜん⑨)に遍(あまね)し。若し法を伝え衆生を度(ど⑩)せずんば、一分も師の恩を報ずること能わずと。〔云云〕

 

 同体別体=三宝は仏、法(教え)、僧(教えを実行する人)をいうが、三宝を仏そのものととらえるときは「同体の三宝」といい、個々の三つをさす場合は「別体の三宝」とする。

 曠劫=広大な時間。永劫。

 片時=少しの間。かたとき。

 功=功業、功績。てがら。

 薬王は臂を焼き=薬王菩薩が過去世において臂を焼いて仏と法華経を供養した伝説。『法華経薬王菩薩本事品』に出づ。

 香城は身を投ず=香城は般若経に説かれる法涌菩薩の住所。常啼菩薩が香城で身を犠牲にして般若波羅蜜多を求めた話は『大般若経常啼菩薩品』に出る。

『止観五上』には「香城粉骨。雪嶺投身。亦何足以報徳。」の文あり。

 塵劫=塵点劫のこと。永劫。はかり知れない長い年代。

 牀座=こしかけの座。

 三千=三千大千世界。ありとあらゆる世界。すべての世界。

 度=すくう。

 

◆【今披彼聖訓。聊誡此凡心。排律燈兮除罪闇者。興正菩薩之善功也。瑩戒珠兮拂業塵者。親教和上之方便也。今当三十三年遠忌。盍勵四弘六度弘誓。因開五段微志於滅後。泣契二利大願於生前。年々歳々子細之事。雖貽後見。歳々年々祖徳之行。欲語未聞。】

 

〔今、彼の聖訓(せいくん①)を披(ひら)き、聊(いささか)此の凡心(ぼんしん②)を誡む。律燈(りっとう③)を挑(かか)げて罪闇を除くは興正菩薩の善巧(ぜんこう④)也。戒珠(かいしゅ⑤)を瑩(みが)いて、業塵(ごうじん⑥)を払うは親教和上(しんきょうわじょう⑦)の方便也。今、三十三年の遠忌に当り、盍(なん)ぞ四弘六度(しぐろくど⑧)の弘誓を励まさん。因って五段の微志(ごだんのびし⑨)を滅後に開き、泣く泣く二利の大願(にりのたいがん⑩)を生前に契る(しょうぜんにちぎる⑪)。年々歳々子細の事(しさいのこと)は後見に貽す(こうけんにのこす⑫)と雖も、歳々年々祖徳の行(そとくのぎょう⑬)、未聞(みぶん⑭)に語らんと欲す。〕

 

 聖訓=聖人すなわち興正菩薩の訓誡、おしえ。

 凡心=煩悩に束縛され迷う凡夫の心。

 律燈=律宗、戒律の教えによるともし火。

 善巧=善巧方便。衆生教化のための巧みな方法。

 戒珠=戒を保つことによって、その身が清らかに飾られることから、戒を珠玉にたとえた。

 業塵=身口意の悪い行いが引き起こすけがれ、欲望は塵(ちり)のようなもの。

 親教和上=親しく教えを受ける和上(和尚)。興正菩薩のこと。

 四弘六度=四弘誓願と六波羅蜜。菩薩の誓願と修行。

 五段の微志=五段(五門)で構成する講式を述べる志。微志は少しばかりの志(謙遜していう語)。

 二利の大願=自利(上求菩提)と利他(下化衆生)の二利をめざす菩薩の誓願。

 生前に契る=生前の興正菩薩に固く約束する。

 後見に貽す=後世の人に遺す。

 祖徳の行=徳を積まれた祖師、すなわち興正菩薩の行業、行跡。

 未聞=興正菩薩の行跡をまだ聞いたことがない人。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

 

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2017年1月 4日 (水)

コスモス寺花だより   1・4

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙や 根岸に住んで 薄氷」夏目漱石

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「正月や ごろりと寝たる とつとき着(ぎ)」一茶

訳:正月だなあ。ごろりと寝ている、とっておきの着物で。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈浄瑠璃寺にて〉

「びしやもんの ふりしころもの すそのうらに

        くれないもゆる はうそうげかな」

(毘沙門の古りし衣の裾の裏に 紅燃ゆる宝相華かな)

