文化・芸術

2013年7月26日 (金)

般若寺 季節の花だより 7・26

 

《いま咲いている花》

○夏コスモス:≪終わり近し≫

○ヒツジ草:≪見ごろ≫ まっ白な水辺の花。日本の山地にある泉や池に自生する睡蓮の原生種。これから初秋まで咲き続けます。花は56センチの大きさ。

○秋海棠(しゅうかいどう): ≪咲きはじめ≫9月中旬まで咲く。 ハート形の緑色の大きい葉っぱに、ピンク色の小さい花が涼しげです。別名、瓔珞草(ようらくそう)とも。ベコニア属。江戸初期、中国から長崎へ園芸観賞用に伝えられたのがはじまり。全国に広まり、俳画などの画題に好まれている。

○百日紅(サルスベリ):≪咲きはじめ≫

《秋に咲く花》

○紫苑(シオン):9月中旬

○彼岸花:9月中旬

◎秋コスモス:9月中旬~11月中旬。35種類。10万本。

いま苗を植え付けています。真夏の日照と気温のおかげでよく育 っています。

コスモスは種まきから7080日で開花しますから咲く時期を設定し、日数をさかのぼって種をまきます。種類により咲く時期が違い、背丈も様々ですから庭の設計が大事です。あとは植え付け、水やり、除草など心を込めて世話をしてやれば、秋にはきれいな花を咲かせてくれます。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」102

『太平記』巻第七 「出羽入道道蘊(どううん)芳野を攻むる事」

・本文:〈 同じき十八日卯の尅(こく)より互ひに矢合はせして、入れ替へ入れ替へ責めたたかふ。官軍は物馴れたる案内者なれば、ここかしこの逼(せま)り、難処に走り散つて、攻め合はせ開き合はせ、散々に射る。寄手は死生不知の坂東武士なれば、親は子の討たるれども顧みず、乗り越え乗り越え責め近づく。昼夜七日の間、息も継がず相戦ふに、城の中の勢三百余人誅(う)たれければ、寄手も八百余人打たれけり。〉

・訳:(同じ月の十八日、午後六時から、両軍互いに開戦の矢合せをして、新手を繰り出し繰り出しして激しく戦った。官軍は土地に慣れ、地理に明るい者たちなので、こちらの行き止まりやあちらの難所に走り散って、攻撃を集中したり散開したりして、散々に矢を射かけた。寄せ手は命知らずの関東武士なので、親は子が討たれても、屍を乗り越え乗り越えして、城へ攻め寄せつつ近づくのであった。昼夜七日の間、息もつがずに合戦したので、城中の軍勢は三百余人が討たれ、寄せ手も八百余人が討死した。)

 (つづく)

 

〔短歌〕

「くだけたる 波の白泡(しらあわ) いつさんに

         ひろがりつめん ときほひ寄せ来(く)も」

           木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「その中の 噂の人と ゐて涼し」星野立子

〔和歌〕

「枝にもる 朝日のかげの すくなさに

        すずしさふかき 竹のおくかな」

         前大納言為兼・玉葉419

「枝々をすかしてさし入る朝日の光の少ないために、かえって涼しさが深い奥行きをもって感じられる、竹林の奥よ。」

・この歌は京極為兼の秀歌中随一の名作といわれる。

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

〈山中高歌 大正九年五月

 山田温泉は長野県豊野駅の東四里の谿間にあり山色浄潔にして嶺上の白雲も以て餐ふべきをおもはしむかつて憂患懐きて此所に来たり遊ぶこと五六日にして帰れり爾来潭声のなほ耳にあるを覚ゆ〉

「かぎりなき みそらのはてを ゆくくもの

         いかにかなしき こころなるらむ」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

《当尾の里 浄瑠璃寺・岩船寺を奈良市の暴挙から守るために》

 

