コスモス寺花だより 3・31
〔花ごよみ〕
○紅梅:≪散り始め≫
○沈丁花:≪見ごろ≫
○水仙:≪残り花≫寒水仙。
○黄水仙:≪見ごろ≫ラッパ水仙。
○山茱萸(サンシュ):≪見ごろ≫
○連翹(レンギョウ):≪見ごろ≫
○椿:≪咲きはじめ≫
○コスモス:夏(6~7月)と秋(9~11月)に咲きます。
開花予定:夏咲=3万本。 6~7月
秋咲=15万本 9~11月
満開のピークは10月上旬です。
≪ニュース≫
〔俳句〕
「喧嘩買(けんくわかひ) 花ふんづけて 通りけり」一茶
訳:喧嘩を買って出る男、散った花を踏んづけて通っていったよ。
〔秋艸道人会津八一歌集『鹿鳴集』。奈良愛惜の名歌〕
〈奈良坂にて〉
「ならさかの いしのほとけの おとがひに
こさめながるる はるはきにけり」
(奈良坂の石の仏の頤に 小雨流るる春は来にけり)
*いしのほとけ=般若寺の南方500mにあり、京街道が「千坊坂」と呼ばれる急坂に沿って立つ大きな石造りの地蔵菩薩(室町時代)さま。夕陽がお顔を照らすので「夕日地蔵」と呼ばれている。
*おとがい=下あご。
〈東京にかへるとて〉
「あをによし ならやまこえて さかるとも
ゆめにしみえこ わかくさのやま」
(青丹よし奈良山越えてさかるとも 夢にし見えこ若草の山)
*さかる=離れる。遠ざかる。
《真言律宗の祖、叡尊(えいそん)興正菩薩一代記を読む》890
『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の上
(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)
如意輪精舎後裔苾芻慈光 編録
『宇治孤嶋石塔供養式』
(うじことうせきとうくようしき)
*康応元年(一三八九)三月廿五日に、宇治橋寺放生院住持の深泉大徳が勧化して行った、興正菩薩一百年忌追賁と十三重石塔修復落慶を兼ねた石塔供養式の式次第と法会記録。衆僧六百人の舞楽大法会である。
◆【先寅一点。神分乱声。
次押張文於集会所左右。〈以放生院釈迦堂庭。為其所也。〉
〔先 寅一点(とらいってん①) 神分(じんぶん②)乱声(らんじょう③)。
次 張文(ちょうぶん④)を集会所(しゅうえしょ⑤)の左右に押す。〈放生院釈迦堂(ほうじょういんしゃかどう⑥)の庭を以って其の所と為す也。〕
① 寅一点=今の午前三時から三時半まで。
② 神分=法会に先立ちその土地の神祇に擁護を請い、般若心経などを読誦して法施を行う儀式。
③ 乱声=雅楽で、主として舞人の出に奏する曲。拍子にとらわれずに吹く横笛に、太鼓、鉦鼓を合奏し、乱れた声に聞こえる。
④ 張文=はりぶみ。法会の式次第、配役などを衆僧に知らせる張り紙。
⑤ 集会所=法会の前に導師、職衆、随喜衆などが一堂に集まる場所。
⑥ 放生院釈迦堂=宇治の雨宝山放生院の現本尊は弘安年間作の地蔵菩薩(重要文化財)であり、脇仏には室町時代作の釈迦如来像も祀られる。釈迦堂がどこにあったかはわからないが、かつて清凉寺式の釈迦如来を本尊とするお堂が存在したのであろう。また堂前の庭に六百人の衆僧と楽人を収容できるだけの広い境内であったようだ。(現住職、黒木英雄師談)
(つづく)
《古都奈良と浄瑠璃寺・岩船寺の文化財、歴史的自然環境を守るために》
瀬戸内寂聴さんは〈浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会〉に次のような賛同のことばを寄せられました。
「はじめて、歩いて浄瑠璃寺を訪れた時の感激を忘れません。寺を包みこむように静かに息づいていた美しい環境にも感動したものです。それらを守り続けるのは日本人としてのつとめです。」
日本中の、世界中の古都奈良を愛する人たちは、奈良市ごみ焼却場(クリーンセンター)を浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」地区に移設することに怒りをもって反対しています。奈良市は非常識だと。
*奈良市クリーンセンター建設計画の問題点
1.奈良市クリーンセンター建設計画について、現環境清美工場からの排ガス等による科学的に立証される健康影響がなかったこと、公害調停に至る経過と公害調停自体に問題があること、候補地選定過程において歴史的・文化的遺産の保全等についての重要な議論がいっさいなされていないこと。
2.平安期の高僧、中ノ川実範(じつはん)上人開基の中川寺成身院跡など中ノ川地域の歴史的文化的、及び宗教的観点からの重要性を認識せず、その保全を全く考慮していないこと。
