« コスモス寺花だより   1・6 | トップページ | コスモス寺花だより   1・8 »

2017年1月 7日 (土)

コスモス寺花だより   1・7

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に清らに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「徹夜 ほのぼの明けそめし 心水仙に」種田山頭火

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「日の本や 金も子をうむ 御代(みよ)の春」一茶

訳:わが日の本の国では金も金の子を生む、ありがたい春をむかえた。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈浄瑠璃寺にて〉

「びしやもんの ふりしころもの すそのうらに

        くれないもゆる はうそうげかな」

(毘沙門の古りし衣の裾の裏に 紅燃ゆる宝相華かな)

 

〈唐招提寺にて〉

「せんだんの ほとけほのてる ともしびの

       ゆららゆららに まつのかぜふく」

(栴檀の仏ほの照る灯火の ゆららゆららに松の風吹く)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》826  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

『興正菩薩講式』

(こうしょうぼさつこうしき) 

教興寺比丘阿一 謹草之

 

◆【建保五歳。生年十七。以無相心祈有縁法。以真言乗為灯明。以凡身体成日月。如是耀国家。冥応是新。照天下。霊夢是験。方今五朝稽顙。儼十善之龍顔。四輩叉手。欽三毒之虎性。】

 

〔建保五歳。生年十七、無相心(むそうしん①)を以って有縁の法(うえんのほう②)を祈り、真言乗(しんごんじょう③)を以って灯明と為し、凡身の体を以って日月と為すべしと。是の如く国家を耀かし、冥応(みょうおう④)是れ新たに天下を照らすの霊夢、是れ験(しるし)なり。方に今、五朝(ごちょう⑤)稽顙(けいそう⑥)し、十善(じゅうぜん⑦)の龍顔(りゅうがん⑧)を儼(うやうやし)くす。四輩(しはい⑨)は手を叉(まじ)えて三毒(さんどく⑩)の虎性(こせい⑪)を欽(つつし)む。〕

 

 無相心=無想心。何の計らいのない無念無想の心。

 有縁の法=仏法の中で自分にふさわしい有縁の教法。

 真言乗=真言密教、真言宗の教え。

 冥応=目には見えないけれど神仏が感応して御加護を与えること。

 五朝=五代の帝。

 稽顙=稽首。額づいてお辞儀する。

 十善=十善の君。前世において十の善業(不殺生戒以下の十戒をよく守ること)を積んだ功徳により天子となったことをいう。

 龍顔=天子の顔。天顔。

 四輩=人、天、龍、鬼。

 三毒=貪(むさぼり)、瞋(いかり)、癡(おろか)の三大煩悩。

 虎性=虎のようにたけだけしいこと。

 

◆【薫南山戒香於四荒之風。灑青龍法水於八極之流。以後測前。豈此非為灯明除闇之瑞相。作日月施明之霊夢乎。是以。興正菩薩蹬醍醐山。剃髪染衣。於東大寺登壇受戒。】

 

〔南山(なんざん①)の戒香を四荒(しこう②)の風に薫じ、青龍(せいりゅう③)の法水を八極(はっきょく②)の流れに灑(そそ)ぐ。後を以って前を測ること、豈此れ灯明となして闇を除くの瑞相、日月と作(な)って明を施すの霊夢にあらずや。日月施明の霊夢を作すや。

是を以って、興正菩薩、醍醐山に登って剃髪染衣し、東大寺に於いて登壇受戒す。〕

 

 南山=南山律宗のこと。開祖道宣が住した終南山に由来する。

 四荒=四方の辺境の地。

 青龍=青龍寺。真言密教のこと。中国西安にあった寺、ここで弘法大師空海が恵果阿闍梨に教えを授けられたv。

 八極=八方の遠い地。四方(東南西北)と四隅(乾坤艮巽)の全方位を指し、全世界を意味する。四荒八極と熟語になる。

 

◆【建保六歳。生年十八。習十八印明。承久三年。二十一歳。受九会金剛。後堀河御宇元仁元年之春。登高野山伝教相法門。攀醍醐寺行胎蔵次第。同二年。修護摩於東大寺。同九夏。受印可於霊山院。】

 

〔建保六歳(①)。生年十八にして、十八の印明(じゅうはちのいんみょう②)を習う。承久三年(③)、二十一歳にして九会の金剛(くえのこんごう④)を受く。後堀河御宇元仁元年(⑤)の春、高野山に登り教相の法門(きょうそうのほうもん⑥)を伝(さず)かり、醍醐寺に攀(よ)じて胎蔵の次第(たいぞうのしだい⑦)を行(おこな)う。同二年(⑧)、護摩(ごま⑨)を東大寺に修す。同九(⑩)夏。印可(いんか⑪)を霊山院(れいざんいん⑫)に受く。〕

