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2017年1月 2日 (月)

コスモス寺花だより   1・2

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭でけなげに咲く花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が真っ白な花でかざられています。

今、境内は甘くかぐわしい香りに満ちています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙や 根岸に住んで 薄氷」夏目漱石

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「こんな身も 拾ふ神ありて 花の春」一茶

訳: こんな身でも拾ってくれる神があって新春を迎えた。

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈浄瑠璃寺にて〉

「びしやもんの ふりしころもの すそのうらに

        くれないもゆる はうそうげかな」

(毘沙門の古りし衣の裾の裏に 紅燃ゆる宝相華かな)

 

〈唐招提寺にて〉

「せんだんの ほとけほのてる ともしびの

       ゆららゆららに まつのかぜふく」

(栴檀の仏ほの照る灯火の ゆららゆららに松の風吹く)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》821   

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

◆【毎日不断三時供養法日数幷座数

 自建長五年癸丑(みずのとうし)正月一日。至正応三年庚寅八月五日。首尾三十八年。都合一万三千七百三十六箇日。四万二千一百八座。】

 

〔毎日不断の三時(さんじ①)供養法(くようぼう②)の日数幷びに座数(ざすう③)

 

建長五年癸丑正月一日より正応三年庚寅八月五日(④)に至る。首尾三十八年。都合、一万三千七百三十六箇日。四万二千一百八座。〕

 

 三時=一日を昼夜六時に分けて、ここでは昼の三時(晨朝、日中、日没)をいう。ちなみに、夜の三時は初夜、中夜、後夜。

 供養法=密教で諸尊や経、曼荼羅を供養して除災招福などを加持祈祷する修法。

 座数=修法の回数。

 建長五年・・・=『学正記』建長五年の記事に、「正月一日。於御塔修供養法。〔自戊戌年至今年十六年。〕自興無遮僧供養法以来。已過十五ヶ年。隨経年月。事相相続動闕三時勤行。仍誓願此七ヶ日供養法。為始雖極略行。日々三時修供養法。以前後三礼。擬六時礼。」とあり。

 

◆【結夏年譜

 初安居嘉禎三年 南京 海龍王寺

 従暦仁元年至校長元年 南京 西大寺

 弘長二年   鎌倉 清凉寺     

 従弘長三年至正応三年 南京 西大寺   】

 

〔結夏(けつげ①)年譜

初安居嘉禎三年 南京(なんきょう②) 海龍王寺

暦仁元年より弘長元年に至る 南京 西大寺

弘長二年(③) 鎌倉 清凉寺(せいりょうじ④)

弘長三年より正応三年に至る 南京 西大寺〕

 

 結夏=夏安居を行うこと。インドでは夏の雨季の期間(四月十六日~七月十五日)に僧が僧院にこもり、遊行中の罪を懺悔し修行した年中行事。日本では四月十五日から七月十五日までの九十日間とした。結夏に対し終りは解夏という。夏安居を一回経るごとに夏数(法臘)何歳と数える。

 南京=南都、奈良のこと。

 弘長二年=一二六二年。興正菩薩が関東(鎌倉)へ下向した年。

『感身学正記』には、「自二月四日進発。至八月十五日帰寺。八ヶ月日々事。性海比丘往還記両巻粗載之。仍不記之。」と記す。

 清涼寺=鎌倉清凉寺谷(せいりょうじがやつ)にあった新清凉寺釈迦堂。叡尊師の鎌倉での住所となった寺。『関東往還記』には、金沢実時が叡尊師の請いにより一向無縁寺を探して当寺を勧めた。師が弟子を派遣して見分させたところ、「地勢は狭いけれど巨難なし」と報告され決定したという。

 

◆【入滅

 正応三年庚寅八月廿五日酉刻。春秋九十歳。通受夏数五十四。別受四十五。 

 

〔入滅

正応三年庚寅八月廿五日酉刻(とりのこく①)。春秋(しゅんじゅう②)九十歳。通受(つうじゅ③0)夏数五十四。別受(べつじゅ⑥)四十五。

 

 酉刻=現在の午後六時頃。また、その前後二時間。

 春秋=年齢。よわい。

 通受=菩薩戒の三聚浄戒を総じて受ける受戒法。

 別受=三聚浄戒の内、摂律儀戒を単独で受ける受戒法。

 

◆【  旹

 正応三年十月九日。

        於南都西大寺西室。 侍者小苾蒭鏡慧記之。】

 

〔    旹(ときに)

 

正応三年十月九日

        南都西大寺西室(さいだいじにしむろ①)に於いて、 侍者(じしゃ②)小苾蒭(しょうびっしゅ③)鏡慧(きょうけい④)これを記す。〕

 

 西大寺西室=興正菩薩の住まいされた僧坊。現西大寺本坊のあたり。

 侍者=仏菩薩あるいは師僧、長老に近侍してその給仕の任に当る者。

 小苾蒭=小比丘。夏数の浅い比丘が謙遜して小という。

 鏡慧=叡尊師の弟子、側近にあって重要な役割を果たした侍者。菩薩遷化の際看病をした。隨覚房鏡慧。但馬国人。

(おわり)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

 

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