3.石仏の里として有名な当尾、平安時代の浄土式庭園(特別名勝及び史跡)、九体阿弥陀仏堂(本尊九体仏と本堂ともに国宝)、三重塔(国宝)など多数の国宝重要文化財を有する浄瑠璃寺、平安時代の丈六阿弥陀仏(重文)、木造三重塔(重文)、石造十三重塔(重文)、石龕不動明王(重文)など豊富な文化財を残す岩船寺を保存し後世に伝えるためには、周辺の自然生態系を含め、焼却施設からの有害ガス等による影響からこれらを保全する必要があること。
❍奈良市クリーンセンター建設予定地に隣接する当尾地区、数百メートルの距離にある浄瑠璃寺・岩船寺は、京都府の条例で「歴史的自然環境保全地域」に指定され、大切に保護されています。かつてこの地は南都仏教の奥ノ院的な聖地で山間修行の場でした。今も自然豊かな野山に巡礼者が歩いた石仏の道が残っています。
〇中ノ川町の山林には、平安時代の高僧実範(じっぱん)上人開基の「中川寺成身院」(なかがわじじょうしんいん)址があります。この寺は奈良における最古の本格的な密教寺院でありました。最近の研究では「灌頂堂」の指図(図面)が発見され高野山に匹敵するものであったことが判明。
またここは仏教音楽、声明(しょうみょう)の発祥の寺です。現在、高野山をはじめとする全国の真言寺院で唱えられる「南山進流」(なんざんしんりゅう)声明の流祖、大進(だいしん、宗観)上人は実範の弟子でした。さらに中世を通じて宗派を超えた総合的な仏教研究機関の役割を担っていました。浄土真宗の学僧、存覚上人(親鸞聖人のひ孫、覚如の長男)もここで修学されています。日本文化史上有数の、重要なお寺があったのです。
このような貴重な日本の歴史遺産を消滅させる権利が奈良市民(一部の)に許されているのでしょうか。
〇予定候補地の地元、東鳴川町には浄土真宗大谷派の「応現寺」があり、平安時代の重要文化財・木造不空羂索観音菩薩座像が安置されています。奈良県企画「巡る奈良 祈りの回廊」によると、興福寺南円堂御本尊の摸刻といわれ、地元観音講の方々により大切に守られてきたもので日本最古の尊像です。毎月第1日曜日(9時~16時)に特別公開されています。奈良はどんな山の中にも宝物が残されています。
中ノ川寺址、応現寺、浄瑠璃寺、岩船寺。ごみ焼却施設の移転推進者たちはこれだけの歴史文化遺産があっても「なにもないところ」と言い張るのでしょうか。策定委員会の先生方の見識が疑われます。応現寺は奈良市のHPでも、奈良市トップページ>観光>文化財>お知らせ>東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開、として出ています。
○膠着状態にある奈良市のゴミ焼却工場建て替えについて、最近よく聞く市民の声は、「今あるゴミ工場で建て替えるのがベストです。便利のいい場所だし、安上がりですよ、全市民の利益になるのでは。」という意見です。
もともと現工場には建て替え用地(4.5ha.)も確保されているそうです。
またこんな声も聞こえてきます。「工場周辺の土地はたいへん安く売りだされていたんですよ。工場があることを承知で後から来た人が立ち退きを求めるのは住民エゴではないのか、公害もないのに。」という、辛辣な意見を述べる人も多
数あります。
いずれにしても浄瑠璃寺の文化財と歴史的自然環境、中川寺跡の遺構を破壊するような開発行為を公共の名においてすることは許されないことです。
仲川市長さん、移転を求める一部住民の皆さん、奈良市は歴史観光都市、古都奈良であることを忘れておられませんか。
○京都の清水寺や奈良の東大寺、このすぐ横にごみ焼却場は建てられませんね。それでは同じ国宝の寺である浄瑠璃寺は価値が低いとでも言うのでしょうか。
奈良市民全体の知的レベルが問われている問題です。
○「奈良市クリーンセンター移設計画の白紙撤回を求める会」は、毎週木曜日の早朝7時から一時間、近鉄奈良駅・西大寺駅・学園前駅・新大宮駅・高の原駅などの各駅前の広場で反対署名の宣伝活動を行っています。またそのあとには住宅地へ入りスポット演説をします。主宰者は「奈良市のお財布を考える会」の樽谷佳男さんです。また日常的にノボリ旗と大看板を荷台に設置したトラックが奈良の町を走り回っています。その看板には「ストップ! 奈良市クリーンセンター移転計画」「文化財を壊す奈良市ゴミ工場の 東部移転断固反対」「奈良市はごみ焼却場で 国宝浄瑠璃寺を壊すのか!」の文句が踊っています。7月の市長選、市議選では「古都の文化財」を本気で守る候補者を応援します。