 

〈唐招提寺にて〉

「せんだんの ほとけほのてる ともしびの

       ゆららゆららに まつのかぜふく」

(栴檀の仏ほの照る灯火の ゆららゆららに松の風吹く)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》823  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩傳』 出元亨釈書明律篇(『元亨釈書』巻第十三明戒六)

(こうしょうぼさつでん)

 

*『元亨釈書』は三十巻からなる日本仏教の通史、一三二二年(元亨二年)成立。臨済宗南禅寺の僧、虎関師錬(こかんしれん、一二七八~一三二六)の著。

 

◆【正応三年八月二十五日。終西大寺。年九十。尊内持密教。外興律宗。旁渉唯識。以故講論可聞。徒属振振徳威震四遠。】

 

〔正応三年(①)八月二十五日、西大寺に終る、年九十。尊は内に密教を持し、外には律宗を興し、旁(かたわ)ら唯識(ゆいしき②)に渉(わた)る。故を以って講論聞くべく、徒属(としょく③)は振振(しんしん④)として、徳威(とくい⑤)は四遠(しえん⑥)に震(ふる)う。〕

 

 正応三年=しょうおう。一二九〇年。菩薩九十歳。

 唯識=法相宗の教学。

 徒属=門弟。門徒。

 振振=群れ飛ぶ鳥のように盛んなこと。

 徳威=徳のいきおい。

 四遠=四方の遠いはて。

 

◆【密灌者七十余人。道俗受戒者数万人。置放生於諸州一千三百五十六所。】

 

〔密灌(みっかん①)の者は七十余人、道俗受戒の者は数万人。放生(ほうじょう②)を諸州に置くこと一千三百五十六所。〕

 

 密灌=真言密教の伝法灌頂を授けたもの。

 放生=生類を放ってやること。ここでは殺生禁断の地を定めること。

 

◆【永仁中。賜諡興正菩薩。】

 

〔永仁中(えいにんちゅう①)、諡(おくりな②)を興正菩薩(こうしょうぼさつ③)と賜う。〕

 

 永仁中=永仁七年に正安と改元。菩薩号の勅諡されたのは正安二年なので正安中とすべき。

 諡=正安二年七月三日、後伏見天皇が綸旨により勅して「興正菩薩」(こうしょうぼさつ)と諡(おくりな)をたまわれた。同年七月四日には亀山法皇より院宣を賜わる。

 興正菩薩=その意味は、釈尊の正法(菩薩戒)を興隆して菩薩の行いをした人。

 

◆【賛曰。吾甞患之不自樹立矣。偶見興正師之起律流於既倒之後。益固我前言焉。何也。招提数世之後。使人々如興正之志。豈有今日寝微之患乎。】

 

〔賛に曰く。吾(①)嘗(かつ)て士(し②)の自ら樹立せざることを患(うれ)う。偶(たまたま)興正師の律流(派)を既倒(きとう③)の後に起こすを見て、益(ますます)我が前言を固くする。

何ぞや。招堤(しょうだい④)数世の後、人々をして興正の志の如くならしめば、あに今日寝微(しんび⑤)の患い有らんや。〕

 

 吾=虎関師錬。

 士=仏道に志す人。

 既倒=すでにたおれたこと。顛倒。

 招堤=唐招提寺開山の鑑真和上。

 寝微=病気で床につくようにおとろえること。

 

◆【繇此視之。興正之出中人者宜矣。加之。興福放生幽明頼之。今世其家者。皆勤於此矣。於戯其塵垢粃糠猶或陶鋳善人乎。】

 

〔此れに繇(よ)って之を視るに、興正の中人(ちゅうにん①)に出でたること宜(むべ)なるかな。

加之(しかのみならず)興福と放生(こうふくとほうじょう②)とは幽明(ゆうめい③)之を頼(さいわい)し、今其の家を世(つ)ぐ者皆此れに勤む。於戯(ああ)、其の塵垢粃糠(じんくひこう④)は、なお(あるいは)善人を陶鋳(とうちゅう⑤)するものかな。〕

 