『土門拳 古寺を訪ねて 斑鳩から奈良へ』所収のエッセイより。

「浄瑠璃寺と石仏」

〈浄瑠璃寺の仏像

浄瑠璃寺は別に九体寺(くたいじ)とも、九品寺とも呼ばれている。九体寺とは西方極楽浄土の教主阿弥陀如来を意味し、現実に九体の阿弥陀像をまつっている。浄瑠璃寺の九体阿弥陀像は中尊一体だけが特に大きく像高は二・五メートルで、左右の八体は一・四メートルとわりあいに小さな寄木造で漆箔がおかれている。中尊は上品下生(じょうぼんげしょう)の印で、他の八体はすべて膝の上に両手の指を組み合わせた定印(じょういん)である。九体阿弥陀像は阿弥陀信仰の盛んであった藤原時代につくられたものである。

 浄瑠璃寺に現存する他の仏像のうち、正月と春秋二季だけ開帳する有名な吉祥天立像(建暦二年=1212)がある。木彫極彩色で藤原的であるが、奈良時代あたりの古像を手本にしてつくったとみられ、その美しい衣裳などの彩色文様は古風である。その厚化粧をした丸ポチャの麗人といった面貌は、不気味さを感じさせるほどの美しさである。

 吉祥天像の顔はうんと小さい。その顔は掌(てのひら)でつかめるほどの大きさである。

しもぶくれの頬に刻まれた切れ長の目は一番の魅力であろう。眼目広長にして顔貌静寂(がんぼうせいじゃく)。小さな唇は見るものに忘れがたい魅力を与える。仏像のうちでは、恐らく日本一の美人であろう。われわれはこの小さな仏像の魅力を永久に忘れないであろう。〉

 

*今、若草山の北麓、、正倉院、東大寺、春日山にも近く、京都府木津川市浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するという古都破壊のとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルの至近距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。まるで若草山頂上から噴火したように見えます。また風向きによっては正倉院、東大寺にも煙が流れます。

そして当尾の里・浄瑠璃寺は平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は考えるのもおぞましいことで、最悪無謀な文化破壊です。

奈良市の策定委員会と奈良市長は計画を即刻白紙撤回すべきです。

この地域は、いにしえの奈良山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々を愛し、心のふるさととして心癒されている日本人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

 

*仲川新市長に要望します。

市長が選挙中に出された公約、ビジョンの柱にされていたのは、「世界から尊敬される国際観光経済都市NARA」でした。もしもこのビジョンを目ざすのであれば、現「ごみ焼却場」移設計画は「国際観光経済都市」にふさわしくないのではありませんか。当尾の里は奈良観光の一大拠点です。観光を重視するのであれば、観光地の入口にゴミ焼却工場はおかしいでしょう。京都の東山や嵐山にごみ工場が存在しますか。もし支障がないとお考えなら、いっそのこと奈良公園か平城宮跡にでも立地されたらどうですか。

第二期市政発足に当り、古都奈良の文化遺産を守り未来へ活かす観点を大切にし、そして千数百年の伝統をもち奈良の精神的支柱である宗教の尊厳に配慮するのであれば、現計画を白紙に戻し候補地選択をやり直すべきです。

仲川市長の後援会長は華厳宗前管長東大寺前別当の夫人、北河原孝子さんだそうですが、東大寺さんは現候補地で承諾しておられるのでしょうか。

私たち真言律宗の寺院は宗派を挙げて反対しています。また東大寺周辺の鼓阪(つざか)校区の全自治会も反対意見を市に申し入れられましたね。

市長さん、住民や宗教界の反対意見を無視して、ブルドーザーになりきって工事を強行するのですか。そんなことをして「世界から尊敬される」ことになると思われますか。

東大寺さんも他人事のように黙っていないで、そろそろ声を上げられてはいかがでしょうか。浄瑠璃寺の佐伯快勝師は真言律宗の宗務長です、皆さんご存知のお方ですね。

これは古都奈良に関わる人間にとって、良識の有無を問われる問題となります。

 この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」からリンクされています。

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2013年7月25日 (木)

般若寺 季節の花だより 7・25

 

今日は御本尊文殊師利菩薩の月例御縁日です。午後一時半より法要を厳修します。

《いま咲いている花》

○夏コスモス:≪終わり近し≫

○ヒツジ草:≪見ごろ≫ 水辺の花。日本の山地にある泉や池に自生する睡蓮の原生種。これから初秋まで咲き続けます。花は56センチの大きさ。

○秋海棠(しゅうかいどう): ≪咲きはじめ≫ ハート形の緑の大きい葉っぱに、ピンク色の小さい花が涼しげです。別名、瓔珞草(ようらくそう)とも。ベコニア属。江戸初期、中国から長崎へ園芸観賞用に伝えられたのがはじまり。全国に広まり、俳画などの画題に好まれている。

