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2017年1月 1日 (日)

コスモス寺花だより   1・1

 

あけましておめでとうございます。平成29年、西暦2017年、仏暦2560年が始まります。皆様にとって良い年でありますよう心から祈念いたします。

本年もよろしく。

 

〔花ごよみ〕

水仙:≪満開≫

冬の庭に咲く稀少な花、水仙は見ごろを迎えました。

観音石仏の足下が清浄な純白の花でかざられ

芳しい香りが境内に漂っています。

 

花期:12月~2月 お正月には満開になります。

    種類:一重咲「日本水仙」、「寒水仙」とも言います。

        八重咲「チヤフルネス」

    株数:2万本

 

「水仙や 美人かうべを いたむらし」与謝野蕪村

 

○来年のコスモスは初夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。

 

〔俳句〕

「正月の 子供になりて 見たき哉」一茶

訳:お正月が来ると年玉をもらい、凧上げや駒回しをする。そんな子どもになってみたいなあ。 

 

〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕

〈浄瑠璃寺にて〉

「びしやもんの ふりしころもの すそのうらに

        くれないもゆる はうそうげかな」

(毘沙門の古りし衣の裾の裏に 紅燃ゆる宝相華かな)

 

〈唐招提寺にて〉

「せんだんの ほとけほのてる ともしびの

       ゆららゆららに まつのかぜふく」

(栴檀の仏ほの照る灯火の ゆららゆららに松の風吹く)

 

《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》821  

『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上

(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)

如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録

 

◆【伝法灌頂血脉人数

 自寛元三年乙巳十一月八日。至正応二年己丑十二月廿六日。首尾四十七箇年。都七十二人之内。比丘六十四人。比丘尼六人。院家二人。一人清浄光院前大僧正御房。一人慈淨房。】

 

〔伝法灌頂(でんぼうかんじょう①)血脉人数(けちみゃくにんずう②)

寛元三年乙巳十一月八日より正応二年己丑十二月廿六日(③)に至る。首尾四十七箇年。都(すべ)て七十二人の内、比丘六十四人、比丘尼六人、院家(いんげ④)二人。一人は清浄光院前大僧正御房、一人は慈淨房。〕

 

 伝法灌頂=密教で四度加行を成満し、種々の徳を備えた弟子に対して、師の大阿闍梨が秘密究極の法を伝え、衆生の師たる阿闍梨位を継承させるために行う灌頂。三昧耶戒授戒、金剛界・胎蔵界曼荼羅での投花得仏、五智甁水の灌頂、印明伝授、金剛杵等を授与などを内容とする密教の最重要儀式。

 血脈人数=血脈相承(そうじょう)の人数。師と弟子の法門相承を肉身の血脈に例えて用いる。

 寛元三年・・・=行実年譜本文には、「寛元三年(一二四五)十一月八日。密壇を啓建して灌頂を若干人に授く。」と。感身学正記には「正応二年(一二八九)十二月廿六日。灌頂密壇を啓建し具支灌頂を若干人に授く。」との記載あり。

 院家=大寺に属する子院で門跡に次ぐ格式や由緒を持つもの。また、貴族の子弟でこの子院の主となった人。

 

◆【開講日数

 自嘉禎三年二月五日。至正応三年七月十三日。首尾五十五箇年。一万七百二十一箇日之内。当寺分九千六百三十四箇日。為利益所々開講一千八十五箇日之内。四百三十七箇日為内衆。六百四十八箇日為外衆。】

 

〔開講(かいこう①)日数

嘉禎三年二月五日より正応三年七月十三日(②)に至る。首尾五十五年。一万七百二十一箇日の内、当寺(③)分は九千六百三十四箇日。利益(りやく④)の為、所々開講一千八十五箇日の内、四百三十七箇日は内衆(ないしゅう⑤)の為、六百四十八箇日は外衆(げしゅう⑥)の為。〕

 

 開講=講席を啓(ひら)くこと。年譜本文篇の巻末にある菩薩著作目録の『梵網経古迹記輔行文集』を始めとする著作物は講義、講演の中から生まれたと思われる。

 嘉禎三年・・・=『学正記』『行実年譜』のどちらにも嘉禎三年、正応三年の日付には講席の記載なし。

 当寺=西大寺。

 利益=利益衆生。

 内衆=出家五衆(比丘、比丘尼、式叉摩那、沙弥、沙弥尼)。

 外衆=在家二衆(優婆塞、優婆夷)。

 

◆【禁断殺生所

 自寛元二年三月二十四日。至正応二年九月廿日。首尾四十六年也。都合状三百七十三通。所々一千三百五十六箇所。人数四千三百五十六箇所。人数四千三百五十八人。連判交名有之。】

 

〔殺生を禁断せる所(①)

寛元二年三月二十四日より正応二年九月廿日(②)に至る。首尾四十六年也。都合、状(じょう③)三百七十三通。所々一千三百五十六箇所。人数四千三百五十八人。連判(れんばん④)交名(きょうみょう⑤)これ有り。〕

 

 殺生禁断=仏教の慈悲の精神から、鳥獣・魚などの狩猟・殺生を禁じること。

 寛元二年・・・=『学正記』の二月廿六日の記事に「勧諸人。令禁断四郷之殺生。即出状載罰文。重請勤仕。随喜殺生禁断。故如形加讃嘆畢。〔自爾以後。所々有殺生禁断也。〕」

 状=上申する文書。

 連判=「れんぱん」とも。文書に複数の人が署名を連ねること。

 交名=人名を書き連ねた文書。

(つづく)

 

《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》

 

瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。

「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」

 

日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。

*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点

1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。

2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。

3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。

❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。

〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。

またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。

このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。

〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。

中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。

○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。

もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。

またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多数あります。

いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。

中川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。

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