 中人=人のあいだ。世の中。

 興福と放生=興福は福徳を興隆すること、放生は生類を放ち命を全うさせること。

 幽明=暗いことと明るいこと。幽界と顕界。

 塵垢粃糠=塵垢はちりとあか。粃糠は米の殻やぬか。このようなつまらないものであっても。

 陶鋳=焼き物や鋳物のように作りあげること。

(おわり)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

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2017年1月 3日 (火)

コスモス寺花だより   1・3

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭で清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙や 根岸に住んで 薄氷」夏目漱石

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「影ぼしも まめ息災で けさの春」一茶

訳:影法師も丈夫で健康で迎えた新春よ。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈浄瑠璃寺にて〉

「びしやもんの ふりしころもの すそのうらに

        くれないもゆる はうそうげかな」

(毘沙門の古りし衣の裾の裏に 紅燃ゆる宝相華かな)

 

〈唐招提寺にて〉

「せんだんの ほとけほのてる ともしびの

       ゆららゆららに まつのかぜふく」

(栴檀の仏ほの照る灯火の ゆららゆららに松の風吹く)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》822  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩傳』 出元亨釈書明律篇(『元亨釈書』巻第十三明戒六)

(こうしょうぼさつでん)

 

*『元亨釈書』は三十巻からなる日本仏教の通史、一三二二年(元亨二年)成立。臨済宗南禅寺の僧、虎関師錬(こかんしれん、一二七八~一三二六)の著。

 

◆【釈叡尊。歳十一離家。師事醍醐山叡賢。十七落髪学密乗。】

 

〔釈叡尊(しゃくえいそん①)は歳十一にして家を離る。醍醐山の叡賢(えいけん②)に師事し、十七にして落髪(らくはつ③)し密乗(みつじょう④)を学ぶ。〕

 

 釈叡尊=「釈」は釈迦の弟子であることを表す語。仏子。

 叡賢=伊賀阿闍梨。上醍醐法幢院を開く。

 落髪=剃髪して仏門に入ること。

 密乗=密教

 

◆【初唐鑑真。天平勝宝六年伝持律蔵。流行上邦。年代悠久。其学寝微。尊常痛律幢之摧圮。】 

 

〔初唐の鑑真(がんじん①)、天平勝宝六年、律蔵を伝持(りつぞうをでんじ②)し上邦(じょうほう③)に流行するも、年代悠久(ねんだいゆうきゅう④)にして其の学寝微(しんび⑤)す。

尊(そん⑥)、常に律幢(りつどう⑦)の墔圮(さいひ⑧)するを痛む。〕

 

 鑑真=中国唐から来日して、日本に初めて正式の受戒をもたらした律宗の祖。

 律蔵を伝持=律蔵は経律論の三蔵の一つ。ここでは南山律宗を伝えもたらしたことを云う。

 上邦=わが国。日本。

 年代悠久=長い年数を経て。

 寝微=すたれおとろえる。

 尊=叡尊。

 律幢=律宗の幢(はた)。戒律の教え。

 墔圮=くだけそこなわれる。

 

◆【嘉禎二年。与同志者四人。依大乗三聚通受法。自誓受戒。自爾居南京西大寺。盛弘戒法。四律五論三大五部無不研究。】

 

〔嘉禎二年(①)、同志の者四人(②)ともに大乗三聚通受法(だいじょうさんじゅうつうじゅほう③)に依り自誓受戒(じせいじゅかい④)す。爾るより南京西大寺に居し盛んに戒法を弘む。四律五論(しりつごろん⑤)三大五部(さんだいごぶ⑥)、研究せざるは無し。〕

 

 嘉禎二年=かてい。一二三六年。菩薩三十六歳。

 四人=有厳、円晴、覚盛、叡尊。

 大乗三聚通受法=大乗菩薩戒は三聚淨戒(摂律儀戒、摂善法戒、摂衆生戒)であり、同時に受けるのを通受、または総受という。

 自誓受戒=通常の受戒は三師七証の十師から受けるが、師がいないときは仏に誓って自受する方式の受戒。

 四律五論=四律は『十誦律』『四分律』『僧祇律』『五分律』。五論は『毘尼母論』『摩得勒伽論』『善見律毘婆沙』『薩婆多論』『律二十二明了論』。

 三大五部=三大部は唐の道宣著『四分律刪繁補闕行事鈔』『四分律刪補隨機羯磨疏』『四分律含注戒本疏』を言う。五部は三大部に『四分律拾毘尼義鈔』『四分比丘尼鈔』を加える。