 

 建保六歳=けんぽ。一二一八年。

 十八印明=伝法灌頂を受ける前に行う四度加行の十八道念誦次第に出る印契と真言。

 承久三年=じょうきゅう。西暦一二二一年。

 九会金剛=金剛界念誦次第。金剛界を九会曼荼羅という。

 元仁元年=げんにん。一二二四年。

 教相法門=密教の威儀、行法などの実践的修法を行う事相法門に対して、教義を組織的に解釈研究する方面を教相法門と言う。

 胎蔵次第=胎蔵界念誦次第。

 同二年=元仁二年。一二二五年。

 護摩=不動法護摩次第。

 同九=元仁九年。一二二九年。

 印可=印は印信(いんじん)、伝法灌頂を遂げた弟子が伝授阿闍梨より法脈伝授を証明するために発給される文書。可は許可(こか)、聴許印可の意。阿闍梨が弟子に相伝修学を許すこと。

 霊山院=現天理市柳本の釜口山長岳寺にあった子院。

 

◆【安貞二年。二十八歳。於同道場具支灌頂。寛喜三年。春秋卅一。卜閑居地。法花暗誦。凡厥出世入道化儀。顕教密宗鑽仰。祖跡既慇懃也。遺弟盍随喜乎。先頌和上発願偈文。当菩薩称揚伽陀。次可行礼拝。

 自然憶衆生 皆是我父母 設種々方便 漸々令離苦

  南無戒法弘通興正菩薩】

 

〔安貞二年(①)、二十八歳にして同道場に於いて具支灌頂(ぐしかんじょう②)す。寛喜三年(③)、春秋三十一にして閑居(かんきょ④)の地を卜して、法華を暗誦す。およそ厥(そ)の出世入道(しゅっせにゅうどう⑤)の化儀(けぎ⑥)、顕教密宗の鑚仰、祖跡(そせき⑦)既に慇懃(いんぎん⑧)なり。遺弟なんぞ隨喜せざらんや。先ず和上発願の偈文を頌して、菩薩称揚の伽陀に当り、次に礼拝を行ずべし。

 

自然に、衆生は皆な是れ我が父母なりと憶(おも)い、種々の方便を設け、漸漸に苦を離れしめむ。

 

南無戒法弘通興正菩薩  〕

 

 安貞二年=あんてい。一二二八年。

 具支灌頂=伝法灌頂。

 寛喜三年=かんぎ。一二三一年。

 閑居=世間との交わりをやめ、煩わされることなく心静かに住むこと。その住まい。

 出世入道=出世間(出家)して仏道に入ること。

 化儀=衆生を教導し感化する形式、方法。

 祖跡=祖師の事跡、業績。

 慇懃=念入りにすること。

 

◆【第二。戒律中興徳者。

四條院御宇。生年三十四。於密教修学之時。発戒律凌廃之疑。所謂慧果和尚依四分秉法。以三密灌頂。弘法大師二十歳十戒。二十二受具。又遺告云。若不護顕密戒者。非我弟子。是魔之眷属也〔云々〕。】

 

〔第二に。戒律中興の徳とは。

四條院御宇(しじょういんぎょう①)、生年三十四。密教修学の時に於いて、戒律凌廃(りょうはい②)の疑いを発す。いわゆる慧果(けいか③)和尚は四分(しぶん④)に依って法を秉(と)り、三密を以って灌頂す。弘法大師は二十歳にして十戒。二十二にして受具(じゅぐ⑤)す。又遺告(ゆいごう⑥)して云う。若し顕密戒を護らざれば我が弟子に非ず。是れ魔の眷属(けんぞく⑦)なり。〔云云〕 〕

 

 四條院御宇=四條天皇代。文暦(ぶんりゃく)元年。一二三四年。

 凌廃=すたれている。

 慧果=唐代の僧(七四六-八〇五)。真言宗付法八祖の第七祖。長安青龍寺に住し、不空三蔵の弟子、空海の師である。

 四分=四分律

 受具=具足戒を受けること。

 遺告=弘法大師御遺告。

 眷属=一族。従者。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

 

|

« コスモス寺花だより   1・6 | トップページ | コスモス寺花だより   1・8 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« コスモス寺花だより   1・6 | トップページ | コスモス寺花だより   1・8 »