《秋に咲く花》

◎秋コスモス:9月中旬~11月中旬。35種類。10万本。

いま苗を植え付けています。真夏の日照と気温のおかげでよく育 ちます。

コスモスは種まきから7080日で開花します。咲かせたい時期を設定し、日数をさかのぼって種をまきます。種類により咲く時期が違い、背丈も様々ですから庭の設計が大事です。あとは植え付け、水やり、除草など心を込めて世話をしてやれば、秋にはきれいな花を咲かせます。

 

〔短歌〕

「波の丈 遂にくつがへり 弾みあがり

       ひしめき寄する 荒き潮騒」

         木下利玄・紅玉

〔俳句〕

「般若坂 いくさがたりに 夏の塔」沙波

〔和歌〕

「虹のたつ ふもとの杉は 雲にきえて

        峯よりはるる 夕だちの雨」

          前太宰大弐俊兼

「虹の立つ山の、麓の杉は低い雲の中に消えて、高い峯から晴れて来る、夕立の雨よ。」

 

*秋艸道人、会津八一先生の歌集『鹿鳴集』より、奈良愛惜の歌。

ここからの十首は信州山田温泉へ行かれた折の歌です。

〈山中高歌 大正九年五月

 山田温泉は長野県豊野駅の東四里の谿間にあり山色浄潔にして嶺上の白雲も以て餐ふべきをおもはしむかつて憂患懐きて此所に来たり遊ぶこと五六日にして帰れり爾来潭声のなほ耳にあるを覚ゆ〉

「みすずかる しなののはての むらやまの

         みねふきわたる みなつきのかぜ」

〈東京にかへるとて〉

「あをによし ならやまこへて さかるとも

         ゆめにしみえこ わかくさのやま」

〈東京にかへりて後に〉

「ならやまを さかりしひより あさにけに

         みてらみほとけ おもかげにたつ」

 「夢にまで見える若草山」「面影にたつ御寺御仏」はいつまでもたいせつに残しておきたいものです。

 

*「南朝御聖蹟を顕彰する」101

『太平記』巻第七 「出羽入道道蘊(どううん)芳野を攻むる事」

・本文

〈正慶(しやうきやう)二年正月二十八日、二階堂出羽入道道蘊、六万余騎にて、大塔宮の籠り給ひたる吉野の城へ押し寄す。夏見河(なつみがは、菜摘川、大和国吉野郡菜摘)の川淀より城の方を見挙げたれば、峰には白旌・赤旌・錦の旌、太山下(みやまおろ)しに吹き乱し、雲か花かと怪しまる。麓には数千の官兵、甲の星を輝かし、鎧の袖を連ねて、錦繍(きんしう、錦や刺繍のある布)を布(し)ける地の如し。岸高くして路細く、山険しくして苔滑らかなれば、何十万騎の勢にて責むるとも、たやすく落つべしとは見えざりけり。〉

・訳

(正慶二年(1333)正月二十八日、二階堂出羽入道道蘊は六万余騎を率いて、大塔宮が立て籠もられていた吉野の城へ押し寄せた。

 菜摘川の淀んだ所から城の方を見上げると、峰には白旗・赤旗そして錦の旗が吉野の深山から吹いてくる風に乱されて、まるで雲か花かと見紛うほどだった。麓では数千の官軍が兜の鋲を輝かし、鎧の袖を連ねて並び、その様子は、まるで大地に美しい織物を敷いたようだった。峯は高くて、そこへ至る道は細く、山は険しくて、道に生えている苔は滑りやすいので、何十万騎という軍勢で攻めるとしても、簡単に落城するだろうとは見えなかった。)

 (つづく)

 

《当尾の里 浄瑠璃寺・岩船寺を奈良市の暴挙から守るために》

 