 

◆【寛元三年。於泉州家原寺。又行別受法。此歳授法華寺文勁】

 

〔寛元三年(①)、泉州家原寺(えばらじ)に於いて、また別受の法(べつじゅのほう②)を行ず。この歳、法華寺文篋(ぶんきょう③)に沙弥尼戒(しゃみにかい④)を授く。

建長元年(⑤)、法華寺に於いて慈善(じぜん⑥)等に大比丘尼戒(だいびくにかい⑦)を授く。ここに至り、七衆(しちしゅう⑧)皆備われり。戒学の再興は尊に於いて成るなり。〕

 

 寛元三年=かんげん。一二四五年。菩薩四十五歳。

 別受の法=菩薩戒(三聚浄戒)の摂律儀戒(四分律の戒)のみを別個に受ける受戒法。

 文篋=文篋房基忍。律法棟梁、生年七十二歳で遷化。

 沙弥尼戒=出家して比丘尼になるための仏道修行をしている女性の戒。十戒。

 建長元年=けんちょう。一二四九年。菩薩四十九歳。

 慈善=聖恵房慈善。法華寺第一世長老。俗姓春華門院新右衛門督。

 比丘尼戒=女性が出家して正式の僧となるために受ける具足戒で、三百四十八戒ある。

 七衆=仏教教団を構成する出家五衆(比丘、比丘尼、沙弥、沙弥尼、式叉摩那)と在家二衆(優婆塞、優婆夷)

 

◆【文応上皇。聞尊之戒行。詔入宮受菩薩大戒。后妃公候。望塵稟受者多矣。】

 

〔文応上皇(ぶんおうじょうこう①)は尊の戒行を聞こしめし、詔して宮に入らしめ菩薩大戒(ぼさつたいかい②)を受く。后妃公侯は望塵(ぼうじん③)稟受(ひんじゅ④)の者多し。〕

 

 文応上皇=亀山上皇。

 菩薩大戒=梵網菩薩戒。

 望塵=俗塵、世俗を憂えること。

 稟受=戒(菩薩戒)を受ける。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

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2017年1月 2日 (月)

コスモス寺花だより   1・2

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭でけなげに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙や 根岸に住んで 薄氷」夏目漱石

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「こんな身も 拾ふ神ありて 花の春」一茶

訳: こんな身でも拾ってくれる神があって新春を迎えた。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈浄瑠璃寺にて〉

「びしやもんの ふりしころもの すそのうらに

        くれないもゆる はうそうげかな」

(毘沙門の古りし衣の裾の裏に 紅燃ゆる宝相華かな)

 

〈唐招提寺にて〉

「せんだんの ほとけほのてる ともしびの

       ゆららゆららに まつのかぜふく」

(栴檀の仏ほの照る灯火の ゆららゆららに松の風吹く)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》821   

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

◆【毎日不断三時供養法日数幷座数

 自建長五年癸丑(みずのとうし)正月一日。至正応三年庚寅八月五日。首尾三十八年。都合一万三千七百三十六箇日。四万二千一百八座。】

 

〔毎日不断の三時(さんじ①)供養法(くようぼう②)の日数幷びに座数(ざすう③)

 

建長五年癸丑正月一日より正応三年庚寅八月五日(④)に至る。首尾三十八年。都合、一万三千七百三十六箇日。四万二千一百八座。〕

 

 三時=一日を昼夜六時に分けて、ここでは昼の三時(晨朝、日中、日没)をいう。ちなみに、夜の三時は初夜、中夜、後夜。

 供養法=密教で諸尊や経、曼荼羅を供養して除災招福などを加持祈祷する修法。

 座数=修法の回数。

 建長五年・・・=『学正記』建長五年の記事に、「正月一日。於御塔修供養法。〔自戊戌年至今年十六年。〕自興無遮僧供養法以来。已過十五ヶ年。隨経年月。事相相続動闕三時勤行。仍誓願此七ヶ日供養法。為始雖極略行。日々三時修供養法。以前後三礼。擬六時礼。」とあり。

