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2020年9月 2日 (水)

コスモス寺花だより


9・2

〔お茶の名山として歴史に名を遺す般若寺〕
茶の産地を記した最古の文献『異制庭訓往来』によると、般若寺は鎌倉時代お茶栽培の七名山の一つに数えられていました。この由緒により「般若寺茶」の復興を進めています。

〔いま咲いている花〕

◇ひつじぐさ(未草):≪見ごろ≫
                                                                                     
花期:6月~9月上旬                                                                

「二時の陽を鋭角に受けひつじ草」上野紫泉 
                                                                                                                                                                                                                                                                                       
◇さるすべり(百日紅):≪見ごろ≫
花期:8月~9月

「百日紅あはき眩暈をおぼえけり」阿波野青畝

◇秋のコスモス:≪育成中≫
花期:今年は残暑が長引くそうですから、開花は遅れて10月になりそうです。今のところ苗は3、40センチで、例年の半分くらいです。雨があれば一気に背が伸びると思います。台風10号は5日頃から本州に接近しそうですから大雨になるかも。雨が降るまで朝晩の水やりに精を出します。
20種類、10万本。

〔般若寺とお茶〕
次の文は昨日(9月1日)まで連載していた「般若寺とお茶」の最後の文章です。
⑪ ここまで般若寺の茶園から始めて、奈良の茶園の歴史を見てきましたが、奈良では真言律宗の寺院を中心にして茶の栽培、飲茶の普及が広められたのがわかりました。まとめておくと、茶の産地について記した最も古い文書記録である南北朝時代成立の『異制庭訓往来』には、栂尾(高山寺)をはじめ、仁和寺、醍醐、宇治、葉室、般若寺、神尾寺の七名山が鎌倉時代の茶の名産地に数えられています。続いて大和の室生、伊賀八嶋、伊勢河居、駿河清見、武蔵川越が挙げられ、14-15世紀の奈良県下の産地では、西大寺、東大寺手掻荘・川上荘、八峯山、元興寺極楽坊、己心寺(大安寺)、内山永久寺、正法寺、染田寺、大野寺、石田庄などが茶の産地として確認されています。
そして近世、近代を経て現代にいたるまで茶の栽培はますます盛んになり、全国の隅々にまで広まりました。
そういう中で般若寺の茶園がその後どういう歴史をたどったのかは、古文書等が残っていないので不明ですが、寺田先生の2018年刊の論考(6)に載せられている『大和国町村誌集』(明治14年作成)という資料によれば、般若寺村の茶の生産高は2300斤(1380kg)となっているので茶園の伝統は守られていたのでしょう。また西大寺村も100貫(375kg)となっています。両寺の茶園がいつ頃消えてしまったのかはわかりませんが、おそらく第二次大戦後の急激な都市化の波に飲み込まれたのだと思います。
般若寺では今、奈良県最古のお茶の名産地の由緒を消さないために、残存する十数本の古い茶樹を大切に保存して新たな「般若寺茶」の復興を目指しています。あと数年のうちには、無農薬栽培の「お茶摘み」ができるのではないかと思います。御参詣の皆様といっしょにお茶摘みができる日を楽しみにしています。(終わり)

〔四季の花暦〕
・春:山吹(4月)
・夏:初夏のコスモス(6月)
   紫陽花(6月) 
・秋:コスモス(9月下旬~11月上旬)
・冬:水仙(12月中旬~2月上旬)

《真言律宗の祖、叡尊興正菩薩(えいそんこうしょうぼさつ)
一代記を読む》1185
『西大勅謚興正菩薩行実年譜附録』巻の下
(さいだいちょくしこうしょうぼさつぎょうじつねんぷふろく)
    京都葉室浄住寺沙門 慧日房慈光 編録

(休止中)


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