『土門拳 古寺を訪ねて 斑鳩から奈良へ』所収のエッセイより。

「浄瑠璃寺と石仏」

〈浄瑠璃寺の仏像

浄瑠璃寺は別に九体寺(くたいじ)とも、九品寺とも呼ばれている。九体寺とは西方極楽浄土の教主阿弥陀如来を意味し、現実に九体の阿弥陀像をまつっている。浄瑠璃寺の九体阿弥陀像は中尊一体だけが特に大きく像高は二・五メートルで、左右の八体は一・四メートルとわりあいに小さな寄木造で漆箔がおかれている。中尊は上品下生(じょうぼんげしょう)の印で、他の八体はすべて膝の上に両手の指を組み合わせた定印(じょういん)である。九体阿弥陀像は阿弥陀信仰の盛んであった藤原時代につくられたものである。

 浄瑠璃寺に現存する他の仏像のうち、正月と春秋二季だけ開帳する有名な吉祥天立像(建暦二年=1212)がある。木彫極彩色で藤原的であるが、奈良時代あたりの古像を手本にしてつくったとみられ、その美しい衣裳などの彩色文様は古風である。その厚化粧をした丸ポチャの麗人といった面貌は、不気味さを感じさせるほどの美しさである。

 吉祥天像の顔はうんと小さい。その顔は掌(てのひら)でつかめるほどの大きさである。

しもぶくれの頬に刻まれた切れ長の目は一番の魅力であろう。眼目広長にして顔貌静寂(がんぼうせいじゃく)。小さな唇は見るものに忘れがたい魅力を与える。仏像のうちでは、恐らく日本一の美人であろう。われわれはこの小さな仏像の魅力を永久に忘れないであろう。〉

 

*今、若草山の北麓、、正倉院、東大寺、春日山にも近く、京都府木津川市浄瑠璃寺南隣の「中ノ川・東鳴川」の地に、奈良市のごみ焼却場を建設するという古都破壊のとんでもない計画があります。          

 建設候補地は奈良市側ではありますが、京都府の浄瑠璃寺まで数百メートルの至近距離です。ここに焼却場ができ、高い煙突(計画の高さ80m)から煙が吐き出されることになれば、奈良側からの古都の歴史景観は台無しです。まるで若草山頂上から噴火したように見えます。また風向きによっては正倉院、東大寺にも煙が流れます。

そして当尾の里・浄瑠璃寺は平安時代の神聖な浄土庭園と国宝の堂塔、仏像文化財が排煙にまみれることになります。

このような事態は考えるのもおぞましいことで、最悪無謀な文化破壊です。

奈良市の策定委員会と奈良市長は計画を即刻白紙撤回すべきです。

この地域は、いにしえの奈良山丘陵でもあります。歴史ゆたかな青垣の山々を愛し、心のふるさととして心癒されている日本人がどれだけ大勢いることか、為政者は思いを致すべきです。

「やまとは 国のまほろば たたなづく

青垣やまごもれる やまとしうるはし」

  日本武尊(やまとたけるのみこと)・古事記

悠久の大和、奈良の山々は日本人の心のふるさと、国のまほろばです。

 

*仲川げん市長の再選おめでとうございます。

仲川市長が選挙中に出された公約、「世界から尊敬される国際観光経済都市NARA」を目ざすのであれば、現「ごみ焼却場」移設計画を白紙に戻し、古都奈良の文化遺産を守り未来へ伝える使命を果す観点から、そして千数百年の伝統をもつ宗教の尊厳に配慮する立場から候補地選択をやり直すべきです。

仲川市長の後援会長は東大寺の前管長の夫人、北河原孝子さんだそうですが、東大寺さんは現候補地で承諾しておられるのでしょうか。

私たち真言律宗の寺院は宗派を挙げて反対しています。また東大寺周辺の鼓阪(つざか)校区の全自治会も反対意見を市に申し入れられましたね。

市長さん、住民や宗教界の反対意見を無視して、ブルドーザーになって工事を強行するのですか。そんなことをして「世界から尊敬される」ことになると思われますか。

東大寺さんも黙っていないでなんとか声を上げられてはいかがでしょうか。

これは古都奈良に関わる人間にとって良識の有る無しの問題となりますからね。

 この問題を詳しく知りたい方は、

ホームページ『奈良市クリーンセンター建設計画に関する課題について』をご覧ください。本計画の問題点が的確にまとめられています。HP「般若寺」からリンクされています。


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