 

◆【結夏年譜

 初安居嘉禎三年 南京 海龍王寺

 従暦仁元年至校長元年 南京 西大寺

 弘長二年   鎌倉 清凉寺     

 従弘長三年至正応三年 南京 西大寺   】

 

〔結夏(けつげ①)年譜

初安居嘉禎三年 南京(なんきょう②) 海龍王寺

暦仁元年より弘長元年に至る 南京 西大寺

弘長二年(③) 鎌倉 清凉寺(せいりょうじ④)

弘長三年より正応三年に至る 南京 西大寺〕

 

 結夏=夏安居を行うこと。インドでは夏の雨季の期間(四月十六日~七月十五日)に僧が僧院にこもり、遊行中の罪を懺悔し修行した年中行事。日本では四月十五日から七月十五日までの九十日間とした。結夏に対し終りは解夏という。夏安居を一回経るごとに夏数(法臘)何歳と数える。

 南京=南都、奈良のこと。

 弘長二年=一二六二年。興正菩薩が関東(鎌倉)へ下向した年。

『感身学正記』には、「自二月四日進発。至八月十五日帰寺。八ヶ月日々事。性海比丘往還記両巻粗載之。仍不記之。」と記す。

 清涼寺=鎌倉清凉寺谷(せいりょうじがやつ)にあった新清凉寺釈迦堂。叡尊師の鎌倉での住所となった寺。『関東往還記』には、金沢実時が叡尊師の請いにより一向無縁寺を探して当寺を勧めた。師が弟子を派遣して見分させたところ、「地勢は狭いけれど巨難なし」と報告され決定したという。

 

◆【入滅

 正応三年庚寅八月廿五日酉刻。春秋九十歳。通受夏数五十四。別受四十五。 

 

〔入滅

正応三年庚寅八月廿五日酉刻(とりのこく①)。春秋(しゅんじゅう②)九十歳。通受(つうじゅ③0)夏数五十四。別受(べつじゅ⑥)四十五。

 

 酉刻=現在の午後六時頃。また、その前後二時間。

 春秋=年齢。よわい。

 通受=菩薩戒の三聚浄戒を総じて受ける受戒法。

 別受=三聚浄戒の内、摂律儀戒を単独で受ける受戒法。

 

◆【  旹

 正応三年十月九日。

        於南都西大寺西室。 侍者小苾蒭鏡慧記之。】

 

〔    旹(ときに)

 

正応三年十月九日

        南都西大寺西室(さいだいじにしむろ①)に於いて、 侍者(じしゃ②)小苾蒭(しょうびっしゅ③)鏡慧(きょうけい④)これを記す。〕

 

 西大寺西室=興正菩薩の住まいされた僧坊。現西大寺本坊のあたり。

 侍者=仏菩薩あるいは師僧、長老に近侍してその給仕の任に当る者。

 小苾蒭=小比丘。夏数の浅い比丘が謙遜して小という。

 鏡慧=叡尊師の弟子、側近にあって重要な役割を果たした侍者。菩薩遷化の際看病をした。隨覚房鏡慧。但馬国人。

(おわり)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

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2017年1月 1日 (日)

コスモス寺花だより   1・1

 

あけましておめでとうございます。平成29年、西暦2017年、仏暦2560年が始まります。皆様にとって良い年でありますよう心から祈念いたします。

本年もよろしく。

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に咲く稀少な花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が清浄な純白の花でかざられ

芳しい香りが境内に漂っています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙や 美人かうべを いたむらし」与謝野蕪村

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「正月の 子供になりて 見たき哉」一茶

訳:お正月が来ると年玉をもらい、凧上げや駒回しをする。そんな子どもになってみたいなあ。 

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈浄瑠璃寺にて〉

「びしやもんの ふりしころもの すそのうらに

        くれないもゆる はうそうげかな」

(毘沙門の古りし衣の裾の裏に 紅燃ゆる宝相華かな)

 

〈唐招提寺にて〉

「せんだんの ほとけほのてる ともしびの

       ゆららゆららに まつのかぜふく」

(栴檀の仏ほの照る灯火の ゆららゆららに松の風吹く)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》821  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

◆【伝法灌頂血脉人数

 自寛元三年乙巳十一月八日。至正応二年己丑十二月廿六日。首尾四十七箇年。都七十二人之内。比丘六十四人。比丘尼六人。院家二人。一人清浄光院前大僧正御房。一人慈淨房。】

 

〔伝法灌頂(でんぼうかんじょう①)血脉人数(けちみゃくにんずう②)

寛元三年乙巳十一月八日より正応二年己丑十二月廿六日(③)に至る。首尾四十七箇年。都(すべ)て七十二人の内、比丘六十四人、比丘尼六人、院家(いんげ④)二人。一人は清浄光院前大僧正御房、一人は慈淨房。〕

 

 伝法灌頂=密教で四度加行を成満し、種々の徳を備えた弟子に対して、師の大阿闍梨が秘密究極の法を伝え、衆生の師たる阿闍梨位を継承させるために行う灌頂。三昧耶戒授戒、金剛界・胎蔵界曼荼羅での投花得仏、五智甁水の灌頂、印明伝授、金剛杵等を授与などを内容とする密教の最重要儀式。

 血脈人数=血脈相承(そうじょう)の人数。師と弟子の法門相承を肉身の血脈に例えて用いる。

 寛元三年・・・=行実年譜本文には、「寛元三年(一二四五)十一月八日。密壇を啓建して灌頂を若干人に授く。」と。感身学正記には「正応二年(一二八九)十二月廿六日。灌頂密壇を啓建し具支灌頂を若干人に授く。」との記載あり。

 院家=大寺に属する子院で門跡に次ぐ格式や由緒を持つもの。また、貴族の子弟でこの子院の主となった人。

 

◆【開講日数

 自嘉禎三年二月五日。至正応三年七月十三日。首尾五十五箇年。一万七百二十一箇日之内。当寺分九千六百三十四箇日。為利益所々開講一千八十五箇日之内。四百三十七箇日為内衆。六百四十八箇日為外衆。】

 

〔開講(かいこう①)日数

嘉禎三年二月五日より正応三年七月十三日(②)に至る。首尾五十五年。一万七百二十一箇日の内、当寺(③)分は九千六百三十四箇日。利益(りやく④)の為、所々開講一千八十五箇日の内、四百三十七箇日は内衆(ないしゅう⑤)の為、六百四十八箇日は外衆(げしゅう⑥)の為。〕

 

 開講=講席を啓(ひら)くこと。年譜本文篇の巻末にある菩薩著作目録の『梵網経古迹記輔行文集』を始めとする著作物は講義、講演の中から生まれたと思われる。

 嘉禎三年・・・=『学正記』『行実年譜』のどちらにも嘉禎三年、正応三年の日付には講席の記載なし。

 当寺=西大寺。

 利益=利益衆生。

 内衆=出家五衆(比丘、比丘尼、式叉摩那、沙弥、沙弥尼)。

 外衆=在家二衆(優婆塞、優婆夷)。

 

◆【禁断殺生所

 自寛元二年三月二十四日。至正応二年九月廿日。首尾四十六年也。都合状三百七十三通。所々一千三百五十六箇所。人数四千三百五十六箇所。人数四千三百五十八人。連判交名有之。】

 

〔殺生を禁断せる所(①)

寛元二年三月二十四日より正応二年九月廿日(②)に至る。首尾四十六年也。都合、状(じょう③)三百七十三通。所々一千三百五十六箇所。人数四千三百五十八人。連判(れんばん④)交名(きょうみょう⑤)これ有り。〕

 

 殺生禁断=仏教の慈悲の精神から、鳥獣・魚などの狩猟・殺生を禁じること。

 寛元二年・・・=『学正記』の二月廿六日の記事に「勧諸人。令禁断四郷之殺生。即出状載罰文。重請勤仕。随喜殺生禁断。故如形加讃嘆畢。〔自爾以後。所々有殺生禁断也。〕」

 状=上申する文書。

 連判=「れんぱん」とも。文書に複数の人が署名を連ねること。

 交名=人名を書き連ねた